適度な量に留めましょう。
言わなくて良い事まで漏れたり漏れなかったり。
それもまあ、情緒ですがね。
元々猪股家に、いわゆる「花見」の習慣はない。なんでわざわざ風が強い上意外に寒い中で、地べたに座って桜を見上げないといけないのか。もうちょっと暖かくなって、牡丹桜くらいの時期にするんだったらまだ良いんだけど。
とは言え、だ。俺だって絶対に花見なんかしない、と誓っているわけではない。
誘われれば行くかもしれないし、興味だって有る。
だからそう、千夏先輩が望むのであれば、後輩として同居人として一席設けない訳はいかないのだ。
鹿野家では春の定番イベントとして家族でお花見する、というのを聞いたのは春休みに入る少し前。
気遣いと気配りの人である千夏先輩は、今年は別にしなくて良いやと言ってくれた。……そりゃ本人がそう思っているならそれで良いんだけど、あの人は気遣いと気配りの人だから。内心では、いつものように過ごしたいんじゃなかろうか。
まあ、俺は超能力者じゃない。人の本心なんて、わからない。
それでも俺は、先輩に心地よく過ごしてほしい。そりゃ家族ではないけれど、気を遣って縮こまる必要なんか無い。居候だから、なんて理由で自分を押さえ込んでほしくないんだ。
「春休み、花見行きましょうよ。場所取りくらい、俺がしますから」
口をついてそう言った事に、迷いはなかった。
そう、その時は。
――どうしてこんなことになってしまったんだ。
花見客でごった返す少し遠くの公園で、俺は遠くを見つめている。
せっかくの花見が、何故こんな。
こんな事に――。
匡と雛にも話を通し、天気の良い春休みの一日を狙うことにした俺。
言った通りに場所取りをしつつ、三人が来るのをボケッと待つのは、これはこれでなかなかに気が急いてしまって大変かもしれない。
休日に千夏先輩と一緒に外で過ごすなんて、滅多にない。だって同居バレを防ぐ都合上、家以外では一緒にいられないから。まあ今日だって、時間差で出ないと万が一があるから俺が先行しているんだけど。
とりあえず飲み物食べ物は皆が調達してくれる手筈だし、俺は場所だけ確保すれば良い。気を切り替えて、のんびり行こう。一人でこんな風に桜を見上げるなんて、なかなか出来ることじゃない。この時間も、楽しみの内だ。
――と。
スマホがブーブーと呼び出し音を立て始めた。イヤな予感と共にタップすると、案の定。
画面に出たのは、「すまない。風邪で動けない」と匡からの短いメッセ。またかあのメガネ、花火大会もそうだったけど。なんでこう、余計なタイミングで。
さすがにそれは気まずいんだけどなあ、雛と先輩と俺じゃ。
雛から告白されて、もう一年になる。俺の気持ちは変わらないし、相変わらず「友達」ではある。あるんだけど、色々と微妙過ぎる。そして千夏先輩はそれを感付いているらしく、それとなく気を遣おうとする。匡がいればなんとか取り成してくれるんだけど、アイツはどうしてこう……。花火の事で先輩を誤解させたのだって、匡が夏風邪引いたせいなんだから。
まあ来れないなら仕方がない、今度会ったらメガネに指紋付けてやる。
そう、俺はそんな風に呑気に構えていたのだ。だから、思いもしなかった。
一時間もしない内に、自分の甘さを悔やむことになるなんて。
「何よ匡のやつ、また来ないの? 」
「あー……そっか。まあ、多分食べきれるよね」
両手にビニール袋を下げてやって来た二人に事情を話すと、まあやっぱり笑い話くらいで済んでしまう。いなけりゃいないで構わないしな、あのメガネ。
「はいはい、じゃあ駆け付け三杯って事で。大喜くん炭酸平気だよね?」
随分と古めかしい事を言いながら缶を開け、俺に渡してくる先輩。それだと先輩が飲むべきな気がするけど、余計な事は言わなくて良いか。
喉も渇いてきていた所だし、遠慮無く頂こう。炭酸の弾ける音を聞きつつ、グッと――!
「ん、うぇっ!?」
缶を煽ってやって来たのは、甘さに隠れた苦い味。思わず噎せてしまった俺を、先輩が心配げに覗き込んでくる。
ゲホゲホ言いながら大丈夫ですと返すも、事態が全く飲み込めない。なんだコレ、痛んでるのか?いやでも今買ってきた奴だろうし、目の前で開けたんだから異物混入も無いだろう。じゃあ、一体。
何かおかしな飲み物でも買ってきたんだろうか、千夏先輩そういうの好きだからな。ケミカルペプシとかサンガリアの謎飲料とか、頻繁に買ってきてるもん。
こんな強烈なフレーバーの炭酸とか何味なんだよ、と缶を睨み付けた時。俺の目は、そこに書かれた文字に釘付けになった。その文面はシンプルで短い、「これはお酒です」の七文字だけ。
ああ、そうか。お酒ですか。良く良く見ればこの缶、チューハイじゃないか。そりゃ普通の炭酸みたいな感じで飲んだら噎せるわな――って。
「何考えてんですか千夏先輩……!」
まあ、こういう場所でハメはずす連中も多いらしいけどさ。先輩にせよ雛にせよ、栄明のエースオブエースなんだから立場を考えてほしい。幾ら場所的に遠めだからって、知り合いに見つかったり補導されたりしたら一大事じゃないか。
「ああ、平気平気。大会後の打ち上げとか合宿とか、絶対飲むじゃない」
「良いことも悪いことも、学校で覚えるのよバカ大喜ー」
悪びれる様子もない二人の手にも、やっぱりチューハイの缶が握られている。いや、まあ部活の先輩方がコッソリそういうことしてるのは知ってるけどさ。でも、こんな大っぴらに。
……しかし周りを見れば、明らかに俺より年下な花見客もビール片手に騒いでいる。花見だから良いのか、そんなにフリーダムなのか花見って。
「カルアミルクとか、あと缶のガルフストリームなんかもあるよ。どっちも甘いやつ」
これなら噎せないでしょ、と笑う先輩は可愛いけれども。可愛いけれども、そうじゃない。
取り返しがつかない事になる前に帰らせるべきだ、それが最善だ。でも一方で、興味も湧いてくる。
お酒が入ると人間、本音が出ると言うから。何処までも鉄壁の防御力を誇る千夏先輩も、もしかしたら綻びるかもしれない。
そうなった千夏先輩を見てみたい、雛は別に良いけど。
それに場を白けさせるのも、良くないよな。
……場を白けさせようが何だろうが、引きずってでも帰るべきだったか。
乾杯から少し経った頃には、俺はそう考えていた。
「大喜さぁ、分かってんの!? アンタが情けないから私はさあ……!!」
焼鳥の串を振り回しながらやたらと絡んでくる雛、そして言っている事に一理有るから反撃できない俺。ああ、そうだよ。俺は先輩が好きだけど、だからって雛を嫌いになんかなれない。でも千夏先輩に気持ちを伝えられない。中途半端でウジウジしてるだけで、何も進んじゃいない。雛が苛立つのも分かる。
そして、だ。
「まぁねぇ……大喜くんって、可愛いだけの生き物だもんねぇ……」
千夏先輩は千夏先輩で俺の頭を撫でながら、良い子良い子可愛い可愛いと言い続けている。
この人も分からんな、なんなんだろう。俺可愛いんだろうか、そんなの言われたこと無いけど。
しかしどういうわけか、この二人は喧嘩とかしないんだよな。むしろ仲が良いくらいだ。色々と不思議だけど、ギスギスされるよりは良いかな。
こうやって俺が攻められてれば、場は収まるんだ。せっかくの花見だけど、今日はサンドバッグでいよう。
カルアミルクをちびちび舐めながら、そんな覚悟を決めていると。
「んー……暑い。ちょっと
千夏先輩は俺の頭から手を放すと、自分の背中をモゾモゾしだす。なんだろう、と思う暇も無いままその手は服の中に収納されて、
「よ……っと。ああ、スッキリした」
水色をした布を、ズルリと引き抜いて出てきたのだ。
それはまるで、と言うかどう見ても。いわゆる――ブラジャーというものだった。
「な、何やってんですか!?」
「いや暑いもん。脱いだ訳じゃないし、良いでしょ?」
一枚外すだけでだいぶ違うんだよ、と再び俺の頭を撫で始める先輩だ。
なんでこの人はこう、油断してるんだろう。なんとなく胸元を意識してしまって落ち着かない、さっきより揺れているような気がするし。なんか突起みたいなのが見える気もするし。
……女子ってスゴいな、いろんな意味で。
「なーにーよーたーいーきー、エロい顔してさー」
グリグリと空き缶を顔に押し付けてくる雛は、完全に目が座っている。
「蝶野さん、大喜くんはそんなこと考えないよー。可愛い子だものー」
「あーいやいやー、このバカ千夏先輩大好きですからねぇー」
事も無げに言う雛に戦慄する俺と、ニコニコしたままの千夏先輩。
そうか、そうなのか。
酔っ払いに絡まれるって辛いんだな、はじめて知ったよ。こんな形で暴露されるなんて、なあ。
とは言え先輩も泥酔中だ、きっと記憶には残るまい。
桜の下だけでしか残らない、酔いが醒めたら消えてしまうものなんだ。
なら、良いかな。どうせ消えものなら、俺からも言ってしまうか。全部酒のせいだ。
「そうです、ね。俺は千夏先輩が好き……です。雛には悪いけど、さ」
一応一世一代の告白ではあるけれど、先輩は微笑んだまま俺を撫で続けている。伝わってるのかいないのか、別に良いんだ。
急にフキゲン顔になった雛に小突かれながら、一気にカルアミルクを煽ってみる。
どうせなら動けなくなるまで飲むとしよう、せっかくの花見なんだからさ。
どれくらい飲んだか、それが曖昧になり出した辺りまでは覚えているけれど。そこから先は何も分からない、とにかく気が付くと俺は自分のベッドに横たわっていた。
こっぱずかしい告白の記憶は消えていない、思い出すだけで頭が痛い。いやそれこそ酒のせいかな。
水でも飲もうかと身体を起こそうとした、その時にようやく俺は気がついた。
俺を見守るように千夏先輩が、ベッドの隣に座っている事に。
「あ、おはよう。よく寝てたね」
あのモニョモニョした顔が嘘だったかのように、いつも通りの笑顔。
俺の告白は、覚えているんだろうか。酒と一緒に流れてしまったんだろうか。どっちでも構わないけど。
「もう大丈夫みたいだね、連れて帰るの大変だったんだよ?」
「……それはお手数お掛けしました」
やれやれ、俺は迷惑ばかりかけているな。先輩相手にそんなんじゃ、良くないのに。
でも今はいつもよりずっと頭が回らない、ここは黙っておこう。
俺が目を醒ますのを見届けたからか、先輩は立ち去ろうとしているし。
見送ろうとした先輩の背中はでも、ふと動きを止めた。
「ああ、そうだ。――次はもっと、ムードがある時に言って欲しいかな」
え、と聞き返すよりも早くドアが閉まり、千夏先輩の姿は完全に見えなくなる。残されたのは、頭が効かない俺一人。
それは、――全部覚えているということか。何もかも、伝わったと言うことか。
そうなると。……どうしよう。
ここから俺たちの関係は、大きく動かざるを得ない気がする。
でもまあ、とりあえず。明日考えよう。
再びやって来た睡魔に任せて、目を閉じる。
どうにかなるさ、と思いながら。
お酒は大人になってから。
おばちゃんと約束ですよ?