3年ぶりの投稿、だと⁉︎
果たして覚えている方はいるのだろうか?
他作品の執筆ネタ探しで、自分の過去作を漁っていたら見つけてネタが浮かんできたので執筆しました。
雄英高校、校長室。
窓の外はすっかり夜の帳が下りていた。三脚の椅子に、三人の人物が向かい合って座っている。
「……で、根津。話というのは?」
しわがれた声でそう切り出したのは、グラントリノだった。オールマイトの恩師であり、ヒーロー界でも最古参の一人。仮免試験の一件を受けて、根津に呼び出されての来訪だった。
「先日の仮免試験の件です。既にオールマイト、あなたはご存知でしょうが……改めて、共有しておきたいことがありましてね。」
根津は机の上に、一枚の資料を滑らせた。仮免試験時の映像から起こされた、生徒たちの動きの記録だ。
「藍染惣右介自身の個性『鏡花水月』により、その場にいたヒーロー・生徒たちの多くが、切島くんを藍染だと誤認し、同士討ちに走りました。その中でただ一人、緑谷少年だけがその惑わしに囚われることなく、真実を見抜いていたのです。」
「……ワン・フォー・オールが、原因だと?」
オールマイトの問いに、根津は小さく頷く。しかしその表情に、確信めいたものは浮かんでいなかった。
「あくまで、仮説の域を出ません。ワン・フォー・オールは単なる身体強化の個性ではなく、歴代所持者の意志の力を蓄積し継承していく個性。もし藍染の個性が対象の認識そのものに作用するものだとすれば、単一の意志ではなく複数の意志が折り重なった個性との相性は、絶望的に悪いはずです。」
「理屈は分かる。だが、それだけで言い切れるのか?緑谷が単に、あの時たまたま踏ん張れただけかもしれん。」
グラントリノの言葉に、根津は同意するように頷いた。
「その通り。断言はできません。ですが、もし本当にワン・フォー・オールが藍染惣右介の個性に対する数少ない対抗手段だとしたら――それは、決して藍染に知られてはならない情報です。」
室内に、重い沈黙が降りる。
「トシ……いや、オールマイト。お前はどう思う?小僧は、あの日何を見た?」
「……本人は、はっきりと自覚していないようでした。ただ、体が動かなかったと。それでも周りが我を忘れて攻撃を続ける中、彼だけが正気を保っていた。」
脳裏によぎるのは、かつて共に戦った友の背中だった。
「もし本当にワン・フォー・オールが鍵なのだとしたら……緑谷くんには、また一つ酷な役目を背負わせることになる。」
「贅沢を言っている場合じゃあないだろう。」
グラントリノの一言が、部屋の空気を引き締めた。
「奴は、既にオールフォーワンを喰らった。この先どこまで牙を伸ばすか分かったもんじゃない。可能性がある以上、潰すわけにはいかん。」
「……分かっているさ。ただ、まだ何も確かなことは言えない。今はただ、緑谷くんの成長を見守りながら、慎重に検証を重ねていくしかないのさ。」
「それで結構です。」
根津は静かに、しかしどこか楽しむような笑みを浮かべた。
「これは希望でもあり、賭けでもある。……そしてもし本当にそうなのだとしたら、緑谷少年は自覚のないまま、この国で最も危険な男の天敵になり得るということなのさ。」
窓の外、月明かりだけが室内を静かに照らしていた。
新宿の外れ、雑居ビルの地下に根を張る指定暴力団『死穢八斎會』。裏社会に生きる者ならば誰もが知るその名は、率いる男の二つ名と共に語られていた。
『オーバーホール』。
触れたものの構造を意のままに再構築する個性を持つ、危険極まりない男だ。人体すら例外ではなく、殺すことも、個性そのものを消し去ることさえも彼にとっては造作もないことだった。
サー・ナイトアイの個性『先視』が映し出した、緑谷出久の死という未来。その運命を変えるべく、緑谷、爆豪、轟の三人はサー・ナイトアイの下でインターンとして研鑽を積んでいた。
同じ頃、雄英のビッグ3の一角であるミリオは身元を偽り、死穢八斎會の内部へと単身潜入していた。目的はただ一つ。彼らが飼う少女、エリの保護。
彼女の個性『巻き戻し』は、対象を過去の状態へと戻す力を持つ。傷を癒す優しい力であるはずのそれを、オーバーホールは『個性を消し去る弾丸』を量産するという悍ましい目的のために利用していた。何度も、何度も、幼い少女の角を犠牲にしながら。怯えきったその瞳を、ミリオは幾度となく間近で見てきた。だからこそ決行の日を、誰よりも待ち望んでいたのは他でもないミリオ自身だった。
そして迎えた決行の日。死穢八斎會のアジトへと、雄英と警察、志願したヒーローたちが一斉に踏み込んだ。
「うわあああッ!」
地下深くへ向かう緑谷たちを援護すべく、外周部では死穢八斎會の戦闘要員――通称『八斎神』と呼ばれる幹部たちとの激しい戦闘が繰り広げられていた。数こそ劣るものの、いずれも一癖ある個性の持ち主で、駆けつけたヒーローたちを苦しめていた。
「タマキ、右!」
「……了解!」
ねじれの声に弾かれるように、天喰環は触手を伸ばして迫る刃を絡め取る。次いでねじれの手のひらから生まれた渦が、なぎ倒すように敵の集団を吹き飛ばした。
その光景に、しかしタマキはほんの一瞬だけ違和感を覚えた。
ねじれの個性は『波動』。自身の活力を波動として放出し、相手にぶつける近接寄りの個性だ。だが彼女の個性には昔から拭えない癖があった。名前の通り、波動が僅かに“捩じれる”せいで発動までに一拍のラグが生まれてしまう癖。数えきれないほど並んで戦ってきたタマキだからこそ、身体で覚えているその間合いだった。
だが今しがた放たれたそれには、その一拍が存在しなかった。まるで最初から歪みなど無かったかのように、迷いなく渦を巻き上げ敵を刈り取っていく。おまけに、以前は掌からしか生まれなかったはずの渦が、地面や壁からも次々と生まれている。
(……何か、変わった?)
考える暇はなかった。次の敵が、また次のと途切れることなく襲い来る。タマキはその違和感を、胸の奥へと一旦押し込んだ。
あの心操人使の一件があって以来、雄英の生徒たちは皆、心のどこかで疑心暗鬼になっていた。藍染惣右介という男が、いつどこに紛れ込んでいるか分からないという恐怖。だからこそタマキは、自分の中に芽生えたその違和感を、簡単には見過ごせなかった。
一方、アジト最奥。
緑谷、爆豪、轟、サー・ナイトアイの四人は、変わり果てたオーバーホールと相対していた。実の兄との融合によって肥大化したその姿は、もはや人の形すら保っていない。振るわれる一撃一撃が建物ごと薙ぎ払う質量を持ち、四人は幾度となく死線を潜り抜けた。
度重なる猛攻。そして個性を封じられながらも身一つでエリを守り抜いた、ミリオの決死の献身が緑谷たちを奮い立たせた。
「離せ……ッ!エリを、離せぇぇぇッ‼」
瀕死のミリオを前に、恐怖に震えながらもエリは初めて、自分の意志で『巻き戻し』を振り絞った。取り戻された力と、積み重ねられた覚悟。そして代々受け継がれてきた前使用者たちの想いを乗せた緑谷の拳が、幾度目かの衝突の末、ついにオーバーホールを打ち倒した。
死穢八斎會、壊滅。
オーバーホールは拘束され、エリは保護された。
涙を流しながら笑うエリの姿に、駆けつけたヒーローたちの誰もが胸を撫で下ろした。
街に平穏が戻ったことを喜ぶ声の裏で、しかしタマキの心にはまだ小さな棘が残ったままだった。
搬送作業を終え、それぞれが帰路につく夜。人気のない病院の廊下で、タマキはねじれを呼び止めた。
「ねじれ、さっきの……渦。前と、少し違って見えた。」
核心を突くでもなく、遠回しに尋ねる。それがタマキの精一杯の勇気だった。
「あ〜、バレた?」
悪びれる様子もなく、ねじれはあっさりと肩をすくめる。むしろ聞かれて嬉しそうにすら見えた。
「実はね、私の個性、強くなったんだ〜!藍染様のおかげで!」
あまりにも軽い口調で紡がれたその名前に、タマキは息を呑んだ。
「……藍染、様?まさか……」
「うん!藍染様、すごいんだよ〜?個性を強くしてくれるの。ほら、心操くんと同じ。びっくりでしょ?」
悪気などかけらもない、無邪気な笑顔。だからこそタマキには、何よりも恐ろしく映った。
仲間だと、友人だと信じてきたねじれが、あの藍染惣右介の側にいる。その事実を、どう受け止めればいいのか分からなかった。
「な、なんで……そんなことを……何がしたいんだよ、藍染は……」
「なんでって、藍染様がすごい人だからだよ〜?タマキも会えば分かるって。すっごく優しいし、頭もいいし……あ、でもタマキには渡さないからね?」
冗談めかした口調に、目の前の親友が自分の知らない誰かに変わってしまったような、そんな寂しさだけがタマキの胸を締め付けた。
「……ヒーローに、なるんじゃなかったのか。」
「なるよ?私、今もヒーロー科の生徒だし。ただ、藍染様のことも好きなだけ。両立できないなんて、誰が決めたの?」
屈託のない笑みを向けられて、タマキは何も言葉を返せなかった。
この事実を、誰かに伝えるべきなのか。それとも、ねじれを信じて黙っているべきなのか。
答えの出ない問いだけが、タマキの中に重く沈殿していった。
それから数日後。オーバーホールを厳重警備の下、専用の護送車で移送するという一報が入った。
護送車が山間の道に差し掛かったその瞬間、道の先で車列が突如として停止した。
「なっ……これは……」
護衛のヒーローが違和感に気付いた直後、路上に無数の分身が湧いて出た。自らを幾人にも分身させる個性を持つ、トゥワイス。その混乱に乗じて、闇色の靄からぬっと巨大な影が姿を現す。幾度も改良を重ねられた新型の脳量産型が、護送車へと躊躇なく襲いかかった。
「くくく……頂くぜ、オーバーホールの身柄。」
コンプレスの個性『圧縮』によって、瞬く間にオーバーホールの身柄が小さな球体へと押し込められていく。護衛のヒーローたちが必死に食い止めようとするも、練り上げられた奇襲の前に後手に回るしかない。
死柄木の傍らで周囲を警戒していたクロギリが、ふと眉を寄せた。護衛たちの反撃が、いつの間にか鈍っている。まるで誰かに意識を刈り取られているかのように。
コンプレスに身柄を圧縮されかけていたオーバーホールの視界に、いつからそこにいたのか、見覚えのある男の姿が映り込んでいた。
……藍染惣右介。
最後の抵抗とばかりに、オーバーホールは震える右腕を伸ばした。触れれば、対象の構造を意のままに再構築できる。それが彼の個性の本質。ならばこの男とて、例外であるはずがない。
指先が、確かに肌に触れた感触があった。体温も、質感も、何一つ違和感のない、生きた人間のそれだった。
だが――何も、起こらない。
崩壊も、再構築も、彼の意志に応えるはずの感覚が、根本から返ってこない。
「な、ぜ……。」
困惑に顔を歪めるオーバーホール。ほぼ同じ頃、ようやく現場に駆けつけた死柄木の目にも、同じ光景が映っていた。
「藍染惣右介ッ‼」
崩壊の衝動のまま、死柄木は地を蹴った。だが踏み込むたびに、視界の中の藍染の輪郭が僅かに滲む。誰にも気付かれないほどの、しかし死柄木にだけ確かに自覚できる違和感。目の前の男と、もっと別のどこかにいる何かが、頭の中で噛み合わずに軋んでいる――二重に見える、とでも言うべきそれに、死柄木の足が僅かに鈍った。
「死柄木くん、様子が――」
クロギリの声が、警告として響く。だが死柄木の耳には届かなかった。
「──なるほど。触れて確かめようとするとは、律儀なことだ。」
声は、背後から聞こえた。
「まさか答え合わせを自分からしてくれるとはね、オーバーホール。個性というものは、対象に直接作用する力だ。だが君が今しがた触れたそれは、存在しない。ただ君にそう“感じさせていた”だけの、幻に過ぎないのだから。」
振り向いた先、何もないはずの空間から歩み出るようにして、もう一人の藍染が姿を現す。
その言葉と同時に、オーバーホールの目の前にいた藍染の輪郭が、砂の像が崩れるように音もなく崩れ落ち、消えていった。
「な……ッ!」
「五感の全てを、私の意のままに誤認させる。それが鏡花水月の真の力だ。姿も、質量も、匂いも、触れた感触さえも――君の中では、私が望んだ通りのものとして再構成される。……もっとも」
視線を死柄木へと移し、藍染は僅かに口角を上げた。
「君には、少しばかり効きが悪いようだね。」
「……テメェ。」
声にならない声で、死柄木は喉を鳴らした。テレビの向こうで焼き付けた顔。先生を奪ったあの日から、片時も忘れたことのない顔。
「先生をどうした……ッ!」
「彼なら元気にしているよ。もっとも、五体満足とは言い難いけれどね。」
からかうような口ぶりに、死柄木の中で何かが弾けた。振り上げられた崩壊の指先が、藍染の喉笛を狙って伸びる。
だがその一撃に、迷いはなかった。まるで幻など初めから見えていなかったかのように、迷いなく最短距離を捉えていた。
「……ほう?」
藍染が初めて、僅かに目を見開く。半歩だけ体を引き、崩壊の指先を紙一重で躱した。
「幻を幻と見抜いたわけではなさそうだ。それでいて、正しい在り処は捉える。……面白い。実に面白いよ、死柄木くん。」
愉悦を隠しもせず、藍染は口角を上げる。まるで一つの器に幾つもの意志がひしめき合っているかのように、その心は容易く一つの色に染まることを拒んでいる。緑谷とはまた違う、歪な形で。
クロギリはそれ以上動けなかった。誰よりも、藍染惣右介という存在の底知れなさを正確に見積もっていたからこそだった。
そうして興味を失ったように、藍染は地に伏すオーバーホールへと視線を戻した。
「なるほど。発動には、触れる必要があるのか。」
残念そうでもなく、ただ淡々と呟く。
「私の鬼道であれば、触れずとも似たようなことは造作もない。それに条件付きの力というのは、脆いものだ。」
もう用は済んだとでも言うように、藍染はオーバーホールから完全に視線を切った。
「今日のところは、これで十分だ。存分にその身柄を利用するといい、死柄木くん。」
そう言い残し、藍染の姿は空間の裂け目へと溶けるように消えていった。
残されたのは、混乱の坩堝と化した護送現場と、拳を握りしめたまま立ち尽くす死柄木の姿だけだった。
「……死柄木弔、退きましょう。」
黒霧の声に、死柄木は答えなかった。ただ、消えていった藍染の残像を睨みつけたまま、拳を握りしめ続けていた。開かれた靄の門の向こうへ、コンプレスとトゥワイス、そして圧縮されたオーバーホールの身柄が飲み込まれていく。死柄木もまた、その門の中へと足を踏み入れる。振り返ることはなかった。
オーバーホールの身柄が奪われたという一報は、瞬く間に日本中を駆け巡った。世間はそれをヴィラン連合の仕業だと断じ、恐怖と怒りに震えた。
だが、その現場に藍染惣右介がいたことを知る者は、当事者を除いて誰一人としていなかった。護送に当たっていたヒーローたちの記憶からすら、その存在は都合よく塗り替えられていたのだから。
誰も知らない交錯。誰も知らない思惑。
そしてこの日、死柄木弔という青年の中に、新たな昏い感情の種が一つ、静かに蒔かれたのだった。
この国の裏側で、確かな影が蠢き始めていた。
相変わらず続くかわかりません。