咲が
今日をもって彼はこの家を離れ、喫茶店の二階へ戻る予定になっている。
寂しさが無いかと言われればそれはもちろんあるし、何なら帰ってほしくない。
でもそれは欲張り過ぎるだろうと、朝ごはんを食べながら自戒した。
「......美味しい。」
いつも通り、美味しい。
食べ終わり流しへ置いて、着替えを取りに行こうと自室へ向かうと、風呂上がりの咲に出くわした。
頭を洗ったのか髪の毛は湿っていて垂れ下がり、シャンプーのいい匂いが鼻を撫でる。
何よりわたしに取って刺激的だったのは、着ようとしていたシャツをその手に持った裸の上半身だろう。
細身でありながら、たしかに男らしく筋肉がついている。
しかしその身体には凄惨な事故を想像させる無数の傷跡が、至ある所に飾り付けられていた。
「その、あんまりまじまじと見つめられると......」
「あ...ごめん。」
いつのまにか釘付けになっていた目線を無理やり彼の体から外し、少し小走りで自室へ向かう。
......2人密着して寝ていると言うのに、こう言うところだけは互いに初心である。
風呂にはこれから入るのに、まるで既に浸かり終わった様な熱さが身体を覆った。
横目に見えた彼の顔色を見る限り、それはどちらも一緒の様だ。
「それじゃあ、行きましょうか。」
「うん。」
今日は本当に他愛の無い1日。
デートもなければ打ち上げ、ニーゴ内での遊びでも無く、ただ出かけるだけ。
そんな日常を噛み締めながら、手を繋いで歩く。
初めに来たのは手芸用品店。
最近綿も生地も使い過ぎて足りなくなっていたらしい。
咲は流れる様に生地と綿、それに少しの糸を入れていく。
レジに通して表示された金額は3000とちょっと。
割とするのだなと素人な感想を抱きながら、満足げな様子を見せる咲と自動扉をくぐった。
外は家を出た時に比べると日が差していて、ちょっと暑いかなと言ったところだ。
「アイスでも食べましょうか、暑くなって来ましたし。」
「うん、そうしよう。」
ちょうどよくアイス屋を見かけ、立ち寄った。
メニュー表を見ながら、2つの選択肢に頭を悩ませる。
ここの店名は、以前絵名と瑞希が話していた美味しいアイス屋と同じもの。
2人が口を揃えて美味しいと言っていたのは人気No. 1のバニラ、なのだが......
少し前に望月さんとアップルパイを食べた時から、わたしの中で軽いりんごブームが起きている。
そのせいで迷っているのだ、『すりおろし丸ごとりんご』とバニラの間で。
胃袋に相談するまでも無く2つは食べられない。
顎に手を当てて深く考えていると、隣にいた彼が先んじて注文を発した。
「すりおろし丸ごとりんごと、バニラを一つずつください。」
「え......」
「分け合って食べましょうか。」
何故その2つで迷っているとわかったのだろう。
そんなりんご、バニラで迷っていると分かりやすい顔をしていたか?
......疑問こそあれど、ここは店内。
とりあえずアイスを店員さんから受け取り、また歩き始める。
「......なんであの2つで悩んでた事、わかったの?」
太陽の下、アイスで身体を冷やしながら、咲へさっきの行動の真意を聞いてみる事にした。
彼はわたしの持つりんご味のアイスを一口食べ、『んー』と一瞬の思考をして答える。
「なんで、と言うことは無いです。
多分これで悩んでいるんだなって言う当てずっぽうですよ。
結果的に上手くいったのでオーライぐらいの感覚だから......」
深く考えなくて良かったようだ。
そっか、と一言だけ返し、互いに手に持ったアイスを食べる。
人通りの少ない道。
側から見たら、わたしたち2人はどう映っているのだろう。
口数も少なくただ無言で歩く姿に、不仲だと思うだろうか?
実のところ、そう思われても仕方ないと思う。
だがこれは停滞期でも、ましてや不仲なわけでも無く、ただ一緒にいる期間が長く濃密であったが為に、心が通じ合っているだけなのだ。
熟年夫婦がやる様な、『あれとって』『はいはい醤油ね』と同一のもの。
互いに口数は少なくとも、愛は伝わっている。
「あっ......」
「...どうしたの?」
冷やした頭でそんな思考を回していると、咲がわたしの顔を見て立ち止まる。
少し思案した顔で両手のアイスと袋を見てからちょっとすいませんと前置きを置いて、その顔をこちらに近づけた。
唇が重なる。
あまりに唐突な彼の行動にわたしは目を白黒させ、彼は赤くなった顔でこちらに微笑んだ。
「付いてました、リンゴのかけら。」
彼は自慢げに、わたしの唇から奪ったリンゴを長い舌の上に乗せて見せた。
本当に心臓に悪い。
思えば、これが2回目のキス。
嬉しさと困惑と、余裕そうな彼に対する少々の苛立ちというのが心の中で渦巻いている。
「......言ってくれれば良いのに。」
「口を開くより先に身体が動いたので。
それに、こんな感じじゃ無いと僕は自分からキスなんて、出来ませんよ。」
「帰ったら耳掃除するから。」
「ええ?! なんで?!」
狼狽する咲を見て少し笑みを浮かべながら、アイスを舐める。
互いを隔てる氷の壁は、もう完全に溶けていた。
昼ごはんを食べ終わり、帰路の途中にあったスーパーへ寄る。
本来なら行く予定は無かったが、そう言えば冷蔵庫内の食材が減っていたのを思い出し、奏さんに一言断って寄らせてもらった。
カゴを持ち野菜コーナーの横を通ると、ひんやりとした空気が熱された頬を撫でる。
身体を震えさせている奏さんには、上に着ていた一枚を無理矢理着せた。
長い袖が彼女の絹の様に白く繊細な手を隠し、その余った袖を口元に持ってきて何やら匂っている様だ。
......そんなに臭かっただろうか。
一応洗濯はしたのだが、もしかしたらこの熱い空の下で歩いているうちに汗臭くなってしまったかもしれない。
「臭ければ無理して着なくても良いですよ。
ちょっと寒いかもですけど......」
「だ、大丈夫......」
そう答えた彼女はどこか上の空で、「良い匂い...」と小さな声で呟いた。
まあ、それは、どうも。
そこそこ広い店内を歩き回りながら、必要なものをカゴの中に投げ入れていく。
調味料、肉、野菜......
どの素材でどんな料理を作るか、しっかり考えながら買い物をする。
ああでも、臭いの強烈なもの、パクチーとかは入れない。
理由は単純明快、奏さんと僕が苦手だからだ。
苦手なものを無理して食べることって、とんでもなく無駄なことだと僕は思っている。
克服する事に対してそこにたどり着くまでの労力、リターンを考えたら食べない方が利口だろう。
大概必要なものをカゴに入れ、レジに向かおうとする、と。
『欲しいものがある』と1人違うところへ歩いて行った奏さんが、目を輝かせて両手に持ったものをカゴに入れる。
思わずため息をつき、左指でその脇腹を突いた。
「ダメです。」
「うっ...なんで...」
「まだ家にあるもの、全部食べていないでしょう?
新しいものは全部食べ終わってからって約束したじゃ無いですか。」
「うう......」
入れたものは皆様お察し、カップラーメンだ。
遠目に見える新発売と銘打たれた棚には、入れられたものと同じラーメンが大量に置かれている。
好きな物である、と言うことはわかっているのだが......
いかんせん、健康に悪過ぎる。
だからこそせめて週一に抑えようとしているのに。
「......ダメ...?」
「んん〜......
......今回だけですよ。」
こうして上目遣いで懇願されると、負けてしまう。
これは大概僕が悪いのでは無い、奏さんが可愛いのが悪いのである。
「じゃあ、こっちは咲のだから。」
「あっ僕も食べるんですね。」
健康診断が今から心配になるなぁ。
「「ただいま。」」
夕方、扉を開けて帰宅の宣言をする。
正確には僕の家では無いのだが、まあ細かい事はいいだろう。
冷蔵庫に生物を素早く入れ、プラスチックの棚にカップラーメンを突っ込む。
奏さんは一度自室へ戻り、外出用の服をいつものジャージに着替えてソファに座る。
その膝にはパソコンが乗せられていて、早速先日収録が終わって後は公開するだけの曲を準備している様だ。
邪魔をしない様にテーブルへコップに注いだ麦茶を置き、僕は僕で晩ごはんの準備と、ニーゴのみんなに渡すものの準備を始める。
結局僕がニーゴでやっているのって、歌う事と、たまに奏さんに呼ばれて歌詞の確認と口出しをする事だけ。
MVを作っている瑞希さんやイラストを描く絵名さん、もちろん奏さんまふゆさんにも頭が上がらない立場だ。
以前その事を話したら気にしなくて良いとは言われたが、まあ、気にする。
そこでちょっと考えて、今日はナイトコードに集まる前にセカイへ来てもらう事にした。
僕に出来ることといえば歌う事と料理を作ることぐらい。
ならお菓子でも作ってお疲れ様とプレゼントしようと思ったのだ。
昨日から準備しておいたオレンジを取り出し、気合いを入れてお菓子作りに挑む。
「奏さん?」
「うん?
......どうしたの?」
「ちょっと味見をして欲しくて。」
「わかった。
......ん、美味しいよ。」
「良かった。
じゃあ晩ごはんにしましょうか。」
「うん。」
「━━で、どうしてセカイに集合させたの?」
「まあ、いつもお世話になってるので......
お菓子を作ってきたんです。
オランジェットって言うんですって。」
「おしゃれー!
毎回喫茶店でケーキを食べると思うけどさ、咲ってこういうの得意だよね!」
「装飾も凝ってる...!
映えそー......!
一枚家に持って帰って良い?」
「......暖かい。」
「......」
「ミクさんリンさんも食べましょう?
ちゃんと皆さんの分、作ってきましたから。」
「いいの...?」
「はい。」
「...もらう。」
「どうぞ。」
「...あの子、咲?
メイコの懸念は外れたみたいね。」
「ルカ......消えなかったのなら別にそれだけ。
わたしは外から見守るだけだから。」
「あら、でもあの子たちはそうはさせてくれないみたいよ?
ほら、手を招いてるわ。」
「それはあっちの都合でしょ、わたしは━━って、ルカ?!」
「わたしたちももらって良いかしら?」
「はい、勿論。」
何もなくとも賑やかなセカイから戻り、ナイトコードにてまだ収録していなかった自己紹介を収録して、今日を終える。
いつものように風呂に入りいつもと違い耳掃除をされ、またいつものように2人で布団に入る。
明日にはここを出て喫茶店に戻る。
心ではわかった気でいても、何処かで彼女と別れたく無いと思う僕がいた。
これは強欲なのだろうか。
子供の様な心を鎮めるために、布団に包まり頭だけ出した奏さんの髪を撫でる。
サラサラとして、触り心地の良い白い髪。
喉から帰りたく無いという言葉がでない様に、唇を噛み締める。
そもそもこの同棲は僕が迷惑をかける形で始まった物。
いつか終わりが来るのなんて分かっていたが、いざ来てみれば胸が苦しくなる。
不意に、奏さんが僕に抱きついてきた。
そこそこ勢いよく抱きついてきたため、思わず驚いて声を上げる。
言葉無く密着して少しが経った頃、布団の中から必死に押し殺す様な嗚咽が聞こえてきた。
シャツが濡れてきているのを肌で感じ、僕も布団の中に潜ってスマホのロック画面、その光で確認する。
そこには、先程の僕の様に唇を噛み締めて泣く奏さんの姿があった。
「どうしたんですか?」
焦りを隠さず、彼女に問う。
奏さんは一度ジャージの袖を濡らし、耳元まで顔を近づけて涙声のまま話した。
「帰って...欲しくないよ......一緒にいて欲しい。」
端的で、かつ心からの願いがこもったその言葉が僕の心に突き刺さる。
彼女にとって僕はそれほどまでの存在になっていた。
奏さんの様子を見るに、押し殺して送り出そうとして、耐えきれず口をついて出てしまった言葉。
強欲だなんて、とんだ謙遜だった。
僕は奏さんを一度引き剥がし、しっかりと視線を合わせて口を開く。
「━━僕も帰りたく無い。
......でも仕事には行かなきゃならないし、色々と持ってこなきゃいけないものも多い。
だから1日だけ、待てますか?」
「......うん。」
「仕事を早めに切り上げられる様頑張りますけど、遅れるかも知れない。
我慢、出来ますか?」
「うん。」
今度はちゃんと、目を見てキスをする。
永遠にも思える時間口づけを交わし、もう一度、今度は僕から奏さんを抱きしめた。
「改めて、よろしくお願いします。
......大好きです。」
「......わたしも。」
カーテンの締め切られた真っ暗な部屋の中、2つが1つに交わる。
このセカイに、2人。
歌い奏でて咲き誇り、生きていく。
2人で救いあって行けるはずだから。
『自己紹介、か......』
『えっと、僕の名前は四宮、咲......
あ、ハンドルネームか。
僕はnine、ニーゴでは歌と、たまに歌詞をやってます。
入ったきっかけは......Amiaさんに歌を撮られて、それがニーゴに行って...Kさんから誘いを受けた形ですね。』
『次は...好きな食べ物?
Amiaさんこれ本当に要りますー?
......まあ良いか、好きな食べ物はみかんですね。
理由とかは特に無くて、単純に美味しいので。』
『抱負...抱負か。
大切な人を失った者として、悲しみを知る者として、同じような境遇の人を助ける様な歌を歌いたい。
転ぶ事を防止することはできないけど、立ち上がる事を手助けすることはできるはずだから。』
『こんなもんですかね?
え、最後に一言?
えっと...... また、会えると良いですね。
ありがとうございました、さようなら。』
最終話の閲覧ありがとうございました。
これにてひとまず、奏で彩る7=16は完結となります。
1ヶ月間見て下さった皆様には本当に感謝してもしきれません。
これから別のキャラでプロセカのお話を書くかも知れませんし、最近ハマっているFGOのお話を書くかも知れませんが、もし見かけた際は生暖かい目で胸見守ってもらえれば幸いです。
評価感想等、よろしくお願いします。
お目汚し失礼しました、チクワでした。
また会えると良いですね、ありがとうございました、さようなら。