湿気を含んだ重い空気が
夜見川茜は思わず
「
ぽつりと
空は
――あの雲が来る前までは晴れていたのに。と、茜は胸中でひとりごちた。
おかげで彼女は天気予報の内容をすっかり忘れて、
せっかくの休日だからと気になっていた喫茶店に足を運んで、ランチを
それから、雨宿りで席を埋めるというのも
が、その後は特に予定もない。かと言ってこのまま管理協会に帰るのも違う気がした。
だから近くで安物のビニール傘を購入して、それを片手に茜は街を歩いた。
しかし、たまに適当な店を
いい加減に帰るべきだろうか。なんて思いはじめた頃、茜はふと気付く。
そういえば、最近はどう過ごしていたんだっけ……なんて。ここしばらくはあっという間に時間が過ぎていた気がする。
「――あれ、茜ちゃん?」
歩みながらも思考に沈む茜を引き上げたのは、彼女を呼ぶ少女の声だった。
高く明るいその声は、茜にとって聞き慣れたものだ。
「エト……?」
肩を
その先に居たのは、やはり見知った人物だった。
小柄な背丈、青みがかった黒髪と大きな金色の瞳。お星さまのような少女『エトワール』が、
「わぁ、やっぱり茜ちゃんだぁ! こんにちはっ!」
目が合って、互いによく知る人物だと理解した瞬間。エトワールは、
元気の良い彼女に、茜もつられて
「うん。こんにちは、エト。今日は……どこかに行ってたの?」
茜は目を細めて
雨が降りだしてから
「えへへ~、そうだよ! まあ……まだもう一つ、行く予定の場所が残ってるんだけどね」
だが茜の思考とは
茜はちょっぴり
それを
「そうだ、茜ちゃん! もし
「へ……?」
まるで
エトワールの
そんな茜の思いは、いつの間にか
「むしろ、わたしは茜ちゃんに付き合ってもらえたら、すっごく
はにかむような笑みを浮かべる『エトワール《おほしさま》』に、茜は胸がきゅうっと
「うん……ありがとう。じゃあ私も一緒に行きたいな」
ここまで言われてしまっては、
「やったぁ~っ! そうと決まれば、しゅっぱーつ! ほら行こう、茜ちゃん! 急いで!」
「え? う、うんっ、でもエト、急ぐなんて一体どこに……っ」
茜の返事を受け、嬉しそうに走り出すエトワール。雨の街は
エトワールは気になるとすぐ走っていくような性格ではあるけれど、それでも無意味に人を
どこかの店でイベントでもあるのか?
それとも、ただ
あるいは――――。
「んーと、どこって言うと難しいけど……今、
「はぇあ……っ⁉」
楽しみにしているけれど、どこかは言えないだなんて。エトワールのことは友人として
しかしこの元気な友人は非常に足が速く、追及したくとも追いかけるだけで
そうしてしばらくの間、茜は行く先も分からず走り続け……終わりは案外すぐにやってきた。
「はい、すとぉ~~~っぷ‼」
突然声を上げて、エトワールは急ブレーキをかけたようにぐんっと停止した。
茜もぶつかる寸前で止まると、肩で息をしながら胸を
エトワールの
ここで立ち止まる理由があるのだろうか、と茜は
「どうしたもこうしたも、到着だよ、茜ちゃんっ!」
だからエトワールの言葉を受けた茜が、確かめるようにまた周囲を見回したのも、仕方ないことだと言える。
外だ。紛うことなき『お外』だ。
今一番楽しみにしていると語った場所が、先ほど居た場所とさほど変わらないのは何故なのだろうか。
茜は
そんな茜に対し、エトワールが
「ねえねえ見て、茜ちゃんっ! お星さまみたいで、すっごく
何が……そう言いかける茜を置いて、エトワールがまた駆け出した。茜はその足元を見ると追いかけるように顔を上げた。
同時に、
――だってその先にあった光景は、本当に『綺麗』だったから。
夜空模様の傘を片手に、目の前に
その瞬間、光が降り注いだ。よくよく見ればそれは雲の切れ間から差し込んだものらしい。
「ほら、見て! 雨がきらきらして……まるで『星空』の中にいるみたいでしょ?」
光を
宙を散らばる雨粒が、注ぐ光を
本物のような静けさと存在感にこそ届かないが、それでも言われてみれば『星空みたい』に見えなくもない。
少なくとも今この瞬間、この二人の中において、それは確かに『星空』だった。
雨降る街に浮かぶ、宝箱のような星空だ。
とはいえ、茜一人であればきっとそうは見えなかったし、見ようとすらしなかっただろう。
今日だってエトワールに声をかけられなかったら、じめじめとした重い空気に俯くばかりで、空の変化にも気付けないまま帰っていたはずだ。
それでもエトワールがああ言うだけで、
まるで魔法使いみたいだ、と茜は思った。
人に笑顔を、世界に光を与える魔法の『お星さま』。
「……あぁ、そっか」
ふと、茜が呟く。
エトワールに話しかけられる前、考えていたこと。その
最近、いつの間にか時間が過ぎ去っていたのは――エトワールのおかげだ。
彼女と居る時間はいつだって、慌ただしくて、
――また雲が流れて、あの『星空』も過ぎ去って。どちらからともなく隣に並ぶと、二人で一緒に帰路についた。
「えっへへ~、付き合ってくれてありがとね、茜ちゃんっ!」
「ううん。こちらこそ……誘ってくれてありがとう、エト」
互いの瞳に相手を映して、感謝を伝え合う。
その半ばで、エトワールがふと思い出したように口を開いた。
「あ、そういえば! 茜ちゃんに聞こうと思ってたことがあったんだけどね」
「なぁに、エト?」
その口ぶりからして、どうやらはしゃいだせいですっかり忘れていたらしい。
突然声を上げる彼女に、茜が首を傾ける。
けれどエトワールは彼女の赤い瞳をじっと見つめると、一度、
「いやぁ……えっとね」
いつになく真面目な表情で前置きするエトワールに、茜はついつい身構えてしまう。
「あのときの茜ちゃん、なんだか元気なさそうに見えたから……何かあったのかなって」
「え?」
やがて意を決したようにエトワールが本題を口にする。
途端、茜の口から
話が理解できなかったとか、そういうわけではない。むしろ内容自体は拍子抜けするほどに簡単なものだった。
だからこそ余計に、ああいう声が出てしまった。
エトワールが言う『あのとき』とは、今日、茜がエトワールと出会ったとき……より正確に表現するなら、茜が声をかけられたときのことだ。
確かに今更感が
茜の肩から、どっと力が抜けていく。
しかし対するエトワールは未だ心配そうな視線を茜に送り続けていた。
それに気付いた茜は、何だかおかしくなって、気付けば「ふふ」と笑みをこぼしていた。
「……そっか、心配してくれてありがとう、エト」
「もう大丈夫なの? 何かあったなら聞かせて?」
茜の返事を受けてもなお、エトワールはどうにも不安が消えない様子だった。それで親身に相談に乗ろうとしてくる彼女に、茜は一種の
それでも笑いを
彼女がそう言い切れる理由は、ひどく単純だった。
「ただあのときは……雨が続くと
「あぁ~! 確かに、あんまり雨ばっかだと困っちゃうかも……」
茜が素直にあのときの心情を語ると、エトワールは
「服が濡れたら風邪引いちゃうし、お星さまだって見れないし――」
「……っぷふ」
まるで気持ちを代弁するかのように色々と語ってくれるエトワール。
その声を聞きながら、やがて茜は堪えきれなくなって、とうとう吹き出してしまう。
「えぇっ、突然笑ってどうしたの、茜ちゃん⁉」
「ふ、ふふ……いや、だって……ううん、何でもないよ」
当然、隣でそれを聞いたエトワールが何だと問うのだが、茜は答えを隠してしまう。
何故なら、口にするにはあまりにも
「うぇ~、気になる気になるっ、教えてよ~!」
「だ~め、こればっかりは秘密だよ」
そんなやり取りをしているうちに、だんだんと話題もずれていって、また笑って――。
――エトワールは気付いているのだろうか。
あのとき茜を連れ出して、雨の中に浮かんだあの『星空』を見せて。雨がジメジメするだけじゃないと茜に教えてくれたのは――
もう、あの陰鬱な気配は感じない。
この『お星さま』のような友人が隣にいるから。