奏で彩る7=16   作:チクワ

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雨と魚の物語

 

 電車に乗り込み、気落ちする心を前に向けようとしてスマホをしまって窓の外へ視線を移す。

 あれ以来連絡も無ければ出会うこともなく、また俺の電車通学はひとりぼっちの寂しいものとなってしまった。

 言いたかった礼もあったのだが...... 最低でも消える事はなく、俺を嫌っただけであってくれればいいさ。

 これ以上彼女の在り方にどうこう言ってしまえば、それは朝比奈さんの心を流してしまった人たちとあまり変わらなくなってしまう。

 信じる者は救われるとかじゃないが、自分にできるのは彼女がまだこの世にいることを信じることだけ。

 

 ふぁ、と欠伸をして、今日の小テストに備えてノートを開く。

 何、数学なんてものとは違って今回の小テストは科学だ。

 科学は数字を使わないわけじゃあないが、それ以上に優しく嬉しい事は物事や結果、物質にしっかりとした言葉がついてくる事。

 ナントカ反応、ナントカ化、はたまた細胞の名前。

 時折訳の分からないバカみたいな何かが混入してくることこそあれ、多くはちゃんと頭に入れさえすれば七、八割は答えられよう。

 

 さて、本来こう言う小テストなぞ通過点に過ぎず、ここでの点数をどうこうと捉える人間は少ないと思われる。

 むしろ俺の様にちゃんと勉強してる人が、うちのクラスに何人いるだろうか。

 

 ここについては色々と理由があるが...... 一言で表すならば、()()()()()()()()()としておこう。

 ──ちゃんとメモしておいた甲斐もあり、なかなか自信がついてきた...... が、ここで予想外。

 

 「あれ、なんだこれ......」

 

 その問題とは『0度を下回っても水が凍らない現象の事を書け』というもの。

 ここにだけ、ヒントもメモも何一つ書いていないのだ。

 うーんうーんと唸りながら、前に置いておいたカバンの中からシャーペンを取り出して考え込む。

 普通水が凍る下限は0度では? しかしここに書いてある事を見る限りではそうでもなさそうだし、そうなると...... なんだ?

 

 答えが出ないまま下を向いていれば、不意に隣に座っていた人の指が伸びてその解答欄を指差した。

 

 「過冷却。」

 

 「ほぇ? ......朝比奈さん。」

 

 その指の主人は、いつの間にか横にいた朝比奈さん。

 目を見る限り本格的に俺の前で優等生を演じるのは辞めた様で、トーンの低い声が鼓膜を揺らした。

 正直言って『良かった〜!』という気持ちではあるが、果たして彼女が本当に、消えるのを辞めたのか?

 ただタイミングを失っているだけでは?

 可能性がゼロにならない限り、喜びは一過性の毒にしかならない。

 

 出来る限りの平静を装い、彼女の言った答えに頷きながらノートに書き込む。

 

 「過冷却...... 何か覚えやすい例え方とかありますかね?」

 

 「先生が言ってたのは、『ボーっとしながら歩いていたら家の前を通り過ぎちゃって、慌てて戻るようなもの』って。

 刺激を受ければすぐに凍る、ガラスみたいな状況みたいに言っていたけど。」

 

 少しの衝撃ですぐ壊れる状況、まるでガラスみたいな。

 ......ああ、と理解した。

 身近に一番わかりやすい例があったじゃないか。

 

 「──離婚みたいな。」

 

 元から冷え切っていた仲が、教育方針の違い(ほんの少しの衝撃)で凍る。

 自分で言うのもなんだが、これ以上ない例え方だと思うのだ。

 ......朝比奈さんはどうでも良さげだが。

 と、電車がそろそろ降りるべき駅が近い事を知らせた。

 過冷却の三文字を急ぎ記入してノートを仕舞い、彼女に小さく礼をして立ち上がった。

 

 しかし、開くドアに向かう俺の足取りを後ろから聞こえた朝比奈さんの声が引き止める。

 これまで数回登校した中で初の経験に驚き、眠気が残っていた目を開いて彼女をレンズの中に収めた。

 表情が変わる事はなくとも、その声にはいくらか()()があって、曲がりくねりながらも前を向かうと言う意思が見える。

 

 「......帰り、待ってるから。」

 

 その日の小テスト。

 過冷却が答えの問題は無かったが、それでも一つの達成感が俺を満たしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道にて。

 急な雨に見舞われ、駅まで走ってきたはいいが全身ずぶ濡れ。

 どうしたものかと電車に乗り込み、濡れたまま椅子に座るのは悪いと思って吊り革を掴んで数駅耐える。

 服は水を吸って重く、寒さが少し体に響く。

 

 風邪はひきたくないが傘は無い、もう朝比奈さんは先に帰っているだろうし自分も走って行こうかと心の準備を決めたところで、後ろからトントンと肩を叩かれた。

 振り向けば、折り畳み傘を開いてこちらの目を見る朝比奈さん。

 

 黒い傘にあの目、見る人が見ればホラーかもしれない。

 でも俺にとってはとても嬉しい事だった。

 誘われるままにその傘へと入らせてもらい、家に向かって歩き始める。

 彼女が濡れないように肩を少し外へと出しながら。

 

 「──じゃあ、消えるのは辞めてくれたんですね。」

 

 「そうだね。」

 

 どこか他人事の様なその返答に心から安堵し、胸を撫で下ろした。

 俺自身が彼女を止めたわけでは無いだろう、手を払われたし。

 それでも、彼女がその姿をここにおいてくれている事が嬉しくて仕方がない。

 

 「いやー感謝しなきゃですね。

 俺一人じゃ朝比奈さんを止められなかったけれど、お友達の方々なら貴女の心を見つけられるって思わせてくれたんですから!」

 

 「......ありがとう。」

 

 「なんで俺に向けてなんです?」

 

 「──そうしなきゃって、思ったから。

 ......なんでだろうね、わからない。」

 

 驚愕しっぱなしだ。

 別に俺に対して感謝をしろと言うわけでは無いのに、彼女は少し俯いてこちらに言葉を送る。

 感謝される様な事はやっていない、ただ放っておけなかったからやっただけの事なのだと。

 でも......

 

 

 「ふへへ、よかった〜......」

 

 感謝されるのは、うれしい。

 

 「変な笑い方だね。」

 

 「ええ?!」

 

 この手厳しさも、ある程度許されたからこそだろうか。

 それならなおのこと嬉しいが。

 

 「趣味とかあるんです?」

 

 「アクアリウムならあるよ。

 ......海藻しか入ってないけど。 それだけで満足したから。」

 

 「へー...... じゃあ、その内に魚を見に行きましょ。

 ちっちゃなメダカでも、飼えば結構可愛く見えますよ。

 結局人間なんて直接触れてみなきゃわからないんですから、満足のもう一個先に行ってみましょうよ!」

 

 こうは言ったが、そのアクアリウムはいわば朝比奈さんの心の鏡みたいなものだろう。

 水槽という自分自身に水と海藻というカタチだけ作った心の殻を入れて、そこにあるはずの(こころ)は居ない。

 

 乗りかかった船。

 引き留めたことに満足してハイさよならじゃなくて、その水槽に魚を入れるまで彼女と一緒に行こう。

 

 マンションに辿り着き、彼女とは駐輪場の屋根の下でお別れ。

 ひとまず礼をしてから心を落ち着かせ、冷静になってから彼女にある提案をしてみる。

 

 「その、次の休みにでも遊びに行きませんか?

 ......いや無理にとは言わないんですけど、えっと、何処かに遊びに行って、心を掴むヒントでも手に入れられればなって。」

 

 ちょっっと怖かった。

 いつになっても誰かを誘うのは怖い。

 彼女は少し視線を横にずらしてから、見上げる様にして答える。

 

 「......別に、いいよ。」

 

 ......どっちのいいよ?

 

 「行くってこと。」

 

 「じゃあどこ行きましょう?

 ショッピングモールとか、ちょっと遠くとか。」

 

 「どこでも、かまわない。」

 

 「じゃあショッピングモールで!

 後で色々連絡しますね!」

 

 彼女に手を振り、彼女も真似をする様に小さくこちらに手を振る。

 その後ろ姿を見送ってから自分の部屋に戻り── 言うのを忘れていた事を思い出す。

 一つくしゃみを繰り出してから、彼女に電話することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中を行く。

 あの日の私をみる様な土砂降り。

 ずっと晴れないと、光の差し込まない曇天だと思っていたのに── いつのまにか、ずかずかと入り込まれていた。

 

 奏、絵名、瑞希。

 そして、何も知らなかったのに私を暴いて、セカイに来たわけでも無いのに入り込んできた、彼。

 私が何故、探し続けると言ってしまったのかはわからない。

 あそこで全てを振り切って消えてしまえば、この先にある失望を受けることも無かったのに。

 

 『貴女の在りたい朝比奈まふゆ(あなた)を探そう。

 にも、って言ってたんだから、俺以外にも気づいている人はいるでしょう?

 ......もう一人じゃないから、まだ諦めないで。』

 

 もう一人じゃない。

 彼に何がわかったのか? いや、分からなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ......ポケットからバイブ音が鳴る。

 スマホを取り出せば、そこには『和久井一也』の文字。

 通話ボタンを押して耳にそれをくっつけた。

 

 『もしもし、ごめんなさい、言うのを忘れていた事があって!

 少し前にあった数学の小テスト、朝比奈さんに教えてもらったおかげでいい点数が取れて...... 母親に怒られなくて済みました。

 言っておかなきゃなって思って。』

 

 「そう。

 ......あ。」

 

 思えば、気になる事はまだある。

 電話を切ろうとした手を止め、彼が何故私を、そこまで気にかけるのかを聞く。

 

 『──変わらないですよ。

 朝一緒に投稿する人が、放課後一緒に帰る人が居なくなる。

 ああでも、ひとつ増えたかもしれない。

 朝比奈さんの心を見つける手伝いをしたいんです。』

 

 「......変なんだね。」

 

 『そうでも無いですよ。

 ......人は大なり小なり承認欲求を持っていて、それを満たす為、誰かに認められるために人の言う事を聞いてしまうきらいがある。

 朝比奈さんも...... 俺だってそう。

 それで心を流されてしまったあなたは、言ってしまえば俺の行き着く先でもあるんです。

 だから、放っておけなかった。』

 

 

 通話が切れ、家の前に着いた。

 胸に触れた時に流れた変な感覚に首を傾げる。

 

 「よく、わからない。」

 

 

 

 

 

 





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