「......」
今日もまた、椅子の上で起きる。
目を擦り少し眩しいディスプレイに目を移せば、そこには『歌詞』と端的に書かれたファイル名と真っ白なメモ画面。
また今日も作業が進まなかったことに焦りを感じながら、ヘッドホンを外して横に置いておいた水に手を伸ばす。
「...空、か。」
部屋に置いておいた水のストックは既に無く、仕方がないとため息をついてリビングへ向かう。
時計が指し示す時間は昼。
あと1時間もすれば望月さんがくることを確認し、冷蔵庫から水を、棚の中からカップラーメンを取り出して机の上に置いて椅子に座る。
ここ数日はエネルギーメイトで朝昼晩を済ましていたが、流石にもう身体が限界の様だ。
足はふわふわとした感覚に包まれ、頭は細かい思考を放棄している。
立ち上る湯気を見ては時計を確認し、湯気を見ては確認し...
クロノスタシスによる時間の低速再生に焦らされ、長い長い3分が過ぎる。
「ご馳走様。」
ここ最近の食事に比べるといささか『塩』の強い食事を済ませ、カップを軽く洗いゴミ箱へ放り込んだ。
ここで言う『塩』とは、『
ピンポン、とインターホンが来客を告げた。
ぺたぺたと素足で廊下を鳴らし、ドアを開ける。
「こんにちは、宵崎さん!」
「こんにちは。」
「よいしょ...っと。」
言われていた風呂場の掃除を終え、リビングへ戻る。
......今日はいつもより時間がかかってしまった。
いや、正確に言えば
知り合いに頂いたオレンジフレーバーのお茶を入れ、扉を叩いて宵崎さんを呼ぶ。
2人向かい合って椅子に座り、お茶を喉に流した。
「......いい香り。」
宵崎さんの顔にふわりとした笑顔が差す。
今日の彼女はひと目見てわかるほど疲れていた、だからこそ、こうして見せてくれた笑顔は私を安心させる。
「本当ですか? 良かった!
......宵崎さん、今日は元気が無かったので。
笑顔を見られて本当に良かったです。」
「......望月さんは優しいね。」
「そんな!
お節介をやいてしまうだけですよ。」
そう言うと宵崎さんは笑顔を曇らせ、俯く。
大きく息を吐いたかと思うと、顔をあげこちらの目を見て話を始めた。
「......良かったら、聞いてもらってもいいかな。」
「は、はい、なんですか?」
「告白、した人がいて。
断られたんだけど、私はきっと未練があって。
どうにか行動を起こしたい時、望月さんならどうする?」
ああ、と腑に落ちた。
今まで宵崎さんの世話をしていたのはその人で、その人が来なくなったから彼女は前までのいつも通りに戻ってしまったのだと。
それはそれとして、質問の答えに困る。
何故、と言われれば、私は今まで恋というものをしたことが無い。
私ならどうするだろう? と頭を回して、捻り出した答えを宵崎さんの目を見返して伝える。
「わたしなら......
もう一度その人の元へ行って、話をします。
それでもだめなら、諦めて前を向かないと始まりません。」
「相手が会いたがらない時は?」
「それは......
それでも、押し通すしか無いと思います。
聞かない事には何も始まりませんから。
......あっでも、もう気まずくて絶対話したくないって人もいるかもしれませんよね...
...あまり、良いアドバイスは出来そうにないです。」
わたしの答えに彼女は首を振り、また笑顔を見せる。
「ううん、ありがとう望月さん。
もう一度、彼の元へ行ってみようと思う。」
「はい!
......なんだか、いつかの時みたいですね。
マリオネット展のチケットを渡した時みたいで。」
「......たしかに、そうかも。」
わたしにできるのは、宵崎さんの恋が実ることを願うことだけ。
「頑張ってください!」と手を振り、わたしは家に帰る。
「......よし。」
靴を履き、扉を開けて外へ出る。
幸いにも外は曇っており、日差しは弱い。
......正直に言って、わたしの心もこの日差しと同じくらい弱々しく消えてしまいそうではある。
だが、行動を起こさない限りは前にも後ろにも動けない。
指先の震えを止め、前へ進もうとしない足を奮い立たせてわたしは歩き出す。
「......」
路地を抜け、喫茶店の前まで来た。
店の中には彼が立っており、その横顔は虚ろで、今にも倒れそうな目の下のクマが周りの空気を重くさせている。
その顔を見るだけで、足がすくむ。
歩き出して店の中に入れば、きっと彼は拒もうとはせず入れてくれるだろう。
だが。
『...ごめん、なさい。』
あの一言が、わたしの体をその場に打ち付けて離さない。
思い出せ。
望月さんに聞いたことを、思い出せ。
押し通さなければ始まらない。
ちょうどよく彼がジョウロを持ち、外へ出た。
歩け、前へ動かせ。
「四宮さ━━」
声をかけようとした時、割り込む様にして人影が彼の後ろに現れた。
喉を閉じ、口を塞いで影から覗く。
「約束を果たしに来たんだ!」
彼女は気軽に声をかけると、笑顔で話を始めた。
誰? と言うのが率直な感想である。
彼の周りにいる人物なんて、ニーゴの面々か喫茶店の店長くらいなものだ。
こちらから見えるのは彼女の顔だけ。
だが、彼女は友人だとしてもあまりに楽しそうな笑顔を見せる。
まるで自身は彼の配偶者だぞ、とでも自慢するかの様な笑顔。
「......えっ?」
その笑顔が、こちらへ向いた。
なぜ、と理解しようとした刹那、大きな声が街に響いた。
「わたしと付き合ってよ。
結婚...は流石に気が早いと思ってさ、付き合うからなら良いかなーって!」
?
約束、付き合う、結婚。
理解が追いつかない。
つまり、彼女は小さい頃に四宮さんと恋人になる様な約束をした、ということか?
考えがまとまらぬうちに、今度は彼と、四宮さんと目が合う。
そこで待って、話し合えば良かったのに。
まだ分かり合えたはずなのに。
わたしは、走って逃げてしまった。
「宵崎さん!!」
彼の声が聞こえる。
走る。
走って走って走って、気づかぬ内に自宅の前に来る頃には。
もう彼の影も声も、ついてきてはいなかった。
誰も居ない住宅街の中、1人壁に寄りかかって俯いた。
結局彼とは話せず、募り募った苦しさだけが胸を締め付けて離さない。
「......曲、作らなきゃ...」
無理矢理にでも心をリセットし、家の扉を開ける。
疲れ切った身体を引きずって、自室のベッドへ倒れ込んだ。
枕元からスマホを引き寄せ、『悔やむと書いてミライ』を再生する。
目の前が光に包まれ、次の瞬間には何もないセカイが広がっていた。
少し歩けば、もう見慣れた白い左右非対称のミクと、話をしている絵名の姿。
2人ともこちらに気付いた様で、のそのそと歩く私に近づいて来た。
「奏、どうしたの━━
って! その顔本当にどうしたの?!」
「......奏、大丈夫?」
どうやら心配される程酷い顔をしていたらしい。
自嘲気味に笑い、心配は無いと伝える。
「......大丈夫。
空回りしていたのは、わたしだけだったみたいだから。」
「奏...」
絵名がいるのならば、ちょうどいい。
ある事を聞いてみる。
「絵名。」
「なに?」
「どうやったら、好きな人への未練を切り捨てられる?」
それを聞いた絵名は顔を顰め目を閉じ、眉間に皺を寄せてから口を開いた。
「...言ってやるの。
そいつに、『大っ嫌い!』って。」
「......そっか。
絵名、ありがとう。
今日はナイトコード休むから、瑞希にも伝えておいて。」
「奏。」
今度はミクが口を開く。
座っていた四角形の何かから腰を下ろし、わたしの横に来て掌を優しくぎゅっと握った。
冷たくも無く暖かくも無い手。
今のわたしには、この手が心地よく感じる。
「がんばって。」
「......うん、ありがとうミク。」
礼を言って早々に『悔やむと書いてミライ』の再生を止め、現実へ戻ってきた。
いつのまにか外には雨が降っており、窓に映る水滴の音が心を無にしていく。
布団を被り、床につく。
もう、何日振りかもわからないちゃんとした睡眠を取る事にした。
わたしの空回り、独りよがりな恋で、彼にああやってごめんと言わせてしまったことは申し訳ない。
彼にとってわたしはただの世話の対象だったのだろう。
でも、わたしは嬉しかった。
貴方が熱中症のわたしを助けてくれたこと、『美人』と言ってくれたこと、嫌な顔せず掃除をしてくれたこと。
歌ってくれたこと、ニーゴとして一緒に誰かを救う歌を作ってくれたこと。
最後に、
未練が今すぐ消えるわけじゃ無いし、絵名の言うように面と向かって大嫌い、なんて勇気が無くて言えないけれど。
この朝を彩り、消えていく無慈悲な虹の様な貴方が。
わたしは貴方のことが大好きだった。