【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
人類の平等と普遍性を鼓吹するユニバース思想は、個人の自由を最大限に尊重する銀河連邦とは相性が良かったが、連邦末期に至り、経済発展が停滞、貧富の格差が拡大、固定化していくと、低所得者層を中心に、現実世界の不条理さ、理不尽さからの精神的防衛として、神秘思想に耽る者が現れてきた。
死後の世界の実在が主張され、前世が実しやかに語られ、因果応報的な輪廻転生譚が好まれた。地球時代に生まれた神や悪魔、精霊の名が新しい超越的存在として信仰の対象になり、果ては過去の偉人や英雄もその列に加わった。
それは、現実社会で差別されている者達が、死後という証明不可能な時点での救済を求める渇望であり、自己のアイデンティティの回復として、自分達が特別な人間である、または特別な存在に庇護される人間だという事を希求する衝動でもあった。
知識人層は幼稚な謬見、単なる迷妄だと切り捨てたが、社会に絶望した者達は、神秘思想に最後の救いを求めるしかなく、それは超越的存在による社会の変革を希求する英雄待望論へと容易に転化した。
一例を挙げると、連邦末期、宇宙海賊の跳梁跋扈に苦しめられた連邦辺境の市民の中には、宇宙海賊の掃討で活躍した連邦軍の名将、クリストファー・ウッド提督を神格化し、同提督の写真や絵を護符として宇宙船に掲げる者達が数多く見られた。
彼らの中には、ウッド提督と同様に、軍人時代のルドルフが宇宙海賊掃討で活躍すると「連邦社会の惨状に激怒したウッド提督がルドルフの姿を取り、再びこの宇宙に戻ってきた。ルドルフこそウッド提督の再来だ」などと主張する者も存在した。このように神秘主義と混じり合った英雄待望論が、ルドルフの急速な台頭を可能にした一因だと主張する政治学者もいる。
公開された新史料、特に連邦首相から帝国皇帝に即位するまでに書かれたルドルフの書簡によると、この連邦市民の思想傾向について、ルドルフはかなり自覚的だったと思われる。終身執政官時代のルドルフが腹心クロプシュトックに宛てた書簡の一節を引用したい。
「…私も元軍人であり、宇宙海賊との戦闘に生命を賭けた者であるから、ウッド提督の武勲には、素直に敬意を払うものである。だが、私がウッド提督の生まれ変わりなどと一部で言われているのは、端的に言って迷惑だ。私は私自身の能力と器量、有能な部下達の働きで、今日の地位を築いたと自負している。そこに過去の亡霊などが介在する余地など微塵も無い。全く大衆とは度し難いと言わざるを得ないな。
しかし、貴下の進言通り、私が新しい地位に就く上で、これが歓迎すべき状況でもある事は理解している。私個人に神性を認める者達は、民意や常識よりも私の言葉を尊重するだろうし、我々が目指す新しい国にも賛意を示してくれるだろうから。
だが私は、我が国を祭政一致の神政国家にするつもりはない。過去の歴史を見るに、宗教には正統・異端の神学的論争が必ず起こっている。国家の運営上、この種の神学的論争など、時間と労力の無駄、国家分裂の危険性を高めるものでしかない。私は、連邦社会の無秩序を解消する上で、宗教という新しい無秩序の要因を持ち込む事はしたくないのだ。だからこそ、我らが新しい国には、主権者たる私とは別に、宗教色が寡少で、かつ大衆の心的欲求を満たせる存在が必要ではないかと考える。ユニバース思想の如き自然崇拝的な純粋概念ならば、主権者たる私の権威を脅かす事もないのだが、今の大衆が求めるものは、より個別具体的な存在である事は確かなのだ。この点について、貴下を含めた数人と再び話し合いたい。日程等はまた連絡する」
ルドルフが自身に神性を求める大衆に対して、感情面では不快に感じつつも、帝国建国を見据えた時、それは歓迎すべき事態だと認識していた事が分かる。だが同時に、帝国の主権者たる自分が神となってしまえば、銀河帝国が祭政一致の神政国家に成りかねない事を憂慮もしていた。即位前のルドルフは、過度の神格化は理性的に運営すべき国家に、神学的論争などという無用の混乱と対立を招来する可能性に懸念を抱いていたが、治世末期、この問題は再度、ルドルフの前に立ちはだかる事になる。詳しくは後述するが、即位前のルドルフが自己神格化をある程度、歓迎しつつも、同時に懸念と憂慮を抱いていた事は注目に値する。
ルドルフは過度の神格化を防ぐための処方箋として、宗教色が少なく、かつ大衆の心的欲求を満たせるだけの超越的存在を探していた。結果として、ルドルフが見出した存在、それが「大神オーディン」である。