アヤベさんとの日常の一コマ 短編集   作:トマリ

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その①と②を先に読んだ方が良いかもしれませんが、一応読まなくても大丈夫です。

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同棲して二年目ぐらいのアヤベさん その③

 

 僕はトレセン学園のトレーナーだ。担当しているウマ娘はアドマイヤベガことアヤベさん───っと違うそれは五年前の話。

 

 今担当しているのは『アリエスコダマ』という名前のウマ娘。

 五年前に僕が担当していたアヤベさんと同じく『追い込み』のウマ娘であり、少しやんちゃなところもあるけれど真面目にレースに取り組んでくれるウマ娘である。

 時々体の距離が近くなるなと思うことはあるが……まぁなんやで既にアヤベさんと同棲して二年が過ぎてじ……事実婚、みたいな状態になっている僕に間違いなど(なんのかは知らないが)起こるはずもないので大丈夫だろう。

 ……大抵アリエスコダマにくっつかれた日には、家に帰ったら不機嫌そうな顔をしたアヤベさんにやたらと頭突きをされて頭を擦り付けられるのだが。

 それはさておき、アヤベさんと同棲して二年が経っても僕は相変わらずトレーナーを続けており、毎日それなりに楽しくやれている。

 

 

 

 そんな僕は現在、アリエスコダマとの練習を終えて寮へと帰っていく彼女を見送り、トレーナー室にいた。目の前にあるノートパソコンには、アリエスコダマのこれまでのレースタイム一覧や、これからの練習で予想される能力の上昇値などが映し出されている。

 これから今日の分のデータを入力する作業があるのだが……僕の手はキーボードには乗せられておらず、代わりに机の上に乗せられていた。更に手の中にあるのも練習風景を撮っていたカメラ……などではなく私物のスマホである。

 そのスマホは、二年前からの同居人であるアヤベさんからのLINEを受信していた。

 

 

『仕事終わった?』

 

 

 アプリを開くとそんなメッセージ。

 淡白と言えば淡白なメッセージだが、もう慣れたものである。そしてアヤベさんからのLINEはどんなものでも嬉しいので急いで返信する。

 

『今終わったとこ。どうしたの?』

 

 いつぞやの日に二人で見た夜空がプロフィール画像となっているアカウントに送信すると、一分後にすぐ返信が来た。

 ……元々アヤベさんは連絡は早い方だったが、同棲してから更に早くなったような気がする。

 

『今晩ご飯の買い物に行っているのだけど。なにかリクエストある?』

 

 メッセージを見て、そのまま壁に掛けられた時計へと視線を滑らせる。針は既に六時前を示していた。

 そうか、もうそんな時間か。

『なんで』と打ち込んで予測変換で出てきた『なんでもいいよ』を選び掛けて慌ててやめた。

 アヤベさん……というか、主婦的にはご飯のリクエストで『なんでもいい』はご法度なのだった。

 しばし悩んでから、昨日同期のトレーナーがお弁当でシャケの切り身を食べていたのを思い出した僕は、『じゃあシャケが食べたい。なんとなく』と打って送信した。

 その瞬間、トレーナー室の扉が音を立ててノックされた。

 

「はーい? 開いてますよー?」

 

 とりあえず声を上げたが、来客の予定はない。またアヤベさんがオペラオーから逃げてきたのかと考えかけ、いやいやそれは五年前の話だろと考え直す。

 そうこうしている間に扉が開き来客の姿が露になる。

 

「うーっすアヤベTお疲れーい!」

 

「どうもっス~」

 

 そこにいたのは、オペラオーTとトプロT……正確には、元オペラオーTと元トプロTの二人だった。

 二人とも僕の同期であり、なんやで付き合いもかなり長くなっているトレーナーである。

 

「……なんだ、お前らか」

 

「なんだとは失礼なヤツだなぁアヤベT。お前が今なお続けている『追い込み』の指導法、元々伝授してやったのは誰だと思ってんだぁ?」

 

「いつの話してるんだよお前……さすがにもう時効だろ。あと『元』な」

 

「くひひひっ、相変わらず可愛くない後輩だなぁおい」

 

 オペラオーが現役の時と同じように、気軽に肩を組んでくるオペラオーT。ウザい。

 一応この二人にはアヤベさんと同棲していることは内緒にしているので(知られたら絶対面倒なことになる)、LINEを開いていたスマホの電源を切ってポケットに入れる。

 自分としてはさりげなくやった動作だだったのだが、しかしトプロTにはバッチリと見られていたらしい。

 

「アヤベT先輩、誰かとLINEしてたんスか?」

 

 親のウマ娘から遺伝したらしき綺麗な芦毛を揺らしながら彼は首をかしげた。……面倒なとこに食いつきやがって。

 

「いや……ただの知り合いだよ」

 

「知り合い? ……でもアヤベT先輩って、意外と交友関係狭いっスよね」

 

「おまっ……仮にも先輩に中々ボディーブロー撃ってくれるな……」

 

「……もしかして相手はアドマイヤベガっスか?」

 

 うぐぅ。トプロT、こんな時に限って勘が鋭い。トップロードとの仲はグダグダとあんまり進展しなかったくせに。

 

「マジで!? くひひっアヤベT、アドマイヤベガとは卒業以来会ってないって言ってたくせに、ちゃっかり付き合い残してたのか!? ちょ、スマホ見せろって!」

 

「おいっ男子校生かお前は! 別に誰でもいいだろ! ……それより、お前ら仕事はどうしたんだよ? それに、元々何しに来たんだよ? 雑談だけしに来たんなら邪魔だぞ」

 

 なんとか誤魔化すべく会話を方向転換させる。

 ちなみに彼らは現在、オペラオーTはチームを率いていたことや、オペラオーやウイニングチケットといった癖のあるウマ娘を担当していた経験を買われて、今はなにやら問題のあるウマ娘を専門で担当する的なトレーナーになっているらしい。

 一方のトプロTも相変わらずボチボチとウマ娘を担当しているが、なんとこないだからトレーナーになることを志してトレセン学園にやってきた(戻ってきた)元担当バのナリタトップロードをサブトレーナーに据えて、二人でトレーナー業に励んでいるという大変ウラヤマシイ状態になっている。

 

「おっとそうだった忘れてた。くひひっ、いやー久しぶりに俺ら飲みに行かね?ってさっきまでトプロTと話しててさぁ……せっかくだからお前もどうよ?」

 

 閑話休題。

 話題の方向転換は成功したらしく、見事に乗せられたオペラオーTはそんなことを言う。

 また急だ……。

 

「三年ぐらい前は担当の出るレースが似通ってたから自ずと俺らの予定も合ってたけどさぁ……今は皆担当バの適正がバラバラだから、予定合うこと少ねぇじゃん?」

 

 お前んとこのコダマちゃんはマイルがメインだしトプロTのとこは完全長距離だし、とオペラオーTは肩をすくめる。

 

「でも今は珍しく全員暇みたいだから、久しぶりに同期で飲まないかー、っつー話になってるのよ」

 

「……なるほど」

 

 傍らでトプロTも同意するように頷く。言われてみればその通りだったし、悪くない提案に思えた。

 彼らとは別に飲み友達というわけではないが(なんならオペラオーTは割と悪酔いするタイプなのでできればあまり飲みたくない)、たまにはトレーナー同士水入らずで飲むのも良いかもしれない。もう彼らとも、なんだかんだで長い付き合いなのだ。

 

「……わかった。ちょい待って」

 

 二人に断りを入れてからスマホを取り出す。

「やっぱあれアドマイヤベガと話してんじゃねぇの?」「顔がニヤけてるっス」「向こう着いたら酔わせて聞き出すか」「ジブン度数強いの探しとくっス」とヒソヒソ話してる二人にはオペラオーとトップロードの話で反撃することに決め、再び僕はアヤベさんとのLINEを開いた。

『シャケがいい。なんとなく』という僕のメッセージには『わかった』というアヤベさんからの返信が来ており、既に五分ほど経っていた。

 どうかまだレジを抜けておりませんように、と願いながら『ごめん待ってアヤベさん』とメッセージを送信する。

 既読はすぐに付いた。

 

 

『なんか、これからあのオペラオーTとトプロTと飲みに行かないかって話になってて……いいかな?』

 

 

 事態が一刻を争うためロクに誤字確認もせず送る。こちらのメッセージへの既読もすぐに付いた。

 

 ……が、何故か返信は中々来なかった。

 おや?と首を捻る。……珍しい。よほどの長文でもない限り、アヤベさんは既読がついてからは大抵一、二分ぐらいで返信をしてくるのだが……。

 結局アヤベさんが返信をしたのは、既読になってから四分後だった。

 

 

『じゃあ今日は夕飯はいらないわね。買う前でよかったわ。最近は皆担当のレースで忙しかったらしいし、たまには良いんじゃないの』

 

 

 送られてきた文章を一字一句目で追いかけてみる。しかし当たり前ながら、無機質なゴシック体の文字列からは送信者の感情を読み取ることはできなかった。……現代の弊害である。

 とはいえ、一応オーケーはもらえたようだ。

 

『ほんとごめんね。せっかく買い物に行ってもらってたのに』

 

『明日の分の買い物も兼ねてたからいいわよ』

 

『じゃあ、帰る前には連絡するから。たぶんそれほど酔っては帰ってこないと思う』

 

 帰りに色んな意味で余裕があればプリンでも買って帰ろうか、と思いながら打つ。

 それから二分後。

 

『わかった』

 

 そんな淡白な返事が来て会話は終わった形になり、僕はオペラオーTとトプロTに引っ張られていった。

 ……アヤベさん、本当にどうしたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、諸々あって七時にトレセン近くの居酒屋に着き、それから約二時間後。

 

 

「くひひひっ、てなわけでなぁ! ウチのオペラオーはもうすげぇってわけよ! こないだも朝ドラの出演が決まったし、ライダーの劇場版にゲストの敵として出演することになったり……!」

 

「はいはいわかったっスから」

 

 

 居酒屋の外にて。

 ……まぁ予想通りと言うか、案の定オペラオーTは悪酔いし、トプロTに肩を貸されていた。

 当初は計画通り僕を飲みに付き合わせて酔い潰すはずだったらしいが、一杯目で既にこの有り様だったため、トプロTは計画を放棄し早々にオペラオーTを介抱する方にシフトしたようだった。

 かくいう僕もオペラオーTがヤバい酔い方をしてるせいで酔うのも気が引け、結局酒は一杯だけ飲んで後はオレンジジュースにしていた。……オペラオーT、こんだけ酒癖悪いのに何故あれだけの勝算があったのだろうか……。

 

「それじゃあ、ここらでお開きするっスか」

 

 三人分の勘定を代表して一括で支払い、後から二人分のお金を受け取ったトプロTがそう言う。

 

「だね。お互いの近況も知れたし、今の担当バの悩みについても話し合えたしね」

 

「……アヤベTの私生活を聞こうとしてもやたらとはぐらかされたのは気になったっスけどね」

 

「いっ……いいだろそんなことっ。それより、オペラオーTは大丈夫なのか?」

 

「今もわかりやすく話題逸らされたっス……。ともかく大丈夫っスよ。オペラオーTはジブンと同じトレーナー寮なので。送っていけるっス」

 

「送っていけるしーっ!! くひひひひっ!!」

 

「いやそういう意味じゃなくて……オペラオーTだいぶヤバい酔い方してるからさぁ……今もうるさいし」

 

「ああ、大丈夫っスよ。時々オペラオーTと飲むことはあるんで、慣れてるっす」

 

「……え。前にも飲んだことあるの?」

 

 思わずそう聞くとトプロTは困ったように芦毛を弄る。

 

「本当に『時々』っスけどね。二ヶ月に一回ぐらいで。一人暮らししてるアヤベTと違って寮が同じな分予定も擦り合わせやすいですし。その時もしょっちゅう介抱してるんで。だから慣れてるんス」

 

「そ、そうなのか……」

 

 なんということだ。オペラオーTとトプロTがたまに二人で飲みに行っていたなんて。

 ……三人グループで、自分を除いた二人が出掛けていたことを知ったときに感じるあの異常な疎外感……。

 ……これからは、僕からももう少し飲みに誘ってみようか……?

 

「まぁともかく、今日は本当に楽しかったっス。久しぶりに先輩と騒げたので。また時間ができたら行きましょうね」

 

 密かに僕に大ダメージを与えたのに気付く様子もなく、トプロTはそう言ってオペラオーTを担ぎ直すと、寮の方へと歩き去っていった。

 夜の中でも……いや、夜の中では余計に目立つ芦毛が風になびく。

 

 ……そういえば、彼は一年ぐらい前から急に地毛を黒に染めるのをやめているようだった。

 ……本人なりに、何かしら踏ん切りがついたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はひー……やっと着いた……」

 

 トプロTたちと別れてから数十分後。

 千鳥足にならない程度に歩き続け、ようやく懐かしの我が家へと着いた。多少アルコールを接種したことによる気分の高揚によりバカみたいな声が出る。

 スマホで確認してみると時刻は十時前。ここから一休みしてお風呂を沸かして入ればちょうど良い時間になるだろう。明日も早く、また激務が待っているのだ。

 

(……アヤベさんはもう寝てるかな? 結構規則正しい生活してるし)

 

 一応一段落したあたりで『これから帰る』とLINEは送っていたのだが、返事はおろか既読にすらなっていない。どうもアヤベさんは未だにトレセン時代の生活の癖が抜けないらしく、十時ぐらいになると自然と眠たくなってきてしまうらしい。

 一応帰り道のコンビニでプッチンプリンを買ってきたのだが(酔っぱらいの吐く空気に当てないようにしっかりビニール袋にくるんでいる)……披露するのは明日になるかもしれない。

 ……ちなみにだが、僕もアヤベさんもプッチンはしない派である。洗い物増えるし。

 とまぁこの辺で。

 

「ただいまー……」

 

 疲労もあってもたれ掛かるように扉を開けつつ、アヤベさんが寝てる可能性も考慮して静かに家の中へと踏み込む。

 

 

 ───踏み込んだとき。

 

 

 

「おかえりなさい」

 

 

 

 出迎えてくれる声が聞こえた。僕の耳と脳が保証するが、間違いなくアヤベさんの声だった。

 それ自体はなんの問題もない。むしろ家に帰ってアヤベさん以外の人の声が聞こえる方が怖い。

 

 だが、強いてさっきの声に問題があったとすれば。

 

 玄関で靴を脱いだ僕の真横から聞こえたことぐらいだ。

 

 

「えっアヤベさ───ぐごぼっ」

 

 

 驚いて僕は首を回そうとし───回しきる前に声の主……アヤベさんと思われる人物に飛び付かれた。

 絵面だけ見れば『抱きついた』ようなウラヤマシイ光景だろうが……ウマ娘の力をプラスして行われるソレはもはやラグビーの突進のようだった。

 そんなのにイキナリ対応できるわけもなく、僕の足は数秒だけ数センチだけ宙に浮かび、そのまま力に押されるままに壁に体を打ち付けられた。

 

 ……これが噂に聞いた壁ドンかぁ……いやここまでいくともう壁サンドイッチだろうか。

 

 強打した頭で変なことを思いながら、錆びたロボットのようにゆっくりと視線を下ろす。

 やはりというかそこには……いつもの青のケーフルニットを着て、僕の胸に顔を埋めて、大きな耳をピコピコとさせ……

 

 

「……おかえりぃ。トレーナー」

 

 

 別れ際のオペラオーTのごとく顔を真っ赤にしたアヤベさんがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 困った事態になった。

 強打した体を慰めながらリビングへとやってきた後。

 今の状況は僕がソファに座り、その膝の上にアヤベさんが横向きに座っているという状況。簡易的なお姫様抱っこのような格好である。

 

 

「あの……アヤベさん」

 

「なに?」

 

「この体勢になってからかれこれ二十分ぐらい経つんだけど……そろそろ足が痺れてきたし尻も痛くなってきて……」

 

「そう」

 

「……お手数でなければ、そろそろ退いてくれないでしょうか?」

 

「やだ」

 

「即答かぁ……」

 

「あなたは今は私の獲物だから。勝手に動いたらダメに決まってるじゃないの」

 

「獲物て……。アヤベさんは肉食獣かなにかなの?」

 

「そうよ」

 

「そうなんだ……」

 

「今の私は……さしずめネコ娘といったところだから」

 

「アヤベさんその名前は色々アウトだからやめとこうか」

 

 頭を抱えたくなった(アヤベさんの腕が邪魔でできないのだが)。

 

 ……大体察しがついているかもしれないが。

 どうやら今のアヤベさんは完全に酔っ払っているようだった。

 

 リビングへ着いたときさりげなくキッチンの方を見てみたのだが……そこには空っぽと思われる『ほろよい』の缶がいくつかあった。あれらは本来、僕がたまに嗜む程度に飲むためのものである。

 ……大方、気紛れか何かで一本飲み、一本だけにするつもりがそのままズルズルと行ってしまったのだろう。

 いや、飲むこと自体はいい。別に明確に僕のと決まってるわけではないし、むしろせっかく二十歳になったのだからアヤベさんももっと飲めばいいのにと思っていたぐらいだ。

 

 だが……。

 

 

「……トレーナー」

 

「なっ、なに?」

 

「……今すぐウマ娘全てにふわふわを授けてみせて」

 

「壮大な無茶振りするね……僕は若手芸能人じゃないんだけど」

 

 

 今現在、彼女は細い手を僕の首に回してコアラのようにしがみついており、大きなウマ耳とほんのりと赤くなったアヤベさんの顔はすぐ眼下にある。

 

 ……困った。

 これは色々と……アレだ。イケナイ光景だ。

 しかも、

 

 

「トレーナー」

 

「んんっ? 今度はどうしたの?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……な、なにっ? 僕の顔に何か付いてる?」

 

「……別にぃ。……呼んだだけ」

 

「───っふぅ。そっか」

 

 

 ……危なかった。

 特殊な訓練を受けていなければ確実に土に還っていた。

 表情はいつも通りのクールなものなのに、そこに少し赤らんだ頬とやや舌っ足らずになった言葉が掛け算されただけで何故こうも破壊力が増すのだろうか。これはなんとしてもアヤベさんのそのぶっとい太ももの奥地まで向かって真相を突き止めねば───って違う。

 

 これはイケナイ。普段のアヤベさんとのギャップに理性がゴリゴリと削られていく。

 思えば普段のアヤベさんは僕との晩酌に付き合ってくれることはあれど『酔いかけ』程度まででセーブしており、ここまで深く酔うことはなかった。

 なので酔いどれ状態のアヤベさんはなんやで五年ぐらいの付き合いとなる僕にもデータがないのだ。全ての攻撃と口撃が初見であり、ノーガードでボディーに撃ち込まれることになってしまう。

 

「あ、アヤベさんっ、お水飲もっかお水」

 

 このままではこっちが持たなくなる。

 直感し、僕は台所で水道水を入れてこようと立ち上がろうとした。

 しかし、

 

「……やだ」

 

「ふぐっ」

 

 酔いどれアヤベさんに更にしがみつかれて移動させてもらえない。

 より体が密着し、ぎゅむっと肌と肌がぶつかって潰れた。

 

 

(く、首が絞まるっ……というかちょっと待ってこれアヤベさんとの密着度が上がったせいで服越しにアヤベさんのアヤベさんが当たってるんだけどおおおおおおおちょっとコレ明らかに現役時代より成長してますよねいやそんなことはもうとっくに知ってるだろ僕は今更なに言ってんだ)

 

 

 早送りされたように脳内を高速で言葉が横切っていく。自分の言葉を自分で認識できていない。

 おそらく鏡を見れば今の僕の目は懐かしのメイショウドトウのように渦を巻いていただろう。

 そんな僕の内心を知る由もなく、アヤベさんは「んー……」と一つ寝起きのような声を上げた。

 ふと瞳を下の方に向けると、パチリと瞬きする。

 

 

「……ねぇ」

 

「は、はいっ?」

 

「……トレーナー……食べたい」

 

「へぇぇっ!? な、なにをっ!? 僕のなにをっ!?」

 

「……プリン」

 

「え?」

 

 

 アヤベさんの視線を追ってみるとそこにあったのは……どうやらソレは机に置かれたプリンの入ったビニール袋だった。

 

「あっ……あー、プッチンプリンね。帰りに買ってきたヤツだけど……食べる?」

 

「……食べる」

 

「わかった」

 

 あ、焦った……。

 いや、冷静に考えればこの状況で僕の想像通りのことが起きるわけないんだけど……。危うくこの小説にRを書き加える羽目になるかと思った。

 相変わらずアヤベさんは離れようとしてくれないので、仕方なく僕は工夫して動き片手だけでビニール袋を引き寄せる。

 

「よっこいせ……はい、アヤベさん」

 

 プリンの蓋を開けてプラスチックのスプーンを添えアヤベさんに手渡そうとする。……が、彼女の手は僕のうなじ部分で結ばれたまま離れようとしない。

 

「あのー……アヤベさん?」

 

「……なに?」

 

「いや、離れないんですけど……どうするの?」

 

「……食べさせて」

 

「……まぁ、なんとなく予想はしてましたけども」

 

 やはり、今のアヤベさんは相当酔っているらしい。こんなの五年共に過ごしてた僕でもシラフで言われたことないのに……あ、でも何回か『あーん』はしてもらえたことあったっけ……。

 この映像を目に焼き付けておけば後でいくらでも楽しむことができただろうが、生憎今は状況への対応で精一杯で録画予約をする余裕はなかった。

 ため息を吐きながら、黄色部分とカラメル部分が均等の厚さになるように掬い上げアヤベさんの口許まで持っていく。

 

「はい、あーん」

 

「あむっ」

 

 ……あーんの『ん』を言い終わる前にアヤベさんはスプーンからプリンを食べていた。スーパースローでなければ追えなさそうなスピードである。

 そんな早業で食べたにも関わらずアヤベさんは特段嬉しそうにするわけでもなく、無表情で咀嚼し飲み込んだらまた口を開ける。

 

「……はやく。次」

 

「ワガママだなぁ……」

 

 日頃のツンツンしてるアヤベさんとは違う意味で猫味を感じる。……まぁ、あのアヤベさんが『ワガママを言っている』と思えばそれはちっとも悪いこととは思わないので、従うのも全くやぶさかではないのだけれど。

 

 我ながらなんたる奴隷思考。

 ……アヤベさんが猫なら僕は犬だろうか。

 

 普通に食べるより二倍ほど時間をかけてようやく容器の半分をつつく。

 

 

「……そういえばさ、アヤベさん」

 

「……あー」

 

「あっごめん……はい、あーん……」

 

「んむっ……」

 

「……それで、なんでお酒なんか飲んでたの?」

 

 

 この頃になるとようやく僕も状況に慣れてきて、最初に疑問に思ったことを問いかける余裕ができていた。

 そんな僕の言葉に、視界の隅でアヤベさんの耳が僅かに絞られた。

 

 

「……なに? 悪い?」

 

「いや悪いとは言ってないけど……珍しいなーって。アヤベさん、お酒は基本僕に付き合う形でしか飲まないでしょ?なのになんでかなーって」

 

「…………」

 

 

 僕としては単なる疑問のつもりだった。

 だが……それを受けた彼女は押し黙ってしまった。食べるために開けていた口も一文字に閉ざしてしまう。

 

「あっ……話したくないことだったら別にいいんだけどっ。ごめんね急にこんなこと聞いて」

 

 もしや地雷を踏んだかと、プリンの容器を置いてわたわたと弁解する。二十後半にもなって情けないとは思うが、アヤベさんの機嫌を損ねるのは未だに怖いのだ。

 ……ただでさえ現役の頃から迷惑ばっかかけたのに。

 

 

「ご、ごめんねっ。ほら、次の一口───」

 

「……しかったから」

 

「……え?」

 

 

 だから、次にアヤベさんが発した言葉を僕は咄嗟に聞き取ることができなかった。

 

「……ごめん。アヤベさん、なんて言った?」

 

 慎重に聞き直してみる。

 相変わらずの難聴ぶりを発揮する僕にアヤベさんは呆れたような顔をしたが……それでも酒のお陰で唇のフィルターが薄くなっていたのか、

 

 

「……寂しかったのよ」

 

 

 消え入るような声音で、そう言った。

 

 

「……寂しかった?」

 

 

 孤独を苦としないイメージのあるアヤベさんからは、予想外の言葉だったので、つい聞き返してしまう。

 お酒関係なくか、アヤベさんは耳を真っ赤にして視線を下げる。

 

 

「最近のあなた……担当の娘にかかりっきりだったもの……」

 

「それは……だって、レース前だったし……」

 

「……えぇ。それは理解してるつもり。私も、現役の時はそうだったし。だから、我慢できた」

 

 

 ポツポツと言葉を紡いでいくアヤベさん。

 

 

「……それで、レースも一段落して……今日はやっと、落ち着いて時間が取れると思ってたのに……」

 

「思ってたのに……あー……」

 

 

 オウム返ししてる途中でようやく答えに気づいた。

 ……なるほど。それで、寂しさを誤魔化すために飲もうとしていたのか。

 

 

「えーっと……ごめんね。ほら、トレーナー同士で飲むのなんて、ほんと、久しぶりだったから……」

 

「……そうね。同僚との付き合いも大事よね。妻を家に独りにさせるぐらいね」

 

「うぐっ」

 

 

 言葉のナイフが胸に刺さる。切れ味がいつもより鋭利なのと、単純な罪悪感のせいでダメージが大きいっ……。

 あ、でもその一方でアヤベさんが自然と自分を『妻』と評してくれたことに若干の幸福を感じなかったりも……。

 

「ふん」

 

「ふぐっ」

 

 ニヤけかけた僕の顔が気に入らなかったのか、続けて胸にアヤベさんの猫パンチが撃ち込まれる。

 ちゃんと手加減はされていたのだが、先程刺さるイメージをしていたナイフがそれで更に押し込まれるという無駄な想像を追加してしまったせいで本来よりダメージが増えてしまった。

 

「ご、ごめんってアヤベさん……」

 

 ともかく。

 こうなるともう謝るしかない。尻に敷かれ系夫のできることはひたすら許しを乞うことだけだ。

 

 アヤベさんはしばらく赤くなった顔で僕の方を見ていたが……やがて、ポムッと僕の胸に顔を埋めた。

 

 

「……今日、同じ布団で寝て」

 

 

 今度は、ちゃんと聞き逃さなかった。

 

 

「わかった。じゃあ久しぶりに一緒に寝よっか。ちゃんと枕も持ってきてね」

 

「……ん」

 

「……アヤベさんと寝るんだったら、酒臭いまんまでいるわけにはいかないね。すぐシャワー浴びてくるから、ちょっと待っててもらえる?」

 

「……ん」

 

 

 パッ、とようやく鎖のように絡み付いていた彼女の手が離れる。

 それを確認してから、僕は膝の上からゆっくりと彼女を下ろした。そろそろ酔い気が眠気に変換されだしたのか、彼女は大人しく下ろされ、時折船を漕ぎそうになっている。

 ……これはさっさと浴びてきた方がいいだろう。戻る頃にアヤベさんが既に寝ていたんじゃ意味がない。

 

「……ちょっと待っててね」

 

 少しアヤベさんを起こす意味合いも込めて、僕は彼女の髪をゆっくり撫でた。サラサラの髪の感触が、じんわりと指に伝わってくる。

 眠気か、嬉しさか。猫のように目を細目ながらも、彼女は「……うん」と静かに頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 そうしてまさにカラスの行水のごとき早さで僕はシャワーを済ませ、アヤベさんの手を引いて共に布団に潜り込んだ。

 諸々限界だったのか、布団に入ったアヤベさんは一瞬だけ僕の姿を確認し安心したように笑うと───すぐに目を閉じてしまった。

 

 

(……明日は、一日一緒にいてあげよう)

 

 

 珍しい子供のようなその表情に、どことなく父性のようなものを感じながら僕はそう誓い眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その誓いの日は、早朝になって酔いと記憶がすっぽり抜け落ちたアヤベさんの全力右ストレートから始まることになるのだが、それはまた別のお話である。

 

 

 

 

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