奏で彩る7=16   作:チクワ

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衝動の物語

 

 ──二ヶ月近くが経った。

 優しい春の陽気はいつのまにか鋭い夏の日差しへと移り変わり、青葉が生い茂る季節となった。

 私を取り巻く環境も少しづつ変わり、ナイトコードには奏がスカウトした素人の男性、四宮 咲が参加し、二年生となって変わっていたクラスにも表面上は馴染むことができた。

 ......しかし、どこまで行こうと心を見つけるには至っていない。

 奏の曲は確かに私の内へ、閉められたクローゼットの扉を開けるように突き刺さる、が。

 どうあれ掴み切れはしない。

 それとは別に和久井くんも協力してくれてはいるが、むず痒いものだ。

 

 さて、件の和久井一也だが。

 

 「和久井くん。」

 

 「......」

 

 「和久井くん?」

 

 この二ヶ月で、どこかに心をやってしまったように反応が悪くなった。

 一度で返答を返す事は少なくなり、このようにぼうっと何処かを見ている時には二、三回繰り返さなくては言葉が返ってくる事はない。

 覗き込むように二回目の言葉を発せば、彼は心を自分の体に引き戻して申し訳なさそうにこちらを見る。

 いくらか痩せたようだった。

 

 私が伝えようとしていたのが電車の到来であることがわかるとすぐに立ち上がり、鞄を抱えて伏せがちな目で笑う。

 

 聞けば『追い込み』が凄いのだと。

 

 「随分前だけど、朝比奈さんに見苦しいものを見せた日からずっと。

 前までなら許されてた点数でもすごく怒られるようになって、だんだんご飯を食べる気もなくなってきちゃって。

 ......でも今日返されるテストは自信ありなんですよ!」

 

 彼がそう言って取り出したるは、男子高校生には確実に足りないであろうクッキー。

 封を切ると甘い匂いが漂ってきて.それがあくまでも糖分補給のためのものだという事がわかる。

 

 「そう。

 ......食べたほうがいいよ、頭が回らないから。」

 

 「分かってるけど...... どうにも手が進まなくて。

 ──朝比奈さんが食べさせてくれたらいけるかもな、なんて......」

 

 冗談めかして笑った彼の手からクッキーをつまみ取り、『口を開けて』と言ってからその中へと優しく置く。

 同時に電車が訪れ、その扉の向こうから人の群れを開放した。

 キョトンとした顔のままな彼の隣で吊り革を掴み、

波打つ心臓の鼓動に耳を傾ける。

 人差し指が唇に触れた感触。

 それが手を握って開いてもリセットされる事なく指先に残っている。

 

 「これでいいの?」

 

 「あっ、はい...... びっくりした。」

 

 顔を赤くして顎を動かした彼と自分を見比べるように、トンネルに入って反射がよく見えるようになったガラスを見る。

 私の頬に紅が差している事はない。

 ──なら、どうして胸が揺れ動いているのか?

 答えは出てこなかった、おそらく医大の参考書にすら書いていない不思議な動悸だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はい。」

 

 放課後、以前までニーゴの打ち上げ場としてよく使っていたファミレスにて、頼んだアイスをスプーンで掬い、和久井くんの口へと入れ続ける。

 一度二度三度、掬って入れて掬っては入れてを繰り返していれば、何回目かに彼の手がその行為を止めんと立ち塞がる。

 彼はひどく混乱した様子で、私が行うこの行為の理由を求めた。

 

 「んぐっ、どうしたんですか?!

 確かに最近暑いからってアイス頼みましたけど、何も朝みたいに食べさせてもらいたかったわけじゃ──」

 

 「はい。」

 

 「はむっ。」

 

 そうは言うが差し出されれば食べる。

 しかしいよいよストップがかかり、私の手元からアイスとスプーンが取り上げられた。

 彼がこの行為の理由を求めるのも尤もだろう、しかしその理由が彼に開示される事はない。

 ()()()()()()()()()()

 

 「わからない。 あの時触れた柔らかさとか、和久井くんが母親に向けた視線に感じた悲しさとか。

 それがこうしていれば掴める様な気がしたから。

 ......だんだん鼓動が早くなって、自分が自分で無くなるようなこんな感覚、要らないのにね。」

 

 「──何も、いらない事は無いと思います。」

 

 ああ、また。

 彼はずかずかとこちら側に入り込み、そうやって言う。

 しかしそれは傷つけるための侵入ではなく、証拠に彼が言葉として伝えるのは凶器の様に鋭いものではなく優しい花の様な心。

 何が跳ね返ってくるかわからない壁ですら理解しようとする、その心だ。

 

 「朝比奈さんが自分をまた見失うことがあれば俺も一緒に探しますから。

 だから要る要らない関係無しにその胸の中に入れていきましょう? 取捨選択はその後でもいいんです。」

 

 奏とは別のアプローチで分からない事を分かろうとする意思。

 また胸が苦しい。

 この気持ちは何?

 

 『ただ、下ばっかり向いて前を向けず泣いている子を放っておけないだけなんだ!』

 

 ただ放っておけないだけ。

 要らないお世話、無責任だと苛立ちを覚えた事は覚えているが、その奥に私は何を思っていた?

 言語化するのは難しい事だ。

 

 『全部分かってるし、その上で俺なりに努力してるんだよ......!』

 

 彼が見せた怒りに、私は苦しさを覚えた。

 私に向けられたのとは別の激情であり、遥かに悲しい声のそれに苦しさを。

 私は彼では無い、故にその心まで読み切る事はできない。

 ......()()()()()()()()()()()()()()()()

 苦しかったのはきっと、理解する事で彼が感じた哀しみや怒りを感じたかったから。

 感じてどうしたかったか?

 

 答えは出ない。

 でもわかることがある。

 

 『......人の夢を継ぐつもりはない。』

 

 『俺、いらなかったな。』

 

 彼もまた、人形(マリオネット)を嫌うだろうと言うこと。

 彼もまた、自分の在り方に吐き戻すほど悩んでいると言うこと。

 

 私をもう砕け散った心とするなら、彼は釘を刺されてヒビの入った心。

 他人から押し付けられてすげ変わってしまった医者という夢に疑問を呈した彼に、私は何を思ったか。

 

 「......和久井くん。」

 

 「?」

 

 私の心を帰納法で結論へ導き、生まれた何かを吐き出そうとしたその時。

 

 机の上に置かれていた和久井くんの電話が、音を立てて着信を伝えた。

 着信してきたのは母親の様で、出てもいいのかとこちらに視線を送ってきた彼へ『いいよ』と一言返した。

 

 「......ごめんなさい、帰って来いって事で。

 払っておきますね。」 

 

 「──うん。」

 

 少し早歩きで帰る道、どこか精気の戻る彼の顔を見て、私は安心していた。

 ──安心? 何故?

 恐らくこれはなぜなにの話ではなく、人の心にある衝動の話なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『そこは連立方程式の公式に当てはめればいいよ。』

 

 「......おー、ほんとだ。」

 

 朝比奈さんに教えてもらいながら、今後不安な箇所をチョチョイと軽く復習していく。

 珍しい事だ。

 なにが珍しいかって、この通話を望んだのは朝比奈さんの方なのだ。

 『25時まではやることが無いから』と。

 25時って言わば1時。 変な言い方するものだなと思いながらノートへ問題を写し、解いていく。

 既に母親には帰ってきたテストを返していて、今回は良さげな80点台。

 いくらここ最近厳しかったとはいえ、これにはお母さんも満足して俺を認めてくれるだろう。

 朝比奈さんには礼を言わなくては。

 

 「一也。」

 

 「ああ、はい。

 ......ちょっと席外しますね。」

 

 風呂上がりか、肌に赤みが差している母に呼ばれ、朝比奈さんに一言残して自室の机から立ち上がった。

 壁にかけられた時計を見れば現在時刻は5時。

 学校が午前中だった事もあり、まだまだ夜は来そうに無い── と、そう思っていたところに頬へ謎の痛みが走り、へたり込む。

 

 その正体はすぐに割れる。

 母親の繰り出した平手打ちだと。

 疑問と困惑の声を漏らせば、返ってきたのは数倍の声量で繰り出された怒り。

 

 「なんで......」

 

 「──なんでじゃないわよ!!

 何、80点? 分かってないのね、神高の80点は他校の50点!! こんなの自信満々に出してどう言うつもりなのよ!」

 

 「で、でも、俺頑張ったんだよ?

 友達に勉強教えてもらって、今だって復習とかして......」

 

 「あのねえ、頑張った程度で評価されるわけないじゃ無い。

 貴方は私が産んだとは思えないほど馬鹿だけれど、その分だと弛んでる()()()()()もそうなんでしょうね!」

 

 心に刺さった釘が更に深くへと進み、ヒビが大きくなる。

 すぐさま立ち上がり、自分が世界とでも思っている女の腹に力強く拳を打ちつける。

 くの字に曲がったそれを見下した。

 

 「俺を...... 俺を馬鹿にするならともかく、朝比奈さんを馬鹿にしてんじゃねえよ!!!」

 

 

 「何が80点は50点だ、なら100点取ったところで70点とかじゃねぇか!

 俺はそもそも医者になりたいわけじゃ無いし人形でも無い。

 頑張った程度で認められないなんて分かってる、だから結果を出したのに、それも否定して!!

 勝手に求めて勝手に俺を作り変えるな!!!」

 

 上着を取り、PASMOのくっついた鍵を持って部屋を飛び出す。

 もう嫌だった。

 消えてしまいたいと、朝比奈さんに顔負けできない事を思いながら衝動のままに走る。

 

 

 

 

 

 

 

 『和久井くん? ......ごめんなさいお母さん、少し出かけてくるね。

 うん、あんまり遅くならない様にするから。』

 

 

 

 

 

 

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