ノルニルの傷痕   作:塩化プラス

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7.きざはし

 

「テイオー、少し落ち着いた?」

「うん……ごめんね、トレーナー……」

 怒って、怒り返されて、また怒って。あの不毛で仕方のないやり合いから、気づけばもう十数分は経つ。ここにいるのはマヤノではなく、ボクのトレーナーその人だ。騒ぎを聞きつけた寮長が閉じられた部屋にやってきて、わりかし手慣れた感じもってでボクらを引き離した。ボクら二人に割り当てられたあの部屋には今はもう誰もいない。ボクが居るのは寮に備え付けられている、来客用の応接室。寮長はマヤノを連れて別の部屋へと向かった。ボクはここにいるよう伝えられ、それから数分としないうちにボクのトレーナーがやってきた。なんでも学園内で残業していたらしくて、すぐ来れたんだってさっき言っていた。

「ごめんだなんて。」

「でも……」

「ふふ、いいの。気にしないで。あと、助っ人をもう一人呼んでるから。来るまでちょっと待ちましょうか」

 ボクのトレーナーは気休めが好きだ。誰も傷つかなきゃ全部優しく収まるって心から信じてる。もうすぐ三年、一緒にいるからもうわかる。助っ人ってコトバの意味するものが何かも。ほのかな笑みのあと、厚い木を叩くノック数回。ゆるやかに開け放たれていくドア、わずかに出来た隙間から覗くのは。

「……トレーナー君、テイオー。お邪魔するよ」

「カイチョー……」

「いらっしゃい、ルドルフ。美浦からありがとうね」

「はは、構わないよ。フジキセキと……まさかトレーナー、君から緊急事態だって言われたらね。まったく、夜更かしもたまには役に立つものだね?」

 まったくもって予想通りに現われる、尊敬するシンボリルドルフ生徒会長。その姿にああ、本当にボクってば何やってるんだろうと悲しくなる。内心で苛立ってみてはいるものの、何もかもボクが悪いってのは分かり切っているから。外面のボクは激烈に怒り抜く選択なんて出来るはずはなくて。

「ふたりとも……ごめんなさい……」

 ひどく気の抜けた身体からこぼれ出るのは、気の抜けきった後ろ向きな謝罪。そんな有様のボクを一瞥すると、カイチョーは微笑みながらボクの頭に手を乗せて、ほんのり強めにわしわし撫でさすってくれる。

「謝るなよ、テイオー。私も、トレーナー君も。肝心のことは何も聞いていないのだから。気分転換、だ。まずはそれらしい形へと、心を調えて行こうじゃないか」

 ウインク一つ空に投げて、会長はボクの隣へと流れるように腰掛けた。合わせるようにして、かちゃり。トレーナーの手によってボクの前にカップとソーサーが置かれ、つやめき光る陶器の肌を滑るかのようにして、オレンジよりも随分と濃い紅が収まるべき場所へと注がれていく。

「相変わらず淹れるのが上手いな、君は?」

「お世辞でも嬉しいわ、ありがと」

「可愛げが無いな、全く」

 談笑を巻き込みながら、カップの中で花開くカモミール。そんな茶葉の匂いに身体はてんで高揚せず、逆にひどく肩が落ちた。華やげない、シュガーポットを開ける気力すらない。香りも確かめないまま軽く呷っても。熱いだけ、味の一片も分からず仕舞いだ。

「はあ……」

「テイオー、聞かせて?」

 何があったの、そう優しく問いかけながら、テーブルを挟んで対面にトレーナーは座る。柔和な雰囲気で、どこか困ったようなしぐさで、軽く身を乗り出してはにかんで。ボクの目にかかった白い流星を梳く。

「言ったって……何にもならないよ、きっと……」

 お決まりの動きだ、ぜんぶ。これまでもこうして慰めてくれたことを覚えてる。カイチョーだって同じだ、泣きついてきたボクを抱き留めて、決して締めず緩やかな拘束だけを施して手許に置いておく。二人は優しい、本当に踏み込んで欲しくない場所にまではその手を伸ばさない。

「ずるいから、二人とも」

 だから、続く世界が映らない。目蓋の裏に広がってるのは奈落の底、解決策の糸口すら見えない真っ暗い闇だ。話したところで答えなんて見つかりそうにないんだから、言葉にしたって何の意味もないって、そんなこと言う気なかったのに、ボクの気持ちと身体はそれを我慢できなかった。

「あっ、ごめん……! なんで、ボク、なんで……」

 お門違いの怒りをぶつけて返ってくるものなんて、青く燃える正論以外にないと思い込んでいたのに。ボクの目の前に現れたのは、張りつめていた感情の八割方が抜けていく、断続的で不格好な微笑み交じりの空気だった。

「……バカにしてるの……?」

「違うよ。一緒くたにされたくはないと思うけど、なんだかいつかの自分に覚えがある気がしてね」

「いつかの、自分?」

「うん、そうね……ほんの少しだけ。質問……うーん、でもこれ質問じゃない方がいいかなあ?」

「ではトレーナー君、質疑応答……いやこれだと固すぎるか。クイズ形式で問いかけてみないか?」

「それいいね、ルドルフ!」

 咳払いひとつ置いてから、すっとんきょうな明るさで。

 落差と含みのある単語を、トレーナーは口にした。

「あるところに、好き合ってた子たちがいたわ」

 カイチョーはテーブルに置かれたコップの縁を擦り、ほんの少し悲しげな表情を浮かべた。

「好き合っていた二人は、一緒に永遠を分かち合えると心の底からそう思っていた。しかし……」

 意味深な微笑みを湛えたまま、シュガースプーンから二掬いだけ流し込む。カモミールティーに透明な砂粒が溶け込んでいく。かちり、かちり。陶器の縁が銀で鳴る。溶かし切ったらカイチョーはゆっくりとカップを口元へ運んでいく――

「……それって、二人のこと?」

 ――直截的過ぎるボクの言葉に、がたがたがた、コントみたいに二人は体勢を崩した。

「お、おほん。私たちのことではないんだけど……」

「じゃあカイチョー、嫌いになったから別れたの……?」

「……まあ、私でもないんだが……別れたとも、嫌いになったからとも違うんだ、テイオー」

 自分でもどうかと思うボクからの問いかけに、そう答えたあと。二人は顔を見合わせて、そして幸せそうに微笑んだ。

「あはは、そうね。そんなの今でも……」

「そうだな、好きに……決まってるじゃないか」

「好きなのに……?」

「好きだからこそ、二人でいることをやめたの」

「ひと一人で居る必要があると、そう理解できたから。その二人は離れたんだ」

「ええと……」

 さっぱりと言いのける二人の心情が、ダメだ、いまひとつ解釈しきれない。簡単に読み解いて自分のものにするには重たすぎる。ボクにぶつけられたメッセージは、あまりに他意を含み過ぎている。

「その、二人にとって好きって……なんなの?」

 ボクの信じる好きって気持ちは、手を繋ぎ合いながら確かめるものだ。好きだから別れるだなんて、知識として持ってない。

「思うだけで、いいってこと?」

「……そうね。思うだけなら誰の損にもならないから……ねえ。答える前にもう一つ質問してもいいかな?」

 無言で頷くと、トレーナーは憂いを帯びた眼差しでボクを見つめた。

「才能って、どういう意味だと思う?」

「ボクは……」

 思ったままを言おうとして、言葉に詰まる。ボクにとっての才能は、まずもって自分で知覚するものじゃない。誰かに名前を付けられて初めて、あるかないかを判断できる、頭上に浮かぶ名刺みたいなものだと思っているから。しかもソイツらはだいたい大人からのレッテル貼りで、ボクら子供は無力なまま意識的に判断の力を使わされる。使わされた結果がこれなら、才能なんてものに本質はない。

「ボクにとっての才能は、誰かの期待に応えるための、エネルギー……」

「そっか。そうなのね。テイオー」

 絞り出すみたいに言ったものにトレーナーは静かに頷いて、それから納得したみたいに目を瞑った。

「私はね、才能は愛を示すもの、そして互いに信じ合うものだって思うの」

「あい……? どうして……?」

「与えられて初めて輝いて、理解してさらに輝くもの、だから。私にとっては、ね?」

「そんなの……」

 言葉遊びと何が違うの、そう続けようとしたとき、ボクのトレーナーが二の句を継ぐ。

「喋っちゃうかな~独り言……ねえ、ルドルフも聞いてよ、私のはなし」

「……あまり聞きたくないな、君の自分語りは」

 居心地悪そうにカイチョーは明後日の方を向く。カップの取っ手を爪の先で弾きながら、どことなく呆れたように溜め息を漏らす。ボクの前じゃ見せないような姿に、少しだけ食指が伸びた。

「どんな話なの?」

「待て、テイ……まあいいか、仕方無い……」

「ふふ、じゃあ話しちゃお。いつだったかなあ、私は高校生だったから……」

「はあ……十年は前、だろう?」

「あはは、そっくりそのまま覚えてるんじゃない、ルドルフ」

「何度君に聞かされたと思ってるんだ。過猶不及。私の耳にピアスとなって残っているぐらいなのに」

 経験したことのない雰囲気が漂い続けている。カイチョーも、トレーナーも。これまでに見たことのないような感じで話していた。

「あらそうなの、あんまりうんざりしてないみたいだから、忘れちゃったかと」

「バカは休み休み言ってくれ。ほら、話の続き」

「はいはい。あのね、私、高校生の頃。進路とか、夢とか、色々を直視しなきゃいけないタイミングがあって。何もかもが嫌になっていた日があったわ。あれは……薄く雨の降る、どんよりした空の下だった。そこでね、全国の小学生のトップを決めるレースが開かれていたの。自分が本当に分からなくなっていたとき、そう本当に何となく。ネットかなんかで近くでやるって書いててね。興味も何も無かったのに、ただ熱気にあてられたくて。私、学校サボってレースを見物しに行ったの。そこにね……」

「ちらちら見ないでくれないか、全く。まあ、そこに私が出走していたのさ。話はそれだけなんだ」

「……それだけ?」

「あはは、まあそうね。それだけ。才能を感じた、圧巻だった、本当にただそれだけね。たった千メートルの勝負の場。今にして思えばものすごく短い距離。でも、そのときは、そのときだけは。長くて……なのにひどく短くて……そこが私とルドルフの、多分最初の出会いだった……」

 迷惑なお話なんだけどね。そう前置きしてトレーナーは懐かしそうに目を細める。

「不思議よね、今でも具体的な答えを見つけられてないの。自分がどうして悩んでいたのか。何に勇気付けられたのか。ただ、ルドルフの走る姿に、どうしようもないくらい惹かれて、前を向かされたの。それで私、感極まっちゃって。ウィナーズサークルで堂々とインタビューに答えてる、今のテイオーよりちっちゃいルドルフにね、ちゃんと伝わってくれるように声を上げたの。夢を見せてくれてありがとう、って……」

「思えば、そこでファンサービスを覚えたのかも知れないな。まあ正直、当時の私は不思議な人がいるものだなと思っていたよ。本格化も随分と先な、しかも親類縁者でもない人が。まだまだ稚拙な私のレースぶりを見て、どうやら本気で泣いているんだからな。でも、そこで理解したのさ、一つ」

 かなり自意識過剰ではあるけどね、と独り言ちて。カイチョーは胸の前で腕を組む。

「本気で走ることで、誰かに何かを与えられるってことを。実体験で、ね」

 茶目っ気溢れるカイチョーの口調にボクは、二人が何を伝えたいのかをようやく理解し始める。

「私たちが語る言葉は、遮二無二頑張る君へのエール」

「あなたたちはウマ娘だから。きっと。私があの日のルドルフに感じたものを、走り合うことで分かち合えるはず」

「私たちは才能に裏打ちされた世界で生きている。だからこそ、テイオー。酷なことを投げかけるようだが、決して腐らせるな、自らを」

「カイチョーと、トレーナーは。ボクに……才能を示せって、そう言うの」

 呟きに返ってくる、無言の頷き。

「当然でしょう?」

「今更、だな」

「テイオー。あなたは何度でも輝いていい。私たちが保証するわ、あなたには輝くための才能がある。持てる限りの才能で走って、理解しあって。あの子を理解しなさい、テイオー。それが、あなたがこなすべき運命。運命を手にするの、テイオー」

「ああ、理解の先に未来はある。仮に賢くなくとも、競争に懸けてきた遺伝子が答えてくるはずだ。愛を示し、互いを信じ、生きるべき理由を見つめ直せ。負けるのが嫌だから、と。戦いの一切を放棄するのは違う。分かっているだろう、君なら」

「だけど……」

「それとも。逃げて全部諦めろ、って。私たちの口から、テイオー。言ってほしい?」

 逃げて諦めろ、肺腑を抉る埒外の痛みが、ボクの背筋をまっすぐにさせる。

「ボクは……」

「……立ち向かえ。その一言で十分なはずだ、君ならば。そう、君が君であるならきっと。それだけで理解ができるはずだ。臥龍鳳雛(がりょうほうすう)。君ではなく、君の片割れに向けて。そして君と君たちに、私の身勝手ついでに。分かり合うための餞別をひとつばかり渡そう。明後日の夜。人払いをしておく。あのレース場は、君たちの、君たちだけのものだ。生きるに足る意味をその走りにて、改めて知覚しろテイオー。君にはその理由もあるはずだ」

「ありがとうね、ルドルフ……トレーナーとして、私が立ち会おうと思う。本当は二人だけで……って思うけど、万が一に備えて。ちょっと無粋かな?」

「いやいや。それぐらいならば神様だって構わないだろうさ。若者のために出来ることはすべてやりたくなるのが、何というか親心……的な物だと自覚しているからね」

 カイチョーはそう言ってほがらかに笑った。

「分かち合って来い、輩よ。自身を、裸の己で、戦ってくるんだ」

「ふふ……調整、大変になるかも知れないね。すぐあとには有マがある……でも、戦うべきは今にもある。ここが前を向くべきとき。逃げられやしない、それがあなた……私はずっと、テイオーのトレーナー。あなたが好きなようにやっていくのを、叶えられる限りの範囲で応援したい。だから、まず。改めて。埒もないことだと分かっているけど。ここは正念場だと思うから。私はあなたの才能を、あなたという個人を、私は、ううん私たちは心の底から信じてる」

 嘘偽りないことを誓うわ。それだけ言ってトレーナーは目をつぶる。

「受け止めて、この想いだけは」

 トレーナーの肩に会長の手が寄り添う。トレーナーはその手を払いのけることなく、指先から温もりを貰うように指を重ねた。

「ああ、私たちは君の味方だ」

 二人の視線と言葉が胸に染み込む。受け取って、自己解釈して、偽りがないことを飲み込めたとき、こんこんこん、厚くて重たい木を叩く軽い音が聞こえた。

「いいぞ、入って来てくれ」

 カイチョーとトレーナーに背中を擦られて、ボクは何かを理解する。応接室に付けられた重ための扉がゆっくりと開いていく。

「――ほら、早く入れ。まごついてても仕方ないだろう」

 ドア向こうの宵闇の隙間から、寮長とブライアンに押されるようにしてボクの前へとやってくる、マヤノ。指、震え、緊張、ぜんぶ大丈夫。伝える言葉なんて決めていたから、勇気付けの深呼吸は要らない。

「あの……その……」

 ボクの前で立ち止まった彼女に、ボクは。

「もう、逃げない。だから」

 まごつく暇も与えないように。

「マヤノ、走ろう」

 そう、それだけを告げる、最期の道標にするために。

「マヤたち二人で……走る、の?」

 止まれない、止まれない、ボクらはもう止まれない。

「うん」

 ボクらはただの乗客だ、運転手でも添乗員でもない。

「ボクらは、まだ決まってない」

 発車のベルは随分前に鳴り響いた、走り出した電車は徐々にスピードを増している。

 止めることがかなわないなら、ううん。

 無理に止めようと思わなくたっていいんだ。

 ここはまだ、駅と駅の中間地点。遥か先をゆく道のりの途中。

「謝るとかありがとうとか、そういうの。言えないんだ、まだ」

 ボクらの電車はとまらない。生半可な力じゃ止められもしない。

「わがままかも知れないけど」

 ひとたび駅を離れたら、次の駅まで行くしかない。

 噛まれていない腕や手が軋むように痛んだって、途中下車なんてもう出来ないんだから。

「決めようよ、ボクらを」

 けたたましい電車の叫びに音量調整を施して、ひたすらに前へと進もう。

 たったふたりでできることなんて、きっとそれだけだと思うから。

 

 

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