第1話「ナイトコードにて」
東京都、シブヤ区。
「音楽」を愛する若者が溢れる大都会。
そんな街の一角、ありふれた一軒家の一室からは異様な気配が漏れ出ていた。
昼間から分厚いカーテンで締め切られ、僅かな光すら通さない部屋の内部は薄暗く、漂う空気すらも陰惨に感じられる。
室内にはカタカタとキーボードを叩く音のみが響いており、静けさがそのまま不気味さを演出する。
夕焼けが街を照らし始めた頃、響き続けていた打音が終わった。
「……ひとまずこんなところか。
前回のコメント欄では“鋭い音が心に響く”……なんて感想があったな。
上手く強調出来ていれば良いのだが」
複雑な工程の組まれた音符や文字列が羅列されている大きな画面。
唯一の光源であるパソコンの前に座っているのは一人の少年だった。
“ミックス”と呼ばれる音色調整作業を終わらせて、一段落付いたとばかりに手を止め部屋を見回す。
酷く散らかった部屋に小さく溜息を零し、そのまま壁に取り付けられた古い時計に目をやって少年はその目を見開いた。
「16時31分……?
おかしいな、もう5時間近くも経ったのか。
これじゃあアイツを笑えないな」
自嘲気味に笑みを噛み締めて。
ふと、画面から響いた特徴的な通知音に目線を戻す。
「………!」
「
再び、通知音。
そして
『やっほー。みんないる?
……っていってもまだログインしてないかー』
接続しっぱなしのボイスチャットから快活な声が響く。
声の主は「Amia」というハンドルネームのアカウント。
現在開いているサーバー、俺達の作曲グループにおいて主にMVに使用する動画を担当している人物だ。
『いるけど……、Amiaは作業終わったの?』
暫く間をおいて、どことなく不機嫌さをはらんだ眠そうな声が返答を行う。
今度の声の主のアカウント名は「えななん」だ。
グループにおいてはMVに使用するイラストを担当している人物である。
『おっ!えななんいるじゃーん。
うん、ボクはとりあえず大体は終わったとこ。
そっちは順調?』
『まだ少しかかりそうかな』
『そっか〜』
このまま黙って二人のやり取りを聞いていてもいいのだが、生憎伝えておくべき事がある。
ミュートを解除し口を開く。
今日初めて他人に向ける声は、少し掠れてしまった。
『……お疲れ様。Amia、えななん。
進捗の方は聞いていたが、MVの書き出しが終わったらこちらに送っておいてくれないか?』
『うわっ、
わかった。もう少しで初稿の書き出しも終わりそうだし、できたらファイル投げとくね』
『……相変わらず通知秘匿設定のままなのね。
ビックリするからやめて欲しいんだけど』
『…………。
前に作業中に集中し過ぎて反応出来ないのが問題として上がった時、対処法として作業前にナイトコードに接続しておく手法を取った。
それはそれで秘匿設定にしていないと煩くてかなわんと苦情を挙げてきたのは当の誰かさんだった訳だが』
『あー、はいはい。そんなこともありましたねー』
若干一名から文句が飛んだが、既に終わった話だ。
すぐに会話は途切れる。
『まぁいいや……。
暫く作業に集中するからミュートするね』
『オッケー。
ボクも今やってるとこ進めるからミュートしとくねー』
『ああ』
二人が作業に戻り、暫し時間を持て余す。
先日投稿した動画の反応をチェックしておこうと動画サイトを開き確認し出してからしばらくして、通知音と共に明るい声が響く。
『みんな、遅れてごめんね。
結構待たせちゃったよね』
『あ、雪!
帰って来たんだね、学校おつー』
発言中を示し点滅するのは「雪」というHNのアカウント。
彼女からは昨日遅れるかもしれないと連絡があった。
『Amiaもお疲れ様。
ごめんね、部活が長引いちゃって。
なるべく早く帰ろうと思ってたんだけど……』
『全然大丈夫だよ。
昨日遅れるって連絡くれてたし!』
『ありがとう。
えっと、Kは…お休み中かな?』
「K」というワードに反射的に身体が反応する。
一覧を開いてアカウントを確認すると、あるアカウントの表記が唐突にログアウト済みに切り替わったのが見えた。
思わず溜息が漏れそうになるが、マイクに拾われないようにぐっと堪える。
『……あぁ、
昨日は遅くまで作業していたようだしまだ寝ていると思う』
『そっか。まあKはいつ見ても大体作業中だしねー。
ゆっくり休んだ方がいいと思うな』
『そうだね』
画面を元に戻す。
今のところは何も言うまい。
『ふわぁ……ねむ……。
あ、雪戻ってたんだ』
『うん、ただいま。
今ってみんな、どこまで進んでる?』
『えななんは、サムネイル用のイラストを描いている』
『完成まではもう少しかかりそうだけどね』
『AmiaはMV初稿の書き出し中』
『今回もカワイくできてるよ〜♪』
『こっちは、調整も終わって曲の方はほぼ完成したところだ。
今そちらに送っておくから作詞を頼む。
あと、出来れば軽くでも通しで聴いて貰って何か気になるところがあれば後でメッセージを送って貰えると助かる』
『わかった、じゃあこの後聴くね』
一連の進捗はこれで伝え終わった。
「雪」は作詞を担当している人物だ。
明るく人当たりが良く、全体のまとめ役を買って出てくれる事もしばしばある為、助かっている。
作曲に関しては素人だと言っていたが彼女からは鋭い意見を貰う事が多い。
このサークルにおいて重要な役割を担っていると言えるだろう。
『あ、ZERO。
ちょうど書き出し終わったからファイル投げとくねー』
『助かる』
送信されたファイルを確認しようとして、開く前に手を止める。
これは先にKに送るべきだ。俺が見ても意味は無い。
使うか使わないかは
それもその筈。
このグループに集まる者達は皆、Kを中心として集い彼女が生み出した曲をより多くの人々に届ける為に存在しているのだから。
『うーん、ていうか外まぶしくない?
もう夕方なのに明るすぎ』
『単純に寝過ぎなせいじゃないの〜?
えななん、昨日解散してからずーっと寝てるんでしょ?』
『そんなに寝てないってば。
あの後描き始めたら止まらなくなっちゃって。
だから、寝たのは朝の9時くらい』
えななんにAmiaが絡み、二人が仲良く言い争う様が続く。
この二人は同じMVをメインに担当する者同士馬が合うのか、よく戯れあっており発言量もトップタイだ。
無言で聞いているうちにふと、生まれた疑問を口に出す。
『なぁえななん。
ところで、そろそろ学校に行く時間じゃないのか?
もう少しで登校時間とやらの筈だが』
『あっ、ヤバ!本当じゃん!
じゃあ、学校から戻ってきたらまたナイトコード入るね!』
慌ただしい支度の音と共にボイスチャットの接続を切るえななん。
少し笑いを堪えた様子でAmiaが続く。
『ボクも作業戻るね。
いいエフェクト見つけたから、試したいんだ〜♪』
『私は次の投稿曲の歌詞を考えて……。
あと、今日ZEROが送ってくれた曲を聴いてアレンジも考えてみるね』
『解った。あぁ、Amia。
MVの方はKに送って見て貰うから、その後に』
『じゃあまたいつも通り?』
『ああ。また、夜——』
『“25時、ナイトコードで”』
各々が作業に集中する為一度解散する。
ボイスチャットを切った後、暫く放心していた俺は時計の音で我に返った。
……時間が勿体ないな。
彼女にメッセージを送るべきか。
「K」のアカウントの個人チャットを開き、文字を打ち込む。
『
今日は好調みたいだな。作業は順調か?』
すぐに既読が付いたが、中々返信は返ってこない。
誤魔化そうと考えたのだろうがやるなら徹底的にやるべきだ。
アレではバレバレだろう。
返信のない画面を眺める事数分。
ようやくメッセージが返ってきた。
『えっと』
『おつかれさま、“靱”。その、ごめん』
しょぼくれている様子が目に浮かび、小さく溜息を吐く。
『もう次の曲のラフに取り掛かっていたのか。
焦る気持ちは解るが、それでは良いモノも出来ない。
休める時に休んでおかなければ後で困るのはお前だろ』
『それは、わかってる。でも……。
良いアイディアが湧いたからもう少しだけ作業しておきたくなって』
『そうか。……だが、最近は特に目立つ。
昨日で二徹目、今日で三徹目だったか?
身体を壊す前に休んでおけ。いいな?』
『わかった』
『ああ。それと、今仕上げている曲の進捗だが——』
一通り進捗を伝え、MVの初稿を送って会話を打ち切る。
最後にもう一度寝るように念押しはしたが、恐らく無駄だろう。
今日も丸一日彼女は作業を続けていたのだ。
ハンドルネーム「K」
───本名「宵崎 奏」
ナイトコードのサーバーでやり取りを行なっている俺達の作曲グループの中心人物であり、作曲担当者。
メンバーの中で唯一、リアルでの関わりがある彼女は俺の幼馴染であり、恩人でもある。
今でこそ私生活の殆どを作曲作業に当て、寝る間も惜しんで狂ったように作曲を続ける彼女だが、かつてはどこにでもいる普通の少女だった。
……彼女が再び心から笑えるような日を。
俺の望みは一つだ。
想いを固め直し、気合いを入れて。
俺は再びパソコンに向き直った。
「K」
→作曲担当
「雪」
→作詞担当
「えななん」
→イラスト担当
「Amia」
→動画担当
「ZERO」
→MIX担当