幻の夢を追いかける花 作:或る記憶
あれは、10歳の誕生日を迎えて直ぐの話だ。
僕は走って数十分程の場所にあるとある施設に潜入した。
そこは海の近くにあって、校庭よりも広いのに何をしているのか分からない場所。
両親からはお前にはまだ早いと言われたけれど、施設に入って行く人達の楽しそうな表情を見たら気になって、仕方がなかった。
誕生日前までにしっかりと調査して、その施設に入るには100円という大金が必要な事を知った。しかし、僕の貯めに貯めたお小遣いを使えばなんとかする事ができるので問題はなかった。
おじさんの後ろを歩いて親子を勝手に装い、念願の謎の施設に入る。
その場所は木が一本生えたグラウンドに、沢山の座る場所が並んだ謎の建物、更には最初に見たグラウンドよりも大きいグラウンド。
成る程、ここは運動ができる施設なのか。
納得と共に両親は何故この場所が僕には早いと言ったのか、何故運動施設なのに人がグラウンドの中に居ないのかが新しい疑問としてやってきた。
「なぁ、おじ」
疑問を解消しようと近くにいたおじさんに話し掛けようと思ったら、小さなグラウンドの周りにいたおじさん達が声を上げて思わずそちらに釣られて顔を向ければ、なんと、グラウンドの中に馬がいたのだ。しかも10頭以上。
見慣れない動物と、訳の分からない施設にずっと頭が混乱していた。
「な、なぁ、おじさん!どうして馬がいるの!?」
今度こそおじさんへ興奮気味に話し掛ければ、おじさんは面倒臭そうに煙草を吸いながらここが「ケイバジョウ」である事を教えてくれた。ケイバジョウは沢山の馬を走らせて、1着になる馬を当てる遊びができるらしい。
「それ、僕もできる?!」
「ア?……ガキには無理だ」
「どうして?」
「1回遊ぶにはな、入場料の倍以上の金が掛かるんだよ」
「入場料の、倍……?」
頭がクラクラとした。
僕がここに入る為のお金を出すにもお小遣いを切りはたいて苦労していたのに、高々1回遊ぶだけで倍以上なんて出せる訳が無い。
まさか、僕はとんでもないお金持ちの遊び場に来てしまったのかもしれない。
「坊主、お前何でこんな場所に来た」
「え?えっと、ずっとこの場所がどういうものか気になってて、先週10歳になったから、突入してみようと思ったんだ」
「ハッ、お前もクソみてぇな場所が気になったモンだな」
おじさんは僕を鼻で笑いながら吸い終わった煙草を地面に押し付けて、2本目に火を付けると、どの馬が気になると聞いてきた。
僕は正直、毛の色の違いしか分からなかったけど、何となく目を奪われた馬を指差す。
「あれ!あの、3番の馬!」
「ほぉ、中々良い馬に目を付けるじゃねぇの。あの馬はな、少し前にダービーに勝ったんだ」
「ダービー?」
「あぁ、何万頭といるかもしれねぇ馬の中で1番になった馬だ」
「!凄い!じゃあ、あの馬が1番だね!」
「嫌、分かんねぇぞ。なんたって、ダービー馬の癖に今はこんな所にいるんだからな」
「?」
日本ダービーが凄いという事は分かったけれど、おじさんの言っていた言葉はよく理解ができなかった。
首を傾げる僕をおじさんは態々大きい方のグラウンドにまで連れて行って、色々教えてくれた。
僕はおじさん達が持つ券?を買う事も出来ないが、3番の馬を応援しようと思った。
馬がグラウンドに集まって、一斉に走り出す。
僕が応援する馬は茶色い毛で、他と見分けが付けれなくて必死に「3」の文字を目で追った。
馬の名前が分からなくて3番!頑張れ!って応援したら、隣のおじさんは笑っていた。
3番の馬はスタートが下手だったのか走り出してからはずっと、後ろの方にいて勝てそうにも無かった。
だって、3番の前を沢山の馬が走っていて、先頭なんかはもう何十メートルと離れている様にも見えたから。
口では応援しても、頭は冷静に負けの2文字を受け入れていた。
目を惹かれて勝って欲しい馬ではあったが、遊びにしっかりと参加している訳では無いから仕方ないと思った。
「僕の3番、勝てないね」
「ん?……あぁ、まぁ、初めてはそう思うわな」
「どういう意味?」
「競馬はな、人間のかけっこと違うんだよ」
見てみなと視線を誘導されて、大きいグラウンドへと目線を戻せば3番よりも後ろを走っていた白い馬が段々と前へ、前へ脚を進めていた。
3番もさっきよりも脚が速くなっている様にも見えて、思わず立ち上がる。
4本の脚で地面を蹴って、徐々に、徐々に他の馬を追い越して行く。
無理だと思った1番前との差も狭まって、瞬きをした内に遂には抜かしてしまった。
周りの何人かのおじさん達が声を荒げているのも気にならないくらい心臓がバクバクと早く動いて、息が荒くなる。
「……凄い」
「おー、久し振りに良い走りしやがったな……5レース振りの勝利か」
「ね、ねぇ!おじさん!あの馬、なんて名前なの?!」
「あいつかぁ?あいつはな」
2022年8月20日(土)
見ていた風景が歪んで、思わず目を開ける。
そこにはあのおじさんも競馬場すらも消えて、自分の家に戻っていた。
膝の上には1冊の本が乱雑に置いてあって、自分がどうしていたのかを思い出す。
昔の様には動かない不便になった身体で立ち上がり、水でも飲もうと部屋を出れば、見慣れた我が家が広がっている。
湯呑みを持って居間へと入れば、昨日から遊びに来ていた孫が携帯電話を弄って何やら嬉しそうに騒いでいる。
「どうしたんだ?」
「あっ!爺ちゃん!爺ちゃんって、競馬とか見てる?」
競馬。10歳の時分以降は勉強やら、仕事やらですっかり見なくなっていたもの。
けれどあの時の光景が目に焼き付いて、もう1度見たいと時々テレビで流していたもの
「少し見る程度だな」
「じゃ、じゃあさ!昔の馬は知ってる?」
「昔?突然どうしたんだよ。はまったのか?」
「……はまったというか、」
孫の口からポツリ、ポツリと放たれる先程喜んでいた訳。
今の時代は競走馬をモチーフにしたゲームが人気になり、孫もそれが好きで今はモチーフとなった競走馬を調べるのがブームなのだそう。
「はぁ……だが、爺ちゃんだって有名な名前を知ってるくらいだからな、お前が好きな馬はなんて言うんだ?」
「えっとね、」
孫が口にした言葉。
その言葉はどうにも俺と、関わりがあり過ぎる名前で笑ってしまう。
「懐かしいな。……アセビスズナか。覚えているよ、荒尾の海を背にして走り抜けた茶色の馬、差すのが得意な3番の馬」
もう、その馬が走る姿は見られない。
もう、その馬が走った場所に行く事も叶わない。
だけど、久し振りにその馬がその競馬場で走っている姿を思い出せた。
「……今日は寿司取るか」
「え!?お祝い事なんて何もないよ?」
「爺ちゃんが今決めた。孫への感謝だ」
「尚更意味が分からないんだけど!?」
2022年8月28日(日)
すっかり寂れた荒尾競馬場の観覧席に座る。
俺が知らない風景となってしまった場所ではあるが、その昔、お小遣いを握り締めて潜り込んだ入り口や今座っている場所は変わっていない。
「すみません。今、インタビュー宜しいですか?」
こんな寂しくなった場所でインタビューなんかとも思ったが、風貌で察する。
良いですよ。と返せば、当たり障りのない質問をいくつかされ、俺も当たり障りのない答えを返す。
「貴方にとって、荒尾競馬場はどんな場所ですか?」
どんな、場所。
謎の運動施設、大きいグラウンド、煙草臭いおじさん、何となくで選んだ3番。
「……やっぱり、アセビスズナが走った場所。ですかね」
「アセビスズナ?競走馬ですか?」
「えぇ。荒尾の海を背景に逞しく走った、格好良いヤツがいたんです。と言っても、もう60年くらいは昔の話です」
「素敵な思い出ですね」
「有難う御座います。私も、最後の最後に此処に来る事が叶って良かったと思います」
259:名無しが適当語り ID:iDo55WsS7
解体前最後の荒尾競馬場にて、アセビスズナファンのおじさんがインタビューされる。
https://
260:名無しが適当語り ID:XExjtRsAM
歴史の生き証人じゃん
261:名無しが適当語り ID:eDC7p+//A
まさか過ぎて声出た
262:名無しが適当語り ID:4XWu1VSJp
>>259
そのおじさんのスズナを語っている時の表情で、本当に好きだったんだなってのが伝わってきて泣ける
263:名無しが適当語り ID:u/vynQbJw
スズナって、ダービー後のあれこれでファンはもういなくなっていたみたいな事を聞くけど、あんな愛されっ子からファンがいなくなるなんてやっぱあり得ないよな