幻の夢を追いかける花 作:或る記憶
50年代の競走馬:アセビボタン
生涯戦績
【1950年】
新馬 一着
OP 一着
OP 一着
阪神3歳ステークス 一着
【1951年】
櫻花賞 一着
東京優駿競走 二着
優駿牝馬競走 八着
【1952年】
古呼馬 十二着
天皇賞(春) 十一着
古呼馬 九着
【1953年】
天皇賞(秋)一着
11戦6勝(6-1-0-4)
【主な勝鞍】※当時は格付け無し。
阪神3歳ステークス(阪神ジュベナイルフィリーズ)
櫻花賞(桜花賞)
天皇賞(秋)
【馬主】
円谷 巽
【主戦騎手】
小金井 近江
1948年4月16日生まれ。
日本の牧場で生まれた小柄な芦毛の牝馬。
大人しい性格で扱い易い馬ではあったが、気の強い馬が多かったその牧場ではそれが理由でいじめられっ子となっており、同じサラブレッドより人間の方へよく懐いていた。
とある日、牧場へ馬を買いに来ていた円谷巽とふれあい、お互いに相思相愛になった事から正式に円谷巽の持ち馬となり、「雪風」という名前を与えられた。。
元々は、個人の乗馬や子供達の精神的な発達を目的に買われたのだが、円谷の友人である高垣芳司からの薦めで競走馬としてのデビューが決まる。
「アセビボタン」は円谷とその細君から贈られた御守りの名前である。
競走馬としての能力はとても高いが、馬群を苦手としており先頭もしくは前目につける事が多かった。
G1を2勝してから挑んだ日本ダービーでは、出走前に他の馬が苦手なボタンが自ら隣にいた馬(トキノミノル)へと鼻を寄せ、挨拶をした初めての行動に主戦騎手を務めていた小金井は驚いたという。
ダービーにて2着になってからはオークスへと挑むがそこで惨敗、前の馬から大差を付けられての最下位となる。
疲れが残っていたとして長期の放牧となるが翌年のレースでも同じく前から大差を付けられての最下位となる。
その頃から、円谷の体調が悪化しており再び長期の放牧を経て翌年の天皇賞(秋)をラストランにする事が決定され、天皇賞(秋)では大きな声援に背中を押され、優勝をする。
引退後は、繁殖牝馬となり後のダービー馬であるアセビスズナを産んだ。
アセビボタンの不調の原因として「トキノミノルのその後を感じ取ったのではないか?」と「日に日に弱っていた円谷巽を見ていたからこそ気落ちしていたのでは?」という2つが挙げられる事が多い。
アセビ→馬酔木(あなたと二人で旅をしましょう)
ボタン→牡丹(富貴、王者の風格など)