それでも、それでも。矜持に賭けて、見せられない。
自分の弱さも、醜さも。
そんなある日の、裏側を。
毎日が、やにわに忙しくなった。部活こそ一段落したけれど、入れ替わるように日々のスケジューリングに入ってきた文化祭の準備。そして少しだけ伸びた通学時間が、結構効いてくるのだ。それにお母さんと二人だから、家でもすることは多い。と言うか私が率先してやらないと、家がカオスになってしまう。由紀子さんは私を甘やかしてくれていたんだな、と感謝してしまっているくらいだ。
まあ私が基本的にガサツだから、親としては心配だろう。だから敢えて家事を振って、色々教えようとしている……とかかな。しかし考えてみれば私をガサツに育てたのはお母さんだし、そもそもお母さんも大概ガサツなんだけど。
でもそうやって時間に追われていれば、頭を使わなくて済む。考えたくない事から、目を背けていられる。
それが今の私には、救いになっているように思える。少しだけ、寂しいけど。
ここ数日は、大喜くんと話していない。朝練で会うのはいつも通りだけど、こちらから声はかけない。その真剣さに、水を指したくないから。
次の土曜にある練習試合、そこに向けて大喜くんは静かに自分を研ぎ澄ませている。気負いも傲りも無く、ただ一心に自身と向き合うその姿は、控えめに言って――格好良いと思える。
ずっと体育館で見続けてきたけれど、今の大喜くんは凄い勢いで成長している。でもそれを、本人は認めないだろう。目標だったインターハイどころか県大会一回戦敗退、雪辱の機会さえまだ無い。どんなに周りが努力を誉めたって、成果を実感できなければ御世辞にしか聞こえない筈だ。私だって、そうだったから。
一人でひたすら鍛練する以外に、敗北を振り切る術はない。だから向こうから来ない限り、私はなにも言わない。
それに――それに。
今の私がどの面下げて、大喜くんに話しかけられるというのか。
蝶野さんの気持ちをぶつけられてしまった、この私が。
大喜に告白しました、と蝶野さんが言ったあの時を私はきっと忘れない。あの眩しい眼差しを、不器用に言葉を選んだ声を。蝶野さんが立ち去ったあと、私はコピー機に肘をついたまま。理由の分からない涙を堪えながら、重すぎる言葉に押し潰されていた。抱え込むには余りにも重く、でも誰にも言えない。
インターハイの敗北を報告しに学校へ行ったあの夏の日、聞いてしまったのだ。「告白してよかった」という楽しげな声を。
ああ、そうなのか。告白したのか、でも。でも大喜くんは、それを受け入れてはいないのか。
そう理解するまで、私はしばらく壊れていた気がする。夢は叶わず、理解者まで失いかけて。
そんな私を大喜くんは、救ってくれた。蝶野さんに悪い、と思いながらもすがってしまった。
蝶野さんはそれを知ったかのように言ってきたのだ、私に身を引かせようとするかのように。そうでもなければ、私にあんな事は言わない。「同居しているから」は口実でしかない。
以前の私なら、二人の邪魔をしないよう距離を置けただろう。でも今はもう、それが出来ない。大喜くんとこれ以上離れたくない。これは、この気持ちは……。
「良くない、な」
芽生えかけている厄介な感情を押し殺し、私は拳を握り締める。それは絶対に許されない、私は気づいてはいけない。大喜くんが好き、なんて思うべきではない。
今日も今日とて、体育館と教室を往復しながらあれこれとタスクをこなす。帰ったらお母さんにちょっと愚痴って、それで終わり。特に何も起きない、起こさない。それが一番だ。
考えない考えない、忙しいんだから。
そう思いながらも、ついつい視線は大喜くんを探してしまう。まったく、私も大概だな。別に用があるわけでもないのに、さ。
でも――ぐるりと見た限りでは、体育館にはいないようだ。文化祭の準備で教室に戻ったんだろうか。確か大喜くんのクラスは白雪姫をやるんだっけ、蝶野さんが姫役で。
まあ、良いか。明日の朝、また顔を見られるんだし。
そう、明日だ。いつだって、明日がある。
このモヤモヤした気持ちも、何度目かの「明日」には晴れるだろう。多分、きっと。
そうなって欲しいと願い、私は夕焼けの中歩き出した。