難産でした。
体育の授業が終わった後……直ぐさま何処かに用があると言った藤原さんが次の授業まで戻って来ることは、無かった。
結局藤原さんは休み時間が終わり、教師の号令が掛かる寸前に教室へ飛び込んで来た。
勢いよく扉を開いた彼女はまだ着替えておらず、体操服のまま。汗で髪は湿っているし、目元も赤い。何だか艶っぽくて、普段の姿よりも数段大人びて見えた。
それは私の気のせいでは無く。クラスの皆どころか、教師ですらポカンと惚けていた。
「セーフ!!これはまだセーフですよね!?」
「藤原千花さん。まだ遅刻ではないので早く席について下さい。授業を始めますよ」
教師が着席を促すとスキップしながら席へと座る。その様子を見て私は僅かな違和感を覚えた。
何だろうか、少し……変だ。いつもならここでもう一言二言何かしら素っ頓狂な事を口走るのがいつもの藤原さんだと言うのに、さっきの様子は大分……しおらしい。
しかし、それ以降彼女の様子に違和感を覚える事はなく。もしかしたら私の勘違いだったのかもと、意識の外にやった。
──
授業が始まってからも私は、午前の白銀さんの活躍が頭の中で何度もリピートされていた。
何故私はあの時に録画をしなかったのか。彼が試合に出ると分かっていたなら、早坂に4K?とか言うやつで動画を撮らせていたと言うのに。
確かに私は目で見たものを瞬間的且つ完全に記憶できるし、いつでもまるでその場にいるかの様に思い出す事ができるから……早坂は動画を撮る必要は無いと言うかも知れないけれど。
だがこれは……疲れるし、あまりやりたく無いのだ。唯でさえ、ここ最近変なのが頭に湧いてるせいで脳内領域の何割かを占有しているのだ。
写真や動画があれば、それをトリガーとして当時の光景を思い出す際の負荷を減らせる。これから何度も思い返したいのだから、その際に掛かる疲労は少ない方が良かった。……もう終わってしまったのだから仕方ないけれど。
授業に割く集中力よりも彼のプレーのそれの方が大きくなり始め、教師の声が聞こえ無くなる。
代わりに聞こえて来るのは、ボールが弾む音と黄色い歓声。目の前に見えるのは黒板では無くて、十人が駆け回るコート。開いた窓から流れ込む風が運ぶのは、散り始めた春の薫りでは無く、汗と金属、そして木の匂い。
私は体育館で何度も何度も。彼の活躍を眺める。
そしてその度に思う。以前より、強く。
(……あゝ、可笑しくなっちゃいそう。こんなにこんなに好きなのに。どうして貴方とお話出来ないの?)
彼の声が聞きたい。何をして、何を考えているのかを知りたい。
今何してる?お家では何をしてる?好きな食べ物は?趣味は何?バスケは得意なの?藤原さんとはいつから知り合い?
色々聞きたいことは有るけれど、兎も角は連絡先を聞かなければ始まらない。
藤原さんが言うには、休み時間に押しかけるのは良く無いそうで。だから、放課後に、こっそり。
(それくらいは……良いですよね?)
「かぐやさ〜ん?お昼食べましょうよ〜」
突然ガクガクと視界がブレて酔いそうになる。慌てて思考の底から意識を戻すと、藤原さんの声が聞こえた。
「あ、あら……。もう授業は終わっていたのね」
すっかり忘れていた。授業の内容を半分程聞き逃してしまった様だ。ノートも取れていないし、後で藤原さんに見せてもらはなくては。
(あら?ノートが書かれている……?)
全くもう、私ももう一回観たかったのに、我慢して授業を受けてあげたのだから感謝して欲しいわ。
……それは、申し訳なかったわね。
藤原さんとの昼食の為に中庭へ移動しながら、脳内でコレと会話を続ける。
それにしてもあゝ……かっこよかったわ……。
……そうね。
それに私に手を振ってくれたわ!これってやっぱり両想いなのよ!
……ちょっと手を振られた位で舞い上がってどうするのよ。はしたないわね。
「そういやかぐやさん!この前の雑誌!他の号も持ってきてくれました!?」
ベンチに座り弁当を摘んでいた私に、藤原さんは身を乗り出して言った。
「えぇ勿論持って来たわ!!あゝ、早く読みたくてね?少し先に見ちゃおうかと思ったのよ!!」
あ、ちょっと貴女また勝手に……!!
「そんなぁ!?一緒に読もうって言ってたじゃないですかぁ!!」
「コホン、冗談よ」
あーっ!狡いわ!私だって藤原さんとお話ししたいのにぃ!
貴女はさっきの白銀さんの試合でも観てなさい。
うん!みるぅ!
……コレの操縦方法が見えて来た気がする。コレは子供みたいなモノ。適宜興味を惹く餌を与えておけばそれで暫くは大人しくしている筈だ。
「それでね、藤原さん。私がその……す、好きな人が誰か。貴女は解ったと思うのだけれど……」
「はい。それはもう、勿論!」
それを聞いて耳が熱を持つ感覚を覚え、しかし勇気を出して切り出す。
「それでね?ほら、貴女が連絡先を交換する案を出してくれたじゃない?私……その、恥ずかしくて、上手く訊ける自信がないのよ。だから……」
「えへへぇ〜照れてるかぐやさん可愛いぃ!」
そう言うと藤原さんは私に抱きついて来た。彼女の無駄にデカく育った二つの脂肪の塊が、顔に押しつけられて息苦しくなる。
何を食べればこんなに贅肉が着くのか。こんなただの重りの何が男を惹きつけるのだろう。
……世界の不公平を嘆いても仕方がないか。
「く、苦しいわ……」
「あっ、ごめんなさい!!」
彼女が驚きの声を上げながら仰け反ると、私の視界が開け、一瞬だけ眩しさに目を細めた。
「えっとそれでぇ。連絡先を聞く方法ですか……ふむふむ……ふむふむふむ………………え?普通に聞けばいいんじゃないですか?」
藤原さんはやれやれと首を振る。簡単に言ってくれているけれど、異性に連絡先を訊ねるのはもう半分告白みたいなモノ。少女漫画でも一大イベント扱いなのだ。そんなほいほい出来るわけが……。
「わたしがお手本を見せますね」
そう言うと藤原さんは立ち上がり、髪の毛を指で弄びながら口を開く。
顔は伏せられていて、目線が泳いでいる。その視線が時折こちらを窺うようにしていて……そして。
「あなたの連絡先……教えて欲しいなぁ。ダメ?」
今度は腕を後ろで組んで、ベンチに座る私の顔を覗き込んでくる。
上目遣いでこちらを見るその眼は潤んでいて、ほんの少し目線を下げれば……重力に従い揺れる凶器が圧倒的な存在感を放っていた。
「あ、あの……藤原さん……もう良いわよ。何だか恥ずかしいわ……」
「ほ〜ら?簡単でしょう?ドヤさぁ」
確かに藤原さんの長所で有る女性らしさを全面に押し出した彼女らしい攻め方だとは思う。
けれども……私にはこんなIQ三くらいの破廉恥な行動は……。
「かぐやさん。これこの雑誌に載ってるやつですよ?ほら、ここ。はぇ〜他にも色々あるんですねぇ」
私の持ってきた女性誌をパラパラと捲っている藤原さん。貴女いつの間に……。
「え〜と?異性に連絡先を聞く方法。ステップその一。相手の趣味の話題を出そう。男の人は自分の趣味に興味を持ってくれる女の子が好きです。この子ともっとお話ししたいと思ってしまうでしょう」
趣味……趣味の話。彼の趣味は何だろう。そう言えば私は彼の事、あまり知らないのだった。
「ステップその二。もし相手の趣味に興味がなくても、あるフリをしましょう。男の喜ぶ『さしすせそ』を意識するとなおよいです」
コレは早坂から教えてもらった。流石、知らなかった、凄い、センスが良い、そうなんだ。この五つの言葉を言うだけで男性はときめくのだとか。なんと単純なのだろう。
「ステップその三。もっと貴方のお話聞かせて欲しいとお願いしましょう。男性は自慢したがりですから、気分が良くなって連絡先を交換してくれる事間違いなし。ですって!」
──
「四宮とお話しするのは楽しいな!!」
「うふふ。白銀さんったら……。あら、大変。もう帰らなくてはいけないわね」
「何てこった!!そうだ四宮!!俺と連絡先を交換してくれ!!」
「あらあら……。白銀さんは私ともっとお話ししたいのね?仕方ないから連絡先を教えてあげます」
「おお!!神か!!いや!!女神か!!」
──
(これだわ!!)
成程……。中々に筋の通った理論だ。このテクニックを使えば自然と連絡先を手に入れられるのか。
「それよ、藤原さん。私、それなら出来そうな気がして来たわ」
「そうと決まれば早速放課後に聞いてみましょうよ!わたしはTG部に顔出さないといけないので付き添えないですが……ファイトですよ!かぐやさん!」
有難う藤原さん。これなら私、頑張れる。
──
放課後。現在私は駐輪場の端にて白銀さんを待っていた。
藤原さんと作成したToDoリストを確認する。
その一、彼の生徒会活動が終わるまで待つ。
早坂によると彼は日が暮れてから下校しているらしい。その時間帯まで待てば他の生徒達に目撃されるリスクは限りなく低くなる。
その二、校則違反にならない程度にお洒落をする。
自然でバレにくい山茶花色のリップクリーム。爪半月を隠す程度の淡い桜色のジェルネイル。それからお気に入りのロールオン香水は頸と手首に。ジャスミンの香調は私を等身大の乙女に魅せる。もうそろそろミドルノートに突入するだろう。
その三、手鏡で表情をチェック。
私にかかれば思い通りの表情を作り出す事なぞ簡単だ。鏡面に映し出されている私は藤原さんの様な向日葵の笑い、可愛くむくれ、そして小動物の如き悲しみを真似る。けれどそのどれもが不自然で、似合わない。
そして最後。
素直に、勇気を出す。私は脳内で声を掛ける。
ねぇ、起きているんでしょう?
……なに?
彼に何と声を掛ければいいのかしら。
単刀直入に「貴方を待っていました」とか?
そ、それは……あからさま過ぎよ……。
えぇ?でも他に言う事無いじゃないの。
そうだけれど……。
面倒ね……。出来ないのなら私が変わるわよ?
待って!待ちなさい!ちゃんと言いますから!!
そう?でも、躊躇う様ならすぐ変わるからね。
気を抜くと直ぐこれだ。自分の事ながら油断も隙もない。でも、これで退路は断たれた。もし私が躊躇すれば直ぐさまコレが出て来てしまうだろう。
まだ彼にコレを見せる訳には行かない。だってコレは彼に恋する私の側面。気持ちを隠すなんて殊勝な心掛けなぞ持ち合わせていないだろうし、直球ど真ん中でやらかしてしまうだろう。
脳内で一人コントを繰り広げた私が溜息を吐こうと肺が大気を吸引し始めたその時。私の優秀な耳が聴き覚えのある足音を捉えた。
(来た……)
あくまでも平常を装い、何処までも自然に。
徹底的に朗らかに、断固として愛想よく。
「ん?四宮……か?何でこんな所に」
「あら白銀さん。奇遇ですね」
然も今気が付きましたと言う顔を作る。
「……ここで会うのは奇遇では無いだろう」
流石にこれは露骨過ぎた様だ。彼は訝んでいる。今からでも軌道修正をしなくてはならない。
「バレてしまいましたか。そうですね、私、貴方にお話しがありまして」
「そうか。……それで?」
「そのですね……私と連……っ!?じゃなくて。コホン。そう、今日は体育で随分とご活躍されてたものですから」
ちょっと!貴女出てこないんじゃ無かったの!?
だって誤魔化そうとしたでしょ?
あれは言葉に詰まっただけで……
じゃあ早く本題に入ったら?
物事には順序が有るの。いきなりだなんてそんなの不自然じゃないの……
むぅ……。分かったわ……。
「あぁ……アレな。いや、チームメイトが良かったからな。俺だけの力じゃないよ」
「しかし実際の所、一番点を取っていたのは貴方じゃない。もっと誇っても良いのでは?」
白銀さんは授業時間の関係で十分間だけと言う短い時間で三点シュートが四本に二点が六本の計二十六点を獲得していた。
例えお遊びの試合だとしても、これは正に八面六臂の活躍だろう。謙遜するのは彼の謙虚さからか、若しくは嫌味なのか。
「あぁ……そうだな。確かに頑張ったよ」
自転車を押しながら歩く彼はゆったりと速度を落とし、歩調を合わせてくれる。
「そういえば……藤原さんが貴方と知り合いだと仰っていたわ。いつ知り合ったので?」
「ん?あーそれは……。偶々な、バスケの練習をしていたら声を掛けられて……まあそれで」
それ以上何も言わずに歩道側を歩く彼はその時のことを思い出しているのかはにかんでいる。
「そういや四宮。なんか今日は雰囲気が違うな」
「そ、そうでしょうか?別に……いつも通りですが」
気付いてくれたわ!嬉しい……。
コレが騒ぎ出したが、私はそれどころじゃ無い。確かに可愛いと思って欲しいなとは思っていたけれど……いざ気付かれると恥ずかしい。
どうしよう。色気ついててはしたないと思われたら嫌、だな。
「そうか?しかし……その爪。前までそんなのしてなかっただろ?それに、何というか……」
「な、何でしょう……?」
ほ、褒めてくれる……?
きゃー!早坂!ネイル教えてくれてありがと!
「何というか、うん。いいセンスだと思ってな」
唇と香水には気付いてくれなかった様だが、しかし褒めてくれた。頑張って一人で塗った甲斐があったと言うものだ。
「そう……。えぇ、これは私が自分でやってみたの。どうですか?良く出来ていると思うのですが」
「ああ、流石だな。俺にはそんな器用に出来ないだろう」
彼はハンドルを握る手を眺める。近頃は男性でも化粧等をすると早坂が言っていたし、彼も興味あるのだろうか。
「興味がお有りですか?私が教えましょうか?」
「あぁ、そうだな。興味はあるな。俺には中学生の妹が居るのだが……そろそろ妹もお洒落に興味が出る年頃だろうから。兄として少しは勉強しておきたい」
妹……そうだった。彼には中等部に通う妹が居ると早坂の報告にあった。
「中学生でしたら……そうですね。校則も厳しいでしょうから……先ずはスキンケアなどから始めるのが良いのではないでしょうか」
「ほお、そうなのか。俺はてっきり化粧とは、こう、色々塗ったり付けたりする物なのかと」
あゝ、まあ男性ならばその程度の認識になるのも仕方がないだろう。特に彼は父子家庭なのだから、母親が化粧をしている所も見た事が無いのだろうし。
「確かにそれもありますが、全てでは在りませんよ。化粧とは素肌の状態によって出来が変わるものなのです。ケアを怠ればノリが悪くなるだけでなく、後々シミなども出来てしまいます」
「ふむ……知らなかった」
「後は……そうですね。軽く色の付いたリップクリームも良いでしょう。唇が荒れるのは良くないですし、何よりお洒落をしていると言う実感が湧きます。これはお年頃の妹さん的にも満足出来るのではないかと」
「流石だな。勉強になるよ」
良かった。彼の役に立てた様だ……。
(さあ、じゃあ褒め言葉のさしすせそを……はれ?)
もうぜーんぶ彼が先に言ってくれたわよ?
あーっ!あーっ!分かってたなら言いなさいよ!
だって……褒められて嬉しかったから……。
そ、そりゃあ確かに私も気分良く話しが出来るなぁとは思っていましたが!!
まあ良い。いや、良くないが。兎に角、場は十二分に温まっただろう。ここは早く本題に入らなければ。
「そ、それで……宜しければなのですが……今後も何か妹さんの事で訊きたい事があったら相談に乗りますので……その……連絡先を……」
「ん?あー……あーっと…………その。すまん。俺はスマホを持ってないんだ」
彼は申し訳無さそうに項垂れる。
「いえ、私はメールをするつもりでしたのでガラケーでも構いませんよ?」
「……そうじゃないんだ。俺は……携帯を持っていないんだ」
携帯を……持っていない!?私でも持っていると言うのに!?今時そんな原始人が居ただなんて……。
もしかして彼は実は遠い過去からやって来た旅人だとでも?いやいやまさかそんな。
(あゝでも、彼の家の経済事情なら有り得るのか)
「それは……御免なさいね」
「いや……良いんだ。昔から驚かれ慣れてるからな。ああだが、流石に固定電話はあるぞ?」
それはそうだ。自宅に固定電話すらなければ本格的にタイムトラベラー説が濃厚になってしまう。
「しかしご自宅にお電話をするのはご迷惑かと……」
「そうだなぁ……俺も家に女子から電話が来たら流石に恥ずかしいから勘弁して欲しい所だな」
だがそうするとどうしようか。今回の作戦は全て彼が携帯を持っている前提で成り立っていた。それが破綻してしまった今……
「でしたらそうですね。私に良い考えが有ります」
「お、おお……。その考えとは……?」
携帯が無くても要は連絡が取れれば良いのだ。
「ふふ……。ひ・み・つ……ですよ?それじゃあ白銀さん。私はここで失礼しますね。明日……楽しみにしていてくださいな」
「えぇ……」
跳ねる様にスキップを刻む。アスファルトを叩きつける革靴から伝わる衝撃で胸が弾む。
さてさて、早坂を呼び出したらお買い物に行こう。必要な用具を揃えたら……後は帰ってから。
──
かしこ
──
「いやこんな所までお嬢様かよ……」
翌朝、下駄箱を開いた俺の目に飛び込んできた一枚の封蝋が施された羊皮紙の封筒。
もしかして昨日の体育の活躍を見た誰かからのラブレターなのではとウキウキして開いてみれば、何て言うことはない。四宮からの手紙だった。
中の紙も同じく羊皮紙の様で、昨日の四宮と同じ匂いがする。これは、香水で香りを付けたのか?
異常に達筆な彼女の字はインクで書かれている。恐らくは羽根ペンでも使ったのだろうか。四宮がこれを綴る姿を想像してみると、何とも様になっている。
そして俺がラブレターだと勘違いする所までしっかりと予測されていて、何だか負けた気がする。
(コレに返事するのめっちゃ気後れするんだが!?)
後で藤原に正しい手紙の書き方を教えて貰うべきか?
──
何故私は手紙の内容まで書こうとしてしまったのか……。
めっちゃ時間かかった……。
手紙の作法をよく知らないのでおかしかったらご指摘下さい。