「本日午前11時頃、南第2校舎付近に小規模な加硫磁気スモッグが発生する可能性があります。屋外に出る際は対磁マスクの着用を忘れないようにしましょう」
1時限目の授業が始まる直前、教室内のスピーカーから放送が流れる。この学校に通っていれば特段珍しいことでもない。半ば聞き流すように生徒たちは談笑を続ける。全寮制で校外に出る機会も殆どないため大きなニュースや事件が起こることも少ないが、不思議と話題が尽きることはない。
「光嶋君、夏季の選択科目もう決めた?」
3時限目の授業が終わった後、ひとりの男子生徒に声をかけられた。彼の名前は三枝隼彦、ソフトテニス部である。
「あぁ、電工学Ⅱにしようと思う」
「だと思った!好きそうだもんね」
三枝は笑みを浮かべて言った。他の人からこんな台詞を吐かれれば皮肉にも聞こえるだろうが彼からだと何故かそうは感じない。きっと人柄であろう。1年生の選択授業は電工学Ⅱ、美的評論、関税法基礎の3つから選べる。僕が電工学を選択したのは将来的に有利な資格試験を取るため……というのは建前で本当のところは三枝が言う通り、単に自分の肌に合っているからなのかもしれない。
休み時間中、校内に低音のアラームが響き渡る。これは準警報と呼ばれるもので、今朝の放送とは違い生徒たちは会話を止めてしっかり聞かなくてはいけない。
「現在北北東方向距離11キロメートルの地点で周辺住民によるデモ行進が本校に接近しているのを確認しました。武装している可能性もありますので念のため一般生徒は屋外に出ないように、すでに屋外にいる場合は屋内へ避難してください」
高い塀に囲まれたこの学園都市内には居住区画や各商業区画の他に浄水や発電などのエネルギー資源を確保するための施設も多数併設されている。生産したエネルギーの9割は学園内で使用され、残りは近隣の居住コロニーに販売される。時折、一部の近隣住民が資源の価格設定やシステム自体に抗議するため暴力的な手段を講じることがある。無論、学校側が屈することもなければ交渉に応じることもない。高さ25メートルを超える分厚い壁と各種自衛設備を彼らが突破できる可能性はゼロに等しいが、こうして不定期ながらもこちらに立ち向ってくる動機は今の僕には理解できなかった。
「あの…無理はしないでね」
三枝は少し不安げな表情を浮かべる。僕は黙って右腕を振り教室を後にした。
「1年!!遅いぞ!!」
部室として使用している地下ハンガーに到着するや否やすでに支度を始めていた先輩達が怒号を飛ばす。僕達は息つく暇もなく持ち場へと急ぐ。広い部室には32台の鎮圧車両と呼ばれる専用車両が停められている。これはかつて鮮魚市場で使用されていたターレーを武装可能なように改造した物で、操縦席の後ろには人が1人立てる銃座が増設されている。車両のいたる所にトタンなどの廃材を変形させた盾が括りつけられているが、基本的には乗員はむき出しの状態で部活に挑むことになる。僕は07の番号がペイントされた車両の操縦席に飛び乗った。後部には2年8組の樫沼恵理子先輩が装備品を順番に銃座にセットしている。
「光嶋、前回はお前がMVPだったかもしれないが今回も上手くいくとは限らない。油断せず気を引き締めろ」
樫沼先輩は荒っぽくも優しい言葉を僕にかけてくれた。
「はい先輩!…油圧よし、各電灯確認よし、通信確認よし、いつでも行けます!」
無線で管制部から発進許可の合図をもらい僕はゆっくりとアクセルスロットを押し下げる。機械整備部の部員の指示に従い格納庫を進み学校の外へと続くゆるやかなスロープに付く。縦に並んだ11台の車両のうち後ろから3番目が僕たちだ。正面の一番奥のハッチが下から開くと共にまばゆい白い光が暗いスロープを照らす。一台また一台と光の向こうに順に走り出す。次は僕らがハッチの外に出る番だ。今まで何回か出撃したことはあるが、毎回この瞬間が一番緊張する。自分を守ってくれる学校の大きな力が及ばない外の世界に飛び出していく不安と恐怖を実感できる生徒は少ない。
ハッチの外に出ると視界に映るものは果てしない砂の大地と黄色がかった空だけだ。今にも崩れ落ちそうなビルや家屋の残骸が浮き小島のように点々と砂の上に建っているだけで他には何もない。磁気災害が起こる前はこの一帯は有名な商業街だったそうだが、今では見る影もなく、人の生活はおろか生き物の気配すらない。ざらついた風が身体に当たり、生気のない乾いた匂いが鼻を刺す。前方にいくつか砂煙が揺らめき、一筋のラインアートを描いている。それは仲間の鎮圧車両が確かに存在していることを意味している。目印になるものも少ない砂漠で僕達が進むべき方角を先行車両が示してくれているのだ。ゆっくりとスロットを傾け時速18kmを維持する。後ろを振り返ると巨大な灰色の壁に囲まれた要塞のような建物群が見える。僕達の通う学校だ。周りに何もない大地にただひとつ雄々しく建つ姿に畏怖と同時に父母に見守られているような安心感を覚えた。僕がそうして感慨に耽っているとふと銃座に立つ樫沼先輩と目があった。先輩は無表情のままゆっくり口を開いた。
「大きいな。私達が守るべき母なる学び舎はとても大きい。あの壁の向こうには6万人の人間の命がある。私達生徒や職員、都市内インフラを管理する従事者の方々……誰ひとりも欠けてはならない。やがて私達も卒業し、壁の中で職に就き、壁の中で結婚し子をなす。その生命のサイクルを絶やさぬように鎮圧部があるんだ。……さてそろそろ目標近くだ、前を見ろ」
地平線の向こうに、小さく影のようなものが揺らめいていた。前方を走る車両達がそれを囲うように逆ハの字の陣形をとる。僕も打ち合わせ通りに右側の陣に付く。太陽は5時の方角。目標に近づくにつれ、シルエットはどんどんはっきりと見えてくる。文字が書かれたプレートやプラカードを掲げた人々が怒りの表情を浮かべながらこちらに怒号を飛ばしている。管制室からの情報によると人数は60名程だそうだ。距離50メートルに近づいたところで車体の下の方でコンッという小さく硬い音がした。デモ隊からの投石である。動じることなく僕は操縦席前方の装甲より頭を低くする。最前方の車両がデモ隊とほぼ接触する距離に差し掛かった頃、破裂音が2発響いた。鎮圧部による発砲だ。住民達の列は大きく崩れる。発砲した車両は大外に抜けるように目標から離れ、後続が同じ動きをなぞり、デモ隊の先端を撫でるようにして撃つ。鎮圧部が使用する銃はもちろん実弾を発砲するものではない。かつて狩猟部で使用していたパイプ式二層散弾銃の払い下げ品を改造し、18.5mm口径の硬質ゴム弾を装填した低殺傷銃である。僕の後部に立つ樫沼先輩は揺れる車体を物ともせず、銀色に鈍く光る銃を手に取り冷静に中折れした銃身に2発の水色のゴム弾を滑り込ませた。デモ隊との距離が20メートルに差し掛かり、先輩は銃口を目標に向ける。銃座の足場となる鉄網に直立し、全長95センチの鎮圧銃を自らの肩の高さに固定する。狙いを決めストックに頬を密着させた状態になるとまるで石像のように体幹のブレがなくなる。先輩は部内でもトップのフォームの美しさを持っていて思わず見惚れてしまいそうになる。距離7メートル、住民達の罵声と彼らが手に持った木材や鉄パイプがこちらを襲う。
「…ヤーゥ」
樫沼先輩が小さく呟くと同時に僕の頭の後ろから強烈な2発の破裂音が響く。正確に放たれたゴム弾は木材を手にした男性の右の膝と隣の女性の左ふくらはぎに命中した。その衝撃でふたりは大きく吹き飛ばされボウリングのピンのように周りの住民たちを巻き込んで倒れた。ふたりのほかにもうひとり右肩を押さえる男性がいた。おそらく跳弾だろう。ゴム弾は人体を貫通することはなくても格闘家に殴られたような強い衝撃を与える。骨折くらいはしただろう。治療が必要になるだろうが、この辺りでまともな医者に会えるのは僕たちの学園の壁の中だけだ。少なくともこの場で再び立ち上がるのは難しい。
連携が完全に途切れ巣を突かれた蟻のように散り散りに動き回るデモ隊の周囲をさらに掻き回すように11台がランダムに走り発砲する。デタラメに走行しているように見えるがお互いの射線をシャットアウトしないように計算されつくしたフォーメーションを複数切り替えしながら敵を翻弄していく。これには綿密な打ち合わせと訓練が必要だ。20分ほど戦闘が続いた頃だろうか、僕たちの前方を走る3番の刻印の車両の銃座に立つ部員が車体の左側に体を寄せて地面と水平になるように左腕をピンと伸ばした。まず親指を折って残りの4本の指先をぴったり合わせた後、即座にグーの形にして小指、薬指、中指を順番に伸ばす。そしてまた手をグーに戻し、肘を上方に90度曲げ紐を引くようなジェスチャーをする。この一連の動作は催涙弾を使用する、という意味のハンドサインである。僕の後ろの樫沼先輩もさらに後方に伝達するためのハンドサインを行っているはずだ。僕はハンドルを大きく右に切り、デモ隊から離れる。背中から軽快な射出音と着弾音、市民の悲鳴そして例え難い独特な薬品の匂いが鼻をかすめる。デモ隊から40メートルほど離れた後、風向きに注意しながら反転する。デモ隊がいるであろう地点にはやや黄色がかった灰色の煙幕がかかって見える。ガスが大部分晴れる頃にはほとんどの市民が地面に座り込むか倒れていた。おそらく死者はいないだろう。彼らは完全に戦意喪失したのか手にしていた武器やプラカードなどを地面に投げ捨てていた。何やらこちらに向けて怒号のようなものも飛ばしているようだが部員は彼らの言葉に耳を傾けないよう指導されているため言語としてではなくただの雑音として受け取った。集団の周りを大きく取り囲むように11台は車間距離を維持しながら周回する。やがて管制部からの帰投命令がスピーカーから発信された。車載カメラからのライブ映像より状況判断したのだろう。市民たちから背を向けるように隊列を組み直す。射手は念のために進行方向と逆向きに立ち、デモ隊の影が地平線の向こうへ消えるまで銃を構え続けていた。
車両が学園の巨大な壁のふもとに到着する頃には太陽は西に大きく傾き砂漠は美しい赤紫色に染まっていた。砂の中に擬態するように隠してあるバンカーの入口が開き、僕たちを迎え入れる。この瞬間はまるで母に抱かれたような安心感が僕を包んでくれるのだ。
帰投後、ハッチ周辺の警備要員と車両点検と洗浄を行う作業員以外の全部員が鎮圧部用の会議室に集められる。僕たち直接戦闘を行った部員が前方になるように約80名が整列して立っている。1段上がった壇上には鎮圧部と管制部両方の部長と顧問の先生、そして今日は珍しく教頭先生も立っていた。段取りに沿って今回の戦闘に関する各部署からの報告があがり、舞台横の記録係が忙しそうにPCに入力していく。そして最後に教頭先生が舞台マイクの前に立った。襟を少し正し小さく咳払いをしたのち、教頭先生は口を開いた。
「諸君、迅速な任務遂行ご苦労だった。各員それぞれ反省点等あるだろうが、まず私からは今回も我が校の大事な生徒たちが一人も欠けることなく、また怪我をすることもなく無事に帰還してくれたことに深く感謝したい。諸君らも知っての通り、我が校の長い歴史の中で3名、代えることのできない若い命が壁の外で失われている。このことは我々教員が永久に背負うべき十字架である。このような悲劇が二度と起こらないよう各々が生命の貴さを意識し、高い総合技術をもって部活動に挑んでいることに敬意を示したい。今回は例によって武装した一部の近隣住民が起こしたデモ行為を諸君らは見事鎮圧してくれたわけであるが、諸君らが今日守ったものは壁に囲まれた学園施設の数々や敷地内で生活する人々の生命だけに留まらない。我が国の憲法に記載された、“すべて国民はその保護する子女の教育機会において、それを侵害されない権利を有する”という日本の偉大な財産とも言える一文を守りきったのだ。このことにおいて誇りを持って持ちすぎるということはない。前線で戦った者も後方で彼らを支援する者もすべて等しく称賛を受ける資格があるのだ。そしてその技術と精神を後輩たちへしっかりと伝承していくことで我が校の永遠の繁栄に従事してくれることを期待している。以上だ」
会議室中を割れんばかりの拍手が包む。この拍手はスピーチに対してだけでなく、この場にいる全員に向けられたものだと僕は感じた。責任も重く厳しい訓練の日々ではあるが、それでも鎮圧部の一員として大勢の役に立てることに何より喜びを感じている。皆が安心して過ごせるように明日からも僕たちの部活動は続くのだ。