……ここはどこだ。
目を開ければそこは色のない世界。
ぼんやりとした景色が泡のように無数に浮かんでいる。
目を引く泡の一つに映された景色には、大きな棺と小さな台座を囲うように多くの人々が犇いていた。
人々は誰かの⬛︎⬛︎を悲しんでおり、広い部屋の中は嘆き声で溢れている。
そんな台座の正面、写真を見詰めたまま立ち尽くす少年がいた。
少年は俯いており表情は窺えない。
暫く佇んでいた少年はやがてゆっくりと顔を上げ、ポツリと呟いた。
『……嘘つき』
『すぐに帰るって約束しただろ』
『今年こそみんなで⬛︎うんじゃなかったのかよ』
少年の目に涙はない。
ただ虚ろで、その奥に深い色が宿っているだけだ。
そんな少年に声をかける者はいない。
暫くして周囲を見回した少年の目には奇妙な光景が映り込む。
誰もが、悲しんでいるように見えた。
誰もが、
その場の誰もが彼らではないナニカを惜しんでいるように見えたのだ。
偉大な音楽家の死に涙する者達。
しかしそれは、彼という個人を惜しむのではなく、彼の功績を惜しむだけのモノに見えた。
景色が歪む。
少年とは遠く。
遠巻きに見ている誰かが言葉を交わす。
『……あの子、⬛︎⬛︎⬛︎さんの……?』
『ああ、⬛︎さんの息子さんだ』
『まだ小さいのに、随分と落ち着いてるな。
涙一つ流していない』
『きっとショックが大きすぎて泣く事も出来ないんだろう。
かわいそうに……』
囁き声はとても小さく。
しかし、少年の優れた聴覚は会話を拾っていた。
『かわいそう?
本当にそう思うか。あんたも聞いただろ。
あの子、ずっとよそに預けられてたんだって?
氷室の血族ともあろう者が薄汚い街の掃き溜めに』
『なのにやけに居心地が良さげだった。
こうして連れてくるのだって散々抵抗したそうじゃないか。
今回の⬛︎⬛︎⬛︎さん方の帰国だって不自然だった。何でも——』
『あの子が無理を言い出して、⬛︎⬛︎⬛︎さん方を急遽帰国させたらしいじゃないか。
結果、事故にあった。おかしな話だろ?』
その言葉は、いやにハッキリと聞き取れた。
少年は俯く。
『よりにもよってこの席でなんて話を口にするんだ。
やめないか、根も葉もない噂話を騙るのは。
あんたは家名を汚したいのか?』
『いや、私は事実を……』
周囲の声などもはやどうでもいい。
少年は顔を上げよう等ともう考えはしないだろう。
景色に色が付く事などあり得ない。
見覚えがある光景だ。
この感覚には、覚えがある。
……そうとも。
少年は俺だ。そして同時に……
・
・
瞼を開けば、そこは見慣れた薄暗い部屋。
昨夜の作業が響いているのか、どうやら寝付きが悪かったらしい。
夢を見るのは本当に久しぶりだ。
……ましてや過去の夢など何年振りだろうか。
割り切ったつもりだ。
それでもこうして気分が悪くなるのは、未だ俺が不出来であると、そう感じさせてくれる。
部屋を見回して時計を目に入れて。
「8時12分……随分早く起きたもんだ」
想像よりも二回り程早い起床時間に呆れを零し、再び眠りにつこうとしたところで思考に石がぶつかる。
そういえば、今日は平日だったな。
「科目は……なるほど。これは行かねばならんか」
気が進まない話だが、学生である以上避けては通れぬ道だ。
身支度を整え家を出る。
数日振りに浴びる朝の日差しは眩しく、以前よりもずっと暑く感じる。
僅かに目を細め、学校へと歩み出した俺は暫し住宅街の静けさを楽しむ事にした。
・
・
都立神山高等学校
シブヤ区内に存在する共学性の高校で偏差値は並。
創立はさほど前でもなく、歴史は浅い。
定時制クラスが存在するなど生徒の幅も広く、生徒間の自治はそれなりに上手くいっている為、治安は悪くない。
有り体に言えば———ごく普通の学校だ。
実につまらない。
「おい……あれって……」
「朝から来てるなんて珍しいな。
ちょ、お前……あんまり近付くなよ」
朝早くから登校すると、面倒事が増えて憂鬱だ。
視線を声の聞こえた方に向けるだけで、ギョッとした顔を浮かべた男子生徒達が数人走り去っていくのが見えた。
後ろ姿から早々に目を逸らし溜息を漏らす。
どいつもコイツも同じだ。
何も知らない癖に勝手に膨らませた妄想を募らせてはウワサなどという疫病を撒き散らし、悦に浸る。
陰口を交わし合う時間に果たしてどれ程の価値があるのだろうか。
湧き上がる苛立ちを噛み殺しながら教室に向かい、扉を開けると喧しく喋り合っていた生徒達の話し声が一瞬止み、遅れて再開される。
俺はこの瞬間が堪らなく嫌いだ。
これでも
席に着いてすぐに、隣から声が掛けられた。
この生徒は唯一、俺が教室に入った時に表情を明るくした者だ。
「靭!久しぶりだな!!
このところずっと見かけなかったからもう来ないのではないかと心配していたんだぞ!!」
快活で……とてつもなく大きな声が耳を震わす。
慣れている俺ですら耳が痛くなるような馬鹿でかい声量。
もはや彼のアイデンティティと化したクソデカボイスだ。
「……相変わらずだな、司。
一体お前の曜日感覚はどうなっているんだ?
先週も顔を合わせた筈だが。久しぶり、と言うには早いだろ」
「む、そんな事はあるまい!
最後に会ったのは四日前だぞ!?十分久しぶりだろう!」
反論を呑み込む。
ここで言葉を返せば永遠に続く事を察したからだ。
時間の浪費は重罪だ。時は金なり。
「そうだ、靭よ!
お前がいない間に文化祭の出し物について考えていてだな!」
「……文化祭?確か随分先じゃなかったか?」
「ああ。
だが、未来のスターたる者、先んじて自らが輝く舞台の準備を整えるのは当然のこと!
見ろ!この脚本をっ!!」
文化祭は数ヶ月先の筈だ。
だというのに彼は、こんなに前から脚本を固めとびきりの笑顔を浮かべている。
うちのクラスが演劇をやるという前提で勝手に話を進めているのは流石というべきか。
しかし。
……悪くないな。
笑顔で語る彼を見ているうちに、こちらも自然と小さく笑っていた事に気が付く。
つくづく不思議な奴だ。
彼は———「天馬司」はこういう人間なのだが。
破天荒で自信過剰。
いつもうるさい奴だが周囲を巻き込んで、そのまま最後には皆を笑顔にする力を持っている。
彼は俺の唯一人の友人であった。
暫く俺がサボっていた間に学校であった事についてあれこれ話していた司だが、予鈴が鳴って席へと戻って行く。
ぼんやりと授業を聞き流しながら思考を巡らす。
彼が話していた内容の中に一つ気になる話があったからだ。
「(面接に受かった……か……)」
世界一のショースターとして活躍する夢を常々語っている彼だが、先日とうとうショーキャストの面接で採用されたらしい。
それも街一番の遊園地の。
確実に前に進んでいく彼を見ていると、己の不甲斐なさを自覚してしまうようだった。
「(……俺も、前に進まなくては)」
急いていても仕方がないと、そう理解してはいるつもりだ。
昨晩奏に掛けた自分自身の言葉が頭に反芻する。
しかし結局、妙な気分は下校時刻まで続いていた。
・
・
学校を後にした俺は何をする訳でもなく街をただ歩いていた。
曲のアレンジやミックス等の作業は既に完了している。
MVやイラストの出来次第では改善の余地があるかもしれないが、あちらが一区切り付く頃にはどれだけ早くとも夜になっているだろう。
つまるところ、今は暇なのだ。
普段はこういう時にアイディアを求めてネット上に散らばる楽曲類を掻き集めるのだが、今は気分じゃない。
連日暗い部屋で画面と睨めっこする生活を続けていたせいで暫くパソコンやスマホは見たくないくらいだ。
宛もなく散歩を続けていたのだが……
「……暑いな」
口から、無意味な感想が漏れ出た。
夏は終わっている筈なのに、照りつける日差しで体が焼けるように痛い。
暫く外出していなかったせいか体力が落ちてきているのかもしれない。
数時間に渡る散歩の末、得られたのは疲労感のみ。
すっかり気力を削がれて帰路を辿る。
……外はもう沢山だ。
センター街を抜けるという頃に、店頭から聴こえてきた曲を耳が拾う。
一昔前に一世を風靡した「初音ミク」という人工音声ソフトで歌われる曲だ。
何だか、どこか懐かしく感じるイントロだな。
自然と聴き入っていると、唐突に頭の底から“⬛︎⬛︎”が浮かび上がって来た。
『今日から私達を、君の家族だと思ってくれて構わない』
『靱には音楽の才能があるよ』
——優しい男性の声
『側にいてくれてありがとう。
わたしひとりだったらきっと……耐えられなかったから』
『靭はもう曲を作らないの……?』
……聞き慣れた少女の声
「────っ!!」
視界が真っ白に染まる。
ほんの一瞬の出来事だ。すぐに浮かんだ余計なモノを打ち消して持ち直す。
「——あぁ、いえ。大丈夫です。
少し貧血気味みたいで……。
家もすぐ近くなので、はい。ありがとうございます」
立ちくらみのように見えたのか、心配して声をかけてくれた通行人に礼を言い歩き出す。
──やはり今日はどこかおかしい。
次々と浮かぶ無駄な思考を打ち消しながら、無心で帰路に付いた。
自宅に辿り着いて。
ナニカから逃げるように、俺はパソコンを弄って適当な楽曲を再生すると曲の世界に浸る。
……何時間そうしていたのだろう。
静かに響く通知音で思考の海から抜け出した俺は時計を視界の端に収め、頷く。
—— 1:00 AM
『