「ッ! これは......」
道中、不老不死になると言われている湧水に立ち寄ってからバスで山を上り続け終点である恐山に到着した。バスを降りると標高が高いからか下北駅よりもやや冷たい風が肌を刺す。
そして辺りを見渡せば、整然とした山々に囲まれた壮大な宇曽利山湖を目の当たりにする。霊感というものに縁のない一向でもここが浮世離れした、他の場所とは隔絶した空間である事を感じとった。
だがいつまでも圧倒される訳にはいかない。
「帰りのバスの時間は決まっている。時間が余ればまたここでゆっくりできるだろう。先に進むぞ」
一向はお金持ちの子息が通う秀知院学園の生徒。白銀御行を除けば皆が皆、お金持ちの上流階級の出身である。そんな彼らであれば車を運転せずとも運転手を雇ったり、それこそタクシーをチャーターする事も容易であろう。しかし彼らは敢えて不便な公共交通機関を選択する事を望んだ。
彼らはあくまで学生旅行を同級生と楽しみにここに来ているのだ。何れやろうとしてもできなくなる不便を望んでいるのだ。......一人を除いて。
「何を言っているんですか! 常に時間を気にしながらの旅行など旅とは言えません! 行きならまだしも帰りは違うと思います! 時間を気にしながら焦っては、見るものも見れません!」
忍耐とは程遠い、強欲と自愛の塊(かぐや談)の藤原千花である。
「帰りたくなった時に帰ればいいんです! のんびり見ていきましょう〜!」
藤原の視線の先には流石政治家の娘と言うべきか、豪華なリムジンと白色の手袋を身につけた四十代くらいの運転手が。
「私の事は何も気にせず、のんびりと観光なされて下さい」
運転手の影島に一同は頭を下げてから先に進んだ。
──────
藤原の活躍(?)によってのんびり回る事が許された。最初に言われた時は皆が皆、藤原に対して
「(お前なんて事を!)」
と思っていたが、しかし時が経つと全員が時間を気にせずゆっくりと回れる事を喜んだ。無論、誰一人藤原に対して感謝など口にしないが。
急ぐ必要がなくなった一向は落ち着いて湖のほうに再び目をやる。とても天気が良く、雲も見えない晴天では湖の向こうの山の青々さえもはっきりと見る事ができる。
「本当、綺麗ね。凄く心が奪われるわ。そうは思わない? 光夜」
「そうだね姉さん。旅行の計画を立てる時にここの写真も見た事があるけど、何ていうか......ただ綺麗ってだけじゃなくて吸い込まれるような、不思議な感じだ」
恐山について徹底的に調べた光夜は自然とガイドのような役割を担っていた。
「これは......エメラルドグリーンってやつね。あと硫黄の匂いが凄いわ」
「眞妃さんの言う通り、強い酸性だからこの色らしいよ。千花? 綺麗だからって飛び込んだらダメだよ」
「そんな事する訳ないじゃないですか! 人をアホの子みたいに言わないで下さい!」
「(藤原書記ならやりかねん......)」
「(藤原先輩ならやってもおかしくない......)」
藤原は濡れ衣だ! と叫ぶが、この場にいる誰もが藤原ならやってもおかしくないという結論に至った。尚、かぐやと眞妃はその自然の美しさからか、ここがあれだけ恐怖した場所という事を忘れていた。
入口の方に歩くと赤い橋が見える。橋の前には「立ち入り禁止」と書かれた立て札が。
「あれは太鼓橋だね。有名だから知ってるかもしれないけどこの世とあの世を結ぶ橋。だから千花、間違っても渡っちゃダメだよ」
「だから! どうして光夜君はさっきから私をお間抜けキャラにしようとしているんですか! 皆さんも否定して下さいよ!」
藤原はかぐや、眞妃、白銀、石上に向き直るが......
「............」
全員藤原から目を逸らした。
「どぼじでぇぇぇぇ!!」
──────
「五百円になります」
太鼓橋を横目に見ながらついに恐山菩提寺の入り口に到着した。一人五百円を支払い、入場券を貰ってから中に入る。
「見て下さい! 本堂が見えますよ! みんなで写真を撮りましょう!」
総門からは長い石畳の路の先に本堂を見る事ができる。
「写真は私が。皆様は一列にお並び下さい」
「影島さん?! どうしてここに?」
突然声をかけてきたのは先ほどの藤原家の運転手、影島。
「お嬢様方がここで写真を撮られると愚考し、僭越ながら着いてきた次第。皆様方、お並び下さい」
一眼レフを構えた影島に促され、一同は並ぶ。
「ほら、光夜は私の隣よ」
「ほら光夜、ここに座りなさい」
前列中央に光夜、左隣にかぐや、右隣に眞妃が座りそしてその後ろにそれぞれ藤原、石上、白銀が立った。
「...なんか七五三みたいなんだけど......」
とは言いつつも、友人達と集合写真を撮る事に喜びを隠せていない光夜であった。
「では、はいチーズ」
「あれがイタコさんのテントでしょうか?」
影島に写真を撮ってもらい、ふと視線を横に向けると恐山の大祭の一大目玉、イタコが立ち並ぶテント群を見る事ができる。
「かなり並んでいるようだな」
イタコの口寄せに予約制度はない。美容室やファミレスのように署名してその間離れてもいいシステムではない。誰かが並んでいなければ口寄せして貰えないのだ。では一体誰が並ぶのか?
「私が並んでおきましょう。皆さんはゆっくりと菩提寺を見て回られて下さい。順番が近づきましたら連絡差し上げます」
「「「「「影島さん......!」」」」」
バスの中では二組に分かれるなどの話し合いをしていたのだ。申し訳ないという気持ちはあるが、しかし影島に並んでもらえれば全てが解決する。
「(一周回った後でまだ時間があったり、それこそ口寄せ中には影島さんにも楽しんでもらおう)」
影島に一同は感謝をし、絶対に調子に乗るので口には出さないが藤原にも感謝をしていた。
──────
「あ! 見て下さい! あんなところに温泉がありますよ!」
本堂に向けて真っ直ぐの参道を歩いていると右手に小さな木造の小屋が。側の立て札には藤原の言う通り「薬師の湯」と書かれている。
「あ、この水路......もしかして温泉?」
石上の言葉に従うように恐山の所々にある水路に目を通してみると......湯気が沸き立つ水が流れていた。
「源泉掛け流しというやつなのかもしれないな」
「バスを降りてから硫黄の匂いが凄かったけどこういう温泉が凄く近いからかもしれないわね」
東京ではあまり身近とは言えない温泉。しかしそれがこんなにも身近にある事に一同は改めて遠いところまで来たのだと実感する。
「......でも、こんな参道と近いところだとちょっと恥ずかしいですよね......」
温泉は男湯、女湯、混浴があった。東京ではあまり見ない混浴、という文字に一同は顔が赤くなる。しかし決して誰もその事を話題に出す者はいなかった。そして混浴を抜きにしてもこうも参道と近いのであれば内風呂でも恥ずかしいと思う女性陣であった。
「(壁も薄いし声も聞こえて......破廉恥ってところじゃないじゃない!)」
「(畜生、こういう時何て言ったらいいんだよ......)」
「(こういう時、男は何を言っても弾劾される虚しい生き物なんです......)」
かぐやと眞妃に対して本能的な恐怖を刻み込まれている白銀と石上は建前だけではなく本心からそのような事を望んでいなかった。
「どっちみち入るとしても参拝で汗かくだろうし全部終わってからだよ。先に行こう」
光夜の提案によって一同は無言で小屋から離れた。
──────
恐山はその硫化ガス、強い酸性ガスによって地面が強い酸性であるために植物は育たない。土も緑もなく色のない白砂と玉石の光景がただひたすら広がっている。そして辺りには、ちらほらと風車が備えられている。
「恐山は死者が向かう世界。あの世に最も近い場所。子どもが早くに死んでしまった時に手持ち無沙汰にならないように親が手向けるものだそうです」
「「「............」」」
浮世離れした景色で目を奪われていたためにすっかり忘れていた。
「あの......熊に注意とか書かれてるんですけど......」
石上の指差す先には今にも倒れそうな立て札だが確かに「熊に注意」と書かれていた。
「(こんな人里の中なのに......いや、ここがそうなだけで山に囲まれた場所だったな。バスでどういう道を辿ってきたのか思い出せ)」
熊なんていないよな? と一同は辺りを見渡すが何も見つからない事にひとまずホッと息を吐く。
賽の河原と呼ばれるように積み重ねられた小石を傍目に一向は進み続ける。
「(みんなと一緒で良かったわ......。一人じゃこんなとこ来れないわよ!)」
四条眞妃は本来「悟り」を求める事を目的で恐山に来ている。......が、今はそんな事など忘れたかのようにただ漫然と境内を散歩しているだけである。恐山の目に見えない畏怖よりも熊に対して眞妃は怖がっていた。
「っと、おい四条大丈夫か?」
周りを過剰に気にするあまり、眞妃は足元の石に取られ躓いてしまう。が、転倒する寸前白銀が身体を支えた事によって大事には至らなかった。
「ありがと、御行」
「足元はいい訳じゃないからな。......それと気を遣えなくてすまん」
「え?」
「お前は石上や藤原と面識がなかったみたいだし、四宮が光夜を独占しているのに俺が動かないからお前を一人にさせていた。すまんな、正直ちょっとつまらなかっただろ?」
白銀は新幹線の中でかぐやと眞妃の争いに巻き込まれた後、在来線でもバスの中でもかぐやと眞妃を避けていた。そしてその流れのまま恐山でも主に石上と話していた。一向は6人とかなりの大所帯。道も狭いし他人の迷惑にもなるため横一列で歩く事はできない。
ここまで最前列に光夜、かぐや、藤原。その後ろに白銀、石上。そしてその後ろに眞妃といった具合で歩いてきた。別に眞妃が一番後ろだからといって何も会話がなかった訳ではないが、それでもやはり隣の者との会話が多いから眞妃を一人にしたのでは? と白銀は考えた。転びそうになった眞妃を見た瞬間に罪悪感を抱いてしまった。そこで石上を光夜に預けてから眞妃の隣に立った。......石上は(恐怖のかぐやの近くに自分を追いやった)白銀に対して恨みの籠った視線を向けていたが。
が、眞妃は白銀が言うほど寂しさは感じていなかった。恐山に来るまではかぐやと舌戦を繰り広げたりしていたし、先も言った通り最後列にいたところで会話がなかった訳でもなかったから。むしろじっくりと周りを見る事ができて満足さえしていた。
「(......でも御行が隣にいてくれるのなら)」
「......ありがと」
眞妃は小さな嘘をついた。
「(会長......恨みますからね!)」
白銀と眞妃が二人並んで歩く中、残りの四人の集団に押しつけられた石上は冷や汗をかいていた。気配りができると評判の光夜は石上のために何をする事もなかった。(そもそも石上がかぐやに恐怖している事を知らないから)
「石上君」
「ひぃっ!」
「(四宮先輩! 僕の方なんて見てないでずっと光夜の方を見ていて下さいよ!)」
石上は不意にかぐやに見られ(石上からすれば睨まれているように見えている)声をかけられた事で声が裏返ってしまった。
「(石上君......。会長、ナイスアシストです。これで藤原さんを光夜から遠ざけて二人きりになれるわ)」
当然白銀にそのような意図などなかったが、勝手にかぐやの中で白銀の株が上がった。
「藤原さん。石上君が何か話があるそうですよ?」
「(この流れ、乗るしかない!)」
藤原を遠ざけたいかぐやと、かぐやから遠ざかりたい石上の目的が一致した瞬間であった。
──────
「(......藤原は何も考えてないだろうがそういえば光夜は何でここに来たがっていたんだ?)」
石上が藤原の手を引いてかぐやと光夜から離れる中、眞妃と恐山の事について話していた白銀はある違和感を持った。恐山を訪れた理由としてはかぐやは光夜に着いていくため、そして自分は当時好きだったかぐやに付いていくため。石上も同じような理由だし眞妃の理由についても聞き及んだ。積極的に恐山に行きたがっていたのは藤原と光夜のみ。
藤原は面白半分というか、しかし観光目的だという事は分かった。
「(なら光夜はどうだ?)」
ヒントは死者と語り合えるというこの場所。
「(光夜は誰かと死に別れているのか?)」
かぐやですら気づいていない、光夜の真の動機について白銀は真実への扉を開きかけた。
光夜以外は知らない。なぜ光夜が真に恐山を訪れたがっていたのかという本当の理由を。それはかぐやでさえも。彼は観光を第一の目的として来た訳ではない。死者と語り合うためにここに来たのである。
賽の河原、極楽浜を見ながらここが死者の集まる場所であり、自分の両親もここにいるかもしれないと思い至る。
「ん、千花。電話鳴ってない?」
後ろで石上とやいやいやっている藤原のスマホが鳴った事に気づいた光夜が声をかける。
「あ、影島からです。あと数組で順番がくるそうです! この距離ならゆっくり歩いても間に合うと思いますよ!」
「(もう少しで父さんと母さんに会える!)」
光夜は内なる興奮に冷めやらぬ熱を抱き始めていた。
──────
「......え? 今、何て......?」
「その......前の人の霊媒が終わった時にイタコさんが腰をやってしまったようで......」
イタコの高齢化という問題がある。今回光夜達が霊媒をお願いしたイタコはもう80を優に超えたおばあちゃんである。そしてそれほどの高齢のおばあちゃんであるのならやってもおかしくない。......腰を。
光夜は影島に釣られてイタコのおばあちゃんに目をやる。
「あばばばばばばば」
「......流石にこれでは霊媒どころではありませんね」
光夜は恐山に来た目的をへし折られて肩を落とした。
少し遊び心を加えました。読まれた方は分かるかもしれませんが影島は拙著短編の『四宮かぐやは惚気たい』(https://syosetu.org/novel/286270/3.html)に出てくるキャラです。短編では四宮家の執事でしたが今作では藤原家の執事です。年齢的に彼の父親でしょうか?
本作では男湯、女湯、混浴としましたが現実の薬師の湯に混浴はありません。日によって男女入れ替え制になっています(筆者訪問時)
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