起きなくていいことばかり、よく起きる。
まあでも、楽しんでしまおう。
そんなこんなで、人生は回っていくから。
ラッキースケベというものが、世の中にはある。まあ実際にそこまで多発するものかどうかはともかく、そういう表現というか言葉はある。こないだ部活が休みの日曜日、市民体育館で岸くんとバド一戦やった後、そんな話をしたりした。
「健康な男子高校生として、一度は経験したいよなー……」
遠い目で缶ジュース片手にゲスい事を呟くその姿は、格好悪さが一周回って逆に格好良いくらいだ。それに眼差しの熱量を考えると、俺は何も言えなかった。
毎日嫌になるくらいしてます、なんて絶対言えない。言えるわけがない。岸くんだって、千夏先輩が好きなんだから。
千夏先輩はストイックで完璧な人、そう思っていたのは最初のうちだけだ。暫くして気付いた、この人どうしようもないポンコツだと。一応大人がいるところではしゃんとしていようとはするけど、大体数分で飽きてしまってボロがでまくってしまう。そんな出来だから、もう隙だらけなんだ。
風呂上がりにパジャマがわりのオーバーサイズシャツ一枚でウロウロしていたりするのはまだ良いんだ、……いや良くはないんだけどそのまま俺の部屋には来ないで欲しい。来るのはまだしも、寝転がってジャンプ読んだりしてないで欲しい。せめて下着くらい着けてください、お願いします。俺だって男の子だからそういうのに興味はあるけど、こんなガサツぶり全開でいないで下さい。下手をすると俺の頭を跨いでいったりするから油断できない、絶対に見ちゃいけないと思うから理性が視界をカットしてくれているけれど。
朝の身支度中も、結構な割合でお胸を溢してるからなこの人。……溢すほどあるのか、と失礼な事も考えてしまうが実際溢れてるんだから仕方がない。距離感がバグってるからか、やたら触ってくるし。なんとも迂闊というかなんというか、高スペックなんだけどそれを活かせていないというか。要するにポンコツなんだ、うん。
家にいる千夏先輩と体育館にいるあの人は、別人ではないのか。そう思えるほど、部活中の千夏先輩は凛々しくて格好良い。控えめに言って、――惚れ直してしまうくらいに。
あの出来映えからどうやったらあそこまでポンコツになれるのか、不思議でならない。
先輩にとって猪股家は、リラックスしていられる場所だってことなんだろうか。それはとても良いことだと思うけど、思うけど。思うからこそ、恥じらいも持って頂きたい。というか俺の中に多少はあった筈の女子への幻想が、凄い勢いで崩れていってしまうんですが。
まあ――俺のそばにはそういう女子ばっかりだな、そもそも。雛も大概ガサツだし。あれを女子扱いしていいか自体疑問だ。
「あ、大喜くん。今良いかな」
俺を見つけて声をかけてきた先輩に、軽く会釈を返しつつ周囲を見やる。今は周りに取り立てて人はいないし、話しても大丈夫だろう。
俺としてはもっと気を付けて欲しいと思う反面、こうやって学校で話せるのは結構嬉しくなってしまう。
「さっきお母さんからLINE来てさ、今日は皆帰り遅いんだって。どこかで夕飯済ませて帰ろうか」
……ナチュラルにうちの母さんをお母さんって呼ぶのは大分前からだし気にしないけど、なんであの人は実の息子じゃなくて千夏先輩にメッセ飛ばすんだろう。何て言うか最近、俺が居候みたいになりつつある気もするんだけど。
まあ、それは後で考えよう。と言うか後で文句言おう、うん。
にしても、だ。
これってなんだかデートみたいだな、と思ってしまう俺がいる。
帰りにちょっと寄り道してご飯食べて帰る、ってだけなのに。
なんとなく気恥ずかしくて、でも嬉しくて仕方無い。単純だな、俺って。
食事を済ませた帰り道、内心のドキドキを隠しながら俺は先輩と二人きり。狙ったように人通りもない、灯りも疎らな夜の道。
――ここで手を繋ごうとしたら、怒るかな。怒るだろうな。この人がホエホエしたポンコツでいるのは、リラックスしているからだ。猪股家の面々を、そして俺を本当の家族みたいに思ってくれているからだ。それだけでしかない、
そういうのは、せめて先輩に異性として見てもらえるようになってからだ。
そんな事を考えながら、でもちょっとだけ期待しながら。隣を歩いていた先輩の身体が、フッと揺れた。
「お。――おぉ?」
不思議そうな声を上げながら、倒れていく千夏先輩。それに気付いた俺は、どうにか支えなければと咄嗟に腕を伸ばし――。
「ん、……ぁ」
ガシッとその身体を掴んだまま、重心が崩れ。一緒に道路へと倒れ込んでいた。
視界が回転する中でもなんとか先輩を守るべく、自分の身体が先輩とアスファルトの間でクッションになれるように必死で割り込もうとするけれど、暗がりの中では何がどうなっているのかさえ分からない。
背中を強打しながらも先輩を受け止めることが出来た、そう思った瞬間。
俺の顔は、柔らかいものに押し潰されていた。
「あ……あれ?」
アスファルトの冷たさは後頭部に伝わってくる、でも布か何かで頭全体が何かに包まれているような直接的でない感触。目の前は何も見えないけれど、汗の匂いと共にどこか甘い――ミルクのような匂いがする。それに全体の印象は柔らかいのに、ちょっとだけ固い場所もあるような。
いったい何がどうなっているんだ、とモゾモゾ動き出したのと同時に、頭の上から小さな声が降ってきた。まるで布を間に挟んだような、くぐもった感じで。
「大喜くん、えーと……ね。まず一緒に立ち上がってさ、出てくれないかな?」
先輩の声なのは分かるけど、「出る」ってどういう事だろう。回りの悪い頭をフル回転させて、俺はようやく気付いた。
俺は先輩とアスファルトの間にいる。それは間違いない。じゃあ、どういう姿勢なのか。一体どんなベクトルで力が加わったか知らないけれど、俺は――。
「!?」
「やー……お粗末なモノをお見せしまして……」
「いや、……こちらこそすいません先輩……」
動揺しながらもどうにか抜け出して、二人。気まずい雰囲気で向かい合う。
日頃ホエホエな千夏先輩もさすがに照れているんだろう、俺は死にたい気分だけど。そりゃ俺だって男の子だし、触ってみたいとかそういう願望はある。でもこんな、神の見えざる手を感じるハプニングでそうなりたいわけじゃない。
……いやまあ二人きりだし暗がりだし気が効いているといえば効いているんだけど、神様がもし実在するなら殴ってやりたい。そうじゃないんだ、の想いを込めて。
「あー……大喜くんや。とりあえず、帰ろうか」
「です、ねえ……」
そう、そうするしかない。帰って部屋に籠って、罪悪感で潰されよう。いや、今のは俺が悪いんだろうか。その辺釈然としないけどさ。
しかしこれは不味いな、いくらなんでもラッキースケベが過ぎる。俺もしかして、もうすぐ死ぬんじゃあるまいか。
でも幸せな感触ではあった、それも事実だ。まさか告白もしないうちに、お胸に潰されるとは思えなかったけど。
なんて想いながら歩いていると、ふと目の前の先輩が立ち止まった。
「ちょっとだけやり過ぎちゃったかな、やっぱり。私って不器用だから、さ」
次はもうちょっと上手くやるからね、と微笑んで、そのまま。そのまま――再び歩き出す。でも今度は俺が、その場に止まってしまった。その真意を、測りかねて。
やり過ぎちゃった、ってそれはつまり。――アクシデントではなかった、という事なのか。俺をからかう為に、わざと毎日隙だらけなふりをしていたんだろうか。
何でそんな事をしているのか、聞きたい。でも聞くのが怖い。いろんな意味で。
――女子って、分からない。本当に、分からない。
そんな溜め息をひとつ吐いて俺も、千夏先輩に続いて歩き出した。いつかこの人を理解できるようになりたい、とか想いながら。