【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
前述した通り、連邦社会で主流だった思想はリバタニアニズムだったが、宇宙暦250年頃から、一部の経済学者らは、自由の過度な尊重が弱肉強食の過酷な社会を生み出した、経済主体がモラルを捨て去り、略奪的な営利行為を続けた結果、市民生活が破壊され、人間存在は毀損されていると主張。市場万能の立場を取る自由経済を批判して、政治的主体たる市民、その集合たる国家が市場の暴走を制御できる統制経済が望ましいのだ、という経済思想を提唱した。
彼らは市民派学者を称し、富の独占を図る大企業と、それに追従する連邦政府を激しく批判。市民派の代表的存在だった経済学者ダニー・イノウエは、13日戦争後の地球統一政府が採用した統制経済を例に挙げ、「現在の連邦社会は、物資こそ豊富にあるが、貧富の格差が極大化し、低所得者層は生命維持に必要な基礎的食品さえ購入できない状態に陥っている。彼らにとり、生存に必要な物資を入手できないという一点において、この社会は核戦争後の焦土に等しい。我々の先人達は、地球統一政府を設立して、人類の種としての存続という目的のために、限られた資源を食料生産能力の回復に集中投資した。その結果、人類社会は力強く復活を遂げ、今日の宇宙時代の基礎を築く事が出来た。人類が生存の危機に瀕した時は、国家が主体となり、経済を統制する事は当然の措置だ。今、連邦社会に求められているのは、まさにこの統制経済なのだ」と声高に主張した。
彼ら市民派は、自らの思想を「人間主義経済」または「倫理経済」と称し、自由経済至上主義を「略奪経済」「投機的(カジノ)経済」と批判した。
一方、自由経済を擁護する主流の経済学者らは、市民派の学説を「地球時代の遺物」「度外れた時代錯誤」「国家主義経済」と嘲笑。「経済活動に対し、国家が不当に介入すれば、健全な市場の成長が阻害される」と、教科書通りの批判を浴びせかけ、一顧だにしなかった。
しかし、経済的苦境で生命の危機に晒されている低所得者を守るべきという政治家、国家の統制を外れ、国家内国家と化しつつあった大企業の振る舞いを苦々しく思っていた経済官僚、彼らの中には、この思想を好意的に受け止める者達もいた。
旧帝国の初代尚書中で言えば、国務尚書ハーンや、財務尚書リヒテンラーデは人間主義経済の思想を肯定しており、学芸尚書ランケは自著の序文で、自身の学説に影響を与えた事を認めている。
若きルドルフがこの思想の影響を受けた事を証明する史料は、現時点では発見されていないが、父セバスティアンが自殺した原因となった、若手の連邦軍人らが企図したクーデター未遂事件の裁判記録に、当時のルドルフがこの思想に触れていた可能性を示唆するものがある。
前述の通り、ルドルフは銀河連邦の実権を握った後、父の無実を証明するために、本事件の裁判をやり直させたが、その時の裁判記録によると、クーデターを企てた若手将校の中に「政府打倒後は、自由経済を撤廃し、人間主義経済を導入する予定だった」と証言した者がいる。
その将校は父セバスティアンが士官学校教官時の教え子だった事が判明しており、仮にこの学説を若手将校らに紹介したのがセバスティアンだったとするなら、少年時代のルドルフが父から教えられていても不思議ではない。ルドルフが娘達に送った書簡、また晩年に執筆した自叙伝等にも、自身の少年時代、父親から勉強を教えられていたとの記述があり、その時、この経済思想を伝えられた可能性は十分にあるだろう。
ともあれ、ルドルフ以下、帝国建国の功臣達の中には、この人間主義経済を肯定する者が存在していた。彼らが主導する以上、帝国の経済体制が統制経済としてデザインされるのは当然の帰結だっただろう。それは、同盟で語られていたように、富の独占を企図したものではなかった。仮に、ルドルフらが富の独占だけを目的としていたならば、連邦の自由経済を否定する必要など無かった。連邦社会の富を独占していた既得権益層を処刑し、自分達がその地位に就けばよいだけだったのだから。逆に、富の独占を嫌い、貧富の格差が極大化した連邦末期の社会を否定するからこそ、人間主義経済という統制経済を採用したと見るべきだろう。
しかし、一言で現せば「統制経済」という括りになるが、新史料を子細に分析していくと、彼らの中にも、経済に対する視点の違い、力点の違いが見えてくる。以下、それぞれの立場を簡単に整理してみた。
1.国家派
国家主導派とも言う。皇帝ルドルフほか、初代尚書では、軍務尚書シュタウフェンと内務尚書ファルストロングが属する。帝国軍や軍務省、内務省に信奉者が多い。軍人特有の潔癖さとプライドの高さから、金銭に関わる事を卑しみ、経済活動自体を価値の低いものと見なす。
連邦末期の社会を実際に見た経験から、金銭(資本)とは、規制せず放置しておけば、自己増殖を始め、社会機構を席巻し、最終的には人間を頤使し、破滅へ導く存在と考えていた。そのため、国家が資本の活動を統制できる事が望ましい経済体制の前提であり、経済活動の主たる目的は利益追求ではなく、国家の政策や臣民の生活に必要な物資等を円滑に生産、流通させる事とした。
よって、物資の生産は市場の要請に従うのではなく、国家と臣民の必要性に基づき、その優先順位と生産量を定めるべきであるとした。利益を上げる事は、生産体制の拡大再生産を可能にするため、という観点でのみ是認したので、経済発展のために、生産力と購買力を向上させるという事には否定的だった。
2.臣民派
再配分派とも言う。初代尚書では、国務尚書ハーンや学芸尚書ランケ、書記官長クロプシュトックが属する。国務省と各総督府に信奉者が多い。経済活動で利益を上げる事は否定しないが、利益だけを追求すると、貧富の格差が拡大し、社会の分断が進むと考える。政治の力で経済が暴走しないように制御すべきとした。
国家派が国家に力点を置いていたのに対して、臣民派は臣民の生活を守るため、富の再配分を進めて、平等な社会を実現させる事を重んじていた。そのため、国営企業による失業者の救済(雇用確保)や最低所得保障制度、第一次産業の従事者や中小・零細企業を対象とする低利子融資制度、高額所得者への課税強化等を提唱した。
3.統制派
経済否定派とも言う。初代尚書では、財務尚書リヒテンラーデや司法尚書キールマンゼク、科学尚書ハイゼンベルクが属する。財務省や司法省、科学省に信奉者が多い。経済観や経済政策は、国家派とほぼ同じだが、思想的にはさらに急進的で、経済活動それ自体は無価値と断じる。経済活動は国家の施策と臣民生活に寄与する事のみが目的で、利益追求は不要だとした。
この思想は、連邦末期、軍事会社という武力を手に入れた多星系企業が国家の統制下を離れて、違法な経済活動を公然と行う事に憤った経済官僚らの主張に端を発すると言う。彼らは私企業の存在を悪と捉えて、私経済を否定するようになり、市民派経済学者とは別に、統制経済の必要性を鼓吹した。
彼ら3派の経済思想を比べると、国家が経済活動を統制すべき、経済活動の目的は国家の施策と臣民の生活に寄与する事との点では一致しつつ、その力点が微妙に異なっていた。
国家派と統制派は臣民よりも国家に力点を置き、逆に臣民派は臣民生活を重視していた。ただ、当時の帝国は皇帝ルドルフの絶対的な支配下にあり、彼が信奉した国家派、そして初代尚書リヒテンラーデが信奉した統制派、この両派が経済官庁を兼ねた財務省で主流派を占めたために、臣民派の主張は非主流派に留まらざるを得なかった。国家派・統制派が経済政策を主導した結果、利益追求を目指さない、人類史上でも特異と言える「発展を求めない」経済体制が構築されていった。
なお余談ながら、建国期に生まれた臣民派の主張が現ローエングラム王朝の経済政策に影響を与えている事は、意外と知られていない。
後世、旧帝国史上屈指の名君と評された晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世は、同盟という公敵の出現、またダゴン星域会戦での大敗という現実を踏まえ、国力の回復を目指して、平民層の育成を図るため、彼ら臣民派の主張に基づいた経済政策を実施。国力回復への道筋をつける事に成功した。
当時、自家の利益を最優先する貴族の姿勢を批判し、貴族は帝国全体の公益増進を考えるべきだと主張する、いわゆる開明派貴族が現れたが、彼らは晴眼帝を理想の皇帝と見なしたので、臣民派の経済政策を是とするようになった。即ち、開明派を登用した現ローエングラム王朝の経済政策は、遠く臣民派の主張が起源になっていると言えるのだ。
次節以降で、旧帝国が目指した統制経済の目的と理念について解説したい。