【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
その一方で、帝国暦330~340年代に至ると、自分達の利益を最優先する一門を「国家内国家」だと批判、貴族は自家の利益より、帝国全体の公益増進を考えるべきだと主張する貴族家が現れた。
そのきっかけは、帝国暦331年、ダゴン星域会戦での帝国軍の大敗。敗戦の結果、当時の有力な武官貴族が戦死、また敗戦の責任追及の結果、軍から追放されたため、貴族間のパワーバランスが変化し、それに伴い、権力闘争が激化。さらに、当時の皇帝、敗軍帝フリードリヒ3世も、権力闘争と謀略に長けた人物であり、皇太子に内定させていたヘルベルト大公の失墜によって、自身の権力基盤に悪影響が出始めた事を恐れ、自らの政敵たる異母兄マクシミリアン・ヨーゼフ(後の慈愛帝マクシミリアン・ヨーゼフ1世)に与する有力な貴族家に無実の罪を着せ、当主の処刑や追放などを行い始めた。
その結果、帝国政界は、いわゆる「暗赤色の六年間」と称される、陰謀・暗殺・テロが横行する混乱状態に陥り、それは慈愛帝、百日帝グスタフ、そして晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の治世に至るまで続いた。
晴眼帝に仕えた貴族の一部は、この混乱状態を招いた一因は、支配者層たる貴族の腐敗だと指摘。彼らは、多くの貴族は自家や一門の利益を優先して、時の皇帝に阿り、皇祖ルドルフ大帝陛下が定めた「大帝遺訓」(第11章で詳述)に背き、帝国全体の公益を顧みなかった。その結果、叛徒達の軍(同盟軍)を目の当たりにしても、目先の権力闘争に囚われ、帝国と皇帝のために団結する事が出来なかったのだと主張した。
彼らは自らを開明派貴族と称し、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世と、司法尚書オスヴァルト・フォン・ミュンツァー伯爵を理想の君臣関係として称揚。貴族は皇帝陛下に忠誠を誓い、各々の地位と職能を尽くし、臣民を善導して、帝国の発展に尽くすべきだとした。
対して、旧来の貴族たちは、開明派は人類社会の支配者階級たる帝国貴族の団結と連帯を阻害し、貴族の伝統を破壊する異端者だと批判した。また、彼ら開明派も一枚岩という訳ではなく、同盟という外敵を認めて、共和主義にも理解を示す寛容派、貴族制度自体を不合理、廃止すべきものと主張する平民派(過激派)などが派生し、彼らは時として互いに批判しあい、旧帝国末期に至るまで、彼ら開明派は貴族社会中の少数派ではあったが、帝国騎士を中心とする下級貴族、また台頭してきた富裕平民からの支持を集めて、政界・官界の中では、一定の影響力を発揮していた。
そして、開祖ラインハルト陛下が旧帝国の実権を掌握すると、多くの開明派貴族を登用。新帝国の初代尚書中、ブラッケ子爵家、オーベルシュタイン男爵家、リヒター男爵家、そしてシルヴァーベルヒ帝国騎士家と、著名な開明派4家の当主が就任している。
彼らの登用は、その思想と力量を活用して、民生重視の政治を実現するためだったが、貴族たちの権力基盤とも言える一門を破壊する事も狙いだった。皇帝にのみ忠誠を誓い、貴族同士の結びつきを重視しない開明派の姿勢は、皇帝親政を行うラインハルト陛下の姿勢と非常に相性が良く、さらに誕生間もない新帝国の皇帝権を確立する上でも、一門関係を重視する旧来の貴族を重用する事は出来なかった。この点を見抜き、開明派の登用を進言したのは、自身も開明派たる故オーベルシュタイン元帥であった。