それは、魔王を殺すための大砲

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大砲少女

 イルスダイン王国から南東に馬車で三時間ほど。

 

 なだらかな傾斜の続く街道を揺られながら進んだ先にあるメニメ川を渡った先には、これまでののどかな光景から打って変わって賑わいを見せる一つの街がある。

 貿易の要であり、陸海から届けられる商品を王国に届ける際にその品質を保証する検疫所でもあるその街は、美しい海に瀕していることから、誰が呼んだか水の都。

 

 名を、サルトバーニュ。

 

 ひっきりなしに人が行き交い、色づきを見せる。街が呼吸をする生き物であるかのように、蠢いていた。

 

 採れたての海鮮を焼いては捌き呼び込む男、各国から集められた珍しい布を広げてはどこのどんな文様か声高に響かせる女。路地を少し入れば途端にがらりと構えの種類が変わり、怪しげな魔術による失せ物探しだのだのとある高名な錬金術師の新作水薬だのと異様な煙と匂いが漂い出す。冒険者がそれら薬品や武器の中から本物足りうる品はどれかと目を凝らし、その隙をついて財布をひったくられたと誰かが叫んでは警備隊が走り回る。

 

 活気が溢れ過ぎていると街に来たばかりの者は口を揃えて言う。

 それでも街が治安を保てているのは、領主であるクリスタ家の手腕によるところが大きい。

 

 元はただの一貴族。取るに足らない存在であったが、サルトバーニュに攻め込んできた海賊と魔物の群れを前に並ぶ者なしの活躍を見せた初代に王は討ち死にした元の領主に変わって街の権利を譲渡、以来目まぐるしい発展を遂げてきていた。

 

 そんな流れもあってか、クリスタ家には代々荒くれ者と見紛うほどの腕っぷしと、清濁併せ呑み民衆を纏め上げる才気を兼ね備えた人物が生まれてきた。

 

 たとえば七代目、デイモンド・クリスタの長男であるチャーチ・クリスタなどはそのいい例だ。時期当主との声も高く、デイモンドもまたその手腕は高く評価している。

 長女、レーナ・クリスタもまたチャーチを補佐するために生まれてきたと言ってもいいほどに交渉や情報処理能力が高く、これで今後も安泰だと、この街に住む人々は確信していた。

 

 そんなサルトバーニュの午後、昼下り。飯時を迎え、ほのかに落ち着きを見せる貿易所。

 その代わりに今がかきいれ時だと騒ぎ出す飯屋を、響き渡る衝撃が揺らした。

 

「どぁぁぁっ!? な、なんだ! 何が起きた!?」

 

 年若い一人の男が今まさに掻っ込もうとした肉と野菜、香辛料をアクセントにしたスープをあわや噴き出すのではという勢いで驚き、辺りを見渡した。

 どぉん、どぉんと断続的に響いて来る衝撃は店の支柱を揺らし、その振動はスープの表面に波紋を起こしていた。

 ぱらぱらと降り注ぐのは石の粉。板張りの天井の隙間から零れ落ちてくるそれに耐震を疑いながらも男は辺りを見回すが、そこで気が付いた。

 

 だれも、それを気にしていない。

 どころかまただよと言わんばかりのあきれ顔で、飯を食ったり配膳をしたりと動揺もしていないのだ。

 伝わってきた衝撃は、かなりのものだったというのに。

 

「お前、新入りか?」

「は?」

 

 そこに割り込んできたのは、大柄で筋骨隆々の大男だ。蓄えた髭と目尻の皴は年季を感じさせる。胸につけられたバッチは長年サルトバーニュで貿易業を営んできた商会のもので、思わず男は背筋を伸ばした。

 そんな男の様子に、大男は悪い悪いと手を振った。

 

「んな緊張すんなよ。オレはバッカス。ダンダリー商会のバッカスだ。新入りっていうかな、お前この街に着てどれくらいだ?」

「あ、ああ。俺はミサンドリ商会のタンゴロ。街へは今日が初めてだよ」

「そりゃそうかっ。訳も知らねぇ奴は最初、みんなそうして驚くんだよ! ミサンドリ商会……あああの最近出てきた奴らか。急成長してるって噂だぜ?」

「どうも。それで、この振動はなんなんだ? さっきからずっとだ。みんな気にしちゃいない。てっきり俺は、魔物が街に押し寄せたのかと思って心配したんだぜ?」

 

 タンゴロが話している間にも、振動はずっと続いている。街全体に響いているのではと錯覚してしまいそうなほどに揺れ、魔物が押し寄せたという勘違いも確かにしてしまいそうなほどだった。

 

 そんなタンゴロの不安をバッカスは笑い飛ばすと、音の震源地の方角を指さした。

 

「違う違う。あれはな、領主様の末っ子が出してる振動なんだよ」

「……は? 領主の末っ子? じゃあこれはあれか? 人が出してるっていうのか!?」

 

 にわかには信じがたい話だった。

 サルトバーニュは広い。海沿いに面しているこの街は大型の船すら受け入れる港と、荷物を大量に保管する倉庫だけでもとてつもない規模を誇る。

 

 それに加え、住み働く人たちの住宅や軒を連ねる商店。行きかう道路も数えれば、はずれにある丘すらも領土として含まれるほどだ。とても一日で人間が移動できるような距離ではなく、その広大さは王国のなかでも有数だった。

 

 そんな街に轟こうかという衝撃は、今も鳴り響いて止むことが無い。それを一人の人間が発しているとは、冗談か何かにしか思えなかった。

 

「嘘だろ! 重機かなにかでも使ってるって言われた方がまだ説明がつくぜ!」

「ま、そうだよな。オレもこの目で見るまでは信じられなかったからな……そうだお前! 今から見ちまえばいい! そうしようそうしよう! その方がいい!」

「は? え、ちょ、まっ!」

 

 言うが早いか、バッカスはタンゴロの腕を掴むと店外へと足を進める。スープも満足に飲み干していなかったタンゴロはその怪力に太刀打ちできず、払った金を請求しようと決めた。

 ズンズンと足を進めるバッカスに連れられて行き、どこを目指しているのかも分からず歩いていく。

 

 街が流れていく。売り物によって色彩が変わり、どこの国かによって香る匂いというものが変わっていく。遥か西から取り寄せた漢方、東の小国で作られているという生地は不思議な紋様だ。南の連合国家から売りに出された木彫りの彫刻には魔術の力が宿るといううたい文句で売り込んではヤジを飛ばされ、北の極寒をもものともしないという獣の毛皮で作られた着衣一式は遠征に向かう冒険者たちの注目の的だった。

 

 そうして流れに身を任せていると、段々と街の風景が途切れてくる。端も端、何がならんでいるとも分からない店構えが増えてきた先では客足も鈍く、しかし息遣いを感じる。

 

 そんな街の外れから道なき道、草原を進んだところにある小高い丘。

 タンゴロはそこに、何かがあるのを見た。

 逆光になっていてよく分からないが、そのシルエットは間違いなく人工物だ。振動は段々と大きくなり、震源地が近くなっているのが体感でも分かる。

 

「なんだぁ……こりゃあっ!?」

 

 まじかにその姿を捉えた時、タンゴロは訳が分からなくなっていた。

 

 それは、大砲に似ていた。

 

 ずっしりとした土台。構えられた砲身。通常であればある程度角度を付けられ自在に狙いを付けられるはずの駆動部分は無く、その代わりに衝撃を受け止めるためなのだろう強固な支えが組み合わさっている。

 煉瓦造りに一見見えるが、一つ一つに刻まれた言葉は不可思議な色に輝いており、またその材質もただの煉瓦ではありえない光沢だった。

 

 異様な建造物を前に慄いているタンゴロに、バッカスはどこか懐かし気な目線を向ける。

 

「オレも初めて見た時には同じ風に思ったよ、いやあ懐かしい」

「そんな感傷どうだっていいわ! なんだよこれ!? これを作ってる音なのか!? いってぇ! 耳がおかしくなりそうだ!」

「あー!? なんだって!? よく聞こえんかったわ!」

「そりゃそうだろっ!」

 

 まじかに聞いてタンゴロは思う。これだけの音を響かせていれば、それは街にも轟くだろうと。

 振動が一つ響くたびに、皮膚がジィンとしびれてくる。こんなのをずっと味わっていたら体を壊してしまいそうだった。

 

「いったいどんな奴なんだよ!? こんな訳分かんねぇもん作ってる、領主の末っ子って奴は!」

「……呼んだ?」

「うわぁぁぁぁぁびっくりしたっ!!」

 

 衝撃が鳴りやむ。

 巨大な大砲の影から現れた姿に、タンゴロは毒気を抜かれるような気分だった。

 

 小さい少女だ。

 

 ハンマーを片手に持った少女は、タンゴロの胸どころか腹辺りまでしかないほど小柄だった。眠たげな瞳、頬はうっすらと汚れていて、灰を混ぜた水色のような髪も元からの色なのか判別は着かない。

 オーバーオールの下にタンクトップ。ぶかぶかなサイズなので隙間が大きく、極めてきわどい格好だった。細い腕は何も食べていないんじゃないかと思うぐらいで、手に持つハンマーに振り回されている姿が似合いそうだ。

 

 とても、領主の子供とは思えない。鍛冶屋の娘と言ったほうがいいんじゃないかというぐらい、庶民側の気配を醸し出している。

 しかしその姿を見た瞬間、バッカスは即座に少女のそばにより跪いた。浮かべる笑顔は、仕える喜びに満ちた従者のようだった。

 

「おお、これはこれはマナ様。今日もいい響きが伝わってきましたよ」

「そう? これうるさいと思うけど」

「自分で言うのか……」

 

 どうやら自覚があるらしかった。とはいえバッカスは気にしていないようで、豪快な笑い声を上げながら立ち上がる。そしてタンゴロの背中を思い切り叩くと、

 

「どうも、こいつはタンゴロと言いまして。マナ様が出しておられる振動がどうしても気になるというので連れてまいりました」

「いやアンタが無理やり引きずってきたんじゃねぇか! おかげで満たされもしない腹に金払っただけになったんだぞ!」

「おお、そうかぁ?」

「とぼけんなっ! ……いやまあ、そんなわけでして。気になったのも本当なんです。これ、なにを作っているんですか?」

 

 もはや敬う気持ちも無くし、バッカスをどつきながら尋ねる。言うまでも無く砲身、砲台ではあるが、タンゴロが気になったのはその理由だ。

 ここは街の外れ、砲身が向いている方向は街の方角ではなく、防衛という線は考えにくい。ではどこに向かっているのかと視線を向かわせるも、その先にあるのは海だ。海を隔てた向こう側にはなにもなく、やはり建造目的が分からない。

 

 タンゴロの問いに、マナはんーっと上を向きながら考え込む。そうして開いた口から、飛び出たのは、

 

「……大砲?」

 

 というありきたりなものだった。

 

「いや、そうじゃなくてですね。何を目的に作られたものなのかなと」

「……それならそうって言って欲しい」

「分かるでしょ、文脈で」

 

 いかに領主の血縁とはいえ、タンゴロは相当とぼけた奴なのでは? と思い始めていた。気安くなってしまう言葉も気にしていないようで、マナは砲身が示す先を指さした。

 

「大砲」

「それはもう分かりましたって。だから何を目的に―――」

「魔王」

「……え?」

 

 その一言に。

 いよいよタンゴロは、理解の外にこの子はいるのだと、思い始めた。

 マナは春の日向ぼっこの最中に、気になったものの名前を言うような気軽さで。

 

「魔王を殺すための、大砲」

 

 そう、言い切るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法使いが生まれる可能性というのは、ことさらに低い。

 

 特に偉大なる魔法使いともなると、歴史に数えるほどの数だ。両手の指で足りる程の数しかいなかったその魔法使いたちは、時に災いを、時に英知を、時に英雄となって生まれ落ちている。

 

 もっとも最古の魔法使いは、もはや神話の域だ。言葉を紡ぎ、呪文を介して魔物を生み出す呪いをこの世界に刻み込み、それに対抗する冒険者という職業の、ある意味では創設者と言える存在。

 人々に魔術を、技術を、そして災いを。それに伴って発展してきた人々はいつしか、それら異様な力を使う魔法使いを恐れ、また敬って成長を遂げてきた。

 

 糸を組み、布を作り出す術。火を恐れないものし、我が力とする文化。人々をまとめ上げ、国という概念を作り出す。

 

 そして近年の記憶に新しいのは、魔王を討伐したパーティーだ。

 名も無き一人の少年を見出し、勇者として育て上げ、ともに魔王と戦い打ち滅ぼした存在たる魔法使いもまた、歴史に名を残す一人だった。それ以来凶悪が過ぎる魔物は生まれてこず、世界は一つ、平和のランクを上げる事に成功したのだ。

 その功績により魔法使いを恐れる人は少数派になり、大多数の人間は魔法使いを、尊敬の対象として見るようになった。

 

 だからクリスタ家に魔法使いの子供が生まれたという知らせは瞬く間に街中を駆け巡り、また祝福した。これでますますクリスタ家は安泰であり、そのお膝元であるサルトバーニュもまたより一層栄えることになるだろうと、信じて疑わなかった。

 

 デイモンドも、そして兄弟たちも。すくすくと育つ末っ子の将来はどんなものになるのかという話題が、尽きることはなかった。

 そんな期待、ゆえだろうか。

 

 いつしかクリスタ家の末っ子。マナ・クリスタは街の外れの丘で、巨大な建造物を一人作り出していた。だれがなんと言おうと止めず、その頃には街の熱狂も収まり、時間だけは規則正しいので時報代わりにしだす始末。

 

 クリスタ家の末っ子はその才の代わりに頭がおかしくなったのだと、陰口さえ広まっていた。

 その理由を問いただす家族に向かって、マナは決まってこう言うのだ。

 

「これは、魔王を殺すための大砲」

 

 魔王など、とうの昔に滅びたというのに。

 これには領主たるデイモンドも見過ごしておけず、何度も注意をしたが聞きやしない。そうしてマナは次第に放置されるようになり、兄弟たちもどこか触れがたい存在として、マナに近寄ろうともしなくなっていた。

 そんなマナは、今。

 

「よっこいしょ、っと!」

 

 一切合切を気にせず、今日もまた大砲を作っていた。

 刻印を施した煉瓦に繋ぎの素材、アラクネの糸を水で解した粘着質のドロドロを塗りたくると、お手製のハンマーで空いた隙間に打ち付ける。

 ガゴォンッ! と強烈な音が響き渡り、大気すら揺らしているようだった。ぴったり隙間に収まった煉瓦は煙を立て、刻まれた刻印を不可思議な色で輝かせている。

 

 続けざまにガコン、ガコンと煉瓦が並んでいくと、その輝きはより強いものになっていく。不思議な光沢と相まって、勇者が戦ったという古のゴーレムの如き存在感を放っていた。

 

 震える腕を抑えながらマナは土台部分から地面に飛び降りると、巨大なそれを見上げた。

 

 その先端は、未完成な状態だ。外周の半分ほどが埋まっておらず、綺麗な円形を描くための煉瓦は作っては捨ててを繰り返しているため工程は遅れている。

 傍らに備え付けられたかまどののぞき窓から、マナは中を確認する。緩やかなカーブを描いた煉瓦が幾つも並んでおり、かまどの内側に刻まれた魔術が内部を熱し、煉瓦を赤く染め上げていた。

 

 蓋を開き、中を取り出す。未だ熱持つ石材に向かってマナが手をかざすと、白く色づいた風が吹いた。その風が通り抜けるたびに赤熱を放っていた煉瓦が急速に冷えていき、鋼鉄のような光沢を出し始める。

 

 手に持てるまでになったそれを片手に、マナは大砲を軽やかに駆け上がっていく。小柄な体からは想像もつかない機敏さの正体は、足元に展開された魔方陣だ。

 そこから吹き上がる風を利用して、人の手では到底出来ない跳躍を可能にする。

 

 マナは砲身の先端にたどり着くと、一つ一つ完成したばかりの煉瓦を当てていく。

 合わせ終わったマナはため息をつくと、そのうちの七割をぽいと投げ捨てた。その先にあるのは穴を掘って木枠で固定した廃棄場で、見もしていないのに次々と使えないと判断された煉瓦が投げ込まれていく。

 そうして余分なものを捨て終わったマナは残った物を順番に打ち付けていき、頭の中に存在する完成系目指して少し進んだ状態が出来上がる。

 

 満足げな息を漏らしたマナはぐっと膝を曲げ、一気に下まで飛び降りる。

 足裏から飛び出した風が柔らかく草を揺らし、減速したマナがゆっくりと着地する。

 ハンマーも放り投げ、手袋をその上に被せたマナは土台部分を背に座り込んだ。

 

「ふぅ……ちょっと休憩」

 

 そばに置いてあったバスケットから取り出したのはサンドイッチ。成人男性でもなかなかだと思うほどの量だったが、それを一つ一つ丁寧に食べ進めていく。

 

 合間に革の水袋から水分補給をしながら、どこにそんなに入っていくんだという量を胃に納める。

 気温はだんだん高くなっていき、日差しも強くなる。自らが作った大砲が影を生み、それでも噴き出てくる汗はおだやかな風がさらって行く。おだやかな時間が流れ、だんだんと落ちていく瞼をマナは自覚した。

 

「うー……いけないいけない」

 

 そう言いつつも、段々と意識がまどろんでくる。

 こうした時、マナの脳裏によぎるのは家族の顔だ。

 自分がやっている事は、突拍子もないのだとマナは気付いていた。胸の内から沸き起こる衝動のままに行動し、家族に迷惑を掛けているという事実は、マナの心に暗い色を落としていた。

 

 いつしか顔を合わせなくなった父。どうして普通に産んであげられたかったのだと嘆く母の声を扉越しに聞いていた。兄弟は心優しく接してくれるも、それは距離をおいてだ。今こうして自由に出来ているのも、兄弟の力があっての事だった。

 

 それでも、自分はやらなければならない。これは、魔王を殺すための大砲なのだから。

 

 でも、間に合うかどうか。

 

完成までの時間は随分短くなったが、それでも最終結果は分からない。刻限はもうすぐそばまで来ているというのに、遅くなる歩み。焦りは常に背中をヒヤリと冷たくさせ、ミスを招こうと策を巡らす。

しかし、それに負けてはいけないのだ。なぜなら、間に合わなければ。その時世界は、またしても暗雲に包まれてしまうのだから―――

 

「―――なーにをやっとるんじゃ、お主」

 

 暗く沈んでいった思考を遮ったのは、幼げな声だった。

 奇妙な声であった。声色は確かに幼いのに、その奥には時代を感じる。歴史を感じさせる、老いと修練を滲ませた、歴戦という言葉が似合う声だった。

 まどろみから浮上したマナが捉えたのは、大きな三角帽子。

 

 濃い紫色に染まった帽子とワンピース。肩から掛けられた鞄はその体躯に似合わない大きさで、大小様々なポケットにガラス管を差し止めるストッパーが幾つも着いている。そのなかにある薬品は目にも痛い色を放ち、カバンの一番大きな口からは書類の束がごちゃごちゃになって飛び出している。

 

 常に不機嫌そうな顔。瞳は黄金に輝き、黒い髪が日の光を反射して濡れたように輝いている。

 右手に持った箒を払うと、宙に浮いていた体がゆっくりと降下していく。くるぶしを露出させた革靴を鳴らしながらマナのそばまで歩み寄ると、しゃがみこむ。目線が合う。

 少女は小さな手を伸ばすと、中指を親指で抑え、溜まった力を解き放った。

 

「あうっ」

「休むのは良いが、寝ぼけとる時間があるのか? お主に。せっかく儂がこうして来てやったというのに、もてなしの一つも出来んか? ん?」

 

 びし、びしと連続でマナの額を打つ少女は、愉快そうに口を歪ませた。

 どう見ても性格が良いとは言えないその少女に、マナは不満げに眉を寄せる。

 

「やめろババア」

「だ――――――――――――れがババアじゃこのボケ女がッ! 見た目若けりゃいつまでも少女じゃボケッ!」

 

 ぐりぐりと拳でマナのこめかみを挟み込む。

 うぎゃああとうめき声を上げるマナを放置し、少女はマナが建設している大砲を見る。表面に刻まれた刻印を眺めると、うへぇと心底ドン引きした声を出した。

 

 近くまで近寄り、表面を眺めるとそれは一層強く出る。その刻印の意味が、少女にはよく分かるからだ。

 

「しっかしいつ見ても気持ち悪いのぉお主の大砲は。なんじゃこれ、儂はこんな執念に満ちた魔法刻印を知らんぞ」

「ババア酷い」

「ネフロンスと呼べと言うとろーがこのバカ娘はっ! こんな殺意マシマシの刻印、どの魔法使いが見てもそう思うわっ!」

 

 表面を撫でつけながら、ネフロンスは叫ぶ。

 

 魔法刻印とは、魔法使いならば自然とその存在を知る、内から湧き上がってくる文字だ。

 その文字は不思議な力を宿すと同時に、組み合わせれば絶大な効果をもたらす。解析できるかどうかは個々の魔法使いの実力や才能にもよるが、おおむね人には真似できない効力がある。

 

 古の魔法使いがその技術を人にももたらそうとして生まれたのが魔術だ。そうして生まれた技術ですら、ネフロンスがしたように箒で空を飛ぶといった芸当は無しえない。

 

 魔術と魔法には、それほどの差があるのだ。

 

 そんな魔法を潤沢にも使用したもの。そこに込められた意味は、ネフロンスが言うように物騒なものばかりだった。

 

「熱量増大、出力固定、射出速度制御、照準調整、耐衝撃……よくもまあこんなに作り出す。それぞれは特に変わりない。変わりないが、組み合わさるとこうも強力になるとはなあ。期間は必要になるが、凶悪の一言に尽きるな、うむ」

「魔王を殺すため、必要なものは全部注ぎ込むよ」

「注ぎ込みすぎなんじゃ。出力が強すぎて、魔王以外には向かん兵器じゃろこれは。魔王専用兵器なぞ思い浮かばんて誰も。これ自体が立体的な魔方陣に等しいな」

 

 魔法は、それを補助する図形を用いる事もある。それらの組み合わせを魔方陣と呼び、それらは基本的に平面でのみ起動を可能にする。

 その理由はただ一つ。立体的に組み合わせようとすると、制御を外れ暴走してしまうからだ。

 

 だからこそ、マナが作る大砲はネフロンスの目には異様に見えた。それを生み出す少女はちょうちょが飛んでいればそちらに意識を向けてしまいそうなほどにぼーっとしているにも関わらずだ。

 そのギャップを、うすら寒く思う。

 

「暴走前提の、一撃のためだけに作られた大砲……おっそろしいもんじゃのう」

「ねぇ、ネフバア」

「譲歩と見せかけて全く譲る気のないそこの少女。なんじゃ」

「これ、大丈夫だよね? 魔王に通じる? 魔王を倒したネフバアは、どう思うの?」

「……」

 

 その質問は、切実だった。

 いつしか起き上がっていたマナは、ネフロンスにすがりつくようにして。ワンピースを両手で掴み、上目遣いに涙を宿して。

 だから苦手なんだ子供は、とがりがり頭を掻きながら。

 

「通じるよ」

 

 かつての経験から、予測しうる未来を見据えながら。

 

「絶対に通じる。なんなら儂の時代に欲しかったぐらいじゃ、こんなもの」

 

 自信満々に、そう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法使いの中には時折、特殊な能力を持った者が生まれる。

 

 有数の中の、有数。そのうちの一人であったネフロンスが身に着けていたのは、教育の才だった。

 

 素質を見抜く審美眼。どう導けばよいか、手のひらの上に浮かべて見ているかの如く浮かんでくる想像力。なにより、師として必ず弟子が超えていけるよう、絶対に道を間違えない選択の力。

 それら他者を見出し、育て、輩出する力を持ってして、ネフロンスは魔王を打ち倒してみせた。手元に転がり込んでくる賞賛、賞賛、賞賛。それらを鬱陶しいと感じ、勇者を置いて一人気ままな旅に出た。

 

 そんな時だ。マナの噂を聞いたのは。

 なにやら変なことをしている魔法使いがいる。そいつが言うには、魔王を殺すための大砲を作っていると。

 バカにしたようなその噂に、興味を持った。

 魔王が滅んで幾星霜。もはや勇者は過去のものとなり、その子孫が国を率いては栄えているこの世の中において、魔王の再来を説くなどという行為を行っているのだ。それはよほどの馬鹿か、はたまた本物か。

 

 好奇心をそそられる話だった。

 

 そうして見に行った先にいたのは、一人寂しく大砲を作っている少女だ。

 細腕からは想像も着かない勢いで槌を振い、衝撃を轟かせて大砲を一から作っている。煉瓦造りという奇妙な事をしている少女の元に近づいたネフロンスは、そこで驚いた。

 

 本当に、殺せる。

 

 完成さえすれば、確実に。

 

 あまりにも異様。一撃のために費やした時間はいかほどか。刻まれた刻印の裏に感じ取れたのは、執念としかいいようがない。

 それだけの思いが感じ取れた。とても出まかせには思えなかった。ただのホラや嘘などでは説明のつかない、じっとりとした情念がこびりついているようにすら見えた。

 

 だからネフロンスは少女、マナに話を聞いた。なぜ魔王の復活が分かるのかと。

 するとマナは、こう答えた。

 

「見たから」

 

 それを聞いて、ネフロンスは確信した。

 こいつは、自分と同類なのだと。

 それからネフロンスはマナを弟子に取り、足りない知識を教え込んだ。それこそが未来を守る。未来を繋げるのにはこれが最善の一手であると、そう信じて。

 

「だから違う言っとろうが! 文字が短すぎるんじゃ! 線はもっと長くてよい! その方が出力が増す!」

「難しぃぃぃ……」

 

 煉瓦に新しく刻む刻印は、マナにとって知らない種類のものだった。

 威力を拡散させるにはどうすればいいか、というマナの問いにネフロンスが手本を見せ、それを写してはダメ出しを喰らう。かれこれ一時間はそう過ごして、気付けば西日が差し迫っている。

 

 魔法刻印は、刻む本人が知らなくても効力を発揮する。人によって読み取れる文字は異なるので、ときに魔法使いたちは互いの知識を共有することがあった。

 とはいえ、知っている文字はその加減も分かりやすいが、知らないのであればどこをどうかけばという効果の変化が分かりづらい。

 

 マナが望む効果は凶悪なもの。その分慎重な扱いが求められ、だからこそ指導にも熱が入る。

 必死に食らいつきながらマナが煉瓦に刻んでいく文字を眺めながら、ネフロンスは新しく取った弟子を思う。

 教育が己の才なら、この少女はどのような才覚でもってして、魔王の到来を言葉にするのか?

 

(予知の力……それ以外あるまいて)

 

 マナが言うには、それは夢であるらしい。

 幼い頃見た夢の内容は、相当に壮絶だ。

 

 遥か彼方の土地で復活した魔王は、瞬く間に数万の軍勢を作り出し、平和な国々を次々と食いつぶしていく。

 かつての勇者、その子孫が納める国を中心に連合が作られ抵抗するも、新しく復活した魔王は食いつぶした国を素材に魔人という存在を作り出す。それは魔術を自在に操り、数が多く、なにより狡猾な知恵がある。

 

 攻め入っては崩され、退いては押し返す。そんな攻防を何年も続けていく内に魔法使いの数も、新たに生まれた英雄さえ疲弊し、物量に押しつぶされていく。

 そんな悪夢を、毎日のように見ているのだという。

 

 その消えていく姿の中には家族もあり、家族が無残に殺される光景を最後に、その夢はピタリと止まる。

 とはいえ、それは救いなどでは決してない。

 むしろ、地獄と言える。

 

 毎日毎日、家族の死に目を最後に夢から覚める。それがどれほどの苦痛か、ネフロンスには想像も着かなかった。

 文字を書いては訂正され、頭から煙を吹く姿からは到底結びつかない。地獄と共に生きてきた少女なのだ。

 

「ネフバア、これはどう?」

「その名前許した訳ではないからな! ……うむ、これならお前の望み通りの効果が望めるじゃろうよ」

「やった……!」

 

 合格点を貰い、ぱああっと喜びに満ち溢れた表情を浮かべる。そこは普通の子供となんら変わらない、年相応の感情が見て取れる。

 

 だが、今作っているものはそんな感想を吹き飛ばす代物だ。

 核となる球体の外側に、早速刻印を刻んだ煉瓦を作っては打ち付けていく。ガツンガツンと響き渡る轟音は、ネフロンスの耳にダメージを与える。

 

「あいっかわらずうるせぇのぉ――――――ッ! よく平気じゃなこんな音立てて! 耳おかしいのかお主!」

「慣れた」

「慣れるものではないわっ! っ、本当にやかましい……!」

 

 ネフロンスは教育の力を持ち、その上で研鑽を積んだ魔法使いでもある。そんな熟練たる経験でもってしても、このやかましさの原因はついぞ分からないままだ。

 外周に一回り。新しい層が組み上がっていく。そのたびに打ち付けられる煉瓦はそれまでとは違う色。黒く、光沢の一切ないそれは光を吸収する。出来上がっていく形は、隙間をアラクネの糸で粘着された球体だ。

 

 バカンッ! と最後の一つがはめ込まれる。一抱えほどもある大きな球体はその瞬間、全体の刻印が一斉に光を放ち完成の時を迎えた。

 マナはそれを抱えると、大砲の土台の横に置いた。心なしか満足げな笑みを浮かべてそれをポンポンと叩くと、呼応するように再び刻印が点滅する。

 

 黒い影がそこにあるかのような、ぽっかりと穴が開いているようにも見えるそれは、ネフロンスの目には恐ろし気に移る。

 

「……アドバイスしといてなんじゃが、とんでもない一品じゃのう」

 

 それは、砲弾だ。

 ただの砲弾ではない。単体でも国すら亡ぼせるだろう兵器。着弾した瞬間に内部に刻まれた膨大な熱量が対象を焼き尽くし、外周にたった今取り付けられた刻印によって熱を拡散。周囲一帯を焦土と化す。

 しかもそれは、あくまで砲弾のみの話。砲身に刻まれた刻印と合わせれば、その破壊力は遥か彼方まで届き、さらに強まってしまう。

 

 年端もいかない少女がそれを作ったという事実。そうせざるを得ないという焦りが、完成度から伝わってくる。

 そんな当の本人は、ひとしきり満足そうに砲弾を撫でるとハンマーを腰に差し、新しく煉瓦の材料になる粘土をこね始めた。

 

 その材料は、ネフロンスが持ってきたものだ。

 とある遺跡を守るゴーレムにも使われたというその粘土は、魔法の触媒として申し分ない。マナは初め、ただの粘土に刻印を打っていた。そこに刻まれた文字の組み合わせも拙いもので、しかしそこにある殺意だけは一級品。

 

 そこでネフロンスは自らのつてや経験を元に材料を調達。その完成度の違いにマナは瞳を輝かせ、それまで作っていた大砲を廃棄。新しく豪勢な素材をふんだんに使って作り続け、ようやく完成間近というところまでもっていったのだ。

 

 こねては形を形成し、窯に入れて焼いていく。その繰り返し。

 だがネフレンスは、動き続けるその腕を掴んだ。

 

 震えている。疲労が積み重なったその腕には、明らかに栄養が足りていない。

 重労働を繰り返す体は成長期と相まって、食べる量以上の栄養を欲している。それに食事や、休憩が追い付いていなかった。

 マナは自分の腕を止める手を睨み、

 

「……なに?」

「今日はこれまでにしておけ。これ以上は完成度を下げる」

 

 ネフロンスは、そう断言した。

 そこにある意思が強固なものだと感じ取ったマナは下唇を噛みながら、粘土に突っ込んでいた手を放す。

 いつの間にか落ちて来ていた西日が水平線を黄金色に輝かせ、海風が草原に吹き抜けていく。街の賑わいは収まりつつあり、船が役目を終え港に泊まり、国に帰っていく。炊き上がっていく煙はかまどの火。しかし目を凝らせば、街路を進み、家に戻っていく人たちの喧騒が聞こえてきそうだった。

 

 そんな街を眺めるマナは、どこか慈しみを感じさせる。領主の娘として思うところがあるらしいその横顔は、使命感に満ちていた。

 

「ぺっぺっ」

「ぬわーっ! 泥を飛ばすな馬鹿者がっ! 落とすの大変なんじゃぞそれはっ!」

 

 雑に手に着いた泥を払うと、水袋から中身を流して手を洗う。そのままついでに喉も潤すと、てきぱきと帰宅準備を始める。

 といっても、簡単なものだ。丘の傾斜を利用して掘った横穴に焼き上げた煉瓦や素材の泥を入れ、かまどには雨が降っても濡れないように太めの枝を組んで葉を敷き詰めた即席の屋根を被せる。

 

 そして自身の道具はぽいぽいと背負い袋に詰め込んでいく。水袋に手袋、汗を吸ったタオルに空になったバスケット。それらでぱんぱんになった背負い袋を肩に担ぐと、街の方へと歩いていく。

 その背中の小ささに、改めてネフロンスは思う。

 

 この背中には、誰も知らない世界の命運がかかっているのかと。

 

「のう、お主よ」

 

 気付けば、その背中に声を掛けていた。

 振り返ったマナは、眠たげな瞳を揺らしていた。魔法使いの証、黄金色の瞳が向かい合う。

 

「なに?」

「お主、辛くはないのか?」

「辛いって、なにが?」

 

 本当に、何を言っているのか分からないという顔で。マナは小首をかしげる。

 ネフロンスは知っている。ヘタをすれば、家族よりも長い時をそばにいたから。数年かけて組み上がってきた大砲と共にそばにいたネフロンスには、マナの事がよく分かる。

 

 大飯喰らいで、本当は花と粘土遊びをこよなく愛しているという事。無表情に見えて、その内側には激情と言えるほどの感情が渦巻いている事。本当は家族と仲良くしたい事。迫るタイムリミットに焦り、家族との距離も離れたまま。時折力尽きて眠っていると、涙を流す事。

 

 しかしそれでも、マナは諦めない。毎日変わらずこの丘に来て、街に衝撃と音を轟かせている。

 そのモチベーションが。目に見える滅びに、一人で立ち向かおうとした、その心だけは。

 魔王討伐の長き旅。その後の平和が過ぎる日々の中でも、分からない。

 

「家族に理解されず、街のものには敬うものもいるが大抵は馬鹿にされている。昼間に来とった男なぞ珍しい存在じゃろ。しかもあ奴とて、本気で信じているわけではない。せいぜいが近所の童が張り切って何か作っとるとか、その程度の認識じゃ」

 

 一歩、近づく。

 

「お主それで満足なのか? 誰からも理解されずただ焦りに急かされ作り続ける日々、止めたいと思ったりはせんかったのか? 儂にはどうにも、それだけが分からぬ」

 

 広めるのは止められた。それで未来が変わっては困るからと。

 すなわち真実を知っているのは、マナを除けばネフロンスだけだ。極限まで少ない理解者しかいない中での作業は、時に堪えもするだろう。

 

 それでも、たった一人でマナは動き出した。自分が手伝いをしなくても、遅れるだけで完成はしただろう。ネフロンスがしたのは時間の短縮に過ぎない。

 マナの中にある熱量は、異常なものにしか思えなかった。なぜならば、あるはずのそれを行動でしか感じ取れない。マナ本人からは、微塵も熱量を感じない。

 

 それは、カラクリとなにが違うのか。

 

「……私は、家族が好きだから」

 

 ゆっくりと、マナは話し始めた。

 

「家族が、好き。だからみんなには滅んでほしくない。だから私は頑張れる」

「じゃが、それだけじゃ。お主はその時まで、家族の理解は得られぬ。無事成し遂げたとしても、それまでの距離はたやすく埋められるものではない」

「いいよ、私は。やりたいと思った、だからやる。それだけ」

 

 淡々と語るそこには、やはり熱を感じなかった。なのにすさまじい殺意を込めて作られた兵器は、それだけでは決して作れない情念が込められている。

 それがどこからくるのか。

 

「それにね」

 

 そこでマナは、微笑んだ。

 それは長い冬を乗り越え咲いた花のような、力強くも暖かい笑みだった。

 

「理解者は、いるよ。ネフバアは、私を見つけてくれた」

「っ」

 

 初めて、熱を感じた。

 それが妙に、こそばゆい。

 

「だから私は頑張れる。ネフバアのおかげで」

「だーっ!! 止めろくすぐったい! そこまでありがたっといて言い方変わっとらんじゃろうがっ!!」

「あうあうっ」

 

 がっくんがっくん揺さぶられて髪がぐしゃぐしゃにさせられるマナ。それでもネフロンスの体を抱きしめ、ぎゅうと力を込めていく。

 そこにあるのは、愛情だ。家族には向けたくても向けられなかった溢れるほどの感情を、全身で染み込ませていくようにしてこすりつける。すりすりと寄せられる頬は高い熱を持ち、ネフロンスの記憶を想起させる。

 

 遥か昔、親友であった一人のぬくもり。それを思わせるマナの体温に、ぬああっとうめき声を上げてしまう。

 だが、そのぬくもりは嫌いではなかった。

 

「まったくこの……仕方ない奴じゃのう本当にっ!」

「わ、わぁ」

 

 ネフロンスはマナを抱え、箒を蹴り飛ばす。

 途端に吹き上がる風が二人の体を支え、夕日の中に吸い込まれていく。

 

「特別じゃっ! このまま家に送ってやるっ!」

「……いいのっ?」

「ほんとーに特別じゃぞ! しっかり捕まっておれっ!」

 

 不可思議な力によって浮かび上がる体が、街へと向かう。

 両手の中に納まったマナは、満面の笑顔で夕日に染まる街を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝から雨が降っていた。

 マナは屋敷の窓から外を見る。雨足は強く、時折雷が落ちてくる。膿が大きくあれているようで、遠くに見える船体は大きく揺れていた。

 

 天候が荒れ、海は大きくうねっている。貿易どころの話ではなく、街に行き交う人は少ない。静まりかえった街は呼吸をしなくなった大きな生き物にも見え、マナにはそれが、とても恐ろしいもののように思えた。

 

 両腕で、体を抱きしめる。そうしないと、押し寄せてくる不安につぶされてしまいそうだった。

 

 マナが一日なにもしない日というのは、こうした嵐が来る日などに限定される。身の危険を感じる天候であったり、魔物が押し寄せてくる兆候を警備隊が察知し討伐対が組まれるなどだ。

 万が一自分が死んでしまえば、完成させる人物は誰もいなくなってしまう。ネフロンスは魔法使いとして遙か上位に達しているし、知らない文字を教えてくれたりとしてくれるものの、やはり完成はマナの手で行わなければならない。

 

 脳内にある設計図を見るなどという芸当ができるのならすでにやっているだろうし、仮に出来たとしてもそれでは足りないのだ。

 

 予知夢は、実体験に近い。

 その苦しみも、悲しみも。全てを殺意に変換して作り込むからこそ、あの大砲は魔王を殺す兵器として機能する。マナの手にしか、作り上げられない兵器。

 

「……はぁ」

 

 だから、こうしたなにも出来ない火というのは困るのだ。

 夢の中で見た景色は、すぐそこまで迫っている。

 それまでに完成させなければ、なにもかもがおしまいだ。なのになにもできないというもどかしさが、マナの胸を締め付けている。

 手のひらを見る。腕を見る。

 どこもかしこも補足、小さく、頼りない。せめてもう少し大柄に生まれていれば、体力のある体だったら、こうも遅れはしなかっただろうに。マナは自分の体躯を恨めしく重い、握り拳を震わせる。

 

 本当に、時間がないのだ。

 早く完成させなければならない。

 

 でなければ、自分を見捨てず放置で済ませてくれた家族に申し訳が立たない。わずかな期間だったが、それでも注いでくれた愛情をマナは覚えている。

 それに、なにより。

 

 自分を見つけ、導き、見守ってくれたネフロンス。

 それがどれだけ、ありがたかったか。救われたか。

 滅びを回避するとだけ考えていたマナの心には、いつしか使命も芽生えていた。

 

 分かってくれた人、理解してくれた人。その正しさを証明するためにも、魔王を必ず滅ぼしてみせると。

 

「嵐なんて、こなければいいのに」

 

 恨めしげに外を見る。

 この嵐のせいでまた一日、無駄に過ごしての期限が迫ってしまう。

 腹立たしく思うがどうしようもない。体力の回復につとめようと、マナはベットへと足を進めた。

 

 その時、扉を叩く音がした

 不思議に思ったマナが入室を促すと、開いた扉の先に立っていたのはマナの兄、チャーチ・クリスタだ。

 

「やあ、マナ」

「……お兄さま?」

 

 ずいぶんと珍しい来客だった。

 言葉を交わすのすらいつぶりかも分からない。それほどまでに兄はマナを避けていたし、マナもそれを仕方ないと割り切っていた。

 

 なのでマナは、兄の声はこんな風だったんだなと思い出しながら首を傾げる。

 チャーチはしばらく視線をさまよわせていたが、小さく息を吐くと手招きをする。

 

「話を、しよう」

「話って?」

「とっても大事なお話だ。ついてきてくれ」

 

 有無を言わせない、圧のある声色だった。

 それでもマナにとっては、久しぶりに家族の方から話しかけてきてくれた、今後あるかも分からない機会だ。

 

「……うん」

 

 断る理由もなく、マナは兄について行った。

 高級な石材をふんだんに使った廊下の上を、絨毯が敷かれている。柱には繊細な彫刻が掘られ、絵画や陶器といった美術品が連なっている。

 

 見慣れた通路も、兄と。家族と共に歩くと言うだけで特別な道のように思えた。壁に飾られた剣は武闘派の家系を示すためのもの。刃の波紋が燭台の火を照り返して煌々と輝いている。

 そうしてたどり着いた先は、家族で食事をするための食堂だった。長い机にはクロスが敷かれ、マナのために用意されたであろう果物が銀の皿に乗って瑞々しく表面に水滴をす。

 

「さぁ、座ってくれ」

「うん」

 

 促され、席に着く。対面に座る兄の顔は、どこか緊張で堅くなっている。

 マナはマイペースに果物に手を着けながら、兄の言葉を待った。

 なんの話なのかは検討もつかないが、よほど大事な話なのだろう。思い詰めた顔は部屋全体の空気を重くしているようだった。それほどなまでに兄が話すのにためらいのある話。

 

「……最近は、どうだ?」

 

 そんな兄の話は、なんでもない一言からはじまった。

 

「どうって?」

「そう、ほら。元気にしているかとかさ」

「元気だよ」

「そ、そうか」

 

 なんの時間なのだろう、とマナは思った。

 

「それから、そうだ。街のみんなには、よくしてもらっているかい?」

「バッカスはよくくる。他はあんまり知らない」

「あの人か! そうだろうさ、バッカスは子供の世話が隙だからね」

 

 薄い。

 これか家族が交わす会話には、到底思えない。

 

 言うべきことを先延ばしにして、どう切り込んでいいか迷っている。仕事をしているのを見かけたときにはいくらでも回っていた口が、さび付いた歯車のようにぎしぎしと音を立てている。

 それこそが、マナが諦めてきた距離なのかも知れない。その結果がこれだ。

 

 覚悟していたとはいえ、これほどまでになるものなのか。ネフロンスとはなしていた方が、よっぽど血のつながりがあるとすら言えてしまうほど、兄の話はぎこちなく続いていく。

 

「あとは、えっと。マナは―――」

「いいよ、お兄さま」

 

 これ以上は、続けてもお互いのためにならないだろう。

 そう判断したマナは、兄の口を遮った。

 チャーチは急に話を止められたと焦るも、グッと込められた力を抜くように肩を落とす。

 

 逃げ道は、既に妹に塞がれている。そう悟ったのだろう。肩をゆすり、落ち着きのない動作を繰り返しながら、観念して口を開いた。

 

「……マナ。あれは一体、なんなんだい?」

「あれって?」

「君の作っている大砲だよ。あれが何なのか、何がそこまで君を駆り立てるのか、どうしても分からないんだ」

 

 懺悔にも似た、告白だった。

 

「あれは、魔王を殺すための大砲」

「そうだ、君は、マナは散々そう言ってきた。でも魔王だ。魔王なんだよ! そんなものとうの昔に滅んだんだ!」

 

 叫ぶ。その視線の先に、マナはいない。

 握りしめた自分の拳を見つめながら、チャーチはただ叫ぶしかなかった。

 

「クリスタ家の一番下の子が、魔法使いの、愛らしい妹が! 突然そんな事を言い出して、毎日毎日気が狂ったように作り続けている! 恐ろしいんだ! 急に人が変わったみたいに行動し続ける君が! 僕は恐ろしい!」

 

 マナは伸ばした腕を、膝の上に置いた。

 チャーチの言っている事は、正しい。それこそ何かに憑りつかれたとしか思えないほど、マナの行動は普通ではないからだ。

 いったいどこに、いもしない標的を殺すとだけ言ってそのための兵器を作り続ける子供がいる? いきなりだ。歳が二桁にもいかない子供がいきなりそう言いだして、止めても聞かず何年も作り続けている。

 

 それを見せられ続けてきた家族は、どう思うのか?

 

 その答えが、マナの目の前にいる一人の青年だった。

 チャーチが顔を上げる。目には動揺がありありと宿っている。

 

「一体何がそうさせるんだ! 僕の妹は、一体何に憑りつかれてしまったんだ! なぜあんなものを作り続ける!」

 

 その理由を、マナは言えない。

 言ってしまえば、未来が変わってしまうかもしれない。同じ魔法使いで、マナの言葉を真実として受け止めているネフロンスだけが、全てを知っている。

 予知夢としてそれを見、家族が殺される未来を眺め、そうさせまいと行動するマナは、家族のためなのだという一言をどうしても言えなかった。

 

 記憶にあるマナの両親は、兄弟は。家族思いだから。もし知られてしまえば、なにか策を講じてしまうかもしれない。常日頃から、魔王という存在を意識して行動してしまうかもしれない。

 魔王の復活は、事実としてすぐそこまで来ている。

 

 マナの想定を、魔王は事前に察知して動き出してしまうかもしれない。そうなればマナが考えた打開策は、通用しなくなってしまうかもしれないからだ。

 だから家族とのすれ違いを、マナは受け入れていた。仕方ないと諦めていた。

 その諦めこそが、チャーチの。チャーチたちの心をこうも蝕むとは、思わずに。

 

「……お兄さま」

 

 チャーチは、息切れた体に空気を送り込んでいる。

 叫び慣れていない体に無理をさせてしまった。その事実がマナの胸にチクリと突き刺さる。

 整わない呼吸のまま、懇願するようにして。汗が一滴落ち、クロスの染みになった。

 

「……もう、あれを作るのは止めてくれないか?」

 

 疲れ切った顔を隠さず、チャーチはそう言った。

 そんな表情をさせてしまった罪悪感はある。しかしマナにとってそれは、許容出来ないお願い事だ。

 

「ごめん。それは無理」

「っ、どうしてだい……? あれを作らなければ、また僕たちは以前の関係に戻れる! これ以上僕は、妹を恐ろしく見たくはないんだ! 言葉を、交わしたいだけなんだ……!」

「駄目なの。それは駄目。私も、惜しくはあるけど……あれの完成は、どうしても―――」

 

 ひと際強く、雷が鳴った。

 なぜかその雷鳴に、マナは嫌な予感を覚えた。

 遠く遠く、遥かな遠く。小高い丘の上で、壊れる音が届いたような。

 

 思わず立ち上がる。チャーチが急な妹の挙動に椅子ごと体を引く。

 もう一度、雷が落ちる。また、音が聞こえた。

 今度は聞き間違いではない。急速に駆け巡る血液は、危機感によるものだ。致命的な出来事が起きていると、マナの全感覚が告げている。

 

「……いかなきゃ」

「え? お、おいマナ! どこに行く気だい! こんな嵐の中……!」

「ごめんお兄さま! いかなきゃ!」

 

 駆けだす。

 呼び止める兄を無視し、丁寧な作りの扉を半ばけ破るようにして開け放つ。

 屋敷を走り抜け、玄関口へ。外は猛烈な雨だが、構わず飛び出した。

 ブーツの底から噴き出す風が、マナの体を押し出していく。一歩一歩は遠く、跳ねるようにして街中を突っ切っていく。

 

 その速さに、降りしきる雨が体を打つ。冷え込んでいく体は、むしろ逸る体の熱と相殺してちょうどいい。

 急がなくてはならない。その思いだけで街を進むマナの元に、丘の方から飛んでくる影があった。

 

「マナッ!」

「ネフバアッ!」

 

 箒で雨粒を散らしながら、ネフロンスがそばに降り立つ。

 

「お主こんな時にもそう呼ぶんじゃなッ! 早う行くぞ、乗れッ!」

「うんっ!」

 

 箒に飛び乗り、またがって小さな体を抱きしめる。

 しっかりと固定されたと確認したネフロンスが箒を引っぱたくと、鞭を打たれた馬のように速度を増し、風を切って飛び出していく。

 雨粒は鈍器になるが、そんな痛みを気にしている余裕は無かった。

 

 急速に流れていく景色は塗りたくった絵の具のように色彩のみを残して、全てが過ぎ去っていく。

 丘の上にたどり着き、飛び降りたと同時にマナは急いで駆け寄った。

 

「……あ」

 

 焼け焦げていた。

 二度の落雷を受け、砲身はめっきり真っ二つに折れている。崩れ落ちた姿は凸凹としていて、断面の煉瓦が中途半端に残り、雷を吸収して帯電している。

 飛び散った煉瓦は砕け、欠片となって散乱している。どう見ても作り直しは難しく、刻まれた刻印も意味をなさないものになってしまっていた。

 

「……ああ」

「マナ……」

 

 ネフロンスは、掛ける言葉が見つからなかった。

 長年の集大成。あと少しで完成というところまで来ていた殺意の塊は、希望の兵器は無残な姿へと、変貌を遂げていた。

 近寄り、膝から崩れ落ちる。草を根ごと、土ごと握りしめ、崩壊してしまった大砲をマナは見上げた。

 

 どれほどの損壊か、取り戻すにはどれだけの年月が掛かるか。

 

 間に合うか。

 

 それらが分かってしまうからこそ、現実味が無くなってしまうほどに絶望的な状況だと理解して、

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」

 

 巡る思いが、声となって溢れるのを抑えられなかった。

 どうして、なぜ。そんな言葉ばかりが頭を離れない。なんでこうなってしまったのか、よりにもよって、これだけは、なんで、どうして。

 

 絶たれた希望と混乱で、ただ嘆くことしか出来ない。

 黒光りする破片を拾い上げながら、ネフロンスはマナのそばに立った。

 

「……恐らくは、儂のせいじゃろなぁ」

「……え?」

 

 マナが、ネフロンスを見た。

 

「この素材は、魔術的な要素が加わると鋼の如き性質を帯びる。耐久性があった方が万が一の暴発による失敗を防げると思っておったんじゃが……まさかそれが裏目に出るとは」

「ネフバア、どういうこと?」

「分からんか? この大砲自体が、雷を呼び寄せたのじゃ。高い場所にあって、金属と同等の物質があるんじゃ、それはそうなろうというものよな」

 

 ネフロンスはしゃがみこみ、マナと目線を合わせる。

 黄金の瞳は、申し訳なさそうに歪んでいた。

 

「済まなかった。余計な手間を加えてしまって」

「謝らなくて、いいよ……! 止めてよ、ネフバアのせいじゃないよ……」

 

 首を振るマナに、しかしネフロンスは頭を下げる。

 そんな姿は見たくなかった。提案を受け止めたのは自分なのだと、マナは言いたかった。でも言葉は出てこない。ネフロンスの気持ちさえ受け止められないと、認めたくはなかった。だからマナには、それを受け止める他に感情の処理の仕様が無かった。

 

 雷鳴は、未だ遥か上空で轟いている。あれが全部悪いのだ、誰も、何も悪くない。そう言ってやりたかった。

 

「……うう。ううぅっ!」

 

 なにも出来なくて、ただ悔しさだけが募って。呻くしかない。

 そんな弟子に、ネフロンスは何の言葉もかけられない。

 長年生きていようが、こんなものだ。

 マナがどれだけの思いを込めて、この大砲を作っていたのか知っている。本当は家族と元通りになりたくて、でも本当の理由を言えずにただ同じ返ししか出来なかったマナを知っている。

 

 魔王を殺す大砲。そんなもの、魔王が滅んで長い月日が経った現代を生きる人のだれが信じるのか。それでも、もし情の深い家族がいれば。もしかしたら行動に移すのかもしれない。それでは動きが多くなりすぎるのだ。

 少数で作っているからこそ、魔王の感知を逃れられる。未来を読む力に長けていたマナはその事に感づいていたし、そうした方が良いと念を押したのはネフロンスだ。

 

 だからこそ、自分が大願の妨げの一助を担ってしまったという感覚が離れない。

 そう思うネフロンスは、謝るしかないのだ。

 

「……どうする。間に合いそうなのか? 魔王の、復活には」

 

 それでも、目的は果たさなくてはならない。

 具体的な日時も、兵器の設計図も。その全てはマナが握っており、ネフロンスも細かな詳細は分からない。

 ただ時間が無いのだけは、常日頃から感じ取っていた。日を追うごとに連れ、マナの焦りは大きくなっていた。

 

 それでも最近は、明るい表情を出すことも多くなっていたのだ。今日、この日は本当に運が悪く、要因が重なってしまった。なにか一つズレていれば、完成は間近だったのだろう。

 希望が潰えたマナは、すっかり呻くのも止め、俯いたままだ。

 

「なぁ、どうなんじゃ。儂に手伝えることがあれば、なにか―――っ!?」

 

 音が、響く。

 それはマナがハンマーで煉瓦を打ち付けた時に鳴る、あの轟音だ。

 ガツンガツンと、引っ切り無しに鳴り続ける。雷の轟きさえも彼方に追いやるほどの、凄まじい爆音だ。

 思わず耳を塞ぎながらたたらを踏むネフロンスはそこで、見た。

 

 マナの周りに、粘土が浮いている。窯はバラバラに分解され、刻印が刻まれた部位が灼熱の色を発し、蒸発した雨がとぐろを巻いて漂い始める。

 

 ゆらりと、マナが立ち上がった。

 

 緩慢な動きで手を横切らせると、独りでに粘土が練り上がっていく。

 成形、燃焼、刻印、組上……崩れ落ちた煉瓦すら新しい材料にして、どんどん修復されていく。

 その光景は、ネフロンスに警鐘を鳴らしていた。

 

「暴走、しておるのか……!? マナ、おいマナッ!」

 

 叫ぶネフロンス、マナは答えない。

 魔法使いの暴走。それは幼かったり、力量に反した力を使ってしまった魔法使いが陥る症状のことだ。

 身に宿す魔力を自在に操り、不可思議な現象を成す。通常の人間にはない燃料を扱える特別な存在を魔法使いと呼ぶ。すなわち、その奇跡を扱うには、当人たちにしか感知できない魔力というのものを使わなければならない。

 

 それの扱いは火に似ていて、吹き込む息が強ければ炎はより燃え上がり、土台となる木が多ければ多いほど火の色を変えたり、持続させたりという芸当が可能になる。

 しかし、炎の勢いが当人の制御を超えればどうなるか。燃え盛る熱は家にまで及び、柱を燃やして倒壊させてしまう。

 

 そうした、家まで燃え広がった状態を暴走と呼んでいる。

 過去そうなってきたものの末路を、ネフロンスは何度か見て来ていた。

 

 屋敷ごと茨が飲み込み、人もツタと花の化け物にさせてしまった貴族がいた。山一つ崩し、我が身もろとも街を飲み込んでしまった少年がいた。いずれも悲惨な結末にしかならず、だからこそ今のマナの状態を、放置しては置けなかった。

 

 ガンッ! と響いているこの音の正体が、やっと分かった。

 これは、暴走の兆候だったのだ。マナの体は、連日の作業に伴う疲労を蓄積させていた。無理を重ねて、稼働させ続けて来ていたのだ。

 そんな些細なことにすら気付けない自分を嘆くネフロンスだが、嘆いている暇など無い事態がそこにはある。

 

「落ち着けマナッ! そのままではお主の体がもたん! 止めるんじゃッ!」

 

 鳴り止まない。

 マナはただ淡々と、大砲を作り続けている。

 

「マナッ! 止めろと―――」

 

 そこでネフロンスは、言葉を止めた。

 もう手遅れと悟ったか。違う、そうではない。

 暴走の証である音は、ずっと鳴り響いている。マナは、作り続けている。

 それが始まって。始まって、それ以上は?

 

 起きていない。何も。

 

 マナは作り続けている。魔力を暴走させ、手も使わずに煉瓦を作り、欠けた部分を埋め合わせて、大砲を、兵器を、作っている。

 それは、暴走か?

 

「……まさかそれが、常だからか? 体が暴走に慣れ切って、だからこれ以上行ってはいけない限界ギリギリまで、制御出来ておるのか?」

 

 マナは何を作っていた?

 

 魔王を殺す大砲。

 

 暴走前提の、一撃必殺。

 

 そんなものを作り続けて、体に染み込ませてきたマナが、たかが暴走で我を見失うか。

 ネフロンスは、湧き上がる想定を切って捨てた。目の前の現実こそが、真実だった。

 組み上がっていく。壊れる前よりもさらに長大な砲身は、殺意と決意を受けて光り輝いている。雨はいつの間にかに止み、雲の切れ間から差す光を反射し煌めいている大砲は黒く、壮大で、なにより立派だった。

 

「……これが」

 

 そうして、出来上がったそれを前に、ネフロンスは感嘆の息を漏らした。

 刻まれた刻印が示す意味は凶悪の一言に尽きる。狙われた存在が哀れに思えるほどの、何物が相手でも太刀打ちしえないほどの破壊力が、その文脈に見て取れた。

 

 沸き起こっていた風が止み、マナが地に足を下ろす。

 そのままふらりと倒れ掛かるのを、ネフロンスが後ろから支えた。

 

「……すぅ」

 

 マナは眠っていた。

 当然だろう。壊れたという絶望がきっかけで暴走状態に陥り、身に宿す魔力も、作業し続ける集中力も使い果たしたのだろう。その身は驚くほどに軽く、今にも潮風に乗って飛んで行ってしまいそうなほどだった。

 

 乱れた前髪を撫でつける。結局、一人で解決してしまった。

 周りの声に屈せず、自らを信じ抜き、今ここに偉業を果たす。

 勇者と。そう言ってもいいほどの活躍だった。

 だからネフロンスはその幼い顔を見て、目を細めて。

 

「……ゆっくりと、休むがよい」

 

 そう、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遥か彼方。

 周りには草木一つない死の大地があった。

 近隣諸国は耕しても穂の一つ、木の一本も生えないその大地を見限り、近寄ろうともしない。そこに居るだけで魔力が急激に減っていってしまうと、魔法使いですら行くのをためらう、そんな土地だ。

 

 そこに一つ、闇が生まれる。

 それは瞬く間に球体から広がり、大地を覆い隠していく。

 闇の表面が胎動し、ボコボコと泡立っている。

 

 足が、一つ。腕が、一つ。

 目が一つ。

 

 次から次へと生まれてくる。コボルト、ゴブリン、オーク、オーガ……人型の魔物が闇より這い出ては整列し、いつしかそこには、軍隊が出来た。

 邪なる竜が空を飛び、人魚の成れの果てが腐った体から音楽を奏で、毒の水をまき散らす。炎が象る人型はその気性を現す様に小規模の爆発を起こし続け、零れ落ちた泥の沼から得体のしれない何かが昏き瞳を覗かせている。

 

 そして、最後に。

 

 出てきたのは、それらと比べて小柄と言える、一人の男だった。

 その男が出てきた瞬間、各隊が一斉にひざまずく。

 地の果てまで覆い尽くそうかという軍勢が、たった一人に畏怖の念を示し、拝むのも恐れ多いと首を下げていた。

 

 異様な、光景だった。

 

 男が手を掲げ、許すと伝える。

 その声は地獄の底から這い出てきたと思うほど低く、威厳に満ちていた。

 許しを得た配下たちは、思い思いに声を上げる。それは恨み、はたまた歓喜、もしくは勝鬨の雄たけびであった。なぜなら彼らにとって今日という日は、最も偉大なる記念日となるからだ。

 

 魔王が、復活した。その記念日に。

 男が笑みを零す。

 

 周辺の国は、いやどの国も、未だにその存在を感知してはいないだろう。そのためにわざわざ僻地たるこの場所を復活の拠点に選び、ここから全ては始まるのだ。

 国を、まずは一つ。落として勢いをつけ、まずは北方たるこの地を支配する。そうして南に進行し、一つ一つ確実に潰してく。

 

 苦い経験が、男にはあった。

 勇者と呼ばれてた存在を軽視し、油断の中でトドメを刺されてしまった。

 しかし、次はそうは行かない。油断せず、慢心せず、今度こそ人間たちを滅ぼし、魔族の王国を築き上げて見せるのだ。

 

 そう、決意を新たにした魔王は。

 

 何かが、飛んできたのを見た。

 

 それは速く、認識したと思った次の瞬間には眼前に迫っていた。

 障壁を張り、防ぐ。

 それは、球体だった。煉瓦で全てが構成され、何かが刻まれている。不可思議な色を発したその文字は、段々と白一色に染まっていく。

 

 それが爆発する寸前。

 

 魔王は、再びの敗北を悟った。

 

 まず最初に、熱があった。

 それは球体の、砲弾の内側から生じた熱だ。膨れ上がった熱は魔王の肌を焼き、周囲にいた配下はその熱に耐え切れず発火現象を起こしていた。

 外壁であった色味の違う煉瓦。内部で生まれた熱を吸収し、限界までそれをため込んでいく。急上昇していく温度は空に浮かび輝く太陽を目の前に持ってきたように光を持ち、障壁を消し飛ばして魔王の体を焼いていく。

 

 拡散。

 

 これまでの熱と、砲身を通る間に付加されていった魔術的効果はその威力を爆発的に増大させる。吹き上がった風はそれ自体が死を運び、次に生じた衝撃波が行き渡ると、大地を円形に抉り取っていく。

 浮かび上がる土砂が魔物たちを宙に浮かばせ、膨大な熱でもって焼き尽くしていく。体勢を持たないものは身がこの世に存在することすら許されず、跡形も無く蒸発していった。

 

 弾け飛んだ外殻は、中身の熱を遮るものが無くなったという証だ。

 耐えて、耐えて、耐え抜いていた魔王もとうとう、そこで命尽き果てる。肉が燃え、骨は崩れ落ち、最後に残った角も消し炭になった。

 

 余波は大地を超え、木々をなぎ倒し、王国にそびえる窓ガラスが割れた。

 後に残ったのは、不毛に不毛を重ねた、もはや滅びた大地のみ。

 残る破壊の爪痕は、それを放った者の殺意がどれほどだったかを物語っている。

 復活を遂げ、世界に広がろうという混乱は。

 

 後に調査に来た人々を驚かせたという小規模なものに収まり、これこそが魔王復活の顛末であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、じゃが」

「なに、ネフバア」

「ババアゆーなつっとろうがこのバカ弟子がぁ―――ッ!」

「いだだだだだ」

 

 それから、しばらくの期間を置いて。

 ネフロンスは久しぶりに、弟子の元へと足を運んでいた。

 魔王の存在があったことをネフロンスがその名前と共に証明とし、家族の誤解が解けたマナは少しずつであったが、失われていた交流を取り戻しつつあった。

 そのことを手紙で報告するマナは文字に踊るような愛らしさを込めており、ネフロンスの空いた時間を埋める最近の楽しみは、その手紙の交流にあった。なので一度その顔を見たくなり、サルトバーニュへと訪れていた。

 

 そのネフロンスは言っても聞かない弟子の頭をぐりぐりと痛めつけ、ささやかな抵抗も鼻で笑って思う存分こめかみを弄り回す。乱れた髪はすっかり汚れが落ち、透き通る水のような、爽やかな色を取り戻している。

 

 大砲は、一発撃って崩壊した。

 

 しかしそれは無事役目を果たしたようで、魔王がどうこうという騒ぎは起きていなかった。発射の衝撃で少し街に混乱が訪れたり、爆発の痕跡が凄まじすぎて各国に衝撃が走ったものの、それはネフロンスにとって想定内。工作を施してマナがその張本人であるという話は、どこにも上がる事は無かった。

 

 街の住人やクリスタ家も、なんとなく感づいているものの確証が持てないままでいるおかげか。マナの名前は広がっていない。

 そんな、大砲があった丘の上で。

 

「まったく……おいマナよ」

「だから、なに?」

「これは……なんじゃ」

 

 マナは、また何かを作っていた。

 

 煉瓦を打ち付け、轟音が響く。普通の粘土によって成形されているようだが、そのシルエットにネフロンスは見覚えがあった。ありすぎた。

 

「なにって」

「なんかひっじょぉーに最近よく見ていた物に近いと思うんじゃが……まさかな?」

「大砲」

「だと思ったわクソがッッッ!!!」

 

 思わず箒を叩きつける。乱暴な扱いに箒は翻ってネフロンスの周りを飛び回り抗議するが、それを無視して頭を抱える。抱えなければやっていられない。

 

 刻まれた刻印が、寸分たがわぬ殺意の色に染まっているのがもう救えない。いいオチが付いたと思った読み物語に続編が発生した時のような、嬉しいんだかついていけるんだかよく分からない感情をネフロンスは思い出す。

 つまりこれは、またなのだ。

 

「今度は何を見た!? また魔王か!? それともなんじゃ、何が来るんじゃ!」

「上」

「うえぇ?」

 

 ピッとマナが指さす先を追って、ネフロンスは首を上げた。

 そこにあるのは空だ。雲一つない空は暑いこの季節には珍しい。どこまでも高く、天井という概念を忘れた深い青空がそこにはあった。

 その先を示す様にして、マナは口を開く。

 

「石が」

「石が……」

「落ちてくる」

「……それはな、隕石と呼ぶんじゃ隕石と」

「……隕石が、落ちてくる」

「来るのか……そうかぁー……!」

 

 今度こそ、ネフロンスはがっくりときた。

 心配したマナが肩をゆさぶるも、応えずにただ次の脅威を思う。

 危機が多すぎる。春に湧く虫か?

 

「……で、何か足りないのはあるか? 必要な知識は、素材はあるか?」

「え?」

 

 マナは驚きと共に、同じ背丈の師匠を見つめる。いつの間にか立ち上がっていたネフロンスは箒を杖のように打ち付けて、眼光鋭くマナに視線をよこした。

 

「え? ではない。なんじゃその顔」

「……手伝ってくれるの?」

「なに言うとるんじゃ、当たり前じゃろ。またいずこかが滅びようとしとるのに、なにもせん訳がないじゃろうがたわけ」

 

 そう言い切って鞄から書類を取り出しては、ああでもないこうでもないと言い出すネフロンスに、マナはきゅっと胸を抑える。

 海の風が草原に吹き抜け、ざぁと擦れあってざわめきを起こす。その音に乗って、弾む胸の鼓動を、マナは感じていた。

 

 ネフロンスの言葉は、当たりこそ強いものの中身はそうではない。仕方ないなと呆れ、それでも弟子の頼みを聞き届けるのが楽しくてしょうがないという喜びの色がある。

 最近の家族との交流で、そうした色をマナは知り始めていた。だからこそそれが分かり、分かると同時に生まれた衝動に従って、師匠に思い切り抱き着いた。

 

「のわっ、なんじゃ急に!」

「ネフバア!」

 

 驚き、目を丸くするネフロンスに、言う。

 

「大好き!」

 

 それは万来の思いを込めた、精一杯の言葉だ。

 

「……な」

 

 そんな思いを真正面からぶつけられ、面食らったネフロンスは。

 

「やめろやめろやめろっ! むず痒くて仕方ないわこのバカ弟子が――――――ッ!」

 

 こみ上げてくる感情を誤魔化すように、そう叫んだ。

 


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