幻の夢を追いかける花 作:或る記憶
夕方、トレセン学園。
太陽が本格的に傾きオレンジというよりも赤い色が濃くなった時間。
グラウンドから人が消え、微かに有難う御座いましたと聞こえてくる芝の上で1人のウマ娘が靴紐を結び直していた。
周りにトレーナーの姿は無く、そのウマ娘もこれから帰るというよりは、まだトレーニングを続けるといった様子で明らかなオーバーワークである。
「……ボタンさん。アセビボタンさん」
ウマ娘の元へ、1人のニンゲンが近付いて声を掛ける。
特徴的な緑色のスーツを見に纏った理事長秘書、駿川たづな。
「はい、どうしましたか?駿川たづなさん」
「他のウマ娘の皆さんはもう練習を終えましたよ。追加の練習にしても、些かオーバーワークだと思います」
「大丈夫です。これくらいなら」
「……今は大丈夫でも、いつか必ず怪我に繋がります。続けるのなら、少し休憩にしましょう」
「…………分かりました」
アセビボタンと呼ばれたウマ娘は、たづなの言葉に長考した後に頷き、芝の上に腰を下ろす。
ドリンクボトルを傾け、タオルを肌に当てる。
「あの……」
「はい。なんでしょうか?」
「少し、近くありませんか」
「そんな事はありません。私はアセビボタンさんがちゃんと休めているか、確認しなければいけませんから」
「そういうものですか」
「はい。そういうものです!」
広々としたグラウンドの隅で並んで座る。
ここから見える風景は遠くのビルとグラウンド特有の等間隔に並んだ木々と、芝生と柵。
面白みが無さ過ぎて黙っていると、息が詰まってしまう。
「……あの、駿川さん」
「なんでしょうか、アセビボタンさん」
「ずっと不思議に思っているんです。駿川さんはどうして私に目を向けるのですか?」
「?私はウマ娘さん全員に目を向けていますよ」
「そう、では無くて……他と比べて話し掛けられる頻度が高いと言いますか」
「……気の所為ですよ」
会話が終わる。お互いにお互いの事をよく知らないから、立場の違いもあって直ぐに会話が途切れてしまう。
沈黙が辛くなって、時計を確認すれば座り始めてからだいたい5分程経っている。
これならば大丈夫だろうと、コースに戻ろうと1歩を踏み出す。
「アセビボタンさん……!」
呼び止められる。なんだろうと思って、後ろを振り返れば変に手を伸ばした駿川さんの姿。
「アセビボタンさんは、走る目標はありますか?」
「目標……あの子に勝つ事です」
「あの子?」
「はい。私の中には鹿毛の髪の毛を揺らしてずっと、ずっと先を走るウマ娘がいるんです。きっとその子は私の幻覚で現実にはいない。だけど、追い付きたくて、追い付けなくて……実は、貴女を見るとその子が現実にいる様で苦しくなる。只の嫉妬、なんですけど」
トレセン学園に入学して、駿川さんを初めて見た時に私は衝撃を受けた。
だって、私が嫉妬に狂い、焦がれる背中にあまりにも似過ぎていたから。
私が追い越したいと必死に顔を歪めて走っている時ですら、強さの持ち主はあんなにも優しい顔をしているのかと悔しくなる。
「奇遇ですね」
「奇遇?」
「私も幼少期に見た絵本のキャラクターに憧れていたんです。そのキャラクターは誰にでも優しくて、子供達を愛して、家族を愛して、外に出れば綺麗な髪がキラキラと輝いて」
「はぁ……」
「そうだ!私達、似た者同士だと思うんです!だから、これからはもっと仲良くなれる様に名前で呼び合ってみませんか?」
「え、えぇ……?」
「私の名前は駿川たづなです。アセビボタンさん」
駿川さんが良い事を閃いたとばかりに手を叩く、手を握られて顔を寄せられる。
初めて駿川さんとまともに話したが、まさかこんな人だとは思わなかった。
確かにあの子は強いけれど、あの子に似た姿の駿川さんも押しが強い。
どうにかこの場を切り抜けられないかと再び考えて、思い出す。
「……やっぱり、理事長秘書という役職の貴女を友達の様に呼ぶなんて不敬な事、流石にできませんよ」
「では誰もいない時にお願いします。丁度、今の様な。ね、良いでしょう?」
私が考え付いた案を、呆気無く彼女は通り越してきてしまう。
どうして、こうなったのだろうか。
「ハァ……たづな」
「はい、ボタン」
風が吹く、私達の髪の毛が揺れる。
全てが赤色に照らされる世界は今だけ2人きりで、向こうから楽しそうな声が響いてくるばかり。
静かに揺れている彼女の鹿毛と私の芦毛は混じる事は無い。
けれど、時折2色が触れ合うのを横目に見て、無性に"こうしてみたかった"と不思議な感覚に襲われた。