【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
連邦首都テオリア出身。父親は星間交易に携わる貿易会社の経営者だったが、競合する大手貿易会社から商売上の妨害を受け、業績が悪化。ケッテラーは家計を助けるため、志望していた経済大学への進学を諦め、連邦軍士官学校へ進学した。
なお、ケッテラーの父親は、大手貿易会社の行為は商法違反だと、連邦裁判所に提訴したが、その会社は連邦政府高官と癒着しており、父親の訴えは証拠不十分として却下されたのみならず、名誉毀損で逆提訴される有様だった。
このため、ケッテラーは大企業の横暴と政府の腐敗を強く憎むようになり、大企業に厳しい施策を断行して、政府の腐敗を弾劾して止まないルドルフが連邦政界で台頭すると、熱烈に支持するようになり、ルドルフが党首を務める国家革新同盟に進んで入党している。
連邦軍人となったケッテラーだが、軍上層部に批判的だった事から、軍内の非主流派にならざるを得ず、左遷同様の形で、地上軍勤務を余儀なくされた。
しかし、連邦軍の現状には批判的でも、生来、生真面目な性格だったため、軍務には精励。治安維持や災害復旧といった、エリート街道を歩む軍人からは軽視される任務も着実にこなした。
また、商人だった父親の血なのか、人当たりの良い社交的な為人で、自ら「特技は誰とでも友人になれる事だ」と称するほど、円滑な人間関係を維持する事に長けていた。ルドルフ台頭後、ケッテラーが連邦地上軍の要職を就くと、この時に知り合った士官や下士官たちがその麾下に参集。連邦首相ルドルフが断行した治安回復戦、そして帝国建国後に開始された平定戦役で、彼らは実戦部隊の指揮官として活躍している。
連邦地上軍の一士官だったケッテラーだが、その働きに目をとめた上官の推薦を受け、軍大学への入学が叶う。卒業後、国防省に官僚として赴任すると、折良くと言うべきなのか、グリマルディ内閣に初入閣したルドルフが国防大臣に就任、初代軍務尚書となるシュタウフェンが同省次官に抜擢される。この時、ケッテラーは既に国家革新同盟に入党しており、その縁でルドルフとシュタウフェンの目に止まった。
国防省内にシンパを増やしたいルドルフの意向で、シュタウフェン次官の直属になったケッテラーは、連邦政府と連邦軍を改革してくれると信じているルドルフのために尽力できる事に感激、今まで以上に軍務に精励するようになった。
軍官僚としての力量も十分あったが、国防大臣から連邦首相に就任したルドルフが治安回復と雇用確保のために、連邦地上軍の兵士を大幅増員すると、地上軍の再編と拡充を実行する責任者として、地上軍勤務が長いケッテラーを抜擢、地上軍担当の統合作戦本部副本部長に就任した。
兵数こそ増えたものの、新兵ばかりの地上軍に対し、適切な訓練を施し、十分な装備を調えて、わずか数年で地上軍を戦闘集団に鍛え上げた手腕は尋常ではなく、その軍政家としての能力は、上官たるシュタウフェンにも匹敵すると評された。仮にシュタウフェンが存在していなければ、初代軍務尚書はケッテラーが就任していただろうとは、後世の軍事学者の共通見解となっている。
初代内務尚書にして、当時はルドルフ政権で警察大臣を務めていたファルストロングの知遇を得たのも、この頃だったと言われている。連邦最末期、ルドルフが断行した治安回復戦では、ファルストロングが管轄する治安警察と、ケッテラー指揮下の連邦地上軍とは、共同作戦を展開する事も多く、この時の経験が帝国暦9年以降の平定戦役にて、社会秩序維持局の治安維持部隊と帝国地上軍が共同歩調を取る上で、貴重な経験となっている。
なお、ケッテラーは、ファルストロングの冷静沈着さと指揮の的確さに感嘆。「内務尚書殿は、政治家にしておくには惜し過ぎる軍才の持ち主だ」と評した事は既述の通りだが、ケッテラー自身もファルストロングから「地上軍総監殿の指揮は、まさにチェスの名人、名手の如きだ。広く戦局全体を見渡し、常に最善手を打ち続け、かつ何らかの原因で、最善手が悪手に変じた際の後処理は、余人の追随を許さない。私は無神論者ではあるが、彼と敵対せずに済んだ事は、大神オーディンに感謝したい」と絶賛されている。
互いにその能力を認め、尊敬しあっていた両者だが、ケッテラーは、ファルストロングと職務以上の付き合いをしようとはしなかった。それは、ファルストロングやクロプシュトックが有力メンバーであるペデルギウス派と距離を置く事でもあり、自身はあくまでも帝国軍人として、シュタウフェン上級大将の部下である、との姿勢を崩さなかった。
寵姫マグダレーナの件で示されたペデルギウス派とシュタウフェン派の権力闘争は、未だ表面化はしていなかったが、リスナー大将が統帥本部総長に抜擢された際のシュタウフェン上級大将の言動などから、ケッテラーは近い将来の闘争を予測していたのかもしれない。その政治的嗅覚が帝国軍内でケッテラーが生き残れた理由でもあった。
実際、シュタウフェン派の有力メンバーとして振る舞いつつも、貴族制成立後は、地上軍の優秀な士官を自家の従臣として、爵位を与えられた部下は一門に迎え入れるなど、自派の形成にも余念がなかった。ただ、シュタウフェン家、後のノイエ・シュタウフェン家が帝室と密着して、政治的権力をも志向したのに対して、ケッテラー家はあくまで軍人との姿勢を崩さず、一時期の例外を除いて、宮廷や政府とは距離を取り続けた。それは、財政・経済のテクノクラートとの姿勢を崩さなかったリヒテンラーデ家と同様の処世術であり、結果としてケッテラー家は、旧帝国滅亡後も家門を維持している。
地上軍総監として、平定戦役における地上戦の総指揮を執り続けたケッテラー大将だが、統帥本部総長リスナー上級大将とは異なり、自ら前線に赴く事は少なく、例えば帝国暦14年、ファルストロング指揮の社会秩序維持局・治安維持部隊と、地上軍総監ケッテラー大将麾下の帝国地上軍、統帥本部総長リスナー大将が直卒する帝国宇宙軍中央艦隊がヴァナヘイム軍管区の共和主義勢力を壊滅させて、シリウスと攻守連合の連絡線を遮断した合同作戦でも、独りケッテラーのみ、軍管区司令部に留まって、後方から地上軍の各部隊を指揮している。
この事から後世、ケッテラーはリスナーと比較して、軍人として劣っているなどと評される事もあるが、それは偏った見方と言うべきだろう。前述の通り、当時の帝国地上軍は、敵対勢力より質量ともに優勢で、小型ゼッフル粒子発生装置という兵装のアドバンテージもあった。
一方、シリウスや攻守連合に匹敵する戦力を有するようになったとは言え、圧倒するまでは到達していない帝国宇宙軍は、リスナー上級大将を始めとする優秀な指揮官の統率が必要だったが、敵勢力を圧倒できる帝国地上軍に必要だったのは、戦力の適切な配置と補給線の維持、それだけだったと言っても過言ではない。ケッテラーはその事をよく理解していたと言うべきだろう。むしろ、最高司令官が前線に出る事によって、テロや暗殺の対象になる事を避けたというのが定説となっている。実際、帝国暦17年、内務尚書ファルストロングが共和主義勢力のテロに倒れている事を鑑みれば、ケッテラーの先見の明を賞賛すべきかもしれない。
軍人としてのケッテラーは、宇宙軍のノイエ・シュタウフェンと同様、勝ち易きに勝つ、弱敵に必ず勝つ、という人物だったが、私人としても同様だった。
ある時、人生訓を問われて、ただ一言「堅実」とだけ答えた事は有名だが、青年期から酒やギャンブル、また女遊びと、若く血気盛んな軍人が陥りがちな道楽には一切、興味を示さず、官舎と職場を黙々と往復するような生活を続けた。趣味は勉学と読書と肉体トレーニング。結婚の約束をしていない女性との交際は不実であると言い、事実、結婚するまで性交渉はおろか女性との交際経験もゼロという人物だった。
しかし、女性に興味が無い訳ではなかったらしく、上官が勧める見合には進んで応じ、最終的には、自身を軍大学に推薦してくれた上官の娘と結婚している。なお、その上官は退役間近で、軍内の有力派閥に連なる人物でもない事から、決して出世のために結婚した訳ではなかった。
家庭人としてのケッテラーは、妻に優しく、子供には愛情を以て接する、理想的な夫であり父親と評された。妻との結婚記念日、子供たちの誕生日には、どんなに忙しくても必ず帰宅し、手ずから贈り物を渡す事を楽しみとした。
同僚や部下達が家庭の愚痴を零すのを耳にすると、「それは卿の心掛けの問題だ。妻と共に家庭を営み、子供たちを育てるのは、夫であり父親である自分の義務ではなく権利なのだ。義務だと思うから心が伴わない、心が伴わなければ、妻子は決して喜びはしない。権利だと思えば、心を込めて妻子に接するだろう。そうすれば妻子と心を通わせる事が出来る。心の通い合った家庭に何の不平不満が生じようか」と、真顔で諭したという。この話を聞いた学芸尚書ランケは、自身の日記で「軍人を辞めても、セラピストで食える御仁」と評している。
なお、長子イザーク、次子フェルディナンドは、父親の後を継いで帝国軍人となり、強堅帝ジギスムント1世の御代、拡大戦役では地上軍の指揮官として活躍した。
ケッテラーの誠実さは家族のみならず、部下や同僚にも等しく発揮された。戦傷で退役を余儀なくされた者がいれば、腕の良い医者がいる病院を紹介して、再就職の斡旋もした。人間関係のトラブルで悩む者がいたなら、進んで話を聞き、金銭問題で苦しむ者がいれば、ある時払いの催促なしで、金を融通してやった。軍高官がする事ではないと忠告する者も少なくなかったが、ケッテラーは「恩義とは、人に施せば、いつか自分に返ってくるものだ。それは身分や地位に関係ない。自分に返らなくとも、子や孫たちに返ってくれば、それで良いのだ」と答えたという。円満な家庭を築き、部下や同僚からの信望も厚いケッテラーは、帝国人男性の亀鑑だと、ルドルフからも賞賛されている。
しかし、ケッテラーの誠実さ、優しさは、あくまで彼が「同胞」と認めた者に対してだけ、だった。平定戦役では、共和主義勢力と認定したならば、女子供ごと鏖殺する事を躊躇わなかった上、敵対勢力の支配下にあった人民とその家族らも、皇恩を理解しない不逞の輩、全て極刑とすべきだとの強硬論を主張した。
ケッテラーは旧帝国軍史上、劣悪遺伝子排除法を最も厳格に適用した将帥とも言われており、同盟では、初代社会秩序維持局長ファルストロングや、共和主義者の大虐殺「血のローラー」を実施したクロプシュトック、帝国宰相として共和主義勢力の叛乱(同盟では革命運動)を鎮圧したノイエ・シュタウフェンらと並ぶ民衆弾圧者の1人として、唾棄、憎悪されていた。
一説には、父親の事業を妨害した大企業と癒着、不当に擁護した連邦政府への憎しみから、連邦を懐かしみ、その復活を目論む共和主義者らは父親の敵も同然と、激しく弾圧した、とも言われる。私怨から無辜の人々を虐殺したと断じる事は容易だが、ケッテラーにとって、無辜の父親を苦しめた連邦政府の復活の芽を摘む事は、数千億に及ぶ無辜の帝国人が将来、不当に苦しめられないようにする、正義の行為だったのだろう。例えそれが主観的な正義だったとしても、一体、正義とは主観以外に存在するのだろうか?
閑話休題。公人、また私人としても、充実した人生を送ったと思われるケッテラーは、帝国暦34年、老衰のために死去。愛する子や孫たちに囲まれ、眠るが如き大往生だったと伝えられる。ルドルフは、地上軍の父とも言えるケッテラーに対し、上級大将の地位と、伯爵位を以て報いた。
この後、ケッテラー家は武官貴族の名門として隆盛、老廃帝ユリウス1世の御代、家祖ハンス・ゲオルグの曾孫ゴットフリートは、同帝の摂政皇太子たる寛仁公フランツ・オットー大公の腹心となり、軍務尚書に就任、同家初の元帥号を授与されている。
しかし、ダゴン星域会戦後、帝国軍の主流が宇宙軍に移行すると、地上軍を基盤とするケッテラー家は非主流派とならざるを得ず、次第に衰微。地上軍自体も装甲擲弾兵部隊にその立場を奪われて、かつては宇宙軍所属の一部隊に過ぎなかった同部隊の長が総監を称するようになり、地上軍総監は名誉職同然の閑職と化した。
だが、禍福はあざなえる縄の如しとの言葉通り、衰微した非主流派だったために、征軍帝コルネリアス1世の大親征、第二次ティアマト会戦の大敗北、どちらにも従軍せずに済み、一門に人的損害はなかった。
また、軍内に影響力が無かったために、リップシュタット盟約に勧誘される事もなく、同戦役後、開祖ラインハルト陛下への敵意無しとして、当主ヘルマンの処刑や追放、財産没収もなく、家門の存続を認められている。この寛大な処置が下されたのは、帝国の双璧たるロイエンタール・ミッターマイヤー両元帥の口添えがあったからだという。
両元帥が士官学校の学生だった時、ヘルマンは白兵戦技の教官を務めており、類い希な才能を有する両元帥には特に目をかけて、手ずから白兵戦技を教授していた。両元帥も、軍上層部や大貴族の顔色ばかり伺う教官連の中で、独りヘルマンのみ、生徒の事を考えて、親身になってくれた事、才気は無いが、誠実で公正、軍人としても尊敬できる為人に好感を覚えていた事、これが口添えの理由だった。
特にミッターマイヤー元帥は、ケッテラー伯爵は確かに門閥貴族の一員ではありますが、その為人は信頼に値します、オフレッサーが賊軍に参加した事で壊滅した装甲擲弾兵部隊の再建を委ねるに足る人材だと愚考する次第ですと、ラインハルト陛下に進言している。その進言のためか、ケッテラー伯ヘルマンは、帝国軍三長官を兼務し、帝国宰相に就任したラインハルト陛下に登用され、装甲擲弾兵総監に就任。ローエングラム朝開闢後も、その地位を保っている。図らずも家祖ハンス・ゲオルグの言葉「恩義とは、人に施せば、いつか自分に返ってくるものだ」を証明したと言えるかもしれない。