しんしんと、雪が降り積もる季節。
年を越して数週間経った頃。
【アストレア・ファミリア】は延期していた『遠征』へと出立していた。
「・・・・くしゅんっ」
「あらあら、風邪かしら?」
迷宮都市オラリオにおいて、【ファミリア】の種類は多岐にわたる。【デメテル・ファミリア】や【ニョルズ・ファミリア】のような食料生産を担う商業系、【ヘファイストス・ファミリア】や【ゴブニュ・ファミリア】のような武器の生産や建築を担う製作系、【ディアンケヒト・ファミリア】や【ミアハ・ファミリア】のような医療系。そして【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】のようなダンジョン探索をメインとした探索系だ。【ファミリア】はI~Sの
成果とは『到達階層の更新』や『未確認の採取物や採掘物の発見』、『未開拓領域』の
「アリーゼさん達帰ってこない・・・」
「うーん・・・予定ではそろそろなはずだけど・・・」
「・・・・ぐすん」
『遠征』は義務――つまりは
そのため、『星屑の庭』では現在女神1柱と、少年が1人という状況にあった。
少女達の遠征帰還は二週間を予定している。ベルはしょんぼりとした顔をしながら、苦笑するアストレアに背後から抱きしめられながら暖炉の熱で冷えた体を温めていた。アストレアは眷族達が買ってくれた少し大きめのオフショルダーニット・セーターを着用していてベルに至ってはまさしく着ぐるみを着ていた。正確には着ぐるみパジャマなのだが、肌寒い冬を乗り越えるため少しでも温かいものを――と買い物をしていた少女達は見つけてしまったのだという。アストレアが着ているセーターとは別に、いかにもベルが着るために用意されたものが。素材はもこもこのふかふかとしていて肌触りがよく、フードを被ればまさしく白兎。そう、少女達はアルミラージの着ぐるみパジャマを買っていたのだ。それを初めて着たベルを見た時の女神を含めた少女達の興奮具合は言うまでもない。
アストレアはふと思う。
少女達が出立するその当日は、まさに階層主戦が行われていたというくらいには騒がしかったというのにすっかり静まり返った本拠は意外と寂しいものだと。
× × ×
【アストレア・ファミリア】―『遠征』決行日―
「いーーーーやーーーー!」
「い、嫌じゃないわよ!? 行かなきゃダメなの!」
その日、ベルは駄々をこねていた。
今にも泣きそうな顔で、玄関の前で両手両足を開き、極東文字『大』を思わせる立ち姿をして少女達の行く手を阻んでいた。ベルが駄々をこねたことは今までなく、少女達はそれはもう困ってしまっていた。理由は勿論、少女達が『遠征』へと出て行ってしまうため。独りぼっちにされると思い込んでのことだった。
「いかないで!」
「『遠征』をしないとギルドに怒られちゃうの! 「おいいつまで『延期』にしているつもりだ!」って。ひょっとしたら
「おい今こいつしれっとなんて言った?」
「しれっと不敬なことを言ったような」
「ひっどい汁とアストレア様のお乳を天秤にかけるなんて・・・」
「ベル君、もうそんなプレイしているの? 7歳なのに?」
「ん-?」
「クラネルさん、意味がわかっていないみたいですが」
「というかちびっ子が大の字で行く手を阻んでくるの・・・なんだろう・・・可愛い」
「「「「わかる」」」」
着ぐるみパジャマを着て、ぷるぷると体を震わせるベルに少女達は胸の内を刺激されていた。
そんな眷族達のやりとりを、アストレアは困ったように見守っていた。なんだか団長のアリーゼが代表としてベルを説得してはいるが、しれっとベルが主神に授乳させてもらっているだとか聞こえた気がしたが面倒なので聞かなかったことにした。
「いつまでも本拠でだらだらしているわけにはいかないのよ。だから、行かせて? ね?」
「だめぇ!」
「いーいー子だーかーらーぁ!」
「いーやーだーぁ!」
まだ早朝だというのに、子供って元気だなぁとアストレアは欠伸交じりにそんなことを思った。ベルにはまだ『強制任務』だとか『冒険者』のあれこれといった事情なんてわかるはずもなく、アルフィアを失ったこともあってか余計に一人になるのを嫌がるようになった。きっとそれも原因なのだろう。アリーゼは荒げた息を整えようと一度深呼吸をして頭を冷やすもベルが通せんぼするものだからいつまでたっても出発できない。
――いっそ兎様が寝ている間に出発すればよかったのでは?
――それだとクラネルさんに余計な
――それにちゃんと行ってきますって言いたいし・・・お見送りしてほしいし・・・。
――おいあの兎、もう階層主みたいなもんだろ。いつまでたっても『遠征』に行けねぇぞ?
――ドロップアイテム何かしら。
――子種だろ
――まだ出ないでしょ
ひそひそ、とアリーゼを除いた眷族達が会話しているがアリーゼ本人は既に「ぶっちゃけもう遠征やめたい」レベルで疲弊していた。
「・・・そ、そうだ! 輝夜!」
「・・・・はい?」
「脱いで!」
「は・・・・は?」
アリーゼの閃きに、輝夜が珍しく素っ頓狂な声が漏れた。
理解不能、意味不明。
「ベル輝夜のこと好きでしょ! 聞いたことがあるわ、男の子は女の子の下着を欲しがるって!」
「ああ、なるほど・・・」
よいしょ、と着物を捲り上げると傷一つ見受けられない色白の生足が晒され、輝夜は体を曲げて
「「「脱ぐなぁ!?」」」
既に片方の紐を解いていたのか輝夜は「どっちなんだ」と溜息。リャーナが顔を赤くしながらその解けた紐を結びなおし着物を元に戻す。イスカは両手で「さー良い子には何もみえなーい」と遮りマリューが「良い子には何も聞こえなーい」と耳を塞いだ。そんな中ベルは、「これが『やまとなでしこ』・・・お祖父ちゃんが夢中になるわけだ・・・」とこれまた意味の分からないことを口にしていた。
「どうして脱ぐの!?」
「下着の一枚や二枚・・・紛失したところで死なないでしょうに」
「女の子! 貴方は女の子なの! 都合よく着物だけを吹き飛ばす一陣の風が吹いたらどうするの!? 貴方の肌色が衆目に晒されちゃうわ!?」
「風通しがよくなっていいだろう!?」
「風通しが良すぎるって言ってるの!!」
「安易に脱ぐな! ぽんぽん冷やすぞ!?」
「ベルに見られて恥ずかしい体はしていない! 皆も散々見られているだろう!? 風呂で!!」
「それとこれとは別だから!?」
「私はこいつが望むなら、乳だって吸わせる所存だ!」
「所存じゃなぁい!! まだ早ぁい!!」
「え、輝夜、何・・・貴方7歳の男の子に何するつもりなの・・・!? 精通すらまだのはずなのに・・・怖っ!!」
「「「「そもそもはお前が原因だろうが!!」」」」
「ひぃ!? みんなが怖いわ! ベル、お姉ちゃんを助けて!?」
視界と耳を2人の姉に塞がれたベルには何も見えず、かすかに聞こえたアリーゼの助けを求める声に反応し。
「じゃあ一緒にいてくれる?」
と言った。
「あ、ごめんそれは無理」
「・・・・ぐすっ・・・ひぐっ」
アストレアは頭を痛めた。その言い方はダメだと。
案の定ベルは「もう一緒にいられない」のだと勘違いしてぐずり始めた。視界を遮っていたリャーナが「お、男の子が簡単に泣いちゃだめだよー?」と言いながら涙を拭いベルは必死に涙を押しとどめる。ベルは背後から耳を塞いでいたイスカの方に向いて何かゴソゴソとしだし、その動作にイスカは頬を染めてピクピクとニヤケた顔をひくつかせ始めた。
「あ、じゃあリオン! 脱いで!」
「・・・・はい?」
「ベルの金髪恐怖症克服のためにも! リオンが脱いで、ベルにプレゼントフォー・ユーするのよ!」
「・・・アリーゼ、貴方が脱げばいいのでは?」
「え、嫌よ恥ずかしいじゃない。私、意味もなく脱ぎたくないわ! 脱ぐのはお風呂か水浴びかベッドの上だけでいいの!」
「・・・・・イラッ」
「まあいいじゃねえかリオン。リオンの一枚や二枚・・・安いもんだろ?」
「私の一枚や二枚が安いとはどういうことだぁ!? 第一、何故ッ、私がッ! 悪いみたいな!? 私に対するアタリが強すぎる!!」
「いやだって、囁くんだよ・・・私の
「意味合いが滅茶苦茶だが!?」
「滅茶苦茶なのが私達・・・・『冒険者』だぜ☆」
「良い顔で親指を立てるなぁ!」
次なる犠牲者に選ばれたリューは「良いではないか良いではないか」と脱がされそうになって必死に抵抗。そこに意を決したベルがアリーゼの名を呼び勢いよく振り返った。
「『
「「「「ぐはぁっ!?」」」」
「おいこいつらほんと馬鹿じゃねえのか!?」
それはアストレアが遊び半分で覚えさせたベルの『必殺』。振り返り際に両の人差し指で頬を押し当てての『ハニカミ』。その威力はあの【静寂】のアルフィアでさえ、
「フーッ、フーッ!」
「やばい、ネーゼが獣化しかけてる!」
「んなわけねえだろ!?」
「く、くらねるさぁん・・・あなたは、わりゅいひゅーまんだぁ・・・」
「リオンが壊れたぁ!?」
「馬鹿リオン、まじで脱がすぞ!?」
「くそ、これが・・・【
「おいお前等揃いも揃ってボケやってんじゃねえよ! 渋滞してんだよ! ツッコミをあたし一人に任せんじゃねえぞ!?」
「「「ツッコミの申し子頑張って」」」
「ハッ倒すぞ!!」
「くっ・・・ベル・・・貴方がそんなにも私達のことを思ってくれてるなんて・・・」
顔を真っ赤にしてアリーゼが、それでもなお抗うようにベルの両脇に腕を通して抱きしめると、ベルはわかってもらえたのだと思ってほっとしたような顔を晒す。「よかった、独りぼっちにされなくて済む」そんな顔だ。しかし、彼女達はベルよりも約7年人生を歩んでいる先輩であり、『冒険者』。あらゆる壁を乗り越えてこそ、その器を昇華させるのだ。故に、アリーゼに抱きしめられた時点でベルの敗北は決まってしまっていた。そうとは気づかず、アリーゼにぬいぐるみのように抱き上げられると、今度はそれをバケツリレーのようにイスカ、マリュー、ネーゼ、リャーナ、アスタ、ノイン、セルティと続き、リュー、輝夜、ライラ・・・へと行こうとして拒否され、ゴール地点のアストレアへとパスされる。抱き上げられ、撫でまわされ、頬に接吻をされたり、頬ずりされたり、これでもかと愛でられたベルはムフーッと満足そうに嬉しそうな恥ずかしそうな表情へと変わってアストレアに抱き着くと「あれ?」と首を傾げた。
「「「「「じゃ、いってきまーす!!」」」」」
パタン、と扉の閉まる音が鳴る。
「あ」
そう。
いつの間にか、ベルは玄関から距離を離れさせられていたのだ。
【アストレア・ファミリア】『星屑の庭』にて、
× × ×
『星屑の庭』―現在、夕方―
あの初日の
他には女神ヘファイストスに「暇してるなら、一緒に神聖浴場にでも行かない?」と誘われて行ったところ待合室で待っていたベルがフレイヤに「一緒に入ってもよくってよ?」と迫られ、身の危険を感じて半泣きでアストレアに助けを求めて浴場に入り込んでしまい数多の生まれたままの姿の肢体を晒す女神達に歓喜に近い悲鳴をあげられ囲まれ、「やーん、かーわーいーいー!」とか「ぼくー、どこから来たの?」とか「ふふ、食べちゃいたいっ」とか「よし、むいちゃえ☆」とかあれやこれや言われ「ひぃぃぃ!?」と悲鳴を上げたところでアストレアとヘファイストスに救出されるということがあった。なお、この一件については「おもにフレイヤのせい」として話は片付いたし、ベルの年齢もあって特別問題にはならなかったものの、『刺激』に飢えた暇神達は、決してそのネタを逃すことはなかった。翌日の朝刊には『神聖浴場にかの大神を越える
アストレアは思った。「ひょっとしてベルは不幸体質なのではないか」と。
「ネーゼさん・・・ブラッシングの時間・・・」
「ベ、ベル・・・ネーゼはいないから・・・」
「はぅ・・・」
「うぅ・・・ん」
ベルの数少ない仕事の一つ。
それはネーゼのブラッシングだ。何せ彼女は『
「アーディは眠っているの?」
「・・・うん、すやすや」
カーペットの上に座り、テーブルの上で羊皮紙に絵を描いているらしいベルのそんなしょぼくれた顔を見て、彼のお尻の辺りに頭をやって眠っている少女にも目をやる。彼女――アーディは、アリーゼ達の遠征の見送りに行った際に「泊っていいからベルのこと見てやって欲しい」と頼まれたとかで、こうして泊まり込みで遊びに来てくれているのだ。とは言っても、派閥の活動もあるため四六時中一緒というわけではないが。帰る家が少しの間だけ『星屑の庭』になっているという感じだ。
「それでベルはさっきから何を描いているの?」
「・・・・『ぼくのかんがえた最強の黒竜』」
「う、うーん・・・・」
子供ながらの絵ではあるものの、それはもうどえらい巨大な生物だということはわかった。何せ雲で顔のあたりが隠れているのだから。全身が黒く、眼球のような赤い丸いパーツがあり、禍々しい。
「この丸いのは何?」
「ここから、びぃむって言うのが出るんです」
「そ、そう・・・ねぇ、ベル、『黒竜』についてゼウス――お祖父ちゃんから何か聞いているの?」
「うーん」
ベルはクレヨンを置き、うーんうーんと小さな頭から記憶を絞り出す。そう時間がかからないうちに、「ああ、そうだ」と思い出してアストレアに向かって言った。
「お爺ちゃんと一緒だった時に、『黒竜』ってどんなのー?って聞いたら、『じょうのうち』君と一緒にいるって」
「・・・・・・」
アストレアは絶句した。教えたくないなら教えたくないで、もっと別の誤魔化し方があっただろうに、と。
「ベ、ベル・・・そろそろ夕飯の準備をするから手を洗ってらっしゃい」
「はーい・・・アリーゼさん達帰ってくるかな?」
「うーん・・・どうかしら・・・帰って来てもいいとは思うけれど・・・あくまで予定だし・・・」
「『遠征』って何してるんだろう・・・」
「寂しい?」
「・・・・うん。アーディさんが泊りに来てくれて嬉しいし、アストレア様と二人きりも楽しいけど、やっぱり皆がいないと寂しい・・・・」
しゅんっと落ち込んだような顔で立ち上がったベルはトコトコと手を洗いに洗面所へ。ベルが動いたことで眠っていたアーディもゆっくりと瞼を開け体を起こし大きな欠伸をする。
「おはようアーディ」
「ふわぁ・・・あ、アストレア様・・・私結構眠っちゃってました?」
「お昼寝には丁度いいんじゃないかしら?」
「あ、あはは・・・・あれ、ベル君は? おーいベルくーん、私のベル君やーい、アーディお姉さんがお目覚めだよー?」
「ベルなら手を洗いに行っているだけよ? それより申し訳ないのだけれどテーブルを片付けてもらえるかしら?」
「は、はーい!」
アーディがテーブルの上に置かれている物を片付け綺麗にするとそこにベルがやってくる。手を洗い終え、アストレアにちゃんと洗ったと示すように見せていた。「よろしい」と言われスプーンやコップといったベルでも運べる食器類を受け取るとベルはそれをテーブルに並べ、アーディとアストレアが料理を並べて席に着いた。この日の夕飯は『オムライス』と『オニオンスープ』だ。
「「「いただきます」」」
翌日、ようやく『遠征』を終えてクタクタで帰ってきた少女達にベルの受難を知られ、追いかけまわされることになるのを今はまだ、知らない。
「アーディさん、あとで髪の毛ブラッシングしてあげるね」
「ん-、ベル君にできるかなー?」
「できる! アストレア様にだってしてあげてる!」
「ほー、じゃあお手並み拝見といこうじゃないか」
「ふふ、仲が良いのね」