イナルートは人間関係に揉まれる『常人』の話。
一番の違いは多分悩みや苦しみが発生する出来事。
だなと書いてて思った。
畳間はぼうっと、二つ並んだ火影岩を見上げていた。
初代火影と、二代目火影。どちらも、畳間が背を追った偉大な忍者だった。
祖父の柱間は畳間に力を遺し世を去り、師の扉間は技を遺し畳間の前から去った。
木ノ葉隠れの里、あるいは忍界において歴史的な出来事となるはずだった、二大国・二大里が同盟によって結ばれるという夢は、『二つの悪』の前に散った。
金角、銀角。雲隠れの里において生きる伝説と謳われていた忍者達だ。かつてうちはマダラが九尾を支配し、木ノ葉隠れの里が確保するよりも前、自然の中で生きていた九尾に戦いを挑み敗れ、その腹の中に呑み込まれたというのに、生還したという逸話を持つ者達。
二代目雷影が殺害され雲隠れの里・雷の国が敵地となり、周囲を包囲されたとはいえ、あの千手扉間が率いた、木ノ葉においても最強の部隊が逃げの一手を打たざるを得なかった程の実力者。
帰還した猿飛ヒルゼン達の証言では、扉間は部隊の者達を逃がすために一人残り、消息を絶ったという。常人ならば死は免れない。だが千手扉間は違う。かつて最速を謳われた忍者だ。そして時空間忍術を所有する希有な忍者でもある。生きてさえいれば、扉間は飛雷神の術で里に戻って来ることが出来る。
だから畳間は火影邸で待っていた。この数日、数週間ずっと、火影邸の屋上で、火影岩を見つめて、扉間の帰還を待っていた。
包帯塗れのヒルゼンや、松葉づえをついたダンゾウが「もうやめろ」と止めに来ても、畳間はそこで火影岩を見つめていた。雨の日も風の日も。畳間はずっと、そこで師の帰還を待った。
畳間はヒルゼンから、扉間の最後の言葉を聞いた。
―――里を慕い貴様を信じる者達を守れ。そして育てるのだ。次の時代を託すことの出来る者を。
それはヒルゼンに向けられたものであって、畳間に向けられたものではない。畳間に宛てられた遺言は無かった。
畳間はそれが少し寂しかった。だからこそ、僅かな希望に縋った。
きっと帰って来る。またあの渋い声で、おっかないことを言ってくるのだと。
いつもの日常が帰って来ることを、信じた。
アカリは謹慎し、カガミは怪我で動けない。サクモは火影を失った木ノ葉隠れの里を支えるために、コハルに従事している。
ゆえに第六班は事実上任務を受けることが出来ず、畳間はずっと、その場に佇んでいた。畳間にも任務の要請はあったが、片目の原因不明の視力低下を理由に断った。
だが畳間はこの視力低下の理由に気づいている。
仙術だ。
不完全な精神、未熟な体。仙術は慎重を要する技能であり、その場の勢いで使用した畳間に反動が来ることは道理。乱れたチャクラと精神の隙をつき、
それ以外に実害はない。はた迷惑ではあるが、ただ見えづらくなっただけ。死角は増えるが、今回掴んだ仙術の感覚を忘れず、しっかりと仙術を会得すれば目を閉じていても戦えるようになるだろう。仙術によるチャクラ感知はそれほどのものだった。
だから端的に言えば、畳間のそれはサボりだ。
現実を直視できず、戻るはずのない日常を求めて、その場にとどまっているだけの子供の我儘でしかない。
いっそ扉間の亡骸が戻ってくれば、涙と共に受け入れられただろうに。いっそ畳間が付いて行っていて、事の一部始終を見ていれば、震える拳と共に理解できただろうに。
何もないことこそが畳間への罰だと言うのなら、これ以上のものは無かった。
戦争を知らない。痛みを知らない。実感として抱いていない。
雲隠れ撤退戦にて怒涛の戦いを越えることで、精神が戦国時代に限りなく近づいていれば、あるいはそういうものとして、どのような形であっても前に進めたかもしれない。
だが今の畳間は、木ノ葉隠れの『里の問題児』のままだ。友達とのケンカに仲が深まった、と高揚感を抱く、優しいだけのやんちゃ坊主。
ただ一つ違うのは。
「畳間……」
「イナ……」
畳間には妻がいた。
時雨の中、しっとりとした髪を垂らし、畳間は振り向いた。
傘を差したイナが、片手にたたまれた傘を持ち、そこにいた。
「風邪、引くわよ?」
「……」
イナの伺うような視線に、畳間は苦笑した。
自分の愚かさに自嘲したのだ。イナは何度か畳間の様子を見に来たが、その度に畳間は動かず、しばらく共に佇んで、去って行った。
イナの表情はやつれていた。畳間程ではないが、健康とは言い難い表情だった。
理由は明白だ。心配なのだ。最愛の男のことが。
心配をかけている。生涯を共に生きると決めた女性に、要らぬ心配を掛けている。
(潮時か……)
「イナ……。オレは……続くと思ってた」
「……」
痛ましげな表情でじっと見つめてくるイナに、畳間は弱弱しく微笑んだ。
「ずっと……続くと思ってたんだ……」
今よりおよそ30年ほど昔、戦国時代が終わり、里が興った。
平和な時代が訪れて、多くの子供たちが平穏を享受し、大人となった。戦国時代も、第一次忍界大戦を知らぬ世代が、多くいる。
為し遂げたのは、千手柱間と千手扉間だ。多くの人々の助けがあってこそとはいえ、先頭に立ったのはその二人だった。
畳間はイナに向けた弱弱しい微笑みを哀しみに崩し、俯いた。そして再び火影岩へと視線を向けた。
「おっちゃん……。爺ちゃん……」
もっと一緒に居たかった。もっとたくさんのことを教えてもらいたかった。もっとたくさん話したかった。もっとその声を聞きたかった。
「もう……二人ともいないのかぁ……」
ぽつり、と畳間の口から零れ落ちた言葉は、どこかあっけらかんとしていて、しかし弱弱しく震えていた。
「……」
心の中には、僅かながらも『決意』のようなものが芽吹き始めている。
だが、畳間はそれをうまく言葉にすることが出来なかった。
亡き家族へ向けた新たな覚悟の言葉も、傍らに寄り添う妻となる女性を安心させる言葉も。
畳間には紡ぐことが出来なかった。
畳間の中に芽生えつつある『決意』は、未だ形を持たず、蜃気楼のように朧げに揺らめいている。何かを受け継ぎたい。彼らの死が無駄なものでは無かったのだと確信したい。
だが、何を受け継ぐべきか、何を胸に刻むべきか、今の畳間にはまだ分からない。ただ大きな悲しみが畳間の胸の中にあって、その奥底に小さく『兆し』が覗くだけである。
「……」
畳間は扉間が戻らないのだと区切りをつける。
では次に何をすべきか。
畳間は胸中に渦巻く様々な感情の中から、分かりやすいものを一つ掬い取る。
怒り。
祖父の悲願を崩し、師の命を奪った雲隠れの怪物への殺意。敵討ちを遂行すべきか。
ざわり、と畳間の髪が揺れる。じわじわと溢れだすチャクラが僅かに荒ぶる素振りを見せる。視力の弱った片目が僅かに色を変え始め―――。
「畳間……。これから……木ノ葉はどうなるのかな……?」
畳間は己を呼ぶ声に、はっ、と我に返った。
不安そうなイナの声。
振り返った畳間は、不安げに瞳を揺らし、心配そうに畳間を見つめるイナの姿を視認する。
「イナ……」
二代目火影を失った木ノ葉は、きっと荒れる。
イナとて不安でないはずがない。だが婚約者がこんなことをしているから、その心に寄り添おうとして、イナはそこにいてくれている。
畳間はたまらず眉根を寄せる。
畳間は今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
畳間は小さく首を振った。己の過ちを悔いるように。
畳間はゆっくりと歩み出す。
イナに近づき、その細い体を掻き抱くように抱きしめた。
傘がイナの手から離れ、湿った屋上の床に転がった。
「大丈夫だ、イナ。オレがお前を守るから。お前と暮らすこの里は、絶対にオレが守るから」
「……!」
驚いたのか、イナが息を呑み込む音がした。
畳間は守ると言ったが、その言葉の裏には、助けてくれと縋る弱弱しい心が隠されている。
そしてそれに気づかないイナではない。
「大丈夫よ……。あんたのことは……あたしがきっと支えるからね……」
互いに痛みを、不安を、哀しみを分かち合うように、二人は強く抱きしめ合った。
◆
次の日は快晴だった。
地面は湿気を帯びてはいるが、陽光に晒され、時を置かずして乾くだろう。
畳間はイナと共に商店街へ繰り出した。自分自身の気分転換と、イナへの贖罪のためだ。後者を口にすればイナは怒るだろうが、共に買い物をするイナの表情は明るく、楽しんでいるようだったので、畳間は自分の行動が間違いではないことを悟る。
手を繋いで、二人は歩く。前を向いて、先へ進むために。
喪に服すことが正しいのかもしれないが、そうしているとうじうじと悩んでしまいそうだった。
畳間は昨日よく泣いて、今はよく笑った。イナと共にいるときに、偽りの笑みを浮かべたくなかったから、昨日のうちに哀しみはすべて吐き出した。とはいっても、ふとしたときに哀しみの情が沸き上がっては来る。
そういうときは、畳間はイナの手をぎゅっと握りしめた。イナはその度に、畳間の感情の機微を察しているかのように、ぎゅっと強く握り返してくれた。大丈夫だよと教えてくれるように、畳間の腕に抱き着ついて、頭をこてりと腕に当てた。イナの温もりを直に感じ、畳間の心にも温もりが伝播する。
いて、頭をこてりと腕に当てた。イナの温もりを直に感じ、畳間の心に温もりが伝播する。
畳間の中で、イナの存在はより大きくなっていく。
だがそれは。イナが畳間の『最愛』になるということは、畳間の中で順位付けが生じるということに他ならない。
例えその関係が、比べられるものではないとしても。あのとき言った言葉に嘘はないとしても。土壇場にあって、畳間はきっとイナを選ぶ。誰かを守れと強いられたなら。窮地にあって選択を迫られたとき、きっと畳間はイナを守るだろう。
それは条件反射のようなもの。畳間の心が、イナを最も必要としていた。愛し愛される関係。畳間の体は考えるよりも前に、きっとイナを守るために動き出す。
―――誰もが、当たり前だと言うだろう。妻とはそういうものだ。最愛の伴侶とは、そう言う存在だ。子供が出来れば違うかもしれないが、今の畳間とイナにとって、最も大切な人はお互いに相違ない。
―――誰もが、当たり前だと言うだろう。
それからの二人は、まるでタガが外れたかのように求めあい、日に日に仲を深めていく。特に畳間の側が顕著で、依存、まではいかないまでも、壊れやすい宝物を扱うように、畳間はイナを扱った。大切で、愛おしくて堪らないと、その溢れんばかりの愛情を注いだ。イナも溢れんばかりの笑みと愛を以て畳間の愛を受け入れて、そしてそれ以上のものを返した。
三代目火影襲名において、ダンゾウとヒルゼンが争っている間も。サクモがヒルゼン側に与し若き俊英の筆頭としてその役割を為し遂げている時も。
畳間はいち『中忍』として、上忍昇格を目指し実績を積むために与えられた任務を率先してこなしながら、イナとの幸福な日々を刻む。まるで胸に空いた穴を代わりの温もりで埋めるように。
―――誰もがソレを、当たり前だと言うだろう。
畳間は扉間の弟子だったが、里の中枢に関わることを許されたことはない。畳間がいち中忍のまま、扉間は姿を消してしまった。経験もない中忍が、いきなり執行部に取り立てられることなどありえない。
扉間が姿を消してからおよそ半年がたって、三代目火影がヒルゼンに内定した。他里からの干渉を退け続けた『木ノ葉の白い牙』の名は他国にも轟くようになった。
一方、畳間はイナと籍を入れた。イナの懐妊が判明し、正式にイナは千手の女となった。周囲の者は祝福を述べ、畳間とイナもそれを感謝と共に受け入れた。失ったものは大きかったが、日常は続いていく。哀しみがあれば、幸福もある。時間は進み、哀しみは忘れずとも、大きな幸せがそれを薄れさせる。
千手一族の、あの里の問題児が一人前に所帯を持ち、第一次忍界大戦で数を減らした千手一族に、初代火影・柱間の血を引く新たな男児が生まれる。
人々は久方ぶりの良きニュースに、表情をほころばせた。
―――だが例外はあるモノだ。
◆
アカリが謹慎を終えてすぐ、第六班はある任務を言い渡された。正確にはサクモが任された任務に、畳間とアカリを招集した。
任務内容は、最近火の国と風の国の国境付近に出没するらしい野党の調査、殲滅である。
齎された情報によれば、どうにもただの野盗ではないとのことだ。
忍術を扱う者が紛れている。
ただの忍者崩れならばいい。だが、今の忍界は不安定だ。野盗に扮した、どこぞの里の斥候の可能性は捨てきれない。
風の国との国境ということもあり―――示威行為も兼ねて、『白い牙』と名を馳せているサクモを、木ノ葉の上層部は向かわせることにしたらしい。
謹慎明けのアカリと畳間も招集され、第六班は任地へと向かった。
アカリはいやに静かだった。久しぶりに会った畳間は、以前と変わりなく接したが、アカリは何かを考えるように視線を逸らし、畳間を避けるように応じなかった。
畳間はあんなことがあったのだから気まずいのだろうと、アカリの心情を慮ってそのことについては触れなかった。サクモは静かに二人を観察している様子だった。
任地へ向かう途中、畳間とアカリの間に会話とよべるものは無かった。畳間はたびたび声をかけたが、やはりアカリは思いつめた様に沈黙を守った。
任地へ向かう途中、日が暮れてきたこともあり、野営を行うこととなった。
軽い夕食を終えた三人は、最初の見張りとして手を挙げた畳間を残し、それぞれ休息に入ることになる。
「畳間。少しいいかい?」
「……どうした?」
見張りをしている畳間の下に気まずげな表情を浮かべて現れたサクモは、畳間の返事を待たずしてその隣に腰を下ろした。
「……謝りたくてね」
「は? なにをだよ」
サクモが神妙な表情で口を開いた。
特に謝られるような心当たりのない畳間は、訝し気な視線をサクモへと向けるとともに、「おかしなやつだな」と苦笑する。
「謝らなきゃならねぇってんなら、お前が忙しくしてる間のんびりしてたオレの方だ」
「それは別に謝ることじゃないよ。畳間は結婚を控えてたんだから」
サクモは柔らかく笑って見せた。
「畳間やイナだけじゃない。里のみんなの……
「……」
沈黙する畳間に、サクモは少し意地わるく笑って見せた。
「それとも、仲間外れにされた感じがして寂しかったか?」
「はあ? ちげーし。オレもみんなと何かしたかったとか思ってねーし」
「ははは。そのめんどくさいムーブいらない。そろそろ卒業しなよ。お前風に言うなら
「……けっ。……イナにも言われたよ。あんたも父親になるんだから、ってさ」
「……」
感慨深く言う畳間に、今度はサクモが沈黙してしまった。
畳間は訝し気にサクモへ視線を向ける。
「なんだよ」
「いや……お前が人の親になるのかと思うと……。なんだろうな……言葉を失くした」
「どういう意味だこら」
「悪い。気を悪くさせるつもりはなかった」
じと、と畳間が視線を強めると、サクモは少し慌てた様子で、畳間を宥めるように片手をあげた。
「まあ、考えてみてくれ。例えばオレが結婚して子供が出来る、なんて聞いたら……畳間もきっと同じことを思うぞ」
サクモの言葉を受け止めて、畳間は考える素振りを見せる。
そして少しして、ぽつりと言った。
「……確かに」
「だろ?」
サクモが小さく笑い、畳間もつられるように笑った。
だが、畳間はすぐに思い悩むように顔を伏せた。
「……実際、お前の言う通りだ」
「……」
「おっちゃんはまだ戻らない。生きてるのか、死んでるのかも……分からない状態だ。いや……生きてるなら、あの人はきっと帰って来る。そうじゃないってことは……そういうことなんだ。それは分かってる。だからこそ……おっちゃんの弟子として何か出来ないかって考えてた」
畳間はぎゅと拳を握った。
その所作を、サクモは労わる様に目を細めて見た。
「この間、猿の兄貴にオレも何か手伝えないかって聞きに行ったんだ。そしたら……断られた」
「それはお前が結婚を控えていたから―――」
「分かってる。オレとイナのことを考えて、あの人はオレの助力を断った。大変なのに、オレとイナの幸せを優先して……。それはお前もそうだろ? サクモ……」
「それはまあ……」
サクモの言葉は歯切れが悪かったが、誤魔化しても意味は無いと判断したのか、返答は肯定であった。
「みんな大変なのに、オレだけってのは……。正直、居心地が悪い」
「……畳間。お前なぁ……新婚で、しかも初めての子供も生まれるってときだぞ。お前がイナを優先してやらなくてどうするんだ」
「それは……そうかもしれんけど……」
「厳しい言い方になるけど……、あんまり己惚れるなよ畳間。お前の悪い癖だ」
サクモは畳み掛けるように続ける。
その穏やかだが覇気の籠る言葉に、畳間は及び腰である。
「困ってる奴がいたら見過ごせないってのはお前の長所だとオレも思うけど……何でもかんでも抱え込もうとするのは悪い癖だ。全部に手を伸ばしてたら、身近なところが視えなくなるぞ。……オレだって、本当に困ったらお前を頼る。お前はお前のやるべきことをやるんだ。……今、自分がすべきことは何かくらい……お前だって分かってるだろ?」
「……今オレがすべきことは……イナと、生まれてくる子供を守ることだ。それは分かってる。だが……」
「分かってない。イナの夫はお前しかいないんだぞ。里のことは……今のところはオレ達に任せておけ。実際、砂隠れがきな臭い。何が起きてもおかしくないんだ。イナの不安はおなかの子供にも良くないだろ? それにお前、器用じゃないんだし。里も家族もなんてハードなことしたら……絶対こうなる」
こう、とサクモは両手を広げて顔の両端に持ち上げた。そして前へと動かした。
視野が狭くなる、というジェスチャーだった。
「それか、こう」
サクモは両手を頭の上に持ち上げて、掌を広げた。お手上げ、というジェスチャーだった。
「……そう言われるとちょっと腹立つな。けどまあ、よく分かってらっしゃる」
畳間は小さく呟いて苦笑した。
「ははは。何年友達、やってると思ってるんだ」
畳間の呟きを聞いて、サクモは楽しげに笑った。
「それに正直ね……。結構、メンタルやられるよ」
「……そんなに?」
「うん」
「だったらなおさら……」
「だからこそだよ。お前はイナに付いててやれ」
今、畳間は執行部と距離を取っておいた方が良い。
実際、サクモはそう考えている。
二代目火影の仇、と目される、雲隠れの抜け忍・金銀兄弟。報復は当然、執行部も考えている。既に
とはいえ、二代目火影と雷影を失った忍界はざわついており、砂隠れの里が怪しい動きを見せている。恐らくそれは実現しないだろう。
畳間は扉間を慕っていた。
表面的な態度は悪かったが、そのくらいサクモには分かる。そして畳間は、アカリの暴走を、班員になったから、友達だから、という理由だけで受け入れるほどに情の深い男だ。
平気であるはずがない。怒っていないはずがない。恐らくは木ノ葉隠れの里で最も金銀兄弟に怒りと憎しみを滾らせている忍者と言っても過言ではないだろう。
そして―――ダンゾウが報復に意欲的だった。里の面子を守るためだ。それは間違いではないだろう。頭を取られて動かなければ、里は舐められる。
だがそれは今ではない―――というのが、三代目火影となったヒルゼンの考えだった。
まずは里の立て直しを優先すべきである、という三代目火影とダンゾウは、今もなお反目している。もしも金銀兄弟への報復という点で、ダンゾウ側に畳間が付いてしまうと、執行部のパワーバランスが崩れる。それに、どちらかにつくということは、どちらかと敵対するということでもある。ダンゾウもヒルゼンも、どちらも慕っている畳間には少しばかり酷だ。
なし崩し的に参加しなければならなかったサクモとは訳が違う。それにサクモは、僅かな期間ではあるが、猿飛サスケに師事していた。どちらかといえばヒルゼンとの繋がりの方が強いため、どちらにつくか、というタイミングで迷うことは無かった。
サクモは畳間には家族のことを優先して貰いたかった。平時ならばともかく、畳間は新婚で、第一子の誕生を控えている。サクモにとって畳間は唯一無二の親友だから、少しばかり贔屓してしまうのである。自分が多少無理をしても、ヒルゼン達が過労を強いられても、親友にそれを巻き込むことを、サクモはしたくなかった。
「もうこの話は終わり! 納得できないかもしれないけど、さっきも言った通り、今はイナと子供のことだけ考えるようにしなって。お父さん?」
「……」
むー、と畳間はため息を吐く。
こうなったサクモは折れないだろう。話を続けてもいいが、恐らく話は平行線のまま進展することはない。だから畳間はサクモの言葉に今のところは従うことにした。
「分かったよ。今はお前の言葉に甘える」
「ああ。お前の家庭が落ち着いたら、嫌と言っても来てもらうからそのつもりで」
「はいはい。……んで、お前が謝りたかったことってのは?」
「ああ……」
神妙な表情で間を置いて、サクモが言った。
「この任務の面子にアカリを入れたのはオレなんだ」
「……? なんでそれでお前が謝るんだよ」
「いや……少し早かったかと思ってね……」
サクモは小さく息を吐いて続けた。
「……どういう意味だ?」
「アカリの謹慎中、お前アカリと会ってなかったろ?」
「そりゃ謹慎中だしな……。それに、オレがうちはの居住地になんて行ったら、色々面倒なことになるだろ」
「まあ、そうなんだけど……。二人で会うのは気まずいかなと思って」
「オレは特に何とも思ってねぇけど……。アカリがってことか?」
「うん。でも時間を置くと余計気まずくなるだろうから、早いうちに仲直りしておいた方が良いかなって思ったんだけど……」
「……それが早かった、ってことか。……ん。確かにアカリ、ちょっと様子が変だよなー。さっきも言ったけど、オレは特に気にしてねぇから普通にしてて欲しいんだが……」
「……」
サクモは何か考えるように黙り込んだ。
「サクモ?」
「いや、お節介というか、もしかしたらオレは大きな間違いを犯したのかなって……」
サクモは深刻な表情で呟いた。
「いや……そんなことねぇよ。心配してくれてんだろ? オレはお前の気持ちを嬉しく思う。アカリだってきっと……」
お節介、というのはまだ分からないでもない。畳間とアカリ、二人の問題であって、共通の友人とはいえ、サクモが入り込むことが必ずしも良い方向に進むとは限らない。
だが、間違いとは思わない。サクモの好意や配慮、友情を畳間はきちんと感じ取っているし、アカリだってそうだろう。サクモは二人のことを大切に想い、気に掛けている。畳間はそれが嬉しいと思うし、アカリだってきっとそうだろうと思う。
「いや、そうじゃなくて……」
「……?」
煮え切らない様子のサクモに、畳間は小首を傾げた。
「酷だったかなって……」
「酷……?」
そう言って、サクモはまた黙り込んでしまった。
友達としてこれからもずっと仲良くしていきたい畳間と、失恋した痛みを残したままのアカリ。
サクモは畳間とアカリの顛末を知らない。畳間がもう大丈夫だと、やけに晴れやかに言うものだからサクモもそう思っていたが、今回アカリの態度を見て確信した。
全然大丈夫じゃないし、今回の招集は明らかな悪手だ。畳間が執行部と距離を取っておいた方が良いとサクモが判断したように、アカリもまた畳間と距離を置いた方が良かったのだと確信した。
畳間は勘違いしている。
何をどう勘違いしているかは、事の顛末を知らないサクモには分からないが、アカリと畳間の間には明らかな齟齬がある。
それはサクモには知る由もないことだ。畳間がアカリの心情を慮って、あのときの顛末を口にしないことを選択した以上、仕方がないことではある。
―――畳間はあの時、アカリもまた友達という特別な関係にあると言った。最終的に、アカリは暴走したことを謝罪したが、だからといって、友達を続けるとは一言も言っていない。
アカリが攻撃を止めて謝罪したのは、畳間との関係を友人で終えることを受け入れたが故ではない。無抵抗を貫いた畳間を結果的になぶり続けることをアカリの心が耐えられなかったからだ。愛した男が自分の手で瀕死になっていく様を見続けることができる程、あのときのアカリは狂い切っていなかった。
だが根本的な解決は一切なされていない。
二人もまだ把握していないことだが、アカリは本来、非常に繊細で内向的だ。外交的な畳間やサクモとは本質的に異なる。
例えば、婚約前に、イナが畳間に愛想を尽かして他の男との結婚を選択してたとしても、畳間はものすごく落ち込んだ後、イナを祝福しこれからの幸せを願い、これまでと同じように友人として接することが出来る。
だがアカリにはそれが出来ない。手に入らない幸福を目の前に、平常心を保つことが出来る程の精神性を、アカリは未だ有していない。
根本的な部分でのすれ違い。
畳間はアカリが初恋に区切りを付けて、これからは友人として共に生きていけると思っている。今のアカリの態度は、以前のやり取りに罪悪感を抱き、気まずい思いをしているだけだと思い、だからこそ「気にしていない。これからも同じように。怪我も治ったから」と、アカリからすれば的外れなことを口にする。
だがアカリはあの態度からして、全く区切りを付けられていない。未練たらたらだ。しかも悪女だのなんだのと罵られても構わないと開き直り、畳間を奪いに行くようなことも出来ない。友人としても、イナの恋敵・間女としても動けない中途半端な位置で、アカリは苦しんでいる。
「……」
サクモは苦々しい表情を浮かべている。心底の後悔が滲み出ているようだった。
「大丈夫だって。別に嫌い合って喧嘩したとか、そんなわけじゃねぇんだ。アカリも今はちょっと気まずいだけで、すぐに元に戻れるよ」
「……だと良いんだけど」
そう在って欲しいという願い・祈りを込めて、サクモは小さく呟いた。