幻の夢を追いかける花 作:或る記憶
「ねぇ、そこの君!」
誰かが、誰かを呼ぶ声が聞こえる。
「あれ?聞こえていないのかな……君だよ、君!」
再び誰かを呼ぶ声が聞こえて、私の肩が軽く叩かれる。
どうやら、私を呼び止める声だったらしい。
なんだか申し訳なく思いながら後ろを振り返れば、見慣れない「CB」という飾りが特徴的な帽子?を身に付けたウマ娘が立っていた。
はて、私はこんな美人に話し掛けられる用事があっただろうか。
「何でしょうか」
「いや、特に急ぎの用事がある訳では無いんだけどね。君、アセビボタンでしょ」
「……えぇ、私はいかにもアセビボタンですが」
「アタシ、ミスターシービー。宜しくね」
ウインクを添えたフランクな口調。
ミスターシービー、それは学園の中でも知らない人はいないと言われる程の有名なウマ娘さん。
尚更どうして私なんかに。
「えっと、ミスターシービーさん。私に何か御用ですか?」
「実はね、君の走りが"旅をしている様だ"って言われていたから、気になって……ねぇ、ちょっとだけ一緒に走ってみない?」
ミスターシービーさんの口から告げられるまさかの言葉。
私が想像していたとは違う、返答。
まぁ、それ以上に私の走りがそんな期待をされているなんて思ってもいなかった訳だけど。
「それは、それは、有難い形容と提案ですが、私には貴女に見合う能力はありませんから」
「過ぎた謙遜は、褒められたものでは無いよ?」
「ははっ。でも、謙遜しますよ、あの三冠バさんに目を掛けられているのですから」
そっかぁ、なんて少し残念そうにするミスターシービーさんの顔を見て何となく疑問に思う。
どうして彼女は私と走りたいと思ったのだろうか。
「どうして、ミスターシービーさんは私と走りたいと思ったのですか?」
「え?……そうだなぁ、君が、アセビボタンが自由に走るから。かな?アタシも自由な場所を走るのが好きなんだ」
「自由な、場所?」
「うん。小鳥が初めて飛んだ日みたいに、伸びやかで、どこまでも止まらない。君はそんな走りをしている。アタシはそんな姿を見て、同じターフを走ってみたいって思ったんだ」
真っ直ぐな目で見つめられる。
世界の音が彼女の声だけになって、まるで1番前の1番良い席で、私だけに向けられた演劇を見ている様な気持ちになる。
私だけに向けられた言葉。今だけは私だけが求められている舞台。
差し出された手に私の手を添えて動き出せば、きっと。
"もう一度、君とミスターシービーの対決を!!"
ハッと、思い出す。
最近、毎日の様に学園内で囁かれているあの言葉を。
「御免なさい。やっぱり、私は貴女と同じターフを走れません」
「どうして?」
無垢な顔で分かり易く疑問を浮かべるその顔に、不快にならない笑みを返す。
私では駄目なのだ。今は、私だと。
「貴女は私以上に同じレースを走るべき相手がいますよ」
「ええ?そんな子、いたっけなぁ」
「いますよ。直ぐ隣に」
「……いないけど?」
「視覚では無く、ターフに……世間に疎い私にも届いていますよ。"もう一度、カツラギエースとミスターシービーの対決を!!"って囁かれているのが」
「へぇ!それは知らなかった」
「今すぐにでもレースの予定を立てるべきですよ。待っている人は沢山いるんですから」
「そうかな?」
「ええ。悲劇や喜劇を飛び越えたレースという劇場の観客になりたい貴女達のファンが、きっと」
「ふふっ……なんだか、小難しい事を言うね?」
「そうですか?でも、貴女が自由な時間を望むのならば、貴女が貴女であるのならば、どうか、私というさよならが遠い存在を優先しないで下さい」
笑い合いながら少し話して、ミスターシービーさんは1度何かを考えた素振りをしてから、踵を返して歩いて行く。
目的を持った足取りで、只、歩いて行く。
今、世の中に求められているのは
だから、君よ、振り向くな。