距離は離れた、でも。
変わらないものは、確かにある。
そんな朝を、裏側から。
朝起きて最初に会うのは、大喜くんか由紀子さん。それに不満があるとかじゃない、家族でもなんでもない私を受け入れてくれる猪股家の面々には、感謝しかないくらいだ。
それでも、やっぱり感じ入るものはある。
猪股家から一時離れ仮住まい先の一室で、不覚にも泣きそうになりながら。
「――おはよう、お母さん」
懐かしささえ感じつつ、私は母へと微笑んだ。
祖父の体調は思ったよりずっと良く、早期に手術を決断したことから予後も明るいようだ。もしもの事があったら、と生きた心地がしなかったけど、これでとりあえずは一安心。曾孫の顔を見るまでは元気でいるよ、とか色々アレな事は言ってくれたけど。単為生殖しろというのか私に。ま、良いけど。元気で何よりだ。
とは言え様々な手続きやらで手間はかかるらしく、私と母は病院に近いマンスリーマンションに入ることとなった。学校には電車で一駅、少しだけ通学時間が長くなる。
今まで通りに朝練をするには、少々早起きしないといけない。
「ごめんね、お母さんにまで早起きさせちゃって」
夕べ「私が一人で起きて朝を済ませ登校する」とは言ったものの。母にはやっぱり却下されてしまった。あんたはもっと人を頼りなさい、自分が頑張れば済むとか言わないの、と。
「良いのよ、これくらい。大体あんた朝弱いんだから、一人でやらせたら玄関で寝落ちとかしかねないでしょ。そっちが心配で、寝てらんないわよ」
う。……自分でこういう風に産んだ癖に。
言わないけどさ、そんなこと。
猪股家で過ごした時間は、まだ半年にも充たない。
でも、それでも。私にとって、大きな拠り所になりつつあるようだ。
朝の身仕度中に大喜くんや由紀子さんたちの声が聞こえない、というのに何処か違和感を覚えたりしている私がいるから。……良くないな、こういうのは。再来年の春には、私はあそこを正式に出るんだから。
猪股家は終の住処じゃないんだ、そんな感傷は向こうにとっても迷惑だろう。
……と。そんなことを考えながら駅構内を歩いていた私は、ふと立ち止まる。
「あ……れ、下りがこっち……? え、あれっ、ここって……」
下見をした時に見たホームとは、明らかに違う場所にいるような気がする。
というか、これは。この私ともあろう者が、まさか。
背筋に冷や汗が伝っていく。
「やば……、逆だー……」
なれない場所で考え事をするものじゃない、しかして後悔先に立たず。
踵を返して猛ダッシュ、目指すは記憶の中にあるホームだ。
やれやれ、締まらないったらありゃしない。
幸いというかなんというか、予定より遅れはしたが遅刻にはならず学校へは着けそうだ。
滑り込んだ列車の中、私は溜め息を一つ。これなら朝練も、出来なくはないだろう。
――朝練、か。やっぱり大喜くんには負けちゃうな。
猪股家に住むようになる前は、私が朝一で体育館に入って練習を始めるのが常だった。そして少し経ってから大喜くんが来て、挨拶を交わして。居候になってからは同居バレを防ぐため時間をズラす必要が出て、身仕度にかかる時間を考慮して私が後に出るのが恒例になっていた。そうなると大喜くんが私を迎える形で、何処かくすぐったい感じがしたものだ。
久し振りに勝つつもりだったし、そしたらあれこれ言ってやろうかなとも思ってたのに。別に文句じゃなくて、普通にお喋りとかがしたい。
インターハイの頃は色々と考えすぎて距離を置いていたけど、最近はそんな気にもならなくなっていた。歳の近い話し相手が家の中にいる、というのが楽しいものだと思うようにもなっている。母と二人でいるのも気兼ねがなくて良いんだけど。
話したいときに話したい相手がいない、というのは不便だな。メールやLINEだとなんか違うし、でも電話となると聞かれちゃうし。ああ、なんだか面倒だ。
まあ、良いか。とりあえず体育館にいけば会えるんだから。
そう思って駅から走ったのに、どういう事だろうか。
朝練をしている筈の大喜くんは何処にもおらず、体育館は静まり返っている。
……どうしたんだろう。遅刻か、それとも学校に来ていないのか。一緒に住んでいない以上、見当もつかない。
会えなかった、となると会いたくなってしまう。どうでもいい話をしたい、なんて身勝手な事を考えておいてそれだもの、私は
家で会えない、朝練でも会えない。学校のなかで偶然会う以外に手がない、とは殺生な。
しかしこのワガママは、どういう感情から出ているのやら。
まるでこんなの、こんなのは――。
「いや、いやいや。いやいやいやいや。違う違う」
柄にもない事を考えてしまい、即座に否定する私。
でもこんな私もいつか、誰かを――好きになったりするんだろうか。まだ良く分からないけれど、でも。そんな日が来るのが、少しだけ待ち遠しい。
まったく、良くないな。
雑念を払うべく、セットポジションからシュート練習を始めてみる。
時間はあまり無いけど、とりあえず練習だ。
余計なことは、あとで良い。
私はまだ、バスケ以外を見られるほどの余裕はないから。