【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」   作:旧王朝史編纂所教授

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9-5:司法尚書キールマンゼク伯爵

 この内務尚書ファルストロング伯爵の盟友と言うべき存在が、司法尚書キールマンゼク伯爵だった。

 

 国立テオリア大学法学部を首席卒業、在学中に司法試験にも合格した秀才。少年期、可愛がっていた妹が性犯罪者に誘拐されて、暴行、殺害された事がトラウマとなり、犯罪者撲滅を志し、検事を一生の職に選んだ。

 連邦の法律、特に刑法は全て暗記して「法律大全が服を着て歩いている」と評された。犯罪者に人権は無いと公言して、判例よりも厳刑を求める事で有名だったが、その過激さは、当時の法曹界で受け入れられるものではなく、連邦政府検察庁では非主流派でしかなかった。

 

 一大転機となったのは、連邦政界でのルドルフの台頭。ペデルギウス時代から、犯罪者に厳酷な処罰を科してきたルドルフはキールマンゼクと意気投合。是非、その辣腕を振るって欲しいと、ルドルフが政府首相に就任すると、検察庁検事総長に抜擢された。

 同様に、警察大臣へと抜擢されたファルストロングとは、治安維持、犯罪撲滅への強い信念を有する者同士として、互いに尊敬し合う盟友となった。その縁で、当時は国家革新同盟所属の連邦下院議員だったクロプシュトックとも知り合い、ルドルフが連邦政界で台頭した後の部下でありながら、ペデルギウス派の一員と見なされるようになった。

 

 検事総長に就任したキールマンゼクは、これまでの鬱憤を晴らすかの如く、一切の容赦なく、どんな微罪でも犯罪者を逮捕、告発していき、同時に政治家や官僚、軍人など公人への弾劾、逮捕も躊躇わなかったので、反対派から「酷吏」と批難された。だが、ルドルフはキールマンゼクの姿勢を擁護、むしろ賞賛さえしたので、その強硬姿勢が改まる事は無かった。

 

 帝国建国後、初代の司法尚書に就任。各種法律、特に刑法の整備に尽力した。公人たる者、臣民の模範になるべきだとの信念から、殺人や誘拐、放火、麻薬取引など、社会に悪影響を与える重犯罪は、社会的地位や身分に関わらず、厳格に裁くべしと主張。内務尚書ファルストロングも賛同し、同省の警察局・公安局職員に対して、重犯罪は社会的地位や身分に関わらず即刻逮捕すべしと訓令した。

 後年、同省警察局の内規に、麻薬取引などの重犯罪の捜査は、身分秩序を顧慮する事莫れと明記されたのは、このファルストロングの訓令に基づく。

 

 盟友ファルストロングが爆弾テロの犠牲になると、その死を激しく悼み、人目を憚らず慟哭した。ルドルフに対しても、社会秩序維持局を司法省の管轄に移して欲しい、それが無理なら、司法尚書の職を退くので、自分を社会秩序維持局長に任命して欲しいと直訴。親友の仇を討つと公言して憚らなかった。

 当時の社会秩序維持局は軍隊的性格の強い組織だったため、軍人経験が無い卿が長を務めるのは無理だと、主君ルドルフに諭されると、自ら対テロ戦争を指揮できない憤りをぶつけるかの如く、社会秩序維持局の職員や、帝国軍の治安部門担当者に僅かでも怠慢、非行が見られたならば、激しく弾劾して、一日も早く反帝国勢力を根絶せよと責め続けた。

 

 帝国暦19年、盟友ファルストロングと同様、自身も共和主義者の爆弾テロで死去しているが、当時、社会秩序維持局や帝国軍に厳しすぎる目を向けるキールマンゼクを疎ましく思ったシュタウフェン公爵の意向で、テロの形に見せかけて謀殺されたのではないかとの噂が流れたが、真相は不明。学芸尚書ランケは「愛憎ともに激烈すぎた。他者を責めるに厳酷すぎた。検事の適性は有ったが、政治家の適性は無かった」と評している。

 

 キールマンゼクは公人としての意識が強すぎる人物であったため、体調不良で仕事を滞らせる事は公人として恥ずべき、健康の維持管理は義務であるが持論。食事・運動・睡眠等の生活習慣を厳格に管理し、健康を害する可能性があるものは、徹底的に遠ざけた。

 

 皮肉屋で、快楽主義的な性格だった学芸尚書ランケから「一体、何が楽しくて生きているのやら」と常日頃から揶揄されていたが、そのたびに顔を紅潮させて真剣に反論していた。ファルストロングから「卿が真剣に反応する程、学芸尚書は却って面白がるだけだぞ」と忠告されていたが、その性格は死去するまで変わらなかった。

 しかし、ファルストロングが淹れてくれたコーヒーだけは、刺激物であると知りつつ、敢えて口にしていた。その事を学芸尚書に指摘されると、顔を赤らめて沈黙してしまったので、流石の皮肉屋も苦笑して、それ以上の追求はしなかったという。

 

 また、性犯罪被害者の育英基金に匿名で定期的に大口寄付していた事が死後、明らかになっており、幼い妹の死という不幸にさえ遭遇しなかったならば、酷吏と恐れられた司法尚書キールマンゼク伯爵は誕生しなかったのかもしれない。

 

 なお余談ながら、家祖ライナー横死後、後継者となった長子エドウィンは、父親ほどの信念もない凡庸な人物だった。父の縁で司法省に出仕するが、当時の最大権力者たるノイエ・シュタウフェン公爵に疎まれていたため、貴族社会でも非主流派にとどまった。

 

 そのため、喪心帝オトフリート1世の御代、権臣エックハルトが台頭すると、当主ヴェンツェルは先祖代々の恨みを晴らす時は今だと、進んでエックハルトの腹心となって、ノイエ・シュタウフェン公爵家の追放に一役買っている。

 その後、エックハルトの推薦で司法尚書の座に就き、その職責を濫用して、エックハルトの政敵を弾劾、処刑するなど、主人への忠勤に励む。だが、寛仁公フランツ・オットー大公の策謀でエックハルトが誅殺されると、その与党と見なされ、当主は処刑、一族も辺境に流刑となり、絶家している。

 

 それ以降、建国期に立家した名家でありながら、帝国末期に至るまで、家名を継ぐ者もおらず、忘れ去られた家だったが、亡国帝フリードリヒ4世の御代に突如として復活している。

 

 同帝は即位当初、円熟した豊麗な女性を好んで寵愛した事はよく知られているが、当時、寵愛第一と言われたアイゼンエルツ伯爵夫人ダニエラ、彼女は辺境域の一領主貴族だったアイゼンエルツ男爵の妻だったが、出世を目論む夫の手によって、亡国帝の後宮に差し出された。そのため、アイゼンエルツは伯爵に陞爵し、宮内尚書の地位を得るが、夫の不甲斐なさに愛想を尽かした夫人は離縁を宣告する。

 

 そして、亡国帝の寵愛が衰えた時を想定し、帝国騎士位しか保有していなかった自家の箔付けと出世のために、寝物語の都度、歴史ある名家の家門を継がせて欲しいと懇願。寵姫に強請られた同帝は、当時、宮内尚書だったリヒテンラーデ侯クラウスに、どこか適当な家門を選ぶようにと指示。その結果、建国期に立家した由緒ある家でありながら、絶家して久しいキールマンゼク伯爵家が選ばれ、寵姫ダニエラの兄グントラムが同家を継承する事になった。

 

 数年後、寵愛を失ったダニエラは新無憂宮を出て実家に戻り、兄グントラムの庇護下で天寿を全うしている。なお、グントラムは妹の縁故で陞爵した人物ではあったが、貴族官僚として相応に有能な人物で、自身が伯爵位を得た際に仲介役となったリヒテンラーデ侯クラウスの部下となり、国務省で各局長を歴任、その後、内閣書記官長に就任している。

 

 亡国帝が崩御し、廃帝エルウィン・ヨーゼフ2世が即位すると、リヒテンラーデ公の部下だったため、リップシュタット盟約に参加する事もなかったが、同公クラウスが開祖ラインハルト陛下への暗殺未遂事件の主犯として逮捕、自裁との形で処刑されると、グントラムは、同じくリヒテンラーデ公の部下だった財務尚書ゲルラッハらと同様に、故オーベルシュタイン元帥の監視下に置かれた。

 

 しかし、監視されている事に気づくと、自ら開祖ラインハルト陛下の下に出頭。私がリヒテンラーデ公爵に仕えたのは、彼が国務尚書、また帝国宰相として、帝国政府の主宰者だったためです。今、ローエングラム公爵閣下が帝国宰相となられ、同様に帝国政府を主宰される以上、私は帝国の臣下として、閣下の御指示に従うのみですと宣言。自身と一族の身柄を全て委ねるとした。

 その潔い態度に感心したラインハルト陛下は、門閥貴族の残党と通謀している事実は無いとのオーベルシュタイン元帥の報告も踏まえ、グントラムを解放すると、開明派貴族で旧帝国の政治改革を委ねていた、現民政尚書カール・ブラッケの下で働くように指示。ローエングラム朝開闢後、ブラッケ尚書の下、民政省次官となるが、病気のため退任。次官のポストは、若手官僚のホープの1人、ユリウス・エルスハイマーが後任となっている。

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