『nineはさ、なんで会う人全員に敬語、さん付けなわけ?』
深夜、少し肌寒い部屋の中。
体を温めるためにでっかいぬいぐるみに抱きついている僕へ、唐突に白羽の矢が立った。
それはもう本当に唐突。
まず前提として、雪さんとKさんは歌詞の打ち合わせを行なっている。
基本的にこちら━━ MV、声担当の3人は曲が完成するまでやる事があまり無いのだ。
極たまに、たまーに僕もその中へ入っている事があるが、今日はその日では無い。
だからこそ、こうして近況を話したり、Amiaさんがちょっかいを出してえななんさんが半ギレでそれに答えると言うのが、こちら3人の基本的行動なのだが。
今回は何故か、いつも通り眠気混じりで話を聞くだけの僕にも矢が飛んできた。
『わたしとか雪は歳上だからいいとして、同年代のAmiaにもって言うのはちょっと変じゃない?』
「......うーん。」
羽交いじめにしたでっかいモルモットのぬいぐるみを、変形するほどの力で抱きしめながら表だけ取り繕うように悩んでる風の声を出す。
さん付け、敬語にもちゃんと理由はある。
前の親から呪いのように徹底された事と、事故で9年寝ていたからこその理由が。
まず前者から。
まあ僕が藤田咲だった頃、親、特に父親から徹底された『目上、歳上には敬語を使え』と言う言葉が残っているだけで、今の僕には対して影響は無い。
と言うか歳上に敬語を使うのは普通では?
次に後者。
色々あって僕は9年寝ていた。
で、そうなると自然に『同年代よりも人生経験が短い』と言うことになる。
9年の差っていうのは言わずもがな大きい訳で、それだけの時を生きてきた人に対しては、自然に敬語さん付けが出てしまうのだ。
簡単に言えば尊敬ゆえの敬語である。
長々と説明したが、これを彼女達に教えたりはしない。
「......クセ、ですかね?
働いてるのが接客業だから...」
別に信頼してるしてないの話でも無い。
ただちょっと...... 僕自身の
9年の月日というのは2、3ヶ月で早々に教えるものでは無いだろう。
もし仮に『事故で9年寝てました』とカミングアウトして、『え、なにそれ...... 怖......』とか言われた日にはもう。
ベッドと毛布の隙間に潜り込み、三日三晩しとしとと泣き続けることは想像に難く無い。
『ふーん、尊敬か。』
『でもさ、ユーザーネームくらいは呼び捨てにしない?
フランクに呼び合うための名前なのにさんをつけるっていうのは、堅苦しく聞こえるし......
えななんさん、って聞く方も言う方もえ? ってなるしね!』
「ああ確かに。」
『あんたら名前馬鹿にしてんの?!』
そんなことを話しながら、夜は更けていく。
この輪の中に雪とKが帰って来たのは、もう少し経ってからだった。
『みんな、サンプル送るね。』
Kの一声と共に、スマホの通知音が鳴る。
消すのを忘れていたその音に軽く驚きながら、送られてきたファイルを開いて再生する。
なんとも心のこもっている音だ。
細かな感想は僕の語彙力不足が故に無理だが、この音がいいものであると言うのは普遍の事実である。
ただ、これは......
ちょっと眠気に勝てない......
時刻を見れば3時。
いつもならもう寝ている。
「すいません、ちょっと、落ちま......」
『え、nine寝た?』
『寝たねこれ...』
落ちる寸前で断りを入れ、僕の意識は混濁した闇の中へ落ちていった。
『......あの女も可哀想だな、お前が起きる事だけを信じて生きてきた様なものなのに、本人が起きた翌日に死ぬとは。
じゃあな咲、手切れ金は渡したから、二度と私達に寄るな。』
何故、このタイミングでこの夢を見る。
もう去った人だ、起きたばかりの僕の前に現れただけの人だ。
それだけの人なのに、鏡のないこの夢の中でもわかるほど、僕の顔は醜く絶望に筋肉を軋ませた表情を取っている。
いつだか僕は藤田であった時のことを『そこそこ幸せ』と言った。
だが、今こうして四宮になってニーゴのみんなといて、わかった事がある。
アレはそこそこ幸せなんかじゃない、かなりの不幸せだ。
待て、帰るな、体動け。
僕はあの男の首を掴んで、言わなきゃいけない事が━━
「ア゛ッ!」
目を覚まし思い切り起き上がると、頭が何かと激突して痛みが走る。
あまりの痛みに、自分が置かれている状況を理解するまで5分ほどかかった。
「いったぁ......
って、どこここ...?」
真っ白。
見渡す限りの白が視界を満たし、アクセントとでも言わんばかりに鉄骨等が地に突き刺さっている。
手に持っていたはずのぬいぐるみも無く、たった1人困惑していると、背後から無垢な声がかけられた。
「大丈夫?」
聞き覚えが何故かあるその声に振り向くと、そこには全身アシンメトリーな灰髪の女の子。
「......初音ミク?」
「うん。」
「じゃあ、ここはセカイって言う所なの?」
「そう。
人の”本当の想い”を映し出した場所。」
地べたに座り、目の前にいるバーチャルシンガー、初音ミクからセカイの説明を受ける。
僕にとってその説明は現実の域を超えていて、傾げた首はフクロウのようにくるりと回るのでは無いかと言うほど。
ここで1人寂しく無いのかとミクに聞いたが、『みんな』が来てくれるから寂しくは無いらしい。
そのみんなが誰なのかまでは知る由も無いが。
「...すごいな、現実じゃないのに、確かに身体はここにある。」
説明を受けて理解こそすれど、信じる事はできない。
今一度手を開いたり閉じたり、頬を左右に引っ張ったり。
確かめるための行為全てがここを確かにあるものと突きつけてくる。
360度周りを見渡しても白い背景と鉄骨以外のものは無く、出口らしきものはない。
......どうやって帰ろうか。
「これ、どうやって帰るの?」
「音楽を止めれば帰れる。」
「音楽?」
音楽など流した覚えはない。
怪訝な顔をしながらポケットに何故か入っていたスマホを見ると、そこには『悔やむと書いてミライ』と書かれた音楽ファイルが再生された画面が。
一度ミクの方を見ると、彼女はコクリと小さく頷いた。
停止ボタンを押すと、体を光が包み視界が消えていく。
「......さようなら。」
ミクのその言葉に返答する間も無く、次に目を開いたときには椅子の上であった。
時間を確認すればもう少しで開店時間。
ただ1人ルームに入ったままのナイトコードを閉じ、着替えを始めた。
「夢......では、無いんだな。」
充電器に差してベッドへ投げたスマホの画面には、『悔やむと書いてミライ』と書かれた音楽ファイルが、形として残っている。
困惑する頭を冷水で落ち着かせ、僕はカウンターへ立って今日も働く。
今度、ミクにもぬいぐるみを作って渡そうかな。
『みんな』がくると言っても、あの場所では孤独があるだろう。