宵明けのコンチェルト   作:ブラック5930

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少し長めです


第9話「落陽」

 

程なくして俺は、宵崎家に引き取られる形で過ごす事になった。

最初は反対したのだが、齢10を過ぎて間もない子供の一人暮らしは無謀だ、と主張した彼はなんと、

“氷室”の人間に直接掛け合って俺を預かる事を認めさせたらしい。

そこまでされては受け入れる他ない。

 

そして彼の家で彼の娘である『宵崎奏』と出会った。

 

兼ねてより話に上がっていた少女だが、初めて顔を合わせた時には上手くやっていけるかと不安がった感情は今でも印象深い。

 

しかし彼女は快活で利発な少女であり、突如として父が連れてきたよそ者をすぐに受け入れ、友好的に接してくれた。おかげで馴染むのにそう時間は掛からなかった。

 

宵崎家での生活は俺に居場所と心の拠り所を与えてくれた。

養子縁組こそ認められなかったようだが、血は繋がらずとも本当の家族も同然に俺を受け入れてくれた彼らに対して感謝の念は年を追う毎に強くなっていく。

 

だからこそ()()()()のだろうか。

 

余計な感情に捉われず“正解”だけを選び続けていれば、当たり前のようにこの日々は続いたのだろうか。

全てが変わってしまった日の事は脳裏に焼き付いて離れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼と出会って四年の月日が経ったある日。

 

何が違う訳でもない、ありふれた平日の早朝。

俺と奏は同じ食卓で朝食を取っていた。

 

()は近頃忙しく、その日も曲作りのアイディアを求めて朝早くから家を空けていた。

二人だけの朝にも慣れてきた頃の話だ。

 

 

「………」

 

「………」

 

 

普段はそれなりに会話もあるのだが、その日は奏が上の空といった様子でぼんやりとしていた為、室内は静寂に包まれていた。

 

静かな部屋で、俺は朝食を取りながらぼんやりと彼女を見詰める。

普段はそうマジマジと見る機会もなく気付かなかったが、こうして見ると彼女は随分と大人びて見えた。

 

男性よりも女性の方が成長が早い、というのは本当なのだろうか。中学に入って二年の時を過ごした彼女は出会った頃よりずっと大きくなっており、纏う雰囲気も変わったように感じられた。

普段はおしゃべりなのも相俟って気にならなかったが、黙っていれば非常に絵になる。

思わず息を呑んだ頃、奏と目が合った。

 

 

「……?

靱、どうかした?」

 

「いや……何でもない」

 

「そう…?ならいいけど……」

 

「あ!そうだ、靱も聴いてくれない?

少し前に曲を作ってみたんだけど……」

 

「曲?奏が、一人でか?」

 

 

話を聞いてみたところ、父の曲に憧れて見様見真似で作ったらしい。

既に父には感想を聞いた後だとか。

タブレットを受け取り、再生する。

 

 

「………!」

 

 

流れる曲は、稚拙な出来だが父によく似た優しい音が散りばめられたモノだった。

否、観るものが観れば音使いや、使用する楽器選び。

その端々に確かな“センス”を感じる。

きっと、彼女には作曲の才能があるのだろうと感じられた。

 

 

「……これは、すごいな。

初めての曲とは思えないくらい出来がいい。

本格的に作曲に打ち込めば、世に出回るようなすごい曲が生まれるかもしれない……」

 

「……ってそうだ。

()()()に聴いてもらったんだろ?

だったら、これから作曲について教えてくれないか頼んだんだよな」

 

 

その問いに、彼女は首を振る

 

 

「……ううん。

お父さんは最近忙しそうだし、迷惑かなって……」

 

 

しょんぼりとした奏に、肩をすくめて見せる。

 

 

「そんな事はないと思うけどな……。

奏から頼まれれば、父さんならむしろ喜ぶだろ。

頼みにくいんなら……そうだ!」

 

 

確か今日は何も予定が無かった筈だ。

早めに帰れるだろうし、下校時刻には流石に父も戻っている頃だろう。

 

 

「今日は真っ直ぐ帰るつもりだったし、元々父さんと話すつもりだったから……丁度いいや。

ついでに俺から頼んでみるよ」

 

「ほんと!?ありがとう!」

 

 

上機嫌になった彼女は、流行りの曲をハミングしながら支度の為部屋へ戻っていく。

ふと、机を見ればそこには置き去りの食器類。

 

 

「……ふふっ。

いや、やっぱり変わってないかもしれないな」

 

 

忙しい父の為に家事の類は私がやる!と意気込んだのは三日ほど前だっただろうか。

早くも忘れる様は以前と変わらず抜けているところがある。

 

漠然とした不安感が消えていく。

時が経てば彼女もいつの間にか、変わってしまうのではないか。

気付かぬ内に遠く離れていってしまうのではないか。

そんな不安は先の一件ですっかり消えていて。

小さく笑い、俺は二人分の片付けを済ませて支度に向かう。

 

登校時間までは、まだ十分な余裕があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下校後、帰宅した俺は父の部屋を訪れていた。

曲についてのアドバイスを貰う為、そして奏の話を伝える為に。

 

数ヶ月前は演奏面の練習に徹していたのだが、偶然良いメロディが浮かんで衝動的に作ったのが今回の曲になる。

曲を聴き終えた父は、頷きながら口を開く。

 

 

「……うん、いいんじゃないかな。

モチーフは良いし、ここのブレイクは後の音を引き立たせるのに一役買っている。

ただ、少々サビがゴチャついている印象を受けるね。

ここはもう少し簡素に纏めた方が伝えたい音を届けられるんじゃないかな?」

 

「なるほど。確かにそうか……。

えっと、じゃあこんな感じにしてみたらどう?」

 

「おぉ!いいね。これならよく伝わってくるよ。

後はここの——」

 

 

幾度かの手直しを経て、納得のいくものが出来た。

一人きりで、基礎すら知らずに取り組んでいた頃とは比べ物にならないほど高い完成度。

こうしてみると、なんだか感慨深いものを感じる。

 

 

「ありがとう、父さん。

おかげで満足いくのが出来た」

 

「曲を作ったのは靱だ。僕は何もしてないよ。

それにしても、靱はすごいね。

もう僕が教えられる事はないくらいだ。

気付いていたかい?」

 

「そう、かな?」

 

「うん。歌も演奏も上手いけど、靱はきっと作曲家としてもすごい才能の持ち主なんだろうね。

君のお母さんや、僕の作る曲とはかなりタイプが違うけど……靱の曲は聴いた人に勇気を与えるような音が特徴的なんだ。

迷い、前へと進む事ができない人達に、最初の一歩を踏み出す勇気を与えてくれるような曲、というか」

 

「きっとお母さんにも負けないくらい、素敵な曲を作れるだろうね」

 

「そっか……。

もしそうなら、嬉しいな」

 

 

頬を緩めた靱は年相応に笑う。

彼にしては珍しく、されど今は珍しくなくなったそれに微笑みを浮かべていた⬛︎⬛︎は、やがて思い出したように口を開く。

 

 

「そうだ、曲といえばね。

少し前に奏が曲を作って聴かせてくれたんだ。

とても優しい曲で、胸が温かくなるような音だった。

どうやらあの子も作曲に興味を持ってくれているみたいでね」

 

「あっ!すっかり忘れてた!

そう、その事は奏から聞いたんだけど、父さんが教えてあげたらどうかな?」

 

「もちろんそのつもりだ……ったんだけどね」

 

 

父は表情を曇らせる。

その仕草で大体は解った。

 

 

「もしかして……」

 

「はは……情けない事にね。

仕事の依頼が少しずつ減ってきているんだ。

やっぱり僕の曲は退屈みたいだから。

何か良いものを、革新的で大きく売れるような曲を作れれば話は変わるんだろうけど、中々……」

 

「……父さん」

 

 

少し前に聞いた話の近況に、思わず顔を歪める。

どうして“つまらない”なんて心ない言葉が掛けられるんだ。

父はあんなにも努力しているのに。

 

 

「あんな奴ら、気にすることないよ。

父さんの曲の良さが解らない馬鹿共の言うことなんて」

 

「……靱?」

 

「目新しさ?独創性?何だよそれ。

求める方は勝手だよな。散々無茶言って、やっと出来たものにだってすぐに飽きて。飽きたら捨てるクセに」

 

 

ざわめく感情のままにひとしきり捲し立てる。

評論家気取りで人の努力を否定するアイツらが嫌いだ。

そもそも、大人は嫌いだ。

利用するだけして切り捨てる事ばかり考える大人なんて人種が嫌いだ。

 

 

「……靱。怒ってくれるのは嬉しいけど、大丈夫だよ。

僕がクライアントの求める音楽を手掛ける事ができないのが悪いんだ。ただの能力不足さ。

でも、僕は僕でいまの仕事を気に入っているんだ。

音楽は誰かを幸せにする事ができるからね」

 

「………」

 

「そうだ。靱に頼みたい事があるんだ」

 

「俺に、頼みたいこと?」

 

 

首を傾げる。

父が俺に何かを求める事はそうそうない。

 

 

「奏に曲作りを教えてやってくれないかな?

今の靱なら十分経験があるし、任せられると思うんだ」

 

 

俺が奏に作曲を教える。

父が教えられない状況なら断る理由もない。

父からの()()()()()()()に心躍った。

 

 

「ん。まぁ、俺で良ければ……。

でも父さんも余裕がある時は見てやってくれないかな?

奏は多分その方が喜ぶし」

 

「ああ、分かったよ」

 

 

最初の間違いは、ここだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奏に作曲を教え始めて数ヶ月が経った。

見様見真似で曲を作った始まりからその才能は解っていたつもりだったが、実際に側で見れば何度も驚かされた。

奏の作曲センスは群を抜いていたからだ。

 

基礎的から応用まで、その全てを驚くような早さで吸収し次々と曲を生み出す彼女を見ていると、その才能をひしひしと感じさせられる。

もちろん全ては彼女の熱意と努力あってのモノなのだが。

 

 

「うーん……最初の曲が一番好きかな、俺は」

 

「そうかい?でもそれはね……」

 

 

そして今、俺は父の部屋にいた。

電話に声を荒げる彼に気が付き、半ば押し掛けるようにして。

 

彼は俺を子供と侮らず、せがめば普通は子供にしないような難しい話や厳しい現実をも話してくれる。

しかし、語られた現実は想像以上だった。

 

今父に来ている仕事は大手メーカーからのCMソングの依頼。

数十秒程度の曲が必要との事だが、問題はクライアントからの注文だ。

 

“今時の若者の耳に残るような曲を”という要望を出したクライアントには既に幾つか完成した曲を出したものの、全て“前時代的な曲”と突き返されているらしい。

 

アレンジした曲を数曲聴かせて貰ったが、俺としては最初に完成させたという曲。

真っ先に突き返されたソレが一番耳に残るものだった。

 

 

「父さんの曲は、やっぱり素敵だ。

“古臭い音”には感じないけどな………」

 

 

流行りの曲の類に興味のない俺にはよく解らない。

思わず漏れ出た言葉に、父は苦笑を浮かべた。

 

 

「そう言ってくれるのはありがたいけど、オーダーに応えられていない以上は作り続けるしかない。

けれど、正直どういった音を求められているのかが理解できない。

せめて何かヒントがあれば……」

 

 

悩む彼に何か言わなければと思うが上手く言葉を紡げない。

黙り込む俺に、話を変えるように父は口を開いた。

 

 

「そういえば、最近はあまり歌っていないね」

 

「……ん。最近は奏に教えてるから」

 

「そうだね。ごめん」

 

「謝る必要はないでしょ。

俺が引き受けてやってる事なんだし」

 

「うん。そうだったね。

……靱の歌、良かったら今度また聴かせて欲しいな。

君のお父さんを思い出させるようで、また違う君の歌はとても気に入っていてね」

 

「……今度ね」

 

 

相槌を打ちながらも、モヤモヤが大きなっていく感覚を覚える。

口を開いたのは殆ど同じタイミングだった。

 

 

「ねぇ、その依頼——」

 

「この依頼はね。

僕にとって大きな意味を持つと思うんだ」

 

 

幼稚な言葉を先手で潰されたような気がした。

口を噤んだ俺を父は真っ直ぐな瞳で見詰める。

 

 

「この依頼を成功させられれば、これから多くの仕事が舞い込んでくると思う。

多くの依頼が来るようになれば、今よりももっと沢山の人達へ僕の曲を届ける事ができる。

今がきっと、作曲家としての分岐点だと思うんだ」

 

 

いつになく真剣な父の言葉からは、普段秘められた情熱を感じた。

そんな父に感情的に言葉を紡ごうとした自分を恥じる。

 

 

「……………」

 

 

沈黙に包まれた室内に、不意にノックの音が響いた。

 

 

「お父さん、晩ご飯できたけど……。

あれ?靱、ここにいたんだ」

 

 

俺と目が合い、そのまま俺が持つタブレットに目線が移る。

 

 

「奏、先に食べててくれよ。ちょっと忙しいから」

 

「……また内緒話?

靱ばっかりズルいよ、わたしだってお父さんの力になりたいのに」

 

「奏には難しい話だから」

 

「作曲なら、わたしにもわかるよ!」

 

 

難しそうな顔をしている父に変わって戻るように言えば、奏は頬を膨らませた。

タブレットを見ただけで何の話か理解するのは流石だが、話は彼女が想像するよりも重い。

返そうとしたその時、父が口を開いた。

 

 

「……そうかもしれないね。

奏、今ちょっと詰まっているところがあってね。

良かったらどう感じたか意見を聞かせてほしい」

 

「うん、わかった」

 

 

タブレットを渡せば彼女はすぐに曲を再生する。

数十秒程度の曲なので、すぐに最後まで聴き終えて。

彼女は真剣な顔で首を傾げていた。

 

 

「……悩んでるところってここかな?

それなら……」

 

 

端末を操作し、全体をコピーした曲の一フレーズのアレンジを始める奏。

数分と経たずにアレンジを済ませた彼女は、タブレットを返す。

 

 

「こんな感じにしてみたらどうかな?」

 

「これ、は………!」

 

「……っ!」

 

 

曲を再生され、父と俺は驚きに目を見開く。

奏のアレンジした部分は、まるで別の曲になっていたからだ。

美しい音が胸の奥へと響いていくようで、俺は呆然と目を見開く。

 

 

「あ……ごめん。

ふっと浮かんだのを打ち込んじゃったから、ヘンかも……」

 

 

続く沈黙を悪い意味で捉えたのか彼女は申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。

 

 

「そうじゃない。素晴らしいアレンジだよ奏……。

どうしたらこんなやり方が……」

 

「え?なんとなく、こうした方がいいかなって思って」

 

 

なんでもない事のように応えた彼女の言葉は本心だろう。

即興でここまでのアレンジが出来るとは。

確かにセンスはずば抜けている。

しかし、ここまでとは正直思っていなかった。

 

 

「………。

……奏は、すごいな………」

 

 

父は、どんな気持ちだったのだろうか。

今まで聞いた事もない掠れ声に肝を冷やす。

父の気持ちを汲み取って、俺は慌てて奏と部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更に数ヶ月が過ぎた。

あの後、コンペに通ったと話す父にホッとしたのも束の間。

 

日を追うごとに父は部屋に引き籠もるようになり、同じ家にいるというのに顔を合わせる事はどんどん少なくなっていった。

部屋から時折怒鳴り声のような電話のやり取りが聞こえてくるようになり、夜遅くになっても部屋の明かりは灯ったままだ。

 

俺達の心は、不安でいっぱいだった。

 

 

「………」

 

「………」

 

 

父は部屋から出なくなり、二人だけの食卓が日常となった今日のこの頃。

その日もいつものように静かな食事の刻を過ごし、やがて、重い沈黙を破って奏が呟いた。

 

 

「……お父さん、大丈夫かな」

 

「………さぁ、な。

忙しいのは確かだろうけど」

 

「昨日廊下であった時も、元気なさそうだった。

靱は心配じゃない?

それとも、もう何か聞いてたりする?」

 

「いや……何も聞いてない。

心配に決まってるだろ、俺だって」

 

「……そうだよね」

 

 

父は本当に忙しいようでもう長いことマトモに話していない。

あの日の掠れ声が蘇り、部屋へ強引に押しかける気もなくなっていた。

 

 

「……!そうだ」

 

「前にね。作った曲をお父さんに聴いてもらいに行ったら、すごく喜んでくれたんだ。

だから今度はお父さんのために曲を作ってみたら……」

 

「……元気になって貰えるかも、か」

 

 

確かにあの時の父は、本当に嬉しそうだった。

 

 

「ナイスアイデアだ、奏。よし。俺も手伝うよ」

 

「ほんと?ありがとう、靱!」

 

 

父を元気に出来るとしたら、音楽だけだと思った。

言葉で本心を上手く伝えるのは難しい。

言葉では救えないモノだってある。

けれど音楽は、言葉が届かぬ者をも救う事が出来るんだ。

 

音楽は人を救える。

俺は両親の姿でそれを学んでいたから、信じて疑わなかった。

 

それからは、張り切る奏を手伝う日々が始まった。

手伝うとはいっても、曲は殆ど奏が一人で作ったようなものだ。

俺は裏方に徹し続けた。奏の作曲センスを信用しているから。

高校進学間近。忙しい学業の合間を縫いながら行われた俺達の“曲作り”は、思いの外順調に進んでいった。

 

一月程の時を経て、曲は完成する。

何度も曲を聴いて確認した。

そしてソレは、胸を張れる出来に仕上がった。

これならきっと大丈夫。

俺達は顔を見合わせて笑った。

 

父の部屋へ二人で向かった時、珍しく戸は開かれていた。

 

 

「できた……!やっと、できた……!」

 

「もう古臭いなんて言わせやしない。これなら、あの曲だって……」

 

 

作曲に一区切りついたようだ。

タイミングが良いのか悪いのか。俺達は緊張気味に足を踏み入れた。

 

 

「……父さん」

 

「お父さん、今、いい?」

 

「ん?ああ、もちろんだよ。

どうしたんだい、二人とも」

 

 

随分と集中していたのか、声をかけると驚いた様子で父は振り返る。

 

 

「父さん、最近色々忙しそうで、元気が無かったから……俺達で曲を作ってみたんだ」

 

「その……お父さんに聴いてもらえたら嬉しいな」

 

「え……?あ…ああ……、ありがとう。

さっそく聴かせて貰うよ」

 

 

 

「………………っ!!」

 

 

 

曲が再生される。

流れ始めた曲を聴いてすぐに目を見開いた彼は、曲が終わるまで硬直していた。

全て聴き終えて、小さな声で問いが飛ぶ。

 

 

「これは本当に……ふたりで?」

 

「うん、テスト勉強の合間に作ったから、そんなに大したものじゃないかもしれないけど…」

 

「あぁ。……と言っても、殆ど奏が作ったんだけど。

俺はあんまり手は加えてないし……って……。

……父さん?」

 

 

「……………………」

 

 

黙り込んだ父は俯き、表情を窺えない。

暫く後に顔を上げた父はどこか寂しそうに笑っていた。

 

 

「ふたりとも……すごいな」

 

「ふたりは、すごい才能を持っているよ。

きっと()()()()()()()()()()()

 

「え?そうなのかな。えへへ……元気出た?」

 

「…………。

あぁ、もちろんだよ」

 

やった!と笑いかけてくる奏に笑い返すものの、頬が引き攣った。

只事ではない雰囲気を父から感じる。

 

こんな風に笑った事はあっただろうか。

否、随分前によく似た顔を見たような気がする。

あれは確か………亡くなった奥さんの話をしていた時だ。

 

上機嫌で部屋に戻ろうとした奏の背に、父が声をかけた。

 

 

「——奏」

 

「うん?」

 

「奏はこれからも、奏の音楽を作り続けるんだよ」

 

「きっと奏の音楽は、沢山の人達に受け入れられて、喜ばれて………必要とされる筈だから」

 

「………?」

 

 

彼女には彼の言葉の意味がよく解らなかったようだが、元気よく頷いて部屋を出て行った。

ぼんやりと扉を見つめていると、俺にも声がかかる。

 

 

「靱も……部屋に戻るといいよ。

僕はこれから仕上げに取り掛かるから忙しくなる」

 

「……分かった」

 

 

違和感は感じる。しかし、確信はない。

嫌な予感を拭い切れぬまま俺は部屋へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、俺は寝付けずにいた。

父のあの表情は……随分前に見た事があった。

俺の家を彼が訪れていた頃、口にした様々な話の一つに亡くなった妻との思い出話があった。

少し前に病死してしまったという彼の妻の話をしていた時、浮かべていた寂しそうな顔によく似ているのだ。先の表情は。

 

部屋を出て、階段を降りる。

夜風に当たりたくなった俺は庭へと続くドアへ向かう。

やるせない時は夜空を見上げ、星を見ていると気分が落ち着くからだ。

 

 

「……っ!父さん……?」

 

「……ああ、靱かい。

こんな時間に起きているなんて珍しいね」

 

 

しかしそこには、思いがけない先客がいた。

庭先には父が佇んでいたのだ。

 

 

「眠れないのかい?」

 

「うん。だから星でも見ようかと思って、起きてきたところだったんだけど……。

父さんこそ、どうしてここに?

最近はずっと部屋に籠ってたから驚いたよ」

 

「……少し、ね。

夜風に当たりたくなったんだ」

 

 

会話が途切れる。

何故だが、話が続かない。

今までこんな事は無かったのに。

初めて味わう雰囲気に奇妙な感覚が収まらない。

 

 

「……靱」

 

「………?」

 

「今日はありがとう。

きっと随分前からふたりで考えてくれていたんだろう?

素晴らしい曲だったよ。

おかげで……色々と()()()()

 

「……どういたしまして?」

 

「ははは……。

そういえば、改めて口にする事は少なかったかな。

靭の奏でる音は、君のお父さんによく似た凛々しい音だ。

僕は……靭の歌も演奏も大好きだよ」

 

「作曲センスも、素晴らしいものを感じる。

あの曲は靱が編曲したんだろう?

奏の荒削りな部分を上手く補って、完璧に仕上げていた。

僕にはすぐ分かったよ」

 

「え……?まぁ、ちょっとはね。

急に褒められると何だか恥ずかしいな……」

 

 

照れ臭い気分になるが、それよりも奇妙な感覚が強くなっていく。

彼は笑っているのに、泣いているみたいだった。

 

 

「その、父さん」

 

「……?何だい」

 

 

一度息を大きく吸い込んで、吐き出す。

決意を胸に言葉を口にする。

 

 

「……何か悩みがあるなら相談して欲しい。

父さんが大変なのは知ってるし、俺はまだガキだからあまり力にはなれないかもしれない。

それでも……!」

 

 

「———靱」

 

 

 

貴方の力になりたい。

貴方にそうして貰ったように。

 

……その先の言葉は喉から出る事なく消えてしまった。

短く名前を呼んだだけの彼の声は。

これまで聞いた事がない程冷たかったから。

 

 

「僕の事は、もう気にしないでいい。

靱は、靱の思うままに音楽に打ち込んでくれれば僕は嬉しいよ。……少し、疲れているんだ。

一人にさせてくれるかい?」

 

「……あ……えっ、と……」

 

「……靱?」

 

「あ、あぁ!分かったよ」

 

 

言葉に込められた拒絶。

たった一度のそれに恐ろしくなってその場を逃げ出すように離れ、階段を駆け上がる。

 

そんな靱の後ろ姿を見送った⬛︎⬛︎は、夜空に溜息を吐き掛けた。

 

 

「……ああ。僕は、情けない人間だな。

もう少しであの子の心を傷つけてしまうところだった。

……父親代わりなどと意気込んだ割にこれとは、とんだ思い上がりだったみたいだ」

 

「すまないね、靱。

不甲斐ない僕を許してくれ」

 

 

言葉も、空へと溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ん………………じ………ん……っ!!」

 

「靱!!!起きてっ!!!!」

 

「な、なんだ———っ!?奏………?」

 

 

熟睡していたところを叩き起こされ、脳が混乱し視界が渦を巻く。

目が回る感覚に耐えながら俺を叩き起こした人物を認めれば、酷く慌てた奏の姿が映る。

 

 

「靱!大変なの!!お父さんが……っ!!」

 

「なに………ッ!!?」

 

 

尋常ならざる奏の様子に。

放たれた“父”というワードに一気に脳が覚醒する。

連れられるよりも先に階段を駆け降り、父の部屋の扉を叩き壊す程の勢いで開け放つ。

 

 

「父さん!!!

……………っ!!これは……!」

 

 

そこには、床へ倒れピクリとも動かない父の姿があった。

 

 

「どうしよう、靱……どうすれば……!?」

 

「お、落ち着け、奏……!こういう時は電話を……」

 

 

想定外の光景と、動揺する奏の言葉が相俟って軽いパニックを起こしかけるもギリギリで何とか正気を保つ。

俺が何とかしなければ、父さんが死んでしまうかもしれない。

そんな想いが、狂いかけの俺の思考を繋ぎ止めていた。

 

幸いにも、父は正常な呼吸を続けていた。

回復体位に寝かせ、スマホで119番通報を行う。救急車が届くまでの間、二人で息を殺して待った。

 

会話はない。

二人共、空気に呑まれずにいるのがやっとだった。

 

程なくして、閑静な住宅街に救急車のサイレンが響き渡る。

近付いてくるサイレンの音は、別の世界の出来事のようにやけに遠く聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付近の病院に運び込まれた父は、全く意識が回復しなかった。

何時間も待ち続け、とうとう夜になってしまったので奏を先に帰して俺一人で待つ事にした。

誰かが近くにいる事の有無は大きい。一人で待ち続ける時間は酷く長く感じられた。

 

かなり経って、病室から出てきた医師が俺の前にやって来た。

 

 

「ご家族の方ですね。

お父さんは今、脳に強い負荷がかかって、記憶が混乱している状態です」

 

「心因性……そうですね。強いストレス等のショックによって引き起こされた記憶障害を患っています。

幸いにも、脳組織や肉体そのものに損傷はありませんので、休養を取れば意識は回復することでしょう。

しかし……」

 

「……記憶の方は、戻るんですか?」

 

「……現状では、ハッキリとお答え出来ません。

二、三日程度で記憶が戻ったという前例もありますが……」

 

「……生涯、記憶が混濁したまま完全には戻らないケースもあります。

幸い、日常生活に支障が出るようなものではありませんが……」

 

 

そこから先は、よく覚えていない。

何も解らぬまま病院を出て、気が付けばフラフラと帰路を辿っていた。

 

 

——どうして、俺はあそこで逃げてしまったんだろう。

 

 

あの日の夜、初めて拒絶の姿勢を見せた父に俺は引き下がってしまった。

父は俺が拒絶し続けても毎日向き合い、遂には救ってくれたというのに。俺はただの一度拒絶されただけで逃げ出してしまったのだ。

 

……結果、彼は倒れた。己が憎くて堪らない。

 

あの時、こうしていれば。

あの時、このように言葉をかけていれば。

何の意味もない思考だけが目まぐるしく巡る。

 

あらゆる選択の中で“正解”だけを選び続けていれば、あんな事にはならなかったのか。

どんな時も“最善”の道を選べたら悲劇は避けられたのか。

 

考えは纏まらず家に着いた。

うまく動かない足を引き摺りながら上がりある事に気が付く。

明かりがついていないのだ。

部屋も、廊下も、どこにも。

 

奏が先に帰ってきていた筈だ。

ならば、明かりがついていないのは何故だろうか?

 

 

「………っ!奏!奏———-っ!!」

 

 

まさか。そんな。

最悪の思考が浮かび、靴を脱ぎ捨てて駆け込む。

どこだ。間に合え……!

 

その時、俺は聞こえてくる音に気が付いた。

 

 

「……音楽……か?」

 

 

音が聞こえるのは居間の方からだ。

 

 

「奏!!─────え?」

 

 

扉を開け放った俺の目に映ったのは。

強盗にでも入られたかのように滅茶苦茶に物が散乱する部屋と、床に転がり、音を流し続けるオルゴール。

 

……そして。

 

そんな異常な場所でキーボードを叩き続け、亡霊のように曲の打ち込みを続ける、変わり果てた少女の姿だった。

 

 

 

 

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