注意事項:ネタバレ
騎士王と守護者の話。
pixivとのマルチ投稿です。
どこかで見たような丘だった。
彼女の知るあの戦場から、死体が取り払われ血潮がすべて錆と成り果てれば、こんな光景にもなるかもしれない。誰に振るわれることもない剣が、墓標じみてただただ突き立つ丘だった。人の気配はない。ごうごうと大きなものが動く音が振動となって胃腑を振るわせていた。見上げると雲とも煙ともつかぬ灰色が空を覆って、僅かに巨大な歯車の輪郭を透けさせている。
アルトリアは、掲げ続けていた剣をついに地に突き刺し、それを支えとして一息ついた。あまりにも生者の気配が死んだ丘だ。静寂と孤独の享受を対価に、不思議な安心感を感じられた。死の匂いでも嗅ぎ付けているのだろうか、なぜか懐かしい心地がする。美しく、いびつで、悲しいほどに真っすぐな――。
「珍しいな、客人とは」
声に思考は露散した。
予想もしなかった声の主をゆっくりと振り返るだけの余裕を持てたのは、男の声から欠片の敵意も拾えなかったからだった。彼だけは私を傷つけまいと、奇妙な確信が囁いていた。
「あなたは……」
続けようとした言葉を、思わずアルトリアは飲み込んだ。ああこれはもはや死んだ命なのだと一目でわかったからだ。より正確に言えば、この男からこれほどの人の血の匂いがすることに、強烈な違和感を感じたからだった。
鋭いようで錆び付いていて、冷たいようで燃えている。既視と未知が同居する形容しがたい感覚に、アルトリアは知らず表情を険しくした。一方男の方は苦笑と言うのが最も近い柔らかい眼差しで、口調も穏やかなまま、
「悪いが他人はお呼びではない。見ての通り何もないところだ、遊んでいないでさっさと帰るといい」
アルトリアは更に眉間のシワを深くした。言葉の中身だけが酷く排他的で咄嗟に反発したくなる。
「遊んでなどいません、それに私とてここに来たくて来たわけではない。口振りからして貴公はここの先住か? 随分と、不思議なところですが」
墓場と言うには誰もいないが、纏う空気は処刑場のそれに似ている。あるのはただ、幾たびの戦場を切り捨ててきた騎士王の目からしても圧倒的に思える数の剣だけで、剣の墓場とでも呼ぶのが相応しいだろうか。ならばこの男は、さしずめ墓守りと言ったところか。
「ああ……ふむ、そうか。いや、これは失礼した。確かに君の言う通り、此処は君のような人間が簡単に辿り着く場所ではない」
「しかし現に私はここにいる」
「そうだな」
ならばこの出会いには意味があると言うことだろう、と墓守りのような男は続けた。
「それについては心当たりがある。着いて来い、帰り道を教えよう」
言うが早いかアルトリアを置いて一人足早に歩き出す。不毛の一言が相応しい砂と岩ばかりの地面を上手に踏み締め進んでいく様は明らかに手慣れていて、ここで暮らして長いのだろうと窺わせた。
(こんなところに、長く一人で?)
納得とともにそんな疑問が脳裏を過ぎる。それはまたもやアルトリアの経験したことのない心の動きを与えた。少し、憤りに似ていた。
「どうした?」
少女の姿の騎士王を置いて歩き出したくせに、ついて来ないとわかると律儀に足を止めた墓守りが振り返った。
「いえ、なんでもありません」
答えて、突き刺したままの剣を引き抜いてから男を追う。
王の証たる星の剣は、もう長く抜き身のまま納める先を失って久しい。剣を手放すこともできず、それでも攻撃の意思がないことを示すため、せめてもと逆手で携えることにした。
*
「どちらへ向かっているのですか」
世界を赤く染めるのは太陽ではないようで、暗くも明るくもならず、昇り沈む星もなく、ここには時間経過を計る術がない。
それで仕方なく、追い越していく剣の数を数えることにしたアルトリアは、その数が五千に迫ろうというころにとうとう痺れを切らして声を上げた。
彼女は外見から侮られがちだが、別にこの程度で疲れを覚えるようなやわな身体はしていない。道程を尋ねるのを弱音と誤解されては業腹だと黙々と従ってきたが、説明も無しに踏破するには少し長すぎる距離ではないだろうか。
一度も振り返らず進み続けていた男は、アルトリアの声にまた律儀に足を止めて振り返った。
「君が迷い込んだ理由であろうところだ。だが、そうだな。恥ずかしい話だが管理が行き届いていなくてね。無駄足ではないと思うが、到着はまだ遠そうだ」
「行き先がわからぬのにどう目指すのです?」
「残った距離はわからないが、方向くらいは大体わかる。ならば足を止めなければいずれ辿り着くのは自明だろう?」
なるほど、わからないでもない。が、追従するだけの身では中々に精神が疲労しそうな話であった。
それをアルトリアは顔に出したつもりはないが、喜んではないことは少なくとも伝わったのだろう。墓守りの男はふむと腕を組んで考え出した。
「君の助けも借りようか」
「私の? それは別に、構いませんが」
「思えば君との結び付きの方が強いだろう。何か感じるものはないか?」
随分不親切な説明であった。
しかし帰り道を知るのが彼しかいないのだから、大人しく従うべきであろう。漠然とした何かを追って、アルトリアは目を閉じた。
死んだ世界に、機構が空転を続ける音が響く。何故か琴線を刺激する懐かしさが、男の言う目的地の正体であろうとその根源を追った。
私と繋がりを有するもの――それを探して、結論を得てアルトリアは目を開いた。
「驚きました」
「どうした?」
「あなたなのです」
感覚で得られた事実だったが、言葉足らずを自覚して更に続ける。
「どうも、この中で最も私と縁深いのはあなたのようだ。奇妙なことですが」
「……そうか」
君が言うならそうなのだろうと、拍子抜けするほどあっさりと男は納得した。少し空いていた距離を引き返して詰めてくる。
「結果として無駄足だったのは謝罪しよう。手を」
言った男が先に手を差し出してくる。手の平が上向いてアルトリアに向けられていた。それに重ねようと持ち上げた指先が無骨な甲冑に覆われていることに気づいて、彼女は一度動きを止めた。
男は素手だ。これでは礼に欠けるだろうと、断りを入れて甲冑を外し、自分でも久しぶりに見る手を晒した。導かれるようにそれを男の元へと伸ばす。
握ることも握られることもないまま、本当にただ触れるだけの交わりが果たされた。鮮明に浮かび上がるものがある。ずっと失くしていたはずの、かつて手元にあったはずの――。
いけない、と。
失せものにすぐにでも手を伸ばすべきところを戸惑ったのは、叫ぶ少女の声がしたからだった。直感である。一つ得る代わりに最も守るべきものを失うという予感だった。
アルトリアは自分の直感を信じていた。だからすぐに手を引こうとしたが、回避するにはその鞘との繋がりは深すぎた。
彼女が身を引くのにわずかに先んじて、男と少女の手の平の間、まるで初めからそうであったように輝く鞘が現れていた。侵しがたき理想郷。失われた我が半身。
「
まさか、なぜこんなところに。
そう信じがたい気持ちでいたが、呆然としているのはアルトリアだけのようで、男はさっさと鞘を少女に押し付けていた。混乱したまま受けとる彼女を見届けて、墓守りはほっと息をつく。
「初めから君に尋ねるべきだったな。すまない」
「いえ、それはいいのです……。しかし、これはなぜ? あなたがなぜこれを持っているのです」
「持っているというよりは、預かっていたのだと言う方が正しい。ようやく君に返すときが来たようだ」
アルトリアの戸惑いを置いて、男は心底安心したように微笑んでいた。ドキリと心臓が跳ね上がる。なぜだろう。彼を見ていると落ち着かない。私は何か、大切な何かを見落としているような。
「ずっと気掛かりだったんだ。返せてよかった」
「待って……待ってください。受け取れません、これは駄目です」
「どうして? それは君のものだ。所在も忘れるこんな愚か者に預けておく道理もあるまい」
「どうしてもです! 預かったというのなら責任を持って管理すべきだ! これはあなたが持たなければ!」
自分でもわからないままに必死だった。懸命に彼の身体に戻そうと押しやるが、男は困ったように両手を上げて少女の押し込みを受け止めるだけで、ひどく身に馴染む鞘の感覚はその間にもアルトリアの内へ内へと戻されていく。
「何をそうムキになっているんだ? それは君のものだよ、現状からして明らかじゃないか」
「私のものなら、どう扱うか私が決める! これはあなたのものなのです、だってあなたは私の――っ」
その先が。
その先が、どうしても紡げない。それがアルトリアの限界だった。
もはや食い止める術もなく、理想郷は再び騎士王のもとへ戻された。懐かしい感覚に、歓喜する肉体に、心だけが逆らって嘆いていた。
男は心配そうにこちらを窺っている。アルトリアは胸を押さえた。彼を見ているとおかしくなる、心が私の統制から離れていってしまう。
精神を裂かれる苦痛に彼女が喘いでいる内に、隠された扉が開かれようとしていた。
「大丈夫か? ほら、君の帰るべき道だ。こんなところは君の身体に合わないのだろう、早く戻った方がいい」
目頭が熱くなった。名をつけがたい感情が爆発して、呼吸すらもせき止められる。
「違うのです……」
搾り出すように呟いたが、その響きのなんと無力なことだろう。
ずっと昔に捨て去った少女の心が蘇生したかのように、ただただ首を横に振って、違うのだと無意味な否定を繰り返した。
「すまない、やはり君はここに来るべきではなかった。忘れていたのは私の落ち度だ。預かりものは返した、もうこんなことは起こらないから」
男が少女の行く先を優しく示す。アルトリアとてそれが自分の帰るべき場所だとわかっていた。
この丘の主が彼女を帰そうとし、騎士王の帰還を待つ人々の喚び声がする。さ迷って迷い込んだ魂が、半身を得て凱旋を果たそうとしている。心だけが懸命に懸命に抗がっていた。この手だけは放してはならないと、ずっと私に優しい男の座にしがみついていた。
墓守りは相変わらず心配そうな困った様子で、うずくまり首を振るアルトリアの背中を、戸惑いの後に撫で始めた。大きな手だ。知らない間に、こんなに大きく――。
「あるべきものがあるべきところに帰るだけだ。大丈夫だから、ほら、セイバー」
諭すような声がする。
扉は完全に開かれ、刹那の邂逅が終わろうとしている。
アルトリアは叫ぼうとした。背を撫でる男の胸ぐらを掴んで呼ぼうとした。だけどどうしても、どうしても――ああ、どうして! どうしても思い出せない!!
*
嘆く少女の心を置いて。
あるべき丘の上。ここでは死体は死体で、剣は赤濡れていても錆び付いていない。
生と死が平等に入り混じる運命の戦場に、公正で厳格な理想の王は、不死を携えて帰還した。