オリジナル長編小説「BisAnima」のサブストーリーです

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雨中の星空

 湿気を含んだ重い空気が陰鬱(いんうつ)な気持ちを(さそ)う。

 夜見川茜は思わず(うつむ)きそうになって、無理矢理に顔を上げた。だが彼女がとったその行動は、むしろ憂鬱(ゆううつ)さに拍車(はくしゃ)をかけるだけ。

()まないなぁ……」

 ぽつりと(つぶや)く茜。その赤い瞳に映っているのは『雨』だ。

 空は分厚(ぶあつ)い雲の灰色に染められて薄暗(うすぐら)く、絶え間なく降り続ける(しずく)が世界を冷たく()らしている。朝の天気予報でも語られていたあの雨雲は昼頃に姿を現してからというもの、日が(かたむ)きはじめた今に(いた)るまで、()(もの)(がお)で空に居座り続けていた。

 ()りだした頃よりだいぶ勢いも落ち着いたとはいえ、こうも雨ばかり見ていると流石(さすが)に暗い気分になってくる。

 ――あの雲が来る前までは晴れていたのに。と、茜は胸中でひとりごちた。

 おかげで彼女は天気予報の内容をすっかり忘れて、(かさ)も持たず外出してしまったわけだ。

 せっかくの休日だからと気になっていた喫茶店に足を運んで、ランチを堪能(たんのう)している最中に、窓を叩く雨音で天気を思い出した。

 それから、雨宿りで席を埋めるというのも(はばか)られて、多少の休憩をとると茜は店を出た。

 が、その後は特に予定もない。かと言ってこのまま管理協会に帰るのも違う気がした。

 だから近くで安物のビニール傘を購入して、それを片手に茜は街を歩いた。

 しかし、たまに適当な店を(のぞ)いてみるものの、あまり目を引くものには出会えぬまま。ただ時間だけが淡々《たんたん》と浪費(ろうひ)されていった。

 いい加減に帰るべきだろうか。なんて思いはじめた頃、茜はふと気付く。

 そういえば、最近はどう過ごしていたんだっけ……なんて。ここしばらくはあっという間に時間が過ぎていた気がする。

「――あれ、茜ちゃん?」

 歩みながらも思考に沈む茜を引き上げたのは、彼女を呼ぶ少女の声だった。

 高く明るいその声は、茜にとって聞き慣れたものだ。

「エト……?」

 肩を()らして、茜は足を止めた。それから一拍置いて、声のした方を振り向く。

 その先に居たのは、やはり見知った人物だった。

 小柄な背丈、青みがかった黒髪と大きな金色の瞳。お星さまのような少女『エトワール』が、夜空模様(もよう)の傘を(たずさ)えて立っていた。

「わぁ、やっぱり茜ちゃんだぁ! こんにちはっ!」

 目が合って、互いによく知る人物だと理解した瞬間。エトワールは、(かがや)かんばかりの笑顔を浮かべて茜へと()け寄った。

 元気の良い彼女に、茜もつられて(ほお)(ゆる)める。

「うん。こんにちは、エト。今日は……どこかに行ってたの?」

 茜は目を細めて挨拶(あいさつ)を返すと、何となく気になって問いかけた。

 雨が降りだしてから随分(ずいぶん)と経っているし、時間も早いとは言えない。ならばもしかして帰る途中(とちゆう)だったのだろうか。それなら、一緒に帰ろうと誘ってみようか、などと考えながら。

「えへへ~、そうだよ! まあ……まだもう一つ、行く予定の場所が残ってるんだけどね」

 だが茜の思考とは裏腹(うらはら)に、エトワールが告げた答えはそれだった。

 茜はちょっぴり落胆(らくたん)しつつも、それを表情には出さず相槌(あいづち)を打った。仕方ないと自身に言い聞かせ、邪魔(じゃま)にならないよう別れの挨拶を口に――――。

 それを(さえぎ)るように、突然、エトワールが「あっ!」と声を上げた。

 (おどろ)き、ぱちくりと目を(またた)く茜に、彼女は続けて語る。

「そうだ、茜ちゃん! もし(ひま)だったらだけど……よければ今から一緒に行かない?」

「へ……?」

 まるで名案(めいあん)だとばかりにそう言って、エトワールは期待(きたい)に目を輝かせた。だが茜は、それと対照的に、困惑(こんわく)した表情を浮かべてしまう。

 エトワールの提案(ていあん)そのものは、茜にとって魅力的(みりょくてき)なものだった。けれど、同時に「いいのだろうか」という不安も(いだ)いてしまう。

 そんな茜の思いは、いつの間にか()れてしまっていた。

「むしろ、わたしは茜ちゃんに付き合ってもらえたら、すっごく(うれ)しいなぁ~」

 はにかむような笑みを浮かべる『エトワール《おほしさま》』に、茜は胸がきゅうっと()め付けられるような気持ちになった。それからまたつられるように微笑(ほほえ)みを返すと、静かに(うなず)く。

「うん……ありがとう。じゃあ私も一緒に行きたいな」

 ここまで言われてしまっては、(ことわ)るわけにはいかない。そんな心の中の呟きすら、本心ではなかった。本当は、ああ言ってもらえるのを期待していた。

「やったぁ~っ! そうと決まれば、しゅっぱーつ! ほら行こう、茜ちゃん! 急いで!」

「え? う、うんっ、でもエト、急ぐなんて一体どこに……っ」

 茜の返事を受け、嬉しそうに走り出すエトワール。雨の街は(すで)に人もまばらで、障害となるものも少なく、彼女はどんどん進んでいく。

 弾丸(だんがん)、いや流星みたいだ。なんて思いながらも、茜は(あわ)てて彼女を追いかけた。その途中で、彼女の口にした一言について問う。

 エトワールは気になるとすぐ走っていくような性格ではあるけれど、それでも無意味に人を()かすような人物ではない。なら彼女が「急ぐ」と言ったのはそれだけ理由があるのだろうと、茜は考えたのだ。

 どこかの店でイベントでもあるのか?

 それとも、ただ閉店(へいてん)時間が早めな場所だろうか?

 あるいは――――。

「んーと、どこって言うと難しいけど……今、(いち)っっっ(ばん)、楽しみにしてるとこだよ!」

「はぇあ……っ⁉」

 具体的(ぐたいてき)な場所も内容も一切説明されない回答に、茜はつい声を上げた。

 楽しみにしているけれど、どこかは言えないだなんて。エトワールのことは友人として信頼(しんらい)しているつもりだが、流石にこれじゃ(わけ)が分からない。

 しかしこの元気な友人は非常に足が速く、追及したくとも追いかけるだけで精一杯(せいいつぱい)の茜には、それ以上を問う余裕(よゆう)などなかった。

 そうしてしばらくの間、茜は行く先も分からず走り続け……終わりは案外すぐにやってきた。

「はい、すとぉ~~~っぷ‼」

 突然声を上げて、エトワールは急ブレーキをかけたようにぐんっと停止した。

 茜もぶつかる寸前で止まると、肩で息をしながら胸を()でおろした。それからエトワールに(うら)めしそうな目を向けて「どうしたの」と問う。

 エトワールの視線(しせん)を追っても何かがあるわけでもなく、未だに雨の降る街のど真ん中。

 ここで立ち止まる理由があるのだろうか、と茜は疑問(ぎもん)に思ったのだ。

「どうしたもこうしたも、到着だよ、茜ちゃんっ!」

 だからエトワールの言葉を受けた茜が、確かめるようにまた周囲を見回したのも、仕方ないことだと言える。

 外だ。紛うことなき『お外』だ。

 今一番楽しみにしていると語った場所が、先ほど居た場所とさほど変わらないのは何故なのだろうか。

 茜は(こま)ったように眉尻(まゆじり)()れ下げて、すっと視線を落とした。

 そんな茜に対し、エトワールが(さら)突拍子(とっぴょうし)もない言葉を(かさ)ねる。

「ねえねえ見て、茜ちゃんっ! お星さまみたいで、すっごく綺麗(きれい)だよ!」

 何が……そう言いかける茜を置いて、エトワールがまた駆け出した。茜はその足元を見ると追いかけるように顔を上げた。

 同時に、制止(せいし)しようと手を()ばしかけて……ぴたりと止まる。

 ――だってその先にあった光景は、本当に『綺麗』だったから。

 

【挿絵表示】

 

  夜空模様の傘を片手に、目の前に(おど)り出たエトワールがくるりと振り返る。

 その瞬間、光が降り注いだ。よくよく見ればそれは雲の切れ間から差し込んだものらしい。

「ほら、見て! 雨がきらきらして……まるで『星空』の中にいるみたいでしょ?」

 光を(まと)い、金色の瞳を一段と輝かせて語るエトワール。彼女の言葉に、茜はハッとした。

 宙を散らばる雨粒が、注ぐ光を()い込んで、乱反射(らんはんしゃ)させて、(あざ)やかに(きら)めいている。

 本物のような静けさと存在感にこそ届かないが、それでも言われてみれば『星空みたい』に見えなくもない。

 少なくとも今この瞬間、この二人の中において、それは確かに『星空』だった。

 雨降る街に浮かぶ、宝箱のような星空だ。

 とはいえ、茜一人であればきっとそうは見えなかったし、見ようとすらしなかっただろう。

 今日だってエトワールに声をかけられなかったら、じめじめとした重い空気に俯くばかりで、空の変化にも気付けないまま帰っていたはずだ。

 それでもエトワールがああ言うだけで、途端(とたん)に茜の世界も輝きだすのだ。

 まるで魔法使いみたいだ、と茜は思った。

 人に笑顔を、世界に光を与える魔法の『お星さま』。

「……あぁ、そっか」

 ふと、茜が呟く。

 エトワールに話しかけられる前、考えていたこと。その(こたえ)をようやく得たからだ。

 最近、いつの間にか時間が過ぎ去っていたのは――エトワールのおかげだ。

 彼女と居る時間はいつだって、慌ただしくて、(にぎ)やかで、楽しくて、(いや)なことを考える暇もなくて……あっという間に一日が終わってしまうのだ。

 

 ――また雲が流れて、あの『星空』も過ぎ去って。どちらからともなく隣に並ぶと、二人で一緒に帰路についた。

「えっへへ~、付き合ってくれてありがとね、茜ちゃんっ!」

「ううん。こちらこそ……誘ってくれてありがとう、エト」

 互いの瞳に相手を映して、感謝を伝え合う。(おだ)やかな時間が二人の間を流れていく。

 その半ばで、エトワールがふと思い出したように口を開いた。

「あ、そういえば! 茜ちゃんに聞こうと思ってたことがあったんだけどね」

「なぁに、エト?」

 その口ぶりからして、どうやらはしゃいだせいですっかり忘れていたらしい。 

 突然声を上げる彼女に、茜が首を傾ける。

 けれどエトワールは彼女の赤い瞳をじっと見つめると、一度、躊躇(ためら)うように視線を()らした。

「いやぁ……えっとね」

 いつになく真面目な表情で前置きするエトワールに、茜はついつい身構えてしまう。

「あのときの茜ちゃん、なんだか元気なさそうに見えたから……何かあったのかなって」

「え?」

 やがて意を決したようにエトワールが本題を口にする。

 途端、茜の口から間抜(まぬ)けた声が漏れた。

 話が理解できなかったとか、そういうわけではない。むしろ内容自体は拍子抜けするほどに簡単なものだった。

 だからこそ余計に、ああいう声が出てしまった。

 エトワールが言う『あのとき』とは、今日、茜がエトワールと出会ったとき……より正確に表現するなら、茜が声をかけられたときのことだ。

 確かに今更感が(ぬぐ)えない話題だし、エトワールが「そういえば」なんて言ったのも頷ける。

 茜の肩から、どっと力が抜けていく。

 しかし対するエトワールは未だ心配そうな視線を茜に送り続けていた。

 それに気付いた茜は、何だかおかしくなって、気付けば「ふふ」と笑みをこぼしていた。

「……そっか、心配してくれてありがとう、エト」

「もう大丈夫なの? 何かあったなら聞かせて?」

 茜の返事を受けてもなお、エトワールはどうにも不安が消えない様子だった。それで親身に相談に乗ろうとしてくる彼女に、茜は一種の(いと)しさすら覚えてしまう。

 それでも笑いを(こら)えながら、茜は「大丈夫」だと告げた。

 彼女がそう言い切れる理由は、ひどく単純だった。

「ただあのときは……雨が続くと退屈(たいくつ)だな、なんて思ってただけだよ」

「あぁ~! 確かに、あんまり雨ばっかだと困っちゃうかも……」

 茜が素直にあのときの心情を語ると、エトワールは納得(なっとく)したように、うんうんと深く頷いて共感を示した。

「服が濡れたら風邪引いちゃうし、お星さまだって見れないし――」

「……っぷふ」

 まるで気持ちを代弁するかのように色々と語ってくれるエトワール。

 その声を聞きながら、やがて茜は堪えきれなくなって、とうとう吹き出してしまう。

「えぇっ、突然笑ってどうしたの、茜ちゃん⁉」

「ふ、ふふ……いや、だって……ううん、何でもないよ」

 当然、隣でそれを聞いたエトワールが何だと問うのだが、茜は答えを隠してしまう。

 何故なら、口にするにはあまりにも()ずかしい言葉になってしまうと気付いたからだ。

「うぇ~、気になる気になるっ、教えてよ~!」

「だ~め、こればっかりは秘密だよ」

 そんなやり取りをしているうちに、だんだんと話題もずれていって、また笑って――。

 

 ――エトワールは気付いているのだろうか。

 あのとき茜を連れ出して、雨の中に浮かんだあの『星空』を見せて。雨がジメジメするだけじゃないと茜に教えてくれたのは――(まぎ)れもない、エトワール本人だということに。

 もう、あの陰鬱な気配は感じない。

 この『お星さま』のような友人が隣にいるから。


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