いつかに英雄の隣にいた誰か 作:幽
ウルクは、生と言う在り方に満ち満ちていた。
きっと明日が来る、自分たちの命は紡がれていく。
そんな願いに満ち溢れていた。
(・・・生きるって。)
ウィルは日々、魔獣たちを退け、簡単な指示を出し、そうして頭の片隅で考えていた。
死の恐怖、そうして、生の在り方。
正直言って、ウィルにとってウルクでの日々は生きるという在り方をぼんやりと思い出させることだった。
誰かと、自分ではない誰かと言葉を交わし、何かをなす。
(・・・・このまま、ウルクのために動いて。俺はどうしたいんだろう。)
いつの間にか、そんなことを考えるようになった。
ウィルにとって、エレシュキガルに出会えたことは僥倖だった。彼女の元で、初めてウィルは居場所を獲得した、役目を渡された、お前はここにいていいのだという肯定を貰った。
凍り付いた魂が、彼女の微笑みによって、溶けて、そうして息を吹き返した気がした。
誰もが、どの神もウィルを拒絶した。罪を犯し、何にも属さぬそれを、拒絶した。
だからこそ、ウィルは自分のように寄る辺なき存在を受け止めてくれたエレシュキガルに全てを捧げると誓った。
けれど、けれど、ウィルは未だに冥界に帰ることも出来ず、そうして、ウルクが生きる為にこんな風に足掻いている。
(このまま、ウルクが滅ぶことこそが良いのだろうか。)
人間は、あの人を放り出した。
神様と共に生きてはいけない。それは、現代で生き、そうしてあまねく時代と世界を旅したウィルだって気づいている。いつだって、親に甘え続けてはいけないのだと、一人ぼっちで、生きて行かなければいけない時だってあるのだろう。
変わらないことは悪いことではない。けれど、どこにも行けず、何にもなれない、そんな苦痛をウィルは知っている。自分だけが、変わらないままにあり続ける寂しさを知っている。
だからこそ、ウィルは死ぬことについてを考えていた。
(この世界の人間が、死ねば。それは、エレシュキガル様にとっては幸いだろうか。全ての人間が、エレシュキガル様のものになるのは。)
死を司るエレシュキガルのことを考えれば、ウィルはこのまま訪れる死を考える。けれど、それでも、明日を生きようとする誰かの、兵士を、職人たちを、商人たちを、男を、女の、老人の、子どもの、前を向く表情が、どうしたって好きだった。
明日を生きる為に、恐ろしくたって、悲しくたって、それでも歩みを止めない在り方を嫌えなんてしないから。
だからこそ、考えるのだ。
ギルガメッシュの言葉を考える。
死とは、終わりだ。それだけ、そこで終わる。
喜びも、楽しみも、悲しみも、苦しみも、全てが終わってしまうなら。
(俺は、彼らに生きてほしいと思っている。それは、この思いは、エレシュキガル様への冒涜だろうか。)
死ぬのは怖いことだ。だって、その先を知らないから。
沢山の人が、死を恐れた。
ウィルはそれをまるで絵空事のように見つめていた。死ねない自分は、そうやってあり続けた。
けれど、ウィルだって、その気持ちはわかる。己だって、恐ろしかった。自分がどれほど特殊な事かもわかっている。
お菓子をくれた大人がいた、慕ってくれる少年がいた、花をくれた少女がいた、頭を撫でてくれた老人がいた
何時か、死ななくてはいけない。物語は、終わりを迎えなくてはいけない。永遠とは、案外辛いものだと分かったから。それでも、その物語がエピローグを迎えるまでは、出来るなら、細々と、続いてほしいことを願ってしまう。
死ぬのは、怖くないのだろうか。
兵士の一人に、そんなことを問うたことあった。
彼は、それに苦笑した。死ぬことはない、ウィルに向けて苦笑をした。
恐ろしいと、それは頷いた。それでも、守りたいものがある。ただで死ぬのではない、後にのこすものがある。ああ、ならば、それならば。
「そのために死ぬことを覚悟するのは、けして不幸ではないと思うんですよ。」
それは、ただの人間だった。ただ、彼は頑張れる人間だった。明日のために、命を懸けられる存在だった。
けれど、ああ、けれど、そんな風に何かのために命をかけてもいいと誓える、有限の命をそれでも抱える人間は、確かに、美しいと思ったのだ。
そんなことを考えていたある日、ギルガメッシュ王が過労死した知らせが届いたのだ。
ウィルはそれに慌てて用意を始める。といっても、葬儀の用意ではなく、ギルガメッシュの死体の保存だった。
「でも、どうしてそんなことを?」
ケツァル・コアトルを連れて立香たちがわやわやと王座に帰ってきた折、事情を知ってそんな声が上がる。
「・・・・ギルガメッシュ王は恐らく、まだ生き返る可能性はある。」
「え!?」
「ここは、なんていうか未だに神話の中なんだよ。聞いたことないか?愛した女を蘇らせるために冥界に赴く男の話とか。手段さえ何とかすれば黄泉がえりは可能だろう。」
「本当に!?」
立香の言葉にウィルは頷いた。
(・・・・それでも、それをエレシュキガル様が赦されるか。)
「・・・・一つ聞いていいかしら?」
唐突に自分に話しかけてきたケツァル・コアトルにウィルは視線を向けた。
「・・・あなた、エレシュキガルの僕だという?」
「ええ、そうです。眩しき星の御方。」
「あら、丁寧なのね。」
「・・一度、あなたの国にも滞在したことがありまして。色々とよくしてもらったことがあるのです。」
「そうなの。ふうん?珍しい、人?かも曖昧なのね、あなた。まあ、それについてはいいわ。あなたもまた、出来る限りの中で足掻いている。私にとって諦めの悪い人間は嫌いじゃないから。でも、その炎はあまり好きではないけれど。でも、そうね、あなたはウルクを覆う死のオーラに気づいていなかったの?」
「死のオーラ?」
ウィルは思わず顔をしかめた。覚えがなかったため、首を振る。
「・・・あなた、本当に気づいていないのね。三女神同盟の一人は、イシュタルではなく、エレシュキガルなのよ?」
その言葉に、ウィルは目を見開き、とっさのように叫んだ。
「嘘だ!!」
「嘘ではない。神が言葉を騙るとでも?」
それにウィルは言葉を止め、そうして茫然と呟いた。
「そんなことを、するはずがない。あの方は、だって、優しい方だ!!」
「・・・・いっつも思ってたけど、あんたって本当にエレシュキガルに夢を持ち過ぎなのよ。」
「黙れ!イシュタル、天の主!貴様に分かるものか!貴様に、流浪の果てに、俺を受け入れてくれた、あの人のことが!ああ、そうだ、確かにあの方は神だ!俺には理解の出来ぬ理とて持つだろう。それでも、あの方だけが俺を受けいれてくれた。それでも、それだけで、俺はどんな人間を前にしても言ってやるのだ!あの方は、優しい!死だけが全て、あまねく次元において平等だ!」
赤い瞳が、ぎらぎらと、炎のように揺らめく。ウィルの腰にあるカンテラからも、少しずつ炎が漏れ出している。
イシュタルは面倒臭そうな顔をする。
「あー、悪かったわよ。あんたって、本当にめんどくさいわね。」
ウィルの膨れる様な殺気にマシュたちが慄く中、イシュタルがめんどくさそうにそう言った。
「あなた、彼の無礼には怒らないのね?」
「まあね。あいつ、普段はちゃんと礼儀はあるのよ。ただ、エレシュキガルのことになるとどうもねじが抜けて。昔、仕置きでもしようとしたんだけど、どうせ死なないし。何よりも、一度怒らせると、本当に何をしても追いかけて来るから放置してんの。」
まあ、あのじめじめ女にはあれぐらいの太鼓持ちがいたほうがバランスとれるのかしら。
イシュタルの言葉を聞いていたケツァル・コアトルは、そうと一度頷いて、今度はウィルに向きなおった。
「まあ、丁度いいですね!冥界に行くなら、道案内が必要でしょうし。」
「う!でも、俺は何故か冥界から、拒絶されていて。」
「・・・そうね。あなたは少々、厄介なものを背負っているようね。」
それに、ウィルはがばりとケツァル・コアトルに視線を向けた。
「俺が、すべきことが、あなたには分かるのか?」
「・・・・うっすらとだけど。でも、それは自分で考えた方がいいわ。まあ、それは置いといて。」
ケツァル・コアトルは逃げ出そうとしていたイシュタルを捕まえる。
「何はともあれ、もう一度行ってみるのがいいですね!足掻いてこそ、生きている人間なのだから!」
「立香。少し、いいか?」
「え、なにかな?」
冥界へ赴くために歩みを進めていると、ウィルは立香に話しかけた。
「・・・少しだけ、話をしてもいいかな?」
「それは、いいけど。どうしたの?」
銀髪の少年の、澄んだ赤い瞳が青いそれを見つめ返した。
マシュやマーリンに挟まれて、ウィルはぼんやりと言った。
「君は、死が怖いかい?」
「えっと、それは確かに、怖くはあるかな。」
「エレシュキガル様のことも、恐ろしいと思うか?」
それに、立香は少しだけ言葉を言葉を止めた。そうして、心細そうな彼のことを見返した。
「・・・死を恐ろしいというか、生きたいとは思うけど。でも、エレシュキガル様のことは、怖くはないかな?」
「何故だ?大抵の人間は、エレシュキガル様のことを恐ろしいという。死の女神であるあの人を、厭う。」
「でも。優しい女神さまなんでしょう?」
ウィルは、その泣きたくなるほど優しい言葉に立香に視線を向けた。彼は淡く微笑んでいた。
「生きたいから、俺は長い旅をしたよ。でも、ウィルがそんなにも大好きだっていうエレシュキガル様自身のことは恐ろしいとは思わないよ。」
優しい言葉を、それはくれた。
それが、あんまりにも優しい声音で、ウィルは思わず言葉を続けた。
「・・・・立香、俺はな。死を優しいと思う。生は不平等だ。自分自身ではどうしようもないことばかりでも、死の前では平等だ。死だけが、どんな人間だって拒絶もせずに受け入れてくれる。でも、今は、こうも思ってる。それでも、生き足掻いたウルクの民にも、お前にも、生きてほしいって。死を否定してしまいそうになる、俺は間違ってるのか?」
「俺には、ごめん、上手く答えられないけど。でも、そうだな、その生きてほしいってたぶん、もう少しだけ、時間が続いてほしいってことじゃないのかな?」
「続く?」
「たぶん、終わりはいつか訪れるとは思うんだ。でも、ウィルのそれって、永遠に続いてほしいってことじゃなくて。きっと、何時か終わりが来るとしても、それまではもう少しだけ長く続いてほしいってことだと思う。それって、そんなに悪いことじゃないと思うよ。」
何時か来る死ぬ瞬間まで、それでも、刹那のような時間が続いてほしいっていう願いじゃないのかな?
ウィルは、その言葉を噛みしめる様に、聞いた。
「もしも、いつか死ぬとしても、それでも、限りある時間を、叶う限り、生きることができるなら続いてほしいっていう、ウィルのそれは願いなんだよ。」
その言葉は、滅多にないほど優しいように聞こえた。
「・・・・今度は、入れた。」
ウィルはイシュタルに落とされた先で、嬉しそうに顔をほころばせた。
「やった!ようやく、帰って来れた!」
「・・・・ウィルさんに入れない理由が分かった。そりゃあ、あんな力技できないよ。」
「本当は、俺は冥界に自由に入れる権能が与えられてるんだよ。でも、何故か、今回はどうしたって冥界に入れなくて。」
ウィルはそう言った後に、すっと腰に下げていたカンテラを掲げる。
「導きを求む、灯りよ、明かり。」
ぼんやりとした灯りが辺りを照らし、そうして、立香は冥界の寒さが少しだけ和らいだ気がした。
『すごい!立香君の運命力が安定してる!さすがは神の炎だ!』
「といっても、あくまで冥界からの影響から守ってあげられるだけで直接的な攻撃の前には無力だけど。それに、よく見るといい。ほら、冥界のあちこちに炎が灯ってるでしょう?」
「本当です!赤々とした炎が所々に!」
「まさか、これってあんたの炎?」
「おそらく、俺が冥界から吹っ飛ばされる前に種火を置いておきましたので、それでしょうね。」
「それでも、やっぱり寒いことは寒いわね。」
「・・・俺がいなくなったせいで炎の力が落ちているのでしょう。ですが、エレシュキガル様は、どうしてこんなことを。」
「あの中は、苦しいのでしょうか?」
マシュの言葉にウィルは首を振る。
「言っておくが、マシュ、あれだってそう悪いことじゃないからな。俺がいる時は、定期的にあっためてたし。温いあの中で、消えるまで夢を見るのはそう悪いことじゃないんだ。でも、確かにこんなに槍檻が増えてる。」
(あああああああ!でも、そうだよなあ、地上であんだけ人が死んでるんだし。なら、エレシュキガル様のことだから、仕事で押しつぶされてる可能性がましましだ!)
ウィルはそう言って、第一の門に近づいた。
「俺はこの門に邪魔をされないけど、立香たちは試される。だから・・・」
そう言ってウィルが第一の門に近づいた瞬間、彼はまるで吸い込まれるように門の中に消えた。
どさりと転がり落ちた先、そこはウィルにとって馴染んだ、彼の主の神殿だった。質素な石造りのそこは、彼の女神に相応しくつつましやかな作りであった。
周りは、ウィルの残した炎の為か赤々と燃えている。
ウィルは勢いよく立ち上がり、そうしてまっすぐに神殿の中に飛び込んだ。
神殿の中は、古びているが、ウィルの記憶の通り、懐かしいまでにそのままであった。
そうして、神殿の奥、彼女が座るべき座にて彼は金髪の主を見付ける。
「エレシュキガル様!!!!」
「ウィル!!」
彼女は犬のように王座に走って来る彼に向けて、微笑みながら座を降り、そうして受け止めた。
「主、俺の、俺の、優しい主。主人!ああ、ああ、ようやく、ようやく、帰って来れました。申し訳ございません、長きにわたり、留守をしてしまいました!」
ウィルはそう言ってぐずぐずと泣きながら、エレシュキガルに縋りついた。
エレシュキガルは、自分よりも少しだけ高い背の少年の頭を優しく撫でた。
「・・・お前が冥界に落ちてきたときは驚いたわ。だから、すぐにこちらに引き寄せてあげたの。」
「申し訳ございません!少し前にはすでにこの時代に帰って来ていたのですが。何故か、冥界に帰って来れず。」
それにエレシュキガルは顔をほころばせた。
「ええ、ええ!そうよね、お前が私を裏切るはずがないわ!お前だけが、そう、お前だけが私の味方よ、私の、私だけの下僕だもの。」
エレシュキガルはそう言って顔をほころばせて、淡く笑って、ウィルの頭をまるで仔犬にするように撫でた。
「それで、エレシュキガル様、俺と一緒に入って来た者たちのことなのですが。」
「ええ、藤丸たちのことでしょう?」
「知っておいでで?」
「・・・・お前にだけは、言っておくけれどね。」
エレシュキガルは少々気恥ずかしげに、立香と共にイシュタルの体を使って、彼と少しだけ会っていたことを話した。
「おめでとうございます!エレシュキガル様にとって初めての友達ですね!」
「そうね、お前は私のものだけど。その、友達って初めてだわ。お前も喜んでくれるわね?」
はしゃぐ声、花のように美しい彼女、それにウィルは今までの全てを忘れて、嬉しくてたまらなくなる。
初めての友人というものには少々寂しさを感じても、それでも、エレシュキガルが笑っていることこそがウィルにとって何よりもうれしいと思うのだ。
そうして、ウィルは心の底から安堵した。だって、己の神様は、変わることなく、美しく、可憐で、そうして優しいのだと。きっと、同盟だって何か理由があるのだと。
「それで、立香たちのことなのですが。」
「ええ、殺すわ。」
その言葉にウィルは固まった。そこには、いつも通り、優しくて可憐な、己の主がいた。
「なぜ、ですか。エレシュキガル様。確かに、あれは生きている者です。ですが、いずれは死ぬ、エレシュキガル様のものに。」
「だからこそよ。このウルクは、人は滅びるでしょう。でも、魂だけは、私が守らなくてはいけないの。」
「魂だけを?」
「人は滅びるわ、命は途絶えるわ。でも、その後に魂だけは守るのだわ。死したものは、私のものよ。ならば、出来るだけの魂を、ここで守り続けることこそが我が矜持。例え、死んでも、残るものだけは、私が守るわ。」
冥界の主人として。
エレシュキガルは微笑んだ、天使のように、愛らしく。ウィルの愛したままの女神は微笑んでいた。
「・・・・ウィル、お前も分かってくれるわね。さあ、忙しくなるわ。お前が炎を運ぶ魂だって多くなるのだし。」
さあ、立香たちを出迎えましょうか?
微笑む女神に、ウィルはどうすればいいのか分からずに、茫然としながら、それでも頷いた。
微笑む女神に、ウィルは、ぼんやりとウルクで足掻く誰かの笑みを思い出した。
けれど、ウィルはその笑みをそっと頭の奥にしまい込んだ。
その在り方は残酷だ、けれど、それでも。
その女神は確かに、彼女なりの、優しさに包まれていることだってちゃんと理解できたのだ。
「ウィルさん、よかった。無事だったんですね?」
マシュはようやく辿りついた石造りの神殿の前にたたずむ青年を見た。
いつも通り、簡素な服装にそうしてマント。何故か、カンテラを掲げた彼は無機質な目でマシュたちを見た。
「ふむ、機能的とはいえ、神殿はあるのか。貴様のおかげか、シュギンよ。」
「ギルガメッシュ王、ご無事でしたか。」
「ああ、幾度か冥界には来たことがあるのでな。お前も、わざわざ我の体を保管した様だな、褒めてやろう。」
「結構です。それよりも、汝ら、立場をわきまえ、平伏しろ。今より来られるは、砂の大地、揺り籠の主、ガルラ霊たちの女王である。」
「ほう、貴様、そちら側につくか。」
「・・・・少々、うるさくてよ。半神の王風情が。」
重々しい声とともにガルラ霊が現れた。そうして、ウィルは臣下に相応しい動作で、彼女に首を垂れる。
ウィルはそのまま、エレシュキガルの重々しい声や周りのことなど聞こえていない様に跪いたままだ。
けれど、エレシュキガルが自分の姿を現し、そうして、立香に正体がばれたことを知ると、慌てて彼女を慰める。
「ううううう!どうしよう、ウィル!ものすごく恥ずかしいのだわ!?」
「ご、ご安心を、エレシュキガル様!そういったちょっとうっかりしているところなど大変愛らしいですよ!?十分に、魅力的かと。」
「そ、そう?魅力的?」
「はい!そういったうっかりして涙目で困り切っているところなど大変可愛らしいです!立香もきっとそう思っていますよ?」
「そう、そうね!女神として、こんなことで折れてちゃだめよね。私は、女神。」
「はい、エレシュキガル様なら大丈夫です!」
座り込んでいたエレシュキガルはウィルの言葉でなんとか持ち直し、立ち上がった。そうして、ウルクの人間を殺すことを宣言する。
それに皆の眼が見開かれた。
ウィルはそれに何とも言えず、視線を下に傾ける。
ギルガメッシュとエレシュキガルの問答の後、彼女は立香に問いかける。
己に罪はあるのかと。
立香は真っ直ぐとエレシュキガルを見た。
「興味はない。それは、アナタが行うべき役割だ。」
ウィルでさえも、その言葉に目を見開いた。
ギルガメッシュが呆れたように言葉を加えた。
「分からぬか、たわけ。当たり前のことを褒めるほど、その男は愚かではないという事だ。自らに与えられた責務。それを嘆く事はよい。放棄して違う道を探す事もよい。だが、逃げずにこなし続けて己が義務を卑下することは悪であり、その苦しみを称賛することは、何より貴様自身への侮辱に他ならない!」
ギルガメッシュの言葉が響いた。それに、エレシュキガルはウィルを見た。
「ウィル、ねえ、あなたは?あなたは、私を責めるの?」
ウィルはそれに、一度だけ目をつぶり、そうしてカンテラを振った。
そうすると、カンテラは変形し、次に現れたのは無骨なまでにデザインと言うものを排除した大鎌だった。
ウィルは使い心地を試すように、くるりと手の内で回した。
そうして、彼はそれを立香たちにつきつける。
「・・・・ずっと、考えていた。俺は、どうすべきかと。ウルクの民に、俺は、死んでほしくないと思った。彼らは足掻いている。なら、それならば、彼らが諦めるまではそれを見守っていたいと思った。」
「ウィル?」
「ですが、今の言葉を聞いて、立香、否定の言葉を聞いて腹が決まりました。」
俺は、エレシュキガル様の味方だ。
それに、ギルガメッシュは目を細めた。
「エレシュキガルの、己の行いへの否定が、きさまへの否定であってもか?」
「・・・ええ、そうですね。エレシュキガル様の苦痛の上に、俺の肯定がある。主が耐え続けた日々がなければ、出会うことなどできなかった。それでも、俺は、自分の幸福を否定してでも、エレシュキガル様の味方であり続ける。」
俺は、一人の辛さを知っている。
ウィルは、ギルガメッシュではなく、立香を見た。
「・・・藤丸立香、永遠の孤独を知っているか?」
その声は、今までの青年らしい軽やかさなどない、老人のように乾いた声だった。立香はそれにぐっと背筋を伸ばした。
立香は、ウィルがどれほどまでに、エレシュキガルという女神を慕っていたかを知っている。
優しい人だった、愛してくれた、大事にしてくれた。だから、それを返したいんだ。
幾度か聞いた、女神の話。
恐ろしい、それでも優しい、死の女神。
ケツァル・コアトルのことを、思い出す。
きっと、そうだ、今がそうなのだ。誰かの願い、自分たちが散々置いてきぼりにしてきた、遠い神様の寂しさを立香は見た気がした。そうして、共に滅ぶと決めた、ちっぽけな人間の愛を前にしている気がした。
「何にも至れず、どこにも属せず、愛する者さえ別れの果てにあり、繋がりたいと願う事さえ千切れてしまう寂しさを。」
「知らない。」
断言する様に、そう言った。
「生まれたころより負わされる宿命を、自分が何かをなしたわけでもないというのに背負わされる業が、お前にあるか?」
「ないよ。」
否定する様に、そう言った。
それに、ウィルは頷いた。
「そうだ、立香、お前には分からない。でも、それできっといいんだ。だって、お前は、神様の元から駆け出した人間だ。お前の否定は正しい、俺の肯定は間違っている。今を生きるお前にとって、エレシュキガル様の友人であるお前には、それが正しい。それでも。」
人から逸脱した、永い巡礼の果てに神に安らぎを見出した人でなしは、自由な人間を見た。
神様の元から飛びだした、自由を背負った人間は、それでも背筋を伸ばした。
「俺の腹はようやく決まった。ウルクの民に生きてほしいと思う、お前を友人のように思う。それでも、俺を救ってくれたのはエレシュキガル様だ。その恩を返したいと思う。そうして、その優しさに報いたいと思う。だからこそ、最後まで、俺は彼の神と共に在る!」
言葉と同時に、大鎌は炎を纏う。ぐるりと手遊びのように回したそれは、立香たちに向けられた。
「ただ、自由に生きることの叶った生者が、その孤独を、苦しみを、憎しみを、軽々と否定していいわけがない。いずれ死にゆくものよ!生きたいと願うならば、神にたてつくというならば、金星の女神に抗った如く、抵抗を見せるがいい!」
銀髪の髪が、紅い瞳が、大鎌に纏われた炎に照らされて、赤く光る。
「エレシュキガル様、援護します!」
構えたそれにエレシュキガルは泣き笑いのような表情を浮かべて頷いた。
己のあり方、己の寂しさ。
そうだ、きっと、それは、ギルガメッシュの言うとおりなのだ。
神の矜恃、今まで積み上げたのもの。それを否定して良いのだろうか。
けれど、それでも、言葉にすることは、そう思うことぐらいは、それだけは。
赤く燃える銀の髪。燃やし尽くす、その赤を見た。
(私だけの、下僕。)
それだけで、エレシュキガルはよかったのだ。
「エレシュキガル様、もう、よいではないですか?」
「ウィル?」
戦いに敗北したエレシュキガルは潔く、己の首を切れと言った。それに、ウィルはぼろぼろになりながら、エレシュキガルに縋りついた。
立香たちは声のする方、後方に吹っ飛ばされていたウィルを見た。
ウィルは大鎌を杖のようにして歩き、そうしてエレシュキガルの横に立った。
そうして、彼女をじっと見た。
「ウィル、黙りなさい。」
「エレシュキガル様、神が言葉を違うものではないと、そう言われていたではないですか。」
「私のどこに嘘があるというの!?」
エレシュキガルは激昂したようにウィルを睨んだ。彼はそれに、微笑んだ。
「だって、エレシュキガル様は人が好きではありませんか?」
「!」
エレシュキガルは目を見開いて、何故、それを言うのかと目を見開いた。
それに立香たちはやっぱりと言葉を挙げた。
「ウィル、お前!」
「エレシュキガル様、俺は、立香とあなたの間で散々悩みました。俺はあなたのことが一等に大好きです、愛しています。だって、あなたは俺の女神だから。でも、それでも、立香のことも好きです。こいつは、諦めることなく足掻いたから。生きることを放棄しない奴はやっぱり好きです。」
「・・・それがいったい何の関係があるの?」
「エレシュキガル様が、優しい方だと、友達に分かってほしいのです。」
「私は優しくなんてない!私は地上の人間なんてどうだっていい!ここに落ちた者だけが、私のもの!それ以外、どうだっていいの!」
「エレシュキガル様。それでも、あなたは立香のことを思って、笑っておられたじゃないですか?」
エレシュキガルはそれに、うっと呻き声をあげる。そうして、ウィルはいつの間にか懐に忍ばせていたらしい、小さな板を彼女に差し出した。
それを彼女はおずおずと受け取った。そうして、それを開くと、そこには小さな花の押し花があった。
「新作です!上で時間があった時、ちょっと作ってみたのです。」
「これ・・・・」
「俺、どれぐらいここから離れてたのかは分からなかったんですけど。それでも、まあ、下僕からのご機嫌伺いですが。」
エレシュキガルは、久方ぶりの贈り物に、彼がせっせと送り続けてくれた微かな貢物に、笑った、微笑んだ。
自分の為だけの、それに、彼女は微笑んだ。
「エレシュキガル様、あなたは、笑っています。ええ、ええ、エレシュキガル様。あなたはそれでも、俺が持ちかえる地上の話に微笑んでくれていたではありませんか。」
「それは、だって、お前があんまりにも楽しそうだったから。」
「はい、でも、エレシュキガル様も楽しかったでしょう。立香。」
立香はそれに、ウィルの方を見た。
(・・・笑ってる。)
ウィルは、いつだって思い悩む様な顔をしていた。けれど、今はなんだかとても、とても、すっきりしたような顔をしていた。
「俺は、やっぱり、お前が言ったことを赦せないや。だって、知りもしない奴がそれを言うのは反則だって。でも、それでも、エレシュキガル様の誇りを守ろうとしてくれて、ありがとう。」
「ウィルだって、エレシュキガルのことを守ろうとしたんじゃないの?」
ウィルはそれに微笑んだ。
「正直言えば、お前がそっちを選んでくれてよかったよ。だから、俺は、エレシュキガル様の心を無視しなくてよかった。」
「もしかして、賭けでもしてたの?」
「ああ!でも、お前なら大丈夫だと思ったんだ。ケツァル・コアトルに勝ったお前なら。なあ、立香、言いたいことがあるんじゃないの?」
それに、立香は微笑んだ。
「俺と、一緒に戦ってほしい。」
「・・・・すごい破壊力ね。」
「でも、魅力的です。」
ウィルの言葉に、エレシュキガル様は渋々と言った体で頷いた。
「炎よ、苦しみ、獣より、人を守れ、守護の炎。」
「・・・・魔力は尽きないの?」
立香たちが去った後、ウィルは早々と冥界の仕事に戻った。何よりも、諸々のせいで死者の数が酷いことになっているのだ。
ウィルは仕事の合間に冥界から炎を持って人々の守護を進めていた。エレシュキガルの言葉にウィルは何とも言えない顔をしていた。
「・・不愉快でしょうか?」
「いいえ、お前がそうしたいというならばそれで構わないわ。大体、これ以上死者が増えたら大変よ!」
絶叫のようにエレシュキガルが言った。ウィルはそれに思わず苦笑する。だって、彼の前には確かに魂が列をなしているのだ。そう言いたくなることはわかる。
「魔力については大丈夫です。俺が数千年溜め続けた分がありますから。」
「あの怖いおじいさんの言葉、気になるの?」
ウィルはそれに頷いた。
エレシュキガルが立香の言葉に頷いた後、彼女を一人の老人が切り捨てた。彼は、最後にウィルに向けて言葉を言った。
「哀れな迷い子よ。忘れてはならん。偽りをなしたものの業を、そうして、その贖罪を。巡礼の旅の終わりは近い。これが最後の機会なのだ。覚悟を決めなさい。己のために死を遠ざけたことへの代価が何かを。」
「・・・気にはなります。あの言葉が本当なら、俺は、何かを間違えばもしかすればここからでさえもまた跳ね除けられるのではないかと。」
エレシュキガルはそれに、ゆっくりとウィルの頭を撫でた。
「ウィル、私の可愛い下僕。忘れないで。」
ウィルは赤い瞳を、同じような赤い瞳で見返した。
「私はね、本当は、お前は私のことなんて忘れて、またどこかをうろついているんじゃないかと思ったの。だって、お前は、そんなふうに過ごしたんでしょう?」
「そのようなこと!」
「ええ、お前は最後まで、私を求めてくれた、私だけと言ってくれた。」
お前の望みも、私は大事にしたいのよ。
ウィルはそれに頷いた。
「エレシュキガル様。俺は、これより死のうと思います。」
「何を言っているの?」
冥界にティアマトを落とした後、ビーストⅡへ姿を剥がしたのち、立香たちはマーリンたちと共にティアマトめがけて飛んで行った。
「エレシュキガル様は、これより消えられるのですよね?立香たちに力を貸してしまわれたのですから。」
「・・・・ええ、そうね。でも、後悔はしないわ。だって、私、あの人間の在り方が気に入ったのだもの。ここでティアマトを守らなければお前だってもしかすれば消えてしまうかもしれない。お前はこれより後の人間なのだから。」
エレシュキガルにとって、それは確かに救いだった。
たった一人で、孤独に、冥界での仕事をなし続けた。そんな時に、彼はぽんと現れて、そうしてエレシュキガルを疑似的にでも外に連れ出してくれた。
花を見せてくれた、空の色を教えてくれた、獣の話をしてくれた。
ウィルのいなくなった後、ただ、ひたすらに孤独だった。寂しくて、悲しくて、いつだって近いように感じていた外の世界は遠かった。
藤丸立香という存在のことは好きだ。だって、それは、確かに何の特別でもなかったけれど、それでもエレシュキガルと話をしてくれた。
ああ、そうだ。その人は、確かに特別だったのだ。
それは、死を受け入れた、それは死を求めてくれた。
エレシュキガルの優しさを、彼女を寂しい国を、認めてくれた。
今のエレシュキガルは、本来のエレシュキガルではない。ただ、少しだけ、人としての身が混ざって明るくなっている。
だから、最後まで冥界を、この身であろうとしてくれたのは所詮、その少年が帰ってくる場所を最後まで保ちたいと思ったからだ。彼が好いたままの存在で待っていたかったのだ。この冥界にある間だけは、たった一人の少年の存在証明ぐらいはできるだろうと。
けれど、それでも、彼はエレシュキガルの誇りでも、祈りでもなく、ただ、彼女の寂しかった、贄として徹底的に無視された永い時間を汲んでくれた。
ウィルだけが、確かに、エレシュキガルが初めて会えた、理解者だった。
例え、苦しみを理解できるのが、自分だけだとしても、それでも理解したいと願ってくれたのはそれだけだった。
たった一人である孤独と寂しさと、自分の知らない場所で背負わされた業を、彼だけが知っていた。
だから、エレシュキガルは決めたのだ。
例え、今あるエレシュキガルが消えてしまっても、それでも、あの人間が変わらないならば、そうして、自分の愛した下僕が生きていてくれるならば、忘れないでいてくれるなら、きっと、それは不幸ではないのだと思ったのだ。
藤丸立香を生かすことへの、今の自分が滅ぶことを受け入れられる理由だった。
それに、ウィルは微笑んだ。
「ええ、だから、俺もそろそろ死ぬ決意が着いたのです。」
「でも、お前、死ぬなんて。どうやって。」
「たった一つだけ、俺は、俺として消える方法があったんです。」
そう言って、ウィルはそっとカンテラをエレシュキガルに見せた。
「・・・・これは遠い未来、多くの人間が信じる炎なんです。神の託した、炎。これの薪は、魔力。そうして、魂も、薪になるのです。」
「まさか、お前。」
「はい、魔力はもう、ウルクの人間を守るために炎で燃やしてしまいましたし。そうして、冥界への門を開くために素寒貧です。助けられたのは、千数百人、元から考えれば微々たるものでしたが。数千年溜めても、結構バンバン使いましたし。でも、最後に、残ったものがあります。」
ウィルは、そっと己の胸を差した。
「お前、でも、魂を燃やせば。」
「はい、冥界に落ちることも無く、俺は消えるでしょう。でも、エレシュキガル様。俺は、きっと、このためにここにいるのだと思います。あの老人が言った、俺の罪の贖いはここでなすのだと。」
「駄目よ、そんな、そんなことをしたら、二度と会えなくなる!欠片だけどあった可能性だって無くなってしまうわ!」
「それでも、俺も、少しだけ思ってしまったのです。あの少年に生きてほしいと、ウルクの民たちが足掻いた末に、生を掴んでほしいと。そう。」
そう言って、ウィルはエレシュキガルを見た。悲しみに歪んだ顔に、彼はぐっと歯を噛みしめた。
「・・・・嘘です、ええ、ええ!嘘なのです!」
咆哮のように、彼は叫んだ。ウィルは涙を流して、叫んだ。
「エレシュキガル様、あなたのいない世界で、俺は、一人で生きていけない。怖い、一人で生きてはいけないのです!だから、エレシュキガル様、共に、お願いです。あなたの側で、最後を迎えさせてください。」
私の主、お願いです。孤独を恐れ、貴方のものでなくなることへの放棄を、どうか、お許しください。
泣きながら、そう請うたウィルに、エレシュキガルはそっと抱き寄せた。
「ええ、赦します。」
エレシュキガルは、自分の肩に感じる湿り気に微笑んだ。
(・・・分かったわ、ウィル。)
ウィルは、エレシュキガルの自由そのものだった。
彼は、エレシュキガルの眼で、手で、足で、そうして、どこにだって行ける風のような自由そのものだった。彼によって、エレシュキガルはようやく、外の世界に触れられた。
そうして、ウィルは最後まで、エレシュキガルの、ある意味でそうしなければならなかった業ではなく、その心を汲み続けてくれた。
いや、本音を言うならば、エレシュキガルは、その選択を嬉しくなった。
エレシュキガルは、ある人間の器があってこそなのだ。ならば、次にウィルが出会うエレシュキガルは、彼女自身ではない。
それならば、そうだというならば。
これでようやく、ウィルの全てはエレシュキガルのものだ。
(・・・・何よりも、お前は、私の心を大事にしてくれた。それならば。)
「ウィル、お前の心を、お前の恐怖を、私は赦すわ。ウィル、私の可愛い下僕。最後まで、お前の全て、私が持っていくわ。」
「はい、はい、ありがとう、ございます。」
掠れた声に、エレシュキガルは微笑んだ。
ウィルはゆっくりと、カンテラをその場に捧げた。
「・・・・永き、巡礼の旅を歩いた。」
言葉は、まるで最初からするすると知っていたように出てきた。
「永き旅のうちに、己が為にではなく、他のために願いを抱いた。赦しを願わず、祈りを抱かず、されども、この身を捧げる意味を得た。」
命の炎よ!生者に祝福を!
炎が渦巻き、そうして、それはまるで花火のように空に撃ちあがる。それは、確かに、奇跡の力、そのものだった。
ふらりと傾いだ体を、すでに消滅しかけていたエレシュキガルが支えた。けれど、もう、二人に力はなく花畑に倒れ込む。
「・・・・申し訳、ありません。もう、立ち上がる力も無く。」
「いいのよ、私も、もう、力が出ないから。」
ウィルの手を、エレシュキガルは掴んだ。そうして、その崩れ落ちた頭をそっと自分の太ももの上に乗せた。
「ああ、ご、ぶれいを。」
「いいのよ、女神の膝枕ぐらい、お前にならね。残念ながら、立香が最初だったけれど。でも、あれよね。あれはイシュタルの体だったし、お前が最初よ。」
ウィルは、もう、殆ど力の入らない体で、必死に言葉を続けた。
「えれ、しゅき、がるさま。てを、つないで、ください。」
「ええ、ええ、ずっと、繋いでていてあげるわ。お前は、私のものだもの。誰にだって渡さないわ。見て、ウィル。冥界に、花が咲いたわ。お前が見せたかったのは、こんな風景かしら?」
「ああ、すいません、みみも、ほとんどきこえないのです。でも、ああ、まだ、みえているのです。だから、わかります。はな、きれいでしょう?こんなふうじゃなくて、もっと、ちゃんと、いろんなはなを。」
ウィルの声が小さくなっていく。そうして、エレシュキガルも自分の終わりが近いことを覚った。
「・・・・ウィル、お前の全ては私が持っていくわ。お前は、私だけのものだもの。お前の全てを、私は覚えているわ。だから、ウィル、お前も私を覚えていなさい。例え、あの人間に会えなくても、それでも、お前を私が覚えていれば、お前が私を覚えていれば。それだけで、悪いことばかりじゃないもの。」
「もう、めも、みえなくて。かんかく、だけ。だから、えれしゅきがるさま、てを、つよく。」
エレシュキガルは、そっと微笑んだ。もう、彼女の体は光の粉になって砕け散っていく。そうして、ウィルの体もまた、黒い炭に変わっていく。
エレシュキガルはそっと、ウィルの額に口づけを施した。
「・・・・ああ、わたしの、いとしい、あるじ。よかった、さいごまで、ともに。」
「ええ、お休み、私の可愛い下僕。」
ウィルは、何となく、エレシュキガルの言いたいことが分かる気がした。だから、ああ、自分のなしたこと、最後の最期に、何もかもを投げ出したことが間違っていなかったのだと。
そうして、エレシュキガルは、最後に自分の下僕の記憶を抱えて、光の粉になり消えていく。そうして、炭になった少年の全ては、まるでその光を追いかけるように空の果てに飛んで行った。
花は、まるで何事もなかったように風にそよいでいた。
「・・・・・無粋なことをしたものだな。」
「ええっと、あの、人さまの領域で勝手な事はしたけど、でも、やっぱり、彼は確かに彼がなしたわけではない業を背負って、それでもあきらめなかったわけで。その。」
「・・・・・まあいいわ。無粋とはいえ、人がなしたあれの支払い続けたものだ。今回は赦すか。」
「うううう、旧約聖書の人以上に、なんというか、すごい。ブッタについて来てもらえば。でも、天使たちだったら怒り狂ってるから一人できて正解だったかな?」
「にしても、ラフムに成り果てた人間を人に戻すと。生き残った人間がだいぶ多くなっているではないか。」
「まあ、でも、都市機能はめためただし。移住は絶対だねえ。」
「ふん、だが、あやつらは諦めんだろうさ。だが、それでこそだ。良い国であった。」
「うん、とってもいい国だ。」
「・・・・それよりも、貴様、何故わざわざここに現界した?貴様の目的は、シュギンがなしたであろう?」
「ああ、それは。彼の燃えカスの回収と言うか。」
「甘すぎるだろう。貴様、普段の聖人の扱いよりもずっと甘いではないか。」
「まあね。でも、人類最後のマスターさんを守った炎がウィル君の数千年の放浪の果てになした魔力の代価だ。彼が、自分の知らない業によって歩き続けた道のりの代価に、女神さまとの再会ぐらいは赦されると思うんだ。」
そういって、長髪の男は、茨の冠を被った彼は、微笑んだ。
「奇跡が、もう一度ぐらい微笑んでもいいと思って。彼の業ぐらいは、報われたっていいと思うんだ。」
それに金色の髪の男は、去りゆく己の民たちを見て、ふんと息を吐いた。