【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」   作:旧王朝史編纂所教授

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9-6:学芸尚書ランケ子爵

 ルドルフに見出された尚書達は、自身の職務に精励し過ぎて、全人生を捧げてしまう人物揃いだったが、中には職務に精励はするが、私生活は別だと、割り切った態度の人物も僅かながらいた。それが学芸尚書ランケと、国土尚書ゲルラッハの2人だ。

 

 学芸尚書ランケは、銀河連邦の著名な社会学者で、コメンテーターや識者として、メディアへの露出も多く、豊富な人脈を活かして、政府の各種審議会でも委員を務めるなど、典型的なタレント学者だった。

 当時のアカデミズムからは研究者の姿勢ではない批判されていたが、当人は「社会に何らの影響も与えない学問など無意味」と公言して憚らず、自身を批判する研究者を「世間知らずの学者馬鹿」「無駄なプライドに凝り固まった無能者」と、逆に嘲笑する有り様だった。

 

 だが、ルドルフに見出されたランケは、決して大衆迎合的なタレント学者というだけの人物ではなく、自身の言動が社会に与える影響を具に観察し、市民からの反応も材料にして、連邦社会の研究を行う、アカデミズムの常識では決して理解されないが、彼なりの信念に基づいた、実践的な学者でもあった。

 

 連邦時代の彼の業績に「首都テオリア及び主要星系における連邦市民の主権者意識と政治行動に対して産業構造と経済格差が与える各種影響に関する一考察」と題した論文がある。

 

 貧富の格差が大きくなればなる程、低所得者層に属する市民の主権者意識が薄れ、政治行動は他罰的な傾向が強くなり、粗雑だが明快な内容を強力に主張する権力者を盲信しがちだと分析。また、貧富の格差が一定の水準を超えると、生活様式だけではなく、一般常識や知能、倫理道徳などでも断絶が生じ、それは人間が社会的動物である以上、不可避的に生じる社会的格差だと主張した。

 

 故に、その社会的格差を踏まえた階層的秩序の構築こそ、アノミー(無規範状態)に陥った連邦社会を救済する手段だと結論付けた。

 

 この論文は、アカデミズムの枠を飛び越え、当時の連邦政界でも注目されて、当時、国家革新同盟党首だったルドルフがランケという人物に注目する契機となった。

 ちなみに、この論文の作者はランケとなっているが、実際の研究分析と執筆は、彼が学部長を務めていたテオリア大学社会学部所属の学者たちが分担していた。当然、アカデミズムからは激烈な批判が上がったが、ランケ本人は悪びれる事なく「私はプロデューサーだ。作業したのは彼らだが、その成果を取捨選択し、1つの作品に仕上げたのは私だ。お前達も論文を書く時に、自分が指導する学生の手を借りているだろうが。それとどこが違うのだ。そもそも、私が研究環境を整えてやらなければ、我が学部の連中に、連邦の大物政治家からも注目されるほど、影響力のある研究が出来たとは到底思えないね」と嘯く始末だった。

 だが、当の学者たちは反論するどころか、充実した研究環境や高い報酬を与えてくれたランケに感謝、心酔さえしており、この一事を見ても、ランケなる学者は政治家的才能にも恵まれた、特異かつ有能な人物だった言えるだろう。

 

 本論文に注目したルドルフは、私的にランケと意見交換するようになった。その過程で、ランケが提唱する階層的秩序の具体案として、貴族制度の着想を得たのではないかと言われている。実際、帝国建国後、貴族制度の原案はランケによって作成されている。

 

 初代学芸尚書に就任したランケは、国内にある大学や学術機関の研究予算を一手に握り、帝国の政治・行政に資するか否か、その一点で研究内容と研究者の選別を始めた。人文系の学問にあまり興味を持たずた社会に直接裨益しない学問は個人の趣味で行うべきだ、とのルドルフの意向もあり、旧帝国の学術研究が実学一辺倒に陥ったのは、実にこの時代に端を発する。

 

 自身も社会学者でありながら、人文・社会学系学問の研究予算を大幅にカットするランケに対し、かつての同僚が学者の風上にも置けない、曲学阿世の徒だと密かに非難。その事を報告した部下から、尚書の尊厳を傷つけるもの、処罰すべきですと進言されたランケは、口元を歪めて「放っておけ。奴らは連邦時代からそうだった。他人の批判も自分一人では出来ずに、徒党を組んで吊し上げる連中だ。徒党を組めなくなったら、陰口を叩くのが精々だろうよ。そもそも、私を学者の風上にも置けないと言うが、私は連中から、学者と見なされた事は一度も無いはずなんだがな。都合良く健忘症にでも罹ったのだろうよ。臆病な病人など相手にするな。時間の無駄だ」と切り捨てたという。

 

 自身の才覚に恃むこと厚いランケは、他の尚書たちの多くがルドルフを絶対視して、人生全てを捧げている姿を冷ややかに見ている一面があった。前述したように、ランケは当時の政治家や官僚、軍人達の人物評を日記に書き残しているが、ルドルフに絶対の忠誠を捧げる周囲の人物を皮肉っぽく眺め、そうできない自分をやや自嘲する視点で貫かれている。

 

 では、ランケはルドルフをどう見ていたのだろうか。主君を直接論評する事は、流石の皮肉屋も憚ったのか、或いは不敬罪の証拠となり得る事を恐れたのか、今となっては不明だが、現存する日記で、ルドルフを論評した箇所は少ない。

 

 その一節に「雄材大略と評すべき御方。一国を建国した人物が常人であろうはずもない。また、強かで老練な人格と、少年めいた純粋な人格が共存できている希有な人物。強権的な人物と見られているが、実際はバランス感覚に優れた御方だ。あらゆる臣下に対して公平かつ公正、価値中立的に接する事が求められる専制君主の適性が非常に高い。あの御方が連邦を崩壊させ、帝国を建国した動機は私も詳らかにしないが、こと才能と適性から見れば、それは必然だったのかもしれない」とある。

 

 ルドルフと同時代に生きたランケの評は、神君または暴君とのステレオタイプな見方を自明とする我々現代人にとり、極めて新鮮に感じられる。彼の評価の妥当性は、他の史料から検証されるべきだが、当代一流の頭脳でもあったランケの評は、筆者個人としては、ルドルフの実像に迫る上で、非常に重要な視点を提供してくれていると感じている。

 

 主君ルドルフに倣うように、禁欲的な人物が多かった尚書達の中で、ランケは快楽主義的な性格を隠そうともせず、多芸多才で多趣味、多くの女性達と浮名を流した。現存する映像史料によると、かなりの美男子で、女性から言い寄られる事も多かったと想像される。

 若い時から独身主義者で、特定のパートナーは作らなかったが、貴族制創設後、自身も子爵位を与えられると、貴族の義務として、結婚して後継者を儲けるようルドルフに命令され、密かに「貴族制度など作らなければ良かった」と愚痴をこぼしたとも伝えられる。しかし、ひとたび貴族になると、洗練かつ豪奢な生活を営んで、その姿は後世想像される帝国貴族そのものだった。

 

 また、個人主義的人物であったが、決して無情だった訳ではなく、口喧嘩相手だった司法尚書キールマンゼク伯爵が爆弾テロに倒れると、葬儀の場で自筆の弔辞を朗読、その内容は列席者の涙を誘う真情に溢れていたと伝えられる。

 

 節制や禁欲などという言葉は、自身の辞書に載っていなかっただろうランケだが、初代尚書の中では長寿を保ち、唯一、強堅帝ジギスムント1世の御代まで生き残っている。

 現役引退後は、自邸に引きこもり、連邦社会と帝国社会の比較論や、同僚だった尚書達の人物伝等を執筆していたという。その姿は、彼が無用と切り捨てた、社会に何の影響も与えない学問に従事するアカデミズムの研究者そのものだった。或いは、かつての自分が否定した、自らの興味関心のまま研究に没頭する学者に誰より憧れていたのは、ランケ本人だったのかもしれない。

 

 なお、家祖エドゥアルト死去時、長子ローレンツは宇宙船の事故で既に死亡しており、爵位は孫ルードヴィヒが継承したが、産まれた時から豪奢な生活に慣れきっており、過度の浪費癖がある人物だったため、忽ち家産を蕩尽、借金の返済に追われた挙げ句、祖父の縁で出仕していた学芸省で公金横領事件を起こしてしまう。

 

 貴族の非行を嫌う強堅帝ジギスムント1世の逆鱗に触れ、爵位と貴族身分の剥奪を宣告されたが、同帝の父で帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公が取り成し、祖父の功績を鑑みて、爵位は男爵位に降格、当人は公職追放の上、終身の蟄居となった。これは、家祖エドゥアルトが個人主義者で、家系の継承には興味が無く、子や孫の躾や教育に注力しなかったからだと指摘されている。

 

 蟄居を命じられたルードヴィヒは、死ぬまで不自由な状態でいる事に耐えられない、例え家を潰しても自由の身の上になりたいと考え、誰か有力な貴族家に家督と爵位を譲り、その後ろ盾を得て帝国政府と交渉し、自身の蟄居を解除してもらう、との策を立てた。

 

 当時、皇帝と政府を動かせる権門と言えば、皇帝の父で帝国宰相たるノイエ・シュタウフェン公爵しかおらず、ルードヴィヒは密かに同公へ使者を送ると、貴家の縁者に家督と爵位を譲渡する、自身も隠居するので、蟄居だけは解除して頂きたいと懇願。同公も初代の学芸尚書を輩出した文官貴族の名家が手に入るならば、安い買い物だと考えたのだろう、程なくしてルードヴィヒの隠居と蟄居の解除が決定。ランケ男爵家は、ノイエ・シュタウフェン公爵が側室に産ませた男子、カスパーが養子となり継承した。

 

 この結果、同男爵家は家祖エドゥアルトの血筋が絶えて、ノイエ・シュタウフェン公爵家の従家となり、武官貴族へと転身した。その後、同公爵家が権臣エックハルトとの権力闘争に敗れ、領主貴族に転身すると、ランケ家も随行、同様に領主貴族になったと思われるが、その後の消息は不明。

 

 ちなみに、家祖エドゥアルトが晩年に執筆した作品等は、その遺言で門外不出となっていたが、ノイエ・シュタウフェン公爵家の従家になった際、血筋が変わったランケ男爵家には不要と見なされたのか、全て宮内省典礼職に寄贈されている。その後、何らかの事情で散逸したらしく、原本は既に失われている。

 ただ、帝国暦190年代、当時の貴族歴史家・フィッシャー子爵が自著「銀河帝国の成立」の参考文献で、エドゥアルトの作品群を挙げており、本文中にも引用されている。現在、一部の歴史学者の間で、ランケの他の著作と照合する事で、これら晩年に執筆された作品群を復元しようとする試みが進められている。

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