【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
このベーネミュンデと友人同士、統帥本部総長リスナー上級大将の下で、長く事務担当次長を務めて、同じくリスナーの女房役と言われたのがヘルムート・フォン・ローエングラムである。
連邦首都テオリア生まれ。平凡な中流家庭に生まれた彼は、生涯食うに困らないからとの動機で公務員を志望。唯一、国防省の採用試験にのみ合格したという理由で、軍官僚への道を歩み出す。
任官後、国防省次官に抜擢されたシュタウフェンの副官に任命されたのが縁で、上官から組織科学を徹底的に教授される。気位の高いシュタウフェンが新任士官を自ら指導するなど前代未聞で、周囲の者達を驚かせたが、当人は「まあ、気紛れという奴だ」としか語らなかった。
真相は不明だが、後年、長女エリザベートは「あの時は、兄マルクスが戦死したばかりで、もしかしたら父はローエングラム伯爵に兄の面影を見たのかもしれません」と語っている。
しかし、ローエングラムには適性があったのか、上官も驚く程のスピードで組織科学を修得。後年、シュタウフェンが執筆し、高く評価された組織科学論文には、共著者としてローエングラムの名も記載されている。
この後、国防省や統合作戦本部で総務関係のポストを歴任、帝国建国時には、同本部総務部長の地位にあった。そして前述の通り、帝国軍に統帥本部が新設されると、軍務尚書シュタウフェン上級大将の推薦を受けて、事務担当の同本部次長に就任。以降、リスナー総長を補佐して、統帥本部の組織構築に尽力する。
童顔のためか、軍服を着ていても軍人らしく見えないと言われ、軍官僚としての能力は高かったが、白兵戦技や射撃は素人同然、武勲を誇る前線指揮官からは、帝国軍人にあるまじき惰弱者と、軽侮される事も多かった。
そのため、当人も前線指揮官には隔意があったが、武勲赫々たる名将ながらも、常に礼儀正しく、労いの言葉と共に接してくれるリスナー上級大将だけは純粋に敬愛していた。また、共にリスナーの補佐役との縁で、宇宙軍中央艦隊参謀長のベーネミュンデとも親しくなり、後年、ベーネミュンデがリスナーの後任として、統帥本部総長に就任した時も、友人の昇進を素直に喜び、次長として変わらずに仕えた。
性格は良く言えば温和、悪く言えば特筆すべき点のない平々凡々たる人物で、人物像を窺わせるに足る挿話も無く、学芸尚書ランケは「蒸留水の如き人物」と評している。確かに、時流と巡り合わせによって出世した人物ではあるが、決して無能者ではなく、時流にただ流されるのではなくて、泳ぎ抜くだけの力量は有していた。
優れた他者に仕え、その下で自己の能力を発揮する事に充足感を覚える為人で、自らを評して「トップに立つ器量など無いよ」と言っていた。それは、最初の上官たるシュタウフェン上級大将の能力と権威に圧倒されたが故の精神的な自己防衛だったのかもしれないが、常に一歩下がって、上位者が見えない部分を把握して、的確にフォローできる人物は、組織運営上、貴重な才能と言うべきで、旧帝国軍史上、ローエングラムは「最良の副官」とも評されている。
シュタウフェン上級大将の孫にして後継者、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが帝国軍の筆頭武官、祖父が築いたシュタウフェン派の領袖になると、ローエングラムも同派の大幹部にならざるを得ず、ノイエ・シュタウフェンの腹心的存在となっていく。
帝国暦42年、ルドルフが崩御、皇太孫ジギスムントが即位して、ノイエ・シュタウフェンが帝国宰相に就任すると、ローエングラムは第4代の統帥本部総長に就任。生粋の軍官僚に総長が務まるのかと、実戦派の軍人からは危ぶむ声もあったが、すでに帝国の軍事力は敵国や共和主義勢力を大きく上回っており、ローエングラムには敵国討伐後、帝国軍を外征ではなく、治安維持を主たる任務とする組織に改編する事が求められていた。
しかし前述の通り、同44年、ローエングラムは故リスナー上級大将の遺児・フーゴによって射殺される。後世の軍事学者の中には、仮にローエングラムが健在だったならば、拡大戦役終了後、帝国軍の平時体制への移行は、より円滑に行われただろうと指摘する者も多い。
以降、ローエングラム家は武官貴族の中でも、優秀な軍官僚を輩出する名家として知られていたが、流血帝アウグスト2世の御代、当主コンラート・ハインツは止血帝エーリッヒ2世の革命戦に参加。トラーバッハ星域会戦を勝利に導いた三提督の1人となり、戦後、止血帝の筆頭重臣として、軍務・内務・国務尚書を歴任。地位は元帥、爵位も侯爵となり、武官貴族の名家中の名家となったが、次子フィリップが止血帝の皇女マグダレーナともに、孺子帝レオンハルト1世を弑逆、帝位簒奪未遂事件「皇女の乱」を引き起こした事から、コンラート・ハインツは責任を取るため、自ら官職と爵位を返上、一族を挙げて謹慎し、皇帝陛下の裁きを待つとした。
孺子帝に代わって即位した強軍帝フリードリヒ2世は、皇帝弑逆の罪により、本来ならば族滅に相当するが、革命戦の功績を鑑みて、生命と家財は保障する、爵位は一階級下げて伯爵とし、一族全員を公職から永久追放する、との裁きを下した。
以降、ローエングラム家は帝国軍内に居場所を無くし、一族を挙げて自領に移住、領主貴族に転身する。帝国暦359年、征軍帝コルネリアス1世が大親征の軍を起こすと、当主ゲアハルトは武門の名族たる栄誉を取り戻す好機だと、公職追放の身ではありますが、どうか私兵を率いて従軍する事をお許し頂きたいと願い出た。
自身の襟度を示したい征軍帝はこれを許可、だが、大親征は宮廷クーデターの発生で、道半ばにして撤退を開始。同盟軍艦隊の追撃戦により、帝国軍艦隊は大きな損害を受け、ローエングラム家の私設艦隊もその巻き添えとなって全滅する。当主ゲアハルト以下、一族の主立った人物も戦死したため、同家は後継者不在によって絶家している。
亡国帝フリードリヒ4世の御代、開祖ラインハルト陛下に下賜された家名である事はあまりにも有名だ。