幻の夢を追いかける花 作:或る記憶
「……うん。書類関係はこれで全部、記入漏れと不備も無し。ようこそアセビスズナ、チームシェアトへ」
「宜しくお願いシマース」
広大なトレセン学園の中に設けられた一室。
時間を掛け、書類を満遍なく確認した責任者であり、トレーナーである若旅伊吹は焦茶の髪を高い位置でショートポニーにしたウマ娘、アセビスズナのチーム加入届けを受理し大切そうにファイルへと挟んだ。
チームシェアト、ペガスス座から名前を取ったそれは「チーム」とは名ばかりのアセビボタン、若旅伊吹のコンビであった。それが今、スズナが加入した事によりチームを冠する一歩を踏み出したのだ。
少し癖のある文字で書かれた書類から顔を上げ、若旅は簡単な質問を、言ってしまえば定型文の質問を投げ掛ける。
「えっと、なんて呼べば良い?」
「なんでもイイ。アタシをちゃん付けしなけれバ」
「じゃあスズナで……スズナの目標は?」
「アセビボタンを扱き下ろすこと」
「え〜〜っと、あっ、名前が似てるしもしかして姉妹なのか?」
扱き下ろす。なんて、初対面の相手にはまず出ない言葉。
もし、アセビボタンが人から恨みを買い易い、気性に癖のあるウマ娘なら分かる話だが、実際の所気性難とボタンとでは辺戸岬から喜屋武岬くらい程遠い性格をしているウマ娘である。恨みなんて買う筈が無い。
その為若旅は2人が姉妹である事を予測した。
2人は共に「アセビ」の名が付いたウマ娘であり、血の繋がった家族ならばスズナが現在思春期であり、ボタンに対して少しだけ難しい時期なのだと考えた。
「あ?アイツとアタシは無関係だ。アタシはアタシの家族がいる」
「そ、そうなのか……」
しかし、予測は外れチームへと歓迎して直ぐに若旅はとんでもないウマ娘を受け入れてしまったと、胃を痛めそうになった。
だがそこはトレセン学園所属のトレーナーとして、ウマ娘同士の相性は今後どうにかすれば良いと頭の片隅に一旦追いやり、2つ目のこれもまた定型文の質問を投げ掛ける。
「アセビスズナの勝ちたいレースはなんだ?」
口にして仕舞えば5秒もいらない。20文字にも満たない質問に一瞬、アセビスズナの鈍い黄色の瞳が光る。
若旅が見えたのは、どこか無気力に見えるスズナの中の激しく燃えているような苛烈さ。
「……ダービーだ。日本ダービー、アタシはそれが欲しい。それ以外はいらない。例え、アタシが5年後には忘れ去られた存在だとしても、それだけは奪い取って行く……アタシを、ダービーで勝たせろ」
広く無い。けれど、狭くも無い部屋が一瞬にして威圧感に支配される。呼吸が阻害されるかの様な不快感を覚える。
これが、アセビスズナが譲れないもの。
全てのウマ娘が、全てのトレーナーが、目指し、勝ったら引退しても良いなんて言葉があるその頂へと鎬を削る只1つだけ、たった1人にだけに与えられる栄誉。
「分かった。トレーナーとして、君を世代の最強へと連れて行こう」
「当たり前ダナ」
硬く結ばれた手。それは、歓迎の合図でもあり運命共同体の始まりの一歩。
デビュー戦、勝利。
条件戦、勝利。
オープン戦、勝利。
弥生賞、3着。
皐月賞、5着。
これが、アタシの成績だ。
オープン戦までは概ね順調に進んだが、それ以降のクラシックに関係するレースには次に進めるギリギリでしか結果を残せない。真面目にやっても、何故か脚が進まない。
身体の不調も無く、レース運びや作戦だって完璧なのに操られたかの様に結果が出ない。
これがアタシのウマソウルなんてものが起こす不具合なのか、カミサマからの天命なのかは分からない。
日本ダービーの事を考えるだけで胸の辺りがギラギラと何かが燃え盛る様な感覚になるのに、それ以外では心が震えない。
こんな状態で本当に勝てるのだろうか。アタシと違って、他の17人は1つの栄誉へ向かって直向きに努力している。
アタシが日本ダービーに出走して、勝った後は?もし負けたとしたら?
ぐるぐると思考の海に呑まれて時間を使っても、答えは出ない。
「……虚無だ」
やっぱりアタシには、ナニモナイ。
だけど、日本ダービーを勝ちたい。それだけは、虚無の中にある唯一の光。暖かさ。欲。
「……忘れモノって、ナンダ?」
アタシは今の今まで忘れ物なんかした事ないのに。
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【第 回日本ダービー。今日、このレースで世代の最強が決まります。誰もが望み、目指す頂へと辿り着くのはどのウマ娘なのか】
【次は16番、アセビスズナ。あのアセビボタンと同チームという事で注目されましたが、直前の皐月賞とオープン後からの成績、大外枠である事が尾を引いて、現在17番人気です。この人気薄をどうひっくり返すのか、目が離せないウマ娘です】
この場所にいる何十万のニンゲン達の中でアタシを目的にしているのは数える程しかいないだろう。
だけど、それで良い。その方が大番狂わせをするのに丁度良い。
アタシの中で炎が燃えている。あんなに虚無だった中身が今だけは抱え切れない程に、震えている。
人気薄、大外枠から並み居る強豪共を差しおいて、アタシが最強になる。
そして、この場所を絶叫の渦に落としてやんよ。
【勝利の女神は一体誰に微笑みかけるのか!今、第 回日本ダービーがスタートしました!!!】