外伝5巻収録の「汚名」に名前だけ登場した会戦と、螺旋迷宮のジークマイスター提督亡命事件をクロスオーバーさせた作品です!

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初めて書いた銀英伝二次創作です。解釈違い等はご寛恕をお願いします


フォルセティ星域会戦記

 帝国暦四一九年、宇宙暦七二八年。この年は一般的に、帝国軍の威信を大いに傷つけた二つの事件が生起した年として認知されている。

 一つは現役の帝国軍大将が亡命するという前代未聞の大事件であり、もう片方は前者に比べれば認知度こそ低いが、それでも帝国軍に濯ぎがたい屈辱を与えるものだった。

 だが、この二つの事件には奇妙な因果があり、その絡み合った関係が後に宇宙を大きく揺るがす悲劇に繋がっていることを知る者は、歴史の中でも殆ど居ない。

 七月六日。同盟首都(ハイネセン)統合作戦本部ビルから物語は始まるー。

 

 自由惑星同盟軍第十一艦隊司令官モーゼス・ウィッチャー中将は、眠たげな目を擦りながら統合作戦本部ビルの二四階に現れた。

 彼は七年前までは全軍を通じても稀な二〇代の将官であり、現在ではリン・パオ、ユースフ・トパロウルの両元帥以来数える程しか居ない、三〇代の少壮の提督であった。

 だが、輝かしい武勲を幾つも重ねた勇将にはとても見えないというのが彼を知る全ての人間に共通する評価である。

 瑞々しい茶髪に、常に眠たげなコバルトブルーの瞳。見てくれは二〇歳かそこらの青年にしか見えないが、この場合若々しさは美徳というよりもむしろ彼の令名を著しく損なう短所と言えよう。

 何しろ、その見た目のせいで、彼は贔屓目に見ても、「士官学校を卒業したばかりの新人少尉さん」にしか見えないのだから。

「司令長官閣下、ウィッチャー中将参りました」

「よく来てくれた。まあ、そこに座りたまえ」

 長官執務室に入った彼を、宇宙艦隊司令長官コルモンデリー大将が迎えた。赤銅色の髪と琥珀色の瞳を持つ、黒肌の偉丈夫である。

 身長は二メートルを越え、一応平均を越える長身の来客をさえ見下ろす様子は、見る者に凄まじい威圧感を与えずにはおかない。

 だが、彼が与える威圧感は、決して体格が生み出すものではない。彼が今までに重ねてきた、一ダースに尚余る巨大な勝利に裏打ちされた、卓越した司令官としての威厳が、体格の迫力を幾倍にも増幅させていた。

「ウィッチャー君、いや、士官学校時代に倣って夢見のモーゼスと呼ぶべきかな?」

「おやめ下さい閣下。一応、私は今日では立派に大成し、艦隊司令官にまでなったではありませんか」

「私から見れば今も昔も変わらんよ。何しろ、君達と私とでは親子程の差があるのだから。特に、成績が下の下だった君は、私の最も可愛い生徒だった」

「思えば、どうして私がこんな分不相応な地位につけたのか、甚だ疑問です、閣下」

「ふむ、だが、その言葉はコンウェイ大将に対しては侮辱であろう。末席の君がそんな謙遜をするのでは、首席の彼が立つ瀬があるまい」

「は…」

 才気煥発、司令長官の席を確実視されていた俊英の顔を脳裏に思い浮かべ、彼はため息をついた。

「惜しい人物でした」

「…うむ。だが、いつまでも死者を顧みているわけにはいかん。君を呼んだのは、彼らの屍を踏み越えて勝利を掴む為だ。分かっているな」

「はい」

 よろしい、とコルモンデリーは頷いた。かつて士官学校の教授だった彼は、いつまで経ってもその時の癖が抜けない様だった。

 

 「さて、私が君を呼んだ理由は知っているだろうか。それとも、予測がつくかな?」

「…もしかして、ジークマイスター提督のことでしょうか」

「正解だ」

 マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター帝国軍大将。今から一月前に帝国から亡命し、第十一艦隊の警戒網で保護された男の名前だった。

 大将といえば、向こうでは一個艦隊司令官にも相当する存在である。古今、長い間繰り広げられてきた戦争の中で、既に三〇億人以上の厖大な亡命者が自由の国へとやって来たが、これ程までに階級の高い軍人が亡命してきた事例は無い。

 政争に敗れた貴族や皇族といった、身分の高い者の亡命は幾つもあるが、帝室への忠誠心厚い軍人のトップたる大将が、なんと前線から自らシャトルを駆ってやって来たというのだ。

 未だ民衆には秘されているが、発表されれば宇宙全域に大きな衝撃を与えることになるだろう。精神的にも、物理的にもー。

「ジークマイスター提督は、無論前例なき大将の亡命ということだけでも、同盟の歴史に巨大な見出しを作るに足るだろう。だが、その価値はそれだけではない。無論理解しているであろうが…」

「はい。提督が齎らす情報が、この戦争に大きな影響を与えるのではないか、ということでしょう」

「うむ。大将となれば、その持つ情報は戦略上極めて重要なものとなろう。だが、彼は亡命者ではあるが、立場が立場だ」

「偽の情報で敵を撹乱しようという、帝国軍の壮大な謀略であるとの懸念が、本部長閣下や最高評議会にもあるということですね」

「そうだ。死間に使うには、少々貴重に過ぎるやも知れんが、そうでないとは言い切れん。それに、ジークマイスター提督本人が語るところによれば、彼の父親は内務省社会秩序維持局の人間と聞く。そんな人間に育てられた亡命者を信用できるだろうか、ということだ」

 信頼出来ないと言いながらその根拠は当人の語る経歴か。ウィッチャーは皮肉げに心の中で独語した。

「それで、私をお呼びになったのは、提督の齎らす情報の真実性を検証させる為というわけですか」

「流石だ。よく見抜いたな」

「いえ、遅かれ早かれ呼び出されると思っていました。ジークマイスター提督の亡命と、その影響の大きさを鑑みれば、当然そんな疑惑が現れるでしょうし、現れなければ寧ろ不健全です。ですが、一体何をもって検証なさるおつもりですか?」

「話が早いな。これを見たまえ」

 コルモンデリーは、執務デスクに組み込まれた立体スクリーンのスイッチを入れ、ジークマイスターの供述データを呼び出した。

「彼の情報は帝国貴族の内情や帝国軍の装備や戦力だけに留まらず、中長期的な彼等の戦略計画にまで及んでいる。同盟内部に潜り込んだ、奴等のスパイによる諜報計画も殆どが此方の知るところとなった。無論、真実であればだが…。そして、その中に興味深い情報があった」

「『フォルセティ星系への侵攻作戦』ですか」

「これによれば、今から間を置かずして、イゼルローン回廊から、フォルセティ星系攻略の為に帝国軍の艦隊がやって来ることになっている。規模は一個艦隊で、戦力は凡そ一万二〇〇〇隻程度ということだ。恐らく、後の大規模侵略の橋頭堡を築こうというのだろう」

「ですが、ジークマイスター提督が亡命したにも関わらず、そのまま侵攻してくる程、帝国軍も間抜けとは思えませんが」

「曰く、提督はこの作戦には無関係の人間だったそうだ。しかし、彼は帝国軍内部に協力者のネットワークを構築し、それを利用して秘密裏に情報を収集してきた。従って、彼らはまだこの情報が抜かれたことに気づいていないだろう、とも」

「やれやれ、そんな不確実かつ危うい情報に従って戦えというんですか。第一、提督がスパイ網を残してきたという情報自体、未確定要素のうちでしょう。そんなものに、一〇〇万人の兵士の命をかけられません」

「全くだ。君の判断は正しい。私も、本部長閣下も反対なさった。…だが、ことは既に政治レイヤーで決せられている。国防委員長が飛びついたのだ」

「選挙が近いからですか」

 嫌になりますな、とウィッチャーは吐き捨てた。無論彼は民主共和政体と、自由民主主義の専制に対する優位さを信じてはいたが、一方でその救い難い短所を苦々しく思っていた。

「ジークマイスター提督亡命を、選挙の材料として利用するつもりでしょう。そして、その情報を用いて同盟軍を勝利に導くことで華を添えると」

「なんとも情け無い話ではあるがな」

 文民統制の美名の下に、お寺と政治家が自己の政治生命のために軍隊を用いる。それは、国民の命を守るべき軍隊を私兵化することに他ならない。帝国貴族に自分の意思で雇われた者ならそれもよかろうが、同盟軍兵士が忠誠を誓ったのは国防委員長個人ではなく、同盟市民と自由民主主義であるはずだ。最高評議会に席を占める人物が、その様なことに思い至らぬ筈もないー。

 そして、更に彼の嫌悪感を誘うのは、その様な不名誉な作戦に、自己と部下の命を賭けねばならぬということであった。少なくとも彼は、ー軍人としての義務感や責務は水準を大きく下回るものであったとしてもー後輩や部下といった、自分より下の立場の人間を気遣わないことは無かった。

「(自分が死ぬのはよいとしても、部下までそれに付き合わせる義理は無い)」

 これが、同盟軍随一の若き提督の偽らざる心中だったのだ。

「それで、閣下。私の艦隊をもって迎撃に充てるおつもりですか」

「…左様。国防委員会によれば、新設された艦隊が新たな功績を立てる機会を与えようということだ」

「新兵の寄せ集めの艦隊が功績など!それより先に、まずまともな訓練を積ませるべきでしょう」

「お歴々は、鉄と火の試練によって、兵士を鍛えることが最上であると信じていらっしゃる様だ」

「見事な手段と目的の逆転ですな。戦争は、それ自体が目的ではないというのに」

 だがいずれにしても、彼は民主国家の軍人であり、国防委員会は彼が忠誠を誓う市民の代表者として、彼に命令を下す権利と義務がある。

 嫌な命令でも従わなければならぬ、とは入営一日目の新兵が、嫌という程叩き込まれることなのだ。

 

 「ですが、現在の艦隊定数では敵を迎え撃つに足りません。新設されたばかりの第十一艦隊の定数は、一万隻に満たないはずですが」

「ハイネセンと、近隣星系に駐留する独立艦隊の指揮下編入を認めるとのことだ。合わせて、一万六〇〇〇隻余り、人員にして凡そ一八〇万人の艦隊をもって、迎撃に当たるべしと」

「もう少し欲しいですな。敵が編成を変更しないとも限らない。せめて二万隻は必要です」

「予算は有限なのだ」

 ウィッチャーはため息をついた。せめて、こんな馬鹿馬鹿しい任務を課すくらいなら、兵力だけでも万全にしてもらいたいものだ。

「では、せめて人的リソースだけはなんとかしていただけるのでしょうね、閣下」

「無論だ。最善を尽くそう」

「では、艦隊後方本部長にセレブレッゼ大佐、補給部門チーフにはロックウェル中佐をお願いします。編成をまともに出来なければ、艦隊は壊滅しますから」

「よかろう、話を通しておく。一先ず、ハイネセンに駐留する独立艦隊を君の指揮下に置く。残余の艦隊は、現地で合流する様に」

「承知しました」

「ああ、それから」

「何です?」

「…ジークマイスター提督が君に面会を申し込んでいる。明日一〇時半、このビルの二〇階の、R-三七号室に赴く様に」

「…わかりました」

 

 退室したウィッチャーは入る前とは打って変わって、陰鬱で不満げな表情で統合作戦本部を辞去し、自らの艦隊司令部を目指した。

 艦隊そのものは宇宙港に係留されているものの、それらの編成や補給などの事務処理を行う為の司令部は統合作戦本部ビルのすぐ近くに設けられており、速やかな命令下達が可能になっている。

「戻ったよ」

「お帰りなさいませ、閣下」

 つい先程とは違って、彼はこの執務室、このビルの中での絶対的権威者である。

 本部ビルから北へ一キロほど行った先にある宇宙艦隊地上司令部ビル群の中に、新しく「第十一艦隊」の看板を掲げたものがある。

 この小綺麗な建物こそ、彼のささやかな王国の領土であった。

「司令官閣下、何かあったのでしょうか。随分とひどいお顔をなさっておいでですが」

「私の顔が酷いのは昔からだよ、トラバース中尉。だが、君のような美人から指摘されると流石に傷つくのだがね」

「いえ、そのようなつもりは毛頭ございません」

「どうだか」

 アリス・トラバース中尉は今年二二歳、二年前に士官学校を三席で卒業したばかりの才媛である。流れる様なブロンドの髪と、同じ色の瞳が印象的な、明るく社交的な女性だった。

「ところでトラバース中尉、すまないが、緑茶と団子を二つ持って来てくれないか。その後、ウェイ副司令官、クランヴィル参謀長を呼び出してくれ」

「承知しました。ですが閣下」

「いや、失礼。アリス君、宜しく頼む」

「はい!」

 ぱっと魅力的な笑顔をひらめかせて、彼女は執務室を出て行った。目の前でゆらめく長い金色の流れを見送りながら、ウィッチャーは苦笑いした。

「名前で呼んでくれ、というだけじゃなく、それを貫き通す様求めるなんてね…」

 アリスは彼の副官に着いて以来、一貫して名前で自身を呼んでくれる様にと言って来た。トラバース、では有名な父親ー同盟議会議員であるーを想起させてしまうので嫌だ、表向きの理由ではあったが、本当の理由をあからさまに勘繰る者も多く、特に彼女の上司は、あちこちでからかいの集中砲火を浴びる羽目になったのである。

 軍務では彼が上官でも一度それを離れれば同期の桜、俺とお前で通じる仲である。彼は同期から「若い美人を合法的に囲い込む惚気司令官」として、同窓会でも幾度と無く槍玉に挙げられる羽目になっていた。

「閣下、お待たせしました。それでは、副司令官と参謀長閣下の下へ参ります」

「ああ…」

「その、どうかなさいましたか」

「…いや、何でもない。お願いするよ」

「はい!」

 アリスは走り出して、また部屋を出…かかったところでまた一八〇度向きを変えて戻ってきた。

「すみません、閣下!ご報告を忘れていました」

「珍しいね、何だい?」

「本日より、士官学校生による艦隊実習が始まります」

「艦隊実習…ああ、私も行ったな。正規艦隊ではなく、辺境星域の巡視隊だったが…。それで?」

「間も無く此方に到着するそうです。名前は…アルフレッド・ローザス士官候補生、ウォリス・ウォーリック士官候補生、そして…ブルース・アッシュビー士官候補生です」

 

 もしも後の歴史を、ウィッチャーが知って居たとすれば、どの様に見たであろうか。恐らくは、苦笑いしつつ呟いたことだろう。

「私は、彼の伝記の脇役くらいがお似合いらしい」

と。

 

 一〇分後、彼は三人の士官候補生を執務室に迎えた。彼らは整然と前に進み出て、一分の隙も無い敬礼を行った。

「ウォリス・ウォーリック士官候補生であります!」

「よろしく」

「アルフレッド・ローザス士官候補生、着任します」

「よろしく」

「……」

 二人が自己紹介をしたにも関わらず、その男はじっとデスクに座る自身の司令官を見下ろしていた。

 鮮やかな赤毛に、空の如く真っ青な瞳、鼻梁はプライドと自信の程を表す様に高く、一文字に引き結ばれた口許は、意志の強さを全面に押し出していた。

 彼の顔を見て、ウィッチャーは後に

「鮮烈なまでの美男子」

であると評している。

「君は?」

「失礼しました。ブルース・アッシュビー士官候補生です。司令官閣下」

「モーゼス・ウィッチャー中将だ。ようこそ、我が第十一艦隊へ」

 彼はアリスに指示して、候補生達の成績や素行が記された書類を受け取った。無論データの方がはるかに便利ではあるが、彼の方が紙を希望したのである。どうしてかと問うアリスに対して、

「偶には、面接官か審査官めいた、権威主義的なことをしてみたいのさ」

 と彼は眉を上げて意味ありげに笑ったのだった。

「アルフレッド・ローザス候補生、ほほう、全体的に成績が良いな。特に後方勤務に関わる分野が優秀な様だね」

「練習艦隊での実習では、艦隊補給チーフ、及び参謀長役を務めました」

「宜しい。指揮官だけでは、艦隊は動かないからね。では、君は運営部門についてもらおう。参謀長が到着し次第、彼の下へ向かってくれ」

「はい」

「ウォリス・ウォーリック士官候補生。成程、君は戦術シミュレーションと、格闘戦の成績が良い様だね」

「はっ!常に魁となり、暗黒の大海を割り、閃光のランスで敵を貫きます!」

「その意気やよし。では、君はウェイ副司令官に付いて、艦隊指揮と先陣の戦い方を学ぶといい」

「はっ!」

「さて…」

 ウィッチャーが最後に残った候補生、アッシュビーに目を向けると、彼は自身ありげに笑みを返した。

「アッシュビー候補生、君の名前は存じているよ」

「ほう、光栄です。同盟軍きっての若き俊英と名高い閣下に知って頂けていたとは」

「有名だからね。曰く、士官学校開校以来の秀才とか…」

「それは、事実とはいささか異なります」

「ほう?」

「秀才ではなく、『天才』です。閣下」

 その傲然たる放言に、アリスは眉を顰めた。この身の程知らずが、と言いたげな視線を向ける。だが、その身の程知らずはどこ吹く風で、逆にアリスに対して露骨に秋波を送っていた。

「まあ、開校以来の天才という評以外にも、色々と噂、正確に言えば苦情が来ている」

「どの様なものでしょうか」

「戦略研究科に所属する女性候補生と、随分お盛んらしいじゃないか」

「向こうが小官を求めているからです。全く、仕方の無いことですが」

「これはこれは。差し詰め『七三〇年のリン・パオ』と言ったところかな、アッシュビー候補生」

「かもしれませんな。ですが、未来ではリン・パオ元帥の喩えも変わっているでしょう。宇宙暦八〇〇年の卒業生の中には、『八〇〇年のアッシュビー』がいるかも知れません」

「なるほど、その自信は本当に素晴らしい。そして、自信にふさわしい実績も持っている様だね。実際、ほぼ全ての教科で満点、練習艦隊実習では司令官を務め、首席はほぼ確実視されている」

「恐れ入ります」

「だが、一つ解らないのは、実習先をほぼ自由に選べる立場の君が、何だってこんな新設されたばかりの艦隊を選んだかだ。花形の第一艦隊や、第二艦隊に行くことも出来ただろうに」

「閣下、それは簡単なことです」

「ほう」

「小官がこの艦隊を希望したのは、閣下、貴方がいらっしゃるからです。ダゴン・シャンダルーア以来の三〇代の提督である貴方が司令官を務めていらっしゃるからこそ、此処を希望したのです」

「それはそれは。私を評価してくれていると、思っていいのかな」

「無論です。小官は閣下こそ、現在の同盟における最高峰の提督であると考えています。…閣下、私は貴方の下で学び、戦い、そして、貴方を超える為にここへ来ました。貴方の戦い方を学び、さらに高め、小官は貴方の年齢までに艦隊司令官となり、その後には元帥になって見せましょう」

「何を…っ!」

 最早放言ですら生温い、それは暴言であった。まともな上官に吐こうものなら、拳骨だけで済む筈がない。アリスは怒りの余り拳を握りしめ、感情のままに、この無礼な候補生を怒鳴りつけようとした。だが、

「はっはっは、面白いことを言うじゃないか」

 ウィッチャーはそれを制止し、剰え声をあげて笑っていた。

「アッシュビー君、決めたよ。君は、私の司令部に付くといい。私の一番側で、艦隊運用のイロハを学びなさい」

「謹んで、お受けいたします」

 執事が主人に頭を下げるかの如く、彼は恭しく命令を受けた。

 

 さて、思わぬ闖入者があった為に一瞬忘れ去られていたが、ウィッチャーとアリスには、本来別の仕事があった。

 程無くアリスはそれに気が付き、急いで副司令官と参謀長の下へ走った。時折彼女はこの様な慌てん坊的なミスを犯す。普段の有能さからは少々想像しづらいが、彼からすれば、これも一つの可愛げに見えた。

「まぁ、戦場で現れなければいいか」

 そう独り言を零しつつ、彼は副官の任務達成を待った。

「お待たせしました!」

 アリスが二人の男を連れて帰ってくると、どうぞ、と彼は応じた。

「「失礼します」」

「ようこそ、ウェイ副司令官、クランヴィル参謀長」

「「お待たせしました、司令官閣下」」

 入って来たのは、長い白髪と髭を伸ばした老年の紳士と、どこか神経質そうな目をした黒髪の壮年の官僚めいた男である。

 老年の紳士の名前はウェイ・チーロンといい、第十一艦隊の副司令官を、官僚めいた男はモーリス・クランヴィルといい、艦隊の参謀長を務めていた。

「まあ、座ってくれ。君達を呼んだのは、新しい任務が下達されたからなんだ」

 そう言って、ウィッチャーは席を勧め、執務室内の立体スクリーンのスイッチを入れた。ーコルモンデリーと全く同じ動作で。

 表示されたのは、同盟の辺境星系の航路図である。そして、その中に一つだけ赤く強調表示された星系があった。

「フォルセティ星系ですか、閣下」

「そうだ参謀長。我々は、この星系に来襲すると思われる、帝国軍の艦隊を迎え撃つ」

「思われる?思われるとはどういうことですか」

「ジークマイスター提督絡みの案件だ」

「!!」

 ウィッチャーがその固有名詞を出すと、部屋全体に電流が走った。

「つまり、提督が帝国軍の侵攻計画をこちらへ齎したと」

「まあ、平たく言えばそういうことだ。彼が通して来たスパイ機関の仕事らしいが…」

「罠ではありませんか?」

「その可能性が大いにある。つまりは、大変危険な任務ということだ」

「なるほど」

 ウェイが頷く。一志願兵から叩き上げたこの老年の提督は、生き残る運の強さもさることながら、勇猛果敢な艦隊指揮に定評があり、その点を司令官に信頼されていた。

「彼によれば、フォルセティ星域遠征軍は艦隊規模にして凡そ一万二〇〇〇隻程度だそうだ。その兵力をもって現地の同盟軍を撃破し、侵略の橋頭堡を築こうというのだろう」

「然しながら、我が艦隊の戦力は一万隻に足りません。兵力において劣る以上、撃破できると安易に考えるべきではないと考えます」

「その通りだ、参謀長。敵艦隊に伍する兵力を持たずして、勝てるとは思えない。ということで、お偉方が援軍を用意してくれたんだ」

「援軍?」

「ハイネセンと、現地周辺に駐留する独立艦隊を指揮下に加えろとのお達しだよ。艦艇数一万六〇〇〇隻、人員一八〇万人になる予定だ。当然、編成や補給の問題がつきまとう。そこで…」

「そこで、小官の出番というわけですか」

「流石参謀長。理解が早くて助かる。兵力は兎も角として、人的リソースは出来得る限り充実させるつもりだ。補給と管理のスペシャリスト二名を引き抜いて来たから、彼らと共に後方任務を頼む」

「了解しました」

「副司令官は、他の分艦隊司令官と共に、敵の数を一万隻から二万隻程度と見積もって、戦闘プランの立案に協力して貰いたい」

「心得ました」

「副官は…」

「はい!」

「特に任務は無い、帰ってもらって…」

「どうしてですか!!」

 

 数時間後、ウィッチャーは疲労困憊の体で、シミュレーションルームの司令席に体を預けた。

 結果には、大きく「敗北」の文字が踊る。

「やはり、彼我の戦力差約二倍での勝利は不可能だな」

「地の利を加味すれば今少しやりようもあるとは思いますが…」

「地の利をもってしても難しいだろう。それに、このシミュレーションはよく出来ているが、個々の艦艇の練度まで対応はしていない。寧ろ、もっと悲惨な敗北となり得るだろうね」

「ふむ…」

 ウェイは考え込んだ。彼はウィッチャーと共に出来うる限りの状況に対応する戦闘プランを立案して来たが、ここにきて壁にぶつかった様だった。

 というのも、彼らは可能性は低いであろうが、最悪を想定して現有の九〇〇〇隻程度の戦力で二万隻以上の艦隊にあたるケースをシミュレートしていたのだが、やはり無謀というべきか、数十度試行しても、逃走は可能でも勝利は不可能だった。

 ウィッチャーは逃げることを躊躇うタイプではなかったが、敗北より勝利したいという人並みの感性を持ってはいた。故に未練がましく続けていたのだが…。

「やはり、ハイネセンの戦力を加えた一万二〇〇〇隻が勝利の限界点か。それも、敵が二万隻前後という希望的観測によるものだけれど」

「その辺りが限界でしょうな」

「仕方ない。では、戦力の糾合に失敗した時には、逃げるとしよう」

 彼がマニュアルを完成させた頃には、既に当たりは真っ暗になっていた。

「では諸君、お疲れ様」

 部下の敬礼を受けながらシミュレーションルームを出た彼は、荷物を取りに行くために、一度司令官執務室に戻った。そこには…

「何をしているんだ、アリス君」

「…あ、か、閣下!?」

「帰っていいと言ったのに。わざわざ執務室に居残って、それで居眠りとはね」

「失礼しました。ですが…」

「いや、私を待っていてくれたんだろう。その心遣いは嬉しい。だが、上司がいては部下は帰ってはいけない、と言うのは悪しき風習だ。できることなら、副官の君が率先垂範してくれると助かるんだが」

「申し訳ありません…」

「怒ってはいないよ。どうだい、待たせてしまったお詫びに、一杯奢るよ」

「宜しいのですか!?」

「ああ。君のとこのお父様が、許してくれるならね」

 

 ウィッチャーとアリスは無人タクシーに乗り、ハイネセンポリス中心街へ向けて走らせた。軍事地区は、市街地から一〇〇キロ程離れている為、飲食店のある街へは相応に時間がかかる。

 その間、彼はジークマイスターについて考え込んでいた。

「閣下、何をお考えですか?」

「いや、戦いのことさ」

「ジークマイスター提督のことでしょうか」

「まあ、そう言い換えても差し支えないだろうね」

 彼は軍用ベレーを脱ぎ、乱れた茶髪を弄びながら言った。

「マルティン・フォン・ジークマイスターという人は、用兵家として名声のあった人ではないんだ。実際に会った時にも、どちらかといえば外交官気質というのかな、交渉役、調整役といったタイプに見えた」

「ご存知なのですか?」

「五年前、回廊を巡る戦闘で出た捕虜の交換交渉の相手役があの人だった。私は、交渉に向かう提督の次席幕僚だったが、あの時彼は中将だった筈だ」

「年嵩の方ですか?」

「いや、私の記憶が正しければ、四〇数歳の筈だ。もしも、あの人が戦場に出ずに、後方勤務だけでその立場に至ったのなら、只者ではないね。私など、足元にも及ばないよ」

「そんな、提督は…」

「いいかい、アリス君。私は幸運と、君達の様な優秀な部下のお陰でいくつか武勲を建てることが出来たが、それだけの人間だ。ダゴンの二元帥のような天才じゃないし、かといってウェイ副司令の様な、老練の戦士でもない。決してヒーローと祭り上げられる資格のある人間じゃないんだ…」

 そこで言葉を切り、茶髪を混ぜる様にぼりぼりとかくと、彼は涙さえ浮かべた副官の視線に気が付き、バツが悪そうに零した。

「まあ、あれだ。例え勝てなくても、君達を死なせることが無い様には、全力を尽くすつもりだ。上手いこと達成出来たなら、その時こそ褒めてくれると嬉しいな」

 

 程なくして二人を乗せたタクシーは、ハイネセンポリスの中心街へたどり着いた。そこから南へ行けば、同盟最大級の歓楽街が広がっている。

「アリス君、何か酒に好みはあるかな?」

「いえ、特には…」

「では、私のお勧めの店に行こうか」

 ウィッチャーは、歓楽街の裏通りにある、小さな店に入った。歓楽街には、西暦時代の初め、未だ人類が地球という星で数多の国家に分かれて割拠していた頃に確立された、種々の様式の建物が溢れている。

 彼が選んだのは、ーもはや何という国かさえも分からないがー古い東の国の洋式に従って建てられた店だった。

 暖簾をくぐり、引き戸を開けると、陽気な酔っ払いと威勢の良い店主の大声が聞こえてきた。

「これは…」

「うるさいだろう、アリス君。だが、粗野だが気のいい店なんだ」

 彼のコメントに対し、年嵩の店主が抗議の声を上げる。

「おいおい、士官学校の頃から世話してやったのにそのセリフは何だ!」

「いやいや、褒めてるんだよ大将!」

 そう笑って、彼はアリスと共にカウンターの席についた。

「ところでモーゼス坊や、隣の美人さんは誰だい?」

「ああ、紹介するよ。アリス・トラバース中尉。私の副官を務めてくれている」

「はじめまして」

「クリストファー・キッドマン元軍曹だ。どうぞ宜しく。…にしたところで、ようやく俺は坊やが恋人を見つけだしたのだと思ったんだがね」

「なっ…!」

「いやいや、そんな訳がないだろう。俺は部下に手を出す様な人間じゃあないぜ。それに、娘だって二人いるんだ。そんな無責任な真似ができるかよ」

「あーあ、相変わらずお堅いお堅い」

 キッドマンは肩をすくめると、棚からビール瓶を出して中身を二つのジョッキに注ぐと、無造作に二人の前に置いた。

「ま、こいつは店の奢りだ。これからも贔屓にしてくれよ」

「な?粗野だが気のいい大将殿だ」

「え、えぇ…」

 二人はジョッキを触れ合わせ、ぐいとビールを口に開けた。よく冷えたビールの苦味が、不快な蒸し暑さを耐えて来た二人の中で弾け、きんとした快い感覚が体を満たす。

「美味い!はー、これの為に軍務をやってると言ってもいいさ」

「確かに、小官もそう思います」

「おいおい、別にこんな時まで礼儀を尽くす必要は無いぜ。軍務を離れれば、互いに対等なんだから」

 塩のよく効いたパンチェッタを一皿摘みつつ、彼はアリスにも酒を勧めた。彼女もそれに応え、幾杯かジョッキを干し、酒の肴とディナーとを兼ねた「安いが量が多く旨い(キッドマン大将談)」食事を胃に流し込んだ。

「美味しい!軍務でのストレスが溶けていきます」

「アリス君、飲み過ぎ食べ過ぎには気をつけろよ」

「分かってますよ!!」

 大人として言っておかねば、というウィッチャーの警告に対し、彼女はバンバンと彼の背中を叩くことで報いた。どうやら、判断を誤ったらしい。彼は手羽先の甘辛煮を食べながら、苦笑いした。

「そういえば、閣下。娘さんはお元気ですか?」

「ん?あぁ…二人とも元気だよ。マリーカはもう十四、シャルロッテは九歳だ…。だが」

「どうかなさいました?」

「マリーカとはこの前喧嘩してしまってね。一週間ばかり口を聞いてないんだ」

「何があったんです?」

「士官学校に行きたいと言い出したんだ、あの子が」

「まあ!」

 アリスは、栗色の髪に緑色の瞳を持つ、愛くるしい彼の娘二人を思い浮かべた。血の繋がらない親子ではあるが、彼は父親として溺愛にも等しい愛情を注いでいたし、二人も素直で、父親に対して反抗するということが余り無い筈だった。

 特に姉のマリーカは、万事に冷静で、感情的に喧嘩をするなどとは想像しづらい子だったが…。

「士官学校に行って軍人になりたい、ってあの子が言ったから、つい感情的になって叱ってしまったんだ。『軍人なんて酷い商売をやろうとするんじゃない!折角頭が良いのに、何でそんなことを…』って怒鳴ったら、『提督に何が分かるんですか!』だ…」

「閣下…」

「…いや、すまない。親として間違えたのは私だ。子供の夢を、頭ごなしに否定するんじゃなかったな…。アリス君にも、くだらない話を聞かせてしまったね」

「いいえ、閣下。くだらないことなどではありませんわ」

 元々彼は人の心情の機微を読むのに疎く、父親に対する年頃の娘の感情など、理解できる訳も無い。アリスにしてみれば、不器用な親娘のやりとりはいじらしいとさえ思えた。

 

 「どうやら、私が飲みすぎてしまった様だ…。そろそろ、おひらきにしよう」

「えぇ…そう、しましょうか」

 二時間かそのくらいだろうか、二人は泥酔が近づいていると悟り、素直にお開きにすることに決めた。

「アリス君、大丈夫かい?」

「ええ、閣下…わたしは、大丈夫…」

 ウィッチャーは、半分眠りつつある副官に肩を貸しつつ、無人タクシーの乗り場へ向かった。既に辺りには、限界を迎えた酔っ払いたちが転がっている。

「おや、司令官閣下ではありませんか」

 それを避けながら歩いていると、今朝聞いたばかりの声が彼を呼び止めた。

「アッシュビー候補生」

 声の主、アッシュビーはSPの様に女性達に囲まれて、宛ら元帥閣下という風である。

「閣下も、これから一晩の恋に身を焦がすおつもりですかな」

「冗談じゃない。彼女を家まで送るだけだ。第一、私にそんな趣味はないからね」

「おや、司令官閣下御自らとは。どうです?小官は些か女性の介抱の腕に自信がありますが」

「結構だ」

 彼はその麗しい申し出を一蹴すると、やって来たタクシーに乗って、ユッカ街へと去って行った。

「ふん、如何やら閣下は身持ちが堅いらしい」

「あんたとは大違いね」

「まさか、アデレード。俺もそのうちああなるかもしれん…」

 タクシーは中心街から南、海を望む高級住宅街へ走った。そこは、同盟の政財界で名を成した人々が住む地区で、瀟洒な邸宅が並んでいる。尤も、ウィッチャーの様に政治が嫌いな人間からは、「下水道地区」等と凄まじい言葉でこき下ろされていたが…。

「アリス君、着いたぞ」

「んんぅぁ…」

「参ったね、こりゃ…」

 彼は、アリスを車から引き摺り出すと、ある一つの表札の家の前まで連れていき、インターホンを押した。

「はい、どなたでしょうか」

「ええと、同盟軍中将のウィッチャーです。お嬢さんを送って来たのですが、どうも酔い潰れてしまわれた様で…」

「これは!お世話をかけまして…。直ぐに参ります」

 扉が開き、出て来たのは一部の隙も無い服装をした老家令といった風情の男で、直ぐに中から二人ほど女中を呼び出して、アリスを運んで行った。

「お嬢様を送っていただき、ありがとうございます。提督」

「いえ、飲みに誘ったのは私ですから…」

「いつも、お嬢様がお世話になっています。お噂はかねがね伺っておりますよ、提督」

「これはこれは…少々気恥ずかしいですな。では、私はこれで」

「お待ち下さい。せめて、お茶でも一杯いかがです?」

「いや、結構です。明日の為にも、早く家に戻らなくてはなりませんので」

「そうですか…いや、残念ですな」

「お嬢さんには、申し訳なかったとお伝え下さい。では」

 そう言って彼はさっさと辞去し、待たせておいたタクシーに乗り込んだ。彼は自分の軍才を高く評価してはいなかったが、自身に不本意ながら偶像として多少の価値があることは十二分に理解していたからである。

 かつてハイネセン地方議会の議員くらいなら務まるだろうかと考えたこともあったが、長じてみればそんなものはごめん被りたいという思いが圧倒的になった。

 艦隊司令官にまでなると、政治レイヤーに足を取られることも少なくない、その上プライベートでまで付き合いたくはなかった。

「全く、関わらないで済むものならそうしたいがね…」

 そう独り言を呟きながら、彼は自身の官舎があるシルバーストーン地区へ向けてタクシーを走らせた。

 

 官舎に戻ってみると既に灯りは消えていて、誰かが動き回る気配はしない。娘二人はもう寝てしまったかな、と考えながら、ウィッチャーは家の中へ入った。

 既に電気は消えていて、片付けられたリビングの常夜灯だけが、薄ぼんやりと中を照らしていた。

 キッチンの前に置かれた木製のテーブルに目をやると、ラップされたカレーが一つ置いてあった。

「おやおや、飲みに行くから要らないとメールしたのに」

 側には、「温めて食べて下さい」と几帳面な文字が書かれたメッセージカードが添えてあった。

「腹一杯だが、まあいいかね」

 彼は軍服の上着を脱いで側の椅子にかけると、レンジにカレーを放り込み待つ間に郵便物を確認した。

 マリーカがポストから持って来て整理してくれた様で、軍隊関係、申告関係、生活関係、その他ダイレクトメールの類といった具合に分けられていた。

 何気なく彼はダイレクトメールの一番上に置かれたチラシを手に取った。

「亡命孤児に手を差し伸べよう!彼らの故郷に自由の旗を立てよう! 国立亡命孤児育英協会」

 帝国から亡命する過程で親を失った孤児を、子供のいない市民の家庭に養子縁組し、養育させるー今から一〇年ほど前に、ある一人の議員によって提案されたものだ。名前は何といったか、確か、今は孤児となった軍人子女の育英に取り組んでいたはずだが…。

 チラシを持ったまま寝室を覗くと、少し広いベッドに二人の少女が身を寄せ合って眠っているのが見えた。

 明るい栗色の髪の姉妹は、年相応の幼い寝顔で夢の中を揺蕩っている。二人とも、にとっては血の繋がらない、それでも守るべき大切な家族だった。

 貴族の姫君として生まれ、普通ならば平民よりも僅かに贅沢な、平穏な人生を帝国で送れたはずの二人。しかし、何の因果か亡命を余儀なくされ、その過程で父母を失い二人きりで同盟までやって来た。

「亡命者孤児院に入れられて、引き裂かれるよりはと思ったが、どうかなぁ」

 彼は自分がいつ死ぬかも分からない軍人であることを差し引いても、父親たる資格を大いに欠いていることは自覚していた。だから、娘の選択にあれこれ口を出す資格など、寸分たりとも存在しないことはよく理解できるのだが…。

「軍人にだけはなって欲しくないものだ」

 そう思いながら、彼はリビングに戻った。もうすぐ、レンジのタイマーが切れようとしている。

 温まったカレーを流し込みながら、ウィッチャーは明日のことを思案しつつ、安楽椅子で眠りに就いた。

 

 帝国暦三三一年、宇宙暦六四〇年に生起したダゴン星域会戦は、後に一五〇年以上続く二国間の戦争の幕開けであると同時に、同盟の「古き良き時代」の終焉を告げるものであった。

 専制主義の銀河帝国に対して宇宙を二分する対等の勢力、民主共和政の砦たる同盟の立場が確立された一方で、同盟国内は沸騰するナショナリズムとヒロイズムの坩堝と化し、二元帥に続かんとする無数の英雄志望者と、それを後押しする無責任な民衆で溢れかえった。

 以前の人々が持っていた民主主義的美徳よりも、英雄としての華々しさが脚光を浴びる様になり、第二第三のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを生み出すまいと自粛されてきた退役軍人の政界進出が進み始めた。かつての清教徒的な道徳と忍耐は忘れ去られ、劇的な強さを持つ偉大なる指導者を民衆は求め始めたのだ。

 宇宙暦六九六年には、シャンダルーア星域会戦の立役者である元宇宙艦隊総参謀長ユーリス・トリュシャール元帥が退役軍人として初めて国防委員長に就任するに及び、その傾向は同盟社会に完全に固定された。

 彼は後世の最高評議会に比べて腐敗の度合いは幾分かマシであり、同盟軍の大幅な拡張と、二、三の小規模な帝国領遠征を行っただけであったが、彼の存在が現在まで同盟の世論を牛耳る対帝国強硬論を創り上げたことは事実である。

 実際、彼の出現と前後して、少なくない数の政治家やジャーナリストが主張していた、帝国との和平共存論は息を潜める様になり、対帝国戦争は民主主義を守る「聖戦」と称された。和平の道は閉ざされ、尚それを主張するものは売国奴として差別と抑圧の対象にさえなったのである。

 無論こうした惨状を危惧する人物が皆無だったわけではない。ダゴンの勝利を演出し、国父ハイネセン以来の英雄となったユースフ・トパロウル元帥は、勝利二十周年を祝う特別報道番組のインタビューにこう答えている。

「勝つ前の方が幾分かマシだった。あの頃の爺さん方は、俺をきちんとトラブルメーカーと評価してくれていたからな」

 ユースフは、蔓延するヒロイズムと、帝国打倒が声高に叫ばれる同盟社会に舌打ちしていたことだろう。少なくとも彼は、最後までそうした社会の潮流に手を貸すことは無く、一言の政治的思想も吐かず、誰に対しても公平中立に憎まれ口を叩く「厄介な爺さん」として生涯を終えた。

 だが、彼が危惧した同盟社会は、今日もう一つの存在によって更なる腐敗が浸透しつつあった。

 亡命者の存在である。

 ダゴン星域会戦の勝利は、未だ専制主義の手が及ばぬ「外国」の存在を帝国に対して知らしめる結果となった。徹底した報道管制を掻い潜り、その噂は一部の上級貴族だけでなく、地下で闘争を続ける共和主義者達にも伝わり、彼らの突破口を開くこととなった。

 初期の亡命者たちの殆どが、そうした共和主義者達、或いは真に民主主義の理想に感銘を受けた貴族達であり、彼らが同盟の発展に大きく寄与したことは間違い無い。彼らはその情熱において同盟の建国者達に勝るとも劣らず、「古き良き時代」の終末期にあって、今後自らに続くであろう志ある人々の為の制度を整えた。

 その制度が現在の同盟の腐敗を招くことを知っていたら、彼らは歴史の女神に対して何と抗弁したであろうか…。

 その後、亡命者は途切れることなく流入を続け、コルネリアス一世の大親征の後には右肩上がりに増大していった。その中には、帝国と同盟の対等外交さえ実現させかけたマンフレート亡命帝などの素晴らしい人々も数多く居たが、その対極に位置する人々の方がはるかに多かったことは、歴史の皮肉と言う他ない。

 宇宙暦六七〇年代以降、同盟に流入した亡命者の内、政争に敗れた貴族や皇族達はこの新天地において自分達の居場所を確保するべく活動を開始した。

 その内容は、ある時は同胞を集めてのロビー活動であったり、ある時は帝国の内情や自身の政治手腕を提供する顧問であるなど実に様々だった。

 中でも彼らが得意としたのは、幅を利かせつつあったナショナリズム政治家と結びつき、その選挙運動に協力する見返りとして、自身の立場を庇護してもらうことである。

 彼らは自身のパトロンである政治家の為に、自身がいかに帝国で凄惨な扱いを受けたか、そんな中「自由の国」同盟への憧れがどれだけ救いになったか、中でも自身のパトロンの名声がどれほど亡命の後押しをしたかを述べ立てて、有権者達を誘い込んだ。

 これにより、俄かに同盟国内で亡命者ブームが起こり、彼らは無視しえぬ政治の鍵となった。歴代の最高評議会は、自身の任期のうちにどれだけ多くの亡命者が入国したかを競い合い、政治家達はどれほど多くの亡命者達が自身の名声を頼って来たかを宣伝した。

 結果、亡命者達は同盟社会に不健全な形で深くまで浸透し、ヒロイズムを志向する軍部、ナショナリズムを呼号する政治家とのトリニティを構成する一体となったのである。

 亡命者の手助けで政治家となった人物が、ナショナリズムを煽って軍を拡張し、拡張された軍が次々と小英雄を生み出す。その小英雄がまた亡命者の助けで政治家となる…。この救い難いサイクルこそ、ウィッチャーが生きた宇宙暦七三〇年前後の政治情勢であり、後にこの傾向は七三〇年マフィアの台頭とともに、トリュシャール元帥以来の第二の黄金時代を迎えるのである…。

 

 七月七日。ウィッチャーはその日の朝を安楽椅子の上で迎えた。自分の状態を確認するために顔を動かすと、鈍い痛みと毛布の感触を感じる。椅子で寝たのだから当然か、と考えながら彼は立ち上がった。

「おはようございます、提督」

「おはよー!」

「おはよう、マリーカ、シャルロッテ。毛布ありがとう」

 二人の娘に挨拶をしながら、彼は洗面所の方へ歩き、朝の身支度を始めた。

 シャワーを浴びて体と顔を洗い、軽く髭を剃って髪を整える。その間にマリーカが予備の軍服やスカーフを出してきて、着替えられるように畳んで洗面所に置いた。

 出てみると、シャツやスカーフにはしっかりアイロンがかけられていて、上着には一つの埃もついていなかった。

「いつもありがとう、マリーカ」

「…いえ、このくらいなんでもありません。提督」

 マリーカ・フォン・クロティルドは、無愛想に答えた。ウィッチャーは、彼女がいつか自分をお父さんと呼んでくれないものかと考えていたが、どうもその日は未だ遠い様だった。

「それよりも、さっさと朝ごはん食べて下さい、提督」

「提督!今日は提督の好きなフレンチトーストだよ!」

「いいね。マリーカが作るのは大好きだよ」

「…それはどうも」

 シャルロッテと共に、彼は温かいフレンチトーストを頬張り、ミルクで流し込んだ。

「お急ぎですか」

「ん、まあねぇ」

「提督、最近やけに急いでるけど、何かあったの?」

「近々また任務で出なきゃいけないんだ」

 手早く食べ終わると、彼は軍用ベレーを被ってスカーフを締め、上着を着た。

「じゃあ行ってくる。もうすぐ軍人列車が出る時間なんだ」

「行ってらっしゃい!」

「行ってらっしゃい、提督」

「ああ、行ってくるよ!…っと、マリーカ」

「…何ですか?」

「お前の進路のことだが…悪かった。頭ごなしに否定してしまって、済まない」

「…いえ、別に。養って頂いているのに、生意気言ってすみませんでした」

「いや、違うんだ。ええと…その、兎に角ちゃんと話をしよう。今は任務があるから難しいが、終わったらしっかり聞くよ。…お前がどうしてもやりたいことがあるって言うなら、親としてちゃんと助けてやりたいから…」

「…はい」

「じゃ、行ってくる」

 彼はマリーカの頭を撫でて、家を出た。時間は既に遅れつつあるがまあ、それも良かろう。そう思って、彼は日の照りつける道路を走り出した。

 

 艦隊司令部群の最寄り駅で列車を降りると、夏のへばりつく様な暑さがたちまち襲ってくる。まして、軍人達で混み合う駅ならば、尚更その不快感は凄まじい。

 艦隊司令官クラスとなれば、自分専用の車と運転手に、艦隊兵士による護衛チームさえついていることも珍しくはない。無論ウィッチャーもそれを受ける資格があるのだが、彼はこの任務についてから、高級士官限定の特権を享受したことなど一回も無い。

 個人的な好みか、或いは美学か、彼は指揮官が持つ特権を振り翳したり、給料以外の階級を基にした取り扱いを好まなかった。

 人混みから何とか逃れ出て、自身の艦隊司令部まで歩くと、立っている見張りの兵士が驚きの視線を向ける。それも道理だろう、他の司令官達が車で悠々と出勤する中、自分達の司令官がふらふらと息も絶え絶えの調子でやってきたのだ。

「司令官閣下!?」

「大丈夫ですか!?」

「すまないが…水を…」

 

 「閣下!今年の夏は特に暑いんですから、お車を使って下さいって言いましたよね!」

「いやあ、すまない。危うく熱中症で倒れるところだった」

「危うくじゃありません!…何で頑なにお車を使われないんですか…」

「…謙虚でいたいのさ。閣下だの司令官だのと呼ばれていると、私自身が立派な者か何かと勘違いしてしまうからね」

 彼はそう言って、クーラーの効いた部屋の中で伸びをした。既に暑苦しい上着は脱いで、汗の染みたシャツにスカーフ姿になっている。

「今何時だい?」

「九時です」

「よし、じゃあ九時半になったら司令部前に車を回してくれる様に頼んでおいてくれ。統合作戦本部に所用があるからね。それから戻り次第、作戦会議をしよう」

「分かりました」

「候補生達は何をしているかな?」

「ローザス候補生は参謀長と、セレブレッセ大佐と共に、補給編成計画に参画しています。ウォーリック候補生は、ウェイ副司令と共に戦術シミュレーションを続けていますが…」

「アッシュビー候補生は?」

「はい、彼は姿を見せておらず…」

「お待たせしました」

 噂をすれば影がさす、という諺通りというべきか、二人が名前を出したその瞬間に扉が開き、件の問題児がずけずけと部屋に入り込んできた。案の定制服をだらしなく着崩して、胸元を大きく開いて涼んでいる。

「アッシュビー候補生!ノックくらいするのが礼儀でしょう!」

「おや、これは失礼しました。やり直しますか?」

「いや、結構」

 彼は手を振って無礼を咎めないことを伝えると、手元から一冊の簡易資料を手に取り、アッシュビーに手渡した。

「何です?」

「見ての通りだ。接敵時に取るべき指針を示した戦略マニュアルだ。彼我の戦力差の想定データを基に、敵を撃破するか、撃退するか、或いは逃亡するか。どのような戦術によって相対するかをシミュレートしたものだ」

「なるほど、閣下は几帳面でおいでですな」

「まあね。私はこれからすぐに、統合作戦本部に行かなくちゃならないから、その後の作戦会議で、君の意見を聞かせてほしいな」

「分かりました。では、それまでに読み込んでおくことにしましょう」

 候補生殿がマニュアルを手に出ていくと、早速アリスが頬を膨らませて言った。

「本当に、あの候補生は無礼極まりますね!」

「まあまあ、それだけの才覚があるんじゃないかな。何しろ、私は士官学校時代、巡視艦隊のトイレ掃除役を任されてた程だからね」

 真偽不明の思い出を呟くと、彼は立ち上がって部屋を出た。

「もう出発になられますか?」

「支度をするだけだよ。この暑さだ、飲み物でもないとやってられないからね」

 

 時計が丁度一〇時半を指した頃、ウィッチャーはアリスと共に、統合作戦本部の一室の前に立っていた。

 扉を丁寧にノックすると、

「どうぞ」

 という返答と共に扉が開く。

「第十一艦隊司令官ウィッチャー中将と、副官アリス・トラバース中尉です」

「ようこそ、お出で頂きました」

 迎えたのは、帝国軍大将の軍服を身につけたクリーム色の髪の壮年の士官だった。

「ご無沙汰しております、ジークマイスター大将閣下」

「敬語は不要です。今のところ私は唯の亡命者ですからな」

 ジークマイスターが笑うと、ウィッチャーも髪をかき回しながら笑った。よく交換される愛想笑いではなく、質の良いジョークに対する笑いである。

「部屋が汚くて申し訳ありません。何しろ、少し前にこの部屋に引っ越してきたばかりでして」

「ああ、まあ誰しも引っ越しの直後はそうなるものです。お気になさらず」

 二人は継ぎのあてられたソファに向かい合って座り、コーヒーを飲みながら話し始めた。

「さて閣下、本日はお呼び立てして申し訳有りません。前置きはここまでにして、本題に入らせていただきたいのですが…」

「拝聴しましょう」

「では、既にお聞き及びでしょうから、前後の事情は省きまして、まずはこちらを」

「『フォルセティ侵攻作戦計画書』…これは、昨日司令長官閣下から頂いた…」

「はい。私が亡命した時点で計画されていた物です。現在は恐らく立て直しが進められているでしょうから、艦隊規模については当てにできません。目下、鋭意情報を集めているところです」

「では、一体何故これを?」

「今回閣下にわざわざご足労いただいたのは、帝国軍の司令官について重大な情報をお教えする為です。まずはこちらをご覧ください」

 ジークマイスターは、分厚いファイルをめくり、指揮官の一覧が示されたページを示した。

「遠征司令官は、ヨアヒム・フォン・カストロプ公爵大将、参謀長にヴィルヘルム・コーゼル少将…」

「その下に、クリストフ・フォン・ミヒャールゼンという名前があるでしょう?」

「ええ、確かに」

「…話というのは彼のことなのです。そこには無論書いてありませんし、このことを記録に残している者は誰もいません。閣下もそれをご承知おき下さい」

「…分かりました。どうぞ」

「彼は、クリストフ・フォン・ミヒャールゼンは…内通者です。私と同じ志を持ち、帝国への諜報網を指揮する、スパイなのです」

 

 クリストフ・フォン・ミヒャールゼンは、ジークマイスターと世代を同じくする将官で、男爵の爵位を持つ貴族の一員である。

 帝国軍内において、平民よりも貴族の方が遥かに出世において優遇されているのは言うまでもないことだが、その中でも無論厳然たる格差が存在する。男爵という貴族社会においては下層部に属しながら、比較的若くして中将にまで出世できるあたり、彼も決して無能では有り得ない。

 ジークマイスターによれば、彼は統帥本部の参謀将校として活躍し、艦隊編成に非凡な才能を発揮していたという。

「ですが、彼は有能であるが故に、帝国を蝕む現実に耐えられなかったのです」

 ジークマイスターはそう言葉を続けた。

 

 ダゴン星域会戦以来、同盟が腐敗の一途を辿るのと同じ様に、帝国もまた長い歴史の中で緩やかに崩壊しつつあった。「晴眼帝」マクシミリアン・ヨーゼフ二世、「元帥量産帝」コルネリアス一世、「亡命帝」マンフレート二世等、数多の名君を輩出しながらも、暗君と暴君の数は更に多く、名君達が作り上げた厳格な法や統治制度は、次の代には埃を被り、改革の成果は無に帰した。

 だが、仮に皇帝が無能であるだけならば、帝国はまだ比較的マシな状態を維持し得たであろう。それ以上に深刻であったのは、社会のあらゆる面で重大な責任を担う、帝国貴族そのものの質的劣化であった。

 かつて帝国の創業を担った功臣達は、それぞれが新しい国家の中で名誉ある地位を占め、そしてその地位は彼らの功績と能力に相応しいものである筈だった。

 が、幾世代にも渡る継承の果てに、子孫達は先祖達から受け継いだ地位に比して余りにも卑小な存在へと堕落した。

 かつて権利と表裏一体であったノブレス・オブリージュの精神は既に失われ、帝国貴族は単に特権を貪るだけの社会的寄生虫の集団に成り下がったのである。

「その様な劣化と腐敗の象徴こそが、この星系侵略作戦なのです」

 ジークマイスターによれば、この星系侵略作戦は、凡そ戦略的意味を見出せぬ、単なる功績の為の軍事行動に過ぎないのだという。

「ヨアヒム・フォン・カストロプ公は、帝国指折りの名門の一つの出身ですが、当人がその名門に相応しい能力を持っているのかは大変疑問ですな。公爵号にも足りないのですから、大将など到底務まる男ではありますまい」

「ふむ」

「今回の侵略も、彼の爵位相続と大将叙任に箔をつける為の物に過ぎないのです。今回の一万隻から二万隻という、微妙な数の動員がそれを如実に示しています」

 選挙の為の戦争とどちらがマシだろうか。ウィッチャーはそう考えた。

 貴族の愚行は貴族が勝手にやることで、民衆は責任のない純然たる被害者である。だが、民主共和政府の愚行は、民衆の信頼を受けて選出された政府がそれを裏切ることで起こる。

 より救いが無いのは後者だろう、と彼は結論付けた。何しろ、裏切り者を選んだのは民衆であり、民衆はその責任を負う立場にある。となれば、選挙の為の戦争とは、関わる者全てが度し難い低脳か、非難されるべき裏切り者なのだ。

「私と彼は、そんな腐敗し切った帝国の中で死ぬのは嫌でした。彼らの愚行によって、平民が血を流し、一度の戦いで数十万人の孤児や未亡人が生まれる。そのような不条理を終わらせなくてはなりません」

「そうですな」

 肯定はしたが、ウィッチャーは心中強い嫌悪感で身を灼いていた。

 彼らはあえてこの侵攻計画を促進し、同盟政府の信用を得る為の道具にしようとしているのではないか。そんな疑いが話を聞くにつれて強まっていく。

 敢えて帝国軍にリークして、自身の組織の存在をアピールするのは確かに愚行だ。理性で見ればそれは間違い無い。

 しかし、それでも根底にある良心が理解と納得を拒絶する。止めることが出来るのに、止めないどころか道具として利用する。それでは同盟の為政者達と、帝国の堕落した貴族達と何が違うだろうか。

「…敵が侵略を止める可能性は無いでしょうか」

「というと?」

「閣下の亡命によって侵略計画そのものが漏れたと考えて、そもそも軍事行動をやめると言う可能性です。仮に一万隻が二万隻になったところで、敵がそれを知っていれば三万隻で待ち受けることができる。そうなれば壊滅の運命が待つだけですから」

「……恐らく、その可能性は薄いでしょう。何しろ、彼らは歪んだプライドと、肥大した自己を持て余していますから」

「そうですか」

 もはや話すべきことは無い。彼は立ち上がり、部屋を出ようと扉に手をかけると、何かを思い出したようにジークマイスターに尋ねた。

「閣下、私は勝てるでしょうか」

「お勝ちになります」

 ジークマイスターは、揺るぎない確信を込めてそう言った。

 

 「閣下、その…」

「なんだね、アリス君」

「ジークマイスター提督をご覧になって、どの様に思われましたか?」

 度し難い人間の屑だ、とは言えない。

「あまり好きになれる人ではなかったね。態度は紳士的だけど、中身が少し、いや、大分駄目だな」

「そうですか」

「あの人はどうも、戦争を謀略の道具とみなしているようだ。その辺りが、性に合わないのだろうね」

 艦隊司令部に戻る車の中で、ウィッチャーはアリスに言った。

「私の想像が間違っていればいいのだが、彼とミヒャールゼン提督は、実のところ、例の侵攻を愚行と知りながら後押ししてるんじゃないかな」

「といいますと?」

「つまり、貴族の面子のための侵攻を煽りつつ、此方に情報を流す。そして、我々同盟軍がそれを完膚なきまでに叩きのめすんだ。そうしたら、彼らは同盟政府の信頼と、帝国貴族の権威失墜と、二つの利益を得られるというわけさ」

「まさか。遠征は提督の亡命時点から既定のことだったんでしょう?」

「確かにその通りだ。だが、私が帝国軍の、ええと…統帥本部総長なら、大将クラスの軍人が亡命した直後に、侵攻作戦をそのまま実行しようとは思わないね。いくら公爵家の面子があったとしても、それは別の機会に立てればいいことだ」

「……」

「もしも、規模はどうあれこの作戦が行われるとしたら、それには大きな何某かの影響があったとみていいだろう。ジークマイスター提督と、ミヒャールゼン提督の二人が、帝国と同盟を繋ぐ謀略の糸を引いている。今から少し後に起きるであろうフォルセティ星域会戦は、二人の構想する宇宙実現の第一歩というわけだ…」

 彼の予想は、何某かの根拠があったわけではない。ただ他人の心中を妙に疑る、ひねくれ軍人特有の悪い癖に近いものであった。

 その予想がほぼ完全に真実を言い当てていたことを、彼は生涯知ることはなかった。

 

 二人が艦隊司令部に戻ると、そこは俄に騒がしくなっていた。何事かと思い元を辿ってみると、どうやらシミュレーションルームからの様だ。

「何事かな?」

「司令官閣下!お帰りなさいませ」

 見れば、戦術シミュレーターの観客席は人で埋まっている。皆が熱っぽくあれこれと話し合っている様だ。

「ちょっと、見せてくれないかな」

 ウィッチャーが前に身を乗り出すと、そこには信じ難い光景が広がっていた。

 戦力比味方九〇〇〇隻対敵二万五〇〇〇隻。通常ならば勝利は絶対にありえない。だが…

「同盟軍の勝利…」

 眼前のシミュレーション結果は、味方の完全勝利を伝えていた。

「誰だ、このシミュレーションをやっていたのは!」

 彼が叫ぶと、見ていた幕僚達は黙って片方のプレイヤー席を示した。そこから出てきたのは、燃える様な赤毛と、コバルトブルーの瞳を持つあの鮮烈な美男子ー

「アッシュビー候補生か!」

「お帰りなさいませ、閣下」

 アッシュビーは涼しい顔で彼を迎えた。簡単過ぎる問題を与えられた学生の面持ちだった。

「いや、すごいな。私達は何度やっても勝てなかったと言うのに。一体どうやったんだい!?」

「落ち着いて下さい、閣下。小官が勝てたのは、これのおかげです」

 彼は一冊のファイルを取り出し、ウィッチャーに手渡した。

「これは、私が作った対応戦略マニュアル…」

「まあ、経過を見てもらえればわかりますが、こいつはちょいとペテンの類ですがね」

 アッシュビーはシミュレーターの機能のうち、巻き戻し機能のスイッチを入れた。

「では、ご覧頂きましょうか」

 マジック・ショーの魔術師の様な声音で、彼は再生ボタンを押した。

 

 シミュレーション地形はフォルセティ星域のそれに合わされている。恒星が極めて不安定で、頻繁に恒星風が吹き荒れる他はこれといって特徴の無い星域だ。

 同盟軍と帝国軍は、当初恒星を隔てた向こう側に布陣し、地理に勝る同盟軍が迂回してきた帝国軍を迎え撃つ形で接敵した。

 接敵した同盟軍は、凹形陣を取る帝国軍に対して凸形陣を取って最大船速で後退、一方帝国軍もそれに応じて全速力で進撃し、半包囲体制を敷こうとする。

「見事なものだ。ほぼ三倍の敵軍相手に、損害を抑えつつ善戦している」

「まだまだこんなものではありませんよ」

 アッシュビーは意味ありげに微笑んだ時、同盟軍艦隊の動きが変わった。

「何だこの動きは」

 同盟軍の艦隊は、陣形を維持しつつ、不可解な艦隊行動を始めた。艦船の列を入れ替えたり、或いは進路を途中で故意に曲げるなど、全く意味のない行動を繰り返している。

「さあ、この後です」

 数秒後、同盟軍は猛然と前進を開始した。敵の中央と右翼の連結部に砲火を集中し、突破を狙ったのだ。それに対して帝国軍はー

「停止した、だと!?」

 ウィッチャーは驚愕の叫びを漏らした。同盟軍が反撃に転じた瞬間、帝国軍の艦隊は一瞬戸惑った様に進撃を停止し、砲火によって致命打を与えられたのだ。

「ごく数秒でも、隙が生まれればそこから崩れます」

 同盟軍は帝国軍の艦列を分断し、右翼を包囲殲滅すると、そのまま混乱する中央と左翼に襲いかかり、薙ぎ倒した。暫くすると敵の旗艦が撃沈され、帝国軍は組織的戦闘が不可能になったとシミュレーターが判定し、勝敗は決した。

「ふーむ…」

「いかがですか」

「いや、凄いものだが…途中帝国軍の艦隊が機能を停止した瞬間があったね。あれが無ければ勝てなかったのじゃないかな」

「あれは偶然ではありませんよ。シミュレーターの人工知能の癖を読んだんです」

「癖を読んだ?」

「貴方から頂いたマニュアルにヒントが、そして過去のデータに答えがありました。この艦隊のシミュレーターの人工知能は、ある一定のパターンの艦隊行動が為された時、一度艦隊を停止させる癖があります。恐らく次の手を計算していたのだと思いますが…そこに漬け込む隙がありました」

「…不可解なあの運動は、確実に人工知能のミスを誘発させる為のものだったのか」

「小官がシミュレーションで無敗の所以も、三分の一くらいはそこにあります。戦闘のデータから敵の癖を読み、僅かの隙をついて撃ち崩すのです」

 こともなげに彼は言ったが、言うは易しにも程がある。そもそも、人工知能の癖など、司令官として十分以上の洞察力を持つウィッチャーさえ、存在に気が付かなかったのだ。いわんや、他の司令部員達をや。

 しかし、この候補生は、司令官さえ気が付かない微小な癖の痕跡を膨大なデータから集め、計算し直し、遂に誰の目にも明らかな程、あからさまな形で戦場に出現させてみせた。

「どうやら、君の中にはリン・パオの天才性と、ユースフ・トパロウルの理論性が共存している様だ。あの二人の天才の才能が一人格に統合された時、こんなにも凄まじい反応を呼び起こすとはね」

 敵の一瞬の隙を見抜いて勝負を仕掛ける才能、膨大なデータから僅かな痕跡を集めて組み直し、一つの結論として結実させる才能、そのどちらか一つをとっても彼は天才と称えられるに値する。

 しかし、彼の中ではそれら二つの才能は、まるで右脳と左脳の様に併存し、無意識の脳梁で結合されることで、一つのまったく別の軍事的才能を生み出していた。

「全く、末恐ろしいというかなんというか…。そうだ」

 確かにアッシュビーの発想はペテンに近い。だが、発想はペテンでも、それを実現できたのは彼の卓越した才能あってこそだ。

 しかし、そのペテンは彼の中にある閃きをもたらした。彼は急いでジークマイスターに電話を繋ぐと、次の様に言った。

「提督、大至急、用意してほしいものがありまして…」

 イゼルローン回廊に配置された哨戒艦隊が、凡そ二万四〇〇〇隻の帝国軍が侵入したことをハイネセンに急報したのは、八月一日のことであった。

 

 八月二日、出動命令を受けた第十一艦隊司令部は、繁忙と一人の憤りで凄まじい熱気に包まれていた。

 艦隊出動に必要な業務は滞りなく進められ、繁忙の方はじきに片がつくであろうが、憤りは容易に収まりそうにない。何しろその憤りの根源は、艦隊の最高指導者の頭なのだから。

「国防委員会の低脳め。二万四〇〇〇隻の敵軍に、三分の二でどう勝てと言うんだ」

 泊まり込み十数日のウィッチャーは、舌打ちと共に怒りの声を漏らした。幾度となくシミュレーションを重ね、策を立てたとはいえ、それでも命を賭けるには足りない。少なくとも、同数以上の戦力を揃え、出来うる限り味方の敗北率を抑える。

 それが、彼の考える司令官としての責任であり、軍人としてのプライドや意識を持たぬどころかマイナスのレベルの彼にとって、その責任感だけが、唯一水準以上に持ち合わせている軍人的美徳でもあった。

「仕方ありません、閣下。最高評議会の決定では、委員長とて何もできますまい。少し前に敵の規模に関する確定情報が齎されていても、彼らは決定を曲げなかったのですから」

 クランヴィルが諌めると、彼は反論しかけ、少ししてそれを引っ込めた。

「緊縮財政とやらか。それで、兵士の命が…いや、真っ先に軍事費を削るのは健全ではある。軍事費を削って社会保障や公共サービスを維持するのに文句は言えない。たとえお題目だけでも…」

「それよりも閣下、お目通しを願いたい書類がまだ大量にございますが」

「君とアリス君とで良き様に処理してくれ」

「そうも行きません。指揮下に入る独立艦隊の司令官達との面会や、分艦隊の編成、その他閣下の公印を必要とされる仕事は山のように有るのです。最高評議会の指揮権を云々するより前に、やるべきことをなさってはいかがですか」

 この官僚風の男は、誰に対しても遠慮というものがない。恐らく、目の前に銀河帝国皇帝がいても同じ様な口を聞くだろう。

「やれやれ、君は相変わらず直言を憚らないねぇ…。まあ、確かに言う通りだ。仕事を進めよう」

 結局のところ、同盟政府は事前に提示した戦力より一兵も多く派遣することも、削ることも無かった。

 八月九日にハイネセンを進発した第十一艦隊の艦艇数は一万二三〇六隻、人員にして一三五万人。この後、エリューセラ星系の補給基地で凡そ四〇〇〇隻の増援艦隊と合流し、然る後にフォルセティ星系に向かう算段であった。

 接敵予想日は、八月二十一日である。

 

 八月一日。イゼルローン回廊。

 「イゼルローン回廊出口に複数の艦影を確認。叛乱軍の哨戒艦です!」

「旗艦に報告せよ。我回廊出口に到達せり、とな」

 クリストフ・フォン・ミヒャールゼンは、そう命じながら内心ほくそ笑んだ。

 帝国軍をこの無謀な遠征に駆り立てるまでに、彼は少なからぬ労力を支払った。慎重を期すべきだという口煩い提督達を黙らせ、プライドだけは一丁前の青年貴族達を煽り立て…そして、組織の力で得た統帥本部の穴を通じ、上層部の足元を掬い取った。

 その代償として、兵力の倍増と才幹ある提督の配備を受け入れざるを得なかったが、そうした情報は手ぬかりなく同盟の同志に伝えてある。

 そして、彼自身の身の安全も無論手配し終えていた。いざとなれば、そのまま同盟に亡命することも可能である。

「後は負けるだけだな」

 無論声には出さない。だが、事実ことは全て彼の、いや彼らの思う通りに進んでいた。仮に同盟軍が余程の無能でない限り、帝国軍は手酷い反撃を受け、惨めに敗北するであろう。

 その時こそ、人類に新しい時代を齎す彼らの戦いが、真に始まる筈だった。

 故に八月一八日に至って、同盟軍の兵力を確認したミヒャールゼンは愕然とした。最低一万二〇〇〇隻から、最高でも一万八〇〇〇隻未満という余りに少ない戦力は、用兵家としてはごく常識的な感性と発想を持つ彼にとって、情報を知る者が迎撃に出すには異常なものと言えた。

 二万隻の艦隊が来ると知りながら、同数ならまだしもよもや少数の戦力で迎撃に出てくるとは!

 無論ミヒャールゼンは、国防委員長の政治生命だの、緊縮財政をめぐる最高評議会のやりとりなど知らない。だが、ここに至って彼はある種少年の如く純朴な同盟への憧れを醒さざるを得なかった。

「まさか、規模に関する情報がうまく届かなかったのか?」

 遠くオーディンからフェザーンを経由してハイネセンまで情報を届けるのは、それこそ難行である。途中何らかの事故があったとしてもおかしくはない。

 私室で彼は考え込んだが、情報は基本的には一方通行である。未だ彼らを信用していない同盟軍が、敢えて流してやる理由は無いし、実際にそうだった。神ならぬ彼が全ての事情を察せるはずもない。

「いずれにしても、私と味方の情報は流せるだけ流した。後は任せるより他に無い…」

 せめて、同盟軍の指揮官がこちらの意図を汲み取れるほどには有能であってくれ。ミヒャールゼンはそう祈った。

 

 そんな期待を一身に背負う同盟軍の指揮官は、八月十七日にエリューセラ星域で援軍と合流した後、フォルセティ星域に近づきつつあった。八月二二日のことである。

「間も無くフォルセティ星域に入ります」

「宙域の監視衛星群に反応は?」

「今の所、確認出来ておりません」

 アリスの報告を聞きつつ、ウィッチャーは考え込んだ。敵艦隊は何処の宙域から入って来るだろうか。予め侵攻ルートと目的地が分かっている為、事前の設営は容易ではあったが、その場で指揮官が決定する部類のものは判断出来ようはずもない。

「なるほどねぇ…」

「そういえば閣下」

「ん?」

「閣下がジークマイスター提督にお願いしたものは届いたのでしょうか?」

「ああ、もう手元にあるよ。いざとなったら使える様に支度もしてある」

「そうですか」

「さて…敵さんはどこから来るかなぁ」

 何十回目かの問いを発した時、オペレーターが鋭く叫んだ。

「G-二三宙域の監視衛星に艦影多数!総数二万隻以上!」

「識別信号は」

「識別信号無し!艦型から見て、敵軍の可能性大!」

「現れたな。全艦隊、G-二三宙域に向けて転進する」

 旗艦ムーランからの通信を受けた各艦は、陣形を再編しつつ動き出した。太陽を後方に控えて敵の迂回を阻止しつつ、正面から決戦に臨む算段である。

「さて、まず第一段階はクリアですな」

「アッシュビー候補生、いたのかい」

「ついさっきまで、看護婦から手当を受けておりまして」

「やれやれ、どうコメントしたらいいやら…。まあ、確かに君の言う通りだ。だが、ここからが本番だな。本当に敵の指揮官の中にミヒャールゼン提督がいて、戦闘中に勝利を誘導してくれるのかどうか」

「信じておられないのですか?」

「何しろ、私は目が悪いからね。帝国軍の戦艦の違いなんてものは分からないのさ」

 ウィッチャーが投げ出した書類の中には、ジークマイスターからの情報が記されている。そして、とある一文に赤線が引かれていて…

「『右翼の指揮官はミヒャールゼン提督であるから、攻撃は控えられたし。彼の方でも、同盟軍の勝利のために手を打つ』ねぇ…」

 此方の作戦は向こうに流していない。果たしてそれを汲み取れるくらいには、ミヒャールゼン提督は優秀なのだろうか。そう考えつつ、ウィッチャーは戦闘のプランを改めて組み立て始めた。

 

 同じ頃、帝国軍のレーダーも同盟軍の艦列を捕捉していた。

「恒星フォルセティを背に遊弋する、叛乱軍と思われる艦列を捕捉しました。距離、凡そ七〇〇光秒。艦艇数、約一万六〇〇〇隻」

「全艦隊に第一種戦闘配備命令」

 ヴィルヘルム・コーゼル少将は、空席の総司令官席を見つつ命令した。

「やれやれ、酷い命令を受けてしまったものだ」

 彼は二〇代前半の若き総司令官の姿を思い浮かべた。弛んだ頬に細い目、若さや精悍さとは凡そ無縁な貴族の御曹司。そして、今はワインの飲み過ぎからくる二日酔いで、延々トイレで嘔吐を繰り返している。

「なんと間抜けなことか」

 ヨアヒム・フォン・カストロプ公爵の不幸な代理人は、各分艦隊の司令官を呼び出す様、オペレーターに命じた。

 

 後に平民出身の将官の草分け的存在として、戦史に名前を残すヴィルヘルム・コーゼル提督がこの戦いに参戦したのには、些か間抜けな経緯がある。

 元々この軍事作戦は、大した戦略的意味を持ってはおらず、若くして公爵号を相続したカストロプ公ヨアヒムの経歴に箔をつけるため、皇帝が温情をもって下賜したものであった。

 ヨアヒムはルドルフ大帝以来の名門にして、ブラウンシュヴァイク公爵家と並び称されるカストロプ公爵家の当主としては、余りにも大き過ぎ、また小さ過ぎた。

 彼はいわば新世代の貴族である。といっても、決して良い意味合いではない。肥大した自尊心と欲求を抑制されずに育ち、歪んだ貴族としてのプライドを振り翳して特権を貪る一方、貴族としての義務を放擲して憚らぬ腐敗した存在。その筆頭と言える人物だった。

 今回の遠征においても、ヨアヒムはその生まれついての『誇り高さ』を十二分に発揮し、ジークマイスターによる情報漏洩を危惧し、遠征を止める様主張する閣僚達にかくの如く宣うた。

「卑劣な裏切り者によって僅かな情報が漏らされようとも、叛徒どもが大神オーディンの加護を受けた神聖な帝国軍を撃破することは無論、傷一つつけることも出来まい。それに考えてもみよ、神聖な帝国語の複雑怪奇さを。叛乱軍の粗野な言葉しか分からぬ奴らが、帝国語で作られた暗号文や命令を傍受したとて、理解することなど決してできぬ!」

 この様な主張を聞いた軍務次官シュラーブレンドルフ大将は、唖然として周りの官僚達を見回したが、彼らはカストロプ公爵に逆らう愚行を犯さず、拍手をもってその主張を是とした。

「小官は、公爵の勇敢さと武略を高く評価致しますが、それでもなお敵の実力を侮り難いものと考えます。今から三〇年前にも、シャンダルーア星域にて帝国軍は叛乱軍の奸計により、大敗を喫したではありませんか…」

 軍人としての見識と人間としての良心に基づいたシュラーブレンドルフの諫言は、若い貴族の痛烈な反撃と、皇帝をはじめとした上位者からの忌避によって報いられた。

 激昂したヨアヒムは、皇帝ウィルヘルム二世と軍務尚書ケルトリング元帥を動かして彼をオーディンの軍務省から辺境のアイゼンフート軍管区へ左遷させ、その上で二度と戻って来れぬ様に現地での予備役編入を行わせた。

 無論この良心の人の追放にはミヒャールゼン率いる組織の暗躍があったのだが、それを抜きにしても当時のカストロプ家の権力の強大さは凄まじかった。

 しかし、その一方で単なる操り人形に甘んじるほど帝国軍は無能惰弱な組織ではなかった。ミヒャールゼンの激しい妨害も虚しく、寧ろ御曹司の確実な成功を期する為にこそ、上層部は兵力の大幅な増大と、優秀な指揮官を補佐役として登用したのである。

 コーゼルが参謀長として選ばれたのは、そうした貴族同士の配慮と思惑の結果であった。彼は平民出身であり、貴族の功績を横取りする心配が無いー無論逆の事象は横行していたがー上に、身分の壁を超えて昇進した分能力に疑問は無い。

 本人はこんな馬鹿げた遠征に参陣し、更に馬鹿げた貴族のお守りをするなど真っ平御免の心境だったが、命令である以上は従わざるを得ない。少なくとも、平民の将官としての誇りがそうさせたのだった。

 

 コーゼルが各艦隊の指揮官達に指示を与えるべく通信回路を準備していると、息切れと乱暴な足音が通路の奥からやって来た。

「総司令官、お戻りですか」

「…うむ」

 そう重々しく返事してみせたのは、ヨアヒム・フォン・カストロプ公爵大将閣下である。若々しさを感じさせるのは、精々鮮やかな赤毛くらいのもので、弛んだ頬と二日酔いのどろんとした瞳は、長い歴史の放つ腐臭と、退嬰の生きた実例と思われた。

「今から各分艦隊へ通信回路を開きます。戦闘の前に、全軍将兵に対しお言葉を頂戴したく」

「わかった…うぇっ」

 回路が開くと、スクリーンに数名の指揮官の顔が現れた。それを見つめるヨアヒムの瞳は、部下に対するやる気や慈愛ではなく、どこか投げやりで面倒臭げであった。

「これはこれは総司令官閣下、調子はいかがですかな」

「クロプシュトック殿。今から総司令官がお話になるのです!」

 開口一番嘲笑を交えたセリフを叩きつけたのは、艦隊の左翼に陣取る分艦隊司令官ヒルベルト・フォン・クロプシュトック、これまたルドルフ以来の名家クロプシュトック侯爵家の一門である。

 彼はカストロプ公に随伴する軍指揮官を選ぶに際し、その父親ーつまりはクロプシュトック侯ーからの強い「政治的」推薦で任命された人物である。軍人としてのキャリアはヨアヒムより長く、指揮官としての能力は、コーゼルから見ても相応に見るものがあったが、やはりそれでも彼の父親は息子のことを見誤っていたといえよう。

 何しろ、彼には二つの悪癖があった。尊大であることと、独占欲である。

 尊大さも独占欲も、「上級貴族の若僧」(シュラーブレンドルフ談)に共通する性格ではあったが、ヒルベルトの場合は度が過ぎていた。彼は才能や責任感においてはヨアヒムの数倍優っていたが、前二者に関してはヨアヒムさえ凌駕していた。

 彼は自身の立場が銀河帝国皇帝に次するものであると半ば信じ込んでいたのである。

 儀礼上彼は二〇代前半で帝国軍中将の地位にあったが、それ以前の佐官時代から将官以上の扱いを公然と求め、周りもそれに応えざるを得なかった。

 ミヒャールゼンは一度ならず、この実績も何もない男が、歴戦の諸提督を差し置いて指揮権を主張し、強引にそれを奪おうとしたことを目撃している。

 これは、なんとしても自分がその場における最高上位者でありたいという感情と、今一つ、功績を独り占めしたいという異様な欲望の発露であった。

 彼は分かち合うということを知らぬ。全てを独占しようとする。…だからこそ、敵が漬け込む余地も大きい。

 期せずしてコーゼルとミヒャールゼンは、同じ感情を抱いた。全く別の方向を見ながら。

 

 結局、演説らしい演説などなかった。ヨアヒムが途中で嘔吐を催し、退場してしまったからである。失望とともに通信回路を切ったコーゼルは、指揮卓に手をついて首を振った。

 総司令官はこの体たらくだ。左翼の指揮官は能力は多少あるが協調性に欠ける、右翼の指揮官は運営畑で実戦には不向き、中央前衛のゲルズドルフ准将は多少信用できるが、それでも限界というものがある。

「俺が全て指揮できたなら…」

 仮にそうできたなら、フォルセティにおける勝敗はところを変えていたはずである。それだけの才幹が彼にはあったのだから。

「敵艦隊接近!」

 オペレーターの大声と、神経質な警報音が環境に鳴り響いた。

「距離は!」

「距離、八四光秒。間も無くイエローゾーンに侵入します。接敵まで後二〇秒」

「射撃用意。直ちに総司令官をお呼びしろ!」

「三、二、一、完全に射程距離に入りました!」

「撃て!」

 コーゼルが腕を振り下ろした瞬間、帝国軍の砲門から光の槍が解き放たれ、同盟軍の艦列を貫いて幾つもの破壊の宝珠を輝かせた。

 そして次の瞬間、今度は同盟軍から放たれた獰猛な光龍が帝国軍の艦艇を噛み破り、一時の超新星を作り出すと、やがて数多の命と共に空虚な闇へ消え失せる。

 帝国暦四一九年、宇宙暦七二八年八月二二日一〇時十五分。後に両者の栄光と汚名の分かれ目となる、フォルセティ星域会戦の幕が切って落とされた。

 

 会戦が始まった当初、帝国軍は凹形陣をとり、同盟軍は凸形陣によってこれに当たった。兵力で勝る帝国軍と、兵力集中を必要とする同盟軍にとっては両者ともに至当な陣形であり、それぞれ包囲と防御、あわよくば突破によって戦況の優位を確保しようとしていた。

「司令官、敵は三方から我々を包囲しつつありますぞ」

「後退しつつ砲火を集中。それから、攻撃を受ける先端部に装甲の厚い戦艦を集め、小型艦は後方からミサイルと主砲で攻撃させろ」

「はっ」

「ところで参謀長、敵の攻撃のパターンに何か気がつくことは無いか」

「…どうやら、左翼方向の敵の攻撃は、数こそ多いですが狙いが甘く、ほとんど我が軍に損害を与えられていない様です」

「宜しい。では、敵右翼に砲火を集中させるとしよう。ムーランも前進させてくれ」

 ウィッチャーの指揮の下、同盟軍は動き始めた。数以外ほぼ全てにおいて優位を確保している彼らは、的確な攻撃で帝国軍を火球に変えていく。

 だが、帝国軍も無抵抗平和主義の信奉者ではなかったから、無遠慮な平手打ちに対して更に両頬を殴りつけることで報いた。

「三方向の砲火を敵艦列の先頭に集中しろ!両翼は最大船速で敵の側面に回れ!…ええい、総司令官はまだ戻らんのか!」

 コーゼルの指示は的確であり、帝国軍中央は秩序立った行動によって損害を抑えつつ、苛烈な攻撃によって同盟軍に出血を強いた。

「撃て!撃て!敵に肉薄して、チシャの様にビームで刻んでくれる!」

 ヒルベルト率いる左翼艦隊も、剽悍極まる戦いぶりで敵に肉薄した。速度で勝る駆逐艦を高速で突進させて戦艦にミサイルを叩き込み、時に自身さえも巻き込みつつ一隻一隻葬って行くのである。

「これは、これは。敵もやるものだな。恐らくは、あの平民の参謀長の手腕なのだろうが」

 ウィッチャーは苦々しく呟いた。現在戦況はほぼ完全に拮抗しているが、双方の指揮官の能力に優劣が無ければいずれ数で勝る帝国軍が優勢になる定めである。

「帝国軍が左翼、中央、右翼の連携を欠き、それぞれが得手勝手に行動しているのが唯一の救いだな。なんとかして各個撃破に持っていきたいところだが…。君ならどうするね、アッシュビー候補生」

「そうですな、差し当たって勝機が現れるまでは、この戦闘を続けるより他無いでしょう」

「その通りだな。一先ずフェイズ三へ達する迄は、このまま戦うしかないか」

 一方、コーゼルの方も苦々しさを禁じ得なかった。見れば、味方は統一的な連携が取れず、中央の攻撃に両翼が呼応できていない。右翼は積極性を欠くこと甚だしく、逆に左翼は猪突によって陣形を崩しつつある。

 同盟軍はそれを巧妙に利用して味方の損害を減らしながら、逆に突出してくる帝国軍の艦列を集中砲火で潰し、戦力を削り取っていた。

「叛乱軍も中々やってくれる。いや、此方とは違って向こうは有能揃いだろうからな…」

「参謀長、戦況はどうだ?」

 やけに能天気な声が後ろから彼の聴覚を引っ掻いた。

「総司令官、体調はよろしいのですか」

「うむ。まだ多少不快感が…残ってはいるが、いつまでも留守にはしておれぬ」

「閣下、今の戦況はこの通りです。我が軍は敵を三方向から包囲しつつありますが、敵は後退し、同時に我が軍の艦列に穴を開けて損害を強いています」

「左翼が前に出過ぎているのではないか」

「はい。願わくば閣下御自ら、クロプシュトック卿に命令して頂きます様お願い申し上げます」

「うむ」

 他方、ヨアヒムからの命令を受けたヒルベルトはいきり立った。

「何!?今更総司令官が俺に命令だと!ふざけるな、昨日まで宴会三昧で、先程は二日酔いの嘔吐で話もできなかったではないか!」

「閣下、落ち着いて下さいませ」

 分艦隊参謀長のレフィオア准将が、歯軋りする若い上官を抑えにかかる。

「閣下、叛乱軍は巧妙にも我々の突出を受け流し、陣形を崩そうとしています。今、我々の艦列は伸び切り、このままでは崩壊しかねません!此処は一度退いて陣形を立て直すべきです」

「クソッ!ヨアヒムの酒樽野郎め!」

 ヒルベルトの分艦隊が撤収の為後退を始めると、ウィッチャーはすかさずスパルタニアンの発進を命じた。

「敵が後退に転じる隙を突いて、スパルタニアンで指揮系統を撹乱するんだ。そして、突出部先端で孤立した敵艦を潰せ」

 長い間帝国軍に対し守勢を保ってきた同盟軍は、溜まっていたフラストレーションを一挙に解放し、ミサイルとビームの嵐を撤収しつつある敵に叩きつけた。

「敵軍には追撃に即応して反撃するだけの能はない!容赦無く沈めろ!」

 この攻撃を担ったウォルサム分艦隊は、保有する火砲の実に八割を稼働させ、光の壁によって帝国軍を「押し潰し」た。

「ええい!敵に反撃せんか、この馬鹿者め!」

 実際、この場面に限って言えば同盟軍は彼らに対して指揮統率の面で圧倒的優位にあり、迅速と拙速とを混同した無秩序な撤収を図った彼らを一方的に薙ぎ払い、鏖殺した。

「あの憎たらしい駆逐艦を沈めてやる!」

 戦艦に肉薄攻撃を行っていた駆逐艦は、今や最大の怨敵であり、スパルタニアン部隊にとって最優先の目標であった。

 ウラン238徹甲弾をミサイル発射口へ撃ち込まれ、瞬く間に艦船全体が誘爆により消失する。

「ふむ、敵の指揮官はどうやら優秀らしいな」

 安全な右翼から、次々と原子に還元する左翼の僚友を眺めながらミヒャールゼンはそう論評した。見たところ、ヒルベルトの分艦隊はかろうじて秩序を保ってはいるが、壊乱の一歩手前である。このままでは、組織的戦闘が不能になるのも遠くはないだろうと思われた。

「司令官、中央より入電です!」

「何と言ってきた」

「『叛乱軍右翼に向けて前進し、僚友の転進を援護すべし』とのことです」

「なるほど。敵の右翼を脅かして、追撃を止めさせろと」

 此処で断れば、要らぬ疑いを招くことにもなりかねない。やむを得ないな、とミヒャールゼンは口中で呟き、全艦に前進を下命した。

「敵左翼!前進して来ます」

「ふむ、いったいどういうつもりだろうね」

「思うに、『そこらへんでやめておけ』という忠告ではないでしょうか」

「…そうだね。我が軍の右翼に命令。追撃をやめ、艦列を再編するんだ」

 幸いにしてミヒャールゼンの意図は、ウィッチャーとアッシュビーによって完全に看取され、彼は裏切り者の汚名を早い段階で着せられずに済んだ。

 同盟軍右翼は、憤激するヒルベルトを尻目に後退して艦列を再編し、再び中央に向けて攻撃を開始した。

「スパルタニアンの帰還率は九八パーセント、敵味方の損害比は今のところ我が軍の圧倒的優勢です」

「よしよし。…アリス君、ちょっと緑茶を持って来てくれないかな。眠くなって来た」

「はい、今すぐに」

 同じ頃、コーゼルも息を吐いた。左翼の味方は救われ、強かな損害を被ったものの未だ兵力的優勢を確保している。

「参謀長、この後はどうする?」

「一度敵軍から距離を取って陣形を再編します。その後、引き続き三方向から圧迫し、恒星フォルセティに追い込みましょう」

「よかろう。私は気分が悪い故、しばしの間指揮を委ねる」

 二三日五時二〇分、両軍は攻勢を緩め、戦闘は一時の小康状態に入った。

 

 翌二四日八時三分。帝国軍は再び同盟軍に対し攻勢に出た。コーゼルの作戦は、「敵を恒星まで追い込んで完全に包囲する」という明確なもので、それはほぼ完全に同盟軍首脳の洞察するところであった。

「というより、それ以外に取るべき道がないのさ」

 劇的な作戦を遂行するには、帝国軍は指揮官の能力も不可欠な指揮官同士の連携も協調性も余りに足りない。数の優位を活かして平押しする他に手は無かった。

 だが、数的優勢による圧倒は古来より用いられて来た必勝の策である。しかも、さしたる練度も経験も必要とせず、ひたすら指示に従って前に向かって撃ち続けるだけで良い。

「ですが、敵は一か八か我が軍が突破に出てくるとは考えないのでしょうか」

「考えるだろうし、それが容易でないことも理解してるはずだよ」

 包囲下の軍が一か八か突撃によって輪を突破する。非常に魅力的な響きの作戦ではあるが、実際に行うのは容易ではない。周りから少しずつ首を締め上げてくる圧倒的な敵軍の存在は、前線の兵士達の心を打ち砕くには充分だ。

「…それで、閣下はどの様な策を持って当たるつもりですかな?」

「内通者殿が意図を読み取ってくれれば、我が軍の勝利は確実だ。そうでなくとも、予備の策は用意してある」

 アッシュビーの挑発的な問いを受け流すと、ウィッチャーは情報士官を呼び、敵の通信の傍受を強化する様に命じた。

「昔から、電子戦の装備は我々が優勢だ。それを精々利用させて貰うとしよう」

 帝国軍の包囲前進に対し、同盟軍は引き続き秩序だった反撃と後退を行い、損害を強いつつも確実に恒星へ近づいて行く。

「敵は確実に後退しつつあります。このペースで後退を続ければ、約六〇時間後に、恒星フォルセティの重力圏内に到達するでしょう」

「うむ。攻撃の手を緩めるな。着実に前進し、味方の損害を抑えつつ敵の出血を増やせ」

 こうした単純極まる作戦においても、コーゼルの緻密な指揮能力は遺憾無く発揮された。ウィッチャーは幾度も敵の無謀な突出を誘ったが、以前の惨めな敗北に学んだか、帝国軍は間断無い遠距離砲撃とミサイル攻撃に終始し、同盟軍に詭計の隙を与えなかった。

 こうなってしまえば、彼としても戦術レベルの指揮に終始せざるを得ず、何とか戦線の優位を維持しているものの、戦略レベルでの逆転の機会を掴むことができなかった。

「おいおい、敵の総司令官はさてはサボっていやがるな」

 まさかそれが完全な真実を言い当てているとは分かるはずもないが、彼は指揮卓で毒づいた。旗艦ムーランの艦橋司令部は、延々と続く防御戦に活力を無くしつつあり、クランヴィルを含めスタッフ達も疲労の蓄積が著しかった。

「ウェイ副司令官も、さぞ苦労していることだろうね」

「損害を出さぬ様再編を繰り返している様です」

「うーむ」

 相変わらず三つの戦力集団は連携せず、それぞれが勝手な攻撃を続けてはいるが、全体の指揮統率と戦略方針はほぼ統一されており、コーゼルの緻密な計画の下、ヒルベルトを筆頭とした勇敢な指揮官達が勇を競っていた。

 特に中央部前衛を指揮するゲルズドルフ准将の攻撃は凄まじく、迎え撃ったイスハーク分艦隊は既に総兵力の二割を失う打撃を被っていた。

「仮に敵が緊密に連携して、三方から集中砲火を浴びせてきたなら、とっくに我が軍は崩壊しているじゃろうな」

 最前線にあって、ウェイはそう呟いた。彼は既に四八時間以上陣頭指揮を取り、帝国軍の攻勢を跳ね除けてきたが、激しい疲労により、その名人芸にも翳りが見えつつあった。

「総司令官に連絡。『吾に余剰戦力無し 来援を乞う』と」

 この通信を受け取ったウィッチャーは、十一時五三分、旗艦ムーランを前進させ、自身が直接指揮する直掩艦隊を率いて最前線に現れた。

 直掩艦隊の規模は艦艇数三三〇〇隻、数はゲルズドルフ分艦隊とほぼ拮抗しているが、殆どは駆逐艦や高速巡航艦であり、戦艦と宇宙母艦の数では劣っていた。

 しかし、彼はここで天賦の戦術指揮能力を遺憾無く発揮し、ゲルズドルフの苛烈な攻撃を三度まで爆砕、僅か二時間強の戦闘でその艦隊の攻撃能力に致命的な損害を与えることに成功した。

「ゲルズドルフ分艦隊、損耗率四割を突破!」

「撤退させろ。…それにしても、敵の何と神経を逆撫ですることか」

 コーゼルは舌打ちしてゲルズドルフを下がらせ、艦列の再編成と補給に取り掛かった。これにより、中央部の攻撃は一時的に緩み、同盟軍先端部は安息を得ることができたのである。

「流石閣下です。ウェイ副司令が二日かけてできなかったことを、たった二、三時間で達成してしまわれた」

「そう買い被られても困るね。ミサイルの残りも心許ないのに」

「ウェイ副司令官から通信です」

 アリスが告げるのとほぼ同時に、スクリーンに隈を濃くした老将の姿が映し出された。

「副司令、随分と疲れている様だね」

「お陰で助かりました」

「イスハーク分艦隊は後方に下がらせる。代わりにウォルサムの分艦隊を展開させよう」

「ありがとうございます」

 元々ウェイは防御よりも攻撃の時こそ真価を発揮するタイプである。確かに、長い軍歴で培われた粘り強い戦いぶりは帝国軍の若造を寄せ付けなかったが、それでも元来の特性を損なうこと著しかった。

 それを知っているからこそ、ウィッチャーは後ろめたさを禁じ得ない。無論作戦では、彼の才幹を最大限に活かす手を考えているのだが、それまでは不本意な防御指揮官に甘んじてもらわなくてはならないのだ。

「人員の損耗を避けつつ、なんとかやって貰うしかないな」

 彼はそう呟いた。

 

 一方帝国軍では、同盟軍に負けず劣らず悩みの種を抱えていた。

 一旦戦線を立て直して艦隊を再構築することに決したはいいものの、コーゼルは再び空になった司令官席を見て暗澹たる気分に陥った。

 既に長い間続いていた地味な戦闘の中で、総司令官たるヨアヒムは再び指揮への関心を喪失し、旗艦ビーレフェルトの第二艦橋に設けた自身のサロンに入り浸っていた。

 無論その指揮能力はコーゼルに遠く及ばず、その方が遥かにマシではあるのだが、それでも軍規や士気に与える影響の大きさを鑑みれば、決して無視することはできなかった。

「サロンで酒を飲み、賭け事に勤しみ、女以外の快楽を好き放題になさっているのはまあ良いが、指揮官としての節度を持って頂きたいものだ!」

 この報を聞いたゲルズドルフの反応は、まだ上下の節度を弁えていたが、ヒルベルトの反応は既に階級と爵位の差を遠く放り投げ、聞くに耐えない悪口と化した。

「ふざけるのも大概にしろ、あのラードの塊め!」

 帝国軍の間に致命的な亀裂が走ったのはこの瞬間である。元々ミヒャールゼンという虫を抱えていた獅子は、遂に前脚さえも捥がれつつあったのだ。

「…仕方ない。当初の作戦通り、再び攻撃をかける。それから、ダメで元々だ、再び総司令官閣下にお出で頂く様お願いしてこい」

 コーゼルは、主席副官のオルドロフ大尉に命じた。この人選は、発令された時点では全く当然のものといえたが、結果から見れば非常に悔やまれる選択となった。

 しかし、超越者ならぬ彼にはこの後に待つ悲劇など知り様筈も無い。

 二四日二三時三〇分、再編成を終えた両軍は、再び光芒の死線へと身を投じた。

 

 八月二五日へと日付が切り替わった時点で、同盟軍と帝国軍、どちらが優位であったか判断するのは難しい。純粋な損害だけを見るならば、帝国軍のそれは同盟軍を遥かに凌駕しており、このままのペースで推移すれば、遠からず二万隻を割り込むのは確実であった。

 しかし、同盟軍は依然として数の上で不利であるのみならず、エネルギーやミサイル等の戦闘物資、及び将兵の士気と疲労の面で限界が見えつつあった。

 クランヴィルが試算したところによれば、二六日の午後にはビーム用のエネルギーやレーザー水爆ミサイル、スパルタニアンのウラン238弾等に欠乏を来すだろうと推定され、そうなれば一か八かの突破さえも不可能になってしまう。

 つまるところ、同盟軍が戦術的に若干優位であるが、それでも戦略の優位性は彼らに味方しておらず、帝国軍と背後の不安との決定的な挟撃が徐々に迫っているという状況であり、ウィッチャーとしては、帝国軍の亀裂と内通を上手く利用して盤面をひっくり返さなくてはならない難行を強いられていたわけである。

 他方コーゼルも、自身の戦略的優勢に安住することはできず、低下の一途を辿る将兵の士気と統制の回復、そして眼前の有能な敵を封じ込める為の戦術行動を同時に行わなくてはならなかった。

 彼にとって総司令官は、最善をぶち壊す後背の敵である一方、士気の回復と全軍の指揮統制には必要不可欠な偶像でもあった。

 この、居て欲しくないが居なくては困るという深刻な二律背反を整合させるのは、恐らく単に敵を撃破するよりも遥かに困難なことであっただろう。

「俺に、そう男爵でもよいから爵位があったなら…」

 もしも彼が平民ではなく、末席とはいえ帝国貴族の一員であったなら、状況は幾分かマシになったはずである。それ程までに帝国における貴族と平民の壁は厚く、絶対的なものであった。

 そうした部分を鑑みれば、未だ悩みが単なる戦闘のことであり、ただ勝利だけを考えていればよい同盟軍指揮官達の方が、多少幸福であったと言えるかも知れない。

 

 二五日十三時十五分。旗艦ムーランの総司令部において、ウィッチャーは一つの決断を下した。

「十八時をもって、最終作戦フェイズ三に入る。今少し待ちたいところだが、参謀長によれば、後二四時間の抗戦も危ういラインだそうだ」

「……」

「少なくとも、この作戦が成功すれば、勝てなくとも私達の多くは生きて帰ることができるだろう。この際、敵の壊滅は諦めて、生き残ることに注力したいと思う」

「勿体無いですな」

 アッシュビーが言った。何処か嘲弄するような気配を孕み、腕を組んで司令官を見据える。

「まあ、確かに勿体無いと言えばそうだ。だが、生憎と私は兵士を犠牲にした勝利よりも、兵士を守り切って軍法会議にかけられたいと思うのさ」

 

 同日十六時、同盟軍は突如戦線を縮小し、後退のスピードを早めた。その様子は、ある者が見れば逃走に見え、ある者が見れば誘因の為の偽装と見えただろう。

 そして、コーゼルは後者の部類であった。

「逃走にしては些か秩序立っている。あれは擬態だ」

 彼の判断は正しく、ヒルベルトを含めた帝国軍は、無茶な追撃を避けて整然と攻撃を加え続ける筈であった。

「…突撃せよ」

 アルコールの精が宿った粘っこい声が、艦橋に響いた。

「まさか…」

「閣下!総司令官をお連れしました!」

 オルドロフは誇らしげに胸を張った。彼はやり遂げた、総司令官を言葉を尽くして前線に立ち戻らせたのだ。しかし、その手口はー総司令官に戦況を誤解させるという手口が、結果的に致命的な敗北の原因となってしまったのだ。

「オルドロフの申す通り、敵は潰走している!突撃だ!突撃して、一気に敵を突き崩せ!」

「閣下、お待ちを…」

「ええい!早くせんか!」

 アルコールによる異常な精神の高揚は、ヨアヒムから無気力さと怠惰さを奪ったが、その一方で僅かに脳味噌の裏側にこびりついていた思慮を完全に欠落させた。

 彼がコーゼルによる緻密な戦略を破壊し、最後の致命的な命令を「通信によって」発令したのは、一七時五六分のことである。

 

 この通信は即座に帝国軍の全艦隊に伝えられると同時に、電子戦装備で勝る同盟軍の傍受するところとなった。

 程なくして無秩序な突進を開始した帝国軍中央の姿を見た、「所属は違えど立場を同じくする」三人は、期せずして全く同じ台詞を吐いた。

「今だ!」

 そして、彼らは互いの共通の勝利の為、最善の行動を取ったのである。

 

 「全艦、最大船速で後退。中央艦隊との距離を取れ」

「…は?」

「聞こえなかったのか」

 ミヒャールゼンの不可解な命令に対し、副官が反応し切れずにいると、オペレーターが絶叫した。

「閣下、敵です!叛乱軍凡そ一万五〇〇〇隻が、我が艦隊と中央の連結部に突進してきます!」

「全艦後退!敵の攻撃をまともに受けるな!」

 ミヒャールゼン艦隊の後退により、中央部と帝国軍右翼の間には、致命的な間隙が生じた。そして、中央部右翼は味方の不可解な後退を糺す間も無く、一匹の光龍と化した同盟軍に呑み込まれたのである。

「全艦隊、最大船速。敵中央部と左翼部に生じた間隙を突破し、敵の後背を半円状に回り込む。そのまま孤立しつつある敵右翼に突撃!」

 ウィッチャーの命令一下、同盟軍は戦力を紡錘陣形に再編し、ミヒャールゼンの後退によって生じた人工的な間隙に、戦力の全てを叩きつけた。

 互いに一切の相談もなく生じたこの無言の連携は、まさにそのタイミングにおいて「天佑」とも言うべき絶妙さであり、主役を務めた三者の非凡な才能を証明する雄弁な証拠であった。

「全艦砲火とミサイルを集中!敵を突破し、一挙に包囲するぞ!」

 ウェイの号令に高揚したウォーリックは、さらに言葉を続けて叫んだ。

「さあ行け行け!帝国軍を、己の血で染まった赤薔薇の花で埋葬してくれよう!」

 この時点で帝国軍は、右翼が後退、左翼が停止、そして中央部だけが突出する歪な凸形陣となっており、三者それぞれが半ば孤立する形となっていた。同盟軍はこの状況を最大限に利用し、時間差各個撃破戦術による帝国軍の覆滅に乗り出したのである。

「ええい、我が艦隊は何をしている!さっさと突撃を…」

「後背より敵襲!」

 ヒルベルトが味方の足の遅さに舌打ちした時、既に同盟軍は信じ難いスピードで彼の後背に回り込み、無防備な背中に太刀を叩き込んだ。

 この常識外れの機動は、アッシュビーが発案した計画をウィッチャーとウェイが完璧に再現した結果であると同時に、クランヴィルとローザスによる苦心の計算の成果でもあった。

 同盟軍のあらゆる才能の結集とも言うべきこの攻勢は、一瞬にしてヒルベルトと不幸なその部下をして、地獄の門をこじ開けさせる結果となった。

「全艦一八〇度回頭!敵を迎撃せよ!」

「駄目です閣下、敵前回頭は、我が軍に致命的な隙を与えますぞ!」

「敵戦闘艇飛来!」

 これが最期であった。ヒルベルト・フォン・クロプシュトックは、同盟軍のスパルタニアンによる攻撃で四散した旗艦と運命を共にした。

 哀れな参謀長以下の乗員とスタッフは、理不尽極まる死出の旅路の伴を強いられることとなったが、さらに哀れを誘うのは、彼らは伴の列の未だ最先端に位置する者達に過ぎなかったことである。

「敵艦隊が艦隊右翼を突破!後背に回り込み、クロプシュトック卿の左翼艦隊に突進!」

「どういうことだ!我が軍は敵を半包囲していたのではなかったのか!」

 帝国軍総旗艦ビーレフェルトは、当初困惑し、続いて恐慌に陥った。既に袋の鼠と化していた筈の叛乱軍が、実は鋭い牙を持つ虎であり、忽ち袋を食い破って自身の背中に噛み付いたなど、俄かに理解し得るものではない。

「やはり罠であったか」

 コーゼルの中に驚きは無かった。だが、心中ほのかに苦々しい悔恨がある。

 同盟軍の動きは綿密に計算されていることが明白であり、彼らは戦闘が始まってから既にこの作戦を計画していたのだろう。しかし、あのまま自分の戦略を続けていれば、よしんば突破されたとしても、秩序ある行動によって陣形を再編し、被害を抑えつつ戦闘を振り出しに戻せた筈である。

 少なくともそれだけの行動計画は彼の脳裏に描かれていたが、それを総司令官の勤勉さが完膚無きまでに破壊してしまったのだ。

「こうなれば、やむを得ません。前進を停止し、回頭して敵に向かいます。そのまま後退しつつ、まずは被害も少ない右翼との連携を回復し、然る後左翼の救援に向かいましょう。敵の数は一万五〇〇〇から四〇〇〇、我が軍は中央と右翼を合わせれば一万六〇〇〇になります。まだまだ互角の勝負ができましょう」

「う、うむ。全艦敵に向けて回頭!」

 ヨアヒムの命令は、混乱に陥りかけた司令部を一時的に活性化させ、帝国軍中央部は、同盟軍に向けて反撃する体制を整えつつあった。

 しかし、またしても彼らは味方によって足を取られた。助かろうとする必死の足掻きが、却って同胞をどこまでも深い底なし沼へと引き摺り込んだのである。

「閣下、クロプシュトック卿、戦死の模様です」

「クロプシュトック卿が…?」

「た、大変です!」

「今度は何事だ!?」

「クロプシュトック卿の残存艦隊が、敵に追われて…こちらは突っ込んできます!」

 主人を失った帝国軍左翼部隊は、統一されて指揮のないままに混乱を極め、回頭する隙に破壊されるか味方を置いて遁走するかの二者択一を迫られていた。

 無論勇敢な者達は前者を選択したが、それは一隻、個艦単位の散発的な抵抗に過ぎず、戦果は全く無いに等しかった。

 そして、大部分は生存への本能的な欲求に従ってそのまま逃走を選択し、最大船速で直進するルートを取ったのである。

 コーゼルが苦心して再構築した中央部の前線は、彼らの無秩序な逃走ルートの途上に位置してしまい、「整然たる攻撃で敵の浸透力を削ぎつつ味方と合流する」、という彼の戦略は、遁走する味方という物理的・心理的障壁に阻まれてしまった。

「ただ壊滅するならともかく、よりによって味方に向けて逃げてくるとは!」

 ゲルズドルフはスクリーンを睨んで吠えた。このままでは帝国軍は再び不名誉な二者択一を求められることになる。つまり、共に逃げるか、それとも味方ごと敵を撃つかである。

 そして、混乱する帝国軍はそのいずれも選択できなかった。

 幾つもの素因によって精神の均衡を失った総司令官が、泡を吹いて気絶したのが二〇時三五分。その看護と搬送の手配を終えたコーゼルが、左右に陣形を開いて味方を通し、然る後合流して退却の援護を行う作戦を指示したのが五〇分。

 そして、作戦を実行しようとする中央と、とにかく逃げようとする左翼残存部隊と、二つの艦隊が混交してさらなる混乱に陥った帝国軍に、同盟軍による決定的集中砲火が叩きつけられたのが、二一時一〇分のことである。

「あと五分早く総司令官が気絶していればよかった」

 とある帝国軍士官は後にこう述懐している。これ程までの紙一重の差で、辛うじて同盟軍は勝利の女神の手を握ることができたのだった。

 

 「どうやら、上手く行ったようですな」

 目の前で一方的に撃ち減らされ、火球と化して消失する帝国軍艦艇を眺めながら、アッシュビーは言った。

「わざと火力を弱め、敵が一定の方向に集団で逃げられる様誘導するお手並み、実に見事です」

「まあ、敵を完全に突破していたら、今頃整然と陣形を整えた敵の応射を喰らっただろうし、掃討戦にもつれ込んでいたら、その隙に逃げられてしまう。この手しか無かったのさ」

 苦心して用意した狡猾な罠に、まんまと嵌った獣を見る猟師の眼で、ウィッチャーは帝国軍を見ていた。

「既に敵の八割は撃破ないし無力化されましたが、敵は未だ秩序を失わず、抵抗を続けております」

「流石だ。どうやら、敵の総司令官がまたぶっ倒れたらしい。彼が勤勉でいてくれた方が、我々としては勝ちやすいが、敵にとってはそうでない方がずっと良かろう」

「ウェイ副司令官からは、間も無く敵を殲滅できると報告が来ておりますが」

「いや、そうはならないよ参謀長。もうじき、ストップが掛かる筈さ」

「は…?」

 クランヴィルが困惑の表情を浮かべると、オペレーターが叫んだ。

「敵左翼艦隊八〇〇〇隻が、我が軍の側面に向けて前進しつつあり!」

「そういうことだ。今敵に側面を突かれたら、物資や疲労度で後が無い我が軍は苦戦を強いられる。その隙に、正面の敵は統制を取り戻し、側面と連携して我々を叩いて逃げ去るだろう。その位のことはやってのける」

「成程」

 内通者殿の立場を守る為にも、敵を全滅させるわけにはいかない。口の中でそう呟くと、ウィッチャーは全艦隊に後退するよう命じた。

「それにしても、万事閣下の思い描いた通りになりましたな」

「そうだね。幸運なことに」

「今から見れば、緒戦でミサイルやエネルギーを派手に使ったのも、この撤退の理由付けの為の深慮遠謀であるように思われますが」

「それはどうも、買い被りというものだよアッシュビー候補生。私は、兵士の犠牲を抑える為に戦略計画を立てていただけなんだからね」

「それはそれは…。ところで、敵の総司令官が怠惰なままであったなら、どうするおつもりだったのですか?」

「こいつを使うつもりだった」

 アッシュビーのディスプレイに、一つのデータファイルが表示された。

「ほほう、これは」

 それは、帝国軍のデータリンクをダウンさせ、一時的に艦隊を機能不全に陥らせる電子攻撃用のコードであった。

「ジークマイスター提督の情報を基に、アリス君と情報部門に作って貰っておいた。そいつを使えば、一〇分位は敵を機能不全にできるから、その間に突破して退却するつもりだったよ」

「確かに、あの平民の参謀長が指揮を取っていたら、突破後も秩序を保っていたに違いありませんからな」

「あの人には、大変悪いことをしたと思ってるよ」

「またまた」

 皮肉げな笑いを受けた勝者は、不快そうに鼻を鳴らした。

 

 「叛乱軍、後退していきます」

 報告を受けたミヒャールゼンは頷き、至急味方と合流する様に指示した。この戦場において、彼の意図を正確に読み切った敵だ。よもや、合流したところを一撃ちして全滅させるなどという振る舞いはしないだろう。

「我が軍はどの程度残っているか」

「確認致します…」

 程無くして、情報主任参謀のグリンメルスハウゼン中佐が報告を持ってきた。

「我が軍の損害は、人的物的共に五割半に達しています。また、クロプシュトック卿を始め、将官の戦死者も多数確認されております」

「やってくれるな、敵軍も」

 損害五割半というのは、実質戦闘に参加しなかったミヒャールゼンの麾下を含めてのものであり、それを除けば帝国軍はほぼ全滅に等しい損害を受けていた。

 特にヒルベルトの分艦隊の帰還率は、五.四パーセントという凄まじい低さであり、艦隊レベルで部隊を統率しうる士官の生存者は一〇名に足らない。

 中央部も半数以上を破壊されるか戦闘不能の損傷を受ける損害を被り、ギリギリで軍隊の体を保っている死に体に過ぎなかった。

「閣下、総旗艦より通信です」

「繋げ」

 スクリーンに映し出されたのは、疲れ切った表情の参謀長であった。

「ミヒャールゼン提督、救援に感謝する」

「此方こそ申し訳ない。混乱する兵士をまとめるのに時間がかかってしまった」

 総司令官の姿は無い。当たり前だろう、あの場でパニック障害を引き起こして気絶したくらいだ。敗戦の報を聞いて、発狂死していても驚きはしない。

「叛乱軍は退却の構えです。此方も反撃する余力は有りませんので、撤退もやむなしでしょう」

「参謀長に賛成します。司令官代行をお願いしたい」

 ミヒャールゼンはコーゼルに対しては、身分や立場を超えて敬意を払っていた。腐敗した貴族世界に辟易していた彼にとって、平民出身として古今に例の無い出世を果たしたコーゼルは、新時代を切り開く風雲児にも見えたのである。

 可能ならば、彼を同志に加えたいと常々考えてはいたものの、剛直さと皇帝への忠誠心は人一倍であり、とても腹芸をさせられるとは思えなかった。

「我々が殿を務めますので、参謀長には全軍の統率をお願いしたい」

「無論です。…それから提督、貴方は…」

「何でしょう」

「いえ、何でもありません。では」

 ごく一瞬だけコーゼルの顔に浮かんだ表情を、ミヒャールゼンは見逃さなかった。

「…まあ良い。いずれにしても、手は考えてあるのだから」

 八月二六日三時五一分。両軍の戦闘は完全に停止し、帝国軍はフォルセティ星域からの撤退を開始した。

 

 「帝国軍、宙域を離脱し、撤退して行きます!」

「戦闘配置解除!」

 ウィッチャーが宣言すると、艦隊は将兵達の歓呼で満たされた。通信回路は勝利を祝うメッセージで溢れ、司令部中で軍用ベレーが飛び交った。

「ふう、やれやれ。何とか勝てたらしいね」

 彼がそう呟くと、アリスが緑茶と共に通信機のマイクを持って来て、

「閣下、艦隊の将兵に向けて労いのメッセージをお願いします」

「私がやるのかい?」

「はい」

 悪戯っぽく微笑む彼女に、苦笑いで報いると、彼はマイクを口にあてがう。スイッチが入れられ、全艦のスクリーンに映像が投影される。

「総司令官のウィッチャー中将だ。諸君、よくやってくれた。帝国軍は撤退し、我々は多くが生き残ることに成功した。諸君らの働きにより、同盟は見事守られ、市民の命が救われた。ありがとう!」

 最後に不器用な手つきで、彼が軍用ベレーを上に投げると、歓声が沸き起こった。

「やはり、こういうのは慣れないね」

 拍手を送る参謀長と副官、そして士官候補生に対し、彼はそう言って肩をすくめて見せた。

 

 フォルセティ星域会戦における同盟軍の損害は、参加艦艇一万六七〇〇隻の内、完全破壊並びに損傷二六七二隻、将兵一八三万人の内戦死・未帰還者八万人余り。艦艇の損耗率こそ一六パーセントに達したものの、将兵のそれは五パーセント前後に留まった。

 これは、司令官たる彼が心血を注いで作り上げた将兵の生存率向上の為の訓練計画や艦隊構想の成果であり、同会戦における最も貴重な戦訓となった。

 

 九月十一日、補給と修理、負傷者の移送を完了した第十一艦隊は、ハイネセンへと帰還。勝利に沸く民衆の熱狂に迎えられた。

「やあ提督、実に見事な采配だったよ!」

「どうも」

 式典で国防委員長が馴れ馴れしく肩を叩くのを苦笑いで受け流し、そのまま戦勝会もさっさと抜け出すと、ウィッチャーはそのまま官舎へと戻った。

「ただいま」

「…提督!戦勝祝賀会はいいんですか?」

「おかえりなさい!」

「ただいまクリスティーネ、マリーカ。…ああ、まああんなものいつでも出来るからね。やはり父親としては、娘に一番に顔を見せたいのさ」

「提督、姉さんがシチューを作って待ってたよ!」

「よしよし、そいつはありがたい」

 クリスティーネを抱き上げて彼はリビングへ入り、食卓に着く。そして、思い出した様に言った。

「マリーカ」

「はい」

「その、進路のことなんだが…」

「…いま、届け出を持ってきます」

 程なくして彼女は、学校に提出する進路志望調査書を持ってきた。その第一志望には、はっきりと「同盟軍士官学校戦略研究科」と記載されている。

「やっぱり、考えは変わらないか」

「はい」

 一呼吸置いて彼女は話し始めた。

「提督、私は今でも昨日のことの様に思い出せます。七年前、父と母を失い、妹と二人ボロボロのシャトルに身を委ねてやってきた私を、温かく迎えてくださったのは閣下です。閣下の哨戒艦がシャトルを見つけ、私達を保護して下さいました」

「あれは、その、任務でもあったから…」

「その後、亡命孤児として離れ離れに施設に入れられるところを、無理を言って引き取って下さいましたね。まだ二〇代で、ご結婚の話もあったでしょうに」

「別に、そんな話は関係無いだろう!」

「…私達を助けてくれただけでなく、私達が離れ離れにならない様に一緒に引き取って下さって、男手一つで育てて下さいました。あなたという人に、あなたの仕事に、憧れを抱くには十分だと思いませんか?」

「そ、それは…」

「提督、お願いします。私が士官学校に行くことを、許して下さい。提督の様になりたいと夢見ることを、許してください」

 礼儀正しく、マリーカは頭を下げた。固く口を引き結び、目には涙さえ溜めながら、それでも毅然と言い切った。

「……顔を上げなさい」

 その声を聞いた彼女の前に、薄紙が差し出される。そこには、「モーゼス・ウィッチャー」と震える手でサインされていた。

「提督、よろしいんですか?」

「…一つだけ聞きたい。私がおだてとお世辞に弱いことを、誰から教わったんだね?」

 不器用な父親は照れた様な笑みを浮かべて、愛娘の頭を撫でた。どうか、この子が幸福な生涯を送れるように。心からそう願いながら。

 

 …かくして、双方に汚名と栄光とを振り撒いて、フォルセティ星域会戦は終結した。広大な宇宙において、ごく一瞬だけ運命を交錯させた人々は、それぞれ異なる未来を歩み、異なる物語を紡いでゆく。

 ヴィルヘルム・コーゼルは、大貴族たる総司令官に代わって敗戦の責任を負い、秘密軍事法廷の被告人たることを余儀なくされた。

 戦闘の経過や証言を検討すれば、彼には一寸の責も汚名を受ける咎も無いことは明白であったが、カストロプ家とクロプシュトック家に後押しされた検察官は、「彼は死刑に値する」と激しく弾劾し、ハウザー・フォン・シュタイエルマルクという名の弁護人と激しく争った。

 シュタイエルマルクは不幸な被告人を全智を挙げて弁護し、同時に歪な大貴族による軍事専断を激しく非難したのである。その様はかつてダゴン殲滅戦の被告人となったインゴルシュタットを弁護した「弾劾者ミュンツァー」を彷彿とさせるものであり、これによってシュタイエルマルクは軍の内外にその名を知られることとなった。

 弁護人の精力的な活動と、流石に無謀な遠征への責任を感じたのだろうか、軍務尚書ケルトリングの介入によりコーゼルは死刑を免れ、二階級の降等の上で辺境星区への追放に減刑された。

 彼の名が再び中央の軍事組織に現れるのは、その一〇年後。ファイアザード星域会戦における完敗を受けてなされた、幾度かの軍政改革の中でのことである…。

 ブルース・アッシュビー、アルフレッド・ローザス、ウォリス・ウォーリックの三者のその後を知らぬ人間はそう多くないだろう。二年後彼らは士官学校を卒業し、ジョン・ドリンカー・コープ、ファン・チューリン、ヴィットリオ・ディ・ベルティーニと共に「七三〇年マフィア」として同盟軍史に欠くべからざる黄金のページを残すこととなる。

 特にアッシュビーは、初対面で司令官に向けて吐いた大言壮語を見事実現した。大将・宇宙艦隊司令長官を経て、三六歳にして同盟軍史上最年少の元帥となった彼は、宇宙暦七九九年にヤン・ウェンリーという青年が同じ地位に至るまでその称号を守り抜いたのである。

 アリス・トラバースは軍務を一〇年勤め上げた後に退役。父親の選挙区を引き継いで同盟議会に議席を占め、戦災孤児の育英に関わる分野で能力を発揮し、自身の名を冠した法律を後世に残した。正式名称を「軍人子女福祉戦時特例法」というその法律は、同盟の歴史に名を残す幾多の人物を輩出すると同時に、宇宙の運命を司る天秤の一方を決定づけるものとなった。

 マルティン・オットー・フォン・ジークマイスターとクリストフ・フォン・ミヒャールゼンは、その後も宇宙の両端にありながら、同じ戦場で同じ敵を相手取って戦い続けた。この両者は歴史にも記されない闇の中を戦い抜き、数多の勝利と栄光を同盟軍にもたらすこととなる。

 モーゼス・ウィッチャーは、その後も第十一艦隊の司令官を務め、同盟軍随一の勇将としての評価を確実なものとした。彼の下で七三〇年マフィアは軍歴の始まりを過ごし、やがて栄達への道を開いたのだった。

 宇宙暦七三八年、ファイアザード星域会戦に参加し、愛弟子達が自らの時代の始まりを告げたのを見届けると、彼は前線勤務を退いて宇宙艦隊総参謀長へ転任。四二年には大将への昇進と同時に宇宙艦隊司令長官に就任し、一番弟子にその地位を明け渡すまでの三年間を大過無く勤め上げた。

 後世において出版された同盟軍元帥列伝と、ブルース・アッシュビー評伝は、次の様な言葉で彼を形容している。

 

「同盟軍最良の師父」ウィッチャー元帥、と。

 


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