そういうの苦手な人は申し訳ない。
●REC ENTRY ──────── Paint the Lily
| 幕間 一筆くらいなら余白に落書きをしたって良い。▶
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「今日はヒト同士が行う営みをするわ」
男が朝起きると壁の中から一旦追い出され、入口を描き直したシーに続いて入ると男にとって見慣れた拠点の部屋があった。入ってすぐ左にトイレと風呂と洗濯場に続く部屋、右に食料の保管場所と台所へ続く部屋、あとは10歩程先にシーが使う専用の机と仮眠のための簡素なベッド、机の向こう側には延々と並ぶ棚。そして片付けたはずなのに散らかっている床。
上を見上げれば天井が見えず白いもやが覆っている空間の下で、小言を一通り済ませた男が片付けをする中でシーは世間話をするように言った。
「……えっ?」
それに興味があるからと言ったシーと何をしたのか一生忘れられない記憶を持つ男はギョっとしてシーの方を向いた。
「……? あ、ち、ちがう! 私達は所謂恋人になった訳でしょ!? だから逢引をするのよ! あ・い・び・き!」
「お、おぉ……」
逢引とは炎国や極東方面の言い方で、一般的にはデートと言われるソレだ。この二人はそれをする前にゴールラインまで飛んでしまったがために、コースが逆になっている。
恋人らしい事がしたいと思っていた男としては大賛成、だがシーと長年一緒に過ごしてきた男は、若干訝し気に感じてしまうところもあった。
何せ、シーと言えば引きこもりである。過去はどうだったかともかく、少年時代に拾われてから今に至るまで外へ出た事は覚えていられる程度の数しかなく、たまにかなり長期間帰ってこなくて不安になったりする事はあったがそれ以外はすぐに戻る事ばかり。男の方から誘ってもああだこうだと言い訳をするかバッサリ拒否して、机に向かうか気晴らしに近い場所を歩くくらいだった“あの”シーが、いくら歴史的な事とは言え外に出る必要があるデートをしたい……?
「もうちょっと喜んだらどう?」
「逢引って、デートでしょ? 外出する事になるけど、いいの?」
「はぁ? 何言ってるのよ?」
だよなあ、流石にシーもそんな事くらい解ってるよなあ。安堵した男はしかし、
「私の描いた世界ですればいいじゃない。時間を気にすることなく出来るわ」
「それは確かにそうだけどそうじゃない」
当たり前のように机を指で叩いて胸を張る姿に、ですよねーと待ったをかけた。
「ヒトというか、俺の時間ってシーが持ってるよりはずっと少ないんだ。で、それをやりくりしてやりたい事に時間を使うんだけど」
「ええ、でも私の世界なら関係ないでしょう?」
「いやいや、そうやって時間を消費するからこそ記憶に残って思い出が強くなるんだ」
「そういうものかしら」
シーの方はと言えば顎に手を添えて考えるように床を見ている。
「というか俺がしたいかな。お店回りながらああでもないこうでもないって悩んだり、近くの露店でご飯買って食べながら歩いたりしたい」
「聞く限りでは別に私のところでも良さそうなものだけど」
「時間に悩まなくて済むから全部出来ちゃうでしょ? でもこっちだと一日は有限だから取捨選択しないと駄目で、そこを二人で悩んで決めるのが良いんだ。そして今日出来なかった事は次のデートで、ってね」
「……あなたがそこまで言うなら、付き合ってあげるわ。当然、私を満足させてくれるのよね」
「色んな世界を見てきたシーを満足させられるかなあ……」
満足とは難しいラインだ。偏屈で人付き合いが嫌いで厭世的と世界に対して倦怠感を持っているシーを、知っているものしか書けないと言いながらもシーが描いてきた素晴らしい世界を体験してきた男は頬を掻く。
「そこは言い切ってほしかったわ、『任せろ、世界一の逢引を体験させてやる』って」
「シーが作って来た作品を沢山見てきたからね。けど俺の全力を以てシーを楽しませてみせるよ」
「あら? 大丈夫よ」
そんな男の心配を他所に、とんでもなく上機嫌なのかシーは軽い足取りで出口へ向かう。ニェン辺りが見れば目を擦り、自分が技術部に籠って気付かず一週間近く寝ずに過ごしていたのか疑っていただろう。
男も、今までとは違うシーの様子に戸惑いを隠せない。もしかしていつの間にかシーの世界に放り込まれたのかと精神を強く持って疑うが、違和感なども特にない。
そんな事を思われているとはつゆ知らず、我が世の春が来たと言わんばかりにシーは言葉を続けた。
「だって、私に新しい事を教えてくれたじゃない。だから、今日の逢引は絶対楽しいと思うの」
「……なんか変わったなぁ」
「当たり前じゃない、今日はあなたと私、二人だけの思い出を作るのだから。帰ったらずっと机に向かって筆を走らせるに違いないわ」
二人は出口から足を踏み出し、ロドスアイランドの入り組んだ艦内を歩いて接舷区画から移動都市へ降り立つ。
良く晴れていて、雲一つない出掛けるには持って来いの天気だった。
「じゃあまずは形から」
シーの横から一歩先に出て振り返り、左手を伸ばす。
「これは?」
「手を繋ごう。逸れないように、あとは何かあった時にすぐ抱き寄せられるように」
「……悪くないわね、しっかりエスコートしなさい?」
「もちろん」
伸ばされた手をしっかりと握ったシーの心は普段より早く鳴っていた。手のひらから伝わる男の体温が、自分より温かいのも良かった。しかし逢引は始まったばかりで、早々に変なところを見せるのはなんだか上手くやられた気がするのと、簡単な女に見られそうで努めて平常心で再び男の横に並ぶ。
ちらりと男の顔を見上げれば、真剣な表情で前を見ていた。絶対に成功させようとする気概が垣間見える顔を見て、また一段階、シーの胸を昂らせた。
●REC ENTRY ──────── 幕の向こう側
| 幕間 世界と運命へ諦観を覚えていた彼女は、しかし。▶
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「待たせたわね。少し筆が止まらなくて」
「自分から呼び出しておいておせーぞー。ってか普通のやつは寝てる時間だ」
「私は早く行こうとしたけれど、溢れ出る意欲が机の前から私を動かしてくれなかったのよ」
夜も深く沈んだ中、ロドスの一室に集まるのはニェンとシーの二人。約束していた時間より三時間近く遅くやってきた上に特に悪びれた様子のないシーにニェンは少々苛立っていたが、いつも眉間に皺を寄せているような妹が今日は染み一つない綺麗な顔をしていたのだから気勢が削がれてしまう。そう言えば一緒に居る男と出掛けるみたいな話をドクターが大袈裟に驚いて事情を聞きに来ていた。なるほどと理由は判明。
「なんだ、そんな楽しかったのか?」
頬杖をつき、ニヤニヤしながら十割からかいで聞く。
「どうだったかしらね、“お姉ちゃん”に教える訳ないでしょ」
ニェンはシンプルに重症だと思った。冗談めかしてニェンを姉と呼ぶのはまだしも、その口角がドクターの就労規定よりゆるゆるで喜色を隠せていない事に気づいていない。
大元となった存在から別れて幾星霜、兄弟姉妹の中で『孤高のシー』と言われるレベルだった、“あの”シーが只人に惚れ込んでお出かけ一日しただけでこうなるとは。
誰に言っても信じねーよなぁ……。この驚愕を分かち合える兄弟姉妹がこの場にいないことがニェンにとって寂しかった。
「じゃあ要件を早く言え。私はもう眠くて敵わん」
「あなたの言う“反抗”、私も手伝う事にしたわ」
「……そりゃあまた、決めるのが早いな」
簡潔明瞭。それはニェンがシーをロドスまで引っ張って来た理由であり、他の兄弟姉妹も集めて行おうとする事だ。
身体の一部が全身に反抗するようなもの、とはシーの言葉で、ニェンとてどれだけ難題なのかわかっている。それでも、この世界を生きてきた者としてやれるだけの事をやろうとしていた。
シーが協力してくれるだろう事は今日の内に確信していたが、まさか即日で言いに来ることまではニェンも予想していなかった。
「あんたの考えはどうでもいいわ。でも私も見ていたいものが出来て、これからずっと描きたいものがあるから協力するだけ」
「理由なんざどーでもいい。ま、“妹ちゃん”の成長は嬉しいけどな」
「成長……」
果たしてこれが成長と言えるものなのだろうか。シーは胸中で自分の思いを振り返る。
別にそんな大それたものではないというのが彼女の答えだった。男女の複雑な心理を知り、行動のための力にも諦観を振り払うための未練にもなり得るソレ。
目を閉じれば鮮明に思い出せる今日の思い出は、机に向かっていた時よりも遥かに充実したもので。
「そうね……これを成長と呼ぶのなら、悪くはないわ」
「自分の顔を一回鏡で見た方がいいぞ。ロドス来る前のお前に見せたら絶叫間違いなしだ」
「うるさいわね、あの頃はどうせ無駄だと思ったからよ。避けられない事の前に足掻いたって、意味がないと考えてたけど今は彼が居る。千里の目を窮めんと欲して 更に上る一層の楼……登った先の光景を見たくなったの」
「そりゃあいい。もし、私たちが私たちのままならば、きっと凄いもん見れると思うぜ」
「言われなくても解りきったことね」
「本当に変わったな、別の意味で狂ったかもしれねぇ」
兄弟姉妹で一番色ボケしなさそうな奴の色ボケを見る事になるとは、ニェンの長い生涯を以てしても予想出来なかった。
目を瞑り、解りきった事を言うニェンへ得意気に言うシーを見ていると言いたい事もなくなって溜息しか出てこない。
「……じゃあ明日はドクターのとこ行って、契約内容の更新するぞ。たまにオペレーターとして戦闘する事になるだろうが」
「ま、頻繁でなければいいわ。あと私の用事がある場合はそっちが優先ね」
「そこは問題ねーよ。私も似たような条件だしな」
「あと、別の兄弟姉妹を迎える時は私も行くわ。間抜け面が見てみたいもの」
「顎が外れるくらいあんぐりと口を開けるだろうよ。あとは偽物と疑われるか」
「人は時間ときっかけがあれば変わるわ。私もそうだっただけ」
するすると、シーを連れてきた時が嘘のように話が進む。あまつさえ、他の兄弟姉妹の説得すら引き受けてくれるのだからニェンからしてみればこの上ない条件だった。確かに変わりはするだろうがいっそ別人と言って差し支えないレベルで、そこまで変われる恋愛を出来たシーがニェンには羨ましかった。
「羨ましい話だ。私にもいつかそんな相手が現れるのかねー」
「私に居るんだからあんたにも出来るわよ、きっとね」
結構な評価入れられてて嬉しかったです。アンケート取っておいてなんですけど、自分ではこの作品めっちゃ筆が進んだし結構綺麗に書けたなって思ったしタイトルでオチつけてるので別オペでアイデア浮かんだら別の作品として投稿すると思います。