ぱっと見全然分からないけど、実は激重感情抱いてるっていうのがめちゃくちゃ好き
書きたくなったので
魔物溢れる鬱蒼とした森、雄大たる自然の渓谷や山脈に囲まれ、人里とは孤立した場所にある館の一角にて。
「……ん、ライル。あれ取って」
家の居間に鈴を鳴らしたかのような涼やかな音色の声が響く。
その声の主は、木製の高価な椅子に座って何かを書き記しながら優雅に寛いでいた。
その人物の長い銀碧色の髪は夜の星々を散りばめたように美しく、目鼻立ちの整った顔や健康的な白さをした肌をしている。
彼女は、冷ややかな顔をして俺に向かって小間使いでも扱うように命令してくる。
「これですか?」
多分これだろう、というものを家に無数に存在する棚から引き出し手に取る。彼女の声のトーンから、何を欲しているのかすら分かるようになってしまった。
取り出したものは、魔力を含んだ宝石だった。確か、最近のこの人の研究は魔力が人間に与える影響についてだったか。いつもの事だが、また難しいものをやっている。
「そうそれ、早く」
早くしろと言わんばかりに指示してくるので、速やかに彼女の手に煌めく宝石を渡す。
「遅い、もっと早く」
「えぇ……そりゃ無茶ですよ……」
「早く察してよ、何年居ると思ってるの」
冷たい表情を崩さず、長い足を組んでとても偉そうな彼女だが、俺はこの人には逆らえない。シンプルに彼女の方が強いというのもあるが、この人には大きな恩があるのだ。
それから彼女は俺のことなど無視して、魔力の宿る宝石を見ながら研究を進め始めた。嫋やかな白い指が宙を踊り、世界の演算を見通す碧眼の視線が紙の上を滑る。
窓から差し込んできた日に照らされた彼女は、魔女と言うのに相応しい程美しかった。
◇
俺の師匠、フィーネ・イアンピスは世界最高峰の魔術師だ。
彼女はこの世に存在する魔術の殆どを網羅し、実戦での戦いも練達されていて、それでいて尚探究をやめない根っからの魔術師である。俺も彼女と手合わせは常日頃から行わせてもらっているが、正直勝てる術が見つからない。
それに加え彼女は若返りの秘術を確立しているらしく、彼女の姿は永遠に変化せず、無限とも言える時間の中で魔術を研究している。さすが、人々から魔女と呼ばれるだけはある。
当然だが、この大陸に存在する様々な国々から師匠に向けて勧誘の手紙は幾度も届いたことがある。十分に訓練された魔術師は運用法によっては兵士五十人分の力があるとされており、そして一般的な魔術師を遥かに凌駕する彼女は最早何人分の力を持っているか定かでは無い。各国が獲得に躍起になるのも当然だとうなずける。
だが、彼らは師匠の気性を把握していなかった。
どこまでも魔術の探究に時間を捧げ、性格は傍若無人で自由奔放。そんな傲岸不遜を地で行く彼女が国に縛られるのを良しとするはずが無い。
いつまでも届く手紙に辟易した彼女は全ての手紙を破り捨て、現在住んでいる辺境の地に移住したらしい。
そして、そんな師匠と俺が出会ったのもその頃であった。
『あら……こんな所に……子供?』
師匠がたまたま用事があり人里へ出掛けていた時、町から少し離れた草むらに一人の子供が居たらしい。
黒髪は土や泥で汚れ粗末な服を着た子供が一人、月明かりの元佇んでいた。人種は人族、見た目にこれといった特徴は無く魔物ではないと彼女は判断した。
まぁ、その子供は俺な訳だが。
『ねぇ貴方、何でこんな所に居るの?親は?』
常に冷たい目で人を見下している師匠だが、流石に人間としての常識はあるので当時の俺にそう問いかけた。
『……分かんない、置いてかれた……かも』
師匠の目を見て平然とした顔で、当時の俺は言ったらしい。最早十数年前の事で記憶も定かではないが、確かに昔山に捨てられたような気がしないでもない。
余りに貧困な家庭だと子供を売ったり捨てるなんてことは良くあることらしく、恐らく俺の両親も貧しさに我慢しきれずに負担となる俺を捨てたのだろう。今となっては奴隷として売られるよりは全然良いと思ってるので、特別恨んではない。
『ふーん、捨て子ね』
師匠はそう言って俺の体を観察し始めた。貧相な体であることは見て取れたが、彼女はそこにある特別なものを見つけた。
『貴方、中々魔術の才能あるね。当然私程じゃないけど』
そう、魔術の才能である。俺は一般的な人と比べて二十倍程の魔力を保持していたらしく、これは各国の大魔術師と比べても遜色ないものだ。
師匠は、そんな才能の原石である俺を見捨てるのが惜しくなった。正確に言えば、魔術を極めることが出来る器を持つ者が呆気なく死ぬのが勿体なく感じたらしい。自らに近づける可能性のある人間がしょうもない死に方をするのは、気分が悪かったのだとか。
まぁ……そんなことを言ってはいたけど、師匠は多少俺の事を可哀想に思ったのだろう。あの人も人の心を捨てたわけじゃない。勿体ないと思ったのは事実だろうけども。
『うーん……どうしよう。貴方、私の弟子になる?ちょっと厳しいし辛い修行もするかもしれないけど、ご飯と家は保証できるよ』
師匠の言葉に頷いた俺は、彼女から魔術の教えを受けることとなった。
◇
そうして十数年の時が経ち、現在俺はまだ立派に師匠の弟子をやっている。
「ふぁ…………朝か」
早朝、ふわふわと揺蕩う意識の中でぼんやりとした体をゆっくりと起こす。自室にある窓を開くと、外から木々の湿った匂いや冷たい風が吹き込んできた。辺りを確認するが、森はまだ薄暗い様子を保っている。
師匠の館のある地域は辺りを深い森に囲まれ、加えて森には防犯用の彼女の魔術が掛けられていて人はそう簡単には入れやしない。
俺は魔術で出した水で顔を洗うと、二階にある自らの部屋から出て居間に降りた。
大量に積み重なった紙、妖しい光を放つ宝石、人の顔が付いたよく分からない植物など、この部屋には師匠の私物が大量に置かれている。だが綺麗に整頓されていて、あまり不快感は感じないのは彼女がだらしない事を嫌うからだろう。
居間の中を歩き回り、朝食を作る為に食材と魔道具を取り出す。彼女の弟子となってから料理を作るのはずっと俺の役割だ。何年もやっているので、もう面倒とは感じない。少しは手伝って欲しいとは思うけど。
料理の煙と匂いが充満していく中、俺は二階に上がってある扉の前に向かう。俺は廊下の先にある無地な黒の扉に立つと、手の甲で強めに扉を叩いた。
「師匠、起きてますか?ご飯出来そうです」
……少し待ったが、中から声は聞こえない。
まぁいつもの事だ。この人は完璧主義な癖に、何故か寝起きはめちゃくちゃ悪い。果たして俺が居なかった頃はどうやって支度をしていたのだろうか。
このままでは埒が明かないので、扉の取っ手に手を掛けて捻る。
扉を開けた先には、部屋の真ん中に置かれたベッドで長身の美女が寝ていた。艶のある銀髪がベッドの上で踊り、手足で毛布を抱いて無防備な姿を晒している。すーすーと穏やかな呼吸をしている彼女は、正しく俺の師匠である魔女フィーネだった。
……普段の様子からじゃ考えられない程可愛らしいけど、こんなこと言ったら殴られるな。
「師匠……師匠、起きてください。もう朝ですよ」
「……んぅ……うるさい……ねむい……」
もぞもぞと動き、彼女は俺の呼び掛けから逃げるように呟いた。
「ご飯冷めますよ。ほら、早く。研究の時間も無くなっちゃうし」
「……はぁ……しょうがないなぁ。もう……ライルがうるさいから……」
貴女の為に言ってるんだよ。
内心そう呟きながら、俺は寝起きで不機嫌な師匠を連れて階段を降りる。ふらふらと危なっかしい彼女を支え、居間にある椅子に座らせた。
まだ眠そうに瞼を擦っている師匠の背後に立ち、持ってきた櫛で彼女の髪を梳く。手入れが行き届いた長い銀髪は入れた櫛を柔らかく通し、彼女もそれを静かに受け入れた。
「これでよし。俺はご飯作ってるので、先に服着替えておいて下さいね」
「……不味かったら容赦しないよ」
「はいはい」
師匠の言葉を受け流し、さっさと料理を終える為に台所へ向かう。
魔道具に魔力を流したり食材を処理する中、視界の奥で服を着替える女性が居るが無視する。最初こそ慌てた記憶はあるが、何年も一緒に居てこんなことは慣れてしまった。
さて、そろそろ料理が出来そうなので完成した食事から盛り付けていき食卓に置いていく。机の上で暖かな湯気が立ち、食欲を唆る香りが部屋に立ち込める。
そうして慣れた手つきで残りの料理を作っていると、いつのまにか机に銀髪の女性が着いている事に気づいた。
あまり待たせる訳には行かないので、手早く作業を終わらせて机に着く。律儀にも彼女は俺が机に来るまで待っていたようで、食事に手は付けていなかった。
「……ふうん、悪くないね」
師匠は俺が淹れたコーヒーを飲みながらそう言った。
彼女はある国で採れる高級豆を取り寄せ、淹れ方にも拘る程コーヒーが好きな面倒な人間だ。
「師匠に出来るまで訓練させられましたからね。嫌でも上達しますよ」
「何その言い方。まるで私が強制したみたいに言って」
「いや、貴女が俺に無理やりやらせたんじゃ……」
「何か言った?」
「いえ、何も」
本当にこの人を師匠と呼ぶべきなのだろうか。流石に弟子の扱いがあんまりだろう。
だからと言って彼女を嫌うことは絶対にありえないが。
師匠はそれから皿に盛り付けられた朝食に手を付けた。特別何か言う事は無いが、無表情で口に運んでいるところを見ると合格点に達したのだろう。悪くない味だと自分を褒めてやりたい。幾度試行錯誤を繰り返したことか。
師匠はことりと机にカップを置き、
「……貴方も、良く成長したね」
どうしたのか、突然そんな事を言い始めた。
「え、えぇ……どうしたんですか。人が変わったみたいに、突然俺のことを褒めるなんて。正直恐ろしいです」
「……もしかして死にたい?」
碧眼を青く輝かせて魔術を発動させようとしている彼女に、俺は必死で否定した。身振り手振りで何とか鎮めようとしたのが良かったのか、彼女は呆れたように溜息を吐いて魔力を収めた。
「はぁ……まぁいいや、貴方も私の弟子としては漸く及第点になったって事を言いたいの。昔は酷かったからね、魔術のまの字も知らない状態から良くここまで育ったと思うよ」
「それは……そうですね。あの時の俺はまだ何も知らないガキでしたから」
師匠に保護された時の俺はまだ、彼女の恐ろしさも自らの愚かさも知らない子供だった。そんな俺をここまで育ててくれた彼女には感謝してもしきれない。
「そうだね、本当に大変だった。最初は館の中で魔力を暴走させて仕方なく気絶させたり、私に魔術をぶつけて怒らせたり、喧嘩売ってるのかと思った」
「……や、それは……まぁ仕方ないですよね。子供のやることなので」
「私にそんなことやるなんて子供でも許されないよ」
「……そっすね」
師匠にとって世界とは自らを中心として回っているようなものだ。ガキ一匹程度何の障害にもならない。
「……ん、それはそうとして。良くあのふざけた子供から育ったね。あの大陸のクソ王共にも勧誘されてもおかしくないぐらいには強くなった、それだけは絶対に拒否するけど。外の魔術師を探しても中々ライルと比較出来る魔術師はそう居ない。そうだね……今の貴方の魔術師としての力は――」
珍しく口数が多く、何故かそっぽを向いて。
「……まぁ、私の足元ぐらいはあるんじゃない?」
その言葉に、俺は目を見開いて口をぽっかりと開けた。
「……何よその阿呆面。ふざけてるの?」
「い、いえ。何でも」
慌てて取り繕い、食事を再開する。
だが頭の中では先程の有り得ない言葉が繰り返し再生されていた。
俺の中で、師匠が他人を褒めることなど天変地異が起きてもありえない事だった。彼女は自らの中で全てが自己完結しており、他人には興味は無いものだと思っていた。
子供の俺を拾ったのは死んでいくのが勿体ないから、それと小間使いにちょうど良かったからだろう。
果たして彼女にどういう変化が起きたのか。
褒められた嬉しさより彼女の不可解な行動に困惑し切り、頭を抱える。
「師匠。もしかして……変なものでも食べました?他国から取り寄せた魔物の肉とか。流石にそういう物を食べるのはやめて欲しかったです」
「貴方……私が褒めるのがそんなにおかしい?ねぇ、そんなに変かな?ねえ?」
師匠は微笑んでいたがどこか圧力を感じる笑顔で俺を問い詰める。何故か怒り始めた彼女に慌てて弁解する俺だったが、あまりの勢いに押されてしまう。
何かを誤魔化すように勢いに任せて怒る師匠に、俺は頭を振り絞って言葉を探すしかない。
そんな俺は、師匠の頬に朱が差していたことには気づかなかった。
そんなありふれた日常の一幕だった。
◇
朝から昼間までは主に師匠の生活や魔術の研究を手伝う。彼女が起きてから歯磨きまでを甲斐甲斐しく世話して、それから研究の助手をするのは重労働だったが、彼女の力になれているのは嬉しかった。
それから日が傾き始める夕方には、自分が考案して実験している魔術を開発する。魔術の基礎は既に学んでいるので、高度に発展させた術式を創るのは師匠から言われていたことだ。自分で頭を捻り、課題を見つけ出すのは良い経験になる。
夜間は師匠が長年集めた館にある書庫で本を読み漁る。伊達に彼女は不老不死ではなく、その書庫には人類の歴史が詰まっていた。数多の偉人や知識人が書いた知識が詰め込まれていて、俺にとっては宝の山だった。
この十年近く繰り返してきた生活は、一生変わることはないだろうと思うほど安定していた。恐らく師匠に敵う人間など存在すらしないだろうし、態々喧嘩を売りに来るとは思えない。
何処までも穏やかな生活。辛辣で厳しいが、偶に優しい師。何一つ不満は無いし永遠にここで暮らしても良いくらいだ。
だが逆に言えば、それは俺という存在の停滞を意味する。
俺が日常で接している人間は基本的に師匠であるフィーネくらいだ。偶に買い出しに人里に降りる時は商人や兵士と日常会話を行うが、それだけだ。
俺にはあらゆる経験が不足している。人との出会いも少なく、人生の殆どを師の館で暮らし、ただ魔術の研鑽に勤しんだ。根本的に人として俺は未熟だと思うのだ。
特に今の生活に不満がある訳では無い。ただ、自分は外で何を経験してどんな人に出会えるか、そんな旅をしてみたいのだ。世界に羽ばたいて行き、師匠に比肩するような魔術師になりたかった。
ここから旅立ちたいと思い、師匠に話したこともあったが。
「確かに弟子としては見れるようになったけど、貴方にはまだ早い。そんな事を言えるほど強くなったの?そんな暇があるなら勉強したら?本当に阿呆ね」
と辛辣な言葉で突き返され、あえなく撃沈した。別にそこまで言う必要はないだろうに。
仕方なくここから出るのを諦め日常生活に戻ったが、俺の中でその思いは消えることなく火種のように燻り続けていた。
外の世界を見てみたいという気持ちは一層高まり、鎮まることを知らない。俺が居なくなったら師匠はどうするのかということを考えたこともあったが、特に何も無く一人の生活に戻るという考えに落ち着いた。弟子一人消えたとて、彼女が困ることは無いだろう。
師匠に感謝はある。ここまで育ててもらった恩義は一生忘れないだろう。
だがそれ以上に、俺は自分の世界を広げたかった。
◇
目の前で銀髪の女性が厳しい顔でこちらを見ている。
彼女は帝国の上流階級で着用される高級な衣装に身を包み、裾の隙間から覗く長い足を組んで偉そうに俺を見下す。
「駄目、前も言ったよね。ライルはまだ私の弟子として世間に出すには未熟。実力を高めてから言って」
「……それは、そうですが。俺は外の世界を見てみたいんです!」
強く言葉で訴える。
「……そもそもどうしてそんなに外へ出たいの?いや、別にこの館に留まって欲しいという意味じゃないわ。寧ろ早く出ていって欲しいけれど、その理由を聞きたいんだけど」
「俺は……」
ぐっと歯噛みする。この人を納得させられるような理由が見つからない。
「……ここに留まっているよりも、外の世界で経験を積んだ方が魔術師として成長できると思ったからです。師匠の弟子として恥じない行いを心掛けるので、どうかお願いします!」
俺の言葉を聞いた彼女は、呆れたように溜息を吐くとそっぽを向いて手元にある研究メモを眺め始めた。
「……呆れた、何度言ったらわかるの。貴方は未だ実力が足らない、それに世間知らずな貴方が権力者に利用でもされたらどうするの?尻拭いをするのは誰?それも含めて未熟だって言ってるの、理解してね馬鹿弟子」
「……」
ぐうの音も出ない。
だがそんな貴重な社会経験を得るためにも、俺は外に出るべきだと思う。多分そんな事を言ったらひっぱたかれるが。
師匠の言葉で何度かは反対された俺だったが、諦める気は微塵もなかった。日を経る事に外の出来事への好奇心は増すばかりだ。
大体、よく分からない理由で旅立ちを断る彼女にも問題はあると思う。実力が足らないという曖昧な理由で断られては、俺としては直すところが分からない。せめて具体的な目標を設定してくれればやりようもあるが、濁されては分からないのだ。
それから俺はことある事にしつこく師匠に許可を迫るようになった。その度に彼女は鬱陶しそうに俺を睨み、問答無用で叩き落としてきた。だがそんなもので俺が止まるわけがなく、何度も当たって、そして砕けた。
俺には、師匠が反対する理由がどうしても分からない。弟子が消えて困ることなど小間使いが消える程度だ。いや、案外これが理由なのかもな。どちらにしろ俺の決意は固い。
これ以上断られるなら、出来ればしたくはないが無理矢理出ていくのも視野に入る。
そんなある日。
「…………そう、分かった。良いよ」
「え?」
拍子抜けするほど呆気なく、彼女は俺の旅立ちを許可した。
人間、あまりに突然の事だと喜びも湧いてこない。ただ只管困惑があるだけだった。
「え……い、いいんですか。嬉しいんですけど、なんで突然。この間まで反対してたんじゃ……」
戸惑う俺に師匠は研究資料を書きながらつまらなそうに口を開く。
「別に。よく考えればどうでも良い事だなって思っただけ。馬鹿弟子が一人消える程度、私は困らないしね」
「……確かに、そうですね」
口ではそう言ったが、俺は彼女の考えに疑問を持たざるを得なかった。
近ごろまで言っていた事とあまりにも辻褄が合わない。師匠が気分屋なのを考慮しても、少し違い過ぎないだろうか。
……まぁ……良いか。師匠には師匠の考えがある。そこに俺が口を挟む必要は無い。彼女の気が変わる前に話を終わらせよう。
「分かりました。師匠に恩返しが出来るように、外でも頑張ってきます」
「……そうね」
そう言った彼女は俺と目を合わせ、やけに明るく微笑んだ。
◇
それかは幾つか日が経ち。
「珍しいですね、師匠が料理を作ってくれるなんて」
「そう?まぁ、今は作ってないけど昔は毎日やっていたからね」
珍しく台所に立つ師匠に思わずそう言いたくなる。エプロンを付けて髪を後ろで結ったその姿は、俺にとっては余り見慣れない新鮮なものだった。
「……別に態々作らなくても良いですけどね。一生帰らないって訳でもないですし」
ついに明日、俺は師匠の館を出発して外の世界に旅立つ。
この日のために色々荷物を厳選して詰め込み、身支度を整えてきた。そうして師匠の館から出ていく日付の前日となった時、彼女は突然最後だからと料理を作ると言い出したのだ。
勿論普段この館の食事を作っているのは俺である。師匠が作っていたのは俺がまだ小さい頃ぐらいで、成長するにつれて家事諸々を押し付けるようになった。なので今回彼女が言い出したことには少し驚いている。
「……ん、一応私も貴方の師匠だからね。どれだけ不肖の弟子だろうと、新しい道への門出は見送ってあげるよ。ほら、感謝」
「あ、ありがとう……こざいます?」
「ふん、この天才完壁魔女の料理を食べられるなんて世界一の幸運者だね」
「はぁ……」
「じゃあ、先に机に座ってていいよ。まだちょっと時間かかるかも」
そうやって食材を操る彼女の手捌きは久しぶりとは思えないほど洗練されていて、あながち完壁というのも間違いではないのかもしれない。
師匠の言うことに従い先に席に座り、ここで食べる最後の料理の完成を待つ。なかなか彼女の料理は食べたことがないので、ワクワクしてきた。
そうして待つこと数十分。
出てきた料理は、俺の期待を超えるものだった。
「これ……本当に師匠が作ったんですか?」
皿一つ一つに丁寧に盛りつけされた料理たちは、普段俺が作るものと同じかそれ以上に美味しそうだった。皿から立ち上がる湯気は、料理の魅力をさらに引き立てている。
「当然でしょ、私なんだから」
ある程度の膨らみの見える胸を張り、彼女は自信満々に言った。
「はい、丁寧に食べてね。残すことはあんまりおすすめしないよ。というか完食して」
「あ、ありがとうございます」
既に取り分けてあったのか、師匠は料理の載った皿をこちらに配ってくれた。珍しく気の利く彼女に驚きながら手に取り、席に座る。
早速手につけてみるが、やはり見た目の印象と同じく味はとても良い。なんでこんな引きこもりの人が料理上手いのか理解が出来ない。
振る舞われたご馳走に舌鼓を打ちながら、明日からの旅路に思いを馳せる。この先どんな未来が待っているのか、楽しみで仕方がない。
師匠も今日は機嫌が良く、毒舌もかなり収まっていた。にこやかな彼女は、あまり言いたくないがただの可愛い女性にしか見えない。
そうして師匠と食べる最後の夕食は楽しく進んでいたが
「……っ?」
突然手から力が抜け、手の中から食器がするりと零れ落ちる。食器はそのまま机を転がって床に落ちた。不思議に思いながらも、特に外傷は無いので原因は分からない。
面倒だが回収しようと床に手を伸ばしていると、目の前の景色が揺れた。
「……ぅあ…………なんだ……これ」
ふらりと体が傾き、椅子から転げ落ちる。平衡感覚が完全に消え、身体が痺れたように動かない。
手を着こうとしたがそれも叶わず、俺の体は床に倒れ込んだ。
「あら……どうしたの?」
師匠は心底不思議そうにこちらを覗き込んでくる。せめて心配でもしろ、と言いたかったがそんな状況でもなかった。
「…………これ、……やば……」
立ち上がろうとしたが、手足に力が入れない。それどころか意識も遠くなってきた。病気か怪我か、どちらにしろ訳が分からない。
「師匠……すみませ……何だか……眠くなって…………」
「ん、分かった。寝ていてもいいよ」
彼女のその言葉に、俺はどこか違和感を覚えたが理由は分からない。不穏な何かを感じたが、あまりはっきりしなかった。
「まぁ……明日の為にゆっくり寝たら?」
「ぅ……はい」
もはや考えることすら億劫になっていたので、師匠の言っていることに従う。
そうして閉じていく瞼の中、彼女は何故か嬉しそうに微笑んでいた。
◇
「……う……あ……」
あれ……俺……何してたんだっけ……
「――――――」
……だめだ、分からない。何だかふわふわした感じが続いて、思考が纏まらない。
痺れたように手足に力が上手く入らず、まるで夢を見ているような気分だ。
体は仰向けに倒れていて、多分ベッドか何かで寝ている。直前の出来事を思い返そうとするが、何故か霧がかかったように思い出せない。
確か誰かと話していたような……
「――のね――ふ――」
「……ぁ?」
誰かの声が聞こえる。なんだか……普段聞いているような感じだ。
「――――時間を掛けて研究した結果出来た薬を混ぜ込んでやっと眠ってくれるなんて、本当手のかかる弟子……まぁそこが可愛いんだけど」
……?この声は……
「……師匠?」
ぼんやりと霧がかかったように明瞭としない頭を回転させ目を開けてみれば、そこには見慣れた姿の女性が居た。
綺麗な銀髪を腰まで垂らして普段着を着た師匠からは、何故かいつもと違う雰囲気を感じた。
自信満々で冷たい印象を受ける時とは違い、今は暗く歪んだような喜びを感じる。
「……すみません師匠、今は……何してましたっけ……」
「あぁライル、起きたの。私の愛しい弟子……」
状況を把握するために声を掛けると、師匠は笑顔を浮かべながら俺が寝ているベッドに飛び込んでくる。
二人分の重量で軋む音がするのを感じながら、柔らかな全てに身を委ねる。
「……最初からこうすれば良かった。ここに縛り付けて留めて置けばよかったんだ」
「……?何が……」
いまいちよく分からないので聞いてみようとしたが、彼女は聞く耳を持たない。
細い腕を回して抱きしめられる。
彼女の体温と俺の体温が混ざり合い、まるでひとつになったみたいだった。あまりにそれが心地好くて思考を辞めたくなってしまう。
「なんで、どうして私から逃げようとするの?こんなにも私は愛しているのに何で分かってくれないの?朝昼晩一緒に居て十何年も共に過ごして、逃げるなんて許せない。私はぁ……貴方が必要なのに……」
華奢な細腕でさらに強く抱き締められる。
胸元に顔を埋められてくすぐったい。それと、彼女の小ささにも驚いた。
師匠って……こんなに小さかったっけ。
昔はもっと大きかったような……いや、俺が成長しただけか。
「ライル、私のライル。あなたは……私のことを愛してる?」
「愛し……?……あぁ、愛してます。そんな事……当たり前だ」
師匠は俺にとって家族同然だと思っているような人だ。家族を愛していない訳がない。母や父を愛すように、師匠にも家族愛を感じたことはある。
「そっか……良かった」
俺の言葉を聞いた師匠は嬉しそうに顔を綻ばせ、自らの匂いを付けるように顔を擦り付けた。
「大丈夫、ライル。何も心配する必要はないの。私に任せていれば全部上手くいく」
「……はい」
何かがおかしい。普通では無いことが起きている。
俺の勘は鈍った頭で訴えていたが、師匠の言葉によってそれは跡形もなく霧散した。
大丈夫、彼女に従えば安心だ。だって彼女は世界一の魔術師で、俺の師匠だから。
「ねぇ……ライル?」
濁った頭に綺麗な彼女の声が響く。
透き通る魔性の声が俺を狂わせる。
「私と……ずっとぉ……一生、ここに居てくれる?」
曖昧で空にでも飛んでいきそうな頭には、完全に毒だった。
「そんなの、もちろん。俺は……貴女の弟子なので」
自分でも何を言っているか分からないが、こう言った方が良い気がした。
取り返しが付かないことをしてしまった気がしたけれど、もうどうでも良い。流れに身を任せて、後は師匠に従えば大丈夫だ。
「ふふ。馬鹿ね、貴方は」
暗い部屋の中、師匠が顔を近づけて口付けを求めてきた。綺麗で宝石のような瞳が俺だけを見つめて離さない。
されるがままに彼女の唇を受け入れて、まるで心が満たされたような錯覚に陥る。
女性の甘い匂いと熱を発したような彼女の身体、それと脳裏の奥にある僅かな違和感に身を搦めとられて、俺はもう何も考えられなかった。