幻の夢を追いかける花 作:或る記憶
独特な海の匂い。
潮騒に包まれる世界。
誰もいないからと乱雑に靴と、靴下を砂浜に投げ捨て波に両脚を晒す。
潮風が制服と髪を揺らす。
昔から海が好きだった。
理由は無い。
ただ、懐かしさで胸がいっぱいになって、涙が出る程誇らしくなる。
それに伴う記憶は無く、ファンタジーなまま溢れ出る感情に身を委ねている。
「脚がふやけてしまうよ」
「ア?」
突如、1人の世界に流れたもう一つの音。
振り向けば、1人の老人がコンクリートの階段に座っている。
知らない男だ。
アタシの中にある記憶に目の前の顔は無い。
「ここにヒト、いや、ウマ娘さんが来るのは珍しい……ほら、もう上がりなさい」
「海にドレだけいようガ、アタシの勝手だ」
「帰る時に、ふやけた脚の皮が捲れても良いのかい?」
柔らかく、けれど確信を突いた言葉に舌打ちを1つ。
波が届かないギリギリに捨てたバッグから、タオルとミネラルウォーターを取り出して軽く塩水を洗い流す。
「座って見る海も、良いものだよ」
「もう良いダロ」
「私が君と、話してみたいんだ」
「ジイサン……お前、不審者カ?」
「昔からレース場に入り浸る不審者ではあるかもしれないね」
日差しで適度に熱せられたコンクリートの上に座る。
海の水が光を反射して、酷く目が眩む。
不思議と誰もいない海の真ん前で知らないジイサンと、ジイサンと何も関係の無いウマ娘。
「……ここら辺にはレース場が無くて、ウマ娘の子は皆ある程度の年になると他の県に移ってしまう事が多くてね、珍しいからつい話し掛けてしまった」
「ソーカヨ」
「君は、どうしてこの場所に?」
「カワイイコーハイチャンがレースに出っから一緒ニ連れて来られたンだよ」
「へぇ。ここから近いとコクラかサガら辺かな。後輩と言ったけれど、此処へは1人で?」
「悪イか?」
「嫌。この場所を選んでくれて、嬉しい限りだ」
杖を携えるジイサンの顔は海から離れる事は無い。
それなのに、その瞳は海では無い別の場所を、海を通したナニカを見ている様だった。
「ジイサン。ジイサンは、何を見てンダ?」
「何って、海だよ。大好きなんだ」
「違ウ。海の先、別のモンだ」
一瞬、驚いた様にアタシを映した両目。
「その昔、この場所にはレース場があったんだ」
ジイサンの口から出る、アタシの知らない歴史。
成る程、それならば何を映したのか理解できる。
「海が見えてね。アラオの大きな海を背景に、沢山のウマ娘が競い合っていたんだ。私も、小さい頃に親へは何も言わず、勝手に入り込んでね。凄く、特別だったんだ」
「ナンダ。意外と悪ガキだったんダナ」
「あぁ。とても、ヤンチャな子供だったよ」
「……もし、アタシがソノ無くなったアラオのレース場で走ったラ、ジイサンは応援シテたか?」
適当に会話の糸口にでもと思って、何となく口にした言葉にジイサンはアタシがビビるくらい、真っ直ぐに、何の迷いも無く言葉を紡ぐ。
「勿論。最前列できっと、応援しているよ」
「それは、なんだか不気味だな」
酷いな。
軽い口調で言葉を吐いて、ジイサンは少年の様な顔で笑った。