黒の組織に忠誠を誓う、幸福な男の話。

1 / 1
黒の組織に所属し、組織に深く感謝し、忠誠を誓う人間を見たくて書きました。幸せは、その人の見方や、人によって変わるのではないか、幸せな組織の人間がいてもいいのではないか、そう考えて書きました。何年も前から考えていた小説です。ようやく形にすることができました。支部でも投稿済み。






とある組織の幸福者

 

今でも昨日のことのように思い出せる記憶がある。

 

――――目が覚めたとき、俺は廃墟の中にいた。

 

爆撃されて崩壊した建物の数々。今も尚、耳に入ってくる銃声。物が壊れゆく音。言葉の通じない異国の人々。逃げても逃げても忍び寄る『死』の恐怖。

 

――――俺は、不運だった。

 

その時、自分は戦地にいた。両親の仕事の関係で異国に来た俺は、運悪く戦火に巻き込まれた。

手をひいてくれた両親は既に死に絶え、共にいるのはまだ幼い妹。何もできなかった。助けてくれる人もいなかった。そもそも、どこにいけば助けてもらえるのかすらも分からなかった。

 

しかも、先程、妹が腕を撃たれてしまった。妹はどんどんと冷たくなっていく。俺の唯一の身内が、両親に守れと頼まれた妹が、死にそうになっている。

 

どうにかして、妹だけは助けたい。

 

俺はあらゆるものに願った。どうか、どうか、と願った。全てを犠牲にしていい。俺にできることがあるならなんだってしていい。全てを捧げてもいい。どうか、どうか、妹を助けて欲しい。あらゆるものに願い、祈り、懇願した。

 

――――その時、一人の男と俺は出会った。

そして、彼は言ったのだ。

 

君の妹を助けてやろう、と。

 

日本語で告げられたその言葉に、俺は一つの迷いもなく、その手をとった。

何だってよかった。契約するのが悪魔でも、例えこの世界を滅ぼす魔王だったとしても。妹が助けられるのなら。

 

きっとこの男は『悪い男』なのだろう。

 

だが、俺は己の選択に何一つ後悔の念など抱いていなかった。むしろ、正しい選択だったとさえ思う。妹を助けられたからだ。

 

それからというもの、男は俺に人を殺すための知識を惜しげもなく授け始めた。妹には穏やかな生活をさせてくれる代わりに、俺には銃火器を握らせた。

俺は効率よく人間を死へと導くため、男の期待に応えるため、必死で勉強した。鍛えに鍛えまくった。

 

俺は絶対に妹を死なせたくなかった。そして、妹を立派な大人に育てあげるまで、自分は死ぬことはできなかった。だから俺は死ぬ気で知識を吸収し、経験を積んだ。

 

普通の人には言えない、汚い仕事を沢山やった。

血で血を洗うような生活だった。

天国にいる両親には、到底顔向ができないことばかりしていた。

 

俺は淡々と日々仕事をこなしていった。自分と妹を助けた男に言われるがまま、多くの仕事を処理し、完遂していく。気がつけば少年だった俺は青年と呼ばれる年齢までなっていた。

 

――――そんなある日のことだ。

男が所属する組織からコードネームをもらった。

 

幹部陣のコードネームを酒の名前にしている特殊な組織だった。俺を助けた男が高齢により引退するからと、無理矢理己を幹部にすることを決めたらしい。男のコードネームを引き継ぐ形で、俺は組織の幹部になった。

 

だが、己のすることは大して変わらない。いつものように人に恨まれる生活を送るだけである。

ただ、お前は幹部になったのだからと、自分と他の人間が組まされる機会は増えた。

 

その際に金髪で色黒の男、髪の長い男、髭面の男に絡まれることが多くなった気がする。特に金髪の男は何かと俺に食事を強要してきていた。必要最低限のメシを食えと、お前の食生活は杜撰すぎると、そうよく言ってきていた。

出会った当初は普通の裏社会の男だったというのに、何があいつを変えたのか。今でもよく分からない。

 

そんな風に日々を過ごしていた時だった。

――――妹が結婚することになったのだ。

 

身内の贔屓目を差し引いても、優しく美しい女性に育ったと思う。結婚するのも当たり前だ。優しい妹に目を向けない男がいるわけがない。

 

妹は本当に慈愛深い女性に育った。

 

妹は、いつも家に帰るたびに俺の心配をして、申し訳なさそうにしていた。社会人となりきちんとした給金をもらえるようになってからは、いつも俺に仕送りをしてきていた。

俺が気を使うなと言っても聞かない頑固者の妹。戦火に巻き込まれた時はガリガリにやせ細り、煤で顔を汚していた、俺の妹。

 

その妹が、結婚、する――――?

 

俺は珍しく本を漁った。義理の弟になるであろう、妹の伴侶にどう接するべきか分からなかったからだ。自分は今まで銃火器と死体としかまともなコミュニケーションをとった経験がない。これでは妹の恥になる。

 

俺は意味もなく外を徘徊し、無意味に他の組織の幹部陣のセーフティハウスに行った。長年の付き合いのある銀髪の幹部には無言で発砲された。

 

頭を捻らせ、捻らせながら、俺は義弟になる男に会う日を迎えた。

 

――――妹と結婚することになった男は、誠実な青年だった。

 

カチコチに固まりながらも真摯に、誠実に、妹のことを語ってくれた。妹どころか、妹の家族である俺をひっくるめて、幸福を願ってくれる青年だった。

頼りないところは勿論ある。情けないところも、弱々しいところも。

だが、確かに他人の幸せを心から願うことのできる人だった。妹と共に歩み、未来へ行こうとしてくれる青年だった。

 

俺は両親のことを思い出しながら、二人の結婚に賛成した。

長髪の幹部にアドバイスされた『ちゃぶ台返し』をする機会は、ついぞ来なかった。

 

――――こうして、妹の結婚は決まったのだ。

 

俺は青年の両親とも会った。俺が一人で妹を育てたことを知っていたらしく、義弟の両親はこちらを労ってくれた。義弟がこのように育ったことが分かる、良き両親だった。己が会うには勿体ない人間だと感じた。

 

その中で、二人が結婚式もすることを知った。俺は再び本を読み漁り、幹部陣のセーフティハウスを突撃する日々が続いた。金髪の色黒男には呆れた顔を向けられたものだ。

 

妹の結婚準備は着々と進み、気がつけば結婚式の当時となっていた。

 

妹はウェディングドレスではなく白無垢のみを着ることに決めたらしい。結婚式も神社で行われる『神前式』というやつだった。

 

控室にて、結婚衣装を身にまとう妹を見て、俺はムズムズとするような、胸が苦しくなるような、不思議な感覚を味わっていた。

 

――――妹はハッと息を呑むほどに美しくなっていた。戦場にいたときに、ボサボサになっていた頭髪は綺麗に結われている。銃弾が撃ち込まれた腕は白無垢で覆われていた。カサカサだった唇には真っ赤な紅が塗られている。

 

美しい、本当に美しい『大人の女性』が、そこにいた。

 

妹は振り返る。母によく似た笑い方で、幸せそうに目を細めながら言った。

 

「――――兄さん、今まで育ててくれてありがとう」

 

それはスピーチにいうことじゃないのかとか、今それを言うのかとか、言いたいことは沢山あった。だが、俺は言うことができなかった。

 

クッと喉が勝手に鳴り、意図せず唇が震える。目の奥がじんわりと熱くなり、それどころか鼻まで熱くなってきた。身体はブルブルと震え、止まらなくなる。俺は必死で抑えようと骨を折る勢いで右手で胸の辺りを押さえた。しかし、抑えるどころか痙攣は酷くなっていくばかりだ。

 

身体の突然の反応や反射を抑え込むのは俺の十八番だったはずだ。だが、止められなかった。腹の底から湧き上がってくるような感情。初めての、経験だった。

 

俺は泣いた。

泣いて、泣きまくった。

 

神社の本殿に向かう時も一人、泣くことがやめられず、義弟家族に付き添われた。三々九度の盃ときは更に泣くのが酷くなり、根性で声こそ上げなかったが自分だけエゲつない泣き方をしていた。写真撮影では涙が勝手にながれてくるせいで、泣きながら写真を撮られた。

 

その後から俺は泣きながら笑っていた。泣いて泣いて、泣きながら、それでも俺は笑っていた。久しく動いていなかったはずの表情筋が何故か勝手に動いた。口元が緩んで仕方がない。酒も、料理も、頬が痺れるほどに美味しく感じた。これほどまでに料理がウマいと感じたのは両親が生きていた時ぶりだった。

腹がパンパンに膨れるまでに食べた。ふわふわとしたような、なんとも言えない気持ちになった。

 

――――その日から俺は「人が変わった」と言われるようになる。

 

組織の下っ端達と意味もなく飲み会に行くようになった。何故かは分からないが、部下達が硬い表情をすることがなくなった。髭面の同僚幹部には明るくなったなと半分驚いたように告げられた。

 

相変わらず仕事は薄暗く、人に言えるような内容じゃない。だが、自分の心は晴れやかだった。夜が明け、朝が来たかのような想いだったのだ。より組織に尽くそうと、俺は更に多くの仕事を熟し、完遂した。俺の様子に物言いたげだった銀髪の男は、己の仕事ぶりを見て舌打ちするだけだった。ボスはよくよく俺を誉めた。

 

――――だから。

だから、君がそんな顔をしなくて良いのに。

 

俺は瞼を開ける。随分と長い――――長い、回想をしていた。

 

自分のいる建物はボロボロ。辺りは火が立ち込み、早くここから離れなければ死ぬ状況。しかも、己の腹からはドクドクと血が流れていた。最悪の状況だ。

 

現在、俺の所属している組織は警察組織から襲撃を受けている。

日本警察及びFBIからの総攻撃だ。

 

警察組織は事前にかなりの準備をしていたのか、戦っても戦っても状況は悪化していく始末。殆どの幹部陣は捕縛され、ボスにまで警察の手が伸びそうになっていた。俺は慌ててボスを逃すための殿となり、結果――――こうして死にかけているわけだ。

 

目の前には先程まで戦っていた少年、江戸川コナンがいる。

 

この子供はどうにも組織を追っているらしく、組織襲撃作戦にも参加しているみたいだった。俺が言えた義理じゃないが、子供を巻き込むなんて警察は何を考えているんだと思う。だが、それほどまでにこの子供は優秀だということを、自分は知っていた。

 

そこまで考えた時、俺はゲホッと咳をした。それと同時に血も口から出てくる。これはマズイなと思った。

それを見た目の前の少年は狼狽える。見ているこちらが心配になる狼狽え方だった。彼は掠れた声で言葉を口にする。

 

「どうして、組織に所属してるんだ。どうして――――俺を庇ったんだ!!」

 

泣きそうな顔だった。少年の手が震える。

 

江戸川コナンと俺が出会ったのは、己の妹繋がりだ。身重の妹が事件に巻き込まれた時、助けてくれたのがこの少年だった。犯人に殴られそうになった妹をコナン君が注意を逸らしてくれたお陰で、俺は妹を守ることができた。

 

自分はこの少年に深く感謝していて、賢い彼に尊敬の念を抱いている。俺は頭の作りがあまり良くない。江戸川コナンは知的で、正義感の強い少年だ。俺は妹の件があってからというもの、度々彼に手を貸していた。

 

ただ、まさかコナン君が組織を追っているとは思わなかったが。

 

コナン君はもしかして出会った当初から俺が組織の幹部だと知っていたのだろうか。だが、彼の声を聞くに、知らなかったが、途中で気がついただけなのかもしれない。コナン君は賢い少年だから。

 

それに反して、先程も言ったように俺はコナン君がまさか組織を探っているとは知らなかった。だからこそ、今ここで出会った時は流石に驚いた。驚いて――――別の場所からコナン君を狙撃しようとした仲間の銃弾から、彼を庇ってしまった。

 

じきに俺は死ぬだろう。だが、後悔はなかった。

いつかは死ぬと思っていたからだ。

 

俺は大勢の人間から恨みを買っている自覚がある。妹を育てるため、色々な人々の想いを、幸せを踏み躙ってきた。自分の幸福を得るために他人の幸福を奪ってきたのだ。この状況は当然の結果と言えた。

 

だからこそ、俺はコナン君に優しく言葉を紡ぐ。酷く穏やかな声がでた。

 

「何で、組織に所属してるか? それはまあ、秘密だ。あと、君を庇ったのは偶然だ。気にするな」

「……組織に脅されてたの?」

「脅し? ――――はは、まさか」

 

俺は腹の底から笑った。嗤うわけでもなく、皮肉でもなく、心底晴れやかな気分で笑った。まるで日の下を歩く一般人かのような気分になる。

 

「違う。俺が望んでこの組織に入ったんだ」

 

俺はこの組織に入れて幸せだ。ボスにも深く深く感謝している。組織のために働けて、幸せだった。

 

――――嗚呼、幸せだったんだ。

 

脳裏に妹の白無垢の姿が蘇る。彼女の後ろ姿が幻影として自分の目の前に現れた。美しい、白生地の裾を見つめた。

 

俺は一度、諦めた。妹が大人になる姿を見ることを諦めたのだ。あの時、あの戦場で、俺は無力だった。何一つ守れず、両親との約束すら守れなかったのである。

 

その時、組織の男は俺と妹を助けてくれた。

 

誰も助けてくれない中で、唯一救いの手を差し伸べてくれた。それが打算ありきだったことは分かっている。それでも助けてくれたのは彼だったのだ。組織の男がいなければ、妹は大人になることも、結婚することも、子を持つこともできなかった。俺は妹の白無垢を見ることが出来なかったし、妹の赤子を腕に抱くことも出来なかっだろう。

 

妹の子供を初めて抱えた時、俺は結婚式ぶりに再び泣いた。

こんな幸福があっていいのかと、これほどまでに眩しい存在があっていいのかと、そう思ったものだ。

 

姪っ子は小さかった。戦火に巻き込まれた時の妹よりも小さかった。小さくて、頼りなくて、でも、どうしてこんなにも輝いて見えるのだろう。姪っ子に泣きながら擦り寄った。姪に頬擦りをすると柔らかく、そして温かった。妹の子供からは太陽の匂いがする。ガリガリだった時の妹からした火薬の匂いとは違う、胸がムズムズとする匂いだ。

 

それを見た義弟には、義兄さんは泣き虫なんですねと言われた。妹には、こんなに兄さんが泣き虫だなんて知らなかったわと笑われた。俺は妹が結婚するまで泣いたことがない人間だ。自分でも俺はこんなに泣く人間だったのかと驚いた。

 

――――声が聞こえる。

 

妹と義弟、そして姪の笑い声が聞こえた。テーブルを四人で囲み、料理を食べる。普通の、どこにでもあるような家庭。幸せな家庭。

 

ふとした瞬間に、俺は度々妹達の声が聞こえるようになった。その後、必ずと言っていいほど妹と義弟の結婚式での後ろ姿が目の前に現れるのだ。妹の白無垢、義弟の紋付き羽織袴。白と黒のコントラスト。白と黒という対照的な色こそが俺の幸せの象徴だった。

 

俺は再び笑う。噛み締めるように言葉を紡いだ。

 

「俺には――――俺には、もったいない一生だった」

 

――――最後に見たのはこちらを必死に呼ぶ江戸川コナン。

そして妹と義弟の幻影だった。

 

美しい白無垢と羽織袴の後ろ姿を見ながら俺はゆっくりと目を閉じた。

 



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。