「緊急事態だってのにこんな事しかできないで、本当すまねえな。」
雨と車の音が聞こえる。
玄関先にてマスクを着けた店長さんから咲の着替えを受け取り、軽い会釈をした。
「あいつを連れ帰って寝かせたいのは山々なんだが......
まあこっちも面倒ごとを抱え込んでてな、今俺の家にあいつを連れて帰っちゃ不味いんだ。」
「......どなたかいらっしゃってるんですか?」
「ああ、まあ...
あいつの妹が、ちょっとな。」
それ以上の詮索はやめておいた。
軽自動車が家の前から離れ、また雨の音が世界を覆い尽くす。
きっとこの雨は明日まで晴れることはないだろう、天気予報を見たわけではないが、謎の確信があった。
リビングに戻ると、久しぶりに取り出した毛布に包まり瞳を閉じている咲がソファに横たわっていた。
マスクを付けていて口元は見えないが、きっとその意識は夢の彼方へ飛んでいるだろう。
聞けば風邪をひいたのは、記憶にある中で初めてらしい。
とりあえず風邪薬と少し前に望月さんが買って来たスポーツドリンクを飲ませた、あとは彼の体次第だ。
キッチンで水を一杯喉に流し込み、自室からノートパソコンを小脇に抱えてテーブルの上に置く。
自室のパソコンと共有してあるファイルを開き、ヘッドホンを着けてメロディーを記していく。
作業効率の話をするならば確実に自室でやったほうがいい。
だが、体調の悪い彼氏を放って曲作りに勤しめるほど、わたしは変わっていないわけじゃない。
そう考えるとわたしは貴方に、結構救われているのかも知れない。
水の入ったポットのスイッチを入れ、咲を視界に入れながら今日手に入れたアイディアを詰め込んでいく。
時間などあっという間に過ぎる。
とりあえず詰め込んだメロディーから引き算の要領で要素を引いていき、まふゆの作った歌詞に合わせてみた。
「......うん。」
いい感じだ、皆に聞かせる最低ラインには来ただろう。
ここからはナイトコードでまふゆ達とブラッシュアップすることにして、一旦休憩をとる。
いつのまにかぬるま湯になっていたポットの中身を、スイッチを入れてまた加熱した。
数ヶ月前であればここで休憩を取らずにここからだ、とさらに曲へ没頭していた。
ある種耳が痛くなるほど咲に言われた『休憩をとれ』と言うのが効いているのかも知れない。
「ん”ん......」
そんな事を考えながらカップラーメンのビニールを破いていると、うんともすんとも言わなかった咲に動きがあった。
キッチンから戻り確認してみると、体は横に向き、腕は地面に向けてだらりと垂れ、着けていたマスクは床に落下している。
おそらくであるが、息苦しくなって取ったのだろう。
顔を覗き込んでも反応が無いのを見るに意識もない。
......こうして寝顔を見ていると、年相応だなと感じる。
この場合は精神年齢相応か?
幼さの残る顔。
彼の役者のような、演技の表情を多く見て来たからこそ思う事だ。
見とれていると、ブッとスマホが震え驚きに飛び上がる。
自身のスマホでない事を確認してから彼のスマホを見ると、メッセージアプリの通知のようだ。
画面には『美雲』の2文字。
ピシッと音が鳴った気がする。
震える手でスマホと咲の手を掴み、指紋認証を突破してそのメッセージを確認する。
本当は彼が起きている時にやった方が良いのだろうが、そんな勇気はない。
飛んだ腰抜けだ。
アプリが開かれ、白い画面から本題の画面へと移る。
恐る恐る見ると━━
『これが曲のファイルです』
『ありがとう。
存分に歌わせて貰うわ。』
『いえいえ、礼なら奏さんに言ってください。
あの人に教えられてこの曲が出来たんですから。』
『宵崎さんが大好きなのね?』
『それはもう。』
『きっと貴方の師ならもっと凄いのでしょうね。
改めてありがとう。
......彼女さんに勘違いされたく無いなら、このトーク画面は消しておく事をお勧めするわ。
それじゃあ、また。』
......ひどく真面目な話だった。
ちょっとした疑いを彼にかけた事への罪悪感が、心を染める。
その上ホーム画面に戻ると、そこに写っていたのはわたしの寝顔。
いつ撮られたかはわからないが、しっかり画角内にわたしの顔が収められている。
仕返しに咲の寝顔を撮り、出来上がったラーメンを啜った。
25時、ナイトコード。
入って少しすると、少々興奮気味のえななんが通話に参加した。
『とりあえずこれ見て!』と送られてきたのは文化祭にて咲が歌って踊っている動画。
あの場に絵名が居たのだろうか。
体育館内には見当たらなかったが。
『えっ、えななん何これ?!
ニコニコの咲が踊ってるよ!?』
『弟が撮ってきたの!
咲ってこんなアグレッシブだったの、K?』
「うん......まあその場にわたしも雪も居たし。」
『というか、その本人どうしたのかな?
疲れて寝てる?』
『......K、今日は歌詞を詰めるんでしょ。』
黙っていた雪が遮るように口を開く。
正直助かった、このままだったら2人の渦に飲み込まれるまま話し続けていただろう。
「うん、じゃあまずここを......」
『雪もさ、僕達誘ってくれれば良かったのにねー。』
『でも良かったんじゃ無い?』
『何が?』
『最近咲をセカイに呼び出し過ぎだったし、Kがnineを独り占め出来る時間があっても。
一応カップルなんだから。』
『ちゃんと考えてるんだね。
...えななんなのに。』
『ハア?!!!
なのにって何よ、いらない事言わなくていいの!』
結局今回は3時まで続き、歌詞をさらに洗練させる事ができた。
次の公開日をSNSに予告し、床に入る。
「...ふふ。」
写真に収めた彼の寝顔に少し笑みを浮かべながら、微睡に意識を落とした。
外では未だ、雨が降り続けている。