「はっ!やぁっ!」
「そうそう!その調子っす!」
木刀同士が打ち合うカンカンという音が鳴り響く。諏訪大社で恒例のように行われている潜伏中の北条時行とその郎党、弧次郎の朝稽古である。
「はっ!」
「おっと!」
子供ながらに激しい打ち合いの末、時行が弧次郎から一本取ったようだ。弧次郎は体のバランスを崩し、ドタッと尻餅をつく。
「やるっすね、若。一本を取れる回数がだんだん増えてきているっすよ」
「・・・・・弧次郎、私が主君だからといって遠慮はしないでくれ」
「もちろんっす。戦乱も近いですし、甘やかしてる余裕なんてないっす」
「そうか。よかった」
時行の顔がパァッと明るくなる。だが弧次郎も気休めのためにそんな台詞を吐いたのではない。
打ち合いをしていて分かるのだが時行の腕は冗談抜きで上がっているのだ。おそらくは小笠原貞宗を始めとする武将との実戦での対決、そして北条家の仇討ちと故郷である鎌倉奪還の使命感などといった要素が、時行の剣の腕を飛躍的に上昇させているのであろう。
(こりゃあ鎌倉奪還も夢じゃないかもな)
元来備わっている“逃げ”の才能に弓を射る腕前、それに実戦でも通用する剣の腕が備われば、今までにない武将が誕生することは想像にたやすい。北条家の生き残りという名目に加え実際に戦場での能力もあるとすれば、鎌倉奪還に燃える兵の士気はうなぎ登りであろう。
(俺もうかうかしてらんねーな)
そんな主君に相応しい郎党となる。配下としてだけではなく同じ釜の飯を食った仲間として、そして自身とともに切磋琢磨している同年代の友として、このお方の手足となって戦いたいと思った。
「よしっ!ではもう一本打ち合って朝飯にしましょう!」
「ああ、よろしく頼む」
そう言って時行は自身の配下である弧次郎に手を伸ばす。位の下の者と言って見下さず、同じ目的を持った仲間として対等に扱ってくれる、そのような点も逃者党が時行を慕う理由であった。
だが今回に限ってはそんな人間としての美点が事件を起こしてしまう。
「あっ」
時行が弧次郎の手を取ろうした瞬間、たまたまそこにあった石に足を引っかけてしまった。
「えっ」
「うわっ」
当然時行はバランスを崩し、弧次郎の体のほうへドシンッと倒れこんでしまった。
「いてて・・・」
「す、すまない。大丈夫か?」
お互い大したケガはないようだ。一安心して時行が手をついて起き上がろうとしたときである。
ふにっ
「ん?」
「ひゃっ」
その気はなかったのだが弧次郎の胸部分に手を押し付けるような形となってしまった。それだけならいいのだが、時行の手のひらから妙な感触が伝わってくる。硬い筋肉ではなく幾重にも折りたたんだ上質な絹を揉んでいるかのような感触が。
「わ。若・・・。早く、降りてくださると・・・」
「あ、ああ。すまない・・・」
我に返った時行は素早く押し倒している弧次郎の体から離れた。だが何やら様子がおかしい。
「こ、弧次郎・・・?」
「・・・・・・・・・」
いつも気さくな弧次郎が今日はなんだかしおらしい。手を胸に当て、顔を赤くし、視線を泳がせている。
「すまない。どこかケガしたか?」
「い、いえ・・・。そういうわけじゃないんすけど・・・」
そうは言うが明らかに様子が変であることは時行にも分かった。流行り病であろうか。だがさっきまであんなに元気に打ち合いをしていたのに、急に症状が出るというのもおかしな話だ。
「さっきので気を悪くしたのなら謝るよ」
「い、いえ!とんでもないっす!男同士ですし、気にする必要はないっす!」
何事もなかったかのように振る舞う弧次郎。だがどこか無理して元気らしく振る舞っているようにも見える。
「すまない。詫びとして朝餉のおかずをあげるから許してくれないか」
「いえいえ。もったいないっすよ」
一先ずは元に戻ったといったところだろうか。取りあえずは安心した時行だった。
「じゃあ早速朝餉に向かおうか」
「若様、お先に行っといてください。俺はちょっと野暮用があるので」
「そうか。じゃあ先に」
そう言って時行はその場を離れた。
(それにしても・・・)
今日の弧次郎は何だか妙だった。
あの体を触った時の反応。そしてその直後に発した艶めかしいともいえる声。
まるで。
「女子のようだったな」
時行はそんなことを思いつつ諏訪大社に向かうのだった。
「・・・・・・・・・」
時行が完全に去ったのを確認した弧次郎は、自身の胸を何かを確認するかのように揉んでいた。
「ふう、疲れたな」
朝餉をしようと食事する間に向かっていた時行だったが。
「あ!若様おはようございます!」
「ああ亜也子、おはよう」
同じく郎党である亜也子に呼び止められた。彼女は女ながらも男顔負けの腕力と気立ての良さでしっかりと郎党としての役割を果たしてくれている。
「若様、ちょっと服泥だらけですね」
「ああ、今日も弧次郎と一緒に朝から打ち合いをしてたからな」
「それにちょっと汗臭いですし、行水でもしてきてはいかがでしょう」
未だ早朝と深夜は冷え込むとはいえ、少しずつ暑くなってきた時期だ。知らぬ間にじんわりと表皮に汗をまとっていたらしい。
「そうだな、朝餉をいただく前にそうさせてもらうよ」
諏訪大社の裏の山には透き通るほどに綺麗な湧水がある。諏訪大社のものはそこで禊を行ったり、軽く行水をしたりしていた。
時行はそそくさと体を清めに、湧水の滝へ向かった。
「亜也子、兄様は?」
「裏の山に行水に向かったよ」
「・・・・・今、弧次郎が行水してる最中なんだけど」
「えっ?・・・・・あっ!」
山道を行く時行、人が幾度となく通っているので草は踏み分けられており、歩くのに支障はなかった。
そしてやっと湧水のもとへとたどり着いたときである。
「おや?」
湧水のそばに人の服がある。人の気配もする。どうやら先客がいるようだ。
「これは弧次郎の・・・」
見る限りどうやら先ほどまで打ち合いをしていた弧次郎のものらしい。野暮用というのは行水のことだったらしい。
(それならそうと言ってくれれば)
どうせ行くのなら一緒に行ったほうが時間の無駄もなくて良いだろう。男同士だし特に問題はないはずだ。時行はいささか不機嫌となるが、今は行水が先だ。
いそいそと服を脱ぎ、冷えた水に足をつける。冷水と肌が反発し合うような感覚が逆に心地いい。
「弧次郎―。いるのかー?」
どうやら弧次郎は滝のほうにいるらしい。時行もそちらへ向かう。
「水浴びなら一緒にやろう」
弧次郎のものであろう人影が見えてきた。男友達を遊びに誘うように弧次郎に呼びかける。時行に気付いたのか人影も振り返る。
そこで事件は起こった。
「あっ、弧次・・・郎・・・?」
「えっ?」
弧次郎の姿が見えた。服も身に着けていなく全裸である。こちらを振り返ったため体の前面も見える。それが問題だった。
体の線が想像していたよりも細い。筋肉も少なく思ったより色白だった。男児とは思えない肉の付き方であるがそんなことは問題ではなかった。
問題は股部分である。
そこにはなかったのである。男児なら生まれた時からついているであろう、男の象徴たるものが生えていなかったのである。
「あ・・・・・」
「わ、若様・・・?」
お互い情報の処理ができず、目をパチクリさせていた。お互いがお互いの裸体を見ながら呆けていた。
そしてお互い正気に戻り、小山に絶叫がこだました。
「え、え~っと・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
お互い湧水の近くで正座をし、どう話を切り出したものかとドギマギしている。もちろん服は着ている。
弧次郎は黙りこくったままだ。顔を赤くさせているが、羞恥というよりどちらかと言うと申し訳なさそうな表情に満ちていた。
(どうしよう・・・・・)
時行の頭の中は困惑やら衝撃やら何やらに満ちており、まともな言葉を発せられずにいた。家族以外では生まれて初めてまともに見た、女性の体である。
そうだ。あの身体は明らかに女性のものだった。弧次郎のことは男児として紹介されていたはずだ。立ち振る舞いや皆からの扱いも男児のそれであったはずだ。
そのはずなのに真実は先のものである。何やら事情があるのはわかるが、かなり入り組んだ事情であることは想像に易かった。
「申し訳ありません、若・・・。今まで騙していて・・・・・」
弧次郎がようやく重い口を開いた。内容も声色も謝罪の色に満ちていた。
「そ、そんなことは。何やら事情があるんだろう?」
気にすることはない、と言うように時行は応対する。衝撃だったことは本当だが、時行とて複雑な他人の事情を何も知らずに批判するほど幼稚ではなかった。
「見ての通り、本当は俺は女なんです。今までひた隠しにはしてたんですが、見られたんなら仕方がないっすね・・・」
時行の脳裏に先の弧次郎の裸体がフッと横切る。時行は雑念を振り払うかのようにぶんぶんと頭を振る。そういえば牡丹を仕留めた後の湯あみでも、弧次郎は自分の一番遠くにいたが、あれは正体を隠すためだったのか。時行は今となって気づいた。
「俺の生れである祢津家は、男児の子宝に恵まれなかったんです」
弧次郎がようやく口を開いた。どうやら家の事情が関係しているらしい。
弧次郎の一族は諏訪神党三大将の一人、祢津頼直を君主とする鎌倉武士の家である。その武士の家で男児の子に恵まれなかったというのは祢津家存続にとって致命的であろう。
「お察しの通り、男児の子宝に恵まれなかった祢津家は女の俺を“男”として育てました。祢津家存続のため、後に来るであろう戦乱において諏訪大明神を支える柱の一つとなるためと」
この時代、家を継ぐのはその家の長男というのが相場であった。武将の妻であり戦場に出ていた巴御前や亡くなった夫の領地を継いだ北条政子などといった例外はあれど、とうの初めから女が家の権力を握るなどまずありえない事態であろう。
兵士としての実力がなければ他の家から養子を取るなどして存続させることもできただろう。しかし何の因果か、弧次郎は女性でありながら将としての才能があったのだ。それならば性別を隠してでも跡継ぎとして育てた方が、血のつながりの面では長所もあるかもしれない。
「弧次郎は・・・それでよかったのか?」
「え?」
「本当の自分を殺して、主君のためだけに生きるなんて、それで良かったのか?」
本来の自分を押し殺してでも家のために生きる。その苦しさは想像を絶するであろう。武家の栄光のために死ぬのではなく、民の未来のために生きることを志している時行にとってはなおさらである。
もしや、自分が来なければ。弧次郎はもっと自分らしく生きれたのではないか。そんな思いまで頭によぎる。
「何言ってるんすか。もちろんじゃないっすか」
「え?」
「もともと華道とか学問とか座ってぶつくさやるタチじゃあないですし」
え?
「ずっと座ってっと足が痺れてきますし、折り重なった着物もうっとおしいですし」
あの。
「じゃあむしろ体動かす男の武術の方が性に合ってるかなーって都合が良かったくらいっす」
ちょっと。
予想以上にあっけらかんとした弧次郎の答えに、時行は思わず目が点になる。
「それに俺、自分を殺してるつもりなんて毛頭ないっすよ」
弧次郎がいつも通りニカッと笑う。
「若様と出会う前までは主君のために生きて死ぬ、なんて実感湧かなかったんすけど、若様に会ってから本気でこの人のために働きたいって気持ちが湧いて出てくるようになりました」
「弧次郎・・・」
「死ぬのが誇りになる武士の時代に、意地汚くても生きることで誇りになる武将なんて仕えたら面白そうっす」
弧次郎はずっと見てきたのだ。
誇りある“死”よりも、誇りある“生”にしがみつき、逃げて逃げぬき逃げまくる未来の武将の姿を。
一人の“武士”として。一人の“男”として。
「武士の道ですらないかもしれない若の“生き様”、本気で最後まで見届けたいと思ったんです」
この主君に最後の時まで使えたいと思った。
「だから若様。手前勝手な頼みですが、これからもこの弧次郎、配下として置いていただきたいっす」
弧次郎は姿勢を正し、時行に向けて頭を下げた。
「弧次郎、頭を上げてくれ」
そんな弧次郎の“生き様”を見た時行の答えは既に決まっていた。
「私からも手前勝手な頼みだが、これからも郎党として、逃者党の友として、共についてきてくれるか?」
時行はそう言って頭を下げた。皆を導く主君が郎党に頭を下げるなどまずあってはならないことである。
だが弧次郎の主君はただの主君ではない。新しい未来の主君、“逃げ上手の若君”なのだ。
「若様、もったいないっすよ」
「こちらも、過ぎた郎党を授かった」
二人はそういって笑い合い、硬い握手を交わした。生まれ持った位など関係ない、人と人同士の誓いがそこにはあった。
「じゃあとりあえず朝餉に行こう。話し込んでて腹が減ってしまった」
「先の約束通り、おかずを一ついただきたいっす」
「郎党だというのに遠慮ないな・・・」
「約束した恩はちゃんと与えるのが真の主君っすよ」
初夏の空、少しくすぐったくなるくらいの晴れやかな青だった。
「ところで弧次郎、君は戦乱が終わったら“女”に戻るのか?」
「さぁ、どうっすかね~。一応家の跡取り息子は俺だけですし」
「そうか・・・」
時行は少々しょげたような顔つきになる。弧次郎は見かねて軽い口調で言った。
「気ぃ使わなくていいっすよ若様。それともあれですか?俺が女と分かったから衣姿でも見たくなったとかだったりして?」
弧次郎としては場を和ませるために冗談で言ったつもりだった。
「う~ん、正直なことを言うとそうなるな」
「・・・えっ」
「ん?ああ!いや、女として生きてほしいとかじゃなくてだな」
時行は焦って訂正するように言う。
「結構綺麗な顔してるから似合うかもと思っただけなんだ。単なるわがままみたいなものだよ」
出会った時から男にしては綺麗な顔をしているとずっと思ってたからな、と時行は付け加えた。
「亜也子の言うとおりだ・・・。そういうところずるい・・・・・」
「?」
弧次郎はそっぽを向き小言のように言った。恐ろしいことにこれは計算でも何でもないのである。
「しかし女と分かった以上、君に負けてられないな」
「え?」
「やはり何と言っても戦場で女子の君に守られてばかりでは気が引ける。今では君に組み伏せられてばかりだが、すぐにでも君を守れるくらい強くなるよ」
これも男児の我儘だけどな、と付け加えほほ笑む時行。何度も言うがこれ計算でも何でもないのである。
「・・・・・・・・・・・・」
「? どうかしたか?由比ヶ浜で水揚げされるタコより顔が真っ赤だが?」
「・・・・・・恐ろしい人だ」
「やはり風邪か?体調が悪いんじゃ・・・」
「あぁもう鈍い!!なんでもないっす!!!早いとこ朝餉に行きましょう!!!!!」
「ええちょっと!?主君を引っ張らないで!!!」
時行の手を取り、全速力で駆けてゆく弧次郎。
弧次郎は今日初めて、一人の“女”として主君を見たのである。