もし、もしも。こんな未来に至ると分かっていたなら。
でもいつだって、後悔は先に来ない。
過ぎ去ってから、気が付くから。
こうならないで欲しい、と祈るばかりですが。
もし、もしも。あの一件がなかったなら。きっと俺たちは、こうならなかった。
卒業して猪股家を出ていく千夏先輩の背中を見送りながら、込み上げてくるのは後悔ばかり。俺たちの間に確かに感じた絆は、あの日に掻き消えてもう跡形もない。俺たちは、赤の他人として別れる。それだけだ。
涙さえ流れない、沈みきった気持ちで俺はまた思い返す。
終わらない悪夢を産み出した切っ掛け、あの文化祭を。
――なんだよ、それ。
頭に浮かんだのは、その一言。知らず知らず拳は強く握られ、怒りが身体に満ちていく。
思えば色んな事が、おかしかった。一つ一つが異常だったのに、それに気付けなかった。
何故俺が代役なのか、そこからもう間違っていたのに。
衣装が簡単な手直しだけで俺のサイズになった事も、重要な役を演じる癖にうっかり大怪我したとか言う話も、全部。
違和感はあっても気にする暇なんか無くて、だから俺は頑張ったのに。なのに。
眠っている白雪姫に顔を近付け、キスのふりをするだけだった筈だ。なのに雛は不意に身体を起こして俺を抱き締めるように、唇を合わせてきたんだ。
ただのお芝居なのに、千夏先輩が見ているのに、雛は俺にキスをした。
その後の台詞は全て飛んで、雛がアドリブで話を終わらせて。恙無く幕が降りて。
そして俺は知らされた、西田先輩が占いで言った言葉の意味を。
「やったじゃん、雛!」「世話焼かすなよ猪股ー」なんてワイワイ言いながら嬉しそうに囃し立てるクラスメイトたち、その中には怪我をして病院へ筈の顔も混ざっていた。そこでようやく俺は、分かったんだ。これが全て、こいつらの仕掛けた安っぽい
皆は雛の気持ちを知っていて、協力していた。最初から全部、そうだったんだ。
皆真剣に、舞台に向き合っていると思っていた。千夏先輩も「大喜くんたちが頑張って作った結果だもん、見に行くよ」と言ってくれた。クラス皆で一つの目標に挑んでいくその日々は、部活とは違うけど楽しかったんだ。
なのに。なのに、こんな余計なお節介をして、人をからかって。そんな事の為に、揃いも揃って。
ふざけるなよ、バカ野郎。
「あ……大喜、えっとさ、あのね。私は知らなくて、それでね……」
なにか言おうとはにかんだ顔をする雛に、無性に腹が立った俺は――。
「……ふざけんなよ」
雛を睨み付け、足元に転がっていたくす玉の残骸を全力で蹴り飛ばしていた。
粉々になった破片は目の前のバカ連中へと降り注ぎ、悲鳴と怒りの声があがる。叫びたいのは、俺の方だ。
王子の衣装を着替える暇もなく、校内を駆け抜ける。まだそんなに遠くへは行っていない、そうあってほしい。
その願いはそれでも叶ってくれた、神様もそれくらいの慈悲はあるらしいな。
視界に入ったその姿へと、全力で叫ぶ。
「千夏、先輩!」
ああ、でも。その背には、明らかに浮かんでいた。……拒絶の色が。
千夏先輩は、約束通りど真ん中の席で観ていてくれた。俺はその状態で、雛とキスをしたのだ。先輩に嘘を吐く事なんか、もうしたくなかったのに。あれはアクシデントで、俺の意思じゃないんです。俺は雛と、そういう関係じゃないんです。そう言いたいのに、言葉が出ていかない。
振り返った千夏先輩は、少しだけ寂しげな顔をして。でもすぐに、いつもの――貼り付いたような笑顔へと戻る。
「良かったじゃない、蝶野さんも嬉しそうだったし。最優秀賞も取れて、良かった良かった」
その笑顔が、辛い。そんな風に、あっさりと終えないでほしい。それじゃまるで、俺が望んでいたみたいじゃないか。
俺が好きなのは、千夏先輩だけなのに。
雛を嫌いだとは言わない、でも。俺は千夏先輩が、好きなんだ。
そう訴えたい、あなたが好きだと叫びたい。でも、それを制するように千夏先輩は微笑んだ。
「それに蝶野さんこないだ言ってたよ、大喜くんに告白したって。二人は相性ぴったりだと思うよ、お幸せにね」
そこから俺を気遣うように祝福の言葉を投げ掛けて、再び背を向けた千夏先輩。
もう、これで終わりなんだ。伸ばした手は、どこにも届かない。
俺に問い詰められて雛たちは、ようやく全てを話してくれた。
俺のクラスメイトたちは、皆優しくて気遣いが出来るから。雛が俺を好きだと知って、背中を押すつもりだったんだと。雛も雛で、周りに協力してもらえて嬉しいくらいの感じでいた。だから文化祭を使って、一気に話を動かすつもりだった、……と。安っぽい学園ラブコメのように、アクシデントを利用してイベントを進めようとした。
ああ、良い連中だな。俺の事なんか微塵も考えず、ただ雛の為だけにクラスが一丸となったんだ。皆優しいよ、吐き気がするくらいに。結局全て、終わったんだけどな。
ここで殴り合いにでもなれば、まだとりつく島もあっただろう。でももう、そんな気にさえ成らなかった。
もういいや、どうでも。
捨て鉢な気持ちでその場を離れた俺は、だから知らない。知ることもない。雛がどんな顔をしていたのか、そして何を考えたのかも。
興味さえ、持つ気がしないから。
猪股家へ戻ってきた千夏先輩は、以前と変わらない風で俺と接してくれた。でも、それだけだ。只の同居人、その距離感から一歩も踏み込もうとはしないし踏み込ませない。何度も話をしようとはしたけれど、いつもはぐらかされる。或いは二人を応援する、と勘違いだけを深めるだけ。
いつしか俺はそれに疲れ果て、誤解を解こうともしなくなっていった。それを悲しいとも思わなくなり、だんだんと心は冷めきって。今こうして見送る背中にも、たいした感情は抱けていない。もう二度と会えないかもしれないのに、多少落ち込んでいるだけだ。
そしてあれ以来、雛とはマトモに会話していない。理由も口実も無いし、俺自身クラスでは浮いた存在になってしまっているから近づく気もしない。
俺一人が悪役みたいに言われて、孤立させられて。全部俺のせい、か。俺が雛の気持ちに気付かないから、朝練で会う先輩なんかを好きになったから、だから皆であんな事をする羽目になったんだ、なんて何度責められたか。
ああ、そうだな。俺がもっと、ちゃんとしていたら。もっと頭が回る人間だったら、こうはならなかっただろう。でも、そうじゃなかった。こうなってしまったんだ。
だから俺たちの話はもう、これで終わってしまうんだ。