よく見ると、幸せがいっぱい詰まっている。
皆さん、おはようございます。
お仕事中の方、お疲れ様です。
今の世の中は殺伐としていますね。
あなたはこの世の中で何に感謝しますか?
おいしい食べ物、素敵な友達、あなたが大切にしているもの。人それぞれだと思います。
あえて挙げるなら、人と人とのつながりでしょうか。
良いものだと思います。
等しく愛だと感じています。
私の場合、生まれはほどほどで、そこまで深い人間関係を築くことができませんでした。
各地を転々とし、当時は手紙だけが頼りでした。
どうしても会いに行けなかったし、字も上手じゃなかった。
そうやって幼少期を過ごし、ソロで生き抜く術を身につけました。
ファンタジーは存在せず、人々は小説を読み、その世界から一瞬でも逃れようとした。
毎日が憂鬱でしたが、そんな中でも手を取り合って生きてきたと思います。それは間違いなく人だった。
しかし、それは当たり前のことなのだろうか。
まるで蟻と力比べをするように、息を吸うように、彼らはそれをする。
そう、彼らは間違いなく「人」なのだから。
でも、それができない人もいる。
支え合うこと、それは一人の人間にはできないことだった。
人でなければ...私は新参者なのだろうか。
この答えは出さない方が幸せだと思った。
人に頼らず、自分の務めを果たす。
それは風に吹かれても傾く草木のようなもので、強さを意味していた。
次に、一人の環境に慣れた私は、愛情を忘れてしまった。
しかし、それは当然のことだったのかもしれません。
今、世の中の人たちに平等な愛情が共有されていると思いますか?
残念ながら、物語の中でも、それは実現されていない。
そう、回転する鉄球が誤って穴に落ちるように、不幸に陥る人もいるのだ。
それは、不幸中の幸いでもあった。
なぜなら、その人はきっと十分な知識を持ち、多くを求めなかったからだ。
そして、その人が希望に満ちた平穏な日々を過ごせたはずの日に流したであろう涙を、私は想像することができるのだ。
私はどうだろう...。
そこには、普通の世界があった。
私たちにとっては、それは等しくディストピアと表現されるものだった。
耐え忍ぶ日々。
私たちは救いを求めて天を仰ぎ、自分自身を掘り起こした。
たぶん、心の奥底では愛を求めていたのだろう。
しかし、どうして、世界はうまくできているように見える。
私に語りかけてきたのは、他でもない。
それは可愛い女の子との掃きだめではなく、力強い紳士だった。
いや、紳士というより、もう少し生き生きとした人だった......。
彼は私を理解し、やさしく語りかけてくれた。
「あなたのことを理解していますよ。
もちろん、あなたができないことがたくさんあることも知っています。
でも、そのことであなたを責めることは決してありません。
時間はたっぷりあげるから、素直に生きなさい」と言われました。
これは、私にとってとても優しい言葉でした。
確かに、愛でした。
私はいつも迫害の対象であったから、感謝に堪えなかった。
私は一つうなずいて、その場を後にした。
あまりに良い人だったので、その光によって、私は影が薄くなり、まばたきしてしまったからだ。
しかし、私の心は晴れ晴れとしていた。
愛に触れた瞬間だった。
あれから長い時間が過ぎた。
私は今でも臆病な人間の一人です。
でも、だからこそ、大げさな愛を喜べるのです。
台無しにしないためには、水に手をつけるくらいの関係がちょうどいいと思うのです。
平凡な環境では、それが当たり前になってしまうから。
こんにちは、またまた私です。
個人的な反省点でした。
しかし、私の思考は小学生と変わらなかったと思います。
高尚な作品を作る日は来るのだろうか...。
もちろん、考え方は人それぞれですから、誰かの作品を攻撃するような意図はありません。
ただ、小さな幸せです。