【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
続いて、貴族制度の概要について述べたい。まず、貴族として認められるために必要なものは何か、端的に言えば、帝国皇帝が認める、この一事だけである。
特定の家を貴族に叙する時、皇帝が勅書を発して、宮内省典礼職(後の典礼省)に登録されれば、皇帝の勅令によって、その登録が抹消されない限り、その家に属する者には貴族身分が与えられる。貴族身分を与えられた者は、その表徴として、姓名に「フォン」の称号を付ける事を許される。また、ゲルマン系の姓名を持たない者には姓名を改めさせたが、これは貴族層の一体感を醸成するため、特にルドルフが命じた事だったと云う。
ここで注意すべきは、貴族身分が与えられるのは個人ではなく、家であるという事実。爵位を持つのは当主のみだが、その家に生まれた者は、生まれながらにして貴族身分が与えられた。この点、特に同盟では誤解される事が多かったが、爵位を持つ者だけが貴族ではなく、逆に爵位を持たずに、貴族身分だけを持つ者も多数存在した。いや、全体の比率から言えば、後者の方が圧倒的に多かった。
新史料によると、貴族制創設時、貴族身分は個人単位で与えるのか、それとも家単位で与えるのか、特に宮内省と財務省の間で、激烈な議論が起こったと云う。
宮内省は、貴族身分は爵位と一体のもので、爵位を持たない者が貴族になるのは不自然。また、貴族身分は帝国の統治体制を支える根幹でなければならない、仮に家単位で与えてしまうと、相応しくない者にも貴族身分が与えられる恐れがあると、個人単位の付与を主張した。
一方、財務省は、仮に個人単位で与えると、貴族身分=爵位となり、貴族は当主のみとなってしまう。これでは貴族の絶対数が少なくなり過ぎて、統治に必要な人員を確保する事が出来ない。貴族身分を与えたい者全員に、爵位も同時に与えてしまえば、尊貴なるべき爵位の希少性が失われる上、爵位に対して与えられる貴族年金の支出が嵩み、帝国政府の財政負担が莫大になるだけではなく、事務処理も煩瑣になり過ぎるとした。貴族身分を家単位で与え、爵位を有するのは当主のみとすれば、爵位の希少性は保たれる上、帝国政府の負担も抑える事が出来ると主張した。
最終的には、財務省の主張が通り、貴族身分は家単位で付与する事に決まったが、時代が下るに従い、貴族身分の保持者が幾何級数的に増える事は、創設時から指摘されていた。それへの対処も論じられたが、結局、同族ではあっても、どこまで貴族身分を与えるかは、各家当主の裁量に任せると、玉虫色の結論しか出なかったと云う。
これは問題の先送りという面も確かにあるが、同時に、これから帝国の支配体制を構築する上で、貴族身分の保持者は、最終的に何人が適正数なのか、全く予見できないという事情もあった。
この結果、当主の後継者以外の男子は、分家して独立する、または他家に婿養子に行くという選択肢を選べた者を除き、ただ貴族身分と家名のみを保持する事となった。彼らは「家士」と呼ばれ、その貴族家の一員として、一家を立てる事が出来た。当主家と分家、家士家を包括して「家門」と称した。
彼ら家士の範囲と待遇は各家で異なり、大諸侯であれば家士家にも生活の保障が与えられたが、中小の貴族家では、家士も従臣と同様、労働して当主家から報酬を得るか、自ら事業を行うか、または帝国政府や帝国軍、他の貴族家に就職する必要があった。
彼ら家士層が政府や軍で中堅の官僚や士官を務め、また各貴族家の領地経営でも、従臣や領民を統制する管理職的な存在となっていった。旧帝国の人口(約400億人)と支配機構の規模に比して、支配層たる貴族家は4000家程度と、その数が極端に少ない事は以前から指摘されていたが、彼ら家士の存在がその答えになると言えるだろう。
しかし、時代が下るに従い、家士の数が増加して、家士層内でも階層分化が発生。家士家の分家たる「従士」、また家士家を束ねる「家士長」なる家も生まれてきた。帝国末期に至ると、ただフォンの称号だけを持ち、平民と同様、またはそれ以下の生活を余儀なくされている者も多数いたが、彼らの多くは家士、従士の出身であった。
以上のように、貴族身分でも平民と同様、階層内部での分化が生じていった。しかし、平民が社会的な立場や法的に認められた権利の有無で分化していった事とは異なり、貴族では爵位を与えられた当主家との血縁関係、その親疎を基準に分化が進行した。続いては、その爵位について説明したい。