メジロマックイーンだと思ってスカウトしたら、おばアサマの方でした。 作:風神・雷神
前夜・アサマがソファーで読んでいた最新話の描写
――土砂降りの雨が激しく雨戸を打ち叩き、不規則に爆ぜる雷光が、古い木造アパートの室内を白く浮かび上がらせる。
ついさっきまで部屋を頼りなく照らしていた裸電球は、この激しい雷雨のせいだろうか、ぷつりと光を失ってしまっていた。
ゆえに今は、古びた机の上に置かれた1本のろうそくの火だけが、うらぶれた土壁へと、不気味に蠢く二人の男女の影をうっすらと描き出している。
その、壁に映る二つの影は、距離を無くすようにして所々で重なり合い、深く繋がっていた。
「私は……トレーナーさんになら……好きにして、いいんですよ」
淑やかな声とともに、彼女がそっと、男の背中へと白く細い手を回す。
お風呂から上がったばかりの、優雅に広がった栗毛の髪は濡れて淡く妖しく輝き、身体の芯に残る熱のせいだろうか、彼女の白い頬はほんのりと、熱を帯びたように赤く染まっていた。
潤んだ双眸でじっとこちらを見つめてくる彼女の熱視線。それが倫理的にいけないことだと理性では分かっているはずなのに、男は己の内に湧き上がる欲望に抗えず、このまま彼女をすべて奪い去ってしまいたいという強烈な衝動に駆られていく。
頭では、引き返さなければならないと分かっているはずなのに。
その蕩けるような言葉に応えるようにして、男の身体はゆっくりと、彼女の甘い香りの元へと沈み込んでゆく。
そして、壁に照らされていた二つの影は、互いの境界線を完全に失って曖昧となり、やがて――一つの、大きな歪な影へと溶け合っていった――。
◇
【翌朝・トレセン学園内 教室】
「ねえねえ! 昨日の夜に投稿された、どぼ先生の最新話見た!? 尋常じゃなくヤバくなかった!?」
「うん、見た見た! タイムラインがその話題で持ち切りたよね! この後、あのお二人一体どうなっちゃうのさ!?」
朝のホームルーム前。トレセン学園のとある教室では、スマホを囲んだモブウマ娘たちが、少し興奮気味にそんなオタク女子トークに熱い花を咲かせていた。
「もうさ、このシチュエーションなら、いくところまでいっちゃうしかなくない!? 大雨の夜に密室に閉じ込められた若い男女、薄暗いろうそくの火、おまけにヒロイン本人も完全に受け入れ体制なんだよ!? もうこんなの、一線を越えるの確定演出でしょ!」
「だよね! 回避ルートなんてどこにも存在しないでしょ、こんなの。逆に、これで何事も起きずに朝を迎えました、なんて生殺し展開だったらどうやってファンを納得させるってのさ!」
「でもでもー、私的には、あの二人の『くっつきそうでくっつかない絶妙なもどかしいイチャイチャ』をもうちょっと長く堪能したかった気もするかも」
「いや、次は絶対に、一コマ目から『朝チュン(事後)』の描写から始まるって、もうアタシの中で決まってるから!」
「だよねぇ……。あ、てかさ、ちょっと話変わるんだけど……」
「なに急に? どうしたの?」
「……あれ、見てよ」
急に声を潜めたモブウマ娘の視線を追って、周囲の生徒たちも教室の窓際へと目を向けた。そこには、このクラスの、否、学園全体の有名人と言ってもいい名門の令嬢が座っていた。
「あれって……メジロドーベルさん?」
「うん。ドーベルさん、一体どうしちゃったんだろ。今日の朝、教室に来てからずっと、あんな感じで机に突っ伏したままピクリとも動かないんだけど……大丈夫かな? どこか体調でも悪いの?」
「うーん、どうだろう。本当に体調が悪かったらとっくに保健室に行くと思うし……多分だけど、全く別の『深刻な理由』なんじゃない?」
「別の理由って?」
不思議に思って耳を近づけた友人に、モブウマ娘はこれみよがしに耳打ちする。
「多分、アレだよ、名門特有のやつ。ドーベルさん、メジロ家の人でしょ? だから、次のシニア級のレースに向けて、名門の看板を背負って『敗北は一切許されない』的な、一般の私たちには想像もつかない異次元の猛特訓を課されてるんだよ、きっと」
そう、メジロ家という日本最高峰の生まれであるゆえに、ドーベルは日々、己の限界を超える凄まじい修羅の練習を熟しているに違いないと、モブたちは勝手に納得した。
「……そっか。名門のウマ娘って、本当に大変なんだね……」
「そうだね。精神的にも相当疲れてるだろうし、今はそっとしておいてあげよう」
クラスメイトたちから、そんな勘違いに満ちた深い尊敬と畏怖の眼差しで見守られている中。
当のメジロドーベルは、机に顔を埋めたまま、魂が消し飛びそうなほどの脳内大パニックで、ただひたすらに、悩みに悩みに悩み抜いていた。
(……どうしましょう……っっっ!!!)
(……いくら、いくら私の脳内でネームを考えても、次の話……絶対にエッチな展開にしかならないーーーっっっ!!!)
◇
【同日・放課後】
一日の授業が終わり、今日の自主トレーニングもたまたま休みのため、真っ直ぐに昇降口の靴箱へと向かう道中。メジロドーベルは、未だに自身の脳内を支配する漫画の展開について頭を抱えていた。
(や、やっぱりこのまま、一線を超えちゃう感じにするべきなの……? でも、本当にそれでいいの!? 私的には、もう少しこのまま、手を繋ぐだけでドキドキしちゃうような、くっつきそうでくっつかないじれったい距離感の純愛を描きたかったのに……っ! でも、この先の具体的なリアル展開は、アレには書いていなかったし……。作品を読んでくれているネットの人たちの意見では、『もっと濃厚なイチャイチャが見たい』って層が圧倒的多数だけど、過激派の人たちは『いいからとにかく早く抱け』とか、そんな不潔なことを言っているし……っ! 私だって、毎日の更新を楽しみにしてくれているファンたちのために、誰もが納得する最高のハッピーエンドに仕上げたいけれど……。逆に、あそこまでお風呂上がりの浴衣姿とはだけた素肌を描写しておいて、『結局何もありませんでした』で誤魔化すのは、作家として不誠実じゃないかしら……!? でも、一線を越えるシーンにするにしても、そもそも私、そんな……そんな破廉恥でエッチな絡みの描写なんて、一度だって描いたこともなければ知識もないのに、もうどうすればいいのよ、バカーーーっ!!!)
「はぁ……っ」
あまりにもキャパシティを超えた同人作家としての葛藤から、ドーベルの口から自然と、深すぎる溜息が溢れ出た。
「本当に、どうしよう……。これじゃ今日の作業が進まないわ……」
自分のローファーを取り出そうと、割り当てられた靴箱の扉を開けた、その瞬間。
カサリ、と、一通の小さなメモ用紙のような白い紙切れが、ひらりと床へと落ちた。
「え?」
見慣れない正方形のメモ用紙を不思議に思いながら拾い上げる。そこに、殴り書きのような文字で何かが書かれていることに気づいたドーベルは、それを軽い気持ちで読んだ直後、己の好奇心を烈しく後悔することになった。
「――っ、何、これ……っっ!?!?」
そこには、彼女の心臓を物理的に停止させかねない、最悪の脅迫文が記載されていたのだ。
【『今日の放課後、校舎3階の奥にある空き教室に一人で来い。もし来なかったり、このことを誰か一人にでも話したら、キミのすべてを世間に暴露して後悔させることになる。――どぼめじろう先生へ』】
その瞬間、ドーベルの背筋に、氷水を一気に浴びせられたかのような凄まじい戦慄が駆け抜けた。彼女はその場に唖然として立ち尽くす。
書かれていた内容は、言い逃れのしようもない、自分個人に対する明確な『脅迫』であった。
ハァ、ハァ、と乱れる呼吸を必死に整え、どうにかパニックになる頭を落ち着かせる。ドーベルは手の中の紙切れをギリ…と音を立てて握り潰すと、名門としての怒りと恐怖を瞳に宿し、指定された3階の空き教室へと、大急ぎで足を向けるのだった。
◇
ガラリ、と静まり返った空き教室の重い扉を開けると、そこには、夕日が差し込む教卓の脇に、一人の若い男が静かに立っていた。
男は、扉が開いた音に反応して、ゆっくりと視線をドーベルへと向けた。
「よく来てくれたね、メジロドーベル……。いや、今は敬意と親愛を込めて――【どぼめじろう先生】と呼んだ方がいいのかな?」
聞き覚えのない、しかし酷く落ち着いた男の声。だが、ドーベルは目の前に立つその男の顔を、ハッキリと記憶していた。
それもそのはず、つい最近、同じメジロ家であるマックイーンと学園の廊下で話をした際、彼女が嬉しそうに『私、新しく素晴らしいサブトレーナーを雇いましたの!』と言って、スマホの集合写真を見せびらかしてきた、まさにその写真の中心に写っていた男だったからだ。
マックイーンとのあの時の会話が、最悪の形で頭の中にフラッシュバックし、ドーベルは目の前の男の正体を瞬時に理解した。
「……貴方は確か、最近新しく学園に入り込んできた、マックイーンのチームの……サブトレーナーさんね」
ドーベルは、靴箱に不届きな脅迫状を叩き込んできた張本人である男を目の前にして、激しい怒りと警戒心をむき出しにした。彼女はギロリと男を睨みつけ、握り潰してクシャクシャになったあのメモ用紙を、男の鼻先へと突きつける。
「これは、貴方が書いたもので間違いないかしら!?」
「そうだ。君を誰の目にも触れずにここに呼び出すために、俺が用意した。正直、警戒されて無視されるかと思ったが、ちゃんと一人で来てくれて安心したよ」
青島は、謝罪する様子も悪びれる素振りすらも見せず、淡々とそれが自分の仕業であることを認めた。
そんな不遜な態度を前に、ドーベルの胸の奥では、男性への嫌悪感と怒りがマグマのようにグツグツと煮えたぎり、鋭い言葉となって弾け飛んだ。
「こ、こんな脅す気満々の書置きを靴箱に入れられて、無視して帰れるわけないでしょ、この不届き者が!!」
冷静を装おうとしても、怒りのあまり地声のトーンが激しく強くなってしまう。
「ここに書いてある『どぼめじろう』っていうのは、一体どういう意味なのよ! 説明しなさい!」
「別に、わざわざ俺が口にしなくても、頭のいいキミになら全て察しがついているはずだろ? ――どぼめじろう先生」
「っ――、……っ!?」
手紙の文字ではなく、男の口から直接放たれたその『同人作家としてのペンネーム』を鼓膜に捉えた瞬間、ドーベルの鼓動はドクンと激しく跳ね上がった。本人の意志とは無関係に、自慢のウマ耳と尻尾が、驚愕でピキィンと真上に向かって直立してしまう。
ドーベルの脳内は、未だかつてない速度で思考を巡らせ始めた。
(な、なんで……なんでこの男が、私の、誰にも教えていない秘密のアカウント名(ペンネーム)を知っているのよ!? そもそも、一体いつの間にバレていたっていうの!? 特定されるようなヘマは絶対にしていなかったはずだし、即売会の時のコスプレの変装だって完璧だったはずよ! あの会場にいた誰も、私のことを『メジロ家の大令嬢・メジロドーベル』だなんて、気づいていなかったはずなのに……っ!)
恐怖の仮説が、彼女の脳裏を容赦なく埋め尽くしていく。
(ど、どうして私が『どぼめじろう』だって知られてるの……? それに、手紙の『来なかったら後悔することになる』って、まさか……まさかこの男、私が裏でそんな破廉恥なラブコメ同人漫画をネットに垂れ流しているって、世間に一斉に暴露する気なんじゃ……!? だめ!! そんなの、絶対にダメよ!!!)
そこまで思い詰めたドーベルは、生存本能のままに、まずは自身が『どぼめじろう』であることを徹底的にシカトし、この場を強引に切り抜けようと決意した。
「……フン! 『どぼめじろう』ですって? 一体何のことだか、私にはさっぱり分かりません! 根拠のない不躾な言いがかりは、今すぐやめて下さい!」
「なるほど、そうやってトボけて認めないか。……はぁ、あまりこういう強硬手段は使いたくはなかったんだけどな。悪く思わないでくれよ、ドーベル」
青島は困ったようにため息をつくと、上着のポケットから静かにスマホを取り出し、その画面をドーベルの目の前へと提示した。
そこに映し出されていたのは、現代のウマッターの、とある一般ユーザーの投稿画面。そこには【※拡散希望! 今日の即売会で、メジロドーベルさんに信じられないほど顔がそっくりな、めちゃくちゃ美人のウマ娘さんがサークル参加してたんだけど!!】という書き込みと共に、大容量のスーツケースを引きながら、イベント終了後に満足そうな笑みを浮かべて歩いている、変装を解き忘れたドーベル自身のバッチリ高画質な隠し撮り写真が写されていた。
「そ、それって……私……っ!?」
「即売会会場での君の変装は完璧だったよ。ただ、会場から一歩出た後の、行きと帰りのルートでの警戒を怠ったのが敗因だな。現代のファンを甘く見ちゃいけない。これ、君の裏アカウントのフォロワーの間でも、かなり噂になって特定が始まってたんだよ」
「……っ! だったら何よ! わ、私が『どぼめじろう』だったら、一体何がダメだと言うのよ!」
逃げ道を完全に塞がれたドーベルは、涙目で開き直るように叫んだ。
「別に、君が裏でどんな漫画を描いていようが、俺がダメだなんて言う筋合いはないさ。……ただ、問題はさ」
青島は一歩、ドーベルの方へと歩みを進める。
「君がこの漫画で描いている『実録の元ネタ』を知っている人物が、もしこのアカウントを見つけて、君のことをどう思うか……だな。例えば、君のすぐ身近にいる、他のメジロ家の人たちとかね」
「そ、それは……っ!!」
絶望。
ドーベルは、内心で激しい恐怖に震え上がった。
マックイーンやライアン、ラモーヌ姉様といった、他のメジロ家のウマ娘たちに、裏で自分がこんなオタク行為をキメていることがバレるのだけは、天地がひっくり返っても絶対に避けたい。
だが、それ以上に、ドーベルには決定的に恐れている「破滅のシナリオ」があった。
(もし……もしこの漫画のせいで、あの『おばあ様』の耳に私の同人活動のことが入ってしまったら……不謹慎極まりない破廉恥な行為として、メジロ家から永久に勘当されてしまうかもしれない……っ!)
みるみるうちに表情を歪ませ、絶望に震え始めるドーベルを見て、青島はこれこそが唯一のチャンスだと確信し、一気に交渉を畳み掛けた。
「メジロ家のウマ娘たちもそうだが……特に、君が何よりも大切にしている、君の可愛い弟や妹たちは、お姉ちゃんが裏でこんな濃厚な恋愛漫画を世界に晒していると知ったら、一体どんな顔をするんだろうな?」
その言葉は、ドーベルにとっての「絶対の逆鱗」だった。彼女の顔から、一瞬にして一切の血の気が引いていく。
「――っ、家族は、あの子たちは、私の同人活動には何の関係もないでしょ、この悪魔!!」
「関係ないと言い切れるかい? 君は現に、名門の素性を必死に隠して作品を描いている。それ自体、君自身もどこかで後ろめたい、バレたらまずい、あの子たちの『理想のお姉ちゃん』でいられなくなるって、心の底で恐怖していたからだろ?」
青島は、完全に戦意を喪失して俯き、静かになったドーベルの背後へとゆっくり回り込んだ。そして、安心させるように、彼女の高貴な両肩へと優しく手を置いた。
「だが、安心してくれ。俺は、君の敵になるつもりは毛頭ないんだ。この秘密を使って君を学園から追放しようだなんて、これっぽっちも考えていない。……俺がこれから聞くいくつかの質問に対し、嘘偽りなく正直に答えてくれさえすれば、君が『どぼめじろう』であるというその秘密は、永遠に俺のこの胸の内だけに墓場まで閉まっておくことを約束しよう」
耳元で囁かれた、あまりにも都合の良すぎる悪魔の提案。
だが、今のドーベルの脳内には、青島のその「情報提供だけでいい」という交渉の言葉など、恐怖のあまりただの一片も入っていなかった。
その代わりに、彼女は静かに、しかし決死の覚悟で、自身の心の中で「最悪の勘違いの覚意」を固めてしまっていたのだ。
(……ああ、なるほど。やっぱり……やっぱり男なんて、みんな例外なく、こういう最低で卑劣なケダモノなんだわ……っ!)
「……分かったわよ。貴方の言う通り、何でも言うことを聞いてあげるから。……だからお願いだから、そのことだけは、あの子たちには絶対に黙っていて……っ。弟や妹たちに、私にこんな不潔な裏の顔があるって知られてしまったら、私はもう……生きていけない。だから、お願い……します……っ」
つい数分前まで、名門の令嬢として敵意を剥き出しにしていたはずの彼女はどこへやら。自慢のウマ耳や尻尾はペタリと哀れに垂れ下がり、今は声を細々と震わせ、弱々しく縋るだけの、見る影もないほど哀れなウマ娘へと変貌していた。
だが、青島はその彼女の「何でも言うことを聞く」というセリフを聞いて、交渉が大成功したのだと非常に満足していた。
(よし! これで、アサマの1周目の記憶がどこからリークしているのか、作品のネタ元について完璧に聞き出せそうだぞ。少し強引で行き過ぎたやり方だったかもしれないが、話を聞いて問題がなさそうなら、これ以上の脅迫は止めて、今後一切彼女の同人活動には関わらなければいい。これで彼女も平穏を取り戻して、めでたしめでたしだ。完全に俺の勝ちだな)
「そうか! 話が早くて本当に助かるよ、ドーベル。では、さっそく一番に聞きたいんだが、君がその作品で描いているエピソードは、一体誰から聞いたり――って、え? えええっ!?!?(宇宙猫顔)」
次の瞬間、青島の脳内は、目の前で発生した「人類の歴史上最もあり得ない超展開」を前に、完全にフリーズして停止した。
なんと――突然、涙目になったドーベルが、自身の制服のシャツのボタンを、震える指先でパチパチと上から順に外し、その豊かな胸元を大きくはだけさせて脱ぎ始めたのである。
そう、正真正銘、彼女は今、男の前で服を脱ぎ捨てようとしていたのだ。
「お、お前、一体何をして――っ、やめろ! ボタンを留めろ!」
「何って……、ど、どうせ、こんな人気のない放課後の空き教室に女の子を一人で呼び出したのも……私の弱みに付け込んで、私に、あ、あの即売会で売られていた成人向け同人誌のような……エ、エッチで破廉恥な行為を強要する気なんでしょ!? さ、最初から、話なんか建前で、私の身体を弄ぶのが目的だったんでしょ!? この……最低最悪な変態トレーナー!!!」
そう、メジロドーベルは、極度の男性不信と、直前に考えていた同人誌の「エチエチな展開」への悩みが最悪の精度でシンクロした結果、青島の要求を【肉体の提供(奴隷契約)】だと、1兆パーセント大勘違いしていたのだ。
「ち、違う! 違うんだドーベル! 俺は本当にただの『漫画のネタ元に関する情報』がしたいだけで、指一本触れる気なんて最初から――っ!」
「いや! 来ないで、近づかないで! ……この、名門を汚すケダモノめっっ!!」
パニックで服をはだけさせながら涙を流すドーベルを止めるため、青島が慌てて一歩踏み出すと、ドーベルは自身の身体を両腕でガードしながら、さらに悲鳴を上げて一歩後ろへと飛び退く。
「おい、お願いだからそんな勘違いで大声を出すのはやめてくれ! 万が一にも、外で見張りを頼んでる『アイツ』に、この最悪な光景を見られでもしたら、俺の命が――」
「――……見られ、たら、何ですの? 青島さん?」
ピキィィィィィィィィン!!!!!!!
その瞬間、世界からすべての温度が消滅した。
背後から響いた、地獄の最下層から這い上がってきたかのような、毎日のように自宅のリビングで耳にしている、誰よりも聞き馴染んだその「主人の声音」。
青島が、錆びついた人形のように、ギギギ……と恐怖で全身の骨を鳴らしながらゆっくりと後ろを振り返ると――。
そこには、自慢のウマ耳を限界まで後ろへと水平に伏せ、長い尻尾を不快そうにビチビチと床に打ち付けながら、この世のすべての不届き者を抹殺せんとする『満面の笑み(目の奥のハイライトは完全消失)』を浮かべた、我が最愛の担当ウマ娘・メジロアサマが静かに立ち塞がっていた。
アサマの視界に映るのは、胸元を大きく着崩して涙を流す、自分の可愛い可愛い孫娘(ドーベル)。そして、その前に立ち塞がる、自分の愛する大切な男(青島)。
アサマの脳内では、最悪の精度で【私の大切な男が、私の可愛い孫娘を空き教室に連れ込んで、名門の弱みに付け込んで破廉恥なセクハラを働いている】という、弁明の余地が1ミリもない絶対の有罪判決(大誤解)が下されていた。
「……そ、そこにある微笑ましい状況について、何か高度な言い訳があるのならば、一応、一言だけは聞いて差し上げますわよ? ――我がトレーナーさん?」
アサマの背後から、ビルを丸ごと灰にするほどのドス黒い大炎上の覇気が立ち上る。
「……あ。いや、アサマ、これには深いわけが、っていうか、完全に誤解で……」
「――歯を食いしばりなさい、この不潔な大馬鹿者が」
有無を言わせぬメジロの始祖としての絶対の宣告。
この一言で、青島は今から自分の身に起こるであろう「物理的な死」を容易に察知した。こうなってしまっては、どんなに科学的な正論を言おうが、何をどう叫ぼうが、怒り狂う昭和の怪物には一切届かないのだと彼は潔く悟った。
青島は、静かに両目を閉じると、最後に残された僅かな猶予の中で、ただ一言だけ、世界の理不尽に向けて哀れな声を絞り出した。
「……これ、客観的に考えて、本当に俺が悪いか?」
パンッ!!!!!!!!!!!
その日の放課後、中央トレセン学園の3階校舎から、謎の乾いた凄まじい破裂音と、地獄の底から響くような哀れな男の悲鳴が響き渡ったという。