カオス
焼肉とは。
肉を焼いたもの。
また、牛・豚などの肉や内臓にたれをつけ、直火で焼きながら食べる料理。料理スキルのないものであれ、「とりあえず焼けば食える」という求めるものを求めなければ誰でもできる料理の一種だ。
「…………ゴクリ」
網の上に乗せられるは、牛、豚、鳥、
「どうしてこうなったのよ……」
「うぅ……っ、私は私が恥ずかしい……っ!」
「クルス、まだ駄目っす。赤い部分が残ってるっす。ステイっす」
「俺は犬じゃねえよ!」
「「「
個室。
卓を囲むのは、
「――――肉だ、肉を喰え」
逞しい体躯の獣人は複数の冒険者達の境界線上とでも言おうか、長机、そのサイドにそれぞれ男女が座っているならば彼はどちらに座るでもなくどちら側にも手を伸ばせるような位置、言うなれば会議室なら偉い人が座ってそうな位置に腰を下ろしている。
無骨な武人は言った。
肉を喰えと。
冒険者達は思った。
((((喰えねえよ))))
と。
なにせ派閥が違う上に、視線の先にいる武人は敵対している派閥の頂点、いや、冒険者の頂点にして団長なのだ。自分達の団長とは違って碌に口を利いたことがあるわけでもなし、会話も自然と弾むこともなく、本来なら嬉しい焼肉も食べづらいというもの。
「ど、どうしてこうなったんだ?」
「私達、ただダンジョンから帰ってきて時間的にも遅かったから食べに行こうかって話してたところよね?」
「うぅ、純情を弄ばれました……リヴェリア様ぁ……」
「アリシア、しっかりしてよ、もう……!」
コソコソと聞こえないように、けれどLv.7の聴覚なら当然聞こえていよう会話を【ロキ・ファミリア】の二軍メンバー4名は何故、こんな食べづらい食事会に自分達が招かれている―巻き込まれている―のか振り返った。
「【
そう、そんなやり取りを行っている白髪の少年―今は何故か女の恰好をしているが―と
「………」
「タレもつけすぎるな、味が損なわれる」
「………」
「牛、牛、豚、鶏、牛、牛、内臓、内臓の順で喰え」
「うるさいなぁ、好きに食べさせてくださいよ!」
「!」
「表出ろ! だから貴方は猪なんだ!」
「「「「ベル、
ていうか何でこんなことになってんだ!
ならば時を少しだけ遡るとしよう、ああ、そうしよう。
【アストレア・ファミリア】は1週間ほど前に『遠征』へと出立しており、ベルは寂しく過ごしていた。冒険者を続ける理由というか、意欲がわかないので自然とダンジョンにも足を向けることはないが、それでも彼女達に置いていかれてしまうことがなんだか嫌で、モヤモヤとした気持ちが胸の中で疼いていた。
「きっと貴方はアリーゼ達に憧れを抱いているのよ、だから置いていかれることが怖いんじゃないかしら」
アストレアはそう言ったけれど、ベルにはイマイチピンとこなかった。でも、家出を終えてから彼女達がいない現在と暇を持て余すようになって考えてみた。アルフィアやザルドに対して、自分は憧れを抱いていたのかどうかを。
「ベルさんはお義母さんを救いたかったのでは?」
「ベル君は優しいからねえ、アルフィアが寝込んだ時なんて【九魔姫】に大聖樹の枝を寄越せって言いに行ってたくらいだし」
姉達が『遠征』で留守にしている間、昔のようにアーディやアミッドが星屑の庭へ遊びに来ては話し相手になってくれる。ともすれば、ベルの自問自答にも付き合ってくれて、解答へと導いてくれた。
「僕は、お義母さん達を助けたかったけど、憧れではなくて……アリーゼさん達に憧れていた……?」
きっとアルフィア達に対する憧れが一切ないと言えば嘘になる。でも、あの2人が立っていた場所はあまりにも遠すぎて、途方もなさ過ぎて見えない。けれど、身近なアリーゼ達の背中なら……と考えれば、なるほど、伸ばせば指を掠めるくらいはできるのかもしれないと思えてきた。
自問自答をして、アミッドのいる治療院に足を運んで、「体重が落ちているのと血が足りていないのでしっかりと食べてください」と言われては彼女の手伝いを久しぶりにして、
「久しいな、【
と声をかけられたのは。
その声音、声色だけで声の持ち主が誰かだなんてまるわかり。感情という感情を原野にでも置き去りにしてきたかのような無機質かつ低く重い声は、【フレイヤ・ファミリア】の団長、オッタルのもの。彼がなぜ女神の側ではなく、ストリートにいるのかという疑問と、何故自分に声をかけてきたのかという疑問が浮上し、そして、今現在自分の恰好に疑問すら浮かばないこと、いろいろあって、最終的に「苦手だから」という理由で、ベルは、全力で逃走を開始した。
アリーゼ達の命により、ベルは彼女達が帰還するまでの間、
なお、この格好をアイズ、レフィーヤ、ティオナ、ティオネが見た時の反応は以下のとおりである。
「ベル……
「え、これ、あの、えっ……えっ!?」
「へぇ~……前にリヴェリアが、あの子は母親似だとか聞いたけどようやく理解したわ」
「ねぇねぇ、前から気になってたけど、そういう格好の時って下着はどうなってるの?」
「あ、ちょ、ティオナさん!?」
往来で下着チェックをするティオナにベルはされるがままで、スカートをLv.6の力で勢いよく捲り上げられ、レフィーヤが悲鳴を上げ、ティオネが何をやってんだとブチキレた。女性用下着は履いてなかった。
Lv.2の全力疾走でベルはオッタルから逃げていた。逃げる理由は特にないが、なんだかこう、あまり彼に好感を持てないのだ。過去に師を取られた嫉妬心というか、叔父に相手にしてもらえなかった原因があいつにあるのだとか、別にそういうこと、思わなくもなくもなくも……いや、めっちゃ思っているのだけれど、それはベルの個人的な我儘だ。今更ぎゃーぎゃーと喚くつもりはないのだ。だけど、できるなら顔は会わせたくないという思いはあった。故に逃走。
「ハッハッハッハッハ……ッ」
姿勢を低くして、走る白い長髪の少女―少年―。
「いきなり走るな、危険だ」
姿勢よく普通に追い抜く
事案である。
「お、おいあれって【猛者】じゃないのか!?」
「あんな……アルフィアみてえな小娘を追い回して……!?」
「やべぇよ……【猛者】やべえよ……!」
「「「ベルきゅ~~~ん、がんばえぇ~~~!」」」
「え、あれ、【アストレア・ファミリア】の【
今日の活動も終わったか、冒険者達は各々酒場にて稼ぎを溶かそうとでもいうのかストリートを全力で走るベルと何考えてるかわからない顔のオッタルの追いかけっこを眺めながら、戦慄の表情を浮かべたり、ああ、このあと捕まって無慈悲に抵抗させてもらうことも許されずLv.7の力で酷いことされるんだぁ……とか妄想したり、酒が回ったか神々は身バレした上で応援する始末。オッタルは小さく呻いた。面倒だなと。オッタルはベルの前方5Mの位置で急停止し、両腕を広げ壁となった。捕縛しようと言うのだ。
「くっ!」
ベルは舌を弾き、地を踏んだ右足を軸に方向転換。厚底のブーツがキュルルッと急停止したために悲鳴をあげたが、構わず来た道に戻るように疾走。荒い呼吸を上げながら走るベルに、冒険者達は、神々は、そして市民達は歓声を上げた。
「ぉおおおおおおおおおお!?」
「【猛者】相手に一歩も引いてねえ!」
「なんで追いかけられてるのかわからねえけど、いいぞ、いけぇ!」
「捕まったら喰われちまうぞぉ!!」
「「「ベルきゅ~~~~ん、がんばえぇ~~~~!」」」
「「「
いったい全体どうして
「そのような格好で走るな、じゃじゃ馬め」
「くっふっひぃっはぁ……っ!」
ダダダダダッという慌ただしい足音のベルに対して、タッタッタッタッというリズミカルかつ軽快な足音を奏でるオッタルは再びベルの前を走り、ベルの視界には大きな背中が広がった。
「それこそ転ぶぞ、気をつけろ」
美しい走行フォルム。
右腕が下がり前に行く。それに入れ替わるように左腕が。ベルは前方の背中をこれでもかと睨みつけた。そしてしばらくして
「うっ、あぁ……っ」
呼吸は乱れ、足がもつれ、前のめりに体が倒れていく。最初に膝をつき、身体を守ろうと反射的に両手が地についた。無様な呻き声と共にぽたぽたと汗が石畳に落ち、吸い込まれていく。
(負けた……こんな筋肉だるまに、叔父さんが褒めてくれた唯一の足で……言い訳の余地がないほど、完全に負けた……)
恥ずかしい。
消えてしまいたい。
だから僕は、お義母さんも女神様も助けられないんだ………。
「………仕方ない奴だな。貴様、それでも奴等の置き土産か」
両手両膝をついて荒い呼吸を繰り返すベルの首根っこをオッタルが掴み、持ち上げる。足が地から離れ、ゆっくりと触れて立ち上がらせられる。ベルはこれでもかと睨んでいた。俗物的な神々が見れば、「くっころ」的な目だった。
「んん……ぃぃ……!」
「……それはどういう顔だ」
逃げるなよ。そう言ってオッタルは首根っこを離す。ベルは持ち上げられた時のままの姿勢で、まるで
「ついてこい。フレイヤ様からお許しは頂いている」
(アストレア様にお許しを貰えよ)
口の悪い一部の姉×2でもうつったか、心の中で毒づいた。
「心配するな、お前の女神にも【ファミリア】にも手を出すつもりはない。俺はお前に話があるだけだ。こんな人通りの多い場所で立ち話でするような話ではないから、その辺の喫茶店にでも行こうと誘っている」
本来なら他派閥の団長がそんなこと、ましてや【フレイヤ・ファミリア】がそんなこと、天変地異が起ころうともありえない。
「お前に限り……特別だ。一杯くらいは奢ってやる」
オッタルは歩き出す。
ずかずかと、歩き出す。ベルはそんな武人の背中をぐぬぬと見つめながら、だけどこのまま良い様に流されるのは癪だから一矢報いてやろうと周囲を見渡して、
「
「中層まで行ってたんだから仕方ないわよ」
「流石に本拠で飯……て言っても、残ってないんじゃないか?」
「そうですね、適当なところで食べに行きますか? 団長達には遅くなる旨はダンジョンに行く前に伝えていますし」
昔からよく知るお兄さんとお姉さんだ。
優しい猫人のお姉さんに、その胸で妖精は無理でしょというかのようなお姉さん。Lv.4なのにスキルや魔法がないという不思議なお兄さんに、犬人のお兄さん。ベルは彼等に希望を見た。心の中の
「わかった、わかりました、行きます、行けばいいんでしょう!? でも、少しだけ待ってください! 何も2人きりである必要、ないですよね!?」
「…………」
オッタルの是非など知ったことじゃない。ベルはタタタタッと4人組の下へと駆け寄った。目の前で止まった白髪の少女―どことなくアルフィアに似ている―にぎょっとした彼等彼女等は、しかし、次の瞬間、アリシアの両手を取るという行動にさらにぎょっとした。
「一緒に来てください」
「へ……え、貴方、まさか、ベルですか!?」
「その恰好……【
「様になってるっすね……さすが6歳の頃から訓練されているだけのことはある」
「いや、もうちょっと嫌がれよ」
「ああ、もう、3人とも静かに、話が聞こえません!」
「……アリシアさん(たち)が必要なんです!」
「わ、私が必要!?」
両手をぎゅっと包み込まれ、深紅の瞳で強く真っ直ぐ見つめられたアリシアはたじろいだ。齢にして25の生娘妖精は良い出会いというものに縁がなかった。冒険者という職業柄それは仕方ないし、そもそも冒険者となったリヴェリアに仕えるために迷宮都市オラリオにやってきたのだから別にそこは大して気にはしていないが、だからといって興味がないといえば噓になる。というか、いきなり見知った年下の少年にこんな熱い視線をぶつけられたせいで、混乱しはじめていた。
「……あ、貴方のお姉さん達はどうしたというのですか!? 貴方には、もう、その、いるではありませんか!?」
「アリーゼさん達のことは(遠征でいないから)いいんです」
「彼女達のことはいい!? そ、それほどまでに……!? い、いえ、いけませんそんなこと! 私である必要は、ないはずです! そ、そんな熱い視線を向けられても!?」
悔し涙で潤んだ深紅の瞳が、アリシアの瞳をじぃーっと見つめ、それにアリシアは何か母性というか女というか、きゅんっとしないでもないというか、あれ、私ってひょっとして白髪赤眼ヒューマンがストライクだったのでしょうか!?と思い始めた。思い始めたが、アリーゼ達がベルのことを囲っていることは知っているため、他派閥の少年が他派閥の女性に手を出す―逆もまた然り―なんてこと、許していいはずがないと年長者として、そして派閥ではみんなの姉的存在の立ち位置にいる者として彼を説得しようと踏ん張った。だが、最近ポンコツ化し始めたらしいという噂を知らなかった彼女はベルの攻撃に敗北することとなる。
「(周りに知り合いの顔が見えないんだから)貴方じゃなきゃ、駄目なんです!」
熱い視線―少なくともアリシアにはそう見えた―。
逃げられないようにベルはぐいっと腰に回した腕で彼女を抱き寄せる―あれ、意外と男の子として成長しているんだなと実感―女が疼く。
綺麗どころのお姉さん達がいるにも関わらずアリシアを選ぶという他派閥間恋愛という禁断の道を選ぶ覚悟を垣間見た―少なくともアリシアはそう感じた―。
「よ、よろしくお願いしますぅうう!!」
アリシア・フォレストライト25歳生娘。
白髪赤眼年下ヒューマンに勝手に撃ち落された瞬間である。彼女は細くくびれた腰に回された腕で抱き寄せられ、そうとなれば自然と豊かに実った胸が彼の胸に当たって形を歪めてしまうことは当然で。けれどそれは傍から見れば乙女同士が抱き合っているようにしか見えない。正体を知っているアリシアは目をぐるぐると回し、耳まで赤くなり、救いを求めてくるような、けれどその熱い眼差しに狩人が得物を撃ち抜いたが如く撃沈したのだ。
「「「ぇえええええええええええええええええっ!?」」」
たちまち轟いたのは、アキ、ラウル、クルスの驚愕の声だった。【猛者】はただ一人、そんな茶番を眺めながら溜息をつき、
繁華街に存在する焼肉店に彼等はいた。
「まさか、【猛者】と2人きりで食事をするのは嫌だったからすぐ近くにいた
「ベル、あんた、【
「いや、【
「自分、今はアリシアの顔、見れそうにないっすよ……」
「俺もてっきり、【
「うぅぅーーー……」
「ああ、もう、アリシア、しっかりしてよぉ!」
というか、【猛者】が店を予約していたのが驚きでしかないというか想像できない。とアキ達は本人に聞こえないように言い放つ。オッタルは気にした素振りは一切なく、似合わないエプロンをつけてトングで肉を突く。
「任せろ、俺が焼いてやる」
その個室は異様だった。
1人の妖精は純情を踏みにじられたと机に突っ伏して涙を零し、1人の猫人はこんなことになっている原因である子兎に軽くお説教をし、1人のヒューマンと1人の犬人は仲間に同情しつつ、【アストレア・ファミリア】やべえと戦慄し、そして、【フレイヤ・ファミリア】の団長が、他者のために肉を網の上で育てていたのだ。見る者が見れば言うだろう「え、何事?」と。肉は食欲をそそる音を奏で、腹をすかせた冒険者達はそんな音を聞いては喉を鳴らし、けれど種族柄、肉を好んで食べない妖精のために子兎が野菜を頼んでは「うぅ、優しい……」とこれまた妖精が絆される。焼き上がった肉をオッタルがベルの前にある小皿に置けば、ベルはそれをラウル達に回し、何も乗っていない皿を自らの前に置いて肉が乗ればまた回した。
「え、ええっと……」
「俺達も食べて良いのか?」
「大丈夫です、オッタルのおじさまの奢りだから」
「「「いや、お前の財布違うんかい!」」」
「ロキ様も言ってました。他人の金で食べる焼肉は美味いって」
「「「「あの神あとで痛い目みせてやる」」」」
少なくとも、ベルのことを6歳の頃から知る彼等彼女等は多少なりとも悪影響を与えているだろう
「ああ、ほらベル、ちゃんとエプロンをつけないとシミになってしまいますよ。ほら、付けてあげます」
「んぅぅ……アリシアさんはどうしてさっきから泣いてるんですか? 生理ですか?」
「「「「デリカシーをどこに置いてきた!?」」」」
あとお前のせいだよ!? アキ達は心の中で声を重ねて叫びあがった。少し前に都市の外に飛び出してしまったという話は聞くに及ばず知っているが、ポンコツ化していることについては詳しくは知らないのだ。というか、女性に囲まれてきたせいかストレートに生理だとかいうワードをぶち込んできた子兎におっかなびっくりだった。
「……俺の、奢りだ」
「ほら」
「「「「ほら、じゃない」」」」
くそう、なんで【猛者】が良い奴に見えてくるんだ。ベルの皿に盛った肉をベルが俺達に回しているだけなのに。やめろよ、無言で肉を焼くのを。せめてなんか言ってやれよ。お前は【
「他に食べたい肉はあるか?」
「………アストレア様に食べさせてあげたいから、持ち帰っちゃダメですか?」
「
((((いいんだ!?))))
ていうか優しい。
私達なんて、「あ、これロキ喜ぶかも~」とか別にやらないのに、この子は素でできちゃうんだ。わぁすごぉい。アキとアリシアはアストレアと手を繋いで歩くベルを知ってか微笑ましい笑みを浮かべてしまった。ついに肉を口にし始めたベルは、いつの間にやらアリシアに髪が汚れないように結われ―外そうとしたらアリーゼ達が帰ってくるまで女装解除厳禁と言われた―ポニーテールになっていた。
「おいアキ、ラウル、アリシア!」
「どうしたっすか、クルス!?」
「あの2人の関係性がイマイチわからねえ! 助けてくれ、頭がおかしくなりそうなんだ!」
「私だって聞きたいですよ、ザルドが絡んでいることは確かでしょうけど……アレはどう見ても」
「「「「不愛想だけど親切な親戚のおじさんにしか見えない」」」」
「や、やっぱりそう見えるか!?」
「見えて……しまうんです!」
「かすかに【猛者】の口角が上がってるのがまさにソレよ!」
「………それで、何の用なんですか?」
キター! やっとこの子兎、本題に入りやがったー! いずらい俺達の胃袋がようやく救済されるぅー!
「僕に話があるんじゃなかったんですか? 僕、アストレア様に一緒に『ミックスジュース』を作りましょうって言われてたんですよ?」
((((知らんわ!))))
なんだよその微笑ましい光景は。
ちょっと見たくなっちゃったじゃねえか。
【アストレア・ファミリア】が遠征中だから女神と2人っきりでお楽しみってか!? くそ、羨ましい! 男2人は机の下で握りこぶしを作った。
「む……………そういえば、そうだったな」
オッタルは口を噤んだまま、トングで新しく肉を網の上に乗せ、焼く。じゅわじゅわと音を立て、出来上がったものをベルの皿に乗せ、そして自分の皿にも乗せる。5名の視線を受けながら肉を頬張ったオッタルはしかし、何も言わず息を吐き口を開いた。
「ザルドから受けた借りを……返す」
「?」
「フレイヤ様からは暇を頂いている」
「??」
「明朝、門の外で待つ」
「???」
それだけ言うと、オッタルは再び網の上に肉を置いた。肉から脂が炭へと落ち、食欲をそそる音が耳朶を震わせる。ベル達は静かに焼ける肉を、そしてオッタルへと視線を交互に泳がせた。
「………俺がいては、どうやら食事もはかどらんらしい」
エプロンを外し、【ファミリア】の
「後は好きに喰え。あと2皿3皿注文すれば、痩せたお前の身体の糧にもなるだろう……肉だ、肉を喰え、肉だ」
ではな。
そう言って彼は個室を後にしようとする。ぽかーんとする【ロキ・ファミリア】の4人とベル。扉が開き、彼が外へ足を踏み出す。
「ちょ、ちょっと、待っ……」
「………なんだ」
思わずベルが声をかけ、オッタルは足を止め視線だけを向けた。ベルは目の前の武人が何をしたいのかわからず、そして自分が何を言えばいいのかわからず、なんとか思考を巡らせて言葉を発する。
「デザートは頼んでも良いですか」
「好きにしろ」
オッタルは静かに去った。
【ロキ・ファミリア】の4人はどっと疲れてテーブルに突っ伏した。ベルもまた、深く息を吐いた。今、この個室の中を見た者がいたならば、一仕事終えた感すら感じていたことだろう。
「デザート頼んでいいですかって……何? いや、食べるけどさ」
「ごめんなさい」
「シリアスに入るかと思ったらギャグパートにするのやめろよ、こっちだって心の準備がいるんだよ」
「ごめんなさい」
「ベル君ほんと、なんか変っすよ……何すか、没個性にならないように必死なんすか?」
「ごめんなさい」
「もうなんというか、疲れました……早く帰りましょう……」
ベル達は【猛者】の奢りだからと、焼肉を楽しんだ。楽しみすぎて、ラウルとクルスは胃もたれを起こした。アキは食後のデザートを楽しんだ。アリシアはベルに与えられた羞恥というか屈辱というか、アルヴの泉水を自棄酒のように飲みまくった。
「というか」
「どうしたんですか、アキさん」
「……どっちの門で待ってるの? 【猛者】は」
「…………あ」
× × ×
星屑の庭
ベルが【ロキ・ファミリア】の4人を巻き込んで【猛者】と焼肉屋にいる頃。
「………遅い」
いつもなら眷族達と卓を囲って食事をするその場所に、アストレアはただ
「まさか、またどこかへ……?」
いえ、でも、さすがにそんなことは……と不安が胸をチクチクと刺し、立ち上がってはうろうろと歩き回るアストレア。そこへ、本拠内に呼び鈴の音が鳴り響く。
「!」
やっと帰ってきた!
そう思ってニコニコと、けれど流石に心配させすぎだとお説教しようと決意して玄関を開けた。
「おかえりなさい!」
「やぁ、ただいま、アストレアママぁ!」
アストレアは静かに扉を閉めた。
割と
扉の向こうには可愛がっていた白髪の少年がいたのではなく、今の今まで報告の一つも寄越さない優男風の男神ことヘルメスがいたのだ。ここでベルが申し訳なさそうにして立っていたのなら、「もう、どこに行っていたの、心配していたのよ」と言って抱擁の一つや二つしただろうに、いたのは別人だったのだ。アストレアから微笑みのいっさいが消え失せた。
「開けてぇえええええええええ! アストレア様、ふざけたこと謝るから、開けてぇええええええええ!!」
ベルだと思った?
残念☆
ヘルメスだよ!
な出来事の後、アストレアは渋々、団欒室へとヘルメスを通した。ヘルメスの後ろには眷族のアスフィが申し訳なさそうな顔をしつつも自分の主神に対してゴミを見るような眼差しを向けていた。そしてアストレアもまた、眷族達には絶対見せられない表情のいっさいを消し去った顔を彼に向けていた。
「ねぇヘルメス」
「はい」
「誠意って知ってるかしら?」
「はい」
「私は、結果がどうあれあの子にとって消えない傷になるとわかっていながら、それでもなお、貴方にベルを託した……一緒に付いて行ってあげられない以上、託すしかなかった。そうよね?」
「はい、その通りです」
「貴方、私からの信用を踏みにじったの?」
「……いや、その」
「アポロン……今はすでにオラリオにはいないけれど、彼はすぐに私のところへやって来て全てを説明したあと、頭まで下げたわよ?」
「へ、へぇ、アポロン、来てたのかぁ」
「ヘルメス」
「ひっ」
ゴゴゴゴ……とうような音を背後に、アストレアはニッコリと微笑んだ。無理もない、彼女からしてみれば『信じて送り出した眷族が~』というやつなのだ。ヘルメスはどのような事情があろうともベル達よりも早く帰還しアストレアに報告するべきことをするべきだったのだ。それを怠ったためにアストレアは、そう、おこだった!
と、そこへ待ち人来たる。
「アストレア様、ただいま戻りま、し……た……」
ベルは見た。
なんというか申し訳なさそうな顔をしているアスフィと、今にもギロチンにかけられそうなヘルメスに、なんだか滅茶苦茶怖いオーラを出しているアストレアを。
「あらベル……遅かったじゃない」
「ひっ!?」
ゆらぁ、とカートルを揺らしてアストレアはベルへと振り返った。剣を持っていないことが幸いではあったが、ベルからしてみればいつもの優しい女神様なんてそこにはおらず、慈愛という慈愛を全て捨て去った破壊神を彷彿させるかのようなオーラを感じさせていたのだ。ベルは思わずへたり込んだ。何これ怖いと。
「だ、大丈夫よベル。で、でもあなたも悪いのよ!? あんまりにも帰りが遅いのだから!」
「これは……生肉ですか? いったい、どちらへ?」
「お、オッタルのおじさま、肉、焼く……」
「なるほど……【猛者】の肉ですか…………は?」
「ぐすっ、ごめ、ごめんなさ………ひっく……!」
「ま、まさか、ベル・クラネル……貴方……!?
「おいおいおい……まさか、アルテミスの一件で、馬鹿げた魔法かスキルを発現させて……!?」
「ひっく、うぅぅぅ……!」
「ベ、ベル!? ちゃんと答えて頂戴、私の胸に顔を埋めて泣いてたってわからないでしょう!? それに、貴方、何、この匂いは何、どこへ行っていたの!?」
「ベル君、そこを代わってくれぇ!?」
「アストレア様に近付くな、このダメ男神ぃいいいいいいい!」
「ゴッホォアッ、すんません、ほんと、すんません、アスフィさぁああああん!?」
アストレアに怯えてしまったベルは、幼子が母親にそうするように抱き着いて胸の中で「ごめんなさい」だとか言って泣きじゃくり、そのせいでコミュニケーションは成り立たず場は混沌と化してしまった。ヘルメスに言われアスフィは直ちに【猛者】の安否確認という意味の分からない調査を行い、そしてすぐに帰ってきた。
「めっちゃぴんぴんしてましたよ」
口角をひくつかせたアスフィは、アストレアの膝に顔を埋めて眠ってしまった白兎を見て、やはり口角をひくつかせた。眠ってしまったベルの頭を撫でながら、アストレアはやれやれと眉間を摘まみ、溜息を吐いて、ヘルメスへと視線を向けた。
「それで、何か用があって来たのでしょう?」
ああ、とヘルメスが床に落ちてしまった旅行帽を軽くはたいてから、近くに置き、膝の上で肘をつき両手の指の腹同士をくっつけて口を開いた。
「―――アルテミスに会いに行かないか」
「…………なんですって?」