【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
これまで述べてきた尚書達は例外なく有能な人物ではあるが、各分野のスペシャリストをただ集めても、集団としての統一行動が取れず、却って機能不全を起こしてしまう事は、人事管理上の常識である。無論、彼らはルドルフの絶対的な支配下にあったが、尚書同士で討議し、決定しなければならない案件は膨大にあり、その度に、主君の臨席を仰ぐという訳にもいかなかった。
よって、彼ら尚書達の意見を取りまとめて、調整を図れる人物が絶対的に必要だった。老練な政治家ルドルフがその必要性に気付かない訳はなく、国務尚書ハーン伯爵と、宮内尚書ノイラート子爵、この両名が調整役として登用されていた。
初代の国務尚書に就任したハーンは、ルドルフが立ち上げた新党「国家革新同盟」設立発起人の1人だった。それ以降、ルドルフの側近政治家の1人として、主に党務畑を歩み、野党対策などを担当した。ルドルフの終身執政官時代は、副首相兼国務大臣を務めた。
エリート揃いの初代尚書達の中では、異色と言える経歴の持ち主。連邦首都テオリアの下町に生まれた彼は、零細企業社員の父親と、老人施設で介護職員を務める母親を持ち、下流に近い中流家庭に育った。日々の糊口を凌ぐのが精一杯という家計状態で、大学はおろか高等学校に進学できる見込みも無かったが、12歳の時、転機が訪れる。
小さい頃から、常に笑顔を絶やさず、人の話をしっかり聞く性格だった彼は、自然と人望を集め、地元の子供達から頼られる存在になっていたが、それに目を付けたのが地元自治体で議員を務めていたイヴァンカ・フリードマンなる女性。同性愛者のため、自ら出産する事は諦めていたが、自身の後継者となれる子供を欲していた彼女は、人望があり、頭も良いハーンを養子に迎える決心をする。ハーンの両親も、このまま自分達の下で過ごすよりも、上流家庭で育った方が我が子のためになるだろうと同意した。
後年、ハーンは当時の心境を振り返り「両親と別れる寂しさは確かにあったが、それ以上に、今まで諦めていた世界への扉が開いた事に、興奮を禁じ得なかった」と語っている。
かくして、フリードマン家に迎えられたハーンは養母の期待に応えるため、猛烈な勉学を開始する。同時に、養母の政治活動にもボランティアとして参加。持ち前の人当たりの良さと気配りの巧みさで、忽ち養母の後援者たちの好意も獲得した。この時に培った対人経験が後年、ハーンを調整型の政治家として大成させる事になる。
必死の勉強の結果、国立テオリア大学法学部に合格。在学中の成績は中の上、または中の中という程度だったが、連邦の現代政治を学ぶサークルを主宰して、下院議員の事務所でボランティアスタッフを務めるなど、学生時代から、生々しい政治の現場を体験していった。
卒業後は養母の政策秘書を務める傍ら、政治家への道を模索する。当時、養母のイヴァンカは、地元自治体の議会で連続5期を務め、議長経験もあるベテラン議員だったが、持病の慢性腸炎が悪化、引退も取り沙汰されていた。このままでは次の選挙は戦えないのではと危ぶんだ後援会の意向もあり、次回の議員選挙には養子のハーンを擁立する事に決定した。
後援会は、国立テオリア大学卒の学歴と若さを全面に出して、フリードマン議員の後継者として選挙戦を戦うべきとの戦略だったが、ハーン本人は、ただ養母の後継者で、後援会の傀儡に甘んじるような政治家になる気は無かった。
後援会の戦略自体は受け入れたが、自らの意見を通すためにも、自前の政治基盤が必要だと考えて、大学時代に主宰したサークル仲間や同級生に声をかけ、また政治ボランティアで培った人脈を通じて人を集め、自分個人の後援会を設立。さらに、街頭演説や政治講演会を連日のように実施した。有力者に担がれた神輿の上にただ座っているだけの政治家ではなく、自らの足で立てる政治家になる事を目指した。
当初は、自分達の意向に逆らうのかと、養母イヴァンカの後援会はハーンの個人活動に難色を示したが、もともとハーン個人への遺恨は無く、むしろ好意を抱く者が大部分であった事、若者らしい、そのひたむきさに好感を持つ者が多かった事、そして、ハーンを我が子同然に愛していた養母の意向もあり、最終的には養母の後援会もハーンの個人後援会に合流、ともに選挙戦を戦った。その結果、過去最高となる得票数でトップ当選、引退した養母に代わり、自治体議会の議員として、その政治家人生をスタートさせた。
とは言え、一自治体の議員程度に大きな政治的影響力がある訳もなく、例えば連邦時代の中期あたりであれば、ハーンは平凡な地方議会議員として、歴史に名を残す事も無かっただろうが、当時は連邦最末期、後の銀河帝国皇帝ルドルフの台頭前夜だった。
ルドルフがペデルギウス星系政府首相として連邦政界に登場すると、その強権的な政治手法に多くの政治家達が眉をひそめる中、若きハーンはルドルフこそ市民を守れる真の政治家ではないかと、単身テオリアからペデルギウスを訪れ、一面識も無かったルドルフに直接面会を申し入れる。
もともと、実の両親が過労死寸前の重労働を余儀なくされているにも関わらず、家計は楽になるどころか、年々苦しくなっていく現実に対し、幼心に疑問を抱いていたハーンは、養母イヴァンカが行政や大企業の怠慢と横暴を批判、低所得者層への支援を訴える政治家であった事にも影響され、市民の生活を守り、向上させる事が政治家の責務と考えるようになっていた。
彼の政治思想と合致するルドルフの政治は、念願の政治家にはなれたものの、鈍重で先例重視、大企業の顔色を窺うだけの役所に対して、怒りと無力感に苛まれていたハーンには、まさに闇夜を貫く流星の如き輝きを放っていたのだろう。
ハーンとルドルフは全くの初対面ではあったが、連邦の現状を深く憂い、改革の必要性を痛感する若き政治家同士、すぐさま意気投合した。この時、両者の間でどのような話が交わされたのか、2人とも明確に書き残してはいないため、具体的には不明だが、後年書かれたルドルフの書簡等によると、利権まみれの既存政党には期待できない、清新で活力ある新党が必要との点で、意見の一致を見たようだ。
宇宙暦296年、ルドルフが地域政党「国家革新同盟」を立ち上げた契機は、或いはこの時の会談だったかもしれない。前述した通り、国家革新同盟の結党時、地方議員だったハーンも設立発起人の1人に名を連ねている。
この後、ハーンの政治家人生は、ルドルフの政治家人生と、その軌跡をほぼ等しくする。連邦政界にルドルフ旋風が吹き荒れると、ハーンもその風に乗って躍進。宇宙暦300年、ルドルフは銀河連邦史上最年少の政府首相に就任。若き英雄の誕生に市民は熱狂し、翌301年に実施された下院議員選挙はルドルフ一色、国家革新同盟は大躍進、上下院あわせて400議席を超え、上下院で単独過半数を達成したが、この時の選挙でハーンも下院議員に初当選している。
設立発起人の1人だったハーンは、一年生議員ながらも同党幹部となり、議会対策委員長に就任。このポストは、いわゆる野党対策を主に担当していた。党内には上下院で単独過半数を占めた以上、野党対策など必要ないとの強硬論もあったが、党首ルドルフの考えはむしろ逆だった。
この時点で、中央政界におけるルドルフの政治的基盤は十分に確立されたとは言い難く、有権者の人気頼みという面は否定できなかった。故に、野党から無用の攻撃をされ、世論の評価を落とす危険性は極力避けるべきと、数の力で押し通す必要がある局面以外は、逆に野党の意見を取り入れても良い、相手の面子を立てて、円滑な議会運営を行うべしと指示した。
ハーンは、その責任者に就任した訳だが、学生時代から中央政界で地道に活動、人脈を広げていた彼にとっては、まさに適役というべきで、生来の人当たりの良さ、気配り上手も手伝い、野党議員の人気と信頼を得て、スムーズな議会運営を実現した。
その結果、ルドルフの政権は議会対策に時間と労力を割く必要が無くなり、行政課題に集中できた。ルドルフが短期間で政府首相と国家元首を兼任、終身執政官を就任し、さらには帝国皇帝に即位できた事の理由の一端は、議会と党内をまとめ、波風を立てさせなかったハーンの力量もあったのだ。
当時のハーンの渾名は「政界一の聞き上手」「笑顔の魔術師」。相手がどれほど激高していようとも、ハーンと話せば、最後は笑顔になって握手を求めてくる、とも言われた。ルドルフが相手を圧倒して支配するカリスマの持ち主なら、ハーンは相手を包容して信頼させるオーラの持ち主だったのだろう。そのオーラの影響力は政界にとどまらず、官界・財界にも波及。主要な多星系企業や政府内の官僚グループ、連邦軍内の諸派閥、または労働組合などの各種団体と、政治的、経済的なパワーを持つ組織・団体との交渉を地道に行い、ルドルフのシンパを増やしていった。
この下準備があった事で、ルドルフが終身執政官、そして帝国皇帝と、非民主的権力者の座を求めた時、多くの個人、団体が賛意を示し、就任への異論、反論が大きな世論の高まりにならなかったのだ。
ちなみに、本書ではこれまでハーンとの呼称を用いているが、正確には、下院議員当選まで、ハーンの正式な姓名は「ヘルマン・フリードマン」。下院議員当選後、程なくして養母イヴァンカが死去。その後、フリードマンの籍を離れ、元の姓ハーンに戻している。だが、自分を世に出してくれた養母への感謝の念は終生持ち続けた。ハーンは伯爵位を与えられた後、養母の血縁の者を探し出し、自らが推薦人となり、その者に男爵位を与えて、フリードマン家を再興させている。
帝国建国後、初代の国務尚書に就任したハーンは、他の尚書たちとは異なり、特筆すべき業績を上げた訳ではない。唯一、後世にも影響を及ぼした業績としては、領主貴族らと帝国政府が公式に協議する場として、枢密院の設置を進言した事が挙げられるが、それ以外に、彼が主体となった政治行為は見当たらない。だが、それこそが国務尚書ハーンの真骨頂だったと言えるのだ。
いみじくも、ルドルフがその点を明確に語っている。その言葉を借りるなら「毎朝、ハーンが参内すると、余は尋ねる。何か問題は起こったかと。すると、ハーンは答える。いえ、陛下、何も問題は起こっておりませんと。そのやり取りで、余はそれから、安心して重要な政策課題に取り組める。もしも、余が対応しなければならない重大な問題が生じたら、あの者は例え真夜中であろうが、余の寝室に突入してくるだろうから」。
ハーン自身は、「私の責務は、誕生したばかりの銀河帝国という繊弱な赤子が心身共に健やかに育つよう、陛下の御力をその点に集中して頂く事だ。それに、私以外の尚書は皆、人傑ぞろいだ。彼らの能力が陛下と帝国のために活かされるようにすればよい。浅学非才で、人の話を聞くしか能の無い私が出る必要など無いのだ」と自らを語っている。
ルドルフと尚書達が職務に専念できるよう、何も起こらない事、何も起こさない事、それこそ国務尚書ハーンが自らに課した唯一にして最大の責務だったと言えよう。それは連邦時代、ルドルフと閣僚達が政務に邁進できるよう、議会と党内を取りまとめ、波風を立てさせなかった政治家ハーンの姿そのものだった。そして、この才能の持ち主を国務尚書に任命し、筆頭尚書として厚く遇したルドルフもまた、人を見る目があったと言える。
性格は温和な人格者、風采は「田舎の学校の校長先生」(学芸尚書ランケ評)だったハーンは、おおよそ人前で怒った事がないと言われていたが、尚書在任中、たった一度だけ激怒した事があるという。
ある日、尚書会議後の雑談で、学芸尚書ランケが最近、愛人から猫を貰って飼い始めたという話を始め、猫という奴は好い女に似ている、あのツンと澄ました態度が一転、甘えてくる様が実に良いなど、いささか下世話な感想を述べると、国土尚書ゲルラッハが同調。そのまま2人で盛り上がり、話の勢いで「犬は猫に比べると鈍くさくて、面白くない」と発言した瞬間、それまで笑顔で話を聞いていたハーンの態度が一変、「卿らが猫を愛好するのは良い。だが、犬を侮辱する事は許さん!」と激怒。ルドルフ以下、全員が唖然とする前で、靴音高く退室したという。
後刻、皇帝への礼を失した事を謝罪に訪れたハーンに対し、ルドルフが事情を尋ねると、実は少年時代、家が貧しく、玩具なども買って貰えなかったハーンにとり、地域に住み着いていた犬たちが良い遊び相手だった事、それ以来、大の愛犬家になり、飼い主がいない犬がいると、矢も楯もたまらず引き取ってしまうため、妻から苦情を言われる事、犬を馬鹿にされると、友人を馬鹿にされたような気分になり、怒りを抑えられなくなる事など、微苦笑するしかない話を聞かされたルドルフは、後日、尚書達に向かい「今後、尚書会議において、犬に対する誹謗中傷は禁止とする」と、やや苦笑しながら宣言したと云う。
帝国暦38年、ルドルフに先立つこと4年、ハーンは老衰によって死去。既に現役は引退しており、帝室顧問官の肩書で、晩年のルドルフの話し相手を務めていた。
当時、老人性鬱の兆候を示し、人と会う事を避けていたルドルフだったが、唯一、ハーンとだけは喜んで会っていた。それだけに、ハーンの死はルドルフの心身に大きな衝撃を与えた。ハーンの死を聞かされたルドルフは「これでもう、余は愚痴を零す事もできなくなったな…」と呟いたと、当時の侍従の一人が書き残している。これ以降、ルドルフは崩御するまでの約4年間、玉座と病床を往復するような生活を送る事になる。
なお、ハーンは自らの死を悟ると、現役引退後に書いた日記を全て、自分の目の前で焼却させている。家族に理由を問われると、一言「陛下の御心に臣下が踏み込むなど、不敬の極みだからだ」と答えたという。ルドルフに無私の忠誠を捧げたハーンらしい行為であったが、一歴史学徒としては、最晩年のルドルフの心境を解明する上で、第一級とも言える史料の喪失だけに、何とも無念の思いを禁じ得ない。
家祖ヘルマン死後、同伯爵家は国務官僚や直轄領総督を輩出する文官貴族の名家となる。喪心帝オトフリート1世の御代、権臣エックハルトが専横の限りを尽くすようになると、当主ホルストは当時、国務省第二調整局長の地位にあったが、エックハルトと彼に与する貴族達の横暴で、領主貴族の中には不平不満が高まっている事を察知。このままでは帝国全土を巻き込んだ内乱発生もあり得ると危機感を募らせ、同帝の甥で英邁の評判高い、後の寛仁公フランツ・オットーがエックハルトの専横を苦々しく思っている事を知ると、自ら同公の下へ訪れ、領主貴族達の現状を報告、彼らを味方とすれば、エックハルトとその与党を排除する事が出来ますと言上した。
ノイエ・シュタウフェン公爵家との権力闘争に勝ち、帝国軍を掌握するエックハルトに対し、自身と父親(後の老廃帝ユリウス1世)が保有する私兵しか信頼できる武力を持たない同公にとり、宇宙海賊や反帝国組織との戦闘で鍛えられた、辺境域の領主貴族達が持つ私兵部隊は極めて魅力的だった。
同公の意を受けたホルストは、その職責を活かし、まずエックハルトの汚職や不正行為で、経済上の被害を被っている領主貴族らを選んだ。そして、帝国政府とその領主との間で調整すべき事項があると言い立て、職務遂行を隠れ蓑に、自らその領地まで赴き、寛仁公に味方して、奸臣エックハルトを誅殺する事に助力して欲しいと口説いて回った。
多くの領主達がエックハルトらの横暴に苦慮していた事、そしてホルストが家祖ヘルマンを彷彿とさせる交渉力の持ち主だった事もあり、領主貴族の大部分は反エックハルトで一本化。当時、領主貴族の盟主的存在だった大諸侯、カストロプ公クレメンスも賛同し、枢密院議長でもあった彼の尽力によって、枢密院も反エックハルトで統一された。
旧帝国の公式記録では、耽美帝カスパーの寵童フロリアンを殺害するために、兵を引きつれて新無憂宮に参内したエックハルトをリスナー男爵率いる一隊が射殺した、となっているが、このリスナー男爵が率いた部隊は、カストロプ公を始め、各地の領主貴族達が密かに、少人数ずつ帝都に呼び寄せた精鋭の私兵達だった。
エックハルト誅殺の功績で、寛仁公はホルストを国務尚書に任命、帝国政府との関係が悪化した領主貴族らとの関係修復に当たらせた。家祖と同様、安定した人格と交渉力で領主らの信頼を勝ち取り、一時は内乱寸前まで悪化していた国内の情勢を落ち着かせると、政府や軍への出仕を望む領主貴族の子弟や家士達を募って、適当なポストを斡旋していった。
これは、一族の就職先に悩んでいた領主貴族達の希望を叶えてやる事での懐柔策、というだけではなく、エックハルトの専横で混乱してしまった中央の政府や軍に優れた人材を集めるための策でもあった。事実、彼らの中には主家の籍を離れ、独立した文官・武官貴族に転身する者も多かった。
寛仁公の腹心にして、歴代の国務尚書の中でも五指に入る名政治家として、後世に令名を残すホルストだが、その最期は決して幸福では無かった。
寛仁公の死後、皇太曾孫カールが老廃帝ユリウス1世を暗殺、旧帝国史上初の皇帝弑逆事件を起こした事は良く知られているが、この事実を以てカールを脅迫し、帝位継承権を譲らせたブローネ侯爵、後の痴愚帝ジギスムント2世も、決して群臣に望まれて帝位についた訳ではなかった。
即位前から、金銭に異常に執着する性格である事はよく知られており、自領の平民に極端な重税を課したのみならず、皇族の立場を利用して、家士や従士など貴族身分のみの保有者や富裕平民に男爵位や帝国騎士位を斡旋、その見返りに莫大な謝礼金を要求するなど、守銭奴じみた行為は皇族や貴族の眉を顰めさせるのに十分で、枢密院からも是正勧告が出されていた。
しかし、カールが大罪人となった以上、それに次ぐ帝位継承権を持つ男性皇族はジギスムントしかおらず、群臣は胸中に大きな不安を感じつつも、その即位を受け入れるしか無かった。
その後の結果は読者諸氏もご存じの通りだが、富の餓鬼道に堕ちた痴愚帝を厳しく諫め、祖父たる寛仁公殿下に倣い、臣民の生存と安寧を第一とする政治を行うよう、何度となく諫言したのが国務尚書たるホルストだった。
だが、痴愚帝に諫言を受け入れる度量などあるはずもなく、却ってホルストを憎悪、無用の言葉で皇帝の尊厳と品位を貶めたとして、爵位と財産の没収を宣告、当人には毒物による自裁を強制し、一族は悉く辺境域に流刑。以降、ハーン伯爵家は決して再興してはならぬと付け加える有様だった。
痴愚帝を強制退位させた再建帝オトフリート2世が即位すると、ホルストは名誉回復がなされ、ハーン伯爵家も辺境域で生き残っていた一族の男性に継承させているが、この人物はそれまでの過酷な生活で精神のバランスを崩していたのか、弔慰金として再建帝から下賜された金銭を浪費し、無意味な散財を繰り返し、酒色に溺れ、果ては非合法な合成麻薬にまで手を出して、在位わずか6年の再建帝に先立って死去。後継者不在のため、絶家しているが、世人は「痴愚帝の呪いで再び絶家したのではないか」と噂したという。