『僕』と望まぬ異能を持った『女の子』との昔話。
……もし暇だったなら、ちょっと聞いてってよ。

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「僕は昔、溶ける女の子と友達だった」

 

 ん? 

 なんだよ。なんでそんな怪訝な顔してんの。……うんまあおかしい事を言っている自覚はあるけどさ。 この人もしかして気づいてる? 

 

 不満なの? マスターが言ったんじゃん。「何か面白い話はございますか?」って。せっかくリクエストにお応えしようと酒の力を借りて捻り出したんだからちゃんと聞いてよ。

 つーかさ。何で客である僕がこういうことしなきゃいけないんだよ。そもそもこういうのってマスターが話すもんじゃないの? はぁ、常連だからって無茶ぶりしていいわけじゃないんだからね? 全く。

 

 まぁいいや。で、話の続きね。もうしばらくお酒はいいや。喋り疲れたらまた頼むよ。

 何なら僕の隣に座って聞く? 別にいいじゃん。どうせ僕以外に客なんて居ないんだからさ。あっそう。真面目だねぇ。……しかし本当にお客さんいないね。この店もいつになったら繁盛するのかね。僕的にはいつでも座れるから別にウェルカムだけど、マスターからしたらたまったもんじゃないよね。あはは。

 

 

 ごめんごめん脱線したね。じゃあ話の続きといこうか。僕の友達に、昔溶ける女の子がいたっていう話ね。……溶けるってどういうことかって? 

 

 そのまんまの意味だよ。溶けることができるんだよ。体が。

 

 え? 勿論普通の人間じゃないよ。当たり前じゃん。もしそんな人いたら今頃テレビのかくし芸大会に引っ張りだこだろうね。ともかく僕はそんな不思議な女の子と友達だったんだよ。そういう話。

 実はこの話を人に話すのは初めてなんだ。長くなっちゃうからね。でもマスターだったらまぁ話してもいいかなって。折角だからゆっくり聞いてよ。何から聞きたい? 経緯から? おっけー。

 照れるね

 

 

 えーっとね。そもそも僕の地元ってさ、すごい田舎なの。夏の夜には近くの田んぼで延々とバカでかいカエルが鳴き続けたりなんかして。あ、話したことあったっけ? そうそう〇〇県。あそこの市街地から更に東にいったところ。良い所だよ。結構キレイな海があってね。観光地化されてないからゴミも全然ないし、地元の人がたまに釣りとかしにくるくらいかな。

 で、僕はそこの地域に一つだけの小学校に通っていた。生徒もそんなにはいなかったなぁ。いや田舎にしては多かったか? 今思うと。まぁとにかくそんなごくごくありふれた学校だった。

 小学校だとさ、転校生ってのは一大イベントじゃない? うちでも案の定大盛り上がりだったよ。その子は転校生としてやってきたんだ。僕が四年生の時だね。

 

 その日は、先生が転校生がやってきました! って言うと周りが一斉に前の方を向いてね。拍手で迎えられてその子が入ってきた。最初はちょっと心配そうな顔だったけど、すぐにぱっと明るい顔になって皆にお辞儀した。

 

「この子は西日本からはるばるやってきました。……でも何でここに来たのかは、聞かないであげて下さい。この子は、少々ご家庭の事情があって……でも、それだけこの子は頑張っているんです。だから皆、仲良くしてあげてね!」

 先生、随分余計なことを言ってるなーと思ったよ。そんな事言わないで、後半の所だけ言えば良かったのにね。同情しているかのように悲しそうな顔でその子の肩に手を置いて、まるで私は理解者ですみたいな顔をして。 私もムカついちゃった! 

「もし何かあったら遠慮なく相談してね……っ!?」

 この時、先生が体をビクっとさせて肩から手を放し、わけがわからないといった顔で自分の手を見てた。今思えば彼女が何かしたんだろうね。当時はわからなかったけど。

「よろしくお願いします!」

 あの子は、そんな先生の事を気にもせずに元気よく挨拶をした。

 

 

 どんな子だったかって? 可愛い子だったと思うよ。モデルみたいな派手さがあるわけじゃないんだけど、身なりもきちっとしてはいたけどお高くとまってるわけじゃなくて。ニコニコといつも嬉しそうに笑う子だった。そんな子だから当然その時の教室は大盛りあがりさ。男子だけじゃなくて女子まで歓迎ムードだった。僕はそんな様子を後ろの席から眺めてて、くだらないなぁって思ってたけどね。……何その顔。

 マスター。この人こんな身なりして昔すっごい陰キャだったんだから! 

 

 彼女がやってきてからは教室の雰囲気は何だか明るくなったような気がしたね。休み時間にはいつもあの子の周りには人だかりが出来ていた。最初に先生が意味深な事を言ってたけど、誰もそこには触れずに楽しい話ばかりしてて、そこは皆意外と大人だなーと思ったよ。彼女も彼女ですぐに馴染めてて毎日楽しそうだった。友達同士でバカな話してお腹抱えて笑ってたよ。成績? ごく普通だったよ。ホントーにど真ん中。運動もね。逆に珍しいよね。

 あと、印象的だったのはとにかく敵を作らない娘だったんだ。普通、そういう娘って妬む人が出たり、誰かとどっかでケンカしてもおかしくないと思ってたけど、そういうトラブルは一切なかった。僕が知らなかっただけじゃないかって? いや、それは無い。さっきも言ったでしょ。だって小さい学校だったんだよ? 何か出来事があったら僕ですらその日のうちに話が耳に入るよ。なのになんでか知らないけど皆裏でも口を揃えて言うんだ。「あの娘、ホントにいい子だよね」って。 いえい! 

 

 

 一方で、僕はそんな彼女が不気味でしょうがなかった。

 マジ!? 

 

 もう薄々分かってるかもしれないけど、昔の僕ってひねくれたクソガキだったんだよね。周りを引っ張ることができるわけでもないのに、周りに流されるのが嫌いで。いつも斜に構えてた。よくいじめられなかったなと思うよ、今思うと。

 

 そんな僕だったから目の前のその子が信じられなかった。そんな人いるわけないって思ってた。だって、僕含めて完璧な人間なんている訳がないし、誰からも好かれるなんてどだい無理な話だろう。当時から僕はそんな考え方だった。

 

 友達? ……まぁ出来るわけないよね。そんな性格のやつに。

 そう、だから後々話すけど、彼女と友達になった時は内心嬉しかったよ。やっぱり。ま、何事も数が少ないものに対しては価値が生まれるものさ。……別に開き直ってるわけじゃないよ? 

 あはは、確かに君はいつも一人だったね

 

 正直、小学校の時の事は特に話すことはないんだ。運動会も、遠足も、どの行事にも彼女が中心にいるのが当たり前だった。一方でそんなどんどんクラスに馴染んでいく彼女を横目で見ながら、僕は一度も彼女と喋らなかったんだ。挨拶くらいはしてたかもね。覚えてないけど。そのまま僕らは繰り上がりで中学生になった。

 メンバーがほぼ変わらないから当たり前っちゃあ当たり前なんだけど、中学にあがっても彼女は何も変わりはしなかった。そこでも変わらず彼女は真ん中の成績で。運動も真ん中で。でもとにかく周りには好かれる娘で。えへへ

 そんな人気だったら彼氏だってすぐ出来るだろうと思ってたけど、そういう浮いた話も無かったんだよね。そういう遊んでいない所も周りからは評判で。もう無敵かよって思ったよ。

 

 ……マスター、ごめん。やっぱお酒貰える? テキーラサンライズにしようかな。あとチェイサーもお願い。ありがとう。

 

 ……ふう。でね、そんな生活を送ってたある日、僕は初めて彼女と喋る機会があったんだ。

 そうだね。君と出会った、大事な大事な日。私は忘れたことなんてないよ

 

 あれは確か中学2年の頃。部活にも入っていなかった僕はいつも放課後の空いた時間を持て余していてね。

 僕はその頃から散歩が好きでさ。友達もいないから一人で町の色々な所を歩き回ってたんだ。

 で、そろそろ家に帰ろうと思って歩いていると、向かいから彼女が歩いてきたんだ。あの子が一人でいることが新鮮だったね。まぁ誰かと分かれた後なんだろうなと思ってそのまま通り過ぎようとしたんだけど、そこで気づいた。あの娘、部活に入っていなかったんだよね。

 その時間は、まだどの部活も活動している最中だったから帰宅しているのなんて部活に入っていない人だけだ。あれだけ人気者だったら部活の勧誘なんてひっきりなしだったろうに、帰宅部だったのが意外だったんだよね。

 うちの中学は結構皆何かしらの部活に入ってて、帰宅部って珍しかったからさ、何だか嬉しくなって、こんにちは、僕の事覚えてる? 君も帰宅部だったんだねって声をかけたんだ。僕にしては珍しく外交的な行動だったよ。すると彼女は、

 

「……ああ! 思い出した。奇遇だね!」って、いつものように弾む声で返事を返してくれた。

 

 共通の話題なんて何も無かったけど、僕は一方的に色んな話をしていた。

 当時良く見ていた特撮の話や、好きな漫画の話。僕もああいう特殊能力があったらなーなんて事をぼやきながら話し続けた。

 すると、それをずっと聞いていた彼女は、ある時こんな事を言った。

 

「……あのさ、君って、口固い自信ある?」

 

 何か面白い秘密が聞けるのかと思って、僕は元気よく、勿論、と返した。

 彼女は立ち止まると、なにやら長考して、僕に握手を求めるように手を伸ばした。

 

「…………誰にも言わない? 言わないって約束できるなら、私の秘密、教えてあげる。……この手を握ってみて」

 

 ……今思うとこの時が運命の分かれ道だったかもね。別に後悔してるわけじゃないけどもっとちゃんと考えてから決断しても良かったなぁって思ったよ。

 僕は、少し考えてからおずおずと彼女の手を握った。

 あ、考えていたのは約束の事じゃないよ。どうせ言う相手もいないし。……女の子の手を握るのなんて初めてだったから。

 

 すると手元からぴしゃっと音がした。何かと思って手元を見たら、握った彼女の手が水のようになった。僕の手の隙間から漏れた液体が、床に滴り落ちてやがて乾いて消えていった。見た目は水だったけど、少し粘性があって、僕の手にもわずかに付着していた。

 

「……どう? 気持ち悪いでしょ」

 彼女が右手をひらひらと振って自嘲したように笑う。今しがた溶けて無くなっていたのに、いつの間にか元の形に戻っていた。

 

 それを見た僕の口からは自然と、すごい、と声が漏れた。

 そう、僕は彼女の力を見て、心の底から感動していたんだよ。

 

「……何で? 結構不便だよこの力」

 

 彼女はそんな僕を理解できないっていう顔で見てきた。だから僕はいかにその力が素晴らしいかを力説したんだ。ほら、中学生ってもし自分が異能を持ったらとか妄想するじゃん。多分マスターも考えたことあるでしょ? あはは、だよね。教室に入ってきたテロリストをかっこよく撃退するみたいな事考えちゃうよね。僕も例に漏れずそういう時期だったから、まさか目の前に本物がいるとは思わなくて、柄にもなく興奮しちゃったんだよね。

 ……正直熱が入って、何を語ったかは覚えてないんだけど、銃弾を受け流せるとか、液状になって相手の顔を包み込むとか、アメコミみたいな事が出来るんじゃないかとかそんな妄想を無邪気に語った気がする。すげーすげー羨ましいって言いながらね。あと覚えてるのは、溶けた状態で排水溝とかに入ればワープ出来るかもよって事を言ったね。彼女はそれを聞いて「えぇ、嫌だよ。そんな汚い水に入りたくないもん」って困ったように笑ってたよ。

 

 そんな話をしていると、あっという間に彼女の家の前に着いていた。その場所は住宅街の入り組んだ中にある古びたアパートだった。

「じゃあねー」ってドアを開けようとする彼女に、僕が内心ずっと気になっていた事を彼女に聞いた。

 何でこの町に引っ越してきたの? って。

 ……馬鹿だよね我ながら。浮かれてたんだよ。最初の先生の忠告も忘れてた。

 彼女の体が一瞬びくりと止まった。そのまま一言だけ答えた。

 

「お兄ちゃんが死んだから」

 

 僕は言葉を無くしてしまった。彼女はいつの間にか家の中に入っていた。終わった、と思ったね。その日の夜は本当に後悔したよ。翌日謝ったら、彼女は特に気にした様子も無かったんだけどね。

 

 

 僕と彼女の関係性はそれから少し変わった。学校では喋ったりしなかったけど、放課後に時たま二人で帰ってたんだ。あの日々が、一番楽しかったかも。実は彼女にいたずら好きな一面があることもその時初めて知ったなぁ。水鉄砲だっていって自分の指を溶かして発射してきたり。雨の日にビニール傘を使ってたら、僕の傘を溶かして小さい穴を開けた事もあったよ。

 あの時めちゃくちゃ怒ってたねー

 僕の思い上がりかもしれないけど、学校での彼女と僕の目の前の彼女の笑顔は違ったもののように見えた。二人でいる時はリラックスしているように見えたんだ。僕も悪くない気分だったよ。クラスの人気者の知らない一面を僕だけが知ってるって、ワクワクしない? ……うん、エゴだよね。分かってるよ。 エゴだよそれは! ……なんちゃって

 

 

 

 そんな日々が一ヶ月程続いたある日。その日もいつものように遊びながら一緒に帰ってて、いつものように彼女の家の前に着いた。

 彼女を見送ったら僕も帰ろうと思いながらバイバイしてたら、玄関の前で彼女がいつもより名残惜しそうな顔をして僕を見ていた。そのまま彼女はこう言った。

 

「……あのさ、家、入らない?」

 

 その日は初めて女の子の家に入った日になったんだ。あ、最初に言っとくけどいかがわしい事は何もしてないからね? そもそもあくまで友達同士だし。

 

 

 ……僕はド緊張しながら家の中に入った。

 間取りは所謂2Kってやつだね。玄関のすぐ隣に小さなキッチンがあって、その奥にちゃぶ台やテレビ、勉強机が置かれた部屋があって、襖で仕切られた部屋が隣にあるようだった。ちゃんと物が片付けられていたきれいな部屋だったけど、家の中がやけにしんとしていた。

 両親と住むには小さい部屋な気がして、お母さんは出かけてるの? って何気なく聞いた。あっけらかんとした様子でこう言った。

 

「そんなの、いないよ。私はもう何年も一人で暮らしてるんだ」

 そう、彼女は兄だけじゃなくて親もいなかったんだ。

 授業参観とかだと皆親が来てたからそれが当たり前だと思ってたからさ。まさかこういう家があるなんて知らなかった。いや、テレビとか小説とかでは知っていたけど、どこかフィクションのような感覚で見てたからさ。

 気まずくなった僕はごめんって謝った。つくづく僕ってデリカシーがないんだなって思い知らされたよ。でも彼女はまた「いいよ、そういうものだから」と言った。僕はその意味がよく分からなかった。なんで彼女はこうも肉親の死を受け入れているんだろう。きっと、彼女がとても幼い時期に事故死とかしたんだろうって無理やり自分を納得させたけどね。

 

「あ、テレビつけていいよ。……この時間だとあんま面白いのやってないかもだけど」

 彼女はそう言い残してトイレに向かった。一人になった僕は、机に置かれてたリモコンをいじる。リモコンが置かれていた場所には、きれいな長方形の跡がくっきりと残っていた。

 

 確かにその時間のテレビは退屈だった。暇を持て余した僕は何気なくあたりを見回した。

 女の子の家を見て回るのも悪い気がしたけど、魔が差した僕は奥のぴっちりと閉じられた襖を、そっと開けた。

 その部屋には仏壇があった。……僕は開けたことを後悔したよ。

 

 

 そこにはおびただしい数の遺影が置いてあったんだ。仏壇を取り囲むように、何十枚も。

 見てたんだ

 

 僕は腰が抜けそうになるのをグッとこらえて、彼女が帰ってくる前に音を立てない様に襖を閉めた。丁度その時、向こうから水を流す音が聞こえて慌ててテレビを見ている振りをする。

 僕の心臓はひどく鳴り響いていた。いつもの明るい彼女の、心の闇を見たような気がした。

 

 

「こんなモノしか出せなくて、ごめんね」

 そんな僕の様子にも気づかずに、トイレから出てきた彼女が盆で駄菓子と氷水を出してくれた。僕は仏壇の事は頭の隅に押しやって、彼女と話をして過ごした。

 最初は他愛も無い話をしてたんだけどさ、その時の彼女の様子が普段とあまりにも違かった。

 

「最近暑くて体育をする気にもならないよね」「……うん、たしかにね」

「最近どこか出かけたりした?」「……うーん、別に」

 

 家に入ってからの彼女は、スイッチが切れたように元気が無くなってたんだ。

 心配になった僕は、体調でも悪いのかって聞いた。

 彼女は、クシャクシャと髪をかいて申し訳無さそうに答えた。

「……あぁ……ごめん。家だと、私こうなるんだ。気が抜けちゃうっていうか、リラックスすると出る普段の反動っていうか。ダメだよね、今は君がいるのに」

 この時にはもう、僕は彼女の事をほっとけなくなって、彼女が抱えているモノを知りたくなっていた。だから、気にしなくて良い、と。君の力の事もとっくに知ってるんだから今更気を遣うことはない、と。そんな事を彼女に伝えた。

 それを聞いた彼女は、僕からふと目をそらして、窓辺から映る夕焼けを見ながらポツリポツリと話し始めた。

 

 

 

「私ね、この町に来る前はお兄ちゃんと二人で暮らしてたんだ。親どころか親戚とかも私達より年上はいなくてさ。どうにかして二人で生きていくしか無かったの。お兄ちゃんは私よりも抜群に力を使うのが上手でさ。気づいたらその地域の名家の娘さんに気に入られて、その家に居候することが出来たの」

 どうやら、兄も力を使えたらしい。そしてどれだけ使いこなせるかは個人差があるらしい。

 

「だけど、ある日お兄ちゃんが、『ごめん、もうお兄ちゃんはお前を支えてやれない』って言ってきて。ああ、お兄ちゃんも居なくなるのかって思った。その翌日、お兄ちゃんは私の目の前で死んだ。全身が薄汚れたお兄ちゃんは、手元に沢山のお金を抱えて、それを私に押し付けて『これを持って逃げろ』って言い残した。そしてそのまま……。……お兄ちゃんは居候先の家のお金を盗んだの。少ししたら、家中が大騒ぎになってたから察しがついた。もうそうなったらその街にはもう居られない。私はお金とありったけの荷物を抱えて逃げた。人混みの中に『溶け』こんで、警察の目をかいくぐって新幹線と電車を乗り継いで、そうしてこの町までやってきたの」

 

 彼女の兄が工面したお金は、生活費として切り崩していたのにその時はまだ結構残っていたらしい。どれだけの大金を盗んだのだろうと思ったよ。どうやら行政の就学支援とか生活保護などの色んな制度も使っていたみたいだけどね。

 

「本当は、こんなお金に手をつけずに自分の力で何とかしたかったんだけどさ……バイトとかも出来ないし、そうも言ってられなくて、さ」

 

 兄は折角危険を犯してまでお金を作り出したのに、少々冷たいのではないか。僕は率直に、そう思った。勿論犯罪は良くないんだけどさ。生きる為にやっていることを頭ごなしに否定する気にはならなかった。

 

「お兄ちゃんには感謝はしてる。結果的にそのお陰で私は生きていけているから。お兄ちゃんは悪いことをしたけど、私の為にやったことなんだと、分かってる。……でも、一方でこんな事をしないでほしかった。……お金を持って、一人逃げてる時程孤独を感じたことはなかった。そもそも私が居なければお兄ちゃんにそんな事をさせずにすんだんじゃないかと思うと、涙が溢れて止まらなかった。何で私たちは、こんな生き方しか出来ない()()なんだろうって、もう何を恨めば良いのかも分からなかった」

 

 彼女の言い方が引っかかった。『定め』? まるで、真っ当に働いてお金を稼ぐという生き方が出来ないような言い方じゃないか。

 君たちの能力って、一体何なの? と僕は尋ねた。ここまでくると、彼女たちがただ『溶かす』事が出来るだけではない、もっと薄暗い呪いのようなモノが取り憑いているのだと推測するのは容易かった。

 彼女はぽつぽつと、自らの一族について教えてくれた。

 

 

 結論から言うと、彼女達の一族は、古来から『言霊』の力を引き出せる一族だったらしい。

 マスターは言霊って知ってる? 不吉なことを言うとその通りになるとかいうよね。忌み言葉とかさ。現代にその言い伝えが残っているのは、そんな一族の力が由来らしいんだ。

 で、歴史が進むにつれ一族は分裂して、能力も細分化されていった。そんな中で彼女の一族は、『溶』という文字の力を最大限まで引き出させるようになったそうだ。

 だから彼女は体を溶かせるし、すぐに元通りに再生することができた。クラスの皆と仲が良くなれるのもその能力の一端らしい。

 ほら、集団に馴染むこと、『溶け込む』って言うだろう? 

 

 違う、親父ギャグじゃないよ。それだけ言葉の力が強いんだって。当の本人がそういうんだから仕方ないじゃないか。……僕も正直、信じきれなかったけど。

 君信じていなかったの!? 

 

 

 でも彼女の一族は前途多難だったという。古くから彼女の兄のように盗みを働いたり、罪を犯していないとしてもどこかの家に寄生して生きる者が多かったという。

「もっと昔には、人を殺して金品を奪う生き方をしてたみたいなの。……私は、そういう生き方だけはしたくなかった」

 ……確かに、僕は彼女にかつて能力の妄想話をした時に、思いついたけど言わなかったことがあった。

 

『溶ける』事ができるのなら、人を『溶かす』事も出来るのではないか? って。

 

 でも彼女はそんな事は一言も言わなかったし、そもそもする気も最初から無いのだろう。……冗談にしても、当人からしたら笑えないだろうしね。

 彼女の説明は明瞭で分かりやすかった。でもそうすると、一個今までの話で説明がつかないことがある。

 

「多分気になってるんでしょ。何でお兄ちゃんがすぐに死んだのか、なんで私に身寄りがいなかったのか」

 ……君は心も読めるのか? って聞いたら笑ってた。

 

「違うよ。君の性格、何となく分かってきたもん。聞きたそうな顔してたからさ。……もう全部教えてあげるよ。私達のもう一つの秘密」

 

 

「これはお兄ちゃんが自分の死を分かってた理由にも繋がるんだけど……私たちはその力と代償に、ある呪いがあった。……それは、『寿命』」

 

 

 その事実は、何よりも衝撃的だった。

 彼女たちの寿命は、とてもとても短いのだという。

 

 漫画とかだとさ、人ならざる者って総じて皆長寿じゃないか。フィクションとかだと不老不死だって当たり前にいたりする。だから無意識に、彼女は僕ら人間より長生きするもんだと勝手に思ってた。彼女に尋ねた。普通何年まで生きるの? って。

 じゃじゃん! クイズです! マスターも考えてみてー

 

 普通は成人まで生きれないんだって。しかも女の子は更に短いときた。

 あ、ちょっと! すぐ言わないでよ! クイズにならない! 

 僕はそれを聞いて、嫌な予感がむくむくと湧いてきた。

 

 何で彼女は今日に限って僕を招いたのか。

 もしかしたら僕が尋ねなくても、彼女は最初からこの話をするつもりだったのではないか。

 

 では、何故? 

 

 

「……もしかして、察してる? そう。……私もね、多分もうすぐなんだ」

 

 

 ああ、世界は、どこまで彼女に残酷なのか。

 

 

 

 

 

 気づけば僕は彼女と分かれ、自宅に向かっていた。

 ひねくれてる自覚はあれど何だかんだ普通の子供だった僕にとっちゃ、自分の死をあっけらかんと語る彼女の事が理解出来なかった。

 彼女が最後に話していた、一族の『死』についての話を思い返していた。

 

「私たちは、死期が近づくと死ぬ日が何となく分かるの。最期の日になると、何故かいつも雨が降るんだよ。ふふ、不思議でしょ? 私も理由は分からない。その雨に打たれると、次第に体が溶けていって、最期はそのまま雨に洗い流されて、終わり」

 

「お兄ちゃんの死んでいく様子は今でも忘れない。アメーバが死ぬ瞬間とか、動画とかで見たことある? あんな感じ。核が壊れて全身がバラバラになっていくアメーバのように、少しずつ体のパーツがとれていって、最後は雨水に流れて溶けきっていった」

 

 僕はあまりの生々しさに耳を塞いだ。でも彼女は怯える僕が塞いでいた手を掴むと、無理やり下ろして、最後まで僕に凄惨な描写を聞かせ続けた。狂気すら感じる程の圧だった。

 

 僕は吐き捨てる様に言った。だったらずっと家にいればいいじゃないかって。そうして、雨を避け続ければ死なずにすむんじゃないかって。

「ううん。違うの。雨に当たらなくても死ぬのは変わりない。だけど、雨に流されずに自然に溶けていくのは、時間もかかるし何より本当に痛いんだって。文字通り、体が引き裂かれるような痛みを延々と味わいながら死ぬことになるんだって。……かつて試した人がいたんだけど、その現場はもう見ていられないものだったって」

 

 

 もう夜だったけど、家に帰る前に海へ寄った。彼女と初めてした約束を思い出していた。

 

「この町には、綺麗な海があるよね? ……どうせ死ぬなら海で死にたい。絵本で読んだ、泡となって消えた人魚姫の様に、そのまま消えていなくなりたい。だから君もその場にいて。どうせ死ぬ運命が変えられないなら、せめて死に方は自分で選びたいの。唯一私の正体を知っているあなたに、見守られながら死にたいの…………お願い」

 

 ……酷いよね。中学生に頼むには重すぎるお願いだよね。死に様は綺麗でありたいという感覚なんて当時はまだ僕には理解出来なかったよ。自分がいつか死ぬことすら考えたこと無いってのにさ。

 でも、自らの死生観を若くして確立させていた彼女が、ただ漫然と生きていた僕にとってとても眩しかったのも、また事実なんだよね。

 

 

 

 それから一週間くらい経過した。彼女はその日14歳の誕生日を迎えていた。

「ありがとう!」

 この日は、クラスの皆が総出で黒板にメッセージを書いて、皆でお金を出し合ってケーキを買ったんだ。それを目の前にして、彼女は満点の笑顔を浮かべていた。僕もその輪の中に紛れ込んで、ケーキの切れ端を食べていた。

 

 

 その夜に、僕は彼女に連絡を入れてこっそりと家を抜け出した。

 僕が彼女にあげられるのなんて、僕だけが知っているとっておきのスポットくらいだった。だから僕は、彼女にこの町一番の夜空をあげた。

 

「皆がくれたケーキも嬉しいけれど、あなた一人がくれたこの景色の方が嬉しいかも」

 彼女は、夏の大三角を見上げながらそう言ってくれた。

 

 恥ずかしかった僕は誤魔化すように、写真を撮らないか、と彼女に言った。

 

「……そうだね、撮ろうか」

 

 彼女の反応が思ったより弱かった事が少し気になった。

 写真が嫌いなのかな? と思ったが、言い出したからには撮ろうと僕は安物のカメラをカバンから取り出した。

 

 星空をバックにして、二人だけの写真を撮る。

 はい、チーズと言ってシャッターを切る。

 その瞬間僕の右半身が、少しの衝撃と共にじっとりと濡れた。

 

 うわぁ! と悲鳴をあげた僕が慌てて右を見ると、全身を滴らせた彼女が僕に抱きつきながらカラカラと笑っていた。

 内心ドキドキしていた僕は、何すんだよ! と怒った振りをするのが精一杯だった。

「アハハハ! 肝試しだよ~。ホラホラ、ビックリした? ねぇねぇビックリした? 」

 おばけのように手の甲を下げながらからかってくる。

 これで白装束でも着たら本物の幽霊と変わりないだろうね。そう返すと「そっか、良かった! 今の私の夢は幽霊になることだからね! 昔は幽霊って存在が怖かったけど、今はむしろ居てほしいよ」なんて言ってくる。……そんな事言われちゃうと、もう何も言えないよ。 夢、叶ったよ。……聞こえないよね

 

「思ったよりも生きれているなー私」

 草むらに寝っ転がった彼女は、星と酷い顔をした僕が写った写真を見比べながら、ポツリとそう呟いた。これからも生きれるよ、と僕は言った。

「そうだといいね」

 そう言って笑う彼女の表情は、もう諦めを知った大人の顔だった。

 

 

 

「ねぇ、君は水葬って知ってる?」 

 

 心の動揺を隠しながら、知ってると答えた。そうそう、ご遺体を海に流すっていうやり方。日本だとご遺体をそのままっていうのは出来ないけれど、火葬した後の骨を撒くっていう事は出来たりするよね。

 

「私さ、あれを知って、海で死のうと思ったんだよね。私だったら全部溶けちゃうから、法律破っててもどうせバレないしちょうどいいよね」

 

 僕といる時の彼女は、この頃こうして死に方について話すことが多くなった。でも、何で僕たちはまだ子供なのにそんな暗いことを考えなきゃいけないんだろう、と僕はそれに一向に慣れなかった。

 

 思わず、もう、そんな事言わないでくれって彼女に言った。

 でも彼女は、すぐに首を横に振って、こう言った。

 

「多分もうダメだと思う。何となくだけど、分かるんだ。……最近、溶けた後の再生が遅くなってるし、組織の安定もしなくなってる……もうね、人前にいるのも怖くなってきたんだ。授業を受けてても、こうしている内に突然ダメになっちゃうんじゃないかって……。体育で転んだ時も、衝撃で体がバラバラになっちゃうんじゃないかって……もう、わたしさ、前みたいに皆と居るのが、こわいの……」

 

 そう話している彼女の声色は、涙声だった。

 

 僕は、この時初めて彼女の涙を見た。こんなにも弱気な彼女を見るのも初めてだった。死ぬことにすらどこか前向きな様に見えていたのは空元気だったことを察してあげればよかった。

 きっと、彼女は家のあの仏壇の前で手を合わせている時も、こうして泣いていたのかもしれない。自分しかいないから自分を偽る必要もない、あの場所で誰にも話せない不安や恐怖を抱えながら、一族に見守られながら、泣いていたのかもしれない。

 

 

 そう思っていたら、気づいた時には彼女を抱きしめていた。

 

 普段なら絶対に、そんな大胆なことは出来なかっただろう。

 だけどあの時だけは、引かれたらどうしようとかは考えなかった。

 彼女の事を心の底から憐れんでいた。

 もうそれが、彼女のためなのかすらも知ったこっちゃなかった。ただただ、純粋に可哀そうで、それでも健気に振る舞っていた彼女を偉いねと褒めてあげたくなって。

 今はもう、君の秘密を知る人は君だけじゃない。僕がいるよ、と僕は彼女の耳元で呟いた。

 

 

「……ホント? ずっと、見ててくれる?」

 

 

 勿論だと、僕は言った。

 

「……前、約束したよね。次、雨が降った日が()()なる。そうなったら、私を海に連れてって」

 

 どうやら、残り時間は僕が思っていたよりもずっと短いようだった。

 

 

 

 その日から、家に帰った僕はとにかくてるてる坊主を作りまくった。

 ティッシュの無駄だとか、運動会前でもないのに何故だとか母親からはさんざん言われたけど、止めるつもりは無かった。だって次に雨が降った日が最期なんて言われちゃあね。

 

 でもね、降りやがったよ。あっけなく。確か、話をしてから一週間経たない位だった。

 こういうのは、変えられない

 

 ……マスター、ごめん、もう一杯酒飲ませて。あと水も。ここから大事な所だから。

 

 

 

 

 ……その日の朝、彼女からメールが届いた。

 

 

『今日の夜』

 

 

 今までとは打って変わった、簡潔なメール。僕は彼女の為になることをしようという決意を持っていた。

 ちなみに昼だったら仮病を使うつもりだったけど、彼女曰く夜みたいだったから、普通に学校に行った。

 

 でも彼女は休みだった。

 クラスメイト達は残念がってた。そういえば彼女が学校を休むのは初めてだった事に、僕はここで気づいた。あの日の学校は、つまらなかったなぁ。

 

 学校が終わった時までは晴れてたんだけど、夕方になってから天気が一転した。

 外は豪雨になっていた。皆は何で急に雨がふるんだと口々に言っていたけど、理由を知っている僕は何も言えなかった。

 

 ずぶ濡れになりながら家に帰って、休んでいる内に20時になった。そろそろだ。親には友達と飯を食べると言って、言われた通り家から自転車を引っ張り出して、彼女の家に向かった。

 あれは本当に酷い土砂降りだった。台風とまではいかないけど、人生で初めて見るレベルの雨だった。いやに生暖かい雨だった。きっと夏のせいだと思うことにした。

 

 

 もう何回も送った彼女の家。迷路みたいな道も自然と覚えていた。

 家の前に、彼女が一人ぽつんと立っていた。

 

「あ! おーい!! こっちこっち~」

 

 彼女は僕を見つけると嬉しそうに手を大きく振ってきた。まだ体も溶けていない。いつも通りだ。本当にこれから寿命を迎えるとは思えないくらいの元気だった。

 

「良かったー来てくれて。これでメール無視されたらどうしようかと思っちゃった」

 

 そんな事しないよ。

 

「あはは、君はそうだよね。そんな事しないよね。……このままこうしてずっと話していたいけれど、時間無いからさ。……行こっか」

 

 そして僕らは海まで向かった。この間に、何か話せば良かったけれど、何を言えば良いのかわからず言葉が出てこなかった。彼女もまた無言だった。

 

 

 そして、僕たちは海に着いた。こんな雨が降る夜の海に人なんて誰もいるわけもなく。雨を受け止めている海からザアザアという大きい音がして一層不気味に感じたものだ。

 砂浜まであと一歩という所で、彼女は立ちすくんだ。でも、そんな彼女の背中を僕はそっと押した。事前にこう言われていたからだ。

 

『もし直前で私がビビるようなことしたら、君が私を引っ張りだして』

 

 本当はこんな事したくない。彼女の体を回れ右させて家路まで連れて行ってあげたい。

 だけど、もし本当に彼女の寿命が今だったら。それは彼女のためにはならないんだ。だから、もう僕には約束を守るしか、選択肢は無かったんだ。

 

 

「……ありがとう」

 そんな僕に、彼女が小さい声でお礼を言った。お礼を言われる様な事は何もしていないのに。

 

 彼女は再び歩き始めた。あと数歩で海に足が着くくらいまで近づいた。海は今まで見た何よりもずっと大きくて、僕もこのまま飲み込まれてしまいそうだった。

 

 

 そこで彼女はまた立ち止まった。そのまま、ゆっくりと深呼吸をして、顔を上げた。

 

「…………よし!!」

 

 さっきまでと一転、彼女はいつものような明るい声色に戻った。

 顔つきも緊張した様子はあったけれど、口角が上がっていた。

 彼女は、覚悟を決めたのだと分かった。

 

 

 すると彼女は、腰元の布地に手をかけて、手早く自分の服を脱ぎ始めた。

 

 

「……何よぉ。そんな見ないでよ。恥ずかしいなぁ」

 見ないでなんて、嘘だけどね

 着衣して海に入るのだと思っていた、ろくな経験も無かった僕にとってはそれはあまりにも刺激が強かった。慌てて、何で脱ぐんだと尋ねた。

 

「だって、海に服を残すわけにもいかないでしょ。死ぬのも環境に優しくしないとね。あ、この服は終わった後に、適当な場所に埋めといてもらえる?」

 

 植物の種を植える時のような、気安い口調で僕にお願いしてきながら、彼女は服を脱ぐ手を止めない。

 ブラウスを脱いで、スカートも下ろして。キャミソールやパンツまで躊躇いなく脱ぎ捨てた。

 

 あっという間に、彼女は生まれた時の姿になった。

 僕は顔を真っ赤にして横に背けた。でも、彼女はそれを許しちゃくれなかった。こちらに近づくと、僕の顔を掴んで無理やり目を合わせてきた。

 

「ダメ。それだけはダメ。見て。私の姿を。最期まで。お願い」

 私だって恥ずかしかったんだから

 短い言葉で区切るように。ゆっくりと僕に言い聞かせるように言った。

 細い首からなだらかな肩へ、そして小ぶりな胸まで全てが僕の視界に入ってくる。

 かつて彼女が例えた人魚姫を彷彿とさせるその姿は、あまりにも綺麗だった。ゾッとするほどに。

 ……その言葉、生きてた時に聞きたかったな

 

「……ああ、今分かったよ。雨に打たれて死ぬっていうのは、ある種の神さまの優しさなのかもね。仮に痛み云々が無くても、やっぱこうして死ぬべきかもね。液状とはいえ、死体が残るのってやっぱ後味悪いし。ちゃんと洗い流してくれるのは助かるかもね。ある種自然の摂理ってやつなのかな。アハハ、何言ってんだろ! 充分超自然的な存在なのにね!」

 

 ゆっくり、ゆっくりと足を海に進めながら彼女は一人語る。それは僕に向けていっているのかも最早分からなかった。

 この時、僕は初めて気づいた。

 

 ……彼女の体の、雨に打たれている所が、少しずつ凹み始めている。彼女の体が、原型を留めなくなってきている。時折再生しているのか少しだけ盛り返す事はあれど雨の勢いが強すぎて再生が追いついていない。

 

「あはは! 冷たい! 夜だからかな? もう夏なのに!」

 

 痛くないというのは本当らしい。あれだけ体が崩れ始めても彼女はいつものように笑っていた。

 

「ねー! 見てる!? いい気持ちだよー! 君も入らない? なんちゃって!」

 

 そう言って彼女はこちらを振り返った。……ちゃんと僕は、その姿を目に焼き付けたよ。

 

 彼女の表情は、もう溶け始めたせいでよく分からなくなってた。一方で、もう運命を受け入れたようなふっきれたようなその声は、今まで聞いた中で一番明るい声だった。

 君がいてくれれば、受け入れられると思ったんだ。……そう、思ってたんだよ

 

 僕ら人間は、最後は衰弱して死ぬことが出来る。それはとても救いがあることなんだって気づいたよ。

 だが一方で彼女たちは、幼い時から周りが死んでいって。それを見ながら、こうして自分も理性を保ったまま死んでいく。彼女達は、何の為に生まれたんだ。望まない力を持った所で何になるっていうんだ。社会というのは異物を取り除く方向に力が働く。異能を持っていたって、彼女たちはその力に抗うことは結局出来なかったんだ。この世界にはもっと楽しい事があるはずなのに。それを知る為のお金も時間も与えられない。なんて、なんて理不尽なんだと。

 なんでだろうね。それを考えることに意味なんて無いと思うよ

 

「アハハハハ! アハハハハハハハハ!! ……ぺっ! ぐわー! 溶けた髪が口に入っちゃった!」

 

 楽しそうな彼女の声なんてもう耳に入らなかった。もう僕は約束を守るのに精一杯で、涙でぐちゃぐちゃになりながら彼女を見るのが精一杯だった。本当はもう逃げ出したかった。もう彼女は狂っていたのかもしれない。せめてそうであってほしいとすら思った。……本当に弱い人間なんだよ、僕は。死に立ち会う事を軽く見ていた。ここにきて、心の底から、ここに来た事を後悔していたんだ。 そんな事言わないで

 もし目を少しでも背けたら、彼女は怒ってくるだろう。彼女の目ももう溶けて無くなっているようにみえるけど、どうやらこっちのことは見えているようだった。僕は泣きながら胃の底から湧き出てくる酸っぱさを堪えていた。

 そんな事言わないで

 

 

 すると、雨音をかき消していた彼女の長い長い笑い声が、ある時ぴたりと止んだ。

 

 途端、代わりに雨音が僕の耳に入ってくる。その事に気づいた僕は、もう一度目をこらして彼女のことを見た。

 

 

 

 その姿は、今まで見たどんなホラー映画よりも恐ろしかった。

 

 彼女の髪は溶け切って完全に無くなっていた。頭も半分ほど溶けていて下半分しか残っていなかった。浸かっていた足はもう無くなっていたのだろう。身長も随分と低くなっていた。上半身は鎖骨や肋骨の様なものが体から飛び出していて、でもその骨もやがて飴のようにぐにゃりと曲がっていた。重い頭蓋骨が無くなって体のバランスが保てなくなってたんだろう。体はふらついていて、今にも海に倒れ込みそうになっていた。

 

 

 でも、彼女は絶対にこちらを見ようとしているのが分かった。

 

 眼球は完全に無くなっていたし、文字通り顔のパーツが『消えて』いたから彼女の表情なんて分からない筈なんだけど、もし顔が残っていたならば、彼女は無感情な表情でこちらを見ているんだろうと、思った。……ああ……

 

 

 唇も無くなってて、かつて口だった所にはかすかな凹みしか残っていなかったけど、その凹みが僅かに動いているのが分かった。

 凹みを必死に動かしながら、かつて腕だった何かを、雫をたらしながらためらいがちにこちらに伸ばしては、引っ込めていた。動かした時の振動に負けた腕だった何かが、ぼとんと海に落ちた。

 

 

 何かを伝えようとしている。彼女は何か言葉を伝えようとしているのだ。繰り返し、繰り返し。何だ。何を言っているんだ。

…………ああああ…………

 声帯も溶け切った彼女は、もう声を出すことも出来ない。

 

 でも、僕は凹みの動きを懸命に観察した。……やがて彼女が何を言っているのかが分かった。

 

 

こわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかった

「やだ、しにたくない。たすけて」

こわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかった

 

 

 僕は、海へ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 うれしかった

 

 

 

 

 それからしばらくして、僕は病院で目が覚めた。あれから家に帰ってこなかった僕を心配した親が警察を呼んだらしい。僕はあの海の砂浜に打ち上げられていたそうだ。海水を飲んでしまってて意識も失っていて、後少しで危ない所だったらしい。

 目を覚ました後は、それはもう親からこっぴどく叱られた。今後海に行くことも禁止されたんだ。

 父や母からは10回はぶっ叩かれたけど、20回以上泣きながら抱きしめられてさ。そんな親の姿を見るのは初めてだったから、ここで自分がどれだけ危ない事をしたのかって気づいてさ。僕もワンワンと泣いたよ。

 

 飛び込んだ瞬間のこと? ……覚えているよ。夜の海は本当に暗い。暗いどころか、本当に無限の闇って感じだ。いくら手をかいて泳いでも、先が全く見えなかった。それでも僕は、どうにかして彼女の所まで辿り着こうと無我夢中で泳いでいた。でも服がどんどん水を吸い込むし、そもそも僕は泳ぎが苦手だ。あっという間に水が口の中に入り込んで、そのまま視界が暗くなっていった。

 ……僕がやったことは無駄だったろう。だって仮にたどり着けた所で、僕に何が出来た? あの時もそんな事は薄々分かっていたよ。だけど、それでもせめて傍にいてあげたかったからさ。正直、僕の命なんてどうでも良くなってた。

 え、何でそこまでしたのかって? ……マスター、察してるでしょ。

 

 …………自分の思いってやつはちゃんと言える時に伝えるべきだね。僕は結局最期まで言えなかった。

 

 

 

 ばか、気づいてたよ

 

 

 …………ふぅー。あー口が疲れた。最後の最後に恥ずかしい事言っちゃったな。

 ま、これで話はお終い。え? うん、終わりだよ。

 その後の事? その後僕はすぐに退院して、そのままいつも通りの生活に戻ったんだ。後はとりわけ語るような事は何もなかった。

 

 

 

 ……そう、『いつも通り』だったんだ。

 

 登校してみるとびっくりしたよ。彼女の存在は、最初から無かったことになってた。

 誰も彼女のことなんて覚えてなかったし、席は勿論、写真も何も残ってなかった。皆との今までの思い出は、彼女だけが欠けた状態で保たれていた。みんなみんな、溶けて消えて無くなったように、綺麗さっぱりと無くなったんだ。あの時、山で彼女と撮った写真も、変な顔をした僕だけしか写っていなかった。彼女の事が残っているのは、僕の頭の中だけだったんだ。

 

 

 ……マスターもそう思う? 実は僕も時々そう思うことがあるんだ。

 

 

 

 もしかしたら、最期彼女は、僕を道連れにしようとしてたんじゃないかって。

 

 …………

 

 実際の所? ……どうなんだろうね。もう分かんないよ。

 調べるあても無いし。これがミステリー小説とかだったらどこかにヒントでもあったかもしれないけど。現実なんてそんなもんじゃない? 

 

 いや、でも僕は信じてるよ。彼女はそんな事しない。

 彼女はあの能力以外はただの人間だったんだ。人間と同じように食事を楽しんで、真っ暗な夜を怖がるようなごく普通の感性を持っていたんだ。だったら、死ぬのだって怖くない筈ないだろう? きっとあれは、僕がいたから気丈に振る舞っていたけど、つい最後に怖い気持ちがポロっとでたんだと思う。ただそれだけの、純真な本音だったんだと思うよ。

 そうだよ。待ってるからねー

 

 実はね、さっき僕だけが覚えているなんて言ったけど。実は僕も段々と彼女の顔を思い出せなくなってきたんだ。名前に関してはもう完全に思い出せない。せめて僕に絵心があれば顔の印象とかは残せたかもしれないけど、拙い絵を書いてみてもどれもしっくりこなくてさ。

 だからせめて、こうしてエピソードだけでも話せるうちに誰かに話しておきたかった。

 

 ……もうこんな時間か。随分長くなっちゃったね。……そろそろ帰るよ。マスター、お愛想を。え、これから? ……うん、海を見ていこうかと思って。実はね、僕がここにやってきたのも、海が近くにあったからなんだ。ここもキレイな海だよねぇ。ウチの地元には負けるけどね、あはは。彼女の事を、少しでも思い出したくてさ。……5200円ね、はいこれ。

 ん? お釣り? いやいや、僕はぴったり出しているよ。……300円? そんなわけないんだけど……分かった分かった。そんなに言うなら受け取っておくよ。

うん、それだけあれば、足りるね

 

 おいしいお酒ありがとう。またね。

 じゃあね。マスター

 

 

 

 ……あの日の様な、すごい雨だね

 ……ああ。今日は、すごい雨だ。



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